新聞の小欄より

今朝、職場に届いていた朝日新聞の小欄が目に留まりました。生物学者の福岡伸一氏の寄稿によるもので、確か以前にも福岡氏の文章をNOTE(ブログ)に取り上げた記憶があります。内容は思春期の子どもたちのことについて書かれたものでした。文中から引用いたします。「大人はたいへんだ。生計を立て、パートナーを探し、敵を警戒し、縄張りを守らねばならない。対して子どもにだけ許されていることは?遊びである。闘争よりもゲーム、攻撃よりも友好、防御よりも探検、警戒よりも好奇心、現実より空想。それが子どもの特権である。」人間は成熟期が他の生物よりも長いのは、遊びにより脳を鍛え、知恵をつけるためというのが福岡氏の仮説です。これは私も同感です。子どもから大人へ変わっていく過程には、個人差があって、なかなか現実を捉えられない子が、夢のような将来を描いている場合があります。アニメーターになりたい、声優になりたい、それはそれで結構なことですが、厳しい現実に到底立ち向かえそうにない彼らを見ていると、芸術を追いかけてきた私ですら心配になります。また、家庭環境によって満足に子ども時代を送れなかった子どももいます。彼らを見ていると、さらに心配の種が尽きません。年齢とともにきちんと大人になっていく子どもは幸福です。多少歪んでいても、子どもらしい時代を過ごしていれば、思春期に軌道修正できると思うのです。児童文学者石井桃子のこんなコトバで小欄が締めくくられていました。「子どもたちよ 子ども時代をしっかりと たのしんでください。おとなになってから 老人になってから あなたを支えてくれるのは 子ども時代の『あなた』です」

春分の日 制作&散策

ウィークディの真ん中に休日があるのは、創作活動をする上で大変助かります。とりわけ陶彫は乾燥具合を見て作業を進めていくので、水曜日はタイミングとしては最高です。今日は朝から雪が降っていました。春分の日なのに積もっていく雪を見ながら、寒の戻りとも言うべき極寒の中で、朝7時から工房に篭りました。作業中、何度もストーブの許へ寄り、悴む手を暖めました。昼までに窯入れが出来るように仕上げや化粧掛けを行いました。先日、成形した陶彫部品に彫り込み加飾も施しました。予定した通り、昼に窯入れを行い、焼成を始めることが出来てホッとしました。午後は、工房に出入りしている若いスタッフのグループ展が今日オープンするので見に行きました。東京下北沢の小さなスペースを借りて、美大ビジュアルデザイン科1年生4人による平面作品の展示でした。今風のアニメキャラ的なものばかりが並び、彼女たちにとってみれば初めての展覧会で、何となく学園祭の延長のような印象を受けました。今後どんな展開があるのか分からないほど若く幼いグループ展だなぁと思いました。私にもそんな経験があって当時を思い出しました。私は小奇麗なイラストではなく、牛を彫った下手な木版画を出して悦に入っていたら、池田宗弘先生からガツンと言われて凹んでしまったことを覚えています。今日はせっかく下北沢まで出てきたので、渋谷まで足を伸ばしました。タワーレコード店に行って、「小室等アルバム」を手に入れようとしましたが、最近発売になった「プロテストソング2」はありませんでした。昨今は便利なネットで注文すればいいことですが、私は店頭に並んでいる商品を手に取って購入したいと考えているのです。とりわけ書籍とCDはアナログな購入方法に拘っています。毎晩RECORDと称する小さな平面作品を作っていますが、その制作中に聴く音楽には、創作活動を始めた20代の頃の自分の原点を取り戻すために、当時の和製フォークソングを繰り返しデッキでかけています。よくもまぁ、飽きもせずと思われがちですが、さすがにカセットテープになったモノを40年も聴いていると、相当痛んでしまっているのです。そこでCDに買い換えていく計画があるのですが、製造を止めてしまったモノがあって、マニアックなものはなかなか見つからないのです。今日はさまざまなバリエーションの「小室等アルバム」を4枚購入してきました。これで暫くはRECORD制作に弾みがつきそうです。午後の散策は雪が霙に変わっていましたが、心は満足をしていました。

「純粋な絵画フォルム」について

職場で読んでいる「見えないものを見る カンディンスキー論」(ミシェル・アンリ著 青木研二訳 法政大学出版局)は、著者がフランスの現象学者であることで、本書も専門の立場に依拠して述べられています。現象学に興味がある自分は、著者がカンディンスキーの提唱する理論をどう捉えているのか、そこを読み解こうとしています。ざっくり言えば、写実も含めて全ての絵画は抽象絵画に包摂されると、著者は主張しているようです。単元ごとに分類されて、そのつど抽象の概念を提示して考察を加えています。今回は「純粋な絵画フォルム」についての考察がありました。内容を追って文章を取り上げていくと「あらゆる知覚は原則的にみて実践的ー実用的である。」とありました。日常私たちが目にする色彩やフォルムは、何らかの用途があって、とりわけ色彩やフォルムだけを意識することがないという意味です。「絵画とは反ー知覚である。」色彩だけが、またフォルムだけが用途から離れて純粋に意義を持つ、これが抽象絵画であると著者は述べています。ここで従来の写実絵画との色彩における関係性を取り上げています。「色は熱狂的な肉体性の中で輝き、限りない潜在能力にあふれているように見えるのに、どうしてなじみのない写実性に従属し、功利的な知覚の平凡な世界を相変わらず表わすことに甘んじているのだろうか。」またフォルムに関してはこんな一文もあります。「通常の知覚の対象となるフォルムだけが写実主義絵画の中で地位を得ている。ありとあらゆる無数のフォルム、精神が思いのまま想像し得るかぎりのフォルムは、あの潜在する無数のものを徐々に見つけて行くことだけしか念頭にないので、写実主義絵画から排除されている。まさしくあの無数のものを抽象絵画は呼び起こして解き放ち、そのようにしてわれわれの世界から離れ、まったく新しいフォルムの世界を開拓し、形象表現的な構成の方法を増やして行くのである。」

TV「よみがえる!太陽の塔」雑感

今晩9時にNHK BSプレミアムで「よみがえる!太陽の塔」をやっていました。2時間に及ぶTV番組でしたが、あっと言う間に見終わった感じがしました。大阪万国博覧会は、自分が中学生の時に開催され、家族で数回にわたって出かけました。こうした国際規模の博覧会は今でこそ珍しくなくなりましたが、当時は眼を見張るほど素晴らしい印象がありました。ただ人混みに圧倒されて、中学生の体力を持っていても疲労困憊した思い出があります。「人類の進歩と調和」というテーマでしたが、近未来都市は疲れるんだと思っていました。会場中心のテーマ館にあったモダンな屋根を貫く太陽の塔。芸術家岡本太郎の作品でしたが、内心あまり好きなデザインではないなぁと思いつつ、内部に入ると「生命の樹」に吊るされた、太古の生物を模した造形が強烈な印象を残しました。50年近く前になるのに、おどろおどろしい雰囲気は今も脳裏に焼きついています。一昨年に大阪府で、その再生計画が持ち上がり、太陽の塔の耐震改修工事とともに、若い造形作家や職人によって内部を修復、または新たに作り直すことにしたようです。番組はその制作過程を追っていて、私は興味津々でした。番組の中で紹介された岡本太郎の縄文土器に対する美術的な視点や、日本人の美意識のルーツを探す旅は大変面白いもので、岡本太郎が縄文土器の美を発見しなければ、私の発掘シリーズもどうなっていたのか分かりません。私も岡本太郎の著した縄文土器論を愛読した一人なのです。番組の後半で取上げられていた「地底の太陽」の半立体化した作品は美しいと感じました。現代はそこにプロジェクション・マッピングをやっているのを番組で知って私も見に行きたくなりました。調べてみると予約でいっぱいだそうですが、10代の私が圧倒された展示空間にもう一度立ちたいものです。

週末 墓参り&制作

今日はずっと工房に篭って制作三昧というわけにはいかず、墓参りやら休日出勤もありました。それでも今日の制作ノルマを終わらせるために早朝7時に工房に出かけました。昨日作っておいた大きなタタラの乾燥具合を確かめながら、立体に立ち上げました。どんな用事があっても今日のうちに陶彫成形をやらねばならず、若いスタッフが来る前に、ほぼ成形を終わらせていました。昨日も蓄積された疲労に打ち克って制作を進めていました。今日も同じでした。職場での人事のことと、工房での制作のことしか頭にない自分は、夜になって家内と一緒にテレビを見たり、お茶を飲むこともせず、何か自分の殻に閉じ篭っているような気分です。一日1点ずつ制作を課しているRECORDは、こんな時ほどきちんとやっていて、きっと創作の霊に憑かれたのではないかと感じている昨今です。人間らしい感情のムラも行動のムダもないのは、自分が理想とする好ましい姿のはずですが、ゼンマイをきっちり巻いた精神状態になっていて、そのうち弾けて一気に元通りになるのではないかと想像しています。元々自分は怠け者のはずが、休みたくない気分に支配されているのが怪しいなぁと思っています。近所の菩提寺に行って、先祖の墓でも掃除してくれば、多少のんびりできるかなぁと思っていたのでしたが、そうはならず、そのまま職場に出かけました。職場で用事を済ませて工房に戻りました。水曜日が休日なので、今日やり残した制作は水曜日に回すことにしました。それがあったため今日は早めに工房を後にしました。

週末 疲労に挫けず…

週末になりました。いつもならウィークディの疲労が残っているため、土曜日の創作活動は軽めに終わらせていましたが、今日は朝から夕方まで休むことなく制作を続けました。明日は先祖の墓参りに近所の菩提寺に出かけ、その足で職場にちょっと顔を出さなければならない用事があるため、丸一日制作が出来ないのです。今年の夏にギャラリーせいほうで発表する新作は、現在佳境に入っています。今が頑張り時です。職場では来年度人事が煮詰まり、工房では新作全体が7割程度の状況まで進んでいます。二足の草鞋生活双方とも緊張の糸が張り詰めていると感じています。昨日のNOTE(ブログ)に、こんな生活について自問自答したことを掲載しましたが、今日は内向きではなく、外に向ってひたすら制作あるのみでした。掌で陶土を叩いて、大きなタタラを6枚作りました。明日の成形に備えるためです。保存してある陶土が無くなったので、土錬機を回して40kgの陶土を用意しました。午後は前回作っておいた陶彫部品に彫り込み加飾を施しました。いつもの土曜日ならここまではやりません。身体が疲労しているのは分かっていましたが、萎えていく意欲を気持ちで振り切りました。疲労に挫けず、モチベーションを高く保ちました。若いスタッフが2人工房に来ていて、彼女たちにも背中を押されていました。いつも出来ることではありませんが、ここぞと思う時は頑張れるものだなぁと思いました。最近観た映画で、ジャコメッティの制作姿勢を描いたものがあり、単純な自分はそこに触発されて頑張っているんだろうと思いました。映画鑑賞も役に立つものです。夜になって自宅の食卓でRECORDを描いていたら、さすがに意欲が途切れてきました。明日も継続です。

自分に問いかける…

創作活動での労働の蓄積は望むところですが、公務員管理職としての疲労の蓄積は、私の悩みの種になっています。来年度の人事を固めつつある現在は、来年度に向けて期待を膨らませると同時に、そのメンバーでどうやっていくのか、思考の迷宮に入ってしまいそうです。こんなことは何とかなると例年考えていて、実際に何とかなっているのですが、さまざまな想定をしてしまうのが私の悪い癖だなぁと思っています。あるところでは楽天家でないと管理職は勤まらないのかもしれません。私が関わっている職場外の組織でも人事が進められています。その組織で存在感のある方が退職となって、一抹の不安を覚えるのは私だけではないはずです。そんな年度末の一週間は疲れないはずはありません。ようやく金曜日がやってきたと思っていますが、安堵するには程遠い状況です。私のリフレッシュはもちろん創作活動ですが、これが本当にリフレッシュになっているのか、甚だ疑問です。創作活動も今年の夏の個展に向けて佳境に入り、それはそれで別次元の悩みを抱いています。週末はウィークディとはまるで異なる疲労を蓄積してしまいます。その疲労はウィークディの仕事によって緩和され、ウィークディの仕事の疲労が取って代わります。その一方で、創作活動にしろ、公務員管理職にしろ、まだまだお前は仕事を続けるべきだと天の声がしています。私は昔から自然の成すがままに任せている傾向があって、そこで自ら決定を下すことはしません。自然に成すがまま受け入れる運命に、理由も根拠もありません。ただ何となく現状の自分は、自分の持てる力量に見合っている仕事をしているか、無理はしていないかを自分に問いかけるのです。二足の草鞋生活を知っている知人が、よくやっているなぁと声をかけてくれます。その一声が嬉しくてホッとしますが、自分が苦しくなければ、現状でいけると自分に言い聞かせています。自分がどこまでこの二足の草鞋生活を続けられるのか分かりません。年度末の多忙な時期になると、毎年考えてしまうことではあります。

「シーレの人形」新聞記事より

今朝、職場に届いていた日本経済新聞に興味のある記事が開催されていたので、NOTE(ブログ)で取り上げることにしました。人形作家宮崎郁子氏による記事で、前書きとして「1890年、ウィーン近郊に生まれた画家エゴン・シーレは早くから絵の才能を認められ、28歳で亡くなるまでに多くの名作を残した。私は1995年に画集を見て作品に一目ぼれし、以来、彼の絵に着想した人形を作り続けている。」とありました。シーレは独特なポーズをした人物画で国際的にも知名度がある夭折の画家です。それを立体化していく着想は、面白いけれど困難がつき纏うんじゃないかと思いました。こんな一文があります。「現実にはあり得ない程ねじ曲がった体。時にうつろ、時に挑発するようなまなざし。全てを再現したかった。~略~2次元の絵を立体にするので、描かれていない部分は想像で補う。不思議なことに、デフォルメされて違和感を覚えていたポーズでも、立体に起こすと自然につながる。高いデッサン能力に基づいて、絵が描かれていることを実感した。」へぇ、やはりそうなのか。シーレのデッサンは個性が際立つけれども、基本となる形態把握は優れていると常々思っていました。立体にすると自然な肢体が確認できると言うのはとても良い発見だと思いました。シーレはデッサンを美術学校で修得したのでしょうか。そうだとすればシーレが、私と同じウィーン美術アカデミーに一時学んでいたことが、ちょっとした私の自慢になるわけです。記事で知ったことですが、シーレの絵によく登場するクルマウのアトリエは、現在はチェコにあり、宮崎氏はここに1ヵ月滞在し、作品を制作する機会があったと言うのです。これは素晴らしいことで、夢は長年思い続ければ叶うものだなぁと思いました。

詩集「プロテストソング」雑感

詩集「プロテストソング」(小室等・谷川俊太郎著 旬報社)をふらりと立ち寄った書店で見つけ、早速購入しました。小室等のアルバム「プロテストソング」は、私が夜になるとよく聴いているカセットテープです。発売されたのが1978年というのですから、当時私は大学生だったわけで、今から40年も前になります。当時はCDではなくカセットテープになったアルバムを購入して、今もそれを大切に聴いている次第です。私は毎晩1点ずつ小さな平面作品RECORDをやっていますが、その制作時のお気に入りの音楽のひとつなのです。カセットが入るデッキもなくなりつつある昨今、新しく「プロテストソング2」が発売されたことをきっかけに、今までの小室等のアルバムを全てCDに買い替えようと思っています。小室等のアルバムの魅力は、詩人谷川俊太郎氏のコトバによるところが大きいと思っています。今回は書籍を先行して買ってしまいましたが、東京に行った折に大手レコード店に寄ってみようと思っています。本書は小室等・谷川俊太郎両氏の対談が掲載されていて、プロテストソングの意義や40年越しになる制作秘話もあって、楽しく読ませていただきました。流行の騒がしいJポップの中で、私にとっては訥々とした弾き語りに、いつまでも古くならない新鮮さを覚えてしまうのです。40年前の歌から「クリフトンN.J.」の中の一節に惹かれます。♪「ぼくらはみんな憎しみを恐れ そのくせ愛するのが下手だ ~略~ぼくらはひとり英雄を夢み そのくせ甘えるのが好きだ ~略~ぼくらはみんな永遠を恋し そのくせこの時代のとりこ」   

彫刻家の密室劇

画家やデザイナーと違い、彫刻家は立体制作が可能な工房を持っている人が多いと思います。彫刻はパソコンだけで創作できるものではなく、実材と向かい合っているだけに、例えば工場のような無味乾燥な作業場や、野外での広漠たる場所があったりして、その素材によって場所や施設が異なってきます。相原工房には窯や土練機が備えてあります。作業台が6台、回転台を初めとする陶彫用の道具は数多くあります。木彫用の万力や電動工具もあります。作業台の一部と大きめなイーゼルはスタッフたちが使っています。工房では坦々と作業を進めていますが、時に気分が高揚したり、落ち込んだり、心の叫びがつい飛び出してしまうことがあります。工房はただの空間ではないなぁと自覚しています。スタッフも制作中は自分の殻に閉じ籠っているので、他人のことなど見えていません。そんな工房でのドラマが展開する映画を、最近よく観ています。登場するのはいずれも彫刻家の巨匠たち。「ロダン カミーユと永遠のアトリエ」は、近代彫刻界に絶大な存在を示したロダンの生涯の一幕を取り上げていました。ロダンの工房は、国から借り受けた広大な大理石保管所で、そこに働く人たちや愛人との関係を生き生きと描いていました。「ジャコメッティ 最後の肖像」は、晩年のジャコメッティの小さな工房が舞台でした。ジャコメッティは現代彫刻で独自な世界観を築いた巨匠でしたが、古く薄汚れた空間の中で、妻や弟、娼婦である若い愛人に囲まれて暮らしていました。ロダンにしてもジャコメッティにしても映画の中では、まさに密室で展開する内面の葛藤を余すところなく描いていて、ドラマとは言え、自己表現を全うするために常軌を逸していると感じます。そんな巨匠たちの生きざまは、厳しくも豊かな内容を私に提供してくれるのです。

映画「ジャコメッティ 最後の肖像」雑感

待ち望んでいた映画「ジャコメッティ 最後の肖像」が横浜のミニシアターにやってきました。先日、早速観に行ったら、自分もジャコメッティの精神状態になりきってしまいました。私は煙草を吸わず、周辺に娼婦もいないので、彼とあまりにも環境が違いすぎるし、表現方法も対極的なので、真似をしようにも出来ませんが、魅力的な人物像に少しでも近づきたいと思ったのでした。本作は、1964年にパリのアトリエでモデルを務めたアメリカ人作家のJ・ロードによる18日間のジャコメッティとのセッションを描いています。ドラマ仕立ての映画であっても、ドキュメンタリーのような気配があり、私には表現に肉薄する巨匠の凄みさえ感じました。映画のほとんどが狭い古びたコンクリート色したアトリエが舞台で、密室劇にも関わらず、そこで展開する心理描写は、創作活動する者にとっては、共感できることが多いと思いました。哲学者でフランスに留学していた矢内原伊作が、やはりモデルを務めていて、それに関する多数の著作があったため、その雰囲気は予め文章で読み取ることは出来ました。映像になるとこんな感じなのかと改めて認識した次第です。ジャコメッティの人物を象徴する言葉を探していたら、パンフレットにこんな一文がありました。「ジャコメッティはストイックであると同時に気まぐれで、ユーモアがあると同時に癇癪もちで、自分の作り出すものに常に懐疑的であった。」(横山由季子著)モデルを務めた人たちが言うのだから人物の性格に間違いはないでしょう。追求に追求を重ね、完成を拒む作品。見えた通りに作ったら、針金のように細くなった作品。巨匠らしかぬ風貌。その姿を捉えた本作は、自分には極めて刺激的でユーモラスな映画であったと思っています。

週末 あれから7年…

未曾有の東日本大震災から7年が経ちました。この3月11日が職場の稼業日に当たった時は、私は施設内外に向けて一斉放送を流し、1分間の黙祷を行いました。街行く人もその場で立ち止まって黙祷していたのが印象的でした。以前3月11日が日曜日に当たった年もありました。その時、私は作業を中断して黙祷をしました。今日は日曜日で午後2時過ぎに、工房に来ていた若いスタッフと1分間の黙祷を捧げました。FMヨコハマから鎮魂に相応しい音楽が流れていました。あの日を境に防災意識が大きく変わり、我が家でも防災グッズを揃えています。防災用のレトルト食品を期限が切れる前に食べることがあります。家内は防災意識が高いので、防災食品はローテーションして日常の食事に組み込んでいるようです。食料品だけではなく、先日も簡易トイレが届きました。日本に暮らしていると、自然災害に対する意識はかなり高いまま維持できるように感じています。復興にはまだまだ時間がかかりそうですが、人と人との絆を確かめ合えたのは幸いでした。今日は朝から工房にいました。昨日作っておいたタタラを使って、陶彫成形を行い、先週作った成形には彫り込み加飾を施しました。昨日に比べると今日は制作が進みました。昼ごろ、近隣のスポーツ施設に水中歩行に行ってきましたが、水泳もかなり出来るようになりました。少しずつ肩が動くようになり、身体が元に戻っていると感じています。そうであれば体力を回復していきたいと考えています。長く彫刻を作っていくために体力をつけておくことが必要です。彫刻は、精神的にも肉体的にも骨が折れる表現です。絵画やデザイン領域に比べると、彫刻をやっている人が少ないのも分かります。そんな扱い難い表現媒体を意志だけでやってきましたが、これからは身体をコントロールしていかなくてはならないかなぁと思っているところです。

週末 AM映画鑑賞&PM制作

このところ週末は美術館や映画館に足繁く行っています。今日は待ち望んでいた映画「ジャコメッティ 最後の肖像」がやっと横浜にやってきた初日でした。上映時間が午前9時からだったので、今日は工房に行く前の午前中に常連のミニシアターに出かけました。家内は演奏があって、今回は私一人で行きました。彫刻家ジャコメッティの制作は、哲学者矢内原伊作によって書かれた書籍が数冊あって、私にとって馴染みのあるものでした。パリのアトリエの写真も多く残っていて、そこでどんな制作が行われていたのか、映画による解釈や映像表現が如何なるものかをどうしても見たかったのでした。映画の撮影に使ったアトリエは忠実に再現されたもので、俳優もメイクの技術によってジャコメッティその人が乗り移っているような錯覚を覚えました。弟ディエゴや妻アネットもよく似た役者を使っていて、きっとこんな雰囲気だったのだろうと思いを馳せました。撮影はロンドンでやっていたようですが、裏ぶれたパリの下町をよく再現していました。ジャコメッティの最後のモデルを勤めたアメリカ人作家によるものを礎に脚本が作られていて、私には芸術家が制作中に落ち込んで自暴自棄になる心理がよく伝わりました。詳しい感想は後日に回します。午後は工房に出かけました。久しぶりにヴィジュアルデザインを美大で学ぶ若いスタッフが顔を出しました。彼女は近々4人展を開催するらしく、展示する作品を工房に作りに来たのでした。私は大きめのタタラを6枚準備しました。彫り込み加飾もやりました。明日は朝から工房に篭って制作を行います。

今年度最後の儀式的イベント

このNOTE(ブログ)では私の職種を明らかにしていませんが、秋にあった祝祭的イベントが新聞報道されたため、職種が新聞に掲載されてしまいました。このNOTE(ブログ)を同業者の方も読んでいただいていることも聞いています。それでも拡散を怖れて、敢えて職種を伏せておこうと思っています。今日は、今年度最後の儀礼的イベントがありました。イベントでは、専門職である全職員が、専門の枠を外れて、協力し合う場面が多くありました。そのおかげで今日は厳粛なイベントができたと私は思っています。集団で行う式典は、全員で襟を正して気持ちを揃えていくものであると私は考えます。そこに個性の主張は要りません。私は彫刻家として個性の発露を何よりも大切にする者ですが、式典に関してはまるで異なる見解を持っています。式典によって集団社会の中で、個人でもケジメをつけるべきです。個性的であろうとする場面と、そうでない場面を使い分けていくのが円滑な人生だろうと私は思います。今日の儀式を済ませて、明日は創作に立ち向かう週末を迎えます。明日は個性を追求する自分だけの時間を過ごします。今晩は立派な式典を成功させた全職員を労いました。今年度もあと僅かになりました。

アートの捉えについて

「アートと美学」(米澤有恒著 萌書房)は、美学者の立場からアートを論じようとしている書籍です。アートという現代を席巻している新しい概念を、私自身は積極的には使っていません。理由として、自分の中でアートに対する明確な考えが定まっていないからです。現在読んでいる「アートと美学」は、アートを知るための手がかりになればと思っています。アートは単なる芸術の外来語ではなさそうで、従来の芸術に新しい概念を齎せています。美術の枠では収まりきれなくなった思考表現が、アートとして括られていると考えられます。現代社会に対応する価値観を有する表現がアートというわけです。自分の名刺を作るときに、私には芸術家以外の立場として公務員管理職としての立場があって、こちらの方は社会的な名称が定着しているため、何の疑いもなく名刺を作ることができました。芸術家としては少々困りました。アーティストと呼ばれることに私は躊躇します。アーティストは結局何をする人なの?という曖昧さと気恥ずかしさがあって、私は彫刻家を名乗ることにしました。表現が彫刻だけに限らなければ造形作家、こちらの方がしっくりいきます。社会的な地位を持っているもうひとつの職業を表す名刺と造形作家の名刺、2種類の名刺を今も使い分けていますが、それでも造形作家の方が如何わしい印象を与えます。ましてやアーティストなど私には名乗れるはずがありません。怪しい活動家ともペテン師とも揶揄されそうです。これはアーティストというものが、あまりに多義多様にわたる職業を含むからではないかと思っているからです。もうひとつはカタカナ職業が嫌いという私の趣向にも原因があります。アートも同じで、ボーダーレスな表現を自分なりに咀嚼できない頑固者なのかもしれないと自分を分析しているところです。彫刻家ですよね、と人から言われると私は素直に頷きますが、アーティストですよね、と言われると、いいえ違いますと即座に否定してしまう私は気難しいのでしょうか。

「学問と美学」について

現在、通勤時間帯に読んでいる「アートと美学」(米澤有恒著 萌書房)の第一章では「学問と美学」について考察しています。私は幾度となくNOTE(ブログ)に書いていますが、哲学に興味関心があります。このNOTE(ブログ)にも最近読んだニーチェ、ショーペンハウワー、ハイデガーの著作の感想を掲載していますが、本書に出てくるヘーゲルについて私は僅かに齧っただけなのです。文章を引用すると「『精神的なものが、感覚的な形となって現れる』という彼(ヘーゲル)の定義は、美学が芸術に与えた最上のものの一つである。ヘーゲルは恐るべき慧眼の士であった。『芸術』の観念に最も相応しい形式は、文芸でも音楽でもなく造形芸術であり、就中、彫刻である、これがヘーゲルの芸術哲学の核心だった。」とありました。ヘーゲルはギリシャ彫刻をイメージしていたようですが、こんなふうに語られてしまっては、私としてはヘーゲルの著作に挑むしかないかなぁと思いました。西欧の学問の源は何からきているのか、文章を探ってみると「西欧哲学の標榜する神、具体的には、ギリシャの神々とキリスト教の神である。多神教か一神教か、それが『神学theology』を違ったものにした。神への見方が異なると、当然、神を範に仰いで人間を見る、その見方にも違いが表れる。ギリシャ哲学とキリスト教神学とは、互いに別のものだった。~略~ギリシャ哲学とキリスト教神学、この異質な二つのものがグレコ・ローマン的文化の支柱である。西欧の諸学問、それがグレコ・ローマン文化を継承しつつ発展させたものである以上、諸学問が『神学』から完全に離脱することは不可能である。そして離脱できない範囲で、すべからく諸学問は人間探究の一環をなしている。」西欧哲学は神学ありきの学問として始まったにせよ、近代になって神を蔑ろにするニーチェの思想が登場し、その後に何か変化が生じたのでしょうか、実はこんな文章もありました。「近代合理主義もしかし、神学と訣別できるものではなかった。哲学として最も信頼できる学問形態は『神学』だったし、これ以上の学問が存在した例もなかった。新しい学問、合理主義的思潮、それは決して『無から』生じた訳ではない。学問的な伝統あってこそのことなのである。神学と訣別できるかのような学問は、自ら学の体裁さえ覚束ないことを認めねばならなかっただろう。それが西欧の学問、というものである。」うーん、言われてみればおっしゃる通り。西欧的な神の存在は日本人には分かり難いところもあり、神の否定に走ったニーチェも西欧哲学の枠内にいることは確かです。否定をしなければならなかったのは、その存在を認めているからこそなのだと認識しました。

「フォルム」について

職場に持ち込んで休憩時間に読んでいる「見えないものを見る カンディンスキー論」(ミシェル・アンリ著 青木研二訳 法政大学出版局)の中で、カンディンスキーが唱えるフォルムについての考察がありました。「〈内部〉にもとづくこうした決定が根源的であること、その決定は絶対的な必然性にしたがって行われること、この〈内的必然性〉は、それに従属しているフォルムにとって自由を意味すること、この〈必然性〉は『純粋芸術』としての芸術一般の自由をあきらかにしていること、以上がことが少なくともひとつの事態を説明してくれる。つまり、あらゆる真正な作品から出てくる必然性の印象そのものということであり、それとは逆の偶然性ということであり、極言すれば平凡な絵画の特徴になっている根拠の欠如ということである。」フォルムの概念とは何か、内的必然性を秘めたフォルムには自由で真正なものが宿るとでも言っているのでしょうか。同じ趣旨で言い方を変えた箇所を探すと、「フォルムは、自己が表現すべき使命を有する当の抽象的な内容によって決定されており、内容によるフォルムのこうした決定とは、あらゆる真正な絵画が依拠すべきであり、現に初めから依拠してもいる〈内的必然性〉の原則なのである。」というカンディンスキーの主張は、今読むと定説になっていると感じるところですが、改めてフォルムについての考えを再度見直してみる機会と捉えてもいいかなぁと思います。何でもありきの現代アートの世界で、そうした動きを最初に唱えた「芸術における精神的なもの」、カンディンスキーの芸術の提唱は、混沌とした現代にあっても新鮮さを失っていないと感じるのは私だけでしょうか。

映画「長江 愛の詩」雑感

朦朧とした水蒸気が立ち昇る大河長江。文学青年だった主人公が父より受け継いだ古い小さな貨物船の船長になり、違法の運搬を引き受けて、長江を上流に遡っていく物語を中心に据え、そこに時空を超えたエピソードが展開するのが、映画「長江 愛の詩」でした。ミステリアスな女性が行く先々で登場し、主人公と愛を紡ぐ場面がありました。彼女の存在は何なのか、現代中国の経済発展の証とも言える三峡ダムの場面では、彼女との再会を果たすことはありませんでした。彼女は実在の人物ではなく、何かを象徴する存在なのかなぁと映画を観ているうちに気づきました。鄙びた港に停泊する主人公の貨物船。その中での老いた機関士や若い船員との現実的なやり取りや河口から見える風景を垣間見ていると、映画は現代中国の発展やら洪水で荒廃した村落を描いていて、実にリアルな印象を与えます。それでも主人公が船底から発見した亡父の地図や詩集によって、詩情的な幻想に誘われてしまうのです。映画の後半に長江の源流を旅する主人公がいて、まさに現実と幻想が織りなす世界観が、この映画の主張するところではないかと思いました。パンフレットから引用した文章を掲載します。「霊魂への意識や仏教、修行のモチーフの一方で、三峡ダム、河の汚染、河口の都市の様変わりが、富という現代中国の新たな宗教を指し示す。取り残される農村と洪水の生々しい惨禍。幻想的かつ詩的イメージとリアルな現実。相反するそうした要素がアン(女性)とガオ(主人公)のラブストーリーを複雑にねじれさせるのか?」(川口敦子著)煙る長江に見え隠れする迷宮じみた現実と幻想、錆色した現代と紫色めいた山水、瑞々しい自然の後にやってくる高層ビルの立ち並ぶ人工の空間。大河には対峙する世界が広がっていて、人と人のドラマより、寧ろ雄大な景観に圧倒されました。

週末 焦らず休まず陶彫制作

日曜日はほぼ一日陶彫制作をやっています。土曜日はウィークディの疲労が残っているため、美術館や映画館に出かけることが多いのですが、制作工程を考えると、日曜日は朝9時から夕方4時くらいまで工房に篭っています。陶彫部品を寄せ集めて集合彫刻にするため、焦らず休まずコツコツと作り続けるのが私の流儀です。一気呵成には出来ないのが私のやっている集合彫刻で、これは自分の生活スタイルに合っていると自覚しています。その日の意欲のあるなしに関わらず、同じ時間帯に工房に行って、制作サイクルの中で作業をしています。職人のような動きが、作品を着実に推し進める原動力になっています。そのつど陶土に埋没して、緊張感の中でやっていますが、制作サイクルから大きく逸脱することはありません。幾度かNOTE(ブログ)に書いている労働の蓄積というのがぴったりくるコトバです。陶彫は土練りから始まって、タタラ、成形、彫り込み加飾、乾燥、仕上げ、化粧掛け、焼成という段取りがあるため、工程ごとに作業が異なります。ひとつの陶彫部品に一日中関わることはしません。複数の陶彫部品を同時に進めていて、次から次へと段階別の作業に追われているのです。大きな厚めのタタラを立ち上げる工程もあるので、陶土がどの程度乾燥しているのかを見極める必要もあります。彫り込み加飾も陶土の表面が乾燥しすぎると、掻き出しベラが使えなくなります。といって柔らかすぎると幾何抽象の彫り込みが出来ません。陶土の乾燥具合を確かめながら制作をしていきます。焦らず休まず、と念仏のように唱えながら陶彫制作をやっていますが、実際のところ陶土が自分に休みを与えてくれないというのが本当のところです。今日も朝から夕方まで制作三昧でした。来週また頑張ります。

週末 定番化しつつある土曜名画座

やっと週末になりました。気温が上がって春爛漫な雰囲気の中、朝から工房に篭りました。私は花粉症でクシャミがよく出ます。若い頃に比べれば、花粉症は楽になった気がしていますが、加齢で身体の各所が緩んできているために、花粉症に敏感ではなくなったのではないかと思っています。工房の周囲は相変わらず花々が咲き誇っていて美しいと思います。今日は彫り込み加飾と、明日の成形に備えて大きなタタラを6枚作りました。やはり土曜日はモチベーションが上がらず、今ひとつ制作に気合が入りません。そこで、夕方になっていよいよ定番化しつつある映画鑑賞に行きました。今日は家内が同伴してくれました。土曜日の夜は横浜の中心街にあるミニシアターへ行くというコースは、これはもう土曜名画座と称しても良いくらいの習慣になっていると思っています。今日観た映画は「長江 愛の詩」でした。中国の大河である長江の絶景をカメラに収めた映像が美しいという評判を聞いていたので、楽しみに出かけたのでしたが、映画の内容は私が考えていたものと少々違いました。ミニシアターにしては50人以上の観客がいましたが、私と似た世代の高齢者が多く、きっと私と同じように巨大な観光資源を背景に愛の逃避行が展開するのかなぁと思っていた人も多かったのではないかと思いました。確かに映像は美しいと感じましたが、グレートーンの渋みの効いたもので、現実と虚構が交錯する謎の多い展開がありました。精神性に軸を置いた物語構成は、過去と現在を包括する野心作とも言えますが、単純には楽しめない要素が満載でした。詳しい感想は後日改めます。土曜名画座があったために、今日は充実した一日でした。

3月RECORDは「囲」

西欧を初めとする都市形成の歴史には、城壁によって他国の侵入を防いだことがあり、その囲まれた空間の中で人々は暮らしていました。都市の近代化にともなって古い壁を壊し、そこに道路を整備したため、旧市街と新市街が明快に分かれている都市もあります。農耕部落が広がって発展した日本の都市とは、明らかに異なる西欧の都市構造は、人々の思考にまで影響を及ぼしていると私は考えています。日本人は平面で物事を考え、西欧人は立体で物事を考えるというのが、20代の頃に西欧で暮らした私の雑駁な実感です。私が生涯をかけた彫刻表現は西欧に端を発したもので、生育文化の相違に折り合いをつけるのが、私には今も困難を感じるところでもあります。若い頃に暮らした西欧での学校生活を思い出すと、講義では思考を構築し、また論考を説明し易く限定していたように思えてなりませんでした。囲まれていた城壁のせいかなぁと私は常々感じていました。長い前置きになりましたが、今月のRECORDのテーマを「囲」にしました。このテーマを思いついた時に、西欧の都市が頭を過ぎったのでした。もちろん西欧の都市そのものを絵にするつもりはありません。RECORDは一日1点ずつ作り上げていく小さな平面作品の総称で、文字通り日々の記録(RECORD)です。西欧の都市構造がイメージの始まりとしても、1ヶ月のうちにはさまざまなイメージの膨らみが出てきます。今年は画面に一定パターンを決めて、RECORDを制作しています。毎晩、夕食後の食卓で鉛筆を走らせているRECORDが、下書きのまま山積されていくことがないように、その日のうちに仕上げまでやっていきたいと願っています。食卓には今も2週間くらいのRECORDの下書きが残っています。早くこれを何とかしなければと思いつつ、時間ばかりが過ぎていく現状です。今月も頑張ります。

3月初めに春一番

昨晩、横浜では雨風で大荒れな天候になりました。深夜は暴風をともなった雨の打ちつける音で度々目が覚めました。どうやら春一番だそうで、明け方になって雨が上がると気温はぐんぐん高くなりました。今日から3月です。年度末を迎え、私は職場の来年度人事を考える時期になりました。毎年やってくる人事は、私にはうまくいったためしがありませんが、1年間を見据えて適材適所を考えながら、一所懸命作っていきたいと思っています。また出会いと別れの季節でもあり、悲喜こもごもの瞬間がやってきます。梅、桜、桃と季節を追って花々がリレーしていくのも春の楽しみです。冬には枯草色だった工房周辺の畑が俄かに色彩を帯びてきて、春の訪れを告げるようです。さて、今月の制作目標ですが、陶彫部品を全て終わらせたいと願っています。ちょっと無理かなぁと思いますが、無理を承知で頑張ってみるつもりです。年度末に少しばかり休暇が取れそうで、その時を利用してテーブル彫刻の柱の部分に挑む予定です。大きめのテーブル彫刻は陶板を接合した柱にします。小さめのテーブル彫刻の柱は、木彫をして表面を炙って炭化させます。スタッフたちの予定が合えば、テーブル部分の砂マチエールをやりたいと思っていますが、欲張り過ぎでしょうか。RECORDは山積みされた過去の作品を少しでも仕上げつつ、今月も一日1点の制作を継続していきます。夕食後に自宅の食卓で取り組むRECORDは習慣になっていて、飼い猫トラ吉を排除しながら集中しています。早く元通りのRECORDのペースにしたいと思っています。鑑賞は先月ほど頻繁に美術館や映画館に行かれませんが、興味の赴くままにやっていきます。読書は美学とアートについての論考を楽しみながら読んでいきます。

展覧会や映画館に足繁く通った2月

今日で2月が終わります。今月を振り返ると、今までになく鑑賞が充実していたと思っています。まず、展覧会では「仁和寺と御室派のみほとけ」展(東京国立博物館)、「ブリューゲル展」(東京都美術館)、「谷川俊太郎展」(東京オペラシティ アートギャラリー)、「今右衛門の色鍋島」展(そごう美術館)、「石内都 肌理と写真」展(横浜美術館)の5つに行きました。映画では「日曜日の散歩者」「ロープ 戦場の生命線」「謎の画家ヒエロニムス・ボス」(以上がシネマジャック&ベティ)、「クボ 二本の弦の秘密」(横浜ニューテアトル)の4本を観に行きました。これは1ヵ月の鑑賞としては今までの最大数でしたが、公務員管理職との二足の草鞋生活のため何とか時間をやり繰りして鑑賞を楽しんだ結果です。陶彫制作に関しては小さめのテーブル彫刻に吊り下げる陶彫部品2点を作りました。現在は彫り込み加飾も終わって、乾燥を待っているところです。さらに今月は陶彫成形が2点終わっていて、鑑賞で時間を取られた割には頑張ったのではないかと自負しています。RECORDは相変わらず苦しい制作状況が続いています。今月も多くの下書きを残したまま月を越えてしまいそうで、食卓に彩色を待つRECORDが山積しています。読書は北方ヨーロッパの芸術家を扱った書籍を立て続けに読みました。現在は美学者の著作を読んでいますが、これには興味津々です。今月は寒い日が多く、工房で凍えそうになりながら毎週末は制作に明け暮れました。制作工程を鑑みると決して余裕のある状況ではありませんが、今月の制作は及第点をつけたいと思います。

「アートと美学」を読み始める

「アートと美学」(米澤有恒著 萌書房)を読み始めました。以前、「芸術の摂理」や「聖別の芸術」(どちらも淡交社)を読んだ時に、その著者の一人であった美学者米澤有恒氏の評論が気に入りました。本書は米澤氏が出されている書籍と分かって、すぐに購入しました。米澤氏の文章は決して平易ではないと思いますが、私には論法が分かり易く、何故か理解のツボに嵌るのです。加えて美学とは何ぞや?という私の基本的な疑問に答えてくれているので、重宝する書籍だろうと考えます。「まえがき」で米澤氏が言う通り、言い古された「芸術」とか「美術」に代わって、最近は「アート」という言葉をよく耳にします。外来語に訳されただけの話ではなさそうで、「芸術」と「アート」では概念にズレが生じているようです。アートというと、私は包括的で広範多岐にわたる芸術現象をイメージします。本書の「始まりの章」から文章を拾ってみます。「『コンセプトconcept』という言葉がある。アートの広がりにつれて、よく耳にするようになった。『概念conception』から派生した言葉である。~略~この言葉を美学は知らなかった。類似と思しい言葉を探すと、美学には『主題』、『テーマ』、と呼ぶものがあった。だが少し違うようなのである。主題やテーマは芸術に『外から』与えられたものだったが、コンセプトは芸術の『内側』のものであるらしい。」そんなアートを美学がどのように扱うのか、こんな一文もありました。「芸術の意味付けが変わると美学の対応も変わる。とするなら、芸術がアートに変わってきた以上、美学も芸術への対応を変えて当然である…と、そう単純にいくものでもあるまい。~略~コンセプチュアルになったアートに対してなら、やはり本来コンセプチュアルであった美学がコンセプチュアルに対応するのがよいのではないか。ここですでに『コンセプチュアル』という言葉の意味がこんがらがってきている。」面白くなりそうな気配のする書籍だなぁと思いました。通勤の友として楽しみます。

「絵の証言」読後感

「絵の証言」(佃堅輔著 西田書店)を読み終えました。本書に取り上げられていた23人の芸術家の中から8人をホームページのNOTE(ブログ)にアップしました。23人の芸術家のうち日本では比較的知名度が定着している芸術家がいる一方で、私も知らなかった人もいました。生前のご本人を見たことがあるのはルードルフ・ハウズナーだけです。と言ってもウィーンの学校の廊下ですれ違っただけで、声もかけられなかったのでした。23人に対して言えば、全員が国際的な名声を得ていないだけで、いずれの芸術家もその時代の代弁者であることに変わりはありません。その時代を知り、そこで追求した造形的主張や表現の在り方を考える上で、本書は私にとって大変有意義な書籍となりました。日本の書店は美術専門書があまり売れないことがあって、棚の片隅に追いやられ、書籍そのものが無くなってしまう傾向にあります。東京の大きな書店に行った折に、あれもこれも仕入れてきますが、私などは僅少の読書家だろうと思います。その中でも北方ヨーロッパの近代美術に関する書籍は貴重です。自分が若い頃に生活した彼の地の空気感を知っているだけに、本書は北方ヨーロッパの曇り空が垂れ込める鬱陶しい季節とともに、不安定な時代背景に苦しんで孤軍奮闘していた芸術家を思い起こさせます。文化の違いこそあれ、それは日本でも同じだったのではないかと考えています。

週末 梅満開の工房にて

朝から工房に出かけ、窓のカーテンを開けると、満開の梅の花が眼に飛び込んできました。工房に来ていた多摩美の助手2人も暫し梅の花に見惚れていました。梅の木は亡父が畑の境に列を作って植えておいたもので、当時父は造園業を営んでいたので梅の木は売り物でした。このところすっかり幹が太くなって、毎年見事な花を咲かせるのです。しかも1本ではなく植えた当時のままなので、まさに工房には梅並木があると言っても過言ではなく、これをを鑑賞するのは壮観です。野鳥が時々やってきていました。梅の花は日本画の題材になるなぁと思いつつ、私を含めて工房には日本画を専攻する者が一人もいず、ただ私たちは眺めているだけでした。工房は亡父の植木畑に建っているので、これから木々に花が咲き乱れ、柑橘類が実ります。私はまだ周囲の環境を愛でる余裕が無く、工房の中でひたすら陶土に挑むだけですが、温かくなったら野外工房に椅子を持ち出して休憩するのもいいなぁと思います。今日は大きな陶彫成形をやりました。助手2人もそれぞれの課題に夢中で取り組んでいました。3人でゾーン状態、心理学で言うフローに入っていたようで、気がつくと夕方になっていました。集中力はどのくらい持続するものなのでしょうか。朝から夕方までとはいかないにしても、工房ではかなり長く集中力が持続しているような気がします。一緒に作業している者がいるため、これも心理学で言う社会的促進が働くのかもしれません。ふと我に返ると、半端のない疲労に襲われます。手の水分も脂分も陶土に取られてガサガサです。精神的には充たされますが、身体がしんどくて自宅のソファに倒れこんでしまいます。また来週頑張ります。

週末 惜別記事を読む

やっと週末になって、陶彫制作に没頭できる機会がやってきました。朝から工房に篭って、乾燥した陶彫部品の数々に仕上げを施し、化粧掛けを行いました。もっと詳しい制作状況をNOTE(ブログ)に書こうと思って、夕方自宅に戻ってきたら、朝日新聞の夕刊に掲載されていた惜別記事に目が留まりました。先日も新聞で彫刻家保田春彦先生の訃報を知って、NOTE(ブログ)に書きましたが、今日の記事は写真がありました。大学で制作中の保田先生の画像でしたが、40年前に私が垣間見た先生の姿を思い出しました。金属による鋭利な抽象彫刻を作っているところに、私は惹かれてしまいます。さっきまで私も工房で制作をしてきたので、制作中の空気が伝わってくるのです。新聞記事から気になった箇所を拾ってみます。「遺跡や建築を思わせる、思索的で緊張感漂う金属の抽象的な彫刻で、高い評価を得た。」これは保田先生の一貫した作品の概略です。「歯にきぬ着せぬ指導で、表現の核心が分かるまで手を動かすなと教えた。」これは教え子でもあった鈴木久雄教授の弁で「高踏的な暴君」ではあるけれど「人間的」とも言っています。保田先生に親しい鈴木先生も、自分と同じような感覚を持っていたのかと思いました。私が保田先生に近づけなかったのはこんな理由があったんだよなぁと改めて思ったのでした。「イタリア出身の妻シルビアさんを亡くし、70歳代に作風が一変。叙情的な白い家形の木彫や膨大な数の裸婦デッサンを残した。」これはここ最近の新作を、世田谷美術館や南天子画廊で拝見していたので、よくわかります。制作に厳しかった保田先生も心境の変化が訪れたんだなぁと思っていました。最後に美術評論家酒井忠康氏のこんなコトバがありました。「元々ギリシャ以来の伝統を背負い、人体を基本にした人。晩年は青春に戻ったのではないか。純粋で不器用で、ニコニコなんてできなかったが、寂しがりやだった。」気難しい保田先生の風貌が甦りました。

「道化帽のさまざまな光景」ルードルフ・ハウズナー

「絵の証言」(佃堅輔著 西田書店)の23人の芸術家のうち最後に取り上げたいのはウィーン幻想派の旗手ルードルフ・ハウズナーです。私が20代の頃、ウィーン美術アカデミーに在籍していた時期がありました。当時アカデミーにはハウズナー教室があって、何人もの日本人が学んでいました。廊下でハウズナー教授とすれ違ったこともありました。教授はきちんとネクタイをされていて、とても画家には見えない風情でした。自画像を「アダム」と称し、そこに精神分析学を持ち込んだハウズナーの表現は、フロイトを生んだ古都ウィーンの空気に合致していたように感じました。ハウズナーには「アダム」の他に「道化帽」のシリーズがあって、文中にこんな一文があります。「アダムが活動的、荒い力、本源性、連続的な優位タイプを、要するに闘いを具現化していますが、それに対して道化帽は瞑想的な、抑鬱性の、メランコリックな感情細やかな、感じやすい、感情移入力のある他の一面を表現しています。」これはハウズナー自らが語った言葉です。道化帽を冠った人物像は、内面的な感情を秘めている表現になっているわけで、精神分析的な解釈を何か具体的な対象物を使って、自らの内面を語らせているとも言えます。本文からさらに引用いたします。「ハウズナーは、絵筆とパレットを手にして画架のところに立ち、鏡のなかを見、『わたしは自分の顔を眺めた』と言い、『そしてそのなかに世界を見た』。さらに『わたしが世界に関して知り、自分を知る一切のものを、絵を描くときに知ったのだ』と。それは彼にとって、絵画とは『グノーシス派の規律』であり、自己認識を創造することが、同時に人生の克服のためのひとつの手段であり、道化帽も、そのひとつの手段としての姿なのだ。」グノーシス派とは、初期キリスト教の異端とも捉えられた思想で、消滅の憂き目にも遭っています。それは旧約聖書の神と新約聖書の神を区別する特徴があるからです。一度途絶えた思想は20世紀に入って再び興り、オカルティズム思想にも影響を及ぼしているようです。ウィーン幻想派の思想背景にこんなものが潜んでいたことを私は知りませんでした。

横浜の「石内都 肌理と写真」展

昨日、横浜美術館の円形フォーラムで会議がありました。美術館学芸員から企画展の案内があったので、会議終了後、「石内都 肌理と写真」展に立ち寄りました。写真展を見たのは久しぶりで、私は2016年に東京都写真美術館で開催された「杉本博司ロストヒューマン展」を見た以来です。作家の経歴を見ると、石内都氏は美大で染織を学んでいることで、写真の技術偏重にならない表現が、柔軟な思考を齎せているように思えました。作品を見ていると痕跡、記憶、喪失、遺品などというコトバが浮かびました。写真は、そこに人が生きて生活した記憶を残せる媒体として、時間や存在を際立たせることが可能です。あらゆるモノは周囲の状況を纏って、私たちの身近に存在していたんだなぁと思い起こさせるのです。図録の中にある横浜美術館館長の一文を引用いたします。「技術重視へのこだわりが弱い写真への距離感は、三脚を用いず手持ちの35ミリカメラで自然光のもとで撮る石内の撮影方法にも表れているが、被写体との関係性を構築する個人的で親密かつ真摯な対峙の仕方は石内独特のものである。」(逢坂恵理子著)作家自身の言葉も図録に掲載されていたので引用いたします。「今日も又、ひとつの喪失がおとずれた。私をとりまく日常から少なからず人が消えていく。身体を伴って生きることは大変なことのように思える。身体から規制される様々な価値と違和との折り合いをどのようにつけていくのか。いずれカタチ有るものは無くなる。その当事者として残された私は、あるであろう今日の続きの為にも、身体のゆくえをさぐりながら限りある時間を超えて撮り続けていきたい。」

映画「クボ 二本の弦の秘密」雑感

先日、家内の希望で観に行った映画「クボ 二本の弦の秘密」は、日本マニアのアメリカ人スタッフが作り上げたストップモーション・アニメで、膨大な時間と手間をかけて、繊細かつ大胆な映画に仕上がっていました。スタジオ・ライカのこうした技術は世界最高峰らしく、人物や妖怪の動き、荒れ狂う大海や竹林、村落や民衆に至るまで美しさに溢れた映像を作り出していました。人形のポーズや表情を少しずつ変え、1秒に24回のシャッターを切る根気強さから生み出された流麗な動きは、実写には見られないモノ作りに対する気概が感じられました。主人公クボは三味線によって折り紙に命を与える才能を持つ独眼の少年で、村ではそんな大道芸をやって人気を博していました。侍だった父の話や月の帝として君臨する祖父の話を母から聞かされて、亡き父の声が聞きたくて灯篭流しに出かけたクボが、悪霊になった叔母や祖父によって事件に巻き込まれ、伝説の刀や鎧や兜を手に入れるため、母親代わりのサルや剽軽な武士クワガタと旅に出ることになります。クボの眼を狙う月の帝やその他魑魅魍魎と闘う中で、クボが三味線に意味のある2本の弦を張る場面があります。それは両親の支えがクボに強い心を与えるというものでした。監督は様々な場面で日本の古き情緒を盛り込んでいました。葛飾北斎の「神奈川冲浪裏」の大波や、歌川国芳の「相馬の古内裏」の巨大な骸骨を髣髴とさせる化け物などが登場し、ストーリーより美術的なイメージが先行しているのではないかと思わせる場面も数多くありました。監督は黒澤明や宮崎駿を参考にしているとパンフレットにもありました。観終わった後、よくぞここまで作ったなぁというのが私の本音です。家内も感嘆していて、上映最終日を気にしていたので、本作を三味線仲間に見せたいと思っていたのかもしれません。

映画「謎の天才画家ヒエロニムス・ボス」雑感

若い頃、ウィーンに居を構え、そこから夜行列車に乗り継いでスペインのマドリッドにあるプラド美術館に行ったことがあります。プラド美術館にはヒエロニムス・ボスの「快楽の園」があったはずですが、何ということか、私は記憶に留めていません。私がヒエロニムス・ボスの絵画を意識するようになったのは、ウィーン美術アカデミーに隣接する美術館に「最後の審判」があったからでした。アカデミーとは扉ひとつで出入りできたので、度々見に行き、不思議な世界を堪能しました。中世に描かれ、人間の罪を露にしたような表現には謎が多くて、それについて何か解説が欲しいと思って、旧市街にある美術書専門店で分厚いボスの画集を購入しました。結局ドイツ語の解説はまったく読まずに、今も自宅の書棚に眠っています。当時流行っていたウィーン幻想絵画にもボスの影響があると私は見ています。描かれた異形を見ると、つい誘惑されてしまう謎解き、宗教を含めた思想世界の迷宮に紛れ込んでしまった自分の心が映し出され、映画「謎の天才画家ヒエロニムス・ボス」を観に来ている人は、そんな思いを携えているのではないかと私には思えました。映画は「快楽の園」を巡って、様々な登場人物たちが感想を述べ、謎は解明されることなく幕を閉じました。監督のインタビューの中で「芸術家の使命は謎を深めることにあります。哲学者のミシェル・オンフレ氏が劇中で示唆するように、芸術が持つのは、衝撃とカタルシスを通して、人間の魂に優れたものを受け入れさせる力だけです。」とありました。謎は謎のままの方がいいのかもしれません。最後にボスの絵画の解説を付け加えておきます。「ボス絵画の多くの場合、人間の愚行ゆえの罪が、怪奇で悪魔的な異形のイメージで描き出されている。終末が迫り、地獄の業罰と罪の悔い改めがさかんに説教され、人々の恐怖心を煽っていたこの時代、ボス風作品は大いに人気を集め、権力者たちがコレクターになった。それはキリスト教社会が抱える矛盾や不条理を映す鏡だったと言えよう。」(小池寿子著)