週末 教え子たちのいる工房

日曜日になりました。今日も朝から工房に引き篭もって制作三昧でした。現在、新作の比較的小さな陶彫部品数点を同時に作っていて、今日はそれぞれ陶彫成形が終わっている作品に彫り込み加飾を施していました。このところ日々制作しているので、気持ちがすぐ制作姿勢になり、忽ち集中力が出てくるのを感じています。朝9時から夕方4時までの7時間を、休むことなく工房で過ごしました。昼食はいつも来ている美大受験生たちと取りました。美大受験生たちと書いたのは、今日から受験生が2人になったのでした。前のNOTE(ブログ)で私の身分が教員だったことを明かしているので、この受験生たちは私の教え子です。この子たちと知り合った時は、私は校長職にあったので、直接授業はやっていませんでしたが、美大を希望する子たちが校長室へ相談に来るようになって、私が面倒を見ることにしたのです。染織科希望の子は高校3年生になったばかりで、昨年度は毎週日曜日になるとデッサンを描きに工房に来ていました。この4月から美大受験用の予備校に通うようになり、これからは予備校で出される課題をやりに工房へ来ることになりました。もう一人の受験生は高校2年生になったばかりで、以前から通っている子のひとつ後輩になります。この子はグラフィックデザイン科を希望しています。相原工房には今まで多くの教え子たちが出入りをしていました。彼らは大学に入った後も、大学での課題をやりに工房にやって来て、時折私の作品を手伝っているのです。私の個展の搬入搬出やロフトへの荷揚げなどの他、砂マチエールの作業などもやってくれているので、私は彼らをスタッフと呼んでいます。スタッフは美大を卒業して社会に出る年齢になると、工房には顔を出さなくなりますが、大学でのさまざまな経験を持ち込んでくる子もいて、失恋を思い出してすすり泣く子もおりました。彼女にとってみれば課題に集中していた工房の空間と時間が何より身近だったのでしょう。そのスタッフたちに私は背中を押されて、自らの制作に励む起爆剤として彼らを利用しています。彼らも工房にいると集中力が増すらしく、お互いが良い関係を築けていると思っています。これからも毎週末は受験生が出入りすることになりそうです。

週末の意識が薄れている週末に…

週末になりました。今月は毎日工房に通っているため、やっと週末になったという意識がありません。週末の意識が薄れている週末とでも言うべきでしょうか。それでも今までの慣習に従って、新作の制作工程のことを書いていきたいと思います。今週は新作の陶彫制作に特化して取り組んでいました。土台となる板材加工もやらなければならない仕事ですが、乾燥時間を要する陶彫制作をまず優先するのが得策なのです。陶彫部品は3段重ねになる大きな部品、2段重ねになる中くらいの部品、単品の小さな部品に分かれていて、今週は一番小さい陶彫部品を5点同時に作っています。毎日制作ができるということは、陶土の乾燥を最小限にして継続制作が可能なので、週末毎に1点ずつ作ることはせず、量産体制に入っているのです。勤務をしていた頃の1週間の期間を置かなくて済むというのは、こんなにも制作体制が変わるものかと思っていて、今までのイメージでは先々に作る予定だった部品が見る見る具現化されていく状況を知ることになりました。毎日が無我夢中です。朝9時から夕方3時までの6時間は、創作のことしか頭にありません。新作の完成イメージを思い、また当初のイメージを振り返って確認することもしていて、最終完成のイメージが次第に醸成していくことで集中力が増していきます。このまま突っ走ろうか、それとも一度立ち止まろうか、陶彫制作に関しては歯車がぐんぐん回っている状態なのです。置き去りにされているのはRECORDで、陶彫制作を終えて自宅に帰ると疲れてしまって、RECORDに取り掛かる気分が失われています。次の段階としてこのRECORDを何とかしなければなりません。一日のルーティンを考えた際に、RECORDは自宅に戻った夕方の時間帯に制作しようと決めていたのですが、陶彫制作に熱が入りすぎるとRECORD制作のバランスが取れません。多少余裕を残して陶彫制作を終わらせる必要を感じています。一日をどう使うかを再考していきたいと思います。

一日のルーティンを考える

学校を退職し、私は日々の出勤がなくなりました。一日中自由に過ごせる日常は、退屈と隣り合わせになるかなぁと考えていましたが、1週間以上が過ぎた今は校長職にあった時と変わらない時間の使い方をしています。ただ給与が入ってこないだけですが、経済的には何とかやっていける状況なので、創作活動一本になることの心配はなくなりました。私は教職に就く前に海外に在住していて、安定しない生活を送っていました。気持ちとしてはその時代に戻ったような按配ですが、当時と違うのは彫刻による自己表現が決まっていること、それを具現化するための施設を持っていること、社会人として納得できる地位まで這い上がって無事退職できた実績があることで、現在は自分の気持ちが進むべき方向を向いていることが幸いと思っています。勿論創作活動における思索の部分では迷いが生じることもありますが、それはそれとして人生に悔いを残さないために必要なことではないかと思っています。今の私は一日をどう過ごすか、基本的に全て自由時間ではありますが、そこに手枷足枷を嵌めて創作活動に邁進していくことを祈願しているのです。空間芸術の何たるかを自分の中に取り入れて、自分が納得できる彫刻作品が作れれば満足ですが、果たしてそれを残った人生で成し遂げられるのでしょうか。前述した手枷足枷、これは一日のルーティンを決めて自分を追い込むことをしなければ創作は出来ないことを自分なりに考えた結果なのです。つまり気が向いたら制作するという考え方では、新しい世界観を創造することは無理だと私は思っています。私は先月までの習慣に頼って、職場に勤務するように工房へ出かけ、勤務時間を過ごすように工房で身体を動かすことを決めました。遅くても朝9時には工房に出勤します。夕方は午後3時までと考えていて、これは今までの週末の制作時間と同じです。週に最低2回、11時から12時までの1時間を近隣のスポーツ施設に通って、水泳をして過ごします。午後3時以降は自宅でRECORDを制作することにしました。RECORDに2時間、読書に1時間と割り振って考えてみようと思っていて、夜はこのNOTE(ブログ)の記述だけにしていけば、結構余裕が持てるのではないかと考えています。今週はそんな過ごし方をしてきましたが、美術館や映画館他に行くときは一日のスケジュールを変えます。暫くこれでやってみます。自分の生真面目な性格も相俟って、何とかモチベーションを保ったまま、毎日を過ごしていると自覚しています。

映画「シン・エヴァンゲリオン劇場版」雑感

昨晩、家内と横浜市都筑区鴨居にある映画館に、今話題となっているアニメ映画「シン・エヴァンゲリオン劇場版」を観てきました。「新世紀エヴァンゲリオン」は20数年前に社会現象となり、私もそのアニメーションが創りだす独特な世界観に触れました。近未来の地球では大惨事があり、崩壊された都市に生き残った人々がいて、さらに人類補完計画を打ち出す組織がありました。どこからともなくやってくる使徒に立ち向かう汎用人型兵器エヴァンゲリオンをその組織が持っていて、それに搭乗する少年少女たちの心の葛藤を物語の中核として、使徒と戦うアクションシーンが盛り込まれていました。そこには地球規模の惨劇とそれに立ち向かう組織を動かしている父、エヴァに乗る息子、他のエヴァに乗る少女たちの関係性がありました。全編を通して摩訶不思議で、しかも不安定に満ちた要素があり、宗教性を感じさせる謎に包まれた得体の知れない世界が存在していて、それがこのアニメの魅力になっていると私は思っています。私は登場するメカニックのデザイン性にも着目していて、またエヴァに搭乗する少年少女たちがエヴァと神経接続を行う場面にも面白さを感じていました。所謂巨大ロボットが登場する勧善懲悪な物語ではないところに、この物語の醍醐味があって、惨劇を引き起こした人類がこれからどう生きていくのか、魂を繋ぐために何をすべきか、シリアスなテーマである一方、家族の普遍的な在り方も描いていて、観た人がいろいろ感じ、また議論を呼ぶところかなぁとも思っていました。私は倒壊された風景の片隅で、槌音が聞こえるように演出された田植えの場面が好きでした。これは大震災を経験した私たちにはリアルな世界でもあるからで、具体的な未来の方向を描いている唯一の心の拠り所でもあると思っています。この映画を観に行こうと思ったきっかけは、NHK番組で放映された「プロフェッショナル 仕事の流儀」で、エヴァの総監督庵野秀明氏が取上げられていて、エヴァ制作に命を削っている作家の真摯な姿が随所にあったところを垣間見て、自分も表現こそ違えど彼に共感してしまい、これは映画を観に行くしかないと思ったのでした。コロナ渦の中で感染を心配しながら映画館に足を運びましたが、最終上映は人も少なくて良かったと思っています。

体力維持のために…

私は自宅の近くにスポーツ施設があるため、そこで水泳をしていました。20年以上も前は仕事帰りに夜間コースに通い、そこで知り合った仲間たちとマスターズ登録をして、年齢別の競技大会にも出ていました。その頃はタイムを競いながら長距離を泳ぐこともありました。職場で受け付けている定期健康診断では、水泳をしていなかったさらに若い頃に比べると、明らかに数値が改善し、水泳の効果が現れていました。そのうち学校での役職が変わるにつれ、水泳が縁遠くなり、校長になってからはほとんど泳がない毎日を過ごしていました。これは気持ちの持ちようでしょうか、神経を使う仕事であれば水泳が効果的なことも分かっていながら、何となくポジティヴに考えられない自分がいました。また五十肩を患ってから水泳ではなく水中歩行をしていましたが、筋力の衰えは日に日に自覚できて、足腰に自信が持てなくなっていました。これはまずいと思い、仕事を退職した今月から昼間に開設している成人コースに通うようにしました。思った以上に身体が硬くなっていて、水に身体が乗らないのです。腕も回せない、脚のキックも弱くなっている現状を知って、1週間に2,3回は水泳をしていこうと決心しました。一日のルーティンのうちに水泳を組み込むこと、ウォーキングもすること、そんなことを考えながら体力維持を図っていこうと思います。今まで週末毎にやっていた彫刻制作でも体力がなくなっていることに薄々気づいていましたが、この体力を必要とする創作活動を中心に据える生活では、体力維持は不可欠です。陶土を捏ねたり、木を彫る作業では持久力が全てです。若い頃から彫刻表現は健康的な媒体だと思っていました。実材を扱っているため、昼間に制作をして夜は眠りに就く生活だから、デザインを専攻している学生のように昼夜逆転はありえませんでした。40代初めに近隣のスポーツ施設に行って水泳をやってみようと考えたのは、教師としてではなく、彫刻を長く続けたい一心からでした。今月から時間が出来たので、水泳を始めた頃の出発点に戻ろうかと思います。

創作一本の4月制作目標

基本的に毎日制作が可能な4月からの制作目標を、例年の慣習に従って立てていきたいと思います。毎日制作できるとなれば陶彫部品を集合させる新作は完成できるのではないかと思っています。今年7月に開催するギャラリーせいほうでの個展では、陶彫部品による大規模な集合彫刻が1点、木彫による中規模なテーブル彫刻が1点、小品を数点を展示する予定です。まだ何も出来ていない中規模な木彫作品は、今月始める予定ですが、この作品は今月だけでは間に合わないかもしれないと思っています。図録用の作品撮影の日をいつ設定するか、何とか5月中旬にやっていきたいと思っていますが、カメラマンの都合やスタッフたちのことも考えれば、早めに決めていくべきでしょう。今月は陶彫部品の制作だけではなく、土台の板材加工の継続制作をやらなくてはならず、土台の板材加工が終われば、そこに砂マチエールを施す作業が待っています。毎日制作していても妙な焦りが出てくるのは、二束の草鞋生活の頃の習慣がそのまま記憶に残っているせいかもしれません。もう週末が何回あると計算しなくてもよいのに、不思議な気持ちになるのです。4月に入ってから、東京の京橋に先輩画家の個展を見に行った日でも、朝から昼ごろまで工房に篭って制作をしていました。週末は今までどおり一日6時間以上も制作していて、その成果は徐々に現れてきています。RECORDの夜の制作は、昼間の制作に移そうかと考えていて、今は一日のスケジュールを決めているところです。4月の制作目標としては陶彫による集合彫刻の完成をまず考えます。一日1点制作のRECORDは遅れた分の挽回、読書は現在読んでいるゴーギャンの彫刻に関する評論の読破を考えています。制作と鑑賞が創作活動の両輪であるならば、今月は鑑賞も充実させていきたいと思っています。ちょっと欲張っていますが、毎日が創作活動なら、あれもこれも出来るのではないかと思っている次第です。

東京京橋の「サイトユフジ展」

画家サイトユフジさんが東京の京橋にあるギャラリー東京ユマニテで個展を開催しているので、家内と見て来ました。私は20代の頃、オーストリアの首都ウィーンに滞在していましたが、サイトさんはその頃既にウィーンにいらして、ウィーン幻想派の流れを汲む具象絵画を描いていました。画面いっぱいに文様化された蜂の巣に夥しい数の蜂が描かれていたり、地面を這う蟻の大群が描かれていたり、精密な描写に粘り強く取り組んでいるサイトさんの姿勢に尊敬を覚えました。また奥様と一緒に収集されていた平織のタペストリーも見せられて、海外生活を楽しむ生活スタイルもサイトさんに教わりました。私が帰国後もサイト夫妻はまだウィーンにいたので、サイト夫妻のウィーン滞在期間はかなり長かったのではないかと記憶しています。私が横浜で教員として仕事を始めていた時期に、サイト夫妻は帰国して、郷里である山形県に移り住みました。やがて奥様が体調を崩され、サイトさんとお子さまを残されて逝去されました。私は家内と数年前に山形県のサイトさん宅を訪れ、奥様の墓参りをさせていただきました。そんな付き合いがもう30年以上も続いています。サイトさんの絵画のモチーフは虫から動物に変わり、以前もギャラリー東京ユマニテで個展を開催していました。今回のテーマは犬でした。炎に包まれる犬や犬の群れ。炎は絵画史でもさまざまな画家が表現してきたモチーフで、なかなか難しい表現ではないかと私は思っています。それに果敢に挑んでいるサイトさんが、昔と変わらぬ姿勢を保ち続けていることに嬉しさを感じました。どんな世界を描いてもサイトさんの絵画はサイトさんならではのもので、絵画の世界に思索を持ち込む創作姿勢は変わっていないと思いました。サイトさんに会うとウィーン滞在時の話になり、記憶が戻されていきます。当時、自分が求めていたことや考えていたことが甦り、私としてはもう一度原点に立ち返ることが出来ます。あの頃の私は模索の中にいて、表現を極めているサイトさんに対して憧れに似た気持ちをもっていました。周囲の人たちがみな羨ましかったのは事実です。そんな思いが巡った一日でした。明日からも創作活動を頑張ろうと思います。

週末 陶彫制作を続行

4月に入って初めての日曜日ですが、今日のところは通常通りの制作時間で陶彫制作を続行しました。先月末で二足の草鞋生活を解消した私は、もう少し余裕を持って制作が出来るのですが、習慣というか、現状保持が気分的に楽なのか、今日は朝9時から夕方3時までの6時間を工房で過ごしました。今日は昨日作り上げた陶彫成形2点の彫り込み加飾を行いましたが、彫り込み加飾は時間がかかるので、2点同時に作業するのは不可能でした。私はつくづく陶土と向き合っているのが大好きで、暫し時間が経つのを忘れていました。ウィークディの仕事がなくなり、もう学校運営を考えなくてよいという安堵感もあって、陶彫の世界に埋没できたのかもしれません。これは今まで勤勉に働いてきた自分に対する褒美と考えてもよいと思いました。もちろん創作活動は創作なりの難しさがあって、そこを極めていくのは大変なものですが、これからの人生はそこに特化してやっていけばよいと考えれば、思考の整理が出来て、私にとっては生き方の単純化に繋がるものです。単純な思考回路になっても芸術の奥は深く、果てしない世界が広がっているように思えます。彫刻とは何か、モノが存在するとはどういうことか、その存在によって鑑賞した人にはどんな意識変革が期待できるのか、そうしたあらゆる哲学をそこに込めて作品を作っていくものだと私は考えていて、芸術という茫洋とした海に、心もとない櫂で舟を漕ぎ出していくイメージなのです。舟を漕ぐイメージは私のコツコツとした制作姿勢に通じるもので、時に私の舟は笹舟のように波間に翻弄され、大海を把握するのに人生はあまりにも短いなぁと感じてしまいます。追々日々の制作時間のことも考えながら、舟を漕いでいきたいものです。明日も工房にやってきます。

週末 これからの週末の過ごし方

4月最初の週末を迎えました。公務員を退職した私は、今までのようにウィークディの仕事と週末の創作活動をきっちり分ける必要がなくなりました。NOTE(ブログ)には週末毎に制作工程の進み具合をメモしてきましたが、毎日制作をしていく今後の日常では、ウィークディも週末も境がなくなります。それでも週末毎に制作の状況をNOTE(ブログ)に記録してきた自分の習慣をそのまま残そうかと考えていて、タイトルには「週末」というコトバを今後もつけていくことにしました。今日はいつも通りの週末を過ごしました。朝9時から夕方3時過ぎまで工房にいて、陶彫成形を行いました。ただ、いつもなら週末の初日に土練りをして、掌で叩いて大きめなタタラを数枚用意して、翌日の陶彫成形に備えるのが通常の制作サイクルでしたが、昨日はタタラを多めに準備したので、今日は陶彫成形を2点行いました。週末毎に陶彫成形を1点ずつ増やしていくところを、これから毎日工房に通えることを考えると、陶彫成形は2点併行して制作することも出来るのです。毎日制作するというペースを自分なりに掴んでおかなければならないなぁと思いつつ、これからの週末の過ごし方も考えていこうと思っています。今日はとりあえずいつもどおりの6時間を超える作業を行いました。これからは制作時間をもう少し短くして、スポーツや読書を取り入れて、バランスよく毎日を過ごそうと思います。自分の座右の銘に「焦らず休まず」がありますが、今までのように身体に鞭を打って酷使しながら、フルで制作をすることもないのではないかと思っています。一日のルーティンを決めていこうと思っていて、以前私が学校に出勤していたように、時間を決めて工房に出勤していくつもりです。

東京両国の「古代エジプト展」

昨日、家内と東京両国にある江戸東京博物館で開催されている「古代エジプト展」に行ってきました。展覧会に行くのは久しぶりで、たっぷり一日をかけて企画展と常設展を見て回りました。例年なら時間がない中で焦って鑑賞していたところを、たった1箇所をのんびり見たのは初めてかもしれません。本展はドイツの国立ベルリン・エジプト博物館所蔵作品を持ってきていて、同館の優れた収集作品に接して満足を覚えました。副題を「天地創造の神話」としていて、紀元前に栄えたエジプト文明の輪郭が辿れるような構成になっていました。つまり神の領域としての天、人間の住処としての地、そして人間と神が直接出会う場所としての来世があると古代エジプト人は考えていて、展覧会そのものが空間的構造だけではなく、時間的次元を通り抜けるように演出されていました。図録によると「あらゆる宗教は、死後何が起きるのかという問いに対する答えを探している。古代エジプト人たちは先王朝時代にすでに死者のための墓を建立しており、また副葬品は、死後の人生に対する信仰を傍証している。王朝時代以降、来世に関する考えは独自の文書形式に定着し、絶えず発展してきた。~略~『死者の書』は、常に裁判の肯定的な結末を描き、個々の供述において肯定的なことのみを発言するよう心臓に迫る。エジプト人たちにとっては、すべての図像や碑文は真実かつ現実であるとされ、この決まり事によって、自己に有利な結果にすることができた。」(オリビア・ツォーン著)とありました。また副題である「天地創造の神話」について世界的な比較を試みた論考にも惹かれました。「世界の最初が混沌であったという考え方は、ユダヤ教の『創世記』にも、ヘシオドスの『神統記』にも、そしてヘリオポリスの創生神話にも見られることである。これらを比較してみると、『創世記』の〔混沌〕は、神が造ったものである。最初に神が天地を創造したのであるが、神が造った地が、〔混沌〕としていたのであった。しかし一方、『神統記』やヘリオポリスの神話では、まず〔混沌(カオス)〕が存在している世界があって、その後に神々が誕生しているのである。そういう意味では、『日本書紀』の最初の部分もまた、混沌とした中から天地が誕生して、その後、神が出現すると記されていることは、古代エジプトの創世神話に共通しているようだ。」(近藤二郎著)展示されたものの中で私は全長4メートルに及ぶ「タレメチュエンバステトの『死者の書』」に引き寄せられました。これは死後に必要な知識を呪文と挿絵によって示していて、来世でも生命が続くように神々に懇願するものであったようです。巨大なミイラの棺にしても彫像やレリーフなどが、すべて来世に繋がるものとして造形を捉えていたところに、エジプト古代美術の真髄があると思いました。

彫刻家として…

4月になりました。昨日は管理職退職辞令交付式に参加して、私の公務員人生にピリオドを打ちました。今まで職種を隠してきましたが、同じ職種の方々がこのNOTE(ブログ)をご覧になっていることもあり、今になって漸く職種を明かすことが出来ます。私が勤めていたところは学校でした。昨日まで私は公立中学校の校長の役職にありました。学校の状況を明かすことは社会的にも影響が大きくなるため、拡散を恐れて、敢えて職種を隠していたのでした。NOTE(ブログ)の中で儀礼的イベントとしたのは入学式や卒業式のことで、野外イベントは体育祭、文化的イベントは文化祭のことでした。それを知っている同業者から笑われることもありましたが、退職をした今こそはっきりモノが言えるのではないかと思った次第です。さて、今日から私は二足の草鞋生活のもう一つの職業であった彫刻家の道を邁進することになりました。彫刻家は教員になる前より始めていた仕事で、私の精神的な支えです。これから彫刻制作に多くの時間を使えるのが楽しみですが、創作活動による生活に移動するために、今日は東京に展覧会を見に出かけました。東京両国にある江戸東京博物館で開催している「古代エジプト展」は昨年の11月からやっていますが、閉幕数日前になって漸く訪れることが出来たのでした。ドイツの国立ベルリン・エジプト博物館が所蔵している作品の数々が来日しているとあって、是非行って見たい展覧会でした。ベルリンには世界的に有名なネフェルトイティの胸像がありますが、今回来日していたのは「ネフェルトイティ(ネフェルティティ)王妃あるいは王女メリトアテンの頭部」で、造形の美しさに目を見張りました。同展の詳しい感想は後日改めます。今日は家内と久しぶりに江戸東京博物館にやってきたので、常設展示も見て回りました。江戸から東京へ至る歴史がジオラマや実物大の模型で展示されていて、充分楽しめる内容でした。広い展示空間を歩き回って、私は些か疲れてしまいましたが、アートな空間に接して、これから彫刻家としてやっていこうとする私の決意を後押ししてくれていたように感じ、私なりに満足して帰宅しました。これからどのようにやっていくのか、具体的な方法はまた後日のNOTE(ブログ)に書いていきたいと思います。

管理職退職辞令交付式に参加

3月の最終日になりました。私が35年間勤めていた横浜市公務員としての仕事が終わる日でもあります。今日は保土ケ谷公会堂で管理職退職辞令交付式があり、参加をしてきました。定年退職と言っても私の場合は再任用満了で、この職種では本当の意味で終わりになります。晴れて明日から彫刻家と名乗れるのかなぁと思いつつ、今まで公務員と彫刻家の二足の草鞋生活を送ってきた私にとっては、人生のターニングポイントになります。人生の再出発と考えても、私にはまだ実感はなく、そのうち工房に日々通う中で、徐々に実感が湧いてくるのだろうと思います。退職辞令交付式では、自分も微力ながら大都市ヨコハマを支えてきた一人だったんだと改めて思いながら、さまざまなことが頭を過りました。35年は長かったようで、あっという間に過ぎた月日のようにも思えます。話は変わりますが、今日が今月の最終日なので、今月の制作を振り返ってみたいと思います。4回あった週末は全て陶彫制作に充てました。とは言え、母の一周忌やらロフトへの荷揚げ作業などがあって、完全に陶彫制作が出来たわけではありませんでした。また来月からずっと陶彫制作に時間を費やせるという考えが頭の片隅にあったため、例年のような気合が入ることもなく、自分を緩めてしまった嫌いがありました。RECORDもいつもの悪い癖が出て、下書きが先行しています。鑑賞は緊急事態宣言が出ていたこともあって、ついに美術館や映画館に出かけることはしませんでした。今月は創作活動よりもウィークディの仕事の方に重きが置かれていたように思います。自分の次なる目標は明日以降に書いていきたいと考えています。今日はいろいろな思いが交差した一日でした。

「中空の彫刻」再読開始

昨日まで集中して「形式論理学と超越論的論理学」(エトムント・フッサール著 立松弘孝訳 みすず書房)を読んでいました。本書は私が現職のうちに、職場の私の部屋でなければ読み解くことができないと思っていたのでした。職場の私の部屋は、職員が打合せを行う場所からやや隔離されたところにあって、哲学系の書籍を読み込むのには静かで相応しい場所でした。今日から「中空の彫刻」(廣田治子著 三元社)の読書を再開しました。以前までに「第一部 19世紀における『画家=彫刻家』と『芸術家=職人』の登場」を読み終えていたので、今回から「第二部 ゴーギャンの立体作品」に入ります。今日は「第1章 初期の彫刻(1877~1885)」のうちの「1 彫刻との出会い」をまとめます。「フランスの彫刻界の伝統においては、美術学校で奨励されていたように、彫刻家は粘土や蝋で原型のみを作り、石の彫り出しやブロンズの鋳造はそれぞれの技術者に委託するのが慣習であり、国立美術学校に彫りの実践の授業が開設されるのは1883年を待たなければならなかったことを思い起こしておきたい。こうした動きとともに、ブイヨのように、下彫り工から彫刻家に『昇進』する者も増えていた。このような状況も、大芸術と小芸術の間のヒエラルキーが緩和されたことを反映していると考えられる。当然ゴーギャンの意識の中にはこのような区別はなく、それ故に生活苦に晒され始める1885年、ブイヨに『下彫り工』の仕事を求めたりしたのである。」ゴーギャンの彫刻家としての出発は、ジュール・ブイヨの影響なくして成り立たなかったことが分かります。またもう一人のジャン=ポール・オーベの陶磁器装飾技術に負うところも多かったように思います。「オーベの装飾芸術に対する感性は、それを刷新しようとする彼に意欲とともに、やはりこの分野に鋭敏な感性をもっていたゴーギャンに大きな刻印を残したに違いない。」ゴーギャンが彫刻家として歩む契機になった2人の芸術家。今後が楽しみになる展開ですが、彫刻の概念が近代から現代に移っていく時代背景もあって、本書は私にとっては面白くなりそうな内容になっています。

「形式論理学と超越論的論理学・付論3」第1節~第4節について

「形式論理学と超越論的論理学」(エトムント・フッサール著 立松弘孝訳 みすず書房)には本論の後に付論1.2.3がついていて、今回は付論3に入ります。付論3の第1節から第4節までを読み解いていこうと思いますが、これをもって付論3は終了です。「判断一般は《整合性》のシステムを形成しているーこの意味でー各判断が判断者によって《正確に考察》される場合、結合された一つの判断の統一性への合致する場合には、その統一の内部では、どの判断も他の判断と矛盾しない。」また「私見によれば、本論で述べた学説の根本的な要点はまさに次の点にある。すなわちここで疑問になる各意味の協調性、矛盾、整合性は、それらが形成的分析論全体の中で機能している場合の状態で、純粋な意味で精密にされうるし、しかも諸判断の真偽すなわち〈そのつど分析的な諸関連については主題的な判断と思われる諸判断の真偽〉にはまったく関与しない純粋な意味で精密にされうるし、そうされねばならない。」とありました。純粋な分析論についての論考では「純粋な分析論とは、実際の完全な能動性によって判断される諸判断の基本的な諸形式を体系的に発見して、それら自身の可能な統語論的な各種の変動の《基本的な操作》を、つまり(連係的、連言的な)結合の基本的な諸様式を見つけ出す学問である。」とありました。これで「形式論理学と超越論的論理学」を読み終えたことになりますが、難解な語彙に四苦八苦しながら、何とか終盤に辿り着いた感覚をもっています。そのつど頭に残る論考はあっても、全体は茫洋として明確な把握は出来ませんでした。論理学とは何ぞや、本書は今までの伝統的な形式論理学に一石を投じた学術論文であるのは間違いないのでしょうが、ドイツ語特有の言い回しとその翻訳に困難を覚えたことも確かでした。フッサールが現象学に踏み出したことがよく分かる箇所も散見されました。こうした西洋哲学の根幹をなす書籍を読んでいると、私たち日本人との論理構築の違いを見せつけられて、私自身は辟易する場面もありましたが、なかなか侮れない西洋文化の一端を垣間見た感じがします。その構築性や密度に凄さを感じるのは私だけではないでしょう。

二足の草鞋生活最後の日

3月最後の日曜日になりました。来月から週末のたびに創作活動をしなくて済むため、今日が二足の草鞋生活最後の日となりました。私は20歳の時に彫刻の魔力に取り憑かれて以来、生活費を稼ぐのは別の手段をとり、週末だけ彫刻を作る生活を続けてきました。別の手段と言ってもその日暮らしのアルバイトではなく、横浜市に正規に採用されて公務員となりました。ちょうど私が30歳になった時で、社会人としては遅い出発でした。12年前に管理職になり、今月末の定年までこの職種を続けてきました。二足の草鞋生活とは、公務員と彫刻家の二つの世界を持った自分に対して名づけたもので、30年以上も週末を利用した創作活動が習慣となっていました。日曜画家という言葉がありますが、私の場合は差し詰め週末彫刻家と言うべきでしょうか、それは趣味という範疇を超えていて、もし敵うなら彫刻家として独り立ちしたい思いが込められています。自分の工房を持つ前から、東京銀座のギャラリーせいほうで個展を企画していただき、個展は既に15回を記録しています。公務員のほうは責任を伴う管理職に抜擢されてからは、彫刻では食べられないからこれをやっているという意識ではなくなりました。自分の職場や職員を守るという強い意志に支えられるようになり、仕事に没頭している時は創作活動を忘れていました。公務員としてもインパクトのある日常を送っていたという自覚があります。週末になると気持ちがホッとして工房に行きましたが、それも束の間で彫刻の素材に触れていると、ウィークディの仕事は完全に忘れ、創作活動に没頭していました。二足の草鞋双方が厳しい状況でも、その環境に自分が置かれれば、何とかやっていけるものだなぁと実感しています。今日はいつものように工房に出かけ、混合陶土を作るために土錬機を回し、菊練りを行い、小分けにして成形のための保存をしました。午後は職場に用事があって出かけましたが、名残惜しい中で暫し職場の雰囲気を味わいました。そうしたことに比べ、工房は何も変わらず、いつもの空気が流れていました。この空気感が私を元気にさせるのだと改めて思いました。二足の草鞋生活最後の日と言えども、工房でやっていることは変わらず、今後もこれを続けていくと私は決めています。

週末 母の一周忌&窯入れ準備

週末になりました。今日は新作の制作ノルマがありましたが、昨年4月に亡くなった母の一周忌に当たるので、菩提寺に出かけて、お経をあげていただきました。その後で墓参りもして新しい卒塔婆を立てました。祖母の三十三回忌も一緒にやりました。母は大正、昭和、平成、令和の時代を生きてきました。祖母は明治、大正、昭和、平成の時代を生きてきました。私の家系は長生きなのかもしれません。久しぶりに妹夫婦を初めとする親類縁者が集まりました。昼食は料亭から弁当を取り寄せました。コロナ渦があって、親類縁者での会食は出来ないと考えて、弁当を持ち帰ることにしました。こうしたものは故人を偲びながら、生きている人たちの縁を深めるためにあるものと私は思っています。今日は天気が良く桜が満開を迎えていました。朝からお花見に行く人が多かったようで、菩提寺まで行くのに道路が渋滞していました。この週末はお花見客が増えて、コロナの感染が心配になります。私は車で通り過ぎる窓から見えた桜で満足しました。午後から工房に出かけました。工房からも遠くに桜並木が見えて、これには暫し見惚れてしまいました。日本人は桜を特別な花と認識していて、あっという間に散ってしまう花に儚さを感じているのだろうと思います。詩歌に詠まれる桜には華やかで淡い夢幻をイメージさせるのがその証です。今日は土曜日なので私はウィークディの疲れが出て、身体の動きが緩慢でした。しかも来月からはずっと工房に篭っていられるので、焦ることもなく制作に気が入らない状態でしたが、それでも乾燥した陶彫部品2点に仕上げをして、化粧掛けを施しました。陶彫部品2点の窯入れをしましたが、窯のスイッチは明日入れようと思います。明日は土練りをします。

「形式論理学と超越論的論理学・付論2」第4節~第7節について

「形式論理学と超越論的論理学」(エトムント・フッサール著 立松弘孝訳 みすず書房)には本論の後に付論1.2.3がついていて、今回は付論2の中の第4節から第7節までを読み解いていこうと思います。この第7節をもって付論2は終了です。「根源的に産出する《明白な》判断作用は、最初の過程としても、総合的な統一の形式においても、順次高い段階の判断作用として遂行される過程として、以下のようでありうる。」この以下の例として2つの文章が挙げられています。「(1)《徹底的に》根源的な能動性でありうる。~略~(2)別に事柄、通常の事例は判断の作業が以前の判断の成果と再び関連して、受動的に変様した所与の仕方で再び浮上する範疇的な対象性と結びついて、《旧知の》諸命題が再利用されたり、あるいは基本的な諸対象が、それら自身の意味のなかに、すでにそれら自身の豊かな規定内容を、それら以前の規定する諸判断から成果として保持して、そのように受動的に受容されたりする。」付論2が終盤に近づいてきて、今までの論考を確認する文章が出てきました。「文法的な諸命題と統一的な各論述を任意に形成する場合にもわれわれは、意味形成の通例の様式に従いうるし、ごく普通にそうしている。われわれは諸要素からも、使い慣れた典型的な形式の形成物からも新たな形成物を派生しうる。しかも少なくとも実際に範疇的な処置をして、範疇的な形成物を根源的に獲得しなくても、そうしうる。」そう単純に言い切る文章の後から言葉による不明な判断作用とその機能についての論述がありました。私はその論述があっても本来の理論に立ち帰るのが好きで、そもそもどういうことかを問いかける文章についアンダーラインを引いてしまいます。「明証がなければ、学問は成立しないであろう。生き生きした過去把持が無価値だとすれば、思索の成果はまったく生じないであろう。さらに証明についても、やはり過去把持が関与し、その重要性が前提されている。再生的な想起の場合も同様である。」今回はここまでにします。次回から付論3に入ります。

「形式論理学と超越論的論理学・付論2」第1節~第3節について

「形式論理学と超越論的論理学」(エトムント・フッサール著 立松弘孝訳 みすず書房)には本論の後に付論1.2.3がついていて、今日から付論2に入ります。今回はこの付論2の中の第1節から第3節までを読み解いていこうと思います。最初に能動的な判断作用について書かれていました。「能動的な判断作用は《思索の諸対象》を、すなわち範疇的な形成物を産出する働きである。~略~能動的な判断作用が唯一の形式ではないが、しかしそれが判断作用本来の形式である。能動的な判断作用こそが、推定された範疇的な対象性そのものが実際に本来産出される場合の、換言すれば《判断》が根元的な自己所与性になる場合の形式である。」志向性の一般的な理論から次のような論考がありました。「同一の対象が非常に多様な意識の仕方(知覚、想起、空虚な意識などの主要な遡形式)でアプリオリに意識されうる。それらの仕方の中でも、そのつど《経験する》仕方、すなわち根元的な意識の仕方に優利な特性があるので、これ以外の志向的な諸変様としての意識の仕方はどれも、経験する意識の仕方と関連している。」また過去把持的な変様に関する論考もありました。「内在的な現在性という根元様態で現われる各体験(そのような仕方で発生するものとしてそれ自体意識されている)には不変で必然性で《過去把持的》な意識が根源的な変様として接続しており、その変様によって《現在の所与》という根元様態が連続する総合の中で《たった今》存在したものという変様された形態へ移行する。今現在のものとして変様されたこの意識は、同じ法則性によって、新しい変様(変様の変様)のための相対的な根元変様として機能し、しかもさらに連続して機能する。」統覚による着想として思いついたものとして「記号と表現の場合のように、連想を喚起する知覚や、喚起もしくはそれに似たことによって統覚的に生じる事柄が統一されてテーマになり、さらにその結果、二面的ー統一的な対象構成がテーマを示す的確な意味で成立するーそこではその後、知覚によって喚起された事柄だけでは刺激せず、それはテーマの対象にならない。むしろ今後は、喚起された事柄が構成要素の性格をもつようになる。」とありました。今回はここまでにします。

「形式論理学と超越論的論理学・付論1」第6節~第14節について

「形式論理学と超越論的論理学」(エトムント・フッサール著 立松弘孝訳 みすず書房)には本論の後に付論1.2.3がついていて、今回はこの付論1の中の第6節から第14節までを読み解いていこうと思います。この14節をもって付論1は終了になります。まず最も広範囲の範疇的領域への移行が論じられていました。「今後の研究は、カテゴリーの領分全体(最も広い意味での判断の、しかも価値論と実践の領域との並行的な統語論的な形成物も含めた)いっそう広大な一般性をもちえて、問題のノエマ的な理想的形成物の領野全体において非常に重要な記述的諸課題が指示されているが、しかし広大な一般性への見通しも不足していない。」また構文論の諸形式についてこんな論考がありました。「命題論の統一性の純粋な全体形式について、その統一性自身に含まれる純粋かつ特殊な諸形式を包括して、われわれが言えることは〈命題論の統一性はさまざまな統語論の統一性であり、それによってそれらの統語論が捨象された後に残る同じ素材が統語論的に形成されている。それゆえ主語形式、目的語形式などは構文論的な諸形式である〉ということである。」次に統語体と分肢について。「われわれが再び構文の各素材をそれらの諸形式について、したがって具体的に一様に扱おうとすれば、われわれはこの統一性を統語体と名づける。それゆえこの統語体は、文の中の文肢の統一に他ならず、この分肢は形成された素材であり、さまざまな諸分肢は同じ形式をもちながら、異なる素材をもち、しかも他方では異なる諸形式と同じ素材とをもちうるのである。」複雑化への移行について。「文の内容(構文の素材としての《文》の意味での)は、変動する主要範疇としての名詞性の範疇と単独で成立する文の範疇とを所有しており、その中の一面では構文的な形式が示され、そして別の面では〈その形式を形式化と一緒に《名詞性》の中で共有している〉。この形式によって、どの名詞化の場合とも同様、構文の変化も一緒に行なわれているのである。」今回はここまでにします。次回は付論2に入ります。

退職前に歯科治療

私は何年かに一度は歯科治療に行っています。NOTE(ブログ)に書いているので、アーカイブを調べれば分かります。歯磨きが上手くないのか、歯そのものが丈夫でないのか、よく分かりませんが、親の代から同じ歯科医院に行っているのです。横浜駅近隣にある鶴見歯科というのが私が通っている歯科医院です。ここ数週間前から仕事で疲労すると左上の奥歯の神経がぼんやり痛くなるのです。疲労が回復すると痛みは消えます。その奥歯は既に治療済みの歯だったので、私は大して気に留めていませんでしたが、来年度の新しい人事を具体的に考え始めた時から、かなり痛むようになりました。今日は職場で年休を取得して鶴見歯科の担当医のところにやってきました。レントゲンを撮ったところ、治療済みの歯を支えている根の部分が割れていることが判明して、そこから菌が入っていると医者に指摘されました。早速治療が始まりました。私は歯科治療が苦手です。まぁ、得意な人はいないかもしれませんが、私は数年に一度はここに来ているので、苦手意識がより強くなっているのだろうと思います。暫く通うことになりそうで、公務員の退職前に決着がつかず、4月からの新生活でも歯科医院通いが続きそうです。4月からは予約時間の設定に気を使うこともなく、いつでも医院に来られる事がいいことくらいかなぁと思いました。今日は歯科治療に行ったせいで、何だか疲れました。職場に帰る意欲がもてず、早めに自宅に戻りました。工房に行く気にもなりませんでした。自宅のソファで休んでいると、普段の疲労が出てきたせいか、ぐったりしていました。週末も創作活動をして、職場とは違うところで身体を酷使している自分は、何もしない時間が貴重なのかもしれません。明日は職場に出勤して来年度人事の最後の仕上げを行います。人事は創作活動とほんの少し似ているかもしれないと気づきましたが、果たしてどうでしょうか。

最小の立体で最大の空間を…

最小の立体で最大の空間を感じさせる彫刻作品とはどんなものでしょうか。ジャコメッティの針金のように細くなった人物塑造か、池田宗弘の量感を削り取った風景彫刻か、それともブランクーシの簡潔に磨き上げられた抽象的な立体か、イサムノグチの自然石を点在させた庭園風の空間造形か、私の頭にはさまざまな空間の在り方が浮かんできます。学生時代に鉛筆でデッサンをやっていて、私は対象の量感を黒々と描いていたところ、気に入らなくなって練りゴムで消し始めました。そこに消すという行為が逆に豊かな空間を作っていく状況を見取って、消去は単なる消し去るものではなく、大きな空間を感じさせる方法のひとつだとその時に理解しました。消す、削る、欠ける…そうしたことが寧ろ想像を刺激し、頭の中で欠損した物体を補うことがあります。ルーブル美術館にあるミロのビーナスは欠損しているからこそ美しいと解釈できます。夢をあまり見ない私が、以前見た夢で完璧に塑造した人物群像を少しずつ削り取り、どこまで削れば人物としての存在を失うのか、何度も試みている場面がありました。それも欠損したものに大きな空間を見取っている自分を投影して、私自身が普段からモノの存在の意義を頭の隅でぼんやりと考えている証だろうと思っています。存在とは何か、現象とは何かを自ら問いかけている自分は、ハイデガーやフッサールの哲学書を四苦八苦しながら読んだ経緯もあり、その答えを求めて彷徨っている傾向があります。つまるところ私が求める彫刻的なゴールは、最小の立体で最大の空間を作ることにあります。そのために夢を見て、書籍を抱え、彫刻的素材に向き合っているのだろうと思っています。私の「発掘シリーズ」は地中に埋もれた都市が現れ出た景観を作っていますが、それも地中に埋もれた部分を隠された部分とすれば、それを鑑賞者に補って欲しいという私のエゴが働いているのです。隠された部分、消去された部分、欠損された部分…その謎めいた部分が、闇の空間として私を駆り立てているのかもしれません。

週末 ロフト上げ作業&窯入れ

日曜日である今日は、私の後輩たちを5人ほど工房に呼んでいて、彼らに手伝ってもらい、箱詰めした陶彫部品をリフトでロフトに上げて収納する作業を行いました。昨年夏に東京銀座のギャラリーせいほうで個展を開催し、その時の搬出した作品が作業場に置いてありました。それぞれ陶彫部品は木箱に入れて保管してありますが、木箱の量が多くて作業場が狭くなっていました。ロフトが完成してから毎年こんな作業をしています。まだまだ作業場には木箱に入れた旧作が積んであるのですが、差し詰め昨年の作品をロフトに上げました。呼んでいた5人のスタッフの中に若い男性彫刻家が2人含まれていて、彼らの力があって本当に助かりました。相原工房は若い人たちがよく利用しています。いずれも私と関係のある人たちですが、彼らが私を支えてくれている実感があります。昼食は宅配ピザを取って、ソーシャルディスタンスを考えながら食事をしました。彼らが引き上げた後、私は乾燥した陶彫部品に仕上げと化粧掛けを施して窯入れを行いました。目の前にあった木箱がなくなったことで作業場が広く使えて、それだけでも気持ちのよい半日を過ごせました。今日は雨風が工房の外壁を強く打ちつけていました。春は天候が変わりやすいと感じていて、時折荒れた天候の日があります。気温は高くて作業中は久しぶりに半袖のシャツになりました。今日窯に入れた陶彫部品2点は水曜日に窯から出す予定です。

春分の日 墓参り&陶彫制作

今日は週末でもありますが、春分の日です。春分の日はそれぞれの仏教宗派で「春季彼岸会」が行われ、墓参りをする人も多いようです。夏にあるお盆は先祖の霊がこの世に戻ってくるのに対し、お彼岸はこの世から浄土へ近づくための期間と言われています。昨年私の母が他界したこともあって、今日は菩提寺である浄性院に墓参りに行ってきました。まだ両親が健在だった頃、私はあまり墓に行くのが好きではなく、墓参りに行かないこともありました。あんなに面倒だった墓参りが不思議なほど身近になったのは両親が亡くなっていることが大きいと思いますが、私の加齢も加担しているように思います。菩提寺を訪れると心が穏やかになるのが、以前の私からすれば信じ難い心境の変化と言えます。死が確実にあることを身近に感じられる今は、その反動としての創作活動が私には存在していて、いつしか彫刻作品に魂を込めたいと感じるようになりました。死を意識するからこそ生命を謳歌することは人間にとって永遠のテーマかもしれません。20代の頃、ウィーンに暮らしていて、そこで観たグスタフ・クリムトの絵画に、死と生命の具体例を見取ったように、未来永劫生きていけない自分が今何をなすべきか、私の頭を過ぎってしまいました。午後になって工房に出かけ、陶彫作品に彫り込み加飾を施していました。土曜日はウィークディの疲れが残り、身体の動きが緩慢でしたが、それでも陶土に触れていると精神的な安定を得られるため、今日は夕方まで陶彫制作をやっていました。明日は複数の人に声をかけていて、作業場にある箱詰めされた作品をロフトに上げる作業を行います。工房の整理がそろそろ気になっていて、4月以降は私がコツコツ整理を行っていく予定ですが、明日は若い人たちに手伝ってもらうつもりです。

「形式論理学と超越論的論理学・付論1」第1節~第5節について

「形式論理学と超越論的論理学」(エトムント・フッサール著 立松弘孝訳 みすず書房)の本論を読み終えました。本書は本論の後に付論1.2.3がついていて、今回はこの付論1の中の第1節から第5節までを読み解いていこうと思います。本書の結語として「われわれが本書で示そうとしたのは、伝統的な論理学から超越論的な論理学への道程であったー超越論的論理学は第二の論理学ではなく、現象学的な方法の中で成立する根元的で具体的な論理学にすぎない。」とありました。付論1では「統語法の諸形式と統語法の各素材」という題名がついていて「本論でたびたび利用した統語論の各形式と各素材との違いを、さらに詳しく解説し、そしてそれらと本質的に関連する別の各相違によって補足したい。」という意図があることが分かりました。まず簡単なところから複雑なところへ進む定言形式の文章が登場しています。それに関して気に留まった箇所を引用します。「文全体はどのようにして対象との関係を成立させているのか〉という疑問のもとでーわれわれがさらに詳しく観察するのはー何よりもまず〈われわれは文についてはいつも、各文が対象と関係する諸部分を見つけねばならない〉ということである。このことはどの文肢にも該当し、それらが区分されている以上、それらの分肢から最終的な、あるいはそれ自体最初の諸文肢にまで該当する。」また別の文章に「純粋な素材は最後に事象との関係を段階的な形式化によって、各段階の形成物が諸分肢の中でいつでも再び相関的な素材と形式を示すのである。」とありました。低次と高次の諸形式については「各形式は低次と高次の諸形式に区別される。すなわち最低の諸分肢に属する諸形式と、すでに形式化されている諸分肢自身を含めて、いっそう高い段階の具体相にして、いっそう複雑な諸分肢を形成したり、あるいは完全に具体的な統一体に、独立した文にする諸形式とに区別される。」とありました。本論に付随し、またそこから分岐した論考がここには収められていて、付論と言えどもなかなかの重厚な論理展開が成されていると思いました。

「客観的論理学と理性の現象学」第107節について

「形式論理学と超越論的論理学」(エトムント・フッサール著 立松弘孝訳 みすず書房)の小節のまとめを行います。第二篇「形式論理学から超越論的論理学」の第7章「客観的論理学と理性の現象学」の中で、今回は第107節を読み解いていきます。この第107節をもって本論は終了します。まず外的な感覚的経験の明証性という小節で、気になった箇所を引用いたします。「必要なのは、個々のエゴの生活と超越論的な共同体の生活を終始一貫して統合する世界経験と、それに伴う普遍的様態の志向的究明であり、次いでさらに世界経験の構成的成立についての、その様態を含めた究明である。」次の小節では内的経験の明証性について論考がありました。「最初の《明証》つまり所与の根元的な出現と、例えば持続する間は同一性を保って内在的に把持されていた感覚所与の根元的な持続には、たしかに言わば明白な抹殺不可能性があるーこの持続の間はーしかし持続が連続して同一視されている間に生じる根元的な統一性はまだ《対象》ではなく、まず最初は(この場合は内在的な)時間性の中での存在物として、すなわち過去の主観的な諸様態がどのように変動しようと、同じ事物として明証的に再認識される物事として存在している。」最後に素材的な所与と志向的な諸機能についての考察です。「ごく一般的な例をあげれば、どの対象も構成された事物として、内在的な対象と本質的に関係しているので、各対象性の明証は、それらのために機能している事物自身はその特殊な志向的性格をいつも保持しており、それによって最も重要な各種の相違点が関連しあうが、それは、構成された諸対象が自我にとって可能な能動的な寄与への《刺激》として《情動的》に機能しうるように関連している。」本論の引用は以上になります。本書で私は掲載された文章に頼ってばかりでしたが、読み取りが難しい局面があって、簡単にまとめられない語彙の構築に悩まされました。通常使わない明証性やら志向性、超越論的な事柄、アプリオリという語彙をそのつど調べながら読み進めてきました。本書には本論の後に付論1.2.3がかなりのボリュームでついていて、これを読み取らないと一冊が終了したことにはなりません。次は付論を読んでいこうと思います。

「客観的論理学と理性の現象学」第104節~第106節について

「形式論理学と超越論的論理学」(エトムント・フッサール著 立松弘孝訳 みすず書房)の小節のまとめを行います。第二篇「形式論理学から超越論的論理学」の第7章「客観的論理学と理性の現象学」の中で、今回は第104節から第106節までを読み解いていきます。この小節では現象学との関連が述べられていました。「(自然の見方での)人間としての私は世界の《中で》存在しており、自分をそういう者として、すなわち外部から(空間時間的に外部から)さまざまに規定される者として認めている。(絶対的見方としての)超越論的なエゴとしての私は私自身を外部から規定されていると思っているーただしこの場合は、空間時間的な実在物として外部の実在物に規定されているということではない。では私以外とか、外部によって規定されているとは、どういうことであろう?超越論的な意味で私が明らかに《外部のもの》によって、すなわち、私に固有の特性を超える何ものかによって制約されていられるのは、その外部のものが《他者》という意味をもち、しかも完全にわかる仕方で私の中で、超越論的に他のエゴという存在妥当性を獲得し実証する場合に限られる。」次にデカルトの省察について述べられた箇所を引用いたします。「すでにデカルトの最初の省察(これらの省察が超越論的現象学の成立を根本的に決定した)の中の、外的経験を批評する箇所でただちに明確になるのは、デカルトは外的経験に付きまとうさまざまな錯覚の可能性を強調したが、しかし今度はそれによって間違った仕方で〔対象の〕根元的な自己能与としての経験の根本的な意味を隠蔽している。しかしそうなる理由は〈世界に存在する事物について考える可能性を実際に形成して、その事物が正当な意味を獲得するようにするのは何か〉と問うことに彼が同意しないからに他ならない。彼はそのような存在物をむしろ〈認識の雲の上に漂う絶対的な存在〉として予め保持している。あるいは次のように言ってもよい。デカルトが気づかなかったのは〈感覚的な経験の流れの志向的な開明を、エゴの志向的な関連全体の中で試みること〉であった。」今回はここまでにします。

「客観的論理学と理性の現象学」第101節~第103節について

「形式論理学と超越論的論理学」(エトムント・フッサール著 立松弘孝訳 みすず書房)の小節のまとめを行います。第二篇「形式論理学から超越論的論理学」の第7章「客観的論理学と理性の現象学」に今日から入ります。本書はこの第7章をもって本論が終わります。今回は第101節から第103節までを読み解いていきます。最初に理性の超越論的現象学としての論理学の主観的基礎づけという単元の中で、論理学的理性についての問いかけがありました。「われわれは果てしない疑問ゲームに陥るのではなかろうか?例えば論理学的理性についての理論はどのようにして可能か?というような次の疑問が否応なくすぐに出て来るのではなかろうか。このことについてのわれわれの最新の研究は〈その理論はその根本的な可能性を超越論的現象学全体の枠組みの中の、この理性の現象学として保持している〉と回答している。」さらに「究極の論理学は理論としての客観的論理学のすべての原理を、それら自身の根源的で合法的な超越論的ー現象学的な意味へ引き戻して、その論理学に真の学問性を付与するだけではない。究極の論理学はこの目標に向かって段階的に努力することなどによって当然、拡充されることになる。」とありました。また超越論的主観性についての普遍学の中での可能性について「超越論的主観性の中では、想定されるすべての学問が実際にも可能性としても本質的に予示されている超越論的な諸形態であり、自由な作動が予め指定されて実現される超越論的主観性についての普遍的な学問は、絶対的な無前提性と先入見のない状態での認識の基礎づけの理想にも、合法的な意味と唯一想定される意味を与えている。」とありました。今回はここまでにしますが、本論は私の教養程度では到底まとめられるものではなく、読んでいくうちに自分なりに気に留まった箇所にラインを引いて、それをピックアップすることでNOTE(ブログ)にしています。NOTE(ブログ)を読んでいる人は前後の意味が掴めないままで、引用した文章が難解になっていることは承知しています。もう少し端的なコトバで書くのがいいのでしょうが、文章を読み解くのが今の私の限界と思っています。

「超越論的現象学と志向的心理学」第100節について

「形式論理学と超越論的論理学」(エトムント・フッサール著 立松弘孝訳 みすず書房)の小節のまとめを行います。第二篇「形式論理学から超越論的論理学」の第6章「超越論的現象学と志向的心理学。超越論的心理学主義の問題」に入っていますが、題名が長いので表示を多少省略をさせていただきました。今回は第100節を読み解いていきます。この節では歴史に残る哲学者たちが登場していますが、大きく取り上げられていたのはヒュームとカントでした。超越論的哲学の発展の中でヒュームの偉大さがあったようです。「彼こそが超越論的哲学の普遍的な具体的問題を把握した最初の人であり、初めて彼が純粋に自我論的な内面性を具象化して、彼の見解ではすべての客観的事物が主観的に発生したことが意識され、しかも最善の場合には経験されて、まさにこの客観的事物が自己発生の形成物として究明され、この最終的な根源から、われわれにとって存在する諸事物すべての正当な存在意味が理解可能にされるのである。」一方、カントは「彼は形式論理学(推論式論)すなわち彼の言う《純粋な一般》論理学を、あのイギリス経験論のように、無価値なスコラ哲学の遺物とは見ておらず、さらにあの経験論のように(カントが形式論理学について認めるように)論理学のイデア性についての心理学主義的な曲解によって、論理学からその固有の真の意味を奪っている。しかし彼は〈形式論理学には超越論的な諸疑問を提起せず、そのような疑問を超越させる特殊なアプリオリがある〉としている。」とありました。またカントの不十分な部分の指摘もありました。「カント自身はアリストテレス的な伝統の核心的な諸部分を顧慮して、論理学のアプリオリな性格を、すなわち論理学が経験心理学的な一切の事柄から純粋なことや、したがって論理学を経験論と関係づけるのは倒錯であることも明確に認識していたのに、そのカントでさえ論理学のイデア性本来の意味を把握していなかったのである。」さらに「広狭両義の客観的論理学がイデア的な各対象性の分野について提起せざるをえない超越論的な問題は、実在性についての諸科学の超越論的な諸問題と、すなわち諸実在の各領域についての、したがって特にヒュームとカントが論考した自然についての超越論的な諸問題と並行している。」とありました。「いずれにせよ確実だと思えるのは、カントと新カント派の彼の後継者たちの超越論的哲学の歴史的な諸形態が、真の超越論的哲学の重要な前段階を示していながら、イデア的な諸世界の、特に論理学的な諸世界についての超越論的な考察への移行を促すのに適していなかったことである。」今回はここまでにしますが、第6章「超越論的現象学と志向的心理学。超越論的心理学主義の問題」は以上で終了です。

週末 陶彫加飾&窯入れ

今日の天気は昨日の雨風が嘘のように晴れわたり、気温も上昇しました。工房に流れているFMラジオから、東京の桜の開花宣言があったと報道されていました。気温だけを考えれば春爛漫と言える季節になりました。工房のストーブも終日点けずに作業が出来ました。今日は昨日より身体が動きました。本来なら制作サイクルを回して、新たな陶彫成形を行うところですが、昨日からちょっと足踏みをして、制作サイクルを1週間遅らせました。陶彫成形が終わった作品がいくつかあって、彫り込み加飾に追われていたため、制作工程を多少替えました。職場での仕事が多忙を極めている昨今の事情と、来月から毎日でも工房に通える状況を考えれば、制作工程が遅れ気味でも例年のような焦りはないのです。それより陶土の乾燥具合を確かめながら彫り込み加飾を優先した方が良いと判断しました。彫り込み加飾が完全に終わっている作品も数点あり、それらの乾燥が進んでいるため、午後はそれら陶彫部品2点の表面にヤスリをかけ、化粧掛けを施しました。久しぶりに窯に入れる準備をしていました。ちょうどその頃、窯の業者が工房にやってきて、焼成窯の様子を見ていきました。彼は既に一線を退いていて、たまに工房に話をしに来るのです。彼や次世代の業者たちに私は支えられてきました。窯のメンテナンスもこうした人たちがいるおかげでやっていただいているのです。今日はいつも来ている美大受験生もデッサンを描きに来ていました。来月になったら彼女には受験生の通うアトリエに行くように勧めました。同世代の人たちと競い合う機会が必要と私は思っています。工房は自分のペースでゆっくりやれるので、制限時間が決められている実技の受験には向いていません。工房は静かに時間が流れていて、個人のペースに応じてじっくり取り組むのには都合が良いのですが、競争にはそれなりの環境に身を置く必要があります。今日も夕方まで作業を頑張り、受験生を車で自宅近くまで送っていきました。今日窯入れした作品2点は、水曜日に焼成が終わります。

週末 疲労回復を試みる

今週は職場で儀礼的なイベントがあり、また来年度人事が始まったこともあり、その他諸々のことで心身共に疲労してしまいました。帰宅した時の私の顔に疲労が滲み出ているせいか、家内にも心配される状況でした。管理職としては今が大変な時で、これを乗り切らないと先へは進めません。歯の奥にある神経がぼんやりと痛んでいて、私の疲れのバロメーターになっています。この役職を何年やってきても、人を動かす仕事は慣れるものではありません。今日、やっと週末を迎えました。まだ職場には用事があって、午前中ちょっと顔を出しましたが、一日のほとんどを工房で過ごせる幸せが私にはあります。創作活動は職場とは違う意志が働きますが、それでも創作という別の世界を持っていられる私は幸運な人と言えます。今日は創作活動を利用して疲労回復を試みました。作りかけの陶彫部品に彫り込み加飾を施すため、陶土に触れていると私は非日常という別世界が広がってきて、素材との対話を始めていきます。自宅でゆっくり休んでいても職場の人事が頭から離れないので、どんなに疲労していても工房にやってきて、別世界の扉を開けることが私にとって癒しにもなります。私は何十年も彫刻のための素材と向き合ってきました。公務員管理職との二足の草鞋生活も残り僅かとなりましたが、これからはずっと彫刻のことを考えていられるわけで、私にとっては20代からの夢の実現になるのです。陶土を触りだすと周囲が気にならなくなり、時間や空間の概念がどこかへ飛んでいってしまうのです。ふと気がつくと雨風が激しく工房の外壁を叩いていました。ラジオから大雨警報が出ているというニュースが流れていました。駅前ビルに演奏に出かけた家内を迎えにいく時間が迫っていました。今日は疲労のため身体が今ひとつ動かずにいましたが、制作に集中した時間もあり、少しでも疲労が回復したように思えました。明日はどっぷり創作活動に浸って、陶彫制作を頑張りたいと思います。

「超越論的現象学と志向的心理学」第98節~第99節について

「形式論理学と超越論的論理学」(エトムント・フッサール著 立松弘孝訳 みすず書房)の小節のまとめを行います。第二篇「形式論理学から超越論的論理学」の第6章「超越論的現象学と志向的心理学。超越論的心理学主義の問題」に入っていますが、題名が長いので表示を多少省略をさせていただきました。今回は第98節から第99節までを読み解いていきます。「私の意識生活全体は、その全体性においても、その意識の中で構成される多様な特殊な対象性のどれにも損なわれずに、その成果の統一も含めた能作する生活の普遍的な統一であるから、意識生活全体が普遍的に構成的で、すべての志向性を包摂するアプリオリによって支配されている。なおこのアプリオリ〔=超経験的な原理〕は、エゴの中で構成される間主観性の特性によって、間主観的な志向性と間主観的な諸統一と《諸世界》の成果との一つのアプリオリへ拡大する。このアプリオリ全体の究明はきわめて広大であるが、しかし完全に把握でき、段階的に究明しうる超越論的現象学の課題である。」またこんな考察もありました。「われわれがわれわれ自身の諸考察の中で構成について詳述したことはすべて、何よりもまず、与えられている諸対象の任意の各種類の任意の諸範例について判明にすること、すなわちわれわれがリアルまたはイデア的な対象性を簡単にすぐ《所有する》際の志向性を反省的に開明することである。」次に時間の概念が登場してきます。「もし実際に主観的な事柄はどれも、各自の内在的な時間的成立をもつとすれば〈その成立にもそれ自身のアプリオリがある〉と期待される。そうだとすれば、すでに《発展した》主観性と関係する諸対象の《静的》な構成には、当然それに先行する静的構成に基づくアプリオリな発生的構成が対応している。」著者が西欧人であることが分かるのは神が登場するこの文章でした。「世界への意識の関係、それは〈外部から偶然そのように設定する神によって課せられた事実〉でもなく、あるいは〈予め偶然存在する世界から、しかもその世界に属する因果法則によおって負わされた事実〉でもない。主観的アプリオリは、神と世界と思惟する私にとっての万物の存在に先行するものである。神でさえ私にとっては、私自身の意識の能作によって存在するのであるから、この点でも私は、神に対する冒涜だと誤解される不安を無視できず、この問題に注目せざるをえない。」心理学的主観性と超越論的主観性の違いについて書かれた箇所も気になりました。「心理学的な主観性と超越論的な主観性(この中で心理学的主観性が世界的な〔=世界についての〕すなわち超越論的な意味内実をも具備して構成される)との根本的な区別は心理学と超越論的哲学との根本的な区別、特に超越的な認識についての超越論的な理論との区別を意味している。」今回はここまでにします。