映画「スターウォーズ フォースの覚醒」について

昨夜のレイトショーで「スターウォーズ フォースの覚醒」を観てきました。自分が大学生の頃に観た第一作からすれば、30数年が経過している新作は感慨一入でした。当時出演していた俳優が年を取るのは当然で、自分も定年近い年齢になっているのです。それでも「スターウォーズ 」を観たくなるのは何故でしょうか。宇宙を舞台にした一大叙事詩の故か、銀河帝国を跨ぐ親子関係の故か、人それぞれに受け取る人気の要因があるのでしょうが、自分の関心は「スターウォーズ 」のデザイン性に尽きています。砂漠の星には宇宙母艦の残骸が捨てられていて、その風景の美しさに惹かれ、また森林や湖に恵まれた星には、瑞々しい潤いの風景が描かれています。まさに人々の美意識を擽る要素がそこにあると思っています。異形の生物は面白さに溢れています。生命共存の美学もある程度は盛り込まれています。自分たちの身近にこんなお伽話的世界があればいいのにと思うのは私だけではないでしょう。逆に暗黒の軍団(ファースト・オーダー)に対峙する革命軍(レジスタンス)の戦いを描いた内容は、極めてシンプルなものですが、力には力で対抗する戦争の原理に裏打ちされたハリウッド流戦争描写には、以前から私は嫌悪感を持っています。娯楽として面白さを追求するには、人が持つ闘争本能を刺激するのが効果的なのかもしれません。でもそれは些か短絡的な手段かなぁとも思います。素晴らしいデザイン性に統括されたゲーム感覚の戦争映画、それが「スターウォーズ フォースの覚醒」と言えます。そこに肉体的痛みはありません。あるのはちょっとした精神的な苦脳と、ほとんどの時間を割く目まぐるしいアクションです。特撮を駆使した迫力ある場面には、思わず惹き込まれてしまい、日常を忘れられるのです。そういう意味で娯楽大作として「スターウォーズ フォースの覚醒」を観るのがいいのではないかと思っています。

仕事始め&娯楽映画へ

今日から仕事始めで、久しぶりに職場に顔を出しました。職場では数人の職員が来ていて、本格的な仕事は始まっていない状況でした。それでも職場の雰囲気に触れて私は安心しました。仕事を休んでいても常に職場が気になっているのは、管理職にとって仕方ないことだと私は割り切っています。おまけに休庁期間は創作活動をしていたため、完全な休止状態にはなっていないのです。職場にいる時の精神状態と、創作活動をしている時の精神状態は、まるで違っていて、完全な休止がなくても双方がストレスを相殺しているような按配で、自分にはバランスがとれていると感じています。今日は仕事始めのため、職場の確認だけで勤務を早めに切り上げました。午後の年休を有効に使いたいと思い、まず工房に出かけて大きなタタラを6枚準備しました。夜になって家内を誘って映画に出かけました。いつもミニシアターで観ているような表現意識の高いものではなく、今回は娯楽に徹した映画を選びました。「スターウォーズ フォースの覚醒」は前から観たいと思っていた映画でした。ハリウッド流戦争映画として多少の嫌悪はありましたが、全体に亘るデザインポリシーと特撮技術を味わってみたいと思っていました。思惑通り、砂漠の星に廃材となって半分埋もれている人工物の美しさに浸りました。それより1977年に初めて封切られた「スターウォーズ」を、私は学生の頃に観ています。家内も当時の友人と観ていて、今回の「スターウォーズ フォースの覚醒」は同窓会のような懐かしさに溢れ、「スターウォーズ」のシリーズが封切られるたびに、その時代に生きた自分に戻ってしまう不思議な思いに駆られました。特撮技術がどんなに進んでいても普遍的なものがそこにあるのでしょうか。30数年もシリーズ化されていれば、誰でもそんな感慨に耽ることがあるのかもしれません。映画のストーリーは極めて単純ですが、別の意味でこの娯楽映画は印象的でした。詳しい感想は次の機会にしたいと思います。

休庁期間終了&従兄弟会

今日で休庁期間が終了しました。6日間の休庁期間をずっと制作に充てることは無理でしたが、それなりに頑張れたように思います。昨年暮れの目標4点は完成し、新年は1点のみという成果でしたが、これは正月の行事があって仕方ないことと思っています。今日も一年1回の従兄弟会がありました。十数人が集まる貴重な機会なので、東京五反田の洋食レストランに家内と出かけました。今日の会合は、家内の関係する従兄弟たちで、奄美大島から出てきて学問で身を立てた叔父や叔母の息子や娘たちなのです。島の濃密な関係が世代を超えて繋がっていると言えます。叔父の中にはカント哲学者や考古学者や音楽家がいて、自分にとっては文化意識の高い親戚です。家内と付き合っていた若い頃に、自分が専門とする彫刻芸術を理解してくれた大切な存在でした。その第二世代が毎年正月に集まっているのは稀なケースでしょう。第二世代も自分にとって楽しく刺激的な人たちで、彼らと会ったのが久しぶりにも関わらず、会話が弾みました。今日はこの従兄弟会があったため、早朝工房に出かけ、1時間程度彫り込み加飾を行いました。休庁期間は今日で終わりましたが、制作に弾みをつけられたことが大きいと思っています。休庁期間でどのくらい作れたかではなく、これから作ろうとする意志がどのくらい湧き上がったかが重要で、それが今後の創作活動を左右すると考えています。6日間懸命に作りまくって燃え尽きてしまうのは危険極まりないことで、寧ろ今後に向かって意欲を高めていくことが、長い制作工程を考えると必要なことだと思っています。

2016年 制作開始

新年になって今日から制作を開始しました。昨夜、ちょっと工房に行って大きなタタラを数点準備したので、今日は陶彫成形を行いました。午後は土錬機を回して40kgの土練りをしました。正月をのんびり過ごしたいところですが、今年の7月には11回目になる個展があるため、休んでいられないというのが本音です。今日はお馴染みになった中国籍のスタッフが工房に来ていました。中国は2月の旧正月が年の改まる時で、日本の正月気分には浸れないようです。彼女は都内の美術大学に勤めているため、旧正月は入試期間にあたっていて帰国は出来ないと嘆いていました。暦の行事が国によって異なるため、外国で仕事をするのはそれなりの覚悟が要るのかもしれません。自分も制作を続行している以上、正月気分はありません。自分にとって創作活動は何よりも刺激的で楽しいものなのです。自分の唯一の生きがいにもなっていて、公務員管理職として多少上手くいかないことがあっても、創作活動のことを思い返すと元気が湧いてきます。鑑賞も読書も旅行も自己表現の肥やしにするため、また自分の創作行為への思索を深めるためにやっているようなものです。自分が創作を通して何を求めているのか、森羅万象全てにわたって自分が解釈したことを提示することかもしれません。それがゆえに他の芸術家や学者が解釈した思想を、自分で咀嚼しなければ、自己解釈に繋がらないと考えているのです。話が大きくなりましたが、2016年の初めに制作をやりながら、そんなことが頭を過ぎりました。

2016年 新年の抱負

2016年になりました。まずは新春のお慶びを申し上げます。年が変わり、気持ちを新たにリセットできることは素晴らしいと感じます。今年も私のホームページは創作活動を中心にして、作品をあらゆる人に広報していきたいと思います。どうぞよろしくお願いいたします。昨年から制作を進めている陶彫による新作が2点あります。休庁期間が終わるまでは終日頑張り、願わくば5月初旬までに完成できればいいなぁと思っています。RECORDも新たなテーマで継続していきます。読書は昨年から取り組んでいるフロイトの「夢解釈」に挑みます。鑑賞は今年も情報を巡らせ、自分にとって刺激になる展覧会等に出会えればと思っています。今日は恒例になった初詣に出かけました。東京赤坂の豊川稲荷には、父が亡くなってから、私はずっと出かけています。父が存命だった頃は、愛知県の豊川まで車を飛ばして行っていました。遠い昔のことですが、相原の本家に捨ててあった小さな祠を、祖父母が拾ってきて、畑の隅にやしろを建てて祀ったようです。それが今も我が家に伝わる小さな稲荷で、現在は竹林の中にあります。元旦になると子どもだった私に、両親が細かく切った餅と油揚げを稲荷に供えてくるように命じました。札は豊川稲荷で護摩を焚いてもらっていました。それが私の代になった現在まで続いているのです。本家は没落して分家が栄えたのは稲荷のお陰だと祖母は言っていましたが、それは迷信に過ぎず、祖父母が生真面目に働き、自分もそれに倣ったのだと父は主張していました。私も父の言う通りだと思っています。それでも敷地に祠がある以上は、毎年新しい札にしているのです。夕方、東京赤坂から帰ってから工房に出かけました。明日から制作を開始するので陶土をタタラにしました。座布団大のタタラを3枚作りました。手が陶土に不思議に馴染んでいたのが分かりました。幸先がいいスタートになってくれればと思います。

2015年HP&NOTE総括

2015年の大晦日になりました。毎年恒例になっていますが、今年の総括をしてみたいと思います。今年の7月個展で発表したのは「発掘~群塔~」と「発掘~丘陵~」でした。陶彫部品の多さで毎年更新している最近の状況は、なかなか厳しいなぁと思っています。横浜市公務員の管理職と彫刻家との二束の草鞋生活は、さすがに板に付いたものの、週末を制作で過ごす日常では何かに急きたてられるような圧迫感をもつこともあります。定年退職が近づいている今となっては、二束の草鞋生活もいずれ思い出になっていくのかなぁと思っています。現在はそんなことを振り返る余裕もなく、来年の夏発表する新作に精を出しています。今年は工房にロフトが出来て、作品保管部分が拡充されました。空間が広がったことで制作に意欲が湧いてきました。陶彫はまだまだ奥の深い世界で、自分は生涯関わってもこれぞ陶彫だというものが見つからないのではないかと思っています。一日1点ずつ制作しているRECORDは、作り始めた2007年から現在まで優に3000点を超えていますが、ここまできたら継続していくしかないと考えています。RECORDは文字通り日々の記録をしていく表現媒体なので、毎晩飼い猫のトラ吉に邪魔されながら、自宅の食卓でコツコツ描いているのです。今年の鑑賞で印象的だったのは上半期は「鳥獣戯画」、下半期は「兵馬俑」でした。同業では故若林奮先生の彫刻展が強烈でした。加えて今年は映画をよく観ました。横浜にあるミニシアターには足繁く通ったものだなぁと思いつつ、印象に残っているのは戦後70年の影響なのか、戦争に纏わる作品ばかりです。邦画の「野火」、洋画ではヒトラーを間接的に描いたドイツ映画や社会派のロシア映画が多かったように思います。今年の読書は、長く関わっているのがフロイトの「夢解釈」で、まだ読み終わらず年を越します。今年も作品の撮影や個展の運搬、ロフトの作品移動等で、多くの人の手を煩わせました。手伝っていただいた方々に改めて感謝です。有難うございました。最後に拙いNOTEを読んでいただいている多くの皆さまに感謝申し上げます。皆さまにとって来年が良い年でありますように。

15‘RECORD1月・2月・3月分アップ

私のホームページに2015年のRECORD1月分~3月分をアップしました。ようやく今年の3か月分がアップ出来ました。今年のRECORDのアップはこれで締め括りになりますが、RECORDは今も継続中なので、来年早々に次のアップが出来たらいいなぁと思っています。私がRECORDにつけるコトバの出来次第です。今年の月毎のテーマは漢字一文字にしました。昨年の反省から今年は簡潔な文字で表そうとしたのです。京都清水寺の住職が書く今年の文字は「安」に決まりましたが、私が選んだ12ヶ月のテーマの中に残念ながら「安」はありませんでした。1月は「在」、2月は「塊」、3月は「殻」で、どうしても絵になりやすい漢字を選んでしまいます。今回アップしたのは、ほぼ1年前に描いていたRECORDでしたが、テーマの印象は強く残っています。「在」は私の夢によく出てくる彫刻で、夢の中で私は人体を屑鉄で作っているのです。人体は部分しか存在せず、それでも全体が想像できるように作っています。何もない空間に意味を持たせる存在を「在」としているのです。「塊」は「在」の逆で、膨らんだカタチをそのまま表現しました。塑造の基本です。ただ、バリエーションをいろいろ考えたつもりです。「殻」は輪郭や外見といったところに注目してRECORDにしました。漢字一文字は以前のRECORDでもテーマとしてやっていましたが、以前のテーマと同じにならないよう気をつけました。私のホームページを見ていただけるなら、このNOTEの左上にある本サイトをクリックすると入れます。それからRECORDを選んでクリックすれば、今回アップした1月分~3月分のRECORD画像が出てきます。ご高覧いただけると幸いです。

ロフトへ作品を移動した日

今日から休庁期間になり、工房での作業に明け暮れる日々が続きます。これは貴重な時間で、まとまった休みが取れるのはこの休庁期間以外にないのです。今日は2人のボランティアに手伝ってもらって、先日完成したロフトに作品の一部を移動しました。移動したのは構築シリーズの柱と板材、その他小さな木彫部品です。古い順に並べると「起源」の柱と台座、「包囲」の柱と厚板、「解放」の柱と厚板、「瓦礫」の柱、「楼閣」の柱、それに「棟・住居」の木彫と台座です。木箱に入れた陶彫部品はロフトではなく下の床にそのまま置きました。今日は手伝ってくれた2人がいたので、複数の人がいないと持ち上がらない作品ばかり移動しましたが、小品は自分一人でも何とかなるので、今後も移動を続けたいと思っています。これで倉庫部分はとても風通しがよくなりました。手伝ってくれた2人に感謝です。ロフトに移動してみて気づいたことですが、ロフトが意外にも広くて、作品の置き場がまだまだ確保できると感じたことです。手伝ってくれた後輩の彫刻家が、ロフトの端から隙間なく積んでくれたことが大きかったのですが、工房には若いアーティストが出入りしていて、彼らの作品も預かっているので、これは本当に都合が良いと思いました。作品保管に毎月費用がかかっている芸術家も少なくありません。そんな中で私を含めた工房関係者は恵まれていると言っていいと思います。今日はロフトへ作品を移動しただけで終わってしまいました。明日から2日間は制作に気合を入れます。陶彫部品をあと2点作ること、これが今年の目標です。

映画「創造と神秘のサグラダ・ファミリア」について

私が家内とスペインのバルセロナを訪れたのは1981年だったと記憶しています。当時ウィーン国立美術アカデミーに籍があった私たちは、その夏にユーレイルパスを使って南欧に旅立ったのでした。目指したのはポルトガルの最西端でしたが、途中カタルーニャ地方の独特な美意識に触れたくて、バルセロナに降り立ち、ピカソやミロの美術館を見て回りました。もちろん建築家アントニ・ガウディの公園や教会、集合住宅もつぶさに見ていました。その中でも印象的だったのがサグラダ・ファミリアでした。当時既に正面の「生誕のファサード」の外観が出来ていて、4本の塔のうちのひとつに登ることが出来ました。この映画はガウディ没後のプロジェクトを、建築家や彫刻家や職人並びに宗教学者等のインタビューを基にして、その進展を克明に追っていて、現在進行形での内外の雰囲気を知ることが出来ました。私たちが訪れた頃より工程は遥かに進んでいて、実際に聖堂内部にある植物が群生しているような天井や抽象的な「受難のファサード」が見てみたいと思いました。完成までに300年かかると言われていたのを、現代の3D構造解析技術やコンピューター数値制御の石材加工機など先端のIT技術によって2026年に完成すると言われています。1981年に見たサグラダ・ファミリア、その時私たちは死ぬまでには完成が見られないと諦め、もうここに来ることもないと思っていたのですが、事情が変わりました。もう一度カタルーニャに行きたい、進化し続ける建築という独特で途方もない造形に触れたいと思い始めるようになりました。サグラダ・ファミリアは祈りの空間であると同時に、創作への刺激を続ける芸術の殿堂であろうと私は思っています。

15‘最後の週末

今日は2015年最後の日曜日でした。昨日と今日の2日間の週末を使って、陶彫成形2点完成を目標にしていましたが、何とかクリアしました。明日は勤務日、明後日は工房のロフトに作品を移動する日に当てているので終日の制作は出来ません。残りは30日と31日で陶彫成形を2点完成すれば、大晦日までの制作目標は達成できます。今日は中国籍の若いスタッフが工房に来ていました。彼女は3月に予定されている2人展のために、数枚のパネルに下塗りをしていました。私は陶彫成形に明け暮れました。集合彫刻は制作工程通りに部品を作っていかなくてはならず、かなりシステマティックな仕事と言えます。全体が見えてきた時に部品の交換もあると考えていて、余裕があればさらに自己イメージに近づけるのです。現段階では全体は見えず、ひたすら部品を作り続けるしかありません。現在作っている部品が徒労に終わらないようにするために、当初のイメージを確認しながら作業を進めていきます。夕方4時まで作業を行い、スタッフを駅まで車で送った後、私は補修剤を買いに出かけました。ロフトの屋根の内側部分に釘が所々出ているので、安全対策のため補修剤が必要なのです。明日勤務が終わった後、屋根の内側部分の補修を行う予定です。2015年最後の日曜日は慌しく過ぎていきました。夜になって年賀状の宛名印刷を始めましたが、なかなか気分が乗らず明日に持ち越しになりました。

年末の制作目標

今日から数えて6日間で2015年が終わります。職場には月曜日に出勤し、火曜日以降は休庁期間となり、やや長い休みに入ります。29日(火)は工房のロフトに作品等の荷物を上げる作業を行う予定でいます。彫刻家の後輩や職場で一緒に仕事をしている人が手伝いに来てくれます。28日と29日は制作が出来ないので、実質4日間が年末に制作可能な日になります。この4日間で、何をどのくらい制作していくのか、擂り鉢状になる新作の陶彫部品を一日1点ずつ作っていけば4点は出来ます。成形や彫り込み加飾をするために土練りや大きなタタラを準備しなければならず、4日間で4点というのはなかなか厳しい工程ですが、制作目標にして頑張ってみようと思います。日々制作するので、この期間は窯入れは出来ません。電力の関係で窯を使うと、照明等の電気が使えなくなるからです。休庁期間が終わってから窯に入れていくつもりです。作業としてやらなければならないことが、制作の他にひとつあります。ロフトを作った鉄工業者に言われたことですが、屋根板の所々に釘が出ているのです。初めに倉庫を建てた業者は、まさかロフトを作る計画なんてなかったので、屋根板の近くまで人が来るとは思っていなかったのでしょう。外側の屋根から打った釘が内側の板に出ているなんて気にもしなかったはずです。ここには補修剤を塗って安全にしておかなくてはなりません。そのための作業を29日前までにやらなくてはならず、しかも保管していた補修剤が硬くなっていたため、新たに購入に行く必要があるのです。何とも忙しい限りです。毎年のことですが、晦日の多忙感はなかなか抜けず、自宅の掃除もままならず、往く年を振り返る暇もありません。年賀状の宛名書きも気になっているところです。今日は取りあえず陶彫制作のための準備や計画を立てました。ウィークディがやっと終わった安堵感のせいか身体が動かず、疲労感に悩みましたが、明日は今日よりテキパキ動くことができると信じています。

聖夜 お汁粉作り&映画

私はキリスト教徒ではないので、クリスマスの意識はありません。若い頃に滞欧して、カトリック教会の厳かな式典や正教会の素朴な祈りに触れて、宗教のもつ純粋な祈祷に心が動かされたことがありました。そういう意味では日本のクリスマスの気分は馴染めませんが、家族で過ごす暖かい時間と考えれば、生活のほとんどが欧米化した今となっては、これはこれで良いのかもしれません。私の職場では今日で仕事上の一区切りを迎え、恒例になった大鍋コミュニケーションを行いました。これは管理職からのサービスです。大鍋では今まで豚汁やケンチン汁を作ってましたが、今日は趣向を変えて、お汁粉を作りました。お汁粉には栗と餅を入れました。若い男性職員たちが豪快に食べてくれて大いに感謝です。職場も大家族と考えて、クリスマスに多少でも暖かい時間を作ろうとしたのでした。勤務時間を終えて帰宅し、改めて横浜の中心街に映画を観に出かけました。レイトショーに間に合うように車で行き、コインパーキングに止めました。家内が風邪気味で、しかも週末の演奏活動があるため今晩は私一人で出かけました。聖夜にオッサン一人が場末の映画館に入るところは、孤独を絵に描いたようで思わず失笑してしまいました。やはり聖夜だなぁと思ったことは、映画館には私の他に学生らしい男性が一人だけで、2人でスクリーンを占領する羽目になったことです。確かに万人に受けるとは思えない映画でしたが、私には刺激的でした。上演されていたのは「創造と神秘のサグラダ・ファミリア」というスペインの建築家ガウディの未完の教会に関するドキュメンタリー映画でした。内容は構想段階から常軌を逸した創造性に富み、現在も現代建築の粋を集めて、ガウディの意思に迫ろうとする建築家や彫刻家、職人集団の裏側を描いていて、大変面白いと感じました。詳しい感想は後日改めますが、キリスト教の祈りの空間を作ろうとして奮闘している人たちの映画を観るのは、聖夜にしてこれ以上のタイミングはないと思いました。

映画「ヒトラー暗殺 13分の誤算」について

「ヒトラー暗殺 13分の誤算」というタイトルからして、面白い映画であることは間違いないと自分は確信しました。当時のドイツが封印した実話、しかも単独犯罪で仕掛けたのは一般人である家具職人、こんな史実の設定はあり得ないと思うほど、映画になるべくして映画になった映画でした。実在の人物ゲオルゲ・エルザーは1903年スイス国境近くの村で生まれて、1945年に収容所で処刑されました。エルザーは支持する政党もなく、高度な教育による思想背景も、その仲間もいないのに、どうしてヒトラー暗殺を企てたのか、謎の多い部分をエルザーが逮捕された時点と、青春を謳歌する過去を行き来する巧みな脚本によって、本作は説得力を持った映画に仕上げていました。音楽を愛し、女性と戯れ、美しい人妻と恋におちるエルザー。そんな彼を取り巻く状況で、共産党員の友人が逮捕されたり、ユダヤ人差別を身近に感じたり、ナチスによる無差別攻撃をラジオで知った彼は、世界の終末を見るに至ったのでした。「僕は自由だった。正しいことをする。自由を失ったら死ぬ。」という簡潔な主張を頑として通すエルザーと、対照的にその背景を探ろうとするゲシュタポの面々。拷問を受け、薬を投与されても信念を変えない彼に、他国のスパイ容疑や黒幕の存在を自白させようとあらゆる手を打つナチスの生々しい行為に、目を背けたくなる場面もありました。主張がはっきりとしている事実の中で、映画は登場人物の誰にも肩入れすることがなく、観る側に普遍性だけが浮き彫りになるような演出がありましたが、それよりも今まで隠されてきた真実を突きつけて、観客に検証を委ねているところが、この映画の醍醐味だろうと思いました。地味ながら真摯な映像表現力が滲み出る作品でした。

休日 寒さ増す工房へ

今日は天皇誕生日で休日でした。朝から工房に出かけたところ、本格的な寒さになって手が悴みました。大型ストーブ1台では寒さを凌げず、午前中2時間、午後2時間の短縮作業になりました。陶彫の彫り込み加飾をやりましたが、作業そのものは大して難しいものではなく、いつもなら午前中で終わり、次の制作工程に移っていくところを、身体が寒さを引き込んでしまったようで、ノルマを途中で断念し、自宅でRECORDの彩色をやっていました。自宅では、家内が風邪で寝込んでしまっている状況で、今日は休日としての時間を有効に使えなかったと思っています。自分は終日ゆっくり休むことがありません。休日は制作のための貴重な時間が確保できるので、朝から工房に篭ることが多いのです。制作は創造活動ですが、労働の蓄積が実を結ぶのであって、一気呵成に出来るものではないのです。陶彫作品を1点作るのに、どのくらいの時間が費やされているか計算したことはありませんが、ギャラリーせいほうの空間を埋めるのに1年間かけて制作し続ける日常があります。それを10年以上もやってきました。その前も陶彫による実験的試みを10年くらいはやっているように思います。その中のたかが一日ですが、されど一日なのです。今日の収穫とすればRECORDの彩色です。RECORDは日々制作している小さな平面作品ですが、彩色を休日にまとめてやることがあって、いつもなら夜遅い時間帯にやっています。それを夕方の時間帯にやれたことは余裕を持てて良かったと思っています。今後、寒さが増す工房に行くときは、作業の種類を考えた防寒をしていきたいと思います。土を練るときはやや薄着、彫り込み加飾や仕上げのときは厚着をしたいと思っています。

橫浜の「スター・ウォーズ展」

ハリウッドの面目躍如とした映画「スター・ウォーズ」は、娯楽性の高い演出で人々を魅了し続けています。私も映画をよく観ていますが、このSF映画は、銀河系宇宙に展開される戦争による侵略や平和の共存繁栄などが、あたかも地球上で起こっている出来事のようなドラマで描きだされています。実はあまり自分が好きではないハリウッド流戦争観が表れた部分もありますが、お伽噺として扱えば、これは壮大な叙事詩として考えることも出来ます。「スター・ウォーズ」で自分が好きなところは、視覚的な一面で、自然や人工物のデザインです。人の美意識を擽る要素がいっぱい散りばめられていると思っています。そんなデザイングッズを展示した「スター・ウォーズ展」が橫浜駅のデパートで開催されているので見てきました。会議と会議の合間の昼休みの時間を利用して行ってきましたが、ウィークディということもあって鑑賞者は想像していたより疎らで、ゆっくり見ることができました。見ていて楽しかったのは宇宙船のフィギュアでした。精巧に作られていて、古びた船体に心地よい微妙な塗装がされていて、それがCG画面になるとスピーディな動きで、人を圧倒してきます。新作映画は如何なものか想像に難くありませんが、自分の頭を娯楽性で一杯にして、見る機会があれば見てこようと思っています。普段見慣れたミニシアターとは随分雰囲気が異なることは承知の上です。

「黄金町マリア」読後感

「黄金町マリア」(八木澤高明著 亜紀書房)を読み終えました。書籍の半分以上が写真なので、もっと早く読み終えることが出来たのですが、遅読して黄金町の路上に立っていた外国人娼婦たちの実態をじっくり考える機会にしました。どうして黄金町が性風俗の街になったのか、文章の中から引用してみたいと思います。「幕府が思いついたのが、東海道からは山で隔てられ、外国人を閉じ込めておくには都合がよく、三方向を山に囲まれた入り江である橫浜を開港することだった。幕府は当時百戸あまりしかない半農半漁の小さな漁村にすぎなかった橫浜を開港した。1859年の橫浜開港とともに、橫浜に上陸する外国人船員や兵士の相手をさせるため、近くの神奈川宿や品川はもとより、遠く小田原からも飯盛り女と呼ばれた宿場の娼婦たちが集められた。~略~皮肉にも、焼け野原となった橫浜に再び性風俗の隆盛をもたらしたのは、江戸時代のペリーに続き、終戦後橫浜に進駐した米軍であった。~略~米軍によって、橫浜の中心地・伊勢佐木町は接収され、日本人は商売をすることができなかった。そのため、伊勢佐木町に添うように流れる野毛から黄金町にかけての大岡川沿いには、米軍基地から流れてくる物資などを売る闇市が立った。多くの屋台が並び、夜になると、屋台で働く女たちが体を売った。色街としての黄金町が形成されていくことになる。」という箇所で黄金町の色街導入と形成が語られています。その後、警察の摘発を受けて、外国人娼婦は出身国に帰されることになりますが、筆者はタイやコロンビアに飛んで、娼婦の足取りを追っていきます。日本で稼いだ金銭で裕福に暮らしている者がいる一方で、親の賭け事やトラブルに巻き込まれて本国でも労働を強いられる者もいました。ただし、本国では食うや食わずの生活ではなく、生活水準を上げるために来日して体を売っている状況も見えてきました。日本との関係は決して綺麗事で済むはずもなく、借金を負わされたり、騙されたりしながら、それでも本国で待つ家族のために逞しく生きた娼婦たちの様子が垣間見られました。そんな事情を満載した本書は貴重な一冊だと思いました。

週末 球体陶彫の成形10個

今日は昨日より制作が進みました。久しぶりに中国籍の若いスタッフが工房にやってきて、2人して大型ストーブを倉庫から出してきました。工房はこれから春先までストーブを焚き、暖を取ることになります。スタッフは今日まで開催していた絵本展の搬出に夕方行かなくてはならず、3月には同じ中国籍アーティストとの2人展も控えていて、なかなか多忙です。私も恒例になった7月個展のために、ほぼ1年間をかけて制作しているのです。今日は朝から夕方4時まで夢中になって制作をやっていました。結果、小さな球体陶彫の成形が10個完成し、そのうち彫り込み加飾は8個完成しました。身体に溜まった疲労は昨日とあまり変わらず、完全な復活とはなりませんが、何故か今日は意欲が高まって順調に作業を終えました。週末は土曜日と日曜日の2日間ありますが、丸々2日間あると考えない方が良さそうで、このところ土曜日は制作を進めることが困難な状況です。ウィークディの疲労なのか、加齢のせいか、よくわかりませんが、明らかにひと昔前と違っていることは確かです。陶彫作品は昔と変わらず、いや寧ろ作品が大きくなっている傾向があると言えます。そんなことを考えると厳しい制作工程にならざるを得ませんが、身体が動くときは大いに頑張ろうと思っています。今月は休庁期間があって、まとまった休日が取れます。現行の作品をどこまでやるのか、図録撮影の5月初めをゴールとして、そこから逆算して制作工程を割り出して考えると、休庁期間につい期待したくなってしまいます。一日創作的集中力が保てるのが自分の場合は7時間、晦日と正月を含めて休庁期間は6日間、計算では42時間戦えることになりますが、それは無理だろうことはわかっています。陶彫は乾燥させる時間を考えなくてはならないので、早めに作っておこうと思っています。そんなことを考慮すると、休庁期間は厚板加工の前に陶彫をどんどん進めていった方が良さそうです。今日は制作のことをあれこれ考えて一日を締め括りました。

週末 出張&映画 ちょい制作

やっと週末になりましたが、やはり土曜日はウィークディの疲れがあって、創作活動に今ひとつ意欲が湧かないのです。今日の午前中は、定年退職が近い職員を集めた年金や保険に関するセミナーがありました。私もそれに参加してきました。そろそろ定年退職後のことを考えなくてはならないなぁと思いましたが、何か生きがいを探しましょうと講師に言われて、私には公務員になる前から取り組んでいる創作活動があるため、それは問題ないと思いました。ただ、自分を追い詰めてクオリティを高めてきた自己表現は、私にとって逆に命を削りかねない精神労働になるため、自分をコントロールできる何かを探さねばならないと思っています。職場の全責任を担う管理職は、さまざまな内部組織があるため、そのつどの判断は私が最終的に行うにしても、綿密な打ち合わせを経るので自分を追い詰めることはありません。そういう切り口で言えば、創作活動の方が内向きな精神性を問われるので、孤高として厳しい場面があるかもしれません。実際、今日も昼ごろ工房に出かけても、なかなか制作に身が入らず、彫り込み加飾を途中で放棄してしまいました。明日こそ気合を入れて取り組もうと思っています。夕方になって、家内と横浜の中心地にあるミニシアターに出かけました。シネマジャック&ベティは私たちの通い慣れた映画館です。今日はレイトショーで夜8時半くらいに映画が始まりました。ドイツ映画「ヒトラー暗殺 13分の誤算」という史実を基にした内容の映画を観てきました。この映画はナチスが台頭する時代に、たった一人でナチスに立ち向かった家具職人の生きざまを描いていました。起爆装置をひとりで作り、盗んだ爆薬を仕掛け、ヒトラーの演説会場を爆破させましたが、ヒトラーが13分早く演説を切り上げたため、計画が失敗に終わってしまったのでした。これはフィクションではなく、歴史の陰に隠れた事実を映画化したようです。家内は微妙な感想を洩らしていましたが、自分は面白いと感じました。詳しい感想は後日改めます。今日の制作は満足いくものではありませんでしたが、一日としてみれば充実した一日を過ごせました。明日は制作を頑張ります。

14‘RECORD10月・11月・12月分アップ

私のホームページに2014年のRECORD10月分~12月分をアップしました。この1年間の毎月のテーマはひとつの語彙ではなく文章の形式をとっていました。これがなかなか困難な制作状況を作り出し、イメージを広げるにもコトバを紡ぎだすにもテーマに縛られることが多かったと述懐しています。高校生の頃、詩作に憧れた自分がこの年齢になって詩的冒険をして、慣れない創作に苦しんだ結果でしたが、造形作品の方はある程度の深まりを示しているような気がしています。一日1点ずつ制作していく課題は、スケールの大小はあっても苦し紛れな状況は拭えず、このアップした3ヶ月も制作時の印象は鮮明です。10月は「縺れ絡まり滞る魂魄」というテーマでした。死者の魂が彷徨う発想は、ドイツの思想家シュタイナーから得たものです。人間の死後、生きた記憶を留めるものがあの世に存在するとした論理が、一時私を捉えていたのでした。真意はともかく創作活動の契機になりうると思っていました。11月は「覗き穴から凝視する宇宙」というテーマで制作しました。覗きカラクリが発想にあって、覗く行為を象徴化できないものかと考えていました。何か秘め事のような卑猥な世界と結びつくかもしれないと思っていましたが、造形作品にはそうしたエロスはついぞ登場しませんでした。12月は「甲冑が浮遊する場所」というテーマで制作しました。古い鎧兜を見て発想したものですが、写実表現はやめて、自分を覆っていたものが壊れて空中を浮遊するようなイメージにしました。今回ちょうど1年前のRECORDをホームページにアップしましたが、現在でもRECORDは継続しています。11月1日にカメラマンが来て、2015年10月31日までのRECORDを撮影しております。また近いうちに2015年のアップを行います。私のホームページを見ていただけるなら、このNOTEの左上にある本サイトをクリックすると入れます。それからRECORDを選んでクリックすれば、今回アップした10月分~12月分のRECORD画像が出てきます。ご高覧いただけると幸いです。

世田谷の「フリオ・ゴンザレス展」

先日、東京の世田谷美術館で開催中の「フリオ・ゴンザレス展」に行ってきました。スペインの彫刻家フリオ・ゴンザレスは、自分の中では未知の作家でした。飄々とした鉄の構成的な彫刻をポスターで見て、これを実際に見てみたいと思ったのでした。図録の年譜を見ると、ゴンザレスは1876年バルセロナに生まれて1942年にアルクイユで没しています。享年65歳。19世紀末から20世紀初頭に生きた彫刻家だったわけです。同郷故かピカソとの交友関係が頻繁で、ゴンザレスの芸術家としての刺激剤は、どうやらピカソだったと言っても過言ではありません。金工職人の家系だったため、金属の装飾を作って生活をしていたらしく、職人としての技量で多くの芸術家の技術的サポートをしていたようです。現代彫刻の父ブランクーシのブロンズ作品の研磨を手伝っていたことも図録にありました。ゴンザレスは最初画家を目指し、50代半ばに差し掛かったところで彫刻家になりました。鉄を素材に取り入れた彫刻は、新しい時代の幕開けとなり、その後に続く現代彫刻家に影響を与えています。ゴンザレスが残した連作の中で、とりわけ私は鉄の構成的な彫刻が気に入っています。鉄の棒を構成した「立つ人(大)」や鉄板を構成して空間を捉えた「アルルカン/ピエロ、あるいはコロンビーヌ」や「トランペット」やモニュメンタルな「ダフネ」が印象に残りました。鉄は重さがあると同時に、軽やかさが表現できる素材として、自分の憧れの素材のひとつです。錆が美しいと感じているところがあって、腐蝕され、やがて無くなっていく過程も自分の好きな要素です。そんな鉄に初めて着目して創作を展開したフリオ・ゴンザレスという彫刻家の足跡は、極めて大きかったと認識しました。

充分な睡眠がとれる幸福

毎日ほとんど決まった時間に就寝できるのは、仕事の関係からしても自分は幸福な一人と言えそうです。さまざまな悩みを抱える職場なら、立場上眠れない日々もあるよと先輩管理職から言われたことがあるからです。時折自分も課題に向き合ったり、人事面での困難を感じるときは眠れない夜もありますが、現在の職場は市全体からすれば緊張による負担が少ない職場ではないかと思っています。自分は職場から自宅に戻ると、RECORD制作とNOTE(ブログ)の書き込みがあって、これは職場環境とは別世界なので、気分的には解放されます。睡魔に襲われるのは日付けが変わらないうちで、RECORDやNOTE(ブログ)が終わると、忽ち眠くなってきます。自然に逆らわず、そのまま就寝になり、翌朝6時までは充分睡眠がとれる幸福を味わいます。寝付きがよいのが自分の自慢で、どこでも眠れます。若い頃に東欧諸国、とりわけルーマニアを邦人紀行作家と旅をして、牧童を追いかけて山野を歩く生活をしたことがあります。木立の中に野宿した時でも、自分はよく眠れました。知人の紀行作家が羨望を込めて、「眠り王」と私をからかいましたが、どこでも睡眠がとれる特技は、神経を使う現職になっても大変有効です。睡眠中の私は夢を見ているのかもしれませんが、明け方に忘れています。フロイトの「夢解釈」に親しんでいるので、自分の夢を分析したいと思っているところですが、なかなか夢の残像を描けません。そこだけが残念ですが、充分な睡眠による健康管理はできているのではないかと自負しています。

「黄金町マリア」を読み始める

現在読んでいる「夢解釈」(フロイト著 金関猛訳 中央公論新社)をちょっと休んで、「黄金町マリア」(八木澤高明著 亜紀書房)を読み始めました。本書の副題に「橫浜黄金町 路上の娼婦たち」とあります。街の浄化に伴い、警察の摘発によって現在では娼婦の面影はありません。アートによるモダンな街作りが行われていて、黄金町は生まれ変わろうとしています。私はアートを支持する者として、そうした動きを歓迎する一人ですが、幼い頃に訪れた時に、たまたま遭遇した闇の雑踏にも一抹の郷愁を感じることもあります。風俗の中で自分が育っていれば話は別ですが、そうでないとしたら風俗を被写体にするのは勇気の要ることではないかと察します。外国人娼婦に正面切ってカメラを向けることは、余程親しい間柄になっていないと難しいと思うからです。ドキュメンタリーを専門にするカメラマンは、たとえば戦場の真っ直中であったり、社会問題への提起であったり、人が顔を背けてしまいがちな場面に出かけていって、カメラに収める行動をしています。歴史を正視するリアルな記録は、私たちの胸を打ちます。こうした風俗の記録も同じだと思っています。本書には数々の写真とともに撮影のエピソードが多くの頁を割いて書かれています。ひとつの街とそこで暮らす人に関わりを持ち、さまざまな生きざまを受け入れてきた周囲の雰囲気、清濁併せ持つ一見無秩序な状況の中に、人の逞しさが垣間見えます。今は昔、消えていった街の闇の部分、貧困の中で喘いでいた人たち、これも街の歴史のひとつであろうと思う次第です。

「夢の仕事」(d)(e)まとめ

「夢解釈」(フロイト著 金関猛訳 中央公論新社)第六章「夢の仕事」の(d)「描出可能性への顧慮」と(e)「事例ー夢における計算と言辞」のまとめを行います。「夢解釈」は事例に基づく考察が多く、そのつど夢の想念に関する論究を深くさせると同時に膨らませ、夢内容の解明を図っています。そのため、まとめにしたい箇所が随所に現れてきて、究極の一文が見つけにくいのです。単元毎のまとめでも、自分には総括する力量が足りず、また語彙も豊富ではないため、結局は引用に頼らざるを得ません。(d)「描出可能性への顧慮」の中で気を留めた箇所は「比喩的なものは夢において描出がなしうる。そして、たとえば新聞の政治論説をイラストで表すのがむずかしいのと同じように、夢の描出にとって抽象表現は困難だが、そうした場合にも比喩的なものはうまく適合する。」という一文です。これは全体のまとめにはならないと考えて、次の一文を付け加えます。「(夢の想念の夢内容への変化に関する要因)とは、夢が用いる特異な心的素材ーすなわち、たいていは視覚像ーによる描出可能性への顧慮である。本質的な夢の想念とのさまざまな副次的なつながりのうち、視覚的な描出を許容するつながりが優先される。そして、夢の仕事は、扱いにくい想念をまずたとえばある別の形式の言い回しに鋳造し直す。」さて、次に上げる(e)「事例ー夢における計算と言辞」でも事例が数多く紹介されています。単元固有の要素を文面から読み解けば、次の引用になるかなぁと思っています。「夢の仕事がその素材を、つまり夢の想念をどう扱うかーこれは夢に現れる数字や計算において示唆に富んだ現れ方をする。おまけに、夢の数字は迷信においてとりわけ予言的なものとされる。」

週末 小さな球体作り

今日は朝から工房に行って制作に没頭しました。平面的な新作に設置する10個の球体陶彫のうち、成形は8個完成し、そのうち3個に彫り込み加飾を施しました。球体陶彫は小さいので、彫り込み加飾に手間がかかりました。もともと粗土を使っているので、肌理の細かい彫り込みには向きませんが、小さめの木ベラを使って表面を削ったり、穴を空けたりしました。重宝している小さめの木ベラは、ウィーン国立美術アカデミーの工房で作ったものです。20代の頃、同校でメダルの浮き彫りを習った時に、助手から木材を与えられて手作りしました。他にも手製の道具がありましたが、今も使っているのはこの小さい木ベラだけです。30年以上も使っていることになります。すっかり手に馴染んでいて自分の身体の一部になっています。陶彫は仕上げに使うヘラがとても大切で、私は大小さまざまなヘラを持っています。ほとんどが栃木県益子の明智鉱業で購入したものです。薄い金属ベラで、湿った陶土の表面を撫でると、細かな罅割れが消えて滑らかになります。掻き出しベラは本来陶土を刳りぬくものですが、表面の僅かな凹凸を整えるのに役立ちます。そんな道具を駆使して作業していると時間が経つのを忘れます。彫り込み加飾は立体的興味は薄れますが、平面的な処理を取り込むことで、作品に装飾的な緊張感を齎せます。それは微妙な陰影を利用しながら全体としての立体を強調するものではないかと思っています。今日は装飾的で工芸的な作業に明け暮れた一日になり、肩が懲りました。来週も継続です。

週末 展覧会&お歳暮

やっと週末になったという気分ですが、今日は工房へは行かず、以前から見たかった展覧会と日頃お世話になっている方々にお歳暮を贈る用事に当てました。見たかった展覧会は東京世田谷区にある世田谷美術館で開催されている「フリオ・ゴンザレス展」でした。昨日は冬に珍しく大雨が降っていたのに、今日は朝から秋晴れになり、世田谷美術館のある砧公園は、銀杏の落ち葉が舗道を埋め尽くし、金色の絨毯のようでした。朝の光が絨毯にまだら模様を描いていて、その美しい情景が美術館へ続いていました。スペインの彫刻家フリオ・ゴンザレスの展覧会には「ピカソに鉄彫刻を教えた男」という副題がついていました。20世紀が始まったばかりの美術界、そこにピカソがいて、一方でブランクーシがいました。この20世紀を代表する巨匠たちを手伝い、また鉄の立体造形を教えた人がゴンザレスでした。巨匠の影に隠れてしまった技巧派作家、でも前衛を体現したゴンザレスは、自らも作品を作り、後世の彫刻家に多大な影響を及ぼしたのでした。美術館に入って最初の空間に展示されていた「ダフネ」と題された鉄の彫刻は、その颯爽として面白みのある造形で鑑賞者を魅了していました。詳しい感想は後日に改めます。次に向かったのが横浜駅近隣のギャラリーで開催していた「絵本展」でした。工房に来ている中国籍アーティストが出品しているので見てきました。彼女を含めて10人の作家が出品していましたが、なかなかの水準で力作が揃っていました。彼女の絵本作品は「水」をテーマにしたもので、日本語と中国語の詩が散りばめられていました。中国の京劇を線描した連作も、絵本に仕立てられ見応えがありました。自国の文化を大切にしている彼女を今後も応援していきたいと思います。最後に横浜駅のデパートで師匠や親戚宅にお歳暮を贈りました。この時期は大変な混みようで、かなり待たされましたが、我が家の恒例行事になっているので、これは仕方ないと思っています。明日は制作です。今日の遅れを取り戻すべく頑張ろうと思います。

映画「草原の実験」について

ロシア映画「草原の実験」は衝撃作として国際映画祭で数々の賞を受けました。ラストに襲いかかる衝撃があるからこそ成り立つドラマであることには違いありませんが、そこまでに至る穏やかで繊細な心理を反映した物語は、その細かな情景で私を魅了し続けました。大草原に立つ一軒の小さな家、そこで暮らす父と少女、毎日どこかへ働きに出かける父を見送る少女、彼女に仄かな恋心を抱く幼なじみの少年、そこに現れた凛々しい瞳をもつもう一人の少年、清楚で美しい少女を巡る三角関係、全編を通して台詞はありません。関係が近ければ意思の疎通に必要な言葉は要らなくなると確信するほど、各人の表情が豊かで雄弁に物語を語っています。私は少女の自然な振る舞いに引き込まれました。14歳の大人とも子どもともとれない微妙な年齢と朴訥な仕草、美しい容姿に何かを含んだ表情、これはプロの女優ではないなぁと直感しましたが、編集によって素の表情を繋ぎ合わせたことをパンフレットで知って、ひとつの映像表現を得るためのスタッフの見えざる努力が理解できました。そうした美しい風景の中に展開する些細なドラマを全てひっくり返すのはエンディングですが、その不穏な捨石が映画の随所に用意されていました。父が大雨に打たれながら家の外で裸にされ、武装した男たちに探知機で執拗に調べあげられるシーンや、父が亡くなり家を出て行く少女の前に立ちはだかる有刺鉄線、これは何を意味しているのでしょうか。旧ソ連は1949年から89年まで468回の核実験を行い、住民への避難勧告がなされなかった事実があります。そんな背景を通して、この映画が伝えたかった現実が浮かび上がってきます。この映画は決して牧歌的なものではなく、残り数分に主張の全てを盛り込んだ映画だったと思っています。

橫浜下町に関する記憶

私がまだ幼かった頃、父に連れられて現在の橫浜市中区の伊勢佐木町や黄金町に行った記憶があります。1960年初めの頃は、戦後の闇市の名残があって、傷痍軍人が筵の上で御国のためにしてきたことを訴え、日銭を得ている情景があちらこちらで見受けられました。娼婦もいたかもしれず、漠然とした街の怖ろしさが子どもの目にも焼きつきました。一方、伊勢佐木町には百貨店や洋菓子の不二屋があって、キラキラした街の光に私の心も高まりました。私が生まれた旭区(当時は保土ヶ谷区)は田畑が広がる農村地帯で、時折出かけた中区はまさに都会だったのでした。現在の黄金町は、アートによる街作りが進んでますが、私は記憶のどこかに昔の街の佇まいを留めていて、日雇いの酔っ払いが路上で寝ていたり、出稼ぎで来日している外国人女性の姿がありました。実は横浜市の公務員になったばかりの頃に、中区から南区に続く大岡川界隈にある職場に勤めていました。30年前の当時も幼い頃遭遇した街の景色と大きな違いはありませんでした。街が明らかに変わってきたのは、ここ最近のことです。若葉町にあるシネマジャック&ベティは1952年に出来た横浜東映名画座が前身ですが、上映される映画に興味があって、よく夕方に出かけます。現在シネマの待合室で写真展が開催されています。八木澤高明写真展「黄金町 過去・現在 写真因果経」というもので、外国人娼婦を追ったドキュメンタリーです。写真家八木澤高明氏には「黄金町マリア」という著作があります。近々読んでみようと思っています。街の風紀が変わり、浄化されることを横浜市民として歓迎しますが、その一方で人間臭さが失われることもあります。かつての記憶を何かのカタチで留めておきたいものです。

作品の題名に纏わること

そろそろ新作に題名をつけなければ不便を感じるようになりました。作品にとって題名とは何か、各作家によって見解はさまざまですが、自分はイメージした原点に戻り、可能な限り簡潔なコトバを選んでいます。時には造語にして作品のイメージが伝えられるようにしています。自分が関心のある作家の題名を考えると、哲学的思索の表明や過去在住した西欧への望郷、宗教の寓話から得たエピソード等があって、作品と作者の関係性が見えてきます。例えば若林奮先生。自分と対象物の間にある関係を「振動尺」という独自の計測器で捉えて作品化しています。空間に対する一種の哲学です。次に保田春彦先生。「階段のある広場」は、保田先生が昔住んだイタリアの古い都市を抽象化したもので、これは西欧の都市構造に対する彫刻的解釈と言えます。かつての時間を取り戻すような望郷の念も感じさせます。最後に池田宗弘先生。「ドンキホーテ」は、スペインの寓話を一部切り取って、人物や馬を巧みに組み合わせ、軽妙洒脱な風刺画のような彫刻を作っています。池田先生にはキリスト教徒が巡礼路を歩く旅人のシリーズがあって、文学性と宗教性に裏打ちされた世界観が題名に表されている作品が少なくありません。そんな題名にどんな関わりを持たせるのかは、作家本人の考え方が反映しています。題名をナンバーのみにして、敢えてコトバを持ち込まない作家がいます。その逆もあって題名に作品の真意を語らせる作家もいます。謎めいた題名は何を意味するのか、そんなことをあれこれ考えるのも愉快です。しかしながら私は自作の題名には、やはり何の思索的意図をせずに簡潔さを求めていくことにしたいと考えます。近いうちに題名をつけていかなければならないと思っています。

年末の雑務あれこれ

職場では、この時期に何をしているのか記録をとっているので、仕事に関しては申し分ありませんが、プライベートなことになるとうっかりしていることが多く、このNOTE(ブログ)が日記の役割をしていると考えています。NOTE(ブログ)を読んでいただいている人にとっては退屈な話題ですが、年末の雑務を記録しておこうと思います。毎年やっていることは母の介護関係の支払いと陶土の支払いです。陶土では毎年こんなに費用がかかったっけ?と思うほどで、家計を圧迫していると感じています。彫刻の材料代はバカになりません。加えて年賀状の印刷代があります。RECORDを1点持っていって郵便局に印刷をお願いしてきます。先月のRECORDのテーマ「獣」のうち、来年の干支である猿を描いた作品を選びました。今年は工房のロフト工事をやったので、その費用もあります。これは貯蓄の中から捻出しますが、見積もりよりほんの少し高い請求がきています。あまり高いと契約と違うと言いたくなるところを、いい具合に高くしてあって、なかなかやる業者だなぁと思っています。私や家内が時間を見つけて銀行や郵便局に行きます。これで何とか年を越せるのかなぁと思いながら、最後に師匠宅や親戚宅にお歳暮を贈らねばならないと思っているところです。デパートで贈り物をするついでに、展覧会や映画にも行こうかと家内と相談しています。つまらないことをあれこれ書きましたが、来年このNOTE(ブログ)を見て、この時期の雑務がわかるので私には有効な記録なのです。

筋肉の衰えを認めたくない自分

今年になって最初は左肩、次いで右肩に痛みを感じ、整形外科医院に行ったところ、典型的な五十肩と診断されました。少し前まで腕を捻ることや肩から上にあげることも痛くて容易にできませんでした。今でも湿布薬を肩に貼っています。陶彫制作で必要な成形や彫り込み加飾は問題ないものの、土練りをする時は辛く感じています。これは五十肩のせいで休んでいるスポーツの影響で、明らかに筋肉が落ちているのではないかと疑っているのです。先日搬入された陶土600㎏ですが、20㎏ずつビニールで梱包されています。業者と一緒に陶土をガレージから工房内に運ぶ時に、おや?と気づきました。20㎏がとても重く感じたのです。その後に続く土練りでも腕に力が入らなくて、菊練りも小分けにして行いました。私は一度に40㎏の陶土を土練機で数種混ぜ合わせ、その後に菊練りをしてビニールに包んでおくのです。この日はいつもと違って妙に疲れました。筋肉の衰えなのか?と自分に問いかけて、いや、それはないだろうと首を横に振りました。それでも一刻も早く五十肩が直ったら、スポーツ施設に通って筋肉トレーニングや水泳を始めなくてはならないと自分に言い聞かせているところです。

週末 シュトレンを買いに行った日

シュトレンとはクリスマス時期に売られるドイツの伝統的な菓子パンのことです。1980年から5年間オーストリアで暮らした自分は、何かの機会でシュトレンの存在を知り、大好物になりました。ちょうどその頃、洋菓子作りの修行にきていた日本人と知り合いました。彼は帰国後、郷里である神奈川県川崎市中野島で洋菓子店を始めました。彼の店「マリアツェル」は地元で有名になり、シュトレンを売り出すようになりました。自分は最近日本でも手に入るようになったシュトレンを食べ比べていましたが、ついに「マリアツェル」のシュトレンが一番美味しいのではないかという結論に達し、今年も「マリアツェル」にシュトレンを買いに行きました。パテシェの友人は自作のシュトレンをドイツのドレスデンに持って行ったそうですが、ビールの純粋令と同じく商品登録をされているドレスナーシュトレンにも材料の分量指定があって、日本のそれは認めてもらえなかったと言っていました。でも、昔ドイツで食べたパサついたシュトレンよりも、彼のシュトレンの方が断然美味しいのは確かです。ドライフルーツやナッツ、マジパンがどっさり入っていて、日を追うごとに果実とパン生地が融合されて美味しくなるのです。シュトレンとは坑道とか地下道の意味ですが、幼子イエスを包むおくるみのようなカタチをしているとも言われていて、白い砂糖で覆われた楕円形をしています。薄く切って紅茶と食べると幸せな気分になります。今日は朝から工房にいて、球体陶彫の成形を3点終わらせました。夕方、「マリアツェル」に行こうと家内と約束をしていたので、制作に気合が入りました。買ってきたシュトレンは、親しい人に御裾分けをして、残りは自宅で楽しみます。