ワイドスクリーンの浮世絵師

浮世絵師歌川国芳は、魑魅魍魎が跋扈する世界を巨大な版画で表現した人で、現在読んでいる「奇想の系譜」(辻 惟雄著 筑摩書房)のラストを飾っています。「国芳の創意は、ここで、三枚続きの画面の構図法に革命をもたらす。従来の三枚続きには、一枚刷りの組合わせという意識があって、それぞれ一枚が、独立して鑑賞できるように工夫されており、構図の全体的統一性が稀薄であった。これに対し国芳は、三枚続きの画面全体を、完全に一個のワイドスクリーンとして意識し、思い切った独創的構図をそこに展開する。もっとも特徴的なのは、怪魚や妖怪のクローズアップによる衝撃的な効果を狙った作品である。」私が嘗て見た作品がまさに文中にあるもので、怪魚が三枚の版木に大きく彫られ、極彩色に彩られた凄まじいものでした。葛飾北斎の構図にも奇想天外なものがありますが、北斎はあまりにも有名になって驚くに値しなくなっているため、最近発掘された国芳の方が衝撃度が強かったというわけです。国芳のギャク系面白世界にもうひとつ加えるとすれば、アルチンボイドのような合成された顔のシリーズがあります。西欧画が日本に入ってきた時代だったので、それを翻案し取り入れたのでしょうか。国芳は社会風刺にも関心があって、今でいう週刊誌のような「売り」を狙った作品もあったようです。文中から引用いたします。「江戸町人の人気を至上とする浮世絵師にとって、魅力的ではあるが避けたほうが安全なレパートリーに、武者絵や故事、風俗に託して政治風刺をする〈さとり絵(判じ絵)〉の分野がある。当局の目にとまらない程度に表現をぼかし、しかも買う人にはすぐ察しがつくようにしておくという、綱渡りにも似たこの仕事が、いかに危険な賭けであったかは、寛政の歌麿の投獄などの先例が示すとおりなのだが、幕藩体制崩壊も目前にせまり、ようやく騒然としてきた世相のなかで、日ましに高まる庶民の武家政治への不信の代弁者を買って出たのがほかならぬ国芳だったらしい。らしいというのは、彼が、事実上この仕事にコミットしながら、巧妙に振舞って、結局牢屋入りを免れているからである。」

鳥獣悪戯について

江戸時代の絵師長沢蘆雪は、無量寺の襖にある虎図が有名で、この襖三面に大きく描かれた型破りな虎は、一目見ると忘れられない印象を残します。私はこの漫画のような可愛らしい虎が、当初好みに合わず、これは虎と言うより猫ではないかと思っていました。現在職場でとつおいつ読んでいる「奇想の系譜」(辻 惟雄著 筑摩書房)によると「『蘆雪が虎を描こうとして描けなかったとは思われない。松江市西光寺、奈良薬師寺などに精悍な虎図を見るからである。筆者は皮肉な蘆雪が胸中ひそかに戯気を描いて巨大な猫を描いたのではないかとさえ想像する』という山川武氏の見解に同意したい。」とありました。事実、長沢蘆雪の描いた他の絵には目を見張るものが多いと感じます。著書の中でこんな文章に注目しました。「酷評すれば、師応挙の亜流であることをいさぎよしとせず、種々奇想をこらしてそれからの脱出を終生心がけながら、師の画風をあまりにも完璧に身につけすぎた器用さが仇となって、結局のところ、応挙という〈水〉を離れることはできなかったようであるし、晩年のグロテスクへの傾倒も、蕭白というその道の天才の後とあっては、しょせん二番煎じを免れなかったといえそうである。しかしながら、蘆雪の面目は、何といっても、南紀での諸作に最もよく発揮されたような、大画面を縦横自在に馳せめぐる線描の達人としての水際立った腕前にあり、この点、『鳥獣戯画』や『将軍塚絵巻』以来の、線の芸術としての日本絵画の伝統を、十八世紀上方の庶民的な世界に再現した画家として評価されるべきかもしれない。」長沢蘆雪の生きざまが垣間見れるようで楽しい感想を持ちました。

「カラーアトラス」とは何か?

渋谷にあるBunkamuraザ・ミュージアムで「オットー・ネーベル展」を見てきた折に、不思議な色見本のようなスケッチブックが展示されていました。混色した色彩が大小の矩形で塗られた作品は、色彩計画のようであり、図式化された抽象絵画のようでもありました。「カラーアトラス」と題されたメモのような作品に私は惹かれてしまいました。図録の文章を引用します。「首都(ローマ)をひと通り探索した後、ネーベルは1931年10月26日、『明日から、まずイタリアの色彩の計画的な採集にとりかかるつもりだ』と決意を記している。こうしてネーベルが『忘備録』とも呼んでいる『イタリアのカラーアトラス(色彩地図帳)』という貴重な図鑑が成立した。~略~ネーベルがしばしば、色彩は『外的世界における内面の対応物』であると主張するとき、カンディンスキーほど色彩を純粋な顔料から分離させて考えていないにしても、色彩の造形的可能性についての彼のヴィジョンは色彩画の歴史の重要な一部をなしていると言える。~略~風景の中である色彩の量が多ければ多いほど、またある『響き』が際立てば際立つほど、幾何学的な形や色彩の面は大きく描かれている。全体の印象で重要度の低い色彩は小さく描かれ、支配的な色彩は大きく描かれた。彼はある風景や特定の部分を眺めたときに呼び覚まされた『響き』の数を書き、場所だけではなく時間帯や、その響きの『肖像』を描いた対象物ー家の壁や漁船、オリーブや松の林、山脈や海岸などーの名を記した。」(T・バッタチャルヤ=シュテットラー著)「カラーアトラス」は色彩画を描くための尺度になるもので、その対象から離れて、カタログを作るように色彩だけを印象としてまとめたものでした。絵画が非対象になっていく過程で、様々な試行があったことが伺える展示でした。

週末 大型ストーブの設置

最近はめっきり寒くなってきました。工房は倉庫建築のため内壁がありません。室内は外気とほとんど変わらない温度で、辛うじて雨風が陵げる屋根がついている簡単なものです。夏は暑く冬は寒いという自然に近い環境にあります。朝から工房で作業をしていたところ、寒さに耐えられず、今日から大型ストーブを設置しました。大型ストーブと言っても家電量販店で売っている一番大きな石油ストーブで、工房の広さから言えば頼りない限りです。ストーブが無いよりマシという程度ですが、手を温めるのにはちょうどいいのです。自宅の暖房器具は電気やガスに代わっていて、ガソリンスタンドで灯油を買うこともなくなりました。工房のストーブだけが今だに灯油が必要なので、今度ガソリンスタンドに立ち寄るときは灯油用ポリタンクを用意しようと思います。今日から久しぶりに陶彫成形を行いました。成形は立体を造形していくので、彫刻的な仕事と言え、制作工程の中で自分には一番面白い作業です。大き目のタタラを前日に準備していますが、それで補いきれない部分は紐作りでやっています。陶土の強度を保つため裏側から補強するのも紐状の陶土です。何とか一日で成形を1点終わらせて、昨日仕上げた陶彫部品の窯入れを夕方行いました。日曜日は昼頃に近隣のスポーツ施設に出かけて水中歩行をしてきます。今日も成形の途中に時間を決めて行ってきました。週末たっぷり制作をすると何とも言えない疲労に襲われます。充実感はありますが、翌日からの勤務が心配になるほどです。

週末 陶彫成形の再開

今日は朝から工房に篭りました。今月予定している陶彫部品の仕上げと化粧掛けを午前中行いました。午前中だけで仕上げと化粧掛けが4点出来ました。これはかなり上出来な成果です。午後は一週間前に土錬機の試運転をやって、混合した陶土が既に出来上がっているので、久しぶりに成形を再開することにしました。座布団大のタタラを6枚作ってビニールで覆いました。明日は中断している陶彫の床を這う根を作ることにします。タタラを掌で叩いて作っている途中で休憩を取っていたら、工房に来ていた中国籍のスタッフから声をかけられました。以前と違って頻繁に休憩を取る私を気遣ってくれたのでした。ウィークディをフルタイムで働いているせいか、土曜日は疲労が残っているのです。大丈夫ですか?と問われて、平気だよと答えたものの、やはり加齢のせいかなぁと思い返して情けなくなりました。先週、平塚美術館で見た日本画家片岡球子の年齢を感じさせない絢爛たる作品群を思い出し、自分に活を入れました。新作はまだまだ先が見えない状態なので、年末に向ってここから佳境に入ります。まだタイトルも決まっていない新作ですが、そろそろ頑張りどころです。まとまって休みが取れる12月の休庁期間を一区切りと考え、ここまでにどのくらい進められるのか、先を見通しながらやっていきたいと思っています。夕方、スタッフを駅まで車で送りました。年末年始は中国に帰ると言っていた彼女でしたが、長く休まないようです。正月早々仕事があって、日本語を忘れるわけにはいかないというのが短期休暇の理由だそうです。外国である日本で、日本人に混じって遜色なく頑張っているスタッフにも元気をもらえた気がしています。

「人と出会ってしまうから…」作品雑感

先日、見に行った平塚市美術館で開催中の「神山明・濱田樹里展」で、注目した作品を取り上げて感想を述べたいと思います。「人と出会ってしまうから 街へ行ってはいけない 約束を忘れてしまうから 夢を見てはいけない」という長い題名がついた神山明の木材による彫刻作品が、会場入口近くに設置されていました。これは文学性や抒情性に富む遮断された世界なのか、人類の記憶とも言える壮大な世界なのか、そのどちらとも取れる要素があって私はその内省的な世界観に忽ち魅了されました。素材はオイルステインを滲み込ませた杉材で、その茶褐色の肌合いは懐かしさを感じさせるものです。全体としては無機質で抽象的な風景を作っていますが、決して硬質な印象ではなく古木を精密加工したような雰囲気を持っています。それを伝える図録の文章があります。「『宇宙基地』という明るい未来のイメージとも相反して、ある意味シニカルで心理的な『大人』のドールハウスのようである。その陰は、レンブラントやフェルメールの描くそれのようでもあり、どこか違うウエットな、日本的な陰のようである。~略~大小の台が自らの棲み処と人の集う街が象徴され、危うい橋でつながれている。」(勝山滋著)つまりこれは架空都市をイメージしたテーブル彫刻なのです。謎めいた題名は何を意味しているのか、作者の個人的な思いから紡ぎ出されたコトバなのか、定かではありません。もうひとつ、神山作品の出発がデザイン(図学)にあったことが、自分の作品との比較で判ったような気がしています。それはエスキース段階での設計が可能かどうかによるものかなぁと思っていますが、断言はできません。神山作品を見て、自分のことをあれこれ考え、様々な思いが頭を過ったことだけは確かです。

平塚の「片岡球子 面構展」

日本画家片岡球子は豪快な作風で知られた巨匠です。享年103歳の大往生を羨ましく思っています。自分もその年齢まで創作活動が出来たらいいなぁと思います。先日出かけた平塚市美術館で「片岡球子 面構展」を開催していたので見てきました。自分にはどれも見慣れた作品でしたが、1961年作「幻想」を見て、改めて絢爛たる迫力を感じました。図録には「画面右の人物は、端麗な容姿を隠し、獰猛な面を付けて戦に臨んだという『蘭陵王』をあらわすもので、龍の面と勇壮な装束で描かれている。左は舞曲『環城楽』の舞人であり、奇怪な面を付け、右手にバチを握っている。『環城楽』は『見蛇楽』から転じたものといい、一説によると、蛇を好んで食べる西域の人が、蛇を見つけ喜ぶさまをあらわしている。」とありました。宮内庁楽部に通ってスケッチをした作家の思いが伝わる秀作だろうと思います。「面構シリーズ」は歴史上の人物の相貌の面白さもさることながら、服装の文様が美しいと私は思っていて、画面に引き込まれる要素になっています。型に嵌らないのが片岡球子流ですが、創作でクヨクヨ悩んだ時に見ると、ハッとする潔さを持っているため、自分には有効な刺激剤になるのです。片岡球子は教職との二足の草鞋生活を送ったことも知られています。「面構シリーズ」が始まったのが61歳、まさに現在の私の年齢です。ここから始まった代表作のシリーズとなれば、私にだって今後の展開があってもいいはずです。「片岡球子 面構展」は元気がもらえた展覧会でした。

平塚の「神山明・濱田樹里展」

先日、平塚市美術館で開催している「神山明・濱田樹里展」を見てきました。前のNOTE(ブログ)に書きましたが、既に逝去された彫刻家神山明の杉材を使った作品に、私は言いしれぬ思い入れを抱いています。木材が時代を経て古くなっていくことに私たちは懐かしさを感じます。架空都市のような舞台装置のような造形が、あたかも古代遺跡のように存在している彫刻群に囲まれていると、木材による不思議な温もりを感じずにはいられません。図録にこんな一文がありました。「神山芸術は、当初作品に自分自身や個々の人間を込め、後年は究極的に人と人の関係性や記憶を想起させるものへと昇華していったといえるであろう。こうして神山は、自らの作品が西洋的な彫刻の視点でみられることを是としながらも、その向こうにある、関係した記憶や人によって異なる物語ーそこへいくための装置なのだと結論付けるにいたる。」(勝山滋著)神山ワールドについては、後日もう一度取り上げたいと思っています。もうひとりの芸術家濱田樹里は、内省的な神山明とは正反対の表現を携えた画家なのではないかと思いました。壁を覆う巨大な横長の画面に、縦横に色彩が放出され、その爆発的なパワーはどこからくるのだろうと思わせる表現で、観る人を圧倒する力を秘めていました。インドネシア生まれの経歴を持つことがこの作家の方向性を決めていると、彼女の経歴を見て思いました。図録に平塚美術館の館長との対談が掲載されていて、本人の言葉がそれを物語っていました。「私の場合、東南アジアで生まれ育ち、ふたつの国を行き来した時期がありました。その事が自分のルーツを考えるきっかけになったのだと思います。美術の道に進んだ時に、日本の風土のなかで生まれた絵画的な技術とアジアの中の日本的な感性を持った自分のルーツが重なり合うことで将来のテーマになる予感がしました。」(濱田樹里の言葉)2人の造形作家の表現の相違と、それによる化学反応がお互いの存在感を高めていると感じ、この企画は刺激的で面白いなぁと思いました。

16’RECORD10月・11月・12月分アップ

今月の3日(金)にカメラマン2人が工房に来て、RECORD1年間分の撮影をしていきました。一日1点ずつ制作をしているRECORDはポストカード大の平面作品で、日々の蓄積をひとつの表現としているところがあります。作品にRECORD(記録)という総称をつけているのもそのためです。日記のように小さな作品を毎晩作り続けること、習慣としてやっていく行為、自己イメージの拡大を図る挑戦、病に倒れている時も旅行に出ている時も日々制作を行うノルマを自分に課すこと、これがRECORDの本領です。もう10年もそうして継続していますが、ゴールは敢えて作りません。今のところRECORDの発表はホームページに限られていて、オリジナル作品の展示は考えていません。しかしながらこの10年分の展示が出来たら、どんな感じになるのだろうと思いを巡らせています。今回ホームページのRECORDのページに2016年の10月から12月までの3か月分をアップいたしました。2016年はひらがな4文字を使ったテーマでやっていました。それぞれ月毎の作品の最後にコトバをつけています。コトバは解説ではありません。私としては詩のようなコトバを搾り出しているのですが、どうでしょうか。RECORDのページを見るには左上にある本サイトをクリックしてください。ホームページの扉が表示されますので、RECORDをクリックしていただければ、そのページに入れます。ご高覧いただければ幸いです。

11月RECORDは「ひねる」

今年はひらがな3文字を月々のテーマにしています。テーマの考案が難しいなぁと思っていましたが、今年も残すところ2か月になりました。RECORDは一日1点ずつ制作していく小さな平面作品です。文字通り作品は、その日のRECORD(記録)というわけです。週末は陶彫制作に明け暮れ、また展覧会に頻繁に通っているので、その思いだけで胸一杯になり、ウィークディの夜のRECORD制作が気分的に厳しい状態です。下書きだけは睡魔と闘いながら必死でやっていますが、その下書きさえ何を描こうとしたのか判明しない日もあります。展覧会で見た作品に刺激を受けて、こんなものをRECORDで試してみようと思っても、なかなか実験が出来ず、定番なスケッチになってしまうこともあります。今月のテーマとした「ひねる」は、過去のRECORDで度々登場するテーマで、新鮮味に欠けるかなぁと思っているところです。それでも捻った状況の対象や非対象を表現したいと考えていて、イメージを巡らせています。10年もRECORDをやっていて、イメージの枯渇を常に怖れていますが、時折定番の絵柄や全体的に緩慢になることがあっても、忘れた頃にふと良いものが出来て満足してしまうことがあります。それはどういう瞬間なのか、自分でも解明できません。創作は力んでも慣れでやってもうまくいかず、作るというより何かが生まれてくる感覚です。その日の体調もあるのかもしれません。しかしながら体調不良と自分で感じていても、絵筆を握ると不思議とうまくいくことがあります。創作を制御できないのが本音です。そんな気難しくて面白いものが他にあるでしょうか。今月も何かを探りながら頑張っていきたいと思います。

週末 土錬機の試運転

今日のタイトルに「土錬機の試運転」と書きましたが、実際に試運転をしたのは1時間半程度で、今日の作業のほとんどは陶彫部品の仕上げと化粧掛けに費やしました。土錬機のモーターに不具合が出て、新しい土錬機を注文したのが先月でした。滋賀県の信楽町から届くのは、もう少し先のことだと思っていましたが、昨日工房に搬送されてきました。今月は既に予定を変更して、乾燥した陶彫部品の仕上げと化粧掛け、そして窯入れを計画しているのです。今日も予定した通りの作業を進めていました。新しい土錬機が届いたので、どうしても試運転がしたくなり、急遽土練りをしてみました。20数年前に購入した古い土錬機と同じ品番の土錬機でしたが、家電と同じく使い易さを追求している会社の姿勢があるらしく、新しい土錬機は使い勝手の良いものになっていました。土錬機の上面の陶土を入れる口が広くなっていて、大き目の塊を放り込むことが可能でした。筒内で回転するプロペラも良好で、完全に混ざり合った状態の陶土が出てくるので、複種の陶土を割合を決めて混ぜていた自分にとって、気を使わず速やかに混合土が出来て楽しくなりました。午後の時間を充てていた自分は拍子抜けをするほど作業が早く終わりました。今日は朝から陶彫部品の仕上げと化粧掛けに時間をかけていて、夕方にそれを窯に入れる準備をしていました。昼に近くのスポーツ施設に行って水中歩行を1時間程度やってきました。先週から再開したプールですが、今日はビート版を使ったキックを取り入れました。まだ泳げるところまではいきませんが、少しずつ水泳の感覚を取り戻そうと思っています。午後の土錬機の試運転は思った以上にうまくいったので、今日は早めに自宅に帰ってきました。今後の制作目標をどうしようか、土錬機がきたので成形をやっていこうか考えました。次は陶土が足りなくなっていることが分かり、栃木県の益子町に注文しなければならないなぁと思いました。

週末 美術展&土錬機搬送

週末になりました。今月に入って週末ごとに展覧会に足を運んでいます。今日は特別な思い入れがあって、家内を連れて平塚市美術館に行ってきました。朝9時に自宅を出て、車で東名高速と圏央道を通って1時間弱で平塚市美術館に到着しました。思い入れと言うのは「神山明・濱田樹里展」に出品されていた神山ワールドに接するためで、私は過去2回ほど神山明氏の木による彫刻を見ています。船の甲板のような台座に都市を模した装置が広がる世界は、忽ち私を虜にしたのでした。失礼ながら私は神山氏を年下と思い込んでいて、もし作家本人と会える機会があれば話がしたいなぁと思っていました。自分は陶彫によって架空都市を作っているので、身勝手ながら神山氏を意識していたのでした。大きな企画展に招待されている神山氏を羨ましいとさえ思っていました。展覧会を見て、彼は私より3歳年上で、しかも5年前に逝去されていることを知って、声が出ないほど衝撃を受けました。享年59歳は彫刻家としては若すぎます。今後の展開に期待していたのに残念でなりません。そんな複雑な思いが交差する中で「神山明・濱田樹里展」をじっくり見てきました。隣の部屋では「片岡球子 面構展」を開催していたので、併せてこれも見てきました。展覧会の詳しい感想は後日改めます。午後、工房に帰ってくると、業者が新しい土錬機を携えてやってきました。土錬機は重量があるので、数人がかりで工房に運び込んできました。ついでに古い土錬機を引き取ってもらいました。土錬機が早めに工房に来たおかげで、また陶彫成形が始められそうです。明日は乾燥した部品の仕上げと化粧掛けをした後で、土錬機の試運転をしようと思っています。

渋谷の「オットー・ネーベル展」

先日、渋谷にあるBunkamuraザ・ミュージアムで「オットー・ネーベル展」を見てきました。ネーベルは私には馴染みがない画家でしたが、彼が生きた時代や国を考えると、私自身が今まで興味関心をもって調べてきたことと合致する背景があったので、どうしても展覧会を見てみたかったのでした。期待は裏切られず、ネーベルを含む多くの作品や資料によって、20世紀初頭のドイツに興った現代美術の潮流を肌で感じることが出来ました。画家であり文筆家であり、また俳優でもあったオットー・ネーベルは1892年にベルリンで生まれています。最初は建築技師としての教育を受け、続いて演劇学校で俳優としての養成を受けていました。第一次世界大戦で従軍したネーベルは収容所で芸術活動を活発化させていきます。図録にネーベルの言葉が掲載されていました。「そうだ、私は迷うことなく、そして新たな強制的状況による様々な障壁にもかかわらず、外面的には収容所の規則によって拘束された形で、厳格に意味を追求する創造的な生を送り始めた。静かな夜に熟睡した後に、私は素描し、文を書き、色彩画を描いた。」(S・ビフィガー著)そんなことが契機になってネーベルは、作品世界を広げていきます。時代背景としてネーベルが5歳の時に、クリムトがウィーン分離派を設立し、27歳の時にバウハウスが設立されています。この時代は、画家として先輩だったカンディンスキーやクレーが活躍し、非対象絵画が産声を上げた時期だったのです。41歳の時にヒトラーが政権掌握し、第二次世界大戦が勃発して、ネーベルは亡命を余儀なくされ、スイスに逃げていくことになります。ネーベルは終戦後も生き続け、81歳でその生涯を閉じました。ネーベルが残した資料に「カラーアトラス」と称する色彩地図帳があります。私はこれに注目しました。「カラーアトラス」に関しては、後日改めて書こうと思っています。

「歩行」と「ユニット・オブジェ」

東京虎ノ門にある菊池寛実 智美術館で開催している「八木一夫と清水九兵衛 陶芸と彫刻のあいだで」展で、私は2人の巨匠のうちそれぞれ1点ずつの作品を選んで感想を述べたいと思います。まず八木一夫は「歩行」です。バランスが悪くて立たないのか、作品は壁に沿って置いてありました。「歩行」はいくつかのカタチを組み合わせたレリーフという按配です。自分が作り続けている「発掘シリーズ」に近い作風があって、とても親近感を持ちました。ただし、同作品は人体を抽象化するまでデフォルメしていて、有機的な彫り込みや突起物があって、ユーモラスな感じです。八木一夫の代表作「ザムザ氏の散歩」にも見られる傾向ですが、表情を持った陶彫が歩き出しそうな仕草をしています。あたかも幼児が立ち上がってヨチヨチ歩きをしたような印象です。抽象形態なのに、何かホッとするような温かさを感じるのは、陶芸という手作業から作り出されたものだからでしょうか。八木一夫の作品にはスペインの画家ミロのような奔放な線描が施してあるものがあって、心が解放される楽しさが漲っています。幾何抽象に近づいていても決して冷たくならない要素があるのです。清水九兵衛は対照的な作家です。私は最初に見たのがステンレスの彫刻だったためか、設計された造形という要素が強く、鋭利な抽象形態を頭に思い浮かべます。美術館に並べられた作品では「ユニット・オブジェ」に注目しました。八木一夫と同じ陶芸なのに、手作業を突き放していてシャープに土を扱おうとしています。「ユニット・オブジェ」には一輪挿という別のタイトルがつけられていて、それがなければ用途には気がつかない造形です。16個の展開があって、縦横に並べられていると、自分の集合彫刻と同じ雰囲気を醸し出していると思いました。同じ形態が少しずつカタチを変えているのを見るのは、私は感覚的に大好きで、時間を忘れて作品の前に佇んでしまいます。清水九兵衛は7代目六兵衛として陶芸界でも活躍されたようですが、私にはどうしても簡素で力強いステンレスを扱う彫刻家の方がしっくりするのです。最初の図版での出会いが衝撃的だったせいかもしれません。野外で空を映し出し、光に反射するシンプルな現代彫刻、私は10代でそれを見て、都市の中に置かれる彫刻の可能性を感じたのでした。当時はまさか自分が陶彫をやるとは思いもせずに、清水九兵衛の野外彫刻を眺めていました。

虎ノ門の「八木一夫と清水九兵衛」展

先日、東京虎ノ門にある菊池寛実 智美術館で開催している「八木一夫と清水九兵衛 陶芸と彫刻のあいだで」展に行ってきました。菊池寛実 智美術館は陶芸を専門にしているにも関わらず、私には馴染みのある美術館ではありませんでした。過去に1回くらいしか訪れたことがなく、昔の記憶を頼りに出かけてきました。大変贅沢な空間を持つ美術館という印象がありましたが、陶の世界では革新的とも言える巨匠2人の作品が点在する空間は、私自身が癒されるほど贅沢な空間と時間がありました。陶芸は生活上の用途があるため雑貨として発展してきましたが、縄文土器や桃山時代の茶器などを見ると、日本人は遊び心に溢れた造形物を作っていて、陶彫が登場する土壌は十分にあったと考えられます。そうした陶芸と彫刻とのあいだを行き来し、前衛の感覚を持ち込んだ2人の作家は、私には稀有な存在と映ります。図録にも気になる箇所がありました。「八木のオブジェ焼きは、器物からの展開であり、その基本な発想は、轆轤で成形して内側の空洞を作り上げながら形づくることである。八木自身、『新しいものと古典との結婚、これが私のねらいです、ピカソやクレーなどの近代絵画としぶい日本のロクロの味を作品の上で、どう調和させるかが私の仕事』と走泥社の結成からまもない頃に語っている。~略~一方、清水のデザイン的な思考は、戦前の10代の頃に学んだ建築やその後の鋳金で培われたものであり、それは設計図や原型を経て、計画したフォルムを実現させる行程をたどる。~略~次第に土を扱いづらいと感じるようになり、若い頃からの彫刻への思いも断ち難く、期待の陶芸家として活躍を続ける傍ら、彫刻への道を歩みだしてゆくのである。」(花里麻理著)もう40年以上も前に大学受験を控えた私が美術雑誌で見たのは、巨大なステンレスの翼が芝生の坂に置かれ、その爽やかな空間に快さを感じた清水九兵衛の彫刻でした。

練馬の「麻田浩展」

先日、自宅のある横浜から東京練馬まで出かけていき、練馬区美術館開催の「麻田浩 静謐なる楽園の廃墟」展を見てきました。画家の没後20年。私は10年前の夏に京都国立近代美術館で「麻田浩展」を見ていました。その時は没後10年と謳われていました。10ごとに回顧展をやっている画家は珍しいし、衰えない人気があるのだろうと思いました。実際、展示されていた数々の大作絵画には深い精神性を秘めた世界観が浮き彫りにされてくるようで、同じモチーフが繰り返し登場しても、飽くことのない不思議な魂が宿っているようでした。画面に散りばめられた具象的な事物は、雄弁な色彩による背景の前に融和や反発をもって配置され、私の心のどこかに眠っている闇に触れてきました。嘗て自分が想像したことがあるような、否、これは初めて見る世界かなぁと意識させるものがありました。図録の中でご子息が書いている一文に注目しました。「沁みを見つめ、キャンバスのこの部分にこういうモチーフを描いてみたいと沸いてくる心の声に従ってモチーフを描いていきます。さらにそのモチーフが描かれた画布の空いた部分に次はこんなモチーフを、という風に。このいわば、イメージの連想ゲームやしりとりのようなやり方、自動筆記的にも思える手法は、実は父が幼い頃から家庭でやっていた遊びの延長線上にあるものでした。~略~病弱であった父は幼い頃から、臥せている時に天井の杉の目を見ては色々な形を夢想したりする子どもでもありました。それと同じことを父は制作のなかで行なっていたことになります。本人は自身の制作をユング心理学派の箱庭療法になぞらえたりもしましたが、この手法の面白いところは、描き進めていくと絵が出来上がる、詩的に云えば、魂が宿るという瞬間がやってくるのです。」デカルコマニーや他の実験を繰り返すことで、感情の襞を表す下塗りを作り、そこに心の声に従う廃物や水滴を描きこんで魂を宿していた絵画。鑑賞者である私は10年ごとに歳を重ね、麻田ワールドをその年齢に相応しい角度で再三鑑賞することになるのかなぁと思ったひと時でした。

六本木の「狩野元信展」

昨日で閉幕した展覧会のことを書くのは躊躇されますが、期間ぎりぎりで飛び込んだ展覧会だったので、ご容赦願えればと思います。狩野派と言えば狩野永徳、そして狩野探幽が有名で、狩野元信は自分には未知の絵師でした。室町時代から400年に亘って天下画工の長として、画壇の頂点に君臨し続けた狩野派は、血縁関係の直系一族だったことが知られています。始祖であった父の正信が将軍足利家の御用絵師に取り立てられ、大きなプロジェクトを任されるに至り、2代目の元信に絵画表現を拡大発展させる土壌を提供したようです。公家や武士と何の所縁もない狩野派が、巨大なパトロンを得て脈々と続いたのは途方もない組織力があったわけで、その組織を築いたのが元信でした。孫の永徳やその孫の探幽といった後世に残る天才絵師に引き継がれていった狩野派の伝統は、元信によって始まったのでした。真・行・草といった「画体」の確立、漢画からやまと絵への幅広い表現拡張、「漢而兼倭」の考えが、元信が主宰する工房によって出来上がってきたと言えます。図録にも「水墨の屏風はひとりで描くのに対して、彩色の場合は絵所による集団制作が想定されていることが分かる。これを考え合わせれば、和を兼ねるようになった元信の制作形態が集団制作、つまり、工房制作であると考えられていた可能性は高い。」(並木誠士著)とありました。個人でも卓抜していた元信は、今回展示されていた「四季花鳥図」を見ても、後世の天才たちと遜色ない表現力を備えていると私は感じました。図録にもその箇所がありました。「『四季花鳥図』に登場する鳥たちの顔や羽を描き出す精緻な線と鮮やかな彩色、硬い岩の輪郭や皺を描出する力強い線、とくに瀧の場面において、目の前に迫ってくるかのような迫力ある松と、音まで聞こえてきそうな瀧の迷いのない線など、個々のモティーフの完成度の高さ、近景から水辺の方へと抜ける視線の誘導の巧みさ、部屋全体のバランスを考え、景物が配置された構図は、元信作品のなかでも群を抜いている。」(池田芙美著)

三連休 窯入れ&水中歩行

昨日は東京の美術館巡りを強行し、今日は些か疲れ気味でしたが、朝から工房に篭りました。今まで成形と彫り込み加飾をやってきた陶彫部品がそろそろ乾燥をしてきたので、今月から焼成を始める予定です。今日は部品のひとつにヤスリをかけて指跡を消していきました。工房の片隅に化粧がけのためのスペースを作り、先日混合した化粧土を降りかけました。窯入れのためにちょっとしたトラブルに見舞われましたが、大きな事態にはならず、そのまま陶彫部品を窯に入れました。今回作ってきた陶彫部品の大きさがいかに大変なことか、窯に入れる段階になって思い知りました。何とか部品のひとつは最終工程に辿り着いたのでした。窯出しは3日後です。また出勤前に窯の様子を見に工房に立ち寄る日々になります。これから週末ごとにヤスリがけ、化粧がけを繰り返し窯に入れていく工程が待っています。単純な作業のようでいて一番神経を使う作業です。今日の昼ごろに工房を抜け出して、久しぶりに近隣のスポーツ施設に顔を出しました。ずっと会費を払っているので、たまには身体を動かそうと思ったのでした。前はよく泳いでいましたが、五十肩を患ってスポーツから遠のいていました。五十肩は治っているのに、身体を動かさないと肩が固まってしまうようで、彫刻制作に支障が出るのではないかという心配があるのです。今日のところはプールに入って1時間ほど水中歩行をしてきました。隣のレーンで気持ち良さそうに泳いでいる人たちを羨ましく感じながら、まず歩行をしてきました。来週はビートバンを使ってキックをやってみようかと思っています。三連休最終日になって、3日間とも充実した時間が過ごせたなぁと振り返っています。

三連休 東京の美術館巡り

三連休の中日です。今日は朝から東京の美術館巡りを行いました。一昨日NOTE(ブログ)に美術鑑賞に対する思いを書きましたが、今日はその実践日でした。巡った展覧会は4つで、いずれも表現が異なる先人達の精神性を秘めた作品からは、苦闘や切磋琢磨が垣間見られ、あらゆる角度から私の心の琴線に触れてきて、今日は途轍もない力に翻弄されてしまいました。さすがに4つの大がかりな展覧会は、一度に見るべきではないかなぁと思い知った一日でした。今日は横浜から行きにくい場所にある美術館から始めました。最初は中村橋駅にある練馬区立美術館に行きました。最近では東横線が途中から副都心線に変わり、ひと頃前に比べれば乗り換えが楽になりました。スマートフォンの案内も役に立っていて、路線や道に迷うことがなくなりました。練馬区立美術館では「麻田浩 静謐なる楽園の廃墟」展が開催されていました。故麻田浩の画業は2007年8月28日に私が京都を訪れた際、京都国立近代美術館の個展で知りました。当時は没後10年と謳われていましたが、今回は没後20年になります。緻密に描かれた具象モティーフが紡ぐ幻想的で深遠な世界を10年越しに見て、改めてその迫力に圧倒されました。次に向ったのは溜池山王駅にある菊池寛実記念 智美術館でした。ここは外国大使館が多い場所なので、トランプ大統領来日に備えて、あちこちに警官が配置されていました。私も職務質問を受けてしまいました。菊池寛実記念 智美術館では「八木一夫と清水九兵衛展」を開催していて、陶芸の概念を器からオブジェに発展させた2人の巨匠のまとまった作品が一堂に会するとあって、私はこの2人展に絶対に行こうと決めていたのでした。陶彫はここから始まったと言っても過言ではなく、2人の革新者がいたからこそ今の自分の世界があると思っています。次に向ったのは六本木駅にあるサントリー美術館でした。10年前から東京ミッドタウンの中にサントリー美術館があって、ここに着いた時は多少疲労を感じましたが、狩野派を磐石にした狩野元信の画業を是非見てみたいという思いが強くて、疲労を忘れて食い入るように墨画著色や淡彩、また金地に描かれた花鳥風月を見ていました。「狩野氏終に元信を得るに至りて天下画工の長となる」という文面が示すように、まさに江戸時代の美術は狩野派が支配していたのでした。最後に向ったのは渋谷駅で、Bunkamuraザ・ミュージアムで開催されている「オットー・ネーベル展」でした。画家オットー・ネーベルは日本では知名度がなく、私も初めて知った画家でしたが、クレーやカンディンスキーと同時代を生きたドイツ人で、彼らと交流しつつ、ナチスの迫害を怖れてスイスに亡命した事実を知って、その作品を見てみたくなったのでした。一見クレーの影響が色濃い作品と思われがちな作風ですが、絵の具のテクスチャが異なり、そこにネーベルの独自性があると思いました。今日巡った展覧会についての詳しい感想は後日に回します。ひとつずつ吐き出し口を求めて、NOTE(ブログ)にアップしていく予定です。

三連休 RECORD撮影日

三連休になりました。朝から制作のため工房に篭りました。今日はカメラマン2人がやってきて、RECORDの1年間分の撮影をする日になっていました。RECORDは毎日1点ずつポストカード大の平面作品を作っているもので、文字通りRECORD(記録)と称しているのです。もう10年も続いていて、陶彫制作に匹敵する自分のもうひとつの表現媒体です。RECORDの制作は仕事から帰った夜に限られていて、自宅の食卓が制作場所です。飼い猫のトラ吉が邪魔をすることがありますが、トラ吉を追い払いながら、毎晩制作をやっています。最初の頃はその日のうちに全て完成させていました。このところ下書きだけをその日に終わらせて、仕上げは余裕のある日に回してしまっています。余裕のある日は滅多に来ないため、下書きだけのRECORDが山積みされていくのを横目で見ているのです。精神的に追い詰められてくると、深夜に及んでも仕上げに取り掛かります。カメラマンが来て撮影をするというのが、自分にとって効果的な縛りになっていて、どうしても仕上げに取り掛からなければならない締め切りになるのです。撮影したRECORDはホームページに月毎にコトバを添えてアップします。現在ホームページは昨年の9月分までアップしています。その続きとなる昨年の10月分から今年の9月分まで撮影し、カメラマンが画像処理をしてくれてアップしていきます。撮影している最中に1年前からのRECORDを眺めていると、いろいろな思いが甦ります。この時期は思ったより楽に出来たなぁとか、アイディアに苦しんでいたなぁとか、作品の優劣よりも制作の裏事情の方がクローズアップしてしまいます。そのまま継続して自分が80歳になった時にRECORDは1万点を超えます。あと20年、毎晩コツコツとやっていく日常の蓄積がRECORDの本領です。一気呵成に出来ない時間を積み上げていく表現、これが自分の得意とするところと自負していますが、下書きだけが先行する現在の状況を見ていると、自分に自信が持てなくなっています。カメラマンの撮影が終わった後、今日は陶彫用の化粧掛けの土が不足してきたので数年分を作りました。私は化粧土も混合して作るのです。陶土そのものも土錬機で混合して作りますが、化粧土も単身ではないので、自分は結構手間暇かけているんだなぁと改めて感じました。

私の美術鑑賞について

明日から三連休になりますが、陶彫部品の仕上げと窯入れが制作のメインになると思っています。カメラマンが来てRECORDの1年間分の撮影も予定されています。美術館にも行きたいと思っていて、結構欲張りな三連休になります。美術館巡りは計画をしている今が一番楽しい時で、始まってみるとなかなか骨が折れる日になるかもしれません。今回は美術館へは自分一人で行くことになりそうで、家内やスタッフがいないと私は糸が切れた凧みたいになって常軌を逸することになるからです。次から次へ美術館を渡り歩くうちに、自分は別の世界に入ってしまい、疲れ知らずの人になります。全身が眼になって貪るように作品を鑑賞し、浮世離れした仮想世界に遊んでしまうのです。自宅に帰りつく頃には疲労で倒れそうになり、充満した感覚や思索の吐き出し口を探します。つまり、NOTE(ブログ)に展覧会の感想を毎回丹念にまとめているのは、自分の吐き出し口なのです。私なりの美術鑑賞は、まず美術館入口で冷静になるところから始まります。見たい展覧会は自分の中に知識を溜め込んでいる場合が多く、完全にフラットにはなれませんが、それでも先入観を持たないように努めます。音声ガイドは借りません。時に歴史的な背景などを語ってくれる利点はありますが、同時通訳はフラットな鑑賞の妨げになると信じているからです。作品は大きな構成だろうと構図だろうと、また微妙な細部だろうと気になるところしか見ていません。題名すら確認しないこともあります。コトバにするのは後追いになるので、誰かと一緒でもほとんど会話はしません。展覧会を見終わった後になって思索に耽ります。その参考にするのが図録です。学生時代は金銭がなかったので、図録を立ち読みして自分の雑記帳にメモしていました。今は図録が買えるし、NOTE(ブログ)があるので雑記帳は持たなくなりました。図録の文章はほとんど読みますが、主たる論旨を差し置いて、自分が気に留めた箇所に下線をつけます。それが枝葉であっても自分の創作活動との関係性で読んでいるため、自分の視点で捉えれば重要度が違うのです。NOTE(ブログ)にアップするのはそうした文章です。論評の筆者からすればズレた箇所であろうと思いますが、鑑賞にも論評の解釈にもルールはないので、私なりに図録を利用して勝手な持論を展開しているのです。

11月から窯入れ開始

11月になりました。NOTE(ブログ)のアーカイブを見ると、11月から陶彫制作で焼成に入っていくことが少なからずあります。そろそろ窯入れの季節かなぁと思っていますが、今年は土錬機の不具合で陶土の混合が出来ず、それによって成形や彫り込み加飾が滞ってしまっています。そんな現状を考えると、乾燥が進んだ作品を今月から順次窯に入れていくのがいいと考えています。それには焼成前に陶土にヤスリをかけて指の痕跡を消すことと、鉄赤の化粧掛けを施す作業があります。陶彫制作では焼成は最後の制作工程になります。私は器を作っているわけではないので、焼成されたものを使い勝手を考えて陶の表面を滑らかにする作業はありません。焼成は3日間ほど窯の中に作品を入れておかなければならず、週末に窯入れをすると電気の関係でウィークディの夜は制作が出来ません。今月はそんなことがあるので、山積みされたRECORDの解消に務められるのではないかと思っています。鑑賞は先月同様に充実させていきたいと思っています。秋は見たい展覧会が目白押しです。映画鑑賞もやっていきたいと思っています。今月は声楽家の叔父のリサイタルがあります。久しぶりに音楽に接することになりそうです。読書は故赤瀬川原平著による初期芸術論に引き続き親しみます。今月も頑張っていこうと思っています。

10月を振り返って…

10月最後の日になり、今月の制作状況や鑑賞のことなどを振り返ってみたいと思います。陶彫制作は、成形や彫り込み加飾が完成し乾燥を待っている作品が、今月は5個出来ました。当初は制作目標として8個の完成を目指していましたが、土錬機の不具合によって途中から陶土の混合が出来なくなり、それまで用意していた陶土を使って5個だけ作ったのでした。来月、新しい土錬機が信楽から搬送されてくるので、陶彫成形の続きはまたそこから始めようと思っています。鑑賞は充実していたと思っています。美術館開催の展覧会では「レオナルド・ダヴィンチ展」(そごう美術館)、「運慶展」(東京国立博物館)、「安藤忠雄展」(国立新美術館)、「戸谷成雄展」(武蔵野美術大学美術館)へ行ってきました。その他スタッフが出品していた「ポガティブ展」(多摩美術大学)や池田宗弘先生が出品していた「自由美術展」(国立新美術館)、女子美術大学や武蔵野美術大学の芸祭にも出かけました。映画では「セザンヌと過ごした時間」(シネマジャック&ベティ)を観てきました。職場では1年1回の職員旅行があって、週末が全て使えなかったことを考えると、この制作と鑑賞は頑張っていたと言ってもかまわないのではないかと思っています。その分、RECORDが厳しい状況です。下書きだけを日々作っていて、仕上げをしていない作品が食卓に積まれるようになってしまいました。前にも同じことがあって、やっと解消したにも関わらず、過去の反省が生かせない自分が情けないと思っています。読書も停滞しています。来月はRECORDと読書を何とかしたいと思います。

「戸谷成雄 現れる彫刻」展について

昨日、武蔵野美術大学美術館で開催している「戸谷成雄 現れる彫刻」展を見てきました。彫刻家戸谷成雄氏は同大の教壇に立っておられます。チェンソーで丸太に多角的に無数の切り込みを入れ、それを林立させた「森」シリーズを見て、私は廃墟の街のような雰囲気を感じました。そのまとまった作品群を見たのは2011年に静岡県にあるヴァンジ彫刻庭園美術館での個展でした。「洞窟の記憶」と題された作品を見て、虚の空間の衝撃が私を襲ったのでした。あれから数年が経ち、また戸谷ワールドに触れる機会がやってきました。同大美術館で私が注目した作品は「《境界から》Ⅴ」でした。壁の内外に設置された巨大な実と虚の関係、圧倒的な量塊の前で私自身は戸惑いを隠せませんでした。「《境界から》Ⅴ」は、そこに物質が存在する意味を自分なりに見つめなおした作品でした。図録によると「確かに『ある』と分かっているにもかかわらず見ることはできない何か、はっきりとした形は有していないけれども『ある』ことは確かなもの、そういうものの存在を、その『現れ』のただなかに捉えているのが戸谷の彫刻である、と考えてみたい。~略~ひとつは、実と虚の関係は、いつでもひっくり返りうる可能性をはらんでおり、人間の存在とは、そのふたつのせめぎ合いのうちにあるということである。そしてもうひとつは、実と虚とのあいだの境界にある『表面』の問題の重要性である。~略~彫刻を、内部構造から作られるのではなく、外部の表面から生まれると捉えるようになったとき、求心的な内部構造に代わって現れたのは、多中心的な表面であった。」(田中正之著)というもので、戸谷ワールドの理解をサポートしてくれる文章と思いました。実と虚の関係は、私も大変興味ある空間解釈で、戸谷ワールドの簡潔でストレートな力強さが私を戸惑わせた要因かなぁと思った次第です。

週末 久しぶりに美大の芸祭へ②

昨日に続き、相原工房のスタッフ仲間に加わった美大1年生の誘いで、今日も美大の芸祭にお邪魔しました。今日は東京の小平市にある武蔵野美術大学に行きました。私の他に多摩美術大学の助手2人と職場の人を連れて出かけました。武蔵野美術大学は私の母校で、ここも昨日同様久しぶりに美大に訪れたため、感慨一入になりました。40年前、ここで私は師匠の池田宗弘先生と出会い、共通彫塑にいらした保田春彦先生や若林奮先生の仕事を垣間見ながら、それまでは考えも及ばなかった遥かなる自分の人生の指針を思い浮かべていたと言っても過言ではありません。私はすっかり彫刻の魔物に憑かれてしまったわけで、当時の自分が悩み苦しんだ場所が今も残っているのです。それを再確認するために久しぶりに母校の芸祭にやってきたのでした。台風が近づいていたため今日は生憎の雨になりましたが、4人で相原工房から武蔵野美大へ向けて9時半ごろに出発しました。車で同大到着まで2時間はかかりました。現在、武蔵野美大美術館では「戸谷成雄 現れる彫刻」展を開催していて、木材をチェンソーで刻みつけた「森」シリーズの彫刻家によるスケールの大きい作品に圧倒されました。実材がそこに存在する意味を問う根源的な世界観に触れました。詳しい感想は後日改めたいと思います。訪ねたスタッフは芸祭の役員をやっていて、全て案内してもらうまではいきませんでしたが、専攻ごとの展示作品や小さな販売品はかなり充実していて楽しめました。彫刻棟の大きな作業場をじっくり見て、ここで彫刻を学んだ学生たちの卒業後を思わないではいられませんでした。いったいどのくらいの学生が彫刻を続けていかれるのでしょうか。整った設備、自由になる時間、凌ぎを削る仲間たち、理想的な創作環境のもとで4年間を過ごし、そのまま彫刻をきっぱり諦めることが出来るのでしょうか。私は創作に夢中になればなるほど精神状態が尋常でなくなり、そこから抜けられなくなったのでした。あれから40年が経ち、今も私は彫刻棟の片隅の出発点から少しばかり歩いたところにいるのです。40年もの間、私は何をしてきたのでしょうか。目の前にいる学生たちと、私はどのくらい距離があるのでしょうか。私なりに進化したところはどこにあるのでしょうか。それを感じるために今日はここにやってきたのです。もう一度私自身を捉え直し、明日からの再出発にしたいと考えました。

週末 久しぶりに美大の芸祭へ①

相原工房に出入りしているスタッフのうち、新しいメンバーとして加わったのが20歳前の2人の美大生です。2人とも美大の1年生になったばかりで、初めての学園祭(美大では芸祭と言います)を楽しみにしていて、私は彼女たちに芸祭に誘われました。私も久しぶりに芸祭に行ってみようと思って、今日は相模原にある女子美術大学に職場の人を2人連れて出かけました。女子大にオジさん一人で出かけるのはどうだろうと迷っていたら、女性職員が快く同行をしてくれたのでした。公私にわたって組織は有り難いなぁと思いました。久しぶりに出かけた芸祭は楽しくて時間が経つのを忘れました。学生たちの創作に対する真摯な姿が垣間見れたことや、これからの発展が楽しみな作品に出会えたことが、楽しかった要因です。女子美は総体的に日本画が優れていると思ったこと、モティーフに鶏と金魚が多かったこと、女子美に限らないと思いますがアニメの影響が色濃く出ている作品が目立ったことが感想として挙げられますが、何よりも学習環境の素晴らしさは絶品だと感じました。以前に美大の芸祭に行った時の感想をNOTE(ブログ)に書いたと記憶していますが、申し分のない素晴らしい施設、さらに切磋琢磨できる仲間がいる中で、4年間自分の好きなことをやっていて、やがて社会に出て翻弄される学生も少なからずいるのではないかと心配していますが、どうでしょうか。人生の中で天から与えられた貴重な時間を有効に使っていると考えている学生もいて、美大を出たら創作は止めると言い切る子も私の周辺にはいました。私自身は未練がましい性格なので、20歳の頃に人生を賭けようと決めた創作活動を60歳になってもなお続けている有様です。芸祭を案内してくれた若いスタッフは、まだ将来のことは何も考えられないと言っていて、18歳の溌溂とした彼女には精一杯美大での生活を楽しんで欲しいと願った次第です。今日は芸祭から早めに帰宅したので、工房に行って2時間ほど作業をしてきました。若い世代の伸びしろがある作品に接してくると、私も意欲が湧いてくるのです。オジさんもまだまだ頑張るぞと思った一日でした。

やっと金曜日…

私自身の進退を問うヒアリングがあったり、関係者との深夜に及ぶ相談があったり、来年度の職員との人事面談が始まったりして、今週はなかなか密度の濃い1週間を過ごしていました。やっと金曜日になったという実感がありますが、多少でも早く帰れる日があれば、今週は工房にも通いました。仕事を精一杯していた充実感はありますが、精神的な負担もあります。職場は多くの職員が私を支えてくれているので、どんなことがあっても私が挫けることはありません。組織は有り難いなぁと思っています。その組織を作るのは私で、お互いの人間関係が育まれていくことを考えれば、来年度に向けた人事面での仕事は大きな比重を占めていると言っても過言ではありません。現在、その第一歩が始まっているのです。一方、彫刻制作は私一人の仕事で、個展の搬入搬出時のスタッフの援護があっても、制作の基本は私だけです。昼間の仕事にない自由さと厳しさがここにはありますが、場面によっては昼間の仕事より苦しい時もあります。昼間の仕事をしていると自己に向き合う場面が少なく、常に職員のため、組織のためという考えで過ごしていることがほとんどです。それに対して彫刻は自己表現なので自分以外は眼中にありません。よくぞバランスが取れた日常を獲得したものだと今になって思っています。創作活動の楽しさは一言では言えず、魔物に憑かれたような感じがしています。自己と向き合っていると自分の良いところも嫌なところも全部曝されてしまうのです。自分の個性が発揮されるところを自分で探し出し、創作活動では得意分野で勝負をかけるようにしています。それが私の場合は陶彫による集合彫刻だと言えます。昼間の仕事でも私は無意識に職員の前で自分を曝していることもあると感じています。私の嫌な面も見ているだろうに、それでも職員は私についてきてくれるのが嬉しいし、私の頑張りに繋がっているのかなぁと思います。やっと金曜日…。疲れに任せて今日は取り留めのないことを書いてしまいました。ご容赦ください。

陶彫加飾とRECORD

今日のタイトルはウィークディの夜に制作をやっている2つの作品のことです。まず、陶彫加飾とは成形が終わった陶彫部品の表面に彫り込みを加えていくことで、陶彫部品が集合した時に、彫刻全体に微妙な視覚効果を与えるのです。古代の出土品には文様が彫り込まれていることが多く、それが文字であったり、何かを示す記号であったり、飾りであったりしています。私は現代都市の在り様を単純なパターンにして刻んでいるのです。発掘された出土品に似せた土質に、現代的な幾何文様を刻印し、文様の配列等に秩序をもたせています。基盤として作品には自由な発想がありますが、部分制作としては手枷足枷の退屈な作業を自分に課しているのです。その加飾作業は視野が狭くなっても可能なので、夜の時間帯に工房で集中してやっています。同時に自宅ではRECORDに取り組まなければならず、工房から自宅に戻って、食卓で小さな平面を取り出し、イメージを絞り出します。RECORD(記録)は文字通り、日々の記録をしていくもので、日記の代わりにポストカード大の平面作品を作っているのです。仕事から帰れば、自宅で夕食をとったり、風呂に入ったりしてのんびりとした時間を過ごし、翌日の英気を養うのが一般的ですが、私の最近の10年間は工房や自宅での制作に追われる日常を過ごしています。再任用管理職で2年目を迎え、二足の草鞋生活をここまで引っ張るとは思ってもみなかったというのが実感としてあります。それでも何とかやっていけるし、もう一年くらいはこの生活で大丈夫かなぁと思っているこの頃です。

神奈川新聞掲載の映像表現

本日付の神奈川新聞に、先日職場で行ったプロジェクション・マッピングがカラー写真とともに掲載されています。このNOTE(ブログ)では、私たちの職種を敢えて公表せずにやってきましたが、新聞の記事には私の氏名を含め、全てが明るみに出てしまっています。それでもなお、私はNOTE(ブログ)で職種は公表しないでやっていこうと思います。プロジェクション・マッピングは私自身が興味をもっている映像媒体で、職場に限らず、今後の自己表現の中で活用していきたいと思っているのです。私は彫刻というアナログな分野に固執していて、素材を伴う立体表現に生涯をかけて取り組んでいます。その一方で、ホームページをカメラマンと一緒に立ち上げた頃から、デジタルな画像や映像表現に面白みを感じるようになりました。その最たるものがプロジェクション・マッピングです。職場は大学の映像メディア研究室と連携していて、私は職場の代表として大学の教授にお会いする機会がありますが、自分の作品にこうした映像表現を取り入れたいために、管理職としてではなく個人でも研究室と繋がっていきたいと考えています。プロジェクション・マッピングは空間演出の可能性を広げ、実在の空間とは異質な世界を表現できます。演劇やショービジネスでは一般的になった技法ですが、まだまだ展開できる余地を十分残した表現媒体だと思っています。

昭和41年の「千円札裁判」

遅読というより、もう滞読と言ってもいいくらいの読書習慣になってしまった私ですが、「オブジェを持った無産者」(赤瀬川原平著 河出書房新社)を読んでいて、漸く著者が本書の主題にしていた「千円札裁判」の意見陳述に辿り着きました。裁判所に提出した本人記述の記録文書が、ここに全て掲載されていました。それは昭和41年8月10日の一審から昭和42年5月16日、昭和44年1月29日の上告趣意書に至る文書が、おそらく原文のままで読むことが出来るようになっています。著者である故赤瀬川原平氏が被告人となった事件「千円札裁判」は、通貨及証券模造取締法違反として裁判にかけられたもので、千円札の巨大な模型を作ったことで、当時は社会的に物議を醸し出したようです。巨大な模型は絵画の範疇に入る現代美術であると被告人は主張し、法や権力に対して果敢に芸術論を展開していた模様で、今でもこの文書に対して私は興味関心を持っています。紙幣に似せている作品は、偽札とは言わないまでも社会に混乱を齎すというのが法廷の論理ですが、被害者のいない事件は果たして犯罪となりうるのか、被告人が自問自答している箇所は、ブラックユーモアのように思えてなりません。文中から引用すると「私は芸術と科学とは、それを行う者の衝動或は欲求に於て非常に共通したものを見るのですが、決定的に違う事は、科学というものが矛盾の解決に向うのに対して、芸術は矛盾というものがあっても必ずしもそれの解決に向うものではないという事です。それでは法律、あるいは裁判とはどういうものでしょうか。芸術は常に矛盾を残し、解決を残していくあいまいなものであり、決定的な判断を下すものではないが、法律というものは、例えば『紙幣に紛らわしき外観を有するもの』という様なあいまいなことばに基いて、決定的な判断を下そうとするのであります。」といった具合で、芸術とは何かを説明する場面が多々あります。記録文書に面白みを感じるのは、これは日常生活の中で慣れ親しんだ事例や事物に対し、その価値を疑問視また刺激する現代芸術の考え方を説いているところがあって、デュシャンの便器(レディメイドによるオブジェ)を引き合いに出しながら、現在では当たり前になった考えをいち早く標榜しているのです。こんな一文もありました。「あるいは失礼ないい方かもしれませんが、この法廷のありのままをのべますと、検察庁の方々は職業としての報酬を受けながら現代芸術の講義を聞き、いわばわれわれ講師陣は手弁当で、身銭をきって講義を行なければならなかったのであります。」やれやれ、日本のシュルレアリスムは刺激的な出航をしましたが、これが欧米ならば後世の美術史に残る大変な事件になっていたのではないでしょうか。

HPのGalleryに「丘陵」をアップ

一昨年の個展で発表した「発掘~丘陵~」をホームページにアップしました。ホームページはカメラマンの画像表現に任せるところが大きく、自分との共同作業で作っているアイテムです。土を練って成形と加飾を行い、窯入れをして完成させる陶彫はアナログの極致です。電気窯の温度を制御するため電子機器が使われている以外は、全て手で作り上げる作品のため、縄文や弥生時代の出土品のような雰囲気を醸し出していこうと、私は意図的に考えているのです。そうした原始的な作品をデジタルの画像にして、その効果を最大限に生かしているのが、私のホームページです。幾度かNOTE(ブログ)で取上げているアナログとデジタルの違いを感じ取れるのが、こうしたホームページだろうと思います。立体作品は実在なるが故に、光と影が織り成す面白みがあるのです。写真に撮ってみると意外な視覚効果のある平面作品が生まれます。それを制作者である彫刻家ではなく、カメラマンに託すことで世界観が広がると私は考えています。「発掘~丘陵~」は木材で作った4体の土台に、40個の同じ形態をした陶彫部品を乗せた集合彫刻で、パノラマのように俯瞰できる景観を作り出しました。なだらかな丘陵を厚板で階段状にして、そこに砂マチエールを施し、陶彫部品との一体化を図りました。カメラマンはカメラを携えて、彫刻の中を散歩して「発掘~丘陵~」の光と影を捉えます。切り取った画像は、初めのイメージを超えて、別の作品のような感じを持ちます。また画像を眺めていると、制作当時のことを振り返る機会にもなります。筒型の陶彫部品は、寒々とした冬に一晩にひとつずつ作った記憶があるので、何年か前に私はウィークディの夜に工房に頻繁に通ってきていたのです。40個を作り終えた時にホッとした思い出が甦ります。「発掘~丘陵~」をアップするにあたり、私は毎晩坦々と陶彫部品を作っていた気持ちを、丘陵を歩く自分に見立ててコトバを綴りました。Galleryのページを見るには左上にある本サイトをクリックしてください。ホームページの扉が表示されますので、Galleryをクリックしていただければ、そのページに入れます。ご高覧いただければ幸いです。

3 / 13712345...102030...最後 »