「アヴィランドのアトリエとの関係」について

「中空の彫刻」(廣田治子著 三元社)の「第二部 ゴーギャンの立体作品」の中の「第2章 最初の陶器(1886秋~1887初頭)」に入り、今回は「2 アヴィランドのアトリエとの関係」をまとめます。アヴィランド兄弟は芸術陶磁器のためのアトリエを構えて窯を設置しました。陶芸家シャプレはそこの窯を譲り受け、ゴーギャンもそこで作陶をしていました。シャプレと協力関係にあった彫刻家はゴーギャンだけではなく、ダルーやロダンの名も挙げられていました。本書を読んでいくと、どうやらシャプレとゴーギャンの協力関係は長くは続かなかったようですが、こんな文章もありました。「この作品〔植木箱〕においては各々の側面に、シャプレとゴーギャンの出会いのきっかけとなった木彫レリーフ《化粧》と絵画《羊飼いの少女》のモティーフが、かつてシャプレが編み出し、オートゥイユのアトリエで盛んに用いられていたバルボティーヌ技法で絵画的に描かれている。これらはゴーギャンが絵画と彫刻、陶器を総合的に捉え、モティーフを一つの媒体から他の媒体へと自由に移すことを行った最初の試みとして注目される。絵画や彫刻から切り取られ、切り離されて、他の作品と組み合わされて植木箱の両側面の装飾モティーフとして表されるとき、各々のモティーフは植木箱という一つのオブジェの中でまた新たな意味を醸し出すのである。~略~また、自然主義主題におけるミレーの『落ち穂拾い』のポーズの借用も指摘できるであろう。ゴーギャンは1888~89年頃、デッサンや油彩画の中でしばしば腰をかがめるポーズを用いており、ミレーに対する賞賛の言葉も残しているが、《ブルターニュの農婦と鵞鳥を配した壺》はその最も早い作例である。」ゴーギャンの作陶した作品が図版として本書に出ていますが、器としての機能よりも創作的な細工が優先されていて、不思議なモノになっています。商品としては売れなかっただろうし、そうかといってゴーギャンの芸術が今のように尊重されていなかったようにも思います。次の章ではジャポニズムを初めとするさまざまな装飾が登場し、印象派の隆盛にもゴーギャンは関わりをもっていくのですが、日本の斬新な伝統様式がフランス美術界を席巻した当時の様子が、ゴーギャンの視点を持って描かれていくのではないかと期待しています。

「作陶への取り組みの第一歩」について

「中空の彫刻」(廣田治子著 三元社)の「第二部 ゴーギャンの立体作品」の中の「第2章 最初の陶器(1886秋~1887初頭)」に今日から入ります。今回は「1 作陶への取り組みの第一歩」をまとめます。1889年の万国博覧会についてゴーギャンの見解を掲載した雑誌記事を紹介します。「陶芸はつまらないものではない。時代をもっと遡ってみると、〔南〕アメリカ大陸の土着の人々の間では、この芸術がつねに珍重されてきたのだ。神は少しの土で人間を作り給うた。少しの土があれば金属や宝石が作れるのだ、少しの土、そして少しの才能があれば!まさにこれこそ興味深い素材ではなかろうか?」ゴーギャンは陶芸家エルネスト・シャプレとの出会いから陶芸を始めますが、シャプレとの協力関係で作られた陶器は僅か5点を数えるだけで、ゴーギャンの進んだ方向は、さらに芸術性の強い「彫刻するべき陶器」または「陶製彫刻」と呼べるものでした。これは私が追求する陶彫そのもので、私は京都の走泥社あたりが自分の技法の発祥かなぁと思っていましたが、ゴーギャンが陶彫の生誕に関わる最初の芸術家だったことを認識しました。こんな文章があります。「ゴーギャンは素朴で鄙びた味わいをもつ民衆的な素材である炻器の粗い表面と硬く焼き締まったプリミティフな感覚を好み、これを生かすために機械的手段である轆轤は用いず、時には紐状の陶土を巻き上げる『紐作り』の技法によって、時には板状の陶土を貼り合わせる『板づくり』の技法によって立体を成形した。」これはまさに現在私がやっている「発掘シリーズ」の陶彫の制作方法です。私にはもはや陶土を用いても陶器という概念はなく、彫刻を土のまま焼成して保存させるためにやっているのです。ゴーギャンの時代では、陶彫はあくまでも陶芸の範疇にあって、陶芸に革新を齎すものと考えていたのでしょう。「彫刻的アプローチによって陶芸に新しいフォルムをもたらすという大胆な芸術意図のもと、彼はこの昔ながらの素材にふさわしいプリミティヴで力強い生命力を備え、同時に新奇で近代的な陶芸作品を生み出そうとしたのである。」

5月RECORDは「萌芽の眺め」

日々1点ずつ制作しているRECORDは、その季節に左右されることが多く、工房の窓からの風景を見ていると、青葉若葉が繁り、芳醇な緑に覆われて美しくなった雑木林に、心が安らいでいくのを感じます。5月のRECORDのテーマを「萌芽の眺め」にしたのはそんな理由からですが、RECORDは写実的な表現をある程度制限していて、風景を象徴化することを念頭において制作しています。所謂イメージトレーニングを自分に課しているわけですが、自分の内面だけでトレーニングをやっていると、表現内容に限界がやってきます。自然をよく観察するというのは、美術界でよく言われることですが、本当に自然から得るものに毎回新しさ、新鮮さを感じています。自然は多様性をもっていて、私の内面の貧困さを補ってくれるのです。樹木の一部を取り入れて、それを自分の中で形態と色彩の取捨選択を行うのは、オランダの画家モンドリアンと同じ方法を経るのですが、表面に現れる世界観はアーティストによって全て異なってきます。その異彩が面白いために、多くの作家が創作活動をする理由になっていると私は思っています。私が10年以上も前から制作しているRECORDは、一日1点ずつ毎日作り上げていて、じっくりイメージが醸成するまで待てない嫌いがありますが、それでも集中してイメージを搾り出すことで、達成感は得られます。過去に似たような表現があったかもしれないと思いつつ、今日も工房の窓から見える鬱蒼とした木々を印象に留め、その象徴化を図っているのです。ただし、二足の草鞋生活から解放されたことで、多少RECORD制作にも余裕が生まれるかなぁと思っていたのですが、1ヶ月以上過ぎたにも関わらず、勤めていた頃と大きく変わっていません。RECORDは夜にならなければ始められない習慣が出来てしまっていて、工房から帰った夕方の時間帯にやろうと思っても、なかなか始められないのです。しかも小さい作品ながらRECORDはなかなかの仕事量で、これを校長職の合間にやっていたのが今では信じられないくらいです。毎晩睡魔と闘っていたのを今も覚えていますが、集中力の持ち方が明らかに違っていたように思えます。

週末 厚板刳り貫き作業

一昨日から新作となるテーブル彫刻を作っています。今日はテーブルとなる厚板材の制作を行いました。今までテーブル彫刻は幾つか作ってきました。テーブルの上に陶彫部品を設置したものやテーブルの下に陶彫部品を吊り下げたものなど、陶彫部品と木材の接合を考えたものばかりで、異なる素材のコラボレーションが面白くて取り組んできました。テーブル彫刻を考えついた当初は、「発掘シリーズ」の一環として、地中に埋もれていた遺跡を、大地をテーブルに見立てることによって可視化することでした。そのうちテーブルの高低を考える位置に注目するようになり、テーブルを単に模造出土品の演出に使うだけではなく、テーブルそのものに造形の主観が移りました。テーブルはテーブルになる卓とそれを支える柱の構造体であって、立体としては充分に面白くなる要素があると気づきました。それなら新作は陶彫部品をなくし、厚板材と柱材に創作行為を持ち込み、テーブルをひとつの彫刻作品としてまとめてみようと思い立ったのです。今日は厚板材の刳り貫き作業に丸一日を費やしました。陶彫部品の接合がないため、テーブルの強度を考える必要がなく、テーブルに施した文様は思い切り自由に描き、大小細かな穴をジグゾーで刳り貫いていきました。今日は美大受験生が予備校の課題を携えてやってきていました。彼女が来ていると私も張り合いが出るので、朝から夕方まで夢中になって厚板刳り貫き作業に終始しました。電動工具は騒音を発するので、受験生に申し訳ないと思いつつ作業を進めました。このところ初夏を思わせるほど気温が上昇し、作業はシャツ1枚になってやっていますが、汗がシャツに滲んできました。頭に巻いている手ぬぐいも汗を吸い込んでいます。今年は季節が早めに移り変わっているように思えます。まだ5月なのにこの暑さは何でしょうか。このまま暑くなるのでしょうか。これから作業は木彫に変わっていくので、汗っかきな自分にとって辛い季節が到来したなぁと思っています。

週末 BankARTの「山本愛子展」

週末になりました。昨日から取り掛かっているテーブル彫刻制作を継続しています。今日の午前中はテーブル部分の文様の刳り貫き作業を開始しました。昨日描いた下書きをさらに煮詰めて、刳り貫く部分と残す部分を決定しました。今まで制作してきた陶彫とこれから始める木彫の制作方法は、全く逆のスタイルで、彫刻技法で言うところのモデリング(陶彫)とカーヴィング(木彫)になります。使う道具も違えば、身体に対する負担も変わります。木彫には陶彫の乾燥期間のような待ちの時間がありません。いくらでも制作を進めることが出来るのですが、筋肉疲労があって一日中制作していることは不可能です。とりあえず今日は夕方3時までの制作時間にしました。これは陶彫制作と同じ時間帯ですが、身体を慣らすために一日6時間の作業と決めました。工房を出てから、家内を誘って横浜の中心街で開催している個展に行くことにしました。昨日行った山下公園の近くに、BankARTというギャラリースペースがあります。これは横浜市が推進する歴史的建造物、倉庫などを文化芸術に活用しながら、街を再生していく「創造都市構想」のひとつとして設置された施設ですが、そこで私にとってお馴染みの作家である山本愛子さんが個展をやっているのです。山本さんは私の教え子で、大学で染織を学び、中国やインドネシアに出かけて、自分の世界観を培った人です。随分前には工房に出入りしていて、染めのアーティストと当時の私がNOTE(ブログ)に書いていた人です。 今回の個展には自然の染料を用いた大作の数々が展示されていました。多彩で淡い雰囲気に包まれた画面に微妙なグラデーションが施された作品は、優しく語りかけてくるようで、そのささやかな声や音を画面から聴いているような錯覚に陥ります。山本さんの旧作に、一本一本の糸を楽譜に見立てて、音を奏でるように空間演出した作品があります。染めと音響を重ねているところが彼女の個性かもしれません。今回の作品には色彩の移り変わりがあるばかりで、山本さんが以前得意としていた描写がありませんでした。描写には本人の意図が直接表れてしまうので、敢えて描写表現を避けたとも考えられますが、自然の染料を駆使して、どこまで世界を広げられるのか、今後の課題になるでしょう。ともかく前向きな姿勢が現れていた良い展覧会でした。

厚板下書き&バラ園散策

中規模の新作は今日から作り始めました。過去幾度となく私が作ってきたテーブル彫刻になりますが、今回の新作では陶彫部品を接合せず、木材のみで作ります。厚板を4本の柱で支える構造ですが、厚板には文様化した穴を刳り貫き、柱はそれぞれに木彫を施します。もう既に20年以上も使っている愛用の丸鑿と丸鑿用の砥石が刃先が少なくなってしまったので、新しいものに替えることにして、東京の問屋さんから郵送してもらいました。厚板は昨日購入してきました。実材も道具も揃ったところで、漸く新作に取り掛かったのでした。計画ではもっと早く取り掛かる予定でしたが、コンセプトがはっきり決まらず、現在まで制作を延ばしてしまいました。今回の新作はテーブルの高さを意図した作品にするつもりです。イメージの源泉が「発掘シリーズ」とは異なり、これは暫く休止していた「構築シリーズ」になるだろうと考えています。今日の午前中は厚板に下書きを行っていました。穴の刳り貫き作業は明日からになります。昼ごろになって近くのスポーツ施設で水泳をしてきました。連休中はずっと陶彫制作一本だったので、体力維持を図るため久しぶりに身体を動かしてきました。午後は家内に誘われて横浜の中心街にある山下公園のバラ園を観に行くことにしました。家内はよく友人たちと連れ立って花を観に出かけます。コロナ渦の影響でなかなか友人を誘えず、私が車で山下公園まで付き合ったのでした。バラ園は世界各地のさまざまなバラが咲き乱れ、その花のカタチの面白さに暫し時間を忘れました。花の色彩も花の種類だけ多彩さがあり、青さを増し深みが加わった緑の葉と絶妙に調和していました。花を愛でるのは人間だけの特権で、その美しさを享受できる機会は、いろいろな意味で幸せなのだろうと改めて思いました。バラ園を後にして横浜駅に立ち寄りました。行きつけの眼鏡店で私の眼鏡のフレームを修理に出し、画材店で油絵の具を購入してきました。横浜駅まで行かないと用事が済まないことがあり、先月で公務員を退職した私は、こんな機会にまとめて用事を済ましています。通勤がなくなった分、ついでに店に立ち寄ることがなくなり、利便さには事欠きますが、現在の私には工房に篭れる幸せもあります。明日は制作一本の一日になります。

「第五章 そのほかの尊像」について

「仏像図解新書」(石井亜矢子著 小学館新書)の中の如来、菩薩、明王、天の四つのセクションについて読み終えましたが、日本にしかない独自の尊格もあり、第5章にそれらを網羅しています。「日本に仏教が伝来し、広まっていくあいだには、さまざまな経典、仏像や画像がもたらされた。造像活動もそれを反映して徐々に尊格を増やし、『如来、菩薩、明王、天』の四つのセクションに収まらない尊像もつくられるようになってゆく。それは何かといえば、ごく大雑把にいうと、神と人の像。」その代表的は像は8つあり、ひとつずつ解説を引用していきます。まず蔵王権現。「奈良・吉野の金峯山で、平安時代初期より信仰されるようになった尊格。」次は青面金剛。「もとは奇病を流行らせる鬼神だったが、太元帥明王に討たれ、病魔を退散させる善神となった。」次は僧形八幡神。「剃髪で袈裟(衲衣)をまとう坐像で、見た目は地蔵菩薩や祖師像といわれてもおかしくない姿をしている。」次は閻魔王。「霊魂が赴く冥界にあって、死者の生前の罪を裁き、その行く先を決める裁判官が閻魔王である。」次は聖徳太子。「用明天皇の皇子として生まれ、仏教の精神をもって国を治めようとした聖徳太子(574~622)は、日本における仏教隆盛の立役者の筆頭である。」次は羅漢。「修業をまっとうし、もはや学ぶものはないという最高の境地に達した聖者のことを羅漢という。」次は十大弟子。「釈迦の弟子のなかで、もっとも優れた十人を十大弟子という。彼らは羅漢であるが、釈迦から直接に教えを受けた人々として、特別な存在となっている。」最後は祖師。「一宗一派を開いた人物や、中興の祖とよばれるような教えを継承した人のことを、祖師という。~略~とくにすぐれた祖師像が生まれたのは鎌倉時代で、写実性が重んじられた時代の彫像は、像主の肉体的特徴ばかりか精神性にまで踏み込んだ造形が実現された。」私は運慶が制作した無著と世親の木彫を、博物館でじっくり鑑賞したことがあり、彫刻としての完成度に息を呑む迫力を感じました。大陸から最初にもたらされた仏像は金銅仏だったと思いますが、日本は木が豊富なため材質は木材に変わり、木彫技術が進んだのではないかと思っています。一木造りや寄木造りなど現在に残る技術は素晴らしいものがあると感じています。今回「仏像図解新書」を読んで基本的な知識を得ることができました。仏像は祈りの対象なので寺院で拝観するのが良いとは思いますが、最近は博物館や美術館で鑑賞の対象として見ることができるようになりました。広い空間の中で照明を当てて、周囲を回って見ることができるのは、宗教性が希薄な私にとっては有難いことです。西洋彫刻の人体塑造から学習を始めた私が、仏像に興味を持ったのは鎌倉時代の写実的なものに気持ちが引き寄せられたことがきっかけでした。飛鳥や平安時代の特徴がそれに続いたのですが、今では静謐な仏像が好きになっています。仏像巡りがしたいというのが私の本音です。

連休最後の日

今日でゴールデンウィークが終わります。3月で公務員を退職したため、連休という意識が薄れつつありますが、それでも昔からの慣習で、連休中に何かやろうと思い、仏像に関する書籍を読んで知識を深めることにしました。「仏像図解新書」(石井亜矢子著 小学館新書)で仏像に関する4つのセクションをまとめましたが、まだひとつセクションに入らない尊像が日本に存在するため、近日中にまとめたいと思います。コロナ渦が落ち着いたら、本書を携えて日本各地の寺院を巡り、仏像を心から味わいたいと願うようになりました。私は古代インドから帰依した天部に興味関心があって、集団になった仏教護衛部隊がさらに見たくなりました。彫刻としては二十八部衆の中の伝説の巨鳥ガルダが変身した迦楼羅の造形が面白いなぁと思っています。「仏像図解新書」は平易で誰でも分かるように仏像を解説していますが、私の興味関心の次の段階は、全体のバランスを欠いて造形的に面白いものを追求する癖があるので、宗教や歴史とはかけ離れたものになってしまいます。美術的な観点からも、信仰の対象となった仏像を、その背景を含めて鑑賞したいと切望しています。コロナ渦で旅行に行けなかったのが残念ですが、仏像はずっとそこに存在しているので、いずれ仏像に会いに行こうと思います。今回の連休中はずっと工房に篭り放しで、新作の陶彫制作に明け暮れていました。美大受験生が毎日やってきたおかげで、多少なりとも連休を感じることが出来ました。彼女は予備校から出された平面構成の難しい課題に挑んでいました。私は中規模の陶彫9点を作り、乾燥を待っています。受験生がいてくれたおかげで、心理学で言うところの社会的促進が図られ、陶彫制作は進みました。毎日6時間は集中してやっていましたが、図録用撮影日のことが頭から離れません。陶彫部品の乾燥と焼成がどのくらいで終わるのか、相変わらず不安を抱えています。今日の夕方に窯入れをしたので、明日は工房の照明が使えませんが、そろそろ木彫作品を作り始める予定で、明日は木材を購入してこようと思っています。

「第四章 天-仏法を守る多芸多彩な尊格」について

「仏像図解新書」(石井亜矢子著 小学館新書)の中で如来、菩薩、明王をヒエラルキーに従ってNOTE(ブログ)にまとめてきました。4番目に登場するのが天です。「『天』は、サンスクリット語で神を意味するデーヴァの訳語。この言葉は、天上界という宇宙を意味するとともに、天の住人すなわち神をもあらわす。天部の仏たちは、仏菩薩と人間の中間地点に住まっている。もと異教の神々に課せられた役割は、仏教そのものを守護すること。~略~かつてはヒンドゥー教の最高位だった神がいるかと思えば、悪神や悪鬼の類も、仏教に教化されたという物語が加えられて、同じ天部の所属になっている。世が世であれば決して席を同じにできない尊格が混在しているため、天部のなかにも上下関係がある。~略~天部諸尊はしばしば、集団となって活動する。四天王、十二神将や二十八部衆などは、ひとつの目的のために終結した、いわば”チーム眷属”。」代表的な天は16もありますが、ひとつずつ紹介していきます。まず梵天。「古代インドのバラモン教で、宇宙の創造神として君臨したブラフマー神が、梵天の前身である。仏教に迎えられてからも、天部諸尊の最高位を占める別格の存在だ。」次は帝釈天。「インド最古の聖典『リグ・ヴェーダ』には、雷神として登場。神々の王として阿修羅と戦い勝利した話など、勇ましい逸話の多い最強神インドラが、帝釈天のもとの名前だ。」次は金剛力士(仁王)。「寺門の両側に立って、参詣者を最初に迎えるのが金剛力士像。~略~口を開ける阿形と、閉じる吽形で一対。」次は四天王。「四天王は、どんな仏菩薩にも仕えてその四方を護る、いわばオールマイティーの天部チームである。東方に持国天、南方に増長天、西方に広目天、北方には多聞天。」次は毘沙門天。「毘沙門天は、多聞天がもっていた北方守護の役目をさらに強力化した存在となり、武神として篤い信仰を集めた。」次は十二神将。「薬師如来につき従う十二神将は、薬師専属のガードマン・チームである。~略~宮毘羅・伐折羅・迷企羅・安底羅・頞儞羅・珊底羅・因達羅・波夷羅・摩虎羅・真達羅・招杜羅・毘羯羅の表記が一般的である。」次は吉祥天。「ヒンドゥー教では、美と繁栄の女神。」次は弁才天。「古代インドに流れていたという聖なる河、サラスヴァティーを神格化した女神が、弁才天である。」次は訶梨帝母。「鬼子母神とよばれる女性の仏で、その前身は、人間の子どもをさらって食らう古代インドの悪女神ハーリーティー。」次は十二天。「天部に属するあまたの尊格のなかから、重要な十二尊を一組としたもので、密教では方位を護る天部として大切にされている。」次は八部衆。「かつては異教の神だったものが仏に帰依し、仏法を守護するようになったのが天部の仏であるが、そのなかでとくに釈迦に忠誠を誓った八種の神を、八部衆という。」次は二十八部衆。「千手観音の眷属として主人を仏敵から守護し、千手観音を信仰する人々をも護るのが彼らの使命だ。」次は大黒天。「財宝は詰まった大きな袋を担いで米俵の上に立つ、円満な表情を浮かべた小太りな姿。これが、広く知られている大黒天の姿である。」次は韋駄天。「仏舎利を盗んだ鬼神を追いかけて、見事に取り戻したという伝説の持ち主。俊足を意味する韋駄天という言葉は、このエピソードがもとになっている。」次は歓喜天。「サンスクリット名が、”歓喜の自在者”という意味をもつことから歓喜自在天、大聖歓喜天ともいう。」次は八大童子。「不動明王に付き従う眷属という役割を与えられた、八人の少年グループである。」以上が代表的な天です。

「第三章 明王-忿怒の形相で迷い苦しむ人々を救済する」について

「仏像図解新書」(石井亜矢子著 小学館新書)の中で如来や菩薩に次いで登場するのが明王です。「如来は真理そのもの、菩薩とはその真理を衆生に説いて救済する仏。そして明王とは、菩薩でさえ真理を導くことができなかった者を教化する存在であると、密教では説く。~略~明王に課せられた役割は、如来と菩薩の救いの手から漏れた煩悩や魔障の一切を調伏すること。~略~如来の命を全うするためには、強制的にでも従わせなくてはならない。そのため忿怒相という怒りの形相をとるのが最大の特徴である。」代表的な明王(群)は5つあり、ひとつずつ取り上げていきます。まず不動明王。「『動かざる者』という名をもつ不動明王は、密教の教主である大日如来が、衆生教化のために変身した最高位の明王である。」次に五大明王。これは明王の群像で、私は京都の東寺で幾度か見ています。「不動は大日、降三世は阿閦、軍荼利は宝生、大威徳は阿弥陀、金剛夜叉は不空成就の五智如来の化身。この強力な集団は鎮護国家などの公的な修法の本尊となっていたが、やがて調伏や怨霊退散から安産まで、幅広い願いが託されるようになった。」次は孔雀明王。「明王のなかでただひとり、忿怒の形相ではなく、菩薩の慈悲相をみせるのが孔雀明王である。~略~毒蛇を食べる孔雀を神格化したとされ、その成立は明王のなかでもっとも古い。」次に愛染明王。「煩悩のなかでも断ち切るのが難しい愛欲ですら、浄化できるということを教える仏が、愛染明王である。~略~真っ赤な体躯と忿怒の形相、逆立つ髪に獅子頭をつけた冠をのせるのが特徴。」最後は太元帥明王。「林に住み、子供を食い殺すインドの悪鬼が、仏教の強化によって夜叉となり、明王にまで格上げされた尊格。~略~荒々しい出目をもつ明王だが、怨敵を調伏し国を護る本尊として、日本では九世紀から尊ばれていた。」以上が代表的な明王ですが、群像が登場したことから仏の安置形式にも触れておきたいと思います。「仏像は、単独で安置される独尊を基本とするが、実際には複数で祀られることのほうが多い。~略~寺院でみられるもっとも多い安置形式は、三尊像である。釈迦・阿弥陀・薬師の三如来が同格で並ぶものもあるがこちらも作例は少なく、ほとんどは中尊の両脇に格下の二尊が侍る形式となっている。」仏像はもちろん祈りの対象で、寺院によっては曼荼羅図を意図して複数の仏像を配置していますが、私は宗教より美術作品として仏像を鑑賞する傾向があって、仏像が乱立する空間は、まさに場の彫刻というべきか、それぞれの造形が空間の中で響きあって緊張関係を作り出すところに魅力を感じてしまいます。私は手を合わせることはなく、眼と肌感覚で造形間の張り詰めた空気を味わっているのです。そうした鑑賞方法もあると私は自己満足していて、それを満たすために寺院に足を運んでいると言っても過言ではありません。第四章は天です。

「第二章 菩薩-仏になるため悟りを求める修行者」について

「仏像図解新書」(石井亜矢子著 小学館新書)の中で如来の次に登場するのは菩薩です。「優しい表情を浮かべ、人々を苦しみから救いながら、如来となるための修業に励んでいるのが、菩薩という尊格である。~略~はじめ菩薩は、悟りを開く前の釈迦、ゴータマ・シッダールタを意味するものだった。それが、大乗仏教という新しい仏教の興隆によって、その性格に変化が生じる。大乗仏教の基本的な考え方は、自分の悟りを求めるためだけに修業するのではなく、広く他者をも救おうということ。それが菩薩の性格にも反映され、菩薩は”衆生を救済しながら悟りを求める修行者”という、如来に次ぐ仏となった。~略~菩薩を本尊としている寺院はかなりの数にのぼり、おそらく如来の数を超えている。最高位の存在である如来よりも敷居が低かったこともあるだろうが、誰をも等しく救ってくれるという慈悲の心をあらわす、女性的な姿の美しさや優しい表情などが、人々に親しまれた証なのだろう。」代表的な菩薩は14もあり、どれも有名なものばかりなので紹介していきます。まず弥勒菩薩。「菩薩時代から、如来となることが釈迦によって約束されていたため、如来と菩薩の両方が存在する。」次に聖観音。「観音という尊格は、紀元1世紀ころにインドで誕生した。その正統的な姿を伝えているのが、聖観音であるとされる。」次に十一面観音。「あらゆる方向を向き、衆生のどんな苦難も見逃さない。名前のとおり十一の顔をもつ観音は、現世利益をストレートに示して、貴賎を問わず多くの人々の心をとらえた。」次に千手観音。「すべての人々を救うという観音の慈悲を、目に見えるかたちではっきり示しているのが、千の手をもつ千手観音である。」次に不空羂索観音。「手に羂索を持ち、額には第三の目、肩には条帛の代わりに鹿皮をまとうのが不空羂索観音の特徴。」次に如意輪観音。「人々に金銀財宝を与え、それを得たのちの精神の幸福をももたらすと約束し、篤い信仰を集めた観音である。」次に准胝観音。「仏を生む大地母神的な性格が注目され、子授けや安産が願われるようになった。」次に馬頭観音。「平安時代に六観音信仰が盛んになると、馬頭観音は畜生道を守護する仏とされた。」次に文殊菩薩。「諸仏の智慧を象徴し、智慧の力で人々を悟りへと導く菩薩である。」次に普賢菩薩。「六牙の白象に乗ってあらゆる所にあらわれ、衆生を救う。」次に地蔵菩薩。「悟りを求める心は大地のように堅固で、人々に代わってどんな苦悩を受けても揺らぐことはないという、頼りがいのある菩薩である。」次に日光菩薩・月光菩薩。「どちらも単独で信仰されることはなく、かならずペアで薬師如来を護る。」次に虚空蔵菩薩。「大きな福徳を授けてくれる菩薩としても信仰を集めることになり、その信仰は奈良時代まで遡る。」最後に勢至菩薩。「智慧の力で人々を迷いから救う菩薩である。」以上ですが、菩薩の人気が窺える章でした。第三章は明王です。

5連休と言えども…

5月になりました。ゴールデンウィークの最中で、今日から5連休になります。まず今月の制作目標ですが、7月個展に出品する新作全てを今月末に完成しなければなりません。5月30日(日)が新しい図録用の撮影日になっているからです。その日から逆算して制作工程を組んでみましたが、毎日制作に励んでいても余裕がないことが判明しました。ただし、時間の融通が利くので何とかなるだろうと思っていますが、作品は何があるのか完成するまで分からないので、不安がないと言えば嘘になります。今月は制作に集中する1ヶ月になりそうです。新作の題名も考えなければならない時期にきています。現在作っている円形を土台にした陶彫による集合彫刻は「発掘シリーズ」として題名をつけていきますが、新たに作る木彫による中規模の作品は「構築シリーズ」にする予定です。その作品に陶彫部品の接合はありません。小品も作らねばならず、昨年度までは週末だけの制作だったのが信じられないくらいです。連休と言えども、私の意識の中には連休という特別な感覚が失われつつあります。それでも美大受験生が毎日工房に来ているので、連休で高校や予備校が休みなんだなぁと思っています。新型コロナウイルス感染症が増え続けていて、隣接する東京都が緊急事態宣言を出し、その波がいつ神奈川県に来るのか見当もつかず、連休中に人で混むところには出かけられません。私には創作活動があるため、連休で外出する楽しみはないのですが、多くの人にとっては相当なストレスになるのではないかと察しています。昨年度も同じような状況にいたことを思い出しています。昨年は校長職にあったので、今年とは違った意味で精神的に負担を抱えていたのは確かです。今年は蚊帳の外になりましたが、学校教育のことは折に触れて心配はしています。私の自論では教育は基本的に対面で行うべきと思っているからです。美術科は授業において個人制作を主体としていますが、課題のことを生徒同士が話し合ったり、お互い見合って意見交換したりするのが学びの向上に繋がると思っています。工房にやってくる美大受験生も同じです。今月に入って初日である今日は取り留めのないことをNOTE(ブログ)に書いてしまいました。まとまりのない文章をお詫びいたします。今月も頑張っていきたいと思います。

創作一本になった4月を振り返る

今日は4月の最終日なので、今月の制作を振り返ってみたいと思います。今月の大きな出来事は、長年続いた教職公務員との二足の草鞋生活にピリオドを打って、創作活動一本になったことです。これは自分の生涯の転機ともなることで、今月をどのように過ごしたのか、その中で何を考えたのかが、今後の私の人生の指針になるだろうと思っています。4月は30日間ありましたが、工房に行かなかったのは2日だけで、残り28日は工房で作業をしていました。2日間とは、東京の美術館や博物館に展覧会を観に出かけた日で、工房では窯入れをしていました。今日も陶彫部品を窯に入れて焼成中でしたが、照明をつけずにタタラを数枚作っていました。今月はそこまで制作に熱中し、只管邁進していたのですが、制作工程は思うように進まず、多少の焦りがあります。体力がなくなっているのに気づき、今月から体調維持のために近隣のスポーツ施設に水泳に通い始めました。校長職にいた時と明らかに違っていたのは神経の使い方で、両肩から重責が落ちて随分楽になりました。しかしながら身体の疲労は蓄積していて、朝起床する時は筋肉痛に見舞われています。朝9時には工房に出かけ、夕方3時くらいまでは作業をしていましたが、昼ごろに水泳に出かけた後の作業は辛いものがありました。新作の陶彫部品はまだ足りず、来月も木彫と併行して陶彫もやっていく所存です。展覧会の鑑賞は「古代エジプト展」(江戸東京博物館)、「ライゾマティクス_マルティプレックス」展、「マーク・マンダースの不在」展(両方とも東京都現代美術館)、「あやしい絵展」(東京国立近代美術館)、「灯りの魔法」展(横浜人形の家)、その他に先輩画家による個展にも足を運びました。映画では「シン・エヴァンゲリオン劇場版」(TOHOシネマ鴨居)、「JUNK HEAD」(シネマジャック&ベティ)を見てきました。1ヶ月の鑑賞としては、かなり充実していたように思います。コロナ渦の中で現在休館をしている美術館等もあって、自分はそのちょっと前に滑り込んだ展覧会だったため、思い立ったら即座に行くのが良いのではないかと思っています。RECORDは遅れ気味で、何とか挽回していきます。読書はゴーギャンの彫刻に関する書籍と仏像の解説書を読んでいて、どちらも楽しいものばかりです。来月も頑張ろうと思います。

昭和の日 連休の始まり

今日からゴールデンウィークが始まりますが、隣接する東京都に新型コロナウイルス感染が広がり、緊急事態宣言が出されているため、連休中も外出は避けるように各自治体では言っています。私のいる神奈川県でも感染者は少なくありません。連休といえども私も遠出は止めようと思っています。私には工房での創作活動があり、7月の個展に向けて新作の制作に奮闘しているところで、連休はこれに費やそうと思います。さて、今日は昭和の日です。元々今日は昭和天皇の誕生日でした。元号が平成に変わる時にみどりの日となり、このみどりの日が5月4日に移動して、昭和の日となりました。教職公務員との二足の草鞋生活を続けていた私にとって、この連休は貴重な陶彫制作に没頭できる日々だったため、毎年制作目標を決めて頑張っていました。その慣習は数十年も続いたので意識は変えられず、今年も特別な精神状態になっています。それはそれで歓迎すべきことだなぁと思っています。工房に出入りしている美大受験生たちも連休中は遊びにも行けず、しかも予備校が休みを取るので、ずっと工房にやってくるようです。私は今月は陶彫制作に明け暮れていましたが、乾燥した陶彫部品を窯に入れる機会が少なく、そろそろ焼成しないと次に進めない段階になったので、今日は陶彫部品2点に仕上げと化粧掛けを施し、夕方窯入れを行ないました。明日は照明等の電気は使えなくなりますが、自然光の中でタタラの準備くらいは出来ると思っています。自宅で遅れたRECORDを挽回しようと思っていたので、明日はその計画でいこうと思います。

「第一章 如来-真理を悟った無上の仏さま」について

現在読んでいる「仏像図解新書」(石井亜矢子著 小学館新書)の最初に登場するのは如来です。「如来という言葉には、『修業を完成した者』という意味がある。サンスクリット語の原語を直訳すると、『真実から来た者』、厳しい修業を積んで悟りを開いた、仏の称号のなかでも最高のものだ。釈迦のことを仏陀とよぶが、もともと仏陀という言葉は、釈迦だけでなく真理を悟った者すべてを指すものものだった。広い意味での仏陀の呼び方のひとつが如来。~略~如来の特徴のひとつに、装身具の類は一切身につけないということがある。必要最小限のいたって簡素な姿をするのが如来であり、これは出家したときにすべてを捨てた釈迦の姿に由来しているという。」次に本書では代表的な如来を挙げています。まず釈迦如来。「如来グループの筆頭であるばかりでなく、すべての仏像の原点が、釈迦如来である。」2つめは薬師如来。「仏像では、病気平癒や延命を願ってつくられたものが圧倒的に多い。」3つめは阿弥陀如来。「この世で幸福が望めないなら、せめてあの世では極楽へ。そんな祈りを込めて、平安貴族たちは争うように阿弥陀像を造立した。」4つめは弥勒如来。「弥勒は、釈迦が入滅した56億7千万年ののち、仏法が廃れている末法の世に、兜卒天から地上に降り立つという。釈迦に次いで如来となったのが、この弥勒。」5つめは毘盧遮那如来。「釈迦が説いた教え、仏法そのものがかたちとなってあらわれた尊格が毘盧遮那如来である。」奈良にある東大寺の大仏は正式名を盧舎那仏というので、このグループに入ります。6つめが大日如来。「密教世界の中心に存在する最高の仏、絶対的な存在が大日如来である。」以上が代表的な如来ですが、仏が備える尊い特徴として三十二相があり、意思をあらわす手指の形として仏の印相、または手印と呼ばれるものがあります。私が寺院を訪れて注目するのが光背で、仏の背後に据え、尊さを視覚化していて、精緻な透彫りが見事なものが数多くあります。火炎のデザインなど私が自作に応用しているものもあります。仏の座り方も注目に値するもので、結跏趺座(けっかふぎ)というものがもっとも安定した座り方のようです。座法ではありませんが、横臥という横たわった釈迦の姿があって、それは入滅した時の釈迦の姿で、涅槃というすべての束縛から解脱した境地に至ったことを意味するものだそうです。普段眼にしているもののきちんと学んだことがなかった仏像の知識ですが、次回は菩薩のことを学んでいこうと思っています。

横浜山下町の「灯りの魔法」展

横浜山下町にある人形の家で「灯りの魔法 魅惑のドールハウス」展が開催されています。家内がその情報を仕入れ、是非見に行きたいと言ってきたので、今日の夕方になって横浜人形の家に行ってきました。家内は美大で空間演出デザインを学び、またウィーン美術アカデミーでは舞台美術を学んできたので、ミニチュアの舞台装置とも言えるドールハウスが大好きなのです。「灯りの魔法 魅惑のドールハウス」展には海外の作品ばかりではなく、日本人作家による作品も展示され、見応えのある展示になっていました。同展のパンフレットに「本展では18世紀後半に製作されたアイルランド・ロンドンデリーの博物館に所蔵されていた『ハスケルハウス』や、1843年に製作され有名オークションカタログの表紙を飾るなど話題となった『ミリガン家の肉屋』のほか、〈灯り〉をキーワードにヨーロッパやアメリカ、日本のドールハウス作品をアンティークから現代まで幅広く展示いたします。」とありました。ヨーロッパ発祥のドールハウスの雰囲気としては、欧米の作品に軍配が上がりますが、日本人特有の器用さと緻密さが生かされた和製ドールハウスにも一見の価値はあると思いました。展覧会の中で一角を占領していたのはディビッド・スカルファーによる数点の作品で、灯りが仕込まれた古い街角に西欧の情緒が織り込まれ、日用品が乱雑に置かれた室内や、外に続く石畳や拉げた建造物などは、ずっと見ていても飽きのこない世界だなぁと思いました。ディビッド・スカルファーはイギリス生まれで、演劇関係の家庭で育った彼は、30年間ロイヤル・オペラカンパニーなど名立たる劇団で舞台装置製作に従事した後、ドールハウス作品の製作をスタートさせたようです。これを見ていると、私は40年も前にウィーンの国立歌劇場の立見席で見た数々のオペラの舞台を思い出し、写実的な舞台装置が醸し出す西欧の陰影の齎す雰囲気に、日本とは違う文化を感じ取っていました。当時はその雰囲気が大好きで、朽ちた石壁に葡萄の蔓が絡まる世界に浸っていました。自分がその文化に同化できないことを知って、そこから日本人としての美意識の確立に向かったのでした。「灯りの魔法 魅惑のドールハウス」展では奇しくも過去の自分とも向き合う結果になりましたが、午前中は工房で陶彫制作に集中していたので、西欧情緒に流されない自我を再認識することになりました。

版画集「予感の帝国」について

先日、大きな企画展を見に行った東京都現代美術館で、「Tokyo Contemporary Art Award2019-2021受賞記念展」が開催されていて、風間サチコ氏の代表作となる巨大な木版画が数多く展示されていました。私はその大きさにも圧倒されましたが、テーマとしている現代社会の虚飾やブラック・ユーモアにも心を震撼させる表現があり、強く印象に残りました。早速、私はギャラリーショップで風間氏の版画集「予感の帝国」を買い求め、折に触れこの独特な世界観を味わっております。私は木版画には思い入れがあり、彫刻を学び始めた20歳の頃に木版画もやっていました。私はドイツ表現派のモノクロ木版画を見て、その表現の強さに惹かれましたが、風間氏の木版画で描かれる世界観はさらに進んでいて、社会的なテーマの中に毒を含んだ辛辣な表現が見受けられます。それは独裁主義的な傾倒表現があったり、宗教を連想させる大きなものから、寂れ鄙びた下町の横丁を連想させるものがあったりして、描かれた世界の幅の広さにも驚かされます。版画集に寄稿された論考から引用いたします。風間氏の世界観をニーチェの超人思想から読み解き、永劫回帰に至るところで、こんな文章がありました。「今この瞬間ばかりではなく、何度も回帰することを前提に、風間は作品を制作している。それは、作品の中で愚行の歴史が繰り返される有様を描いてきたからだろう。自らも歴史の舞台に回帰しつづける、そして人々の忘却の後に作品が発見されたときにはもっと大きな爆発となるのだという信念が窺える。~略~日本近代の歴史を振り返ると、芸術のテロリストたちは、いずれもその人生の間に失敗してきた。軍国主義化する時代に抗して、自由を訴えることは、誰もできなかった。そして、狂信的な愛国心を持った人々や格差や差別を推し進める人々が、大きな影響力を持ち、不穏で息苦しい社会を作り上げる、というのは現在進行形の話だ。それでも、風間は、この社会に対してトンチや知恵をきかせた『高度な戦い』が必要だと前向きに言う。」(足立元著)風間サチコ氏の木版画は今後どのような思想を展開していくのでしょうか。私は注目し続けていきたいと思っています。

週末 連続した制作の日々②

日曜日になりました。今日は朝から2人の美大受験生が工房に来ていました。東京にコロナ渦の緊急事態宣言が出されたことで、ゴールデンウィーク中に行こうと思っていた東京の美術館が臨時閉館されたことを、彼女たちは残念そうに言っていました。私も同感で、東京で開催されている展覧会に足を運ぼうと思っていたのです。とにかくゴールデンウィーク中はずっと陶彫制作を続けることになりそうです。現在、新作の陶彫部品は3分の2は完成していますが、やらなければならないことが次々に出てきています。昨年度までウィークディは公務員として働いていたわけで、週末だけの制作でよく間に合ったなぁと思い返すことが度々あります。確かに今までは完成するかどうかの綱渡りはしていました。先月まで公務員として働いていたので、現在も綱渡り状態であるとも言えますが、今月は連続した制作の日々が続いているので、切迫した状態は回避しています。今年の新作は例年より陶彫部品の数が多いと思っていますが、全体構成としてはボルトナットで陶彫部品を繋げていくことがなく、組み立ては単純で、過去の作品のような危険な箇所はありません。円形の土台に陶彫部品を只管嵌めこんでいく作業になります。円形土台の残り半分の厚板加工がまだ出来ていないことと、土台表面に施す砂マチエールをまだやっていないことが今後の課題です。それでも今月は乾燥時間を取らなければならない陶彫制作に没頭することを決めているので、今日も朝から夕方まで陶彫制作一本に絞って作業を続けていました。日々連続して制作をしているため、土練りも頻繁に行っていて、貯蓄している陶土がどんどんなくなっていきます。この陶土の消化率も初めてのことですが、制作に勢いが出てきていることもあって、彫刻が精神の産物であるならば、これは歓迎すべきことなのかもしれません。明日も制作続行です。

週末 連続した制作の日々①

今月に入り、毎日工房に通う日々が続いています。工房に行かなかった日は、初日の江戸東京博物館に行った日と、13日の東京都現代美術館と東京国立近代美術館に行った日の2日間で、残りの日々は全て工房に通っていました。今までは公務員との二足の草鞋生活で、年末年始の休庁期間に連続して10日間近く制作したことがありましたが、今月のように20日間以上も制作が連続しているのは人生初めてのことです。以前のNOTE(ブログ)に書いたように、職場に出勤している如く、自分で決めた時間に工房に出勤し、夕方まで工房で過ごしています。職場と違うのは重責を担うことがないため神経を使わず、心が常に解放されていて楽しさに溢れていることです。毎年冬場になると、陶土を扱っているせいで、掌が荒れて保湿クリームを使っていましたが、今月は暖かい季節になっているにも関わらず、掌は荒れ放題です。ただ制作工程は思っていたほど進まず、これは陶彫が乾燥を必要とする焼成素材の特徴によるものと理解しています。陶彫は自分のイメージに見合った素材であることだけではなく、二足の草鞋生活で時間を置くことにも有効な素材であったわけです。日曜日の夕方に窯入れをすれば、私は月曜日から水曜日までを校長として学校運営に関われたわけで、水曜日の夜に窯の入れ替えをすれば、週末まで窯出しはせず、乾燥にも焼成にも都合の良い二足の草鞋生活だったのでした。今月は美術館に足を運んだ2日間だけ焼成の時間を取りました。これから美術館に鑑賞に行こうと思っても、3度目の緊急事態宣言が出された今となっては、休業している公共施設が多く、窯入れは連休明けになりそうです。今日も陶彫制作に励みました。明日も頑張ろうと思っています。

新聞記事「異形の顔 両面宿儺」について

昨日の朝日新聞の記事に面白い内容が掲載されていたので、NOTE(ブログ)で取り上げます。記事の見出しは「異形の顔『両面宿儺』は何者か」というもので、私は両面宿儺(りょうめんすくな)という存在を初めて知りました。それぞれ反対側に二つの顔を持っていた怪人で、歴史書「日本書紀」に登場します。編集委員がこの記事を書いた契機は、両面宿儺が人気マンガの主人公の敵役として登場するらしく、マンガによるキャラクターが、熱心な読者層によって既に知れわたっているのかもしれません。私はまだその人気マンガを読んだことがなく、日本古来の伝承をマンガのキャラクターに応用する手法は、私にも旧知の「鬼滅の刃」に登場する鬼にも通じるものがあるように思えます。記事によると「古くから、異形には邪悪なものを退ける力があると考えられてきた。『表裏に顔のある考古資料としては、縄文時代の香炉形土器や弥生時代の再葬墓から見つかる人型土器などがあるが、それらが二つとも同じ顔なのに対し、和歌山市大日山35号墳の入れ墨入りの両面埴輪は、片面の顔だけが口が裂けた異形に表現されている』(考古学者設楽博巳氏)と指摘する。」とありました。まだまだ解明されていない謎が残る古代史に、ロマンを感じているのは私だけではないはずです。マンガを初めとする表現活動に創作が入り込む余地があるとすれば、なかなか楽しいし、それが要因になって子どもたちが考古学に興味をもてば、学術層が厚くなるのではないかとも思います。ネットで調べてみると、日本書紀の両面宿儺に関する部分が出ていました。全て引用いたします。「六十五年 飛騨國有一人 曰宿儺 其爲人 壹體有兩面 面各相背 頂合無項 各有手足 其有膝而無膕踵 力多以輕捷 左右佩劒 四手並用弓矢 是以 不随皇命 掠略人民爲樂 於是 遣和珥臣祖難波根子武振熊而誅之(現代語訳)六十五年、飛騨国にひとりの人がいた。宿儺という。一つの胴体に二つの顔があり、それぞれ反対側を向いていた。頭頂は合してうなじがなく、胴体のそれぞれに手足があり、膝はあるがひかがみと踵がなかった。力強く軽捷で、左右に剣を帯び、四つの手で二張りの弓矢を用いた。そこで皇命に従わず、人民から略奪することを楽しんでいた。それゆえ和珥臣の祖、難波根子武振熊を遣わしてこれを誅した。」

「仏像図解新書」を読み始める

仏像のことはざっくりとした概観の知識しか持っていない私が、改めてここで知識を学び直そうと考えて、本書「仏像図解新書」(石井亜矢子著 小学館新書)を手に取りました。教壇に立っていた頃、美術科で鑑賞の授業があり、その時に仏像の簡単な知識を私は生徒に教えていました。修学旅行で京都や奈良に行く予定がある場合、その事前学習の一端として仏像理解を授業に取り入れていたので、深く追究することはせず、如来・菩薩・明王・天の4つのグループがある程度の知識で、授業を成り立たせていました。鑑賞にはどのくらいの知識が必要か、知識がなくても感覚的に感性を震わせる作品がないわけではありませんが、とりわけ現代アートの場合は、ほとんどの作品が空間を哲学的に解釈することが作品を味わうことになっているので、それに伴う知識が必要だろうと私は思っています。仏像の場合は特定の宗教との結びつきが色濃く出てしまいますが、純粋に美術作品としての鑑賞対象にもなり得ると私は考えます。仏像を彫刻として私に捉えさせてくれたのは、鎌倉時代の仏師運慶でしたが、運慶の仕事ぶりを知って以来、私は仏像を美術的な視点で見るようになりました。そのうち何回か私事旅行で関西に足を運ぶうちに私が愛してやまない仏像が登場しました。それは奈良の秋篠寺にある伎芸天で、その姿形の優しさに惹かれました。そんな私の僅かな仏像鑑賞体験ですが、知識があれば面白さは倍増すると思っています。本書の冒頭にこんな文章がありました。「『如来・菩薩・明王・天』の四つのグループは、実はそのまま仏教における”ヒエラルキー”を示すものといえる。筆頭は如来で、以下順番に格が下がっていく。これは、仏の価値とはまったく関係せず、役割に応じた区別にすぎないのだが、上下関係のある体系をなしていることが仏教思想の特徴。」とあり、仏像の見分け方として髪型や着衣があります。その中でも着衣は分かりやすい特徴があるので、文中を引用いたします。「仏像の着衣は、如来・菩薩・貴顕天部・武装天部の四種類に大別できる。如来は、上半身に袈裟をまとう。~略~菩薩は、裸形の上半身に条帛を斜めに掛け、下半身には裳を着ける。~略~貴顕天部は中国の貴人をモデルとした正装で、例外なく沓を履いている。~略~武装天部は文字どおり甲で身を固めた動的な姿で、動きを表現するために天衣をまとう場合もある。」本書は四つのグループの特徴を章に分けて記してあり、これは楽しみながら読めそうです。

「初期作品ーさまざまな試み」について

「中空の彫刻」(廣田治子著 三元社)の「第二部 ゴーギャンの立体作品」の中の「第1章 初期の彫刻(1877~1885)」のうち、今回は「2 初期作品ーさまざまな試み」をまとめます。ゴーギャンの最初の彫刻作品は写実的な肖像彫刻で、家族をモデルにした大理石彫刻でした。彼が近代的な彫刻へ目覚めたのはドガとの関係がありました。「ドガが描くモダンな女性や女生徒に対し、ゴーギャンは木彫《散歩をする婦人》において、素材の特質を尊重し、意図的に表面に滑らかな仕上げを施さずにナイフの跡を残して無骨な表現を与えている。とりわけ顔や手などの細部は未完成の観を呈し、全体の硬直したフォルムとともに、プリミティヴな表現を目指していることが理解される。流行の衣服に身を包む女性からかわいらしさ、美しさを剥ぎ取った、このような外観を与えたことは、ユイスマンに『ゴチック的に現代的である』との批評を促すことになった。」また、こんな一文もありました。「ブルジョワ社会の内側から下層社会の少女を厳しい目で捉えたドガに対し、ゴーギャンは原始社会におけるのと同様、性の倫理に囚われない動物的なたくましい女性の中に親しみと理想を描いていく。~略~ドガの影響を考える上で重要なものとしてこのほかに、素材の混合とポリクロミーの問題があるが、それはまた両者の芸術の違いを浮き彫りにする。ドガは踊り子を蝋で制作し、本物の衣装などを用いて、芸術と現実の境界に挑戦するレアリスムを追究した。これに対し、ゴーギャンの《歌手》におけるポリクロミーや背景の金の賦彩は、人物の発する超現実的表現性を強調するとともに装飾的効果をもたらすものであった。」論考の展開はゴーギャンの工芸にも及び、ゴーギャンの試みが多様化していたことが窺えます。「ゴーギャンにとって、手工芸も『芸術家気質を刻印する手段の一つ』であった。それはすでにこの芸術家としての出発点の時期から顕著であった。《書棚》、《クロヴィスの胸像》そしてこの《手箱》においてゴーギャンは、オブジェ・トルーヴェ、すなわち見いだし収得した既製品を用いながらそこにサインを施し、作品の芸術性を主張した。まさしくレディー・メイドの手法である。」M・デュシャン以前にこんなことがあったとは、私は知りませんでした。「ゴーギャンはアカデミックな彫刻から出発し、ドガの近代彫刻への大胆な挑戦に触発されつつ、ロマン主義からロダンまで彫刻家たちの作品にも注目していた。また装飾芸術と彫刻の境界線を取り払う試みにも挑戦した。さらにオブジェと芸術の関係にも踏み込んだといえる。」ゴーギャンの革新性を改めて知り、その後の作品の展開が楽しみになりました。

甲斐生楠音「横櫛」について

先日、見に行った東京国立近代美術館の「あやしい絵展」では、日本美術史に大きく取上げられている有名な画家がいる一方で、マニアックな画家も多く、私が思わず足を止めた作品を描き上げた画家も、私には名に覚えのない画家でした。表現に強烈なインパクトを放っている画風を知って、甲斐生楠音は大正時代に活躍した人であることが分かりました。同じ画家による「横櫛」という題名のついた作品が2点あり、いずれも美しく化粧した女性の妖艶さが際立っていて、ゾクっとしました。女性が笑みを浮かべている風貌は、レオナルド・ダ・ヴィンチの「モナ・リザ」の影響があるらしく、白粉の下の皮膚の温かさも感じさせていました。さらに「横櫛」2点に続く「春宵(花びら)」は、女性の風貌が強烈過ぎて、グロテスクな恐ろしさも感じました。また未完の大作「畜生塚」は20人近くが登場する女性群像で、完成したらこれも強烈な光を放つ作品になっただろうと予想しました。「横櫛」を初めとする作品群は西洋美術からの影響が強く、それ以前の京都画壇がもつ円山応挙を代表とする写生派の伝統と融合させていたように思えます。時代が移り変わるに伴い、甲斐生楠音の陰影のつけ方は明らかに西洋絵画そのもので、その肉感の捉え方でレオナルド・ダ・ヴィンチを参考にしたことがよく分かります。図録にこんな文章がありました。「人物の写実的な描写をとおして、人間の肉体の生々しさ、退廃的雰囲気をともなう官能性が感じられる。それだけでなく、白粉を厚く塗った肌の質感、着衣の下の体の量感を執拗なまでに描写する姿勢は、幕末から明治のパートで取り上げた過剰な『リアリズム』を想起させる。ただ幕末期と異なる点は、甲斐生らが、本物らしさを追求するのではなく、美しい装いの下に隠された人間味、人の心の計り知れない奥深さをひたすらに探ろうとしたことである。」(中村麗子著)当時も西洋絵画に影響を受けながら、日本では風土に根ざした画風の独自性を、それぞれの画家が追求していたと思われます。本展では、企画展の特殊性からラファエル前派のロセッテイ、世紀末芸術のビアズリー、アール・ヌーヴォーのミュシャに出品が限られていましたが、絵画から図案、挿絵印刷に至るまで西洋で興った近代芸術運動を日本人画家たちが逞しく咀嚼しながら、日本にあった表現の確立に努めていた様子がよく理解できました。

東京竹橋の「あやしい絵展」

先日、東京竹橋にある東京国立近代美術館で開催されている「あやしい絵展」に家内と行ってきました。ウィークディにも関わらず鑑賞者が多く、コロナ渦の影響もあってネットでチケットを申し込む方法は定着したように思います。「あやしい絵」とはどんな絵なのでしょうか。私は20代の頃に退廃的な世界に魅了されていた時期がありました。ウィーン世紀末の画家クリムトやシーレの暮らした文化風土が知りたくて、自分がウィーンに滞在した要因のひとつでもありますが、これは自分の求めていた世界観とは違う妖艶で神秘的な世界にも惹かれていたのでした。展覧会を企画した主任研究員が図録に書いた文章を引用いたします。「集められた作品は、幕末から昭和初期の退廃的、妖艶、奇怪、神秘的、不可思議といった要素をもつ、単に美しいだけではないものたち。~略~『あやしい』表現の成り立ちには、作られた当時の社会状況や造形の歴史が映し出されているが、実は作品の主題もまた深く関係している。会場で1点ずつじっくりと鑑賞しながら巡る場合、主題を踏まえつつ造形を観察したうえで、社会状況や歴史の流れのなかに作品を位置づけるほうが、作品を理解しやすいのではないかと考えた。そのために主題別の展示構成を採用することにした。」(中村麗子著)なるほど作品の妖しい魅力だけでなく、本展は時代とともに作者の表現に対する考え方の違いが分かる展示になっていて、とりわけ西洋美術の影響は至るところに見られました。私はアール・ヌーヴォーが日本の図案で果たした役割が大きいと思いました。日本から浮世絵が輸出され、その影響を受けた西洋美術が日本人に与えるものがあって、その意図はなくても相互の文化交流が面白いなぁと感じました。図録の別稿に、そもそも「あやしい絵」に多くの人が惹かれる理由があって、私も賛同してしまいました。「私が考える『あやしい絵』とは、尋常ではないもの、異常なものを内包し、しかもその尋常でないものに負の要素が含まれる絵である。例えば、病、死、破滅、狂気、恐怖、衰退、不安、タブーなどであろうか。そしてそこにセクシャルな要素が加わることで、作品は強い牽引力をもち、人を惹きつけるようになる。~略~異常なことは、人の興味を引きつける。人間は、安全なもの、正常なものより、むしろ異常なものに鋭く反応し注視するように仕組まれているらしい。それは『危険なもの=怖いもの』を敏感に察知し、身の安全をはかろうとする動物の防衛本能だろう。」(中村圭子著)展示された作品に関する感想は後日に改めます。

週末 陶彫制作に拍車

今日も朝から夕方まで工房に篭っていました。今日はいつものように2人の美大受験生が工房に来ていて、それぞれの課題をやっていました。私は昨日、新作の全体構成を見たことにより、先の見通しを持って陶彫制作に拍車をかけていました。今月も中旬を過ぎ、思っていたより制作工程が進んでおらず、とにかく陶彫部品がまだまだ足りないことが、全体構成を見て露見してしまいました。来月のどこかで予定している図録用の撮影日までは緊張が解けないだろうと思っていて、それはそれで日々の生活に張りをもたせるのには良いことだと思っています。校長職にあった頃、退職後の生活をイメージしたことがありました。学校は日常的に危機管理が発生するので、退職までに現在進行形の課題を解決し、これ以上の問題が起こらないように祈願していました。退職したら、さぞホッとするだろうと思いつつ、肩から重責が降りた時に、自分は暫し思考が停止して動かなくなってしまうのではないかと危惧していましたが、いざ退職を迎えると、さにあらず忽ち創作活動に支配され、教育から芸術に課題が移り変わりました。勿論他者のことで右往左往する学校組織とは違い、自分のことだけを考えていれば済むので、気は楽になりましたが、創作の創作たる所以を考えていくようになり、私が元来やりたかったことに漸く腰が入ったのだと理解しました。陶彫という技法は自分の思い通りにならないところがあって、焼成を成功するために行う処理と、自分の世界観を推し進めるために行う造形が、時に対峙することがあり、またそこが面白いと感じています。陶彫は制作工程で乾燥に費やす時間があるので、焦っても進まないのはこうした焼成を成功させるための処理なのです。教職との二足の草鞋生活の時は、暫く陶彫を放置する時間があり、それが制作工程上で便利だったのですが、毎日制作している現在としては、乾燥をじっくり待っていられないというのが本音です。陶彫成形と彫り込み加飾をどんどんやって、多くの作品を乾燥台に置いていこうと今は考えているところで、今月は陶彫制作に拍車をかけていきます。

週末 新作の全体構成を見る

今日は朝9時から夕方4時まで工房に篭っていました。週末となっても特別なことはなく、私は日々工房に通っているのです。ただ、週末は今までの慣習に従って、新作の制作状況を書こうと思っていて、そこに創作活動のメリハリをつけていきます。今日は新作の陶彫部品がかなり出来上がってきたので、厚板で作った土台を並べて、そこに陶彫部品をセットしてみることにしてみました。厚板を加工して作った鋭角な二等辺三角形の土台を並べていくと円形になるように設計してあるのです。今はまだ半分しか厚板土台が出来上がっておらず、半円の状態を床に置いてみました。厚板土台は高さが10cmあって陶彫部品を入れるための穴を開けています。そこに陶彫部品を入れて全体を見ることになるのですが、厚板土台も半分、陶彫部品も半分しか出来ていない状態だったので、残りの日程を計算して、今後どのように作品を作り上げていくのか、制作工程を練り直してみました。それでも全体の雰囲気は確認できました。全体構成を見るのは今日が初めてだったので、当初のイメージを思い起こし、イメージとの差異がないかどうかをじっくり確認しました。ほとんどイメージ通りだったのが安心を得たところでもありましたが、意外性がなかったことが不満と言えば不満でした。計算され尽くしていることも退屈を齎す要因になるので、私が心配するところでもあるのです。まだ陶彫部品がかなり足りないので、今日の午後は早速土練りを開始して、タタラを数枚用意しました。毎日作れる幸せを噛みしめながら、明日から陶彫成形に邁進しようと思いました。今回の新作は以前のように二足の草鞋生活をやっていたら、図録の撮影日に間に合わなかったかもしれないと思いながら、4月から自由の身になることをある程度想定していたことも思い出しました。それでも先月まで校長職にあったので、時間が充分あるとは言えず、明日からも引き続き頑張ろうと思います。

映画「JUNK HEAD」雑感

昨晩、久しぶりに横浜の中心街にあるミニシアターに家内と行きました。レイトショーであるにも関わらず、上演された映画の客の入りは上々だったのではないかと思いました。映画「JUNK HEAD」は、コマ撮りアニメまたはストップモーションアニメと言われるアナログな技法を駆使して作られていて、その手間暇のかかる画像の面白さに惹かれました。一人の映画監督が7年もの歳月をかけて、自宅兼倉庫に大型テントを増設して撮影を始めたようで、その内装写真を見ると自分の全てを賭けて取り組んでいる様子が窺えました。監督をサポートする人も少なかったのが図録によって分かりましたが、それを補って余りあるほどの熱の篭った表現に圧倒されました。物語は至って簡単で、人類は地下開発の労働力として人工生命体マリガンを創造し、そのマリガンが自らのクローンを増やして人類に反乱を起こします。人類は地下世界で独自に進化するマリガンの生態調査をすることになり、主人公パートンを地下に派遣することになったのです。そのパートンが地下で出会う様々なマリガンの種族や異形生物との関わりがドラマとなり、映画全編にわたって描かれていました。物語としては生態調査のことより、映画はそこに棲息する異形生物の在りようを描いていて、コマ撮りアニメであることを忘れさせる滑らかな動画に、まるで実写であるような雰囲気を感じてしまいました。これは現代に対する提言もあるのでしょうか。もしそうであるなら、遺伝子操作により生殖機能を失った人類は、マリガン族にその生殖の可能性を探るものの、地下に棲みつく畸形な生物に翻弄され、また蹂躙される生活が待っているという警告もあるのかもしれません。地下世界の背景は錆びついた巨大な迷路のようになっていて、腐食した金属や瓦礫があちらこちらに置かれていました。私は錆びついた情景が美しいと感じる感覚を持っていますが、澱んだ空気にどんな未来があるというのでしょうか。

東京木場の「マーク・マンダースの不在」展

先日、東京都現代美術館で開催中の「マーク・マンダースの不在」展に行ってきました。「ライゾマティクス_マルティプレックス」展を見た後、他の展示会場で大掛かりな立体作品を展示する個展が開催されていて、その素材の持つ存在感と不思議な空間に魅了されて「マーク・マンダースの不在」展に足を踏み入れました。マーク・マンダースは1968年オランダ生まれで、ベルギーに工房を構え、30年以上も「建物としての自画像」をテーマに作品を作り続けている作家であることを知りました。「建物」という枠組みを用いて構築するインスタレーションは、展示全体をひとつの作品として構成されていたように思います。塑造された巨大な頭像が未完成なままゴロンと横たえている状況に、これは物質が展示会場全体に及ぼす空間的な影響力を、私は感じ取りました。風化して今にも崩れ落ちそうな具象的形態。粘土の危うい質感にこれから何かが起きそうな気配を喚起させ、あたかも時間が凍結したような瞬間がそこにありました。また制作途中で立ち去った作家の痕跡もあり、それがタイトルにある「不在」を示すものかなぁとも思いました。ともかくこの日、私はデジタル技術を駆使した「ライゾマティクス_マルティプレックス」展を見た後だったので、「マーク・マンダースの不在」展の粘土や木材といった実材の存在感が際立ってしまい、デジタル表現とアナログ表現の両極端の違いを見せつけられた按配になりました。私は20代から彫刻の塑造表現に慣れ親しんできた者で、今も陶土に変えて塑造集合体で構成する立体作品を作り続けています。そのためか「マーク・マンダースの不在」展に内心浮き足立って、大いに刺激を受けてしまいました。それにしてもよくもこんな巨大な立体作品をヨーロッパから運んだものだなぁと思いました。今にも崩れそうな粘土はブロンズに鋳造していることが作品リストから分かりましたが、ついその労力を考えてしまうのは展示の裏側を知る自分の癖なのです。幸い同展の鑑賞者が多く、作品の雰囲気が不在を示しているにも関わらず、多くの人が作品を見ていたため、空虚な感じはありませんでした。作品リストに掲載されていた作家のコトバを引用いたします。「彫刻を作る中で一番興味深いのは、作り手の思考のようなものが見えることです。作品に本当にたくさんの意思決定の段階、例えば金属や粘土を使う、それぞれのプロセスに作り手の思考や意志、決定事項が見えます。」うーん、意外にも普通なコトバで、まとも過ぎる考え方に不意打ちを喰らった感じです。

東京木場の「ライゾマティクス_マルティプレックス」展

先日、東京都現代美術館で開催中の「ライゾマティクス_マルティプレックス」展に行ってきました。ライゾマティクスという異能集団には、アーティストやエンジニア、建築家や研究者もいて、それぞれが専門分野で分担し、ビッグデータの視覚化や多様なデジタル表現を通して、マルティプレックス(複合的)な演出を手がけていました。展覧会で紹介されていたパフュームの舞台映像は私も知っていて、その彼らが美術館で大掛かりな展示を試みていたのでした。最近見たNHK番組の「日曜美術館」で「ライゾマティクス_マルティプレックス」展のことを知り、是非行ってみたいと思っていました。私は学校に勤めていた頃に、教え子たちを連れて、東京お台場にあるデジタルアートミュージアムに行ったことがあります。その時は、彼らと学校体育館の内部で試みたプロジェクション・マッピングのことをもっと学びたくて、チームラボの人たちに会ってきたのでした。そうした動きはさまざまな場面で生かされていて、アートの主要な媒体として私は注目しています。同展でまず心を動かされたのが、白い5個の立方体が前後左右に動き回り、そこに光を投影してアクティヴな空間を創出していた部屋でした。映像には立方体にダンサーが配置され、彼らの動きとコラボレーションしていましたが、実際の部屋にはダンサーはおらず、光でその残像が映し出されていました。次に注目したのが、小さな球体がカーブを描いて流れてくる巨大なレールのオブジェで、球体は自ら光を放ち、その不規則性に不思議な雰囲気を感じさせ、まるで球体が生きているかのような錯覚を齎せていました。音響も空間演出に重要な役割を果たしていました。立方体にしろ、巨大なレールにしろ、アナログな物質とデジタルな仮象を組み合わせた世界観は、忽ち私を虜にしました。図録が後日届くことになっていますが、その背景となる思索や多様な試行錯誤のことも図録にあれば知りたいと思っています。これは現代が生み出した新しい表現形態ですが、美を享受する心は普遍的なものではないかと私は改めて思った次第です。

東京の展覧会を巡った一日

今日は工房での作業は止めて、家内と東京にある美術館に出かけました。コロナ渦の影響で最近ではネットによる予約が一般的になっていて、入館時間も決められています。今日は2つの美術館、3つの展覧会を巡りましたが、一日中工房に行かない日とあって、昨日は乾燥の進んだ陶彫部品2点に仕上げと化粧掛けを施し、窯に入れておきました。今日一日は、工房では焼成のために他の電源が使えなくなるのです。さて、今日巡った展覧会ですが、朝9時に自宅を出て、まず木場にある東京都現代美術館に向かいました。そこで開催されている「ライゾマティクス_マルティプレックス」展と「マーク・マンダースの不在」展を見てきました。東京都現代美術館は久しぶりにやってきました。地下鉄の清澄白河駅から歩きましたが、途中に深川資料館があってレトロな町並みが再現されていました。「ライゾマティクス_マルティプレックス」展はテレビで紹介されていて、デジタル・アートの方向性が興味深くて、是非見てみたいと思っていたのでした。彼らは設立15周年を迎える団体で、アーティストやエンジニア、建築家、研究者たちで構成し、美術館では初になる発表をしているのだそうです。アナログなオブジェとデジタルな光と影が織り成す不思議な空間を体験しました。詳しい感想は後日改めます。同館では巨大な彫刻を展示していた「マーク・マンダースの不在」展もやっていて、塑造と木材の構成による始原的な面白さを改めて見せられて、私の心は浮き足立ちました。よくもまぁ、こんな大きな塑造作品をオランダから持ち込んだなぁと思いましたが、土の色に彩られたブロンズ像は、あたかも今まで粘土で塑造されていた現場の臨場感があって、西洋美術として遠い過去から伝承されてきた具象の様式美がずっと凍結されてきた雰囲気を感じました。この展覧会の詳しい感想も後日に改めます。今回の2つの大掛かりな展覧会の図録は後日発送されることになっていて、ギャラリーショップでは注文を受け付けていました。図録が届いたら、それを読みこんで改めてNOTE(ブログ)に起こそうと考えています。次に向かったのは東京国立近代美術館で、ここも久しぶりに訪れました。開催していたのは「あやしい絵展」で、これはポスター等の広報によって知り得た展覧会でした。私たち日本人は微妙な翳を宿した表現が好きなのではないかと思っています。私たちはネットで予約をしてきましたが、ウィークディにも関わらず、かなり多くの人たちが鑑賞していたので、日本が元々陰湿な風土を抱えていて、そこに眠る情念を擽られることを企画した展覧会だったように思いました。退廃的な雰囲気は誰もが一度は好きになる面を持っていて、そうした絵ばかりを集めた展覧会はなかなかの入場者数を獲得するかもしれないと思いました。同展の詳しい感想も後日改めます。今日は2つの美術館、3つの展覧会を巡り、充実した一日を過ごしました。

4月RECORDは「乱舞する群れ」

春一番に限らず、この季節は風の強い日が多いと感じます。満開の桜の花びらが風に舞っている様子を見て、今月のRECORDのテーマを思いつきました。「乱舞する群れ」は花びらだけではなく、人間のイメージもあって、例えば画家アンリ・マティスが描いた「ダンス」もそのひとつです。20代の頃、旅したルーマニアやギリシャの民族舞踊も記憶にあり、その躍動感に心を奪われたことを思い出しました。私は映像でしか知らないアフリカの始原的な民族舞踊も興味があります。それらを象徴して記号化するのも面白いのではないかと思っています。乱舞には風に舞う自然現象もあれば、人が紡ぎだす楽曲に合わせて踊る要素もあります。最近はコロナ渦の影響もあって、劇場で舞踏を観る機会がなくなりました。コロナ渦が落ち着けば、暗黒舞踏の流れを汲む集団による舞踏を観に行きたいと思っています。学生時代はアンダーグランド演劇と併行して、私は暗黒舞踏にも出かけました。世代的には土方巽以降の舞踏家がやっていましたが、肉体言語と化した表現に彫刻の空間解釈に通じる世界を見取っていました。今月のテーマを考えているうちに、昔の記憶を手繰り寄せてしまいましたが、RECORDのテーマは1ヵ月分の展開があるので、さまざまなバリエーションを試すことが出来ます。そこがRECORDの長所でもあるのです。この4月から創作活動一本になったことで、RECORDのイメージを膨らませるのには都合が良くなりました。ただ、今月に入って陶彫制作に先走ってしまい、RECORDは下書きのみが先行する悪癖が出てしまっています。イメージの蓄積は日々やっているので、あとは時間をどうにか作って制作をするだけですが、公務員をやっていた頃よりは気分的に解放されているので、すぐ挽回できるだろうと思っています。