週末 今夜も土曜名画座

昨晩、職場での歓送迎会が横浜駅周辺のレストランでありました。遅い時間の帰宅になり、案の定、今日は制作が滞るほど気分が優れませんでした。年度初めの多忙感は毎年のことですが、陶彫制作が佳境を迎えるのと相俟って、この時期はいっかな疲労が取れません。それでも朝から工房に行き、先週成形した陶彫部品の彫り込み加飾と次の成形のためのタタラ作りを行いました。自分を制作に駆り立てているのは個展への焦燥感だけです。このところ初夏を思わせる陽気になり、朝晩と昼間の温度差についていけず、それも疲労が取れない原因なのかもしれません。さすがに工房に置いてあったストーブと灯油を片付けることにしました。どんな状況であれ、工房で制作を始めると不思議に疲労が取れて、身体に緊張が漲るのです。創作への魔力とも思われるパワーはどこから湧いてくるのでしょうか。今日は土曜日の疲労を言い訳にして、夕方早めに工房を切り上げました。午後は家内を誘って、最近定番になっている映画に行くことにしました。横浜のミニシアターは既に私たちの常連映画館になっていて、私はこの習慣を土曜名画座と呼ぶことにしました。一週間の疲れを和らげるには美術館へ行くより映画館のほうが有効ではないかと思っているのです。観た映画はドイツ映画の「女は二度決断する」で、ネオナチによるテロ事件を扱った映画でした。ヨーロッパにある移民の問題を、ある家族の悲劇を通して浮き彫りにした物語で、嘗てドイツ語圏で暮らしていた家内と私には昔を思い出させる場面もありました。当時、テロはなかったにしても、移民は大きな社会問題になっていました。極右グループであるネオナチの存在も耳にしていました。映画「女は二度決断する」を、私はどこかの新聞で読んでいて、それは法の裁きに不満だった主人公が決断した行動への危うさを指摘する記事でした。法律と感情、その両者にズレが生じたときに人はどんな行動に打って出るのか、映画はリアルな問題を提起しつつ、復讐劇を用意していましたが、非日常的とも思える最終章で、私たち観客に、感情の抑制か吐露かを考えさせる機会を作っていたとも解釈できます。詳しい感想は後日改めたいと思います。

百花繚乱列島「群鯉図」

先日、千葉市美術館で開催中の「百花繚乱列島」展に行ってきました。全国津々浦々から集められた江戸時代の絵師たちによる秀作の中で、私がその場を立ち去り難くなった作品がありました。日本美術史に残る名作ではなく、また新しい価値が見いだされるものでもなく、私だけが感じ入るような作品でしたが、本来芸術作品に対する興趣とはそんなものではないかと思います。図録の解説も少なく、絵師の詳しい背景を知ることが出来ませんが、その薄暗い水中から鯉が群を成して迫ってくる世界に、不思議なリアリティを感じてしまいました。作者は黒田稲皐、鳥取画壇で活躍した絵師だそうです。「群鯉図」は文政10年の作品と天保7年の作品の2点が展示されていました。師匠の土方稲嶺の「蓮池遊鯉図」も展示されていて、その緻密な運筆に、この師匠にしてこの弟子あり、と思わせる風格を感じさせました。黒田稲皐は師匠から「稲」の文字を継いだことが記録されています。鯉は群を成していても、それぞれ立体的に描写されていて、鱗一つひとつの規則正しい幾何模様が美しいと感じました。色彩としては僅かな色味を用いて、明度差によって個を描き分ける描写に、西洋絵画のような遠近感が漂い、また水中の様子を描きながら、そこに空気感を感じさせる空間の捉えがありました。私は線描や平塗りの美しさも理解しますが、何より立体空間の現出に敏感に反応してしまいます。立体と立体感はまるで異質なものだと私は考えていて、立体感は絵画のみに許される素晴らしい技法ではないかと常々思っているのです。立体ではないにしろ、そこに立体物があるかのような錯覚を楽しめるのは、絵画の醍醐味のひとつだろうと思っています。黒田稲皐の「群鯉図」はそんな絵画ならではの良さを味わえる作品でした。

千葉の「百花繚乱列島」展

先日、千葉市美術館で開催中の「百花繚乱列島」展に行ってきました。本展には「江戸諸国絵師めぐり」という副題がついていて、全国津々浦々のご当地絵師だけではなく、藩の御用絵師も加えて、彼らが地元の画壇で活躍し、ゆかりの絵師として大切に守られてきた作品の経緯を知ることができました。地域ごとに松前、秋田、仙台、須賀川、金沢、水戸、栃木、江戸、下総、尾張、三河、伊勢、近江、京都、大坂、美作、備前、姫路、鳥取、讃岐、徳島、薩摩、長崎といった分類で展示されていました。この中には力量がある絵師たちも多く、思わず見入ってしまう卓抜した絵画もありました。私は個人的には西日本に好きな絵師が多いかなぁと思いました。美術史の中において未だ無名の絵師の中に、その場を立ち去り難くなった作品があって、それは稿を改めようと思っています。図録にこんな一文がありました。「とくに江戸時代中期以降、絵画の『百花繚乱列島』を生み出す大きな支えとなったのは、徳川幕府が諸大名に課した参勤交代の制度であった。これが江戸の文化を国元へ伝える大動脈の役割を果たしたのはいうまでもない。そのために整備された街道を利用して、武士仕えをする文人ばかりでなく、市井の職業文人たちの移動がさかんにおこなわれる。公命はもとより、遊学、観光、放浪、出稼ぎと彼らの目的はさまざまであったろうが、全国各地において文人たちは交遊の機会をもった。寄合書画(つまり合作)は、そうした出会いと別れの場から生み出された。」(成澤勝嗣著)交流があればこそ文化が豊潤になり、おらが村で一番の絵師が誕生する契機となり、その功績を讃えて、数々の作品が地元の蒐集家のコレクションとして大切に保存されたのでした。「百花繚乱列島」展を見て、これらの作品が全てとは思えず、地方にはまだまだ埋もれた優秀な芸術家がいるのではないかと思いました。

名作誕生「鶴の変容」

先日見てきた東京国立博物館の「名作誕生」展の中で、花鳥図の次に自分が足を留めたのが、鶴や鶏を描いた伊藤若冲の作品でした。相変わらず若冲の作品に私は惹かれてしまいます。具象ではあるけれども構成に絶妙な力量を発揮した若冲の描く鳥たちは、歌舞伎役者が舞台で暫を演じるような非の打ち所がない姿態を感じさせてくれます。若冲がその代表作となる絵画を寄進することになった相国寺には、中国の画家文正の「鳴鶴図」が伝えられていて、若冲は明らかにそれを手本にしていたと考えられます。本展には若冲の他に狩野探幽、文正の他に陳伯冲の絵画が並べられていて、鶴の羽の重なり具合を観察すると愈々興味が湧いて、その場を立ち去り難くなりました。図録に相国寺の僧が書いた一文を現代語に直したものが掲載されていました。「若冲はただ絵画だけを好んで、狩野の画技をよくする人に就いて学んだ。その画法を習得すると、ある日自省して言うことには、この画法は狩野のものであって、たとえ私がよく習得したとしても、結局、狩野の枠を超えることができない。狩野は止めて宋元画を学ぶに越したことはない。そこで宋元画を学んだ。しかし臨模すること百数十本に及ぶや、また自省して言うことには、宋元画の技法のさまざまなテクニックにはとても及ぶものではない。しかも宋元画は物を描いているが、その描かれた物を私がさらに描いたのでは、いよいよ物から離れてしまう。みずから物を見て画筆を揮う方がまさっている、と。」(河野元昭著)若冲は、狩野派や宋元画の模倣から、自身の世界観を確立するまで、紆余曲折を経て今に伝えられる若冲流の絵画に至りました。しかし、その裏に隠された努力は並々ならぬものがあったのだろうと改めて感じた次第です。

名作誕生「つながる水墨」

先日見てきた東京国立博物館の「名作誕生」展の中で、初めに自分が興味を持ったのが、日中花鳥画の変遷がわかる展示でした。中国・明時代の画家呂紀や殷宏は緻密な世界観を作り上げていたのに対し、雪舟や元信は画面の象徴化を図っていました。満遍なく描かれた風景に対し、無地をも厭わない取捨選択をした風景、「漢」と「和」の饗宴とも感じられた一区切りの空間のなかで、自分は暫し佇んでしまいました。中国の源泉があったからこそ、独自の発展が望めた日本の絵画。図録にこんな一文がありました。「元信が口にした源泉のなかで、最も甘露のごとく感じたのは、中国・明時代最高の花鳥画家、呂紀の作品であったろう。呂紀の代表作である、四幅対の『四季花鳥図』と比較してみれば、エネルギーに満ちる明晰なフォルムと華麗な色彩、遠小近大の理知的構図において、元信が呂紀を継承したことは、火を見るより明らかである。」(河野元昭著)また、元信のすっきり整理された花鳥図を見ていると、元信が中国絵画はおろか、雪舟までを参考にして、狩野派の世界観を構築していった様子が伝わります。「両者を比較して、雪舟が明で学んだものと拒否したものを考えるのは興味深い。四季花鳥図屏風でモチーフが画面の奥へ重なり、垂直方向の深さを強調する構成(右隻右端)や、松や梅が激しく屈曲しながら画面の外に出て折り返して画面のなかへ戻る構成などは、呂紀の四季花鳥図や殷宏の花鳥図を思わせる特徴である。~略~狩野元信の四季花鳥図は、雪舟画を大画面の花鳥画の規範と受け止めたうえでモチーフを詰め込まず、奥に重ねるよりも左右に広げ、激しい形の屈曲もゆるめ、おだやかな画面を作っている。元信は、雪舟を、ひいては明時代の花鳥図を仕立てなおしてみせたのである。」(佐藤康宏著)

上野の「名作誕生」展

先日、東京上野にある東京国立博物館平成館で開催中の「名作誕生」展に行ってきました。「名作誕生」展には「つながる日本美術」という副題がついていました。わが国で比類なき世界を打ち立てた巨匠たちの作品も、大陸から渡来した絵画や彫刻に源泉があり、また画家同志での近親性をも網羅すると「つながる日本美術」という意味合いが見えてきます。そうした美術全般を推奨し、記録保存に務めたのが明治22年(1889年)に創刊された「國華」でした。何と創刊130年を迎える世界最古、最長の美術雑誌で、その記念として本展が企画されたようです。「ここに國華を発行し、いささか美術に関する奨励、保存、監督、教育等について意見を吐露し、絵画、彫刻、建築、および諸般の美術工芸について、保持、開達(発展)の方針を指示し、国民とともに邦国(日本)の精華を発揮しようと欲するものである。」(小林忠著による抜粋)というのが國華の宣言文で、その意図を具体化するのが今回の「名作誕生」展というわけです。まず、私が注目した部屋は雪舟等楊と狩野元信、中国の呂紀と殷宏が並ぶ空間でした。これは別稿を起こそうと考えています。伊藤若冲と狩野探幽、中国の文正と陳伯冲が並ぶ空間も、別稿でないと詳細な感想は語れるものではないかなぁと思います。画法としての影響はあっても模倣の域を脱するため、自ら観察をして画筆を揮う絵師たち。そこからまた次世代が誕生して、さらに芸術性が深層化しつつ象徴性が進んで、わが国独自な作風が確立されていく過程が示されていて私は興味津々でした。また稿を改めて各芸術家について取り上げていきたいと思います。

週末 「根景」陶彫部品 もうひと息

今日は朝から工房に篭りました。「発掘~根景~」の陶彫部品がもうひと息で終わります。陶彫は成形と彫り込み加飾が済むと、数週間乾燥させます。「待ち」の時間があるのです。乾燥した作品はヤスリをかけた後、化粧掛けを施して窯に入れます。陶彫は他の素材と違って、「待ち」があるので、早いうちから作り上げておかないと、撮影に間に合わなくなることがあります。今月中に陶彫部品は全て作ってしまうという制作目標は、撮影日程を逆算して設定したものなのです。作品を窯に入れると焼成時間は3日間かかります。私は素焼きをしないので、いきなり本焼きを始めます。釉薬を用いないため、素焼きが必要ないのです。今日は残り2個になった陶彫の成形に取り組んでいました。昼ごろは定番になった近隣のスポーツ施設に出かけ、水泳をして来ました。当初は水中歩行をしていましたが、今日は時間のほとんどを水泳に費やしました。そろそろ水泳も本格的にやろうかなぁと思っています。午後になって工房に戻り、乾燥の進んだ作品に仕上げのヤスリをかけて、化粧掛けを施しました。いつもなら夕方4時くらいまで夢中で作業をしているのですが、今日は疲労があるせいか作業が捗りませんでした。毎回、土曜日はウィークディの疲労が残り、その分を日曜日で挽回してきましたが、今日はちょっと様子が違いました。昨日早朝に作業をして、すぐ東京や千葉の美術館に出かけたことが原因だろうと思います。4つの展覧会を見て回ったことが身体的に厳しかったらしく、今日はいつものように力が入りませんでした。水泳もやめておけばよかったかなぁと後悔しましたが、万事休す。とにかく今日仕上げた分を窯入れして作業の幕引きにしました。加齢によって体力がなくなったとは思っていません。昨日の動きから今日までを振り返れば、若い体力を持ってしてもフラフラになったでしょう。意欲が身体を顧みず、とことん自分を痛めつけてしまうことが過去にも結構ありました。頑張りすぎる嫌いが私にはあり、セーブが効かなくなるのです。来週まで体力を温存して、仕切り直しをしたいと思っています。

週末 早朝制作&4つの美術館散策

週末になって、今日こそは美術館に行こうと決めていました。計画していた大きな展覧会が3つ、加えて私と同じ二束の草鞋を履く職員が出品している公募展があって、今日一日で全てを回るつもりでいました。家内は演奏活動があるため、私一人で行くのならタイトなスケジュールでも何とかなると思っていました。ただし、陶彫の制作工程も厳しいので、早朝に工房に出かけ、タタラを作る等、明日の成形の準備もやりました。工房から帰って朝食を済ませ、朝9時に自宅を出ました。久しぶりに東京上野にやってきました。まず初めに見たのが東京国立博物館平成館で開催中の「名作誕生」展。これは中国の影響を受けた日本の名だたる絵師たちが、大陸の古典絵画から創作の糸口を掴み、名作を生み出していく状況を企画展示したもので、かなり見応えがありました。雪舟や若冲の大作があって圧倒されました。昨日から始まった企画展で、会場は思っていたほど混雑もなく、じっくり見ることができました。詳しい感想は後日改めます。次に行ったのが東京都美術館の「モダンアート展」。同じ職場で働く職員から招待状をもらって見てきました。いつも公募団体展に誘われて思うことは、僅かながら心に響く秀作があっても、表現したい動機が見つからない作品が少なからずあること、これはどうしたものでしょうか。マンネリズムなのかなぁと思いつつ、出品している職員の作品だけを確認して、その場を去ることにしました。それはどこの公募団体展にも言えることで、辛口評になりますが、本来は競い合って高めあう場なのに、馴れ合いが気になるのは私だけでしょうか。次に向ったのは千葉でした。千葉市美術館で開催中の「百花繚乱列島」展。これは全国津々浦々の江戸時代の絵師による展覧会で、地方に眠る才能を発掘できるかもしれないと思わせる企画でした。数人の地方絵師の優れた技法に目が留まりましたが、果たして今後脚光を浴びることになるのでしょうか。伊藤若冲も最近になって人気の出た絵師だったことを考えると、埋もれた才能が近々引き上げられることを切に願っています。これも詳しい感想は後日改めます。千葉駅前で遅い昼食を済ませてから、東京竹橋にやってきました。東京国立近代美術館で昨日から始まった「横山大観展」。夕方の時間帯だったので混乱無く会場に入ることができました。やはり圧巻だったのが絵巻「生々流転」の全貌が見られたことでした。4つ目の美術館となると移動中は足が疲れてヘトヘトでしたが、会場に入ると作品の持つ緊張感や震えるような空気に身が引き締まり、疲労を忘れました。これも詳しい感想は後日改めます。今日は公募団体展を除けば、日本画ばかりを鑑賞した一日でした。運筆や構成の妙に心が吸い込まれていくような感覚を味わいました。充実した一日でした。

RECORD 山積みの解消

一日1点ずつポストカード大の平面作品を作って、かれこれ10年が経ちました。全てを称してRECORD(記録)と名づけています。毎日作品を作っていくうちにクオリティが高くなっていき、その日の気分に左右されなくなりました。それは自分が狙った通りの結果になっていますが、平穏な日ばかりではなく、多忙な日もあれば、体調が優れない日もありました。毎日1点ずつ作り上げていく厳しい体験とともに、長い間には慣れも出てきて、最近は下書きだけ、また彩色だけで仕上げを後回しにしていました。こうした中途半端なRECORDが食卓に山積みされていました。先月くらいからその日のRECORDに加えて、過去のRECORDの仕上げに取り組み、毎晩通常より長い制作時間を取っていました。昨晩ようやく山積みされたRECORDが解消しました。RECORDは自分との闘いとして、精神を鍛えるものではないかと思えていて、学生時代の部活動のような按配でした。塵も積もれば何とやらの、塵一つひとつにそれぞれインパクトがあって、淡々として作品が完成できるものではないと自覚もしました。その日の記録ではあるけれども、これは日記とは明らかに違います。創作活動を日記のように出来たらいいなぁと思って始めたRECORDでしたが、思索を伴う表現はなかなか大変だと思っています。それでも継続していこうと考えていて、表現が緩慢にならないように自分を戒めているところです。

「発掘~根景~」と「発掘~角景~」

タイトルには簡潔な語彙を用いるのが私の作品に対する考え方です。そこに思索的な要素は入れずに、見てわかるようなタイトルをつけるようにしています。現在作っている2点の陶彫作品を「発掘~根景~」と「発掘~角景~」にしました。大きなテーブル彫刻を「根景」にした理由は、テーブルの下に吊り下がる陶彫は床にまで達していて、さらに床置きの陶彫から四方に伸びていく根幹を、そのままタイトルにしただけなのです。見た通りの単純なタイトルです。小さなテーブル彫刻を「角景」と名づけました。それはテーブルの下に吊り下がる陶彫の形状からタイトルを考えました。私は最初に形態イメージがあって、タイトルは後付けです。自分のイメージの根源を探っていけば、別のタイトルを思いつくかもしれませんが、イメージは記憶の蓄積から導かれるものなので、私にもこの作品のイメージがどこからきたものか見当がつきません。ただし、タイトルに「景」の文字をつけているのは、私が風景を意識しているからです。彫刻という西洋の概念や技法を学び始めた頃には、習作として人体を塑造していましたが、そのうち作品に風景を取り込むようになり、現在に至る世界が生まれました。タイトルの前に「発掘」をつけて連作を図っているのは、焼成した陶彫が古代の出土品を思わせる質感を得ていることに起因しています。私が彫刻作品に風景を取り込む契機となったのは、エーゲ海に広がるギリシャ・ローマ時代の都市遺跡を見たことによります。そこから40年が経過して、私の作品の方向が少しずつ変わってきました。今ではイメージの複合化が齎す楽しさを実感しているところです。

社交性と内向性

社交性と内向性、自分はどちらかに偏っているとすれば、内向性だと思っています。公務員管理職としての立場があると、どうしても大勢の人の前で話をする機会や、情報交換等で人と交流する場面が多いのですが、私の性向としてはやはり内向性が強いかなぁと思っています。社交性は私が努力して身につけたもので、他人に話しかけるときは気遣いがあって緊張もします。相手の気持ちに添うようなことを言ったり、思いを汲んだりするのは、私が社交性のない証拠で、苦手意識の裏返しではないかと思っています。反面、一人で何か作業をしているときは内心ホッとしていて、もう一人の自分と対話しながら過ごしていることもあります。結婚したばかりの頃、私は時折独り言を呟くので、家内から怪しまれることもありました。私はさまざまな場面設定のイメージを辿る癖があって、それが口に出てしまうのです。作品を作るときに陶土や木材に、さも素材が生きているように話しかける癖もあります。工房では若いスタッフがいるので、その癖が悟られないように配慮しています。若いスタッフたちも工房で自らの作品に取り組んでいるときは、他人を遮断していて、彼女たちの動きを見ていると私と同じ性向を持っているのではないかと思っています。こうした内向性は孤独とも違い、社会的繋がりの中で、自分の秘めたる世界を持っているというだけの話で、孤立しているわけではないことを付け加えておきます。

「芸術と美」について

現在、通勤時間帯に読んでいる「アートと美学」(米澤有恒著 萌書房)の第二章では「芸術と美」について考察しています。最近のアート作品は美しいという概念がなくなってしまったような印象を受けます。それもそのはず、美とは何か、本書が語る通り、美は神からの恩寵、神が遣わせたものというキリスト教による観念が存在していました。時代の流れに沿って神学から人間学へ移行する際に、芸術は美を追求するものではないという考え方が生まれてきたのです。本書の中では哲学史上、理性(悟性)や感性を思索したプラトンやヘーゲル、カントにまず焦点を当てていますが、後半は美学の創始者バウムガルテンや、現代にも通じる芸術哲学を彫琢したフィードラーが登場してきます。著者の文章は部分が面白く、つい私は拘りが過ぎてしまうのですが、ここでは敢えて2人の思索家に的を絞ります。バウムガルテンとフィードラーです。「理性的存在として人間を考察する、もとより、哲学がそれを閉却する訳はない。ただそれだけでは済まず、理性の水準と並べて、感覚的存在としての人間をも考量しなければならなくなったのである。だが何分にも従来の哲学の中では、感覚の水準はまともに相手にされてこなかったので、いざ考察するといっても、拠るべき確かな思索的な方途がないのである。その意味で、バウムガルテンは開拓者であった。~略~バウムガルテンの美論は、プラトンのイデア論とキリスト教の形而上的な美論を『足して二で割る』ような、実に苦心の折衷案だった。美から感覚的な快という側面を括弧に入れて、美を一種の認識の問題に仕立てたことは、バウムガルテンの意図を離れて、後々、有効な考え方と認められることになる。美学が芸術哲学になったとき、芸術の美が感覚的な快として議論されることは、もうほとんどないからである。」また、フィードラーはこんな考え方を持っていました。「今になればもう当たり前の考え方なのだが、フィードラーのユニークな所は、『芸術』を人間の活動としか見なかったし、そうとしか評価しなかったことである。彼は、芸術の意義や価値を、もっぱら人間的能力に特有の活動と意味付ける。~略~フィードラーの芸術論からすれば、芸術的真理と所謂リアリズム、写実主義とは関係はない。要は、周りの世界が感覚にどのように映じ、感覚がどのように反応して、芸術活動として自己を貫徹するか、なのである。写実的になるかもしれないが、写実的だから感覚に忠実だということにはならない。フィードラーの時代、当然まだ抽象画は存在していない。だが彼の絵画理論は、具象抽象の別が、絵画にとって必ずしも本質的な問題ではないことを先取って示していた。この点でも、ユニークなものであった。」

映画「ぼくの名前はズッキーニ」雑感

アルコールやドラッグ中毒、育児放棄、性的虐待、犯罪や移民問題など現代社会を取り巻く問題は、国が変われど、どこでも存在する困難な課題です。ましてや幼い子どもたちにとっては、その後の人生を左右する忌々しき問題です。子どもを主人公にして、そんな厳しい社会環境を描いた実写映画は、過去幾つかありましたが、先日観に行った「ぼくの名前はズッキーニ」は、同じ問題を扱ったストップモーション・アニメーションでした。三頭身の人形やその背景は、パステルカラーの美しい色に彩られたデザイン性に長けたもので、単純な造形だからこそ、逆に内容がストレートに伝わるものに仕上がっていました。主人公イカール(愛称ズッキーニ)は自分のせいで母親が死んだと思い込み、孤児院に連れてこられます。そこには既に5人の孤児がいて、当初は親分格のシモンにいじめられますが、次第に2人は心を通わせるようになり、親友になっていきます。そこにカミーユが入園してきます。カミーユも悲惨な成育歴がありましたが、ズッキーニはカミーユに恋心を抱き、子どもたちの絆は深まっていくのでした。シモンの機転でカミーユは意地悪な叔母から救い出される痛快な場面もありました。そのうちズッキーニとカミーユに養子縁組がやってきて…というストーリーはメランコリックであっても、明日への希望を繋ぐ印象を私に残しました。人形たちの大きな目がキョロキョロ動き、表情豊かな仕草にも愛らしさが感じられました。私は彫刻をやっているせいか、こうした作りものが大好きで、1コマ1コマを情熱を持って撮影されたスタッフにも拍手を送りたいと思います。

週末 陶彫制作が佳境

今日は昨日より元気に陶彫制作に励むことが出来ました。新作の制作工程はまさに佳境を迎えています。陶彫部品は9割くらいが出来上がっていますが、テーブル彫刻にするための木材の加工がまだ出来ていません。陶彫部品は毎週末に只管作り続けて、かなりいい感じになってきました。これからこの陶彫部品を構成して、いよいよ彫刻作品にしていくのです。今日は大きな陶彫作品全体を考えながら、彫り込み加飾や乾燥した部品にヤスリをかけ、化粧掛けを施しました。個展には小品も数点出しています。今回の小品についてもイメージが湧いてきました。これらを全て作り上げるには来月では無理かなぁと思っています。カメラマンにお願いをして、撮影日を6月初めにしていただきました。来月のゴールデンウィークで全ての作品を何とかしようと思っているのです。来月後半は関西方面への2泊3日の出張が予定されているので、それまでに作り上げておかなければなりません。制作工程を逆算すると余裕はありませんが、絶対無理と言うことでもありません。6月初めまでの週末は、ともかく制作一辺倒です。陶彫は最後に焼成があるので、手作業ばかりで完成するわけではありません。ひとつずつの陶彫部品を乾燥させなければならないこともあります。そんなこともあって今日も工房を出る時に、化粧掛けの終わった作品を窯に入れました。乾燥に1週間、窯に入れて3日間、これを考慮するとやはり6月にならなければ完成まで辿り着けないのです。また来週末に頑張ります。来週までに何点か乾燥が進むはずです。

週末 恒例の土曜名画座へ

やっと週末になりました。この1週間は気遣いが多く、心身ともに疲れました。待ち遠しかった週末なので、朝から工房に篭って制作に没頭しようとしましたが、疲労感が容易に取れず、土練りと大きめなタタラを4枚作ったら、意欲が萎えてしまいました。少しばかり休憩を取るため椅子に腰掛けたら、そのままウトウトしてしまう始末で、これは制作を打ち切るしかないと判断しました。制作工程が苦しいのは百も承知ですが、身体が動かないのはどうしようもないことで、今日の分は明日取り返そうと思いました。午後は自宅で休んでいましたが、こんな時は映画に行くことにして、演奏の予定がなかった家内を誘いました。映画館は、美術館と違って自家用車で行き、近くの駐車場に留めておけば負担が軽くて済むのです。今日観た映画は「ぼくの名前はズッキーニ」で、ストップモーション・アニメーションを駆使したスイスとフランスの合作映画でした。人物や情景のデザイン性が素晴らしく、暗い背景を持った子どもたちも三頭身で作られた立体人形なら、時にユーモラスに描くことができると思いました。この物語を実写ではなく、愛らしさを備えた人形キャラクターにしたのは、暗い過去を鬱々たるものにしないための工夫なのかもしれません。結果、メルヘンな雰囲気を残しつつ、人生の底辺を生き抜く子どもたちの逞しさ、社会的弱者をストレートに描くことが可能になったのではないかと考えました。映画が終わった後にキャストやスタッフが紹介される映像が流れます。その時に歌われていた歌詞に注目しました。和訳なので微妙なニュアンスはわかりませんが、胸に突き刺さる心理的なコトバも、やがて風に流れていくといった趣旨でした。詳しい感想は後日に回します。

長かった1週間

今週より新年度が始まり、職場全体で行った式典的なイベントや、離任や退任、また着任に関わることがあって、私は役職としての挨拶が続く毎日でした。新しい体制が動き始めるこの時期は、とても長く感じました。職場での親睦を深める夜の会が水曜日にあって、今晩は区内管理職の夜の会がありました。今週は心身ともに疲れました。私の職場は数ある施設の中でも小さな規模の職場です。その少ない職員の中でも転勤者がいて、出会いと別れの場がありました。今まで職場を支え、一緒に頑張ってきた仲間が他の職場に異動するのは、感慨深いものがあります。式典はただのカタチだけのものではなく、一定の年月を組織の一員として過ごした仲間に対する思いが伝わるもので、そういう意味で今週は内容の濃い1週間だったと思っています。新体制の出発も始まっています。区内や市内での管理職の異動や退任もあり、その都度、連携や親睦を深める機会が用意されています。私は再任用なので、1年ごとの更新になっていて、今年度は頑張れるかどうか、自分に常に問いかけています。始まってしまった以上は、言い訳は出来ず、新体制の中で成果を出さなければなりません。身が引き締まる思いで過ごした1週間だったわけです。今週は自宅に遅く帰ってもRECORDをしっかり制作していました。夜の工房に行かれない分、一日1点を作り続けるRECORDは創作活動の小さな灯として絶やさずやっていこうと思っているのです。自分は職場での仕事がどうであれ、日々の創作活動は続けたい意思があります。もちろん週末は工房に篭りますが、毎日のように創作の糸を繋いでいるのが自分にとっての癒しにもなっています。明日はようやく週末です。今週長かったと感じた分、週末がとても貴重な時間に思えます。

平成30年度の式典イベント

私たちの業種は、年間に何回かイベントが予定されています。イベントは式典的なものと祝祭的なものに分かれます。察しのよい方は、私たちがどんな業種なのか分かっていられると思いますが、拡散を恐れて敢えて業種を伏せて広報しています。今日は年度当初の式典のイベントが開催されました。ここから本格的な仕事が始まるのです。私はステージに立って式辞を述べる役職にあったため、どんなことを言おうか考えていました。実際には月並みなことしか言えず、私には面白い話題がないことをいつも悔やんでいるのですが、式典は滞りなく進んでいきました。式典はカタチを整えて、けじめをつけるものと考えれば、これでいいのかもしれません。私がやってきた二足の草鞋生活の中で、この式典は個性的な創作活動の真逆に位置するものです。ここまで異なる2つの世界に私は楽しみさえ見出しているのです。職業として二つの顔で棲み分けて行う行為に、私は不思議な満足感に浸れます。人にはジキルとハイドのような二重人格を得たいという願望がどこかに眠っているのかもしれません。ウィークディの仕事に私は彫刻家としての片鱗は一切見せません。組織の長として式典を司り、職員が適材適所で如何なく能力を発揮できているかを見定めています。この立場も私自身が大切にしているものなのです。

平成30年度の大鍋コミュニケーション

私の職場に新しい職員たちがやってきました。人と人とのコミュニケーションは食事から始まるというのが、私の組織融合論です。それは理屈ではなく、まず一緒に鍋を囲みましょうと誘うのです。仕事が終わってからの居酒屋で一杯というのも重要ですが、最近はその誘いに乗らない人もいて、それならば昼食を自前で用意してしまいます。私は鍋料理が一番手っ取り早いと考えていて、職場に持ち込んだ寸胴鍋が威力を発揮します。その仕掛けには助っ人が必要ですが、いつも頼みにしていた人が、今日は体調不良で休みを取ってしまったので、何と今回は新人2人を調理に巻き込んでしまいました。具材たっぷりの豚汁を予定していて、昨晩私は買い物をしておいたのでした。職場では新人である既婚女性2人に、野菜や肉のカットをお願いしたところ、快く引き受けてくれました。手際よく準備が進み、最後に私が味付けを行いました。毎回のことですが、職員全員が満腹になるまで食べてくれて有り難いなぁと思います。大鍋コミュニケーションは、私にとって大袈裟な言い方ですが、経営戦略のひとつなのです。職員同士の意志の疎通がスムーズになれば、仕事に好影響を与えます。それぞれの職員の隙間を補い合うのが組織です。プラスアルファの仕事がどのくらい出来ているのかが職場を測るバロメーターで、明るく楽しいおせっかいな人材環境を私は作ろうとしています。今日は夜になって職員がよく利用する駅近くの焼き鳥屋に出かけました。これも重要なコミュニケーションの場です。明日から本格的に仕事が始まります。今日はその土台を充分に作った一日でした。

4月RECORDは「突」

一日1点ずつポストカード大の平面作品を作っている総称を、私はRECORDと言っています。そのノルマを自分に課して10年以上が経ちました。画面が小さくてもアイデアから下書き、彩色、仕上げにペン入れをすることが定番になりました。仕事から帰ってからRECORDを、夜の時間帯に食卓で描き上げることは、かなり厳しい日課になっていて、滞ることも暫しありました。下書きのまま食卓に山積みされていくRECORDを見ながら、いつか何とかしたいと思いつつ、仕事の疲れを言い訳にして、毎晩下書きを描き終えると睡魔が襲ってくる生活が続いていました。一念発起をしたのは先月のことで、山積みされたRECORDを夢中で仕上げました。集中したおかげで、色彩的に上手くいった作品もあり、一応満足を覚えました。10年継続してきたことは自負してもいいことかなぁと思っています。今年は月毎にパターンを決めてRECORDを作っています。今月は鋭利な三角形をパターンに取り込んで画面を構成することにしました。テーマは「突」に決めました。尖った形態が戦闘に使う武器のようでもあるし、魔除けの文様にも似ています。若い頃旅したルーマニアの奥地に点在する家々は、木造の門を構えていて、そこに鋭利な三角形が彫られていました。狼の牙を擬したカタチは魔除けの象徴でもあったようです。ルーマニア出身の彫刻家ブランクーシは、そうした民族的なカタチを彫刻に取り入れたことで、現代彫刻の扉を開いたのでした。そんなイメージをRECORDにしてみたいと考えました。今月も先月のように頑張っていきたいと思っています。

3年目の再任用管理職

昨年度より引き続き、私は現在の職場に勤務することになりました。現在の職場は5年目になり、公務員管理職としては正副を合わせると10年が経とうとしています。慣れているようで、新たな事案が発生すると、今までのキャリアを持っていても難しい局面を迎えることもあります。それが管理職の役目だと思っています。職場内の分掌に関しては、自分が作った人事が今年度はどう動いていくのか、毎年のことながら今年も見定めていこうと思っています。幸いにして主だったメンバーはほとんど変わらず、今年度は不測な事態があっても的確に対応できるのではないかと期待しているところです。書類の整理は今日になって漸く始めました。自分が3年目の再任用が決まった時に、整理を後回しにしてしまったツケが、今やってきているのです。使い古した黒革の手帳に新しい日誌を入れました。従来の日誌は保存用のファイルに入れておきます。日誌に新しい予定を書き込んでいくと、いよいよ新年度が始まるんだなぁという気分になります。二足の草鞋生活は既に何十年目になるのでしょうか。まだまだ出来そうだと自分では思っていて、時間をやり繰りしながら、彫刻という表現媒体と格闘することを、楽しめるものなら楽しんでいきたいと考えています。

4月初めの日曜日に…

今日は年度初めの4月1日です。日曜日であったため職場には行かず、私は朝から工房にいました。例年より陶彫制作を頑張っているつもりが、毎年ハードルを上げているせいか、厳しい制作工程に悩まされています。朝9時から夕方4時まで休むことなく陶土と格闘していました。今日はスタッフも不在で、久しぶりに孤独でした。とは言え、私には孤独を味わう余裕もなく、あれこれ考えることもなく、眼の前の陶彫成形に集中していました。成形がひとつ終われば、他の乾燥した陶彫部品にヤスリをかけ、化粧土を施し、窯入れを行いました。今月の制作目標としては、先月果たせなかった陶彫部品の完成と、テーブルにするための柱の処理が上げられます。大きなテーブル彫刻は、柱を陶壁で覆う予定です。小さなテーブル彫刻の柱は、幾何的なカタチを木彫する予定にしています。今月いっぱいかけて作品をほぼ完成しておかないと、毎年恒例の図録のための写真撮影に間に合わなくなります。撮影が5月に出来れば幸いですが、果たして出来上がるでしょうか。いよいよスケジュールが大変なことになってきました。毎年完成への綱渡りはしたくないと思っているのですが、何としても余裕が生まれないのが現状です。先月はRECORDを頑張っていました。今月も継続したいと思っています。鑑賞は美術館に行ける時間が確保できるでしょうか。生誕150年を迎える画家横山大観の大きな企画展が予定されています。40メートル以上にも及ぶ絵巻「生々流転」が見られるそうで、何とか時間をやり繰りして見に行きたいものです。映画館にも引き続き足を運ぼうと思っています。読書はアートと美学を論じた書籍をとつおいつ読んでいます。通勤時間の友として楽しみながら読んでいきます。今月も健康に気遣いながら頑張っていこうと思っています。

年度末そして3月最後の週末

年度末の最終日を迎え、勤務を要しない土曜日であっても、職場では荷物の片付けや整理をする職員がいたことでしょう。私は創作活動があるため出勤はしませんでしたが、私の書類の片付けもまだ終わっていません。今年度は職場の業績が良い意味でマスコミに取上げられ、私にも充実感がありました。私たちの業種は異動が新聞に掲載されて、さまざまな人の知るところとなります。私の知り合いも異動があって、思わず早朝から新聞を凝視してしまいました。次年度はどんな風が職場に吹いてくるのか楽しみです。私は今日は朝から工房に篭って制作三昧でした。今月の陶彫制作では大きなテーブル彫刻の床置きする部品のうち、2段目となる部品の成形と彫り込み加飾が全て終わりました。現在3段目となる陶彫部品の成形をやっていて、2個目が終わったところです。今月の制作目標であった全ての陶彫部品の終了には至らず、来月が厳しい工程になりそうです。一日1点ずつ仕上げているRECORDは、下書きのまま残された作品に着手し、少しずつ追い上げています。今月は珍しくRECORDが充実しました。先日渋谷で手に入れた「小室等アルバム」を聴きながら、ペースを上げているのです。20代の頃に慣れ親しんだ音楽に助けられて、夜は夢中でRECORDに齧りついていました。鑑賞では美術館には行けず、今月は専ら映画鑑賞ばかりでした。「長江 愛の詩」、「ジャコメッティ最後の肖像」、「ゴーギャン タヒチ、楽園の旅」、「DARK STAR H・R・ギーガーの世界」(全てシネマジャック&ベティ)という映画を4本観ました。芸術家を取上げた映画が多く、創作活動で刺激をもらいました。27日に久しぶりに休暇を一日取って、埼玉県川越を散策しました。満開になった桜の巨木を眺めて心が癒されました。読書はまるで手つかずのまま、来月へ持ち越しになります。自分の思考は映像ではなく、やはり書籍によって深まるのではないかと思うので、立ち止まって考える時間も必要だと思っています。今晩は文房具店に走り、来年度の手帳を購入してきました。明日は4月1日ですが、私はいつものように工房で制作に励みます。

映画「DARK STAR H・R・ギーガーの世界」雑感

常連にしている横浜のミニシアターへ家内と「DARK STAR H・R・ギーガーの世界」を観に行ってきました。ギーガーは米SF映画「エイリアン」の造形で、1980年アカデミー賞視覚効果賞を受賞し、国際的な知名度を獲得した芸術家です。映画の冒頭で、6歳の時に薬剤師の父から贈られた頭蓋骨を棚から取り出す場面がありました。彼は自らの恐怖心をコントロールするため、悪夢等の視覚具現化を図り、グロテスクでエロティックな表現を生み出したようです。そのうちその闇の世界に安らぎや癒しを感じ始めました。ギーガーは若い頃からエアブラシを駆使して、巨大な絵画を精力的に制作しました。制作のテーマは、誕生から生殖、死に至る生命としての根源を、人体と機械が融合したバイオメカノイドで表すことでした。当時愛していた女性リーは、敬遠なカトリック信者だったため、ギーガーの悪魔も厭わないモラルについていけず、鬱病にかかり、自殺に追い込まれることになりました。自暴自棄になるほど悩んだギーガーを助けたのはリーの兄である医者だったようです。画面に繰り返し登場する女性の風貌がどれもリーに似ていると私は感じました。ギーガーにも振り返りたくない過去があったことをこの時知りました。ギーガーの芸術家としての駆け出しは、画廊に持ち込んだポスターだったため、サブカルチャーとしての要素が強く、アートシーンに登場するのは商業的な成功があってからだったようです。昔から交流のある画廊主やギーガーの秘書になっているミュージシャン、元妻だった女性が映画に登場するのは、ギーガーのやってきた表現が自分一人では運営できない規模になったことを物語っています。スイスのサン=ジェルマン城にH・R・ギーガー・ミュージアムをオープンしたり、バーの室内装飾を手掛ける等、その活躍は留まるところを知りません。この映画が作られた後、まもなくしてギーガーは74歳で世を去ります。彼の住居兼画室の庭に設けられたミニ列車で遊ぶ無邪気なギーガーは、人生で望んだことを全て満たした幸運な芸術家だったことを証明しています。私を含め、売れない芸術家にとっては羨ましい限りです。

勤務終了後に映画鑑賞へ

来週から新年度が始まるため、新しく職場に来る方の面接や、部内での引き継ぎや片づけがあって、職員たちは着々と仕事をしていますが、私は追い詰められないと片付けが出来ない性分なので、ぼんやりとした時間を過ごしています。職員の相談に乗っていると、時間は瞬く間に過ぎていきます。自分の中では一応リセットをしているつもりですが、年度末の疲労は引きずっているようで、たまに咳が出ます。春うららかな日に、またもや散策に出たくなる気分になってしまいます。夕方は家内と常連の映画館に行きました。最近は芸術家を扱った映画が多いのですが、今日観た「DARK STAR H・R・ギーガーの世界」は芸術家本人が登場するドキュメンタリーでした。造形作家ハンス・ルドルフ・ギーガーは、30年前私がウィーンに住んでいた時に、その存在を知った芸術家でした。クンストメッセ(国際芸術見本市)に、ギーガーは多くの絵画を展示していて、その情報をウィーンの友人から聞きました。彼らは「悪魔に魂を売っている世界」と言っていましたが、暗い色彩を好む私には、魅惑とも言える闇の世界で、当時模索していた彫刻にも通じるものがありました。人間が機械と融合したバイオメカノイド、しかも性器がモチーフに使われていたために猥褻性を議論されることもあったようでした。1940年スイスで生まれたギーガーは、2014年に74歳で亡くなりました。米SF映画「エイリアン」のデザイナーとして名を馳せた造形作家は、画業の他にロックのアルバムジャケットや室内装飾も手掛け、多方面で活躍しました。映画の詳しい感想は後日改めたいと思います。

作品タイトルをどうするか?

昨年の夏より取り組んでいる新作には、まだタイトルがありません。大きなテーブル彫刻やら小さめのテーブル彫刻といった呼び方をしていて、そろそろタイトルをつけないと不便だなぁと感じています。タイトルは作者によって考え方が異なり、全て無題にして番号だけをつけている人もいれば、かなり凝ったタイトルをつけている人もいます。タイトルそのものが、作品に内在する思索に導くような難解な造語をもって、それにより作品世界を深く豊かにしている場合もあります。鑑賞する側が、タイトルをヒントにして造形世界を読み解くのも楽しみのひとつだろうと思っています。私の場合はタイトルにそこまでの拘りはありません。タイトルは作品を簡潔に語るもので良しとしています。時として比喩や造語も用いますが、謎を呼ぶようなものはありません。私の造形イメージはカタチ先行で、コトバを有していません。コトバはコトバとしてイメージを遡って搾り出してくるしか方法はありません。現在作っている新作は、そもそも何を求めて具現化しているのか、造形イメージからコトバを搾る(絞る)のは、なかなか難しい作業です。タイトルが決まると、そのタイトルを使って、造形作品とは違う世界が私の中で生まれてきます。ホームページに造形作品とともに掲載している拙いコトバは、そうして生まれてきたコトバなのです。10代の頃から私は詩作に憧れ、幾多のコトバに反応してきました。それでもコトバは造形ほど直截簡明な表れ方が出来ず、自分の中で空回りをしてきたと思っています。いつしか私はコトバを苦手と思うようになり、詩作など到底不可能と決めつけています。タイトルがなかなか出てこない状態は、そんな要因があるのかもしれません。それでもコトバをホームページに載せてしまうのは、浅はかな考えであることは充分承知しています。新作のタイトルをどうするのか、もう少し考えてみようと思っています。

川越散策の一日

今日は職場で年休をいただきました。創作活動も休みました。関東各地から桜満開の便りが届いていることがあって、家内と久しぶりにドライブに出かけました。ウィークディは公務員管理職の仕事があり、とりわけ最近は人事に振り回されていました。週末は陶彫制作に明け暮れていて、創作活動が佳境を迎えています。暇が出来れば、美術館や映画館に通い、鑑賞を決めこんでいました。それらも実益と趣味が一致するものとして充分楽しいと感じていましたが、全てから解放されて自由に過ごすことはありませんでした。今日は身も心も完全にオフにして散策を楽しみました。行った先は埼玉県川越。以前に家内が友人たちと出かけて楽しかったと言っていたのを思い出し、日帰りドライブとしてちょうどいい距離なので、横浜から第三京浜に乗り、東京の環状八号線を経て関越道に入りました。横浜から2時間程度で川越に到着しました。川越も川岸の桜が満開で実に見事でした。蔵造りの町並みや菓子屋横丁をブラブラと歩き、店を覗いたり冷かしたりしました。その中で山崎美術館や旧山崎家別邸が印象に残りました。画家橋本雅邦の後ろ盾としての財閥が残したものは貴重な資料になっていると思いました。川越まつり会館では、川越氷川祭の巨大な山車を見ることが出来ました。山車は精巧に作られていて、一番上にはさまざまな衣裳を身につけた人形がいました。山車を引くのは素人ではなく、とび職人だとも聞きました。ユネスコ無形文化遺産という看板があって、それを継承していくパワーを感じることが出来ました。最近ではどこでも外国人観光客が大勢いて、川越では芋菓子を食べ歩いている姿をよく見かけました。中近東の民族衣装を着たグループは、どこの国から来た人たちなのでしょう。彼らが菓子屋横丁の煎餅屋に入っていたのは不思議な光景でした。川越は江戸時代以来の町並みの保存と観光化に着手し、ウィークディの今日も多くの人が訪れていました。〇〇らしさを謳っていくのはとても良いと思っています。今日は観光に徹した楽しい時間を過ごたつもりでしたが、つい美術館やら文化会館に入ってしまうのは、私の癖なのかもしれません。

映画「ゴーギャン タヒチ、楽園への旅」雑感

画家ピカソやモディリアーニはアフリカ彫刻を見て、その始原的な美に感動し、それが契機になって現代美術の扉を開けました。ゴーギャンも生命力溢れる美を探求するため、タヒチに出かけました。タヒチでの生活はどうだったのか、ゴーギャン自ら綴った「ノア・ノア」という書籍があって、本作はその著書をベースに映画化されたようです。「ノア・ノア」は私も読みました。事実の記録というより、作者の幻想的な思いが入っていて、それはそれで面白い内容でしたが、映画はさらにフィクションを加えていました。美しい少女妻テフラを娶ったゴーギャンは、妻を若者に寝取られる妄想に駆られるシーンがあり、実際にも夫婦生活における西欧とのモラルの違いが描かれていましたが、「ノア・ノア」にそんな嫉妬の描写はなかったように思います。映画の中で私が刺激を受けたのは、ゴーギャンの素朴なアトリエと、テフラを熱心に油絵で描いている画家の姿でした。主役のV・カッセルがゴーギャンに似ていたこと、これは演技でも言えることですが、ゴーギャンを理解し、彼と一体化を図ることで、俳優が孤高で独特な芸術家に成りきれたのではないかと思いました。褐色の肌をした美しい妻テフラは、風貌に光が射して瑞々しく輝くシーンが何度もありました。テフラを演じた女優の訥々とした仕草にも惹かれました。当時タヒチはフランスの植民地で、西欧の宗教や文明が入ることで、独自の文化が失われてしまう危うさも描かれていました。ゴーギャンの自己中心的な生きざまは、美術史に名を刻んだ芸術家という痕跡を残したからこそ、多くの人が認めることになりましたが、そうでなかったらと想定すると、私個人としては複雑な思いに駆られます。最近の偉人を扱った映画は、単なる英雄伝に終わらない要素があって、何か言い尽くせないものを自分に投げかけてくるように感じます。芸術家の迷惑千万な生き方は、時の流れに迎合しないばかりか、関係者を不幸に陥れる結果になるからです。

週末 春爛漫な工房より

いよいよ本格的な春が到来し、好天に恵まれた今日は花見に出かける人が多かったのではないかと思います。工房はストーブが要らなくなりました。久しぶりに窓を開けて外の空気を入れました。私は花粉症ですが、投薬をしているため症状は抑えられています。今日は朝から工房に出かけ、制作三昧な一日を過ごしました。陶彫成形は、大きなテーブル彫刻の床置きになる部品を作っていて、2段目の最後の作品が漸く出来ました。彫り込み加飾はまだこれからですが、午前中はがむしゃらに作っていました。昼ごろに近隣のスポーツ施設に出かけ、水中歩行と水泳をやってきました。だいぶ身体が楽に動くようになって、水中にいることが楽しくなってきました。午後は工房に戻って土練りをやりました。毎回40キロの陶土を土錬機で混ぜ合わせ、菊練りをして保管します。私は制作サイクルと名付けていますが、陶彫の制作工程がスムーズにいくように順番を決めているのです。まるでウィークディの勤務のように習慣として制作を進めていくことを私は好みます。職人的な仕事があった方が、精神的に落ち着くのです。全体の構成を確かめる時は、気分的に骨が折れます。そこが芸術家の由縁たるところなのです。ともあれ工房内の温度が上がって、身体が動き易くなったのは幸いです。工房は植木畑にあるので、窓から見える木々が春を謳歌している様がよく見えています。花々が咲き乱れているのを見ると、私はモチベーションが上がります。私のヴァイオリズムは春から上昇するのではないかと思うところです。職場は来月から新体制となり、多忙を極めます。せめて今月の最終週くらいは、勤務を減らして工房に通いたいと思っています。せっかく春爛漫な畑の中に建つ工房にいるのですから、周囲を楽しみながら制作を進めていきたいと思っています。

週末 またしても土曜名画座へ

週末になりました。朝から工房で制作をしていました。今月初めに立てた制作目標がなかなか厳しくて、ともかくひたすら作り続けなければならない状況に自分を追い込んでしまっています。大きめのタタラを6枚作り、明日の陶彫成形に備えました。次に乾燥が進んだ大きな陶彫部品にヤスリをかけ、化粧掛けを施しました。焼成のために窯詰めを行いましたが、今日化粧を掛けた陶彫部品にかなり重量があるため、窯に入れるときに難儀しました。今日はスタッフが来ていないので、全て一人で行いました。真夏なら汗が滴っていたでしょう。窯入れだけで疲れてしまいました。ウィークディの疲労も多少残っていたので、今日はこのくらいにして工房を後にしました。夕方になって家内が演奏から帰ってきたので、横浜の中心部にある常連のミニシアターに、家内と映画を観に出かけました。またしても土曜名画座です。上映されていたのは「ゴーギャン タヒチ、楽園への旅」でした。最近、画家や彫刻家を扱った映画が多いと感じます。確かに美術史に名を刻んだ芸術家たちは、エピソードが多く過激な生涯を送っている人も少なくありません。共通しているのは、己の意志を強引に通したため、周囲の善意ある人々に相当な迷惑をかけていることです。社会人として、こうした行為はどうなんだろうと思いつつ、そうしなければ達成できなかった個人目標があったのは事実です。畢竟するに生きている間は苦悩や苦労が耐えなくて、亡くなってから認められるケースになり、家内に言わせれば、割の合わない人生だということになるのです。ゴーギャンも現在の評価を知ることなく世を去っています。映画では19世紀のパリに失望し、南国タヒチに楽園を求めて旅立ったゴーギャンでしたが、モチーフは得られたものの、そこでの生活は素朴さゆえに芸術家を満足させる高尚なものはなく、やがて貧困に喘いでしまう内容になっていました。楽園は現実の中ではどこにもないと、私も思うところですが、ゴーギャンが13歳の美しい少女を娶ってからは、楽園は彼女の中に存在するのではないかと思い始め、次々と生涯の代表作となる絵画が生まれていったことが印象的でした。詳しい感想は後日改めたいと思います。

麻婆豆腐丼&中華スープ

私はこの職場に赴任して以来、大鍋コミュニケーションをやってきました。全職員で食事を共にすることで円滑なコミュニケーションが図れると判断して、メニューと材料は私が受け持ってきました。食事は全職員の口に入るものなので、生ものは扱わないというのが私の方針です。職場では全職員が一堂に会する機会は何回かあります。通常はデリバリーで弁当を注文していて、私が汁物を添えるだけにしていましたが、今回は全て私が調理することにしました。今まで豚汁、ケンチン汁、ほうとう、汁粉、ビーフシチュー、カレー等を作ってきましたが、今日は麻婆豆腐丼&中華スープを作りました。麻婆豆腐と炊飯とスープ、このメニューを通常の勤務をしながら自分一人で作るには無理があるので、職員何人かに声掛けをして手伝ってもらいました。麻婆豆腐のレシピは職員の一人から教えてもらいました。昨晩は買い出しに出かけ、今日は朝から数人の職員と調理をしていました。災害時の炊き出しのような塩梅で、ガッツリ取り組みました。我ながら美味しい麻婆豆腐が出来たのではないかと思いました。平成29年度も残すところあと1週間になりました。

新聞の小欄より

今朝、職場に届いていた朝日新聞の小欄が目に留まりました。生物学者の福岡伸一氏の寄稿によるもので、確か以前にも福岡氏の文章をNOTE(ブログ)に取り上げた記憶があります。内容は思春期の子どもたちのことについて書かれたものでした。文中から引用いたします。「大人はたいへんだ。生計を立て、パートナーを探し、敵を警戒し、縄張りを守らねばならない。対して子どもにだけ許されていることは?遊びである。闘争よりもゲーム、攻撃よりも友好、防御よりも探検、警戒よりも好奇心、現実より空想。それが子どもの特権である。」人間は成熟期が他の生物よりも長いのは、遊びにより脳を鍛え、知恵をつけるためというのが福岡氏の仮説です。これは私も同感です。子どもから大人へ変わっていく過程には、個人差があって、なかなか現実を捉えられない子が、夢のような将来を描いている場合があります。アニメーターになりたい、声優になりたい、それはそれで結構なことですが、厳しい現実に到底立ち向かえそうにない彼らを見ていると、芸術を追いかけてきた私ですら心配になります。また、家庭環境によって満足に子ども時代を送れなかった子どももいます。彼らを見ていると、さらに心配の種が尽きません。年齢とともにきちんと大人になっていく子どもは幸福です。多少歪んでいても、子どもらしい時代を過ごしていれば、思春期に軌道修正できると思うのです。児童文学者石井桃子のこんなコトバで小欄が締めくくられていました。「子どもたちよ 子ども時代をしっかりと たのしんでください。おとなになってから 老人になってから あなたを支えてくれるのは 子ども時代の『あなた』です」

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