「道化帽のさまざまな光景」ルードルフ・ハウズナー

「絵の証言」(佃堅輔著 西田書店)の23人の芸術家のうち最後に取り上げたいのはウィーン幻想派の旗手ルードルフ・ハウズナーです。私が20代の頃、ウィーン美術アカデミーに在籍していた時期がありました。当時アカデミーにはハウズナー教室があって、何人もの日本人が学んでいました。廊下でハウズナー教授とすれ違ったこともありました。教授はきちんとネクタイをされていて、とても画家には見えない風情でした。自画像を「アダム」と称し、そこに精神分析学を持ち込んだハウズナーの表現は、フロイトを生んだ古都ウィーンの空気に合致していたように感じました。ハウズナーには「アダム」の他に「道化帽」のシリーズがあって、文中にこんな一文があります。「アダムが活動的、荒い力、本源性、連続的な優位タイプを、要するに闘いを具現化していますが、それに対して道化帽は瞑想的な、抑鬱性の、メランコリックな感情細やかな、感じやすい、感情移入力のある他の一面を表現しています。」これはハウズナー自らが語った言葉です。道化帽を冠った人物像は、内面的な感情を秘めている表現になっているわけで、精神分析的な解釈を何か具体的な対象物を使って、自らの内面を語らせているとも言えます。本文からさらに引用いたします。「ハウズナーは、絵筆とパレットを手にして画架のところに立ち、鏡のなかを見、『わたしは自分の顔を眺めた』と言い、『そしてそのなかに世界を見た』。さらに『わたしが世界に関して知り、自分を知る一切のものを、絵を描くときに知ったのだ』と。それは彼にとって、絵画とは『グノーシス派の規律』であり、自己認識を創造することが、同時に人生の克服のためのひとつの手段であり、道化帽も、そのひとつの手段としての姿なのだ。」グノーシス派とは、初期キリスト教の異端とも捉えられた思想で、消滅の憂き目にも遭っています。それは旧約聖書の神と新約聖書の神を区別する特徴があるからです。一度途絶えた思想は20世紀に入って再び興り、オカルティズム思想にも影響を及ぼしているようです。ウィーン幻想派の思想背景にこんなものが潜んでいたことを私は知りませんでした。

横浜の「石内都 肌理と写真」展

昨日、横浜美術館の円形フォーラムで会議がありました。美術館学芸員から企画展の案内があったので、会議終了後、「石内都 肌理と写真」展に立ち寄りました。写真展を見たのは久しぶりで、私は2016年に東京都写真美術館で開催された「杉本博司ロストヒューマン展」を見た以来です。作家の経歴を見ると、石内都氏は美大で染織を学んでいることで、写真の技術偏重にならない表現が、柔軟な思考を齎せているように思えました。作品を見ていると痕跡、記憶、喪失、遺品などというコトバが浮かびました。写真は、そこに人が生きて生活した記憶を残せる媒体として、時間や存在を際立たせることが可能です。あらゆるモノは周囲の状況を纏って、私たちの身近に存在していたんだなぁと思い起こさせるのです。図録の中にある横浜美術館館長の一文を引用いたします。「技術重視へのこだわりが弱い写真への距離感は、三脚を用いず手持ちの35ミリカメラで自然光のもとで撮る石内の撮影方法にも表れているが、被写体との関係性を構築する個人的で親密かつ真摯な対峙の仕方は石内独特のものである。」(逢坂恵理子著)作家自身の言葉も図録に掲載されていたので引用いたします。「今日も又、ひとつの喪失がおとずれた。私をとりまく日常から少なからず人が消えていく。身体を伴って生きることは大変なことのように思える。身体から規制される様々な価値と違和との折り合いをどのようにつけていくのか。いずれカタチ有るものは無くなる。その当事者として残された私は、あるであろう今日の続きの為にも、身体のゆくえをさぐりながら限りある時間を超えて撮り続けていきたい。」

映画「クボ 二本の弦の秘密」雑感

先日、家内の希望で観に行った映画「クボ 二本の弦の秘密」は、日本マニアのアメリカ人スタッフが作り上げたストップモーション・アニメで、膨大な時間と手間をかけて、繊細かつ大胆な映画に仕上がっていました。スタジオ・ライカのこうした技術は世界最高峰らしく、人物や妖怪の動き、荒れ狂う大海や竹林、村落や民衆に至るまで美しさに溢れた映像を作り出していました。人形のポーズや表情を少しずつ変え、1秒に24回のシャッターを切る根気強さから生み出された流麗な動きは、実写には見られないモノ作りに対する気概が感じられました。主人公クボは三味線によって折り紙に命を与える才能を持つ独眼の少年で、村ではそんな大道芸をやって人気を博していました。侍だった父の話や月の帝として君臨する祖父の話を母から聞かされて、亡き父の声が聞きたくて灯篭流しに出かけたクボが、悪霊になった叔母や祖父によって事件に巻き込まれ、伝説の刀や鎧や兜を手に入れるため、母親代わりのサルや剽軽な武士クワガタと旅に出ることになります。クボの眼を狙う月の帝やその他魑魅魍魎と闘う中で、クボが三味線に意味のある2本の弦を張る場面があります。それは両親の支えがクボに強い心を与えるというものでした。監督は様々な場面で日本の古き情緒を盛り込んでいました。葛飾北斎の「神奈川冲浪裏」の大波や、歌川国芳の「相馬の古内裏」の巨大な骸骨を髣髴とさせる化け物などが登場し、ストーリーより美術的なイメージが先行しているのではないかと思わせる場面も数多くありました。監督は黒澤明や宮崎駿を参考にしているとパンフレットにもありました。観終わった後、よくぞここまで作ったなぁというのが私の本音です。家内も感嘆していて、上映最終日を気にしていたので、本作を三味線仲間に見せたいと思っていたのかもしれません。

映画「謎の天才画家ヒエロニムス・ボス」雑感

若い頃、ウィーンに居を構え、そこから夜行列車に乗り継いでスペインのマドリッドにあるプラド美術館に行ったことがあります。プラド美術館にはヒエロニムス・ボスの「快楽の園」があったはずですが、何ということか、私は記憶に留めていません。私がヒエロニムス・ボスの絵画を意識するようになったのは、ウィーン美術アカデミーに隣接する美術館に「最後の審判」があったからでした。アカデミーとは扉ひとつで出入りできたので、度々見に行き、不思議な世界を堪能しました。中世に描かれ、人間の罪を露にしたような表現には謎が多くて、それについて何か解説が欲しいと思って、旧市街にある美術書専門店で分厚いボスの画集を購入しました。結局ドイツ語の解説はまったく読まずに、今も自宅の書棚に眠っています。当時流行っていたウィーン幻想絵画にもボスの影響があると私は見ています。描かれた異形を見ると、つい誘惑されてしまう謎解き、宗教を含めた思想世界の迷宮に紛れ込んでしまった自分の心が映し出され、映画「謎の天才画家ヒエロニムス・ボス」を観に来ている人は、そんな思いを携えているのではないかと私には思えました。映画は「快楽の園」を巡って、様々な登場人物たちが感想を述べ、謎は解明されることなく幕を閉じました。監督のインタビューの中で「芸術家の使命は謎を深めることにあります。哲学者のミシェル・オンフレ氏が劇中で示唆するように、芸術が持つのは、衝撃とカタルシスを通して、人間の魂に優れたものを受け入れさせる力だけです。」とありました。謎は謎のままの方がいいのかもしれません。最後にボスの絵画の解説を付け加えておきます。「ボス絵画の多くの場合、人間の愚行ゆえの罪が、怪奇で悪魔的な異形のイメージで描き出されている。終末が迫り、地獄の業罰と罪の悔い改めがさかんに説教され、人々の恐怖心を煽っていたこの時代、ボス風作品は大いに人気を集め、権力者たちがコレクターになった。それはキリスト教社会が抱える矛盾や不条理を映す鏡だったと言えよう。」(小池寿子著)

映画「ロープ 戦場の生命線」雑感

先日、常連になっている横浜のミニシアターに映画「ロープ 戦場の生命線」を家内と観に行きました。これは戦争を扱った映画ですが、1995年という現代に生きているNGO国際援助活動家の物語で、内戦や紛争が絶えない地域で、彼らが命の危険に晒されながらも、社会的不条理や矛盾と闘っている状況を描き出していました。単一民族が大半を占める日本にいると理解しがたい状況ですが、若い頃に数年欧州にいた自分は、バルカン半島が抱える民族問題に僅かばかり触れたことがありました。物語は、村の井戸に死体が投げ込まれ、水の汚染を防ぐため、彼らが死体を引き揚げるところから始まります。ロープが切れて、替えのロープを探し回ることで物語が展開していきます。地雷の恐怖、闇の商売などNGOを取り巻く状況は、決して予断を許すものではなく、国連のPKO部隊の管理下にありながらも、武装解除が徹底できていない緊張状態に、彼らは喘いでいるのでした。そんな中でも彼らは冗談を飛ばし合い、役人の命令に縛られない自由で濃密な人間関係が描かれていました。映画の舞台は村落破壊が齎す、埃に塗れた世界があって、そのリアルな場所に私たちを運び込んでくれます。撮影隊はどのようにしてこんな環境をカメラに収められたのでしょうか。アラノア監督は過去に紛争地域で援助活動家と一緒に仕事をしていて、各地でドキュメンタリーを撮影していたことがあったようです。映画の撮影は、容易に足を踏み込めない山間部で行っていて、スタッフやキャストは肉体的にも過酷な条件で仕事をしていたとパンフレットにありました。主人公を演じたベルチオ・デル・トロが秀逸で、何気ない仕草に存在感がありました。現在も紛争が続く地域があり、映画であったエピソードが語る現状が至る所にあって、今も改善されないままなのではないかと察してしまいます。

週末 土練り&映画鑑賞

今日も朝から工房に籠りました。昨日に引き続き、多摩美術大学の助手2人がやってきて、それぞれの課題に取り組んでいました。助手のうち1人は私と同じ彫刻家で、木板を積層にして造形する若手作家です。工房には私の関係者がやってきますが、私と同じ業種の人を受け入れたのは初めてです。他につき合いの古い後輩の彫刻家はいますが、彼は制作場所を確保しているので、ここで制作することはありません。今後はどうなるのか分かりませんが、工房が賑わってくれることを私は歓迎しています。私は恒例の土練りを行っていました。土練機が新しくなって使い易くなっています。土練機は量産性のない電化製品ですが、製造会社ではちょっとした工夫をして改善していることは確かです。夕方、工房から帰ってから家内と映画に行きました。昨日に引き続き、私は連夜で映画鑑賞をしています。今日行った映画は家内が前から希望していたもので、三味線が物語の中心になっている「クボ 二本の弦の秘密」でした。映画館は常連にしているミニシアターではなく、そこから少し離れた場所にあるミニシアターで、横浜伊勢佐木町の海鮮食堂の地下にありました。「クボ 二本の弦の秘密」は古き日本の世界をアメリカのアニメーション会社が制作したストップモーションアニメでした。三味線の音色で折り紙に命を与える不思議な力を持つ少年クボが主人公で、日本の古い風習やら情緒が盛りこまれたストーリー展開になっていました。日本のことが大好きなアメリカ人制作スタッフが、手間と時間を精一杯かけて作り上げた楽しい世界観が表現されていました。日本人から見ると可笑しな箇所も満載ですが、それ以上に制作に対するエネルギーを感じました。家内は三味線の運指が合っているとか、アニメの細かいところに感心していました。詳しい感想は後日に回します。

週末 加飾&映画鑑賞

今日は朝から工房に行きました。若いスタッフ、と言っても現在は多摩美術大学で助手を勤めるアーティストの男女2人が、それぞれの課題をやりに工房に来ていました。私も彼らに負けないように陶彫制作を頑張りました。先週成形をした大きめな陶彫に彫り込み加飾を施していました。彫り込み加飾はほぼ一日がかりでした。工房の窓から見える梅の花が咲き始め、青空に映えていました。春はそこまでやってきていることを実感していました。平昌オリンピックではフィギュアスケートで羽生選手が金メダルを取ったとラジオが伝えていました。2月も半ばの週末になり、新作の制作工程が気になっているところですが、無理も出来ないので、今は進行中の制作を焦らず休まずやっていくだけです。家内が風邪を引き、演奏活動を休んでいます。私も注意しなければと思いつつ、夕方は一人で映画に行ってしまいました。常連のミニシアターで「謎の天才画家ヒエロニムス・ボス」を観ました。先日、東京上野に「ブリューゲル展」見に行った折、ピーテル・ブリューゲル1世の関連でヒエロニムス・ボスの絵画が見たくなり、ちょうど横浜のミニシアターでこんな映画をやっていたので、ラッキーと思いました。ヒエロニムス・ボスは中世のネーデルランドで活躍した画家で、人物像の詳細や生年月日も不明です。謎の多い奇怪な絵画を描いていて、まさにシュルレアリズムの先駆けのようです。ミニシアターはかなり混んでいて、ヒエロニムス・ボスの謎解きをこの映画に託す人が多かったのかなぁと思いました。私のその一人でしたが、百人百通りの解釈があって、インタビューで綴った90分間は面白かったと思いました。詳しい感想は後日に回します。

初台の「谷川俊太郎展」

画家や造形作家が詩人とコラボレーションした展覧会は何度か見たことがありますが、一人の詩人による美術館での個展は、私は初めて見たように思います。詩人がどのような展示を行うのか興味津々で、先日、東京初台にある東京オペラシティアートギャラリーに行ってきました。日本では一番有名な詩人の展覧会だけのことはあって、会場は思っていたより混んでいました。コトバを脳裏に刻んで、非日常に浸りたいと考えているのは私だけではないようでした。事実、大きな白い部屋の壁に書かれた一篇の詩を読みながら、頭の中でイメージした世界に一人で浮揚している時は、私の周囲から全てのモノが消え失せていました。コトバはイメージを喚起させるので、絵画や彫刻あるいは音楽や演劇等と同じ精神性をもったものと言えます。私が彫刻をイメージする源泉には詩が存在していると思っています。高校1年生の時、国語の教科書にあった詩に惹きつけられ、なんとなく詩人になりたいと思った当時を振り返ると、まだ本格的に美術の勉強を始める前に、私には詩があったのでした。その印象で一番強かったのが谷川俊太郎氏のひらがなによる不思議な響きの詩でした。「かみさまとしずかなはなしをした」というフレーズを15歳の時から50年近く経った今も覚えていて、そこから私の造形イメージが育まれていったのかもしれません。展覧会で気に留まった詩の断片を書いてみます。「言葉どもに揉まれながら暮らしてきましたから どちらかと言うと無言を好みます」「いのちは死ぬのをいやがって いのちはわけの分からぬことをわめき いのちは決して除かれることはない」「いつもとかわらぬゆうぐれである あしたが なんのやくにもたたぬような」…うーん、これくらいにしておきますが、言葉にはそれぞれ前後があります。断片だけ拾い上げてもイメージは薄れるのかもしれませんが、それでもコトバの力を私は感じます。

上野の「ブリューゲル展」

先日、東京国立博物館に行った折に、近くにある東京都美術館に足を延ばし、同館で開催中の「ブリューゲル展」を見てきました。ブリューゲルと言えば、私は若い頃滞在していたウィーンの美術史美術館で見ていた、民衆をパノラマにして描いた幾つもの大作を思い出します。美術館のコレクションの中で、ブリューゲルの作品群のある部屋が一番好きで、何度も訪れては飽くことなくブリューゲルの世界に親しんでいました。今回展示されていた「鳥罠」は、ウィーンで見た「雪中の狩人」を連想させるし、「野外での婚礼の踊り」は、やはり有名な「農家の婚礼」や「農民の踊り」を彷彿とさせます。また、ブリューゲル1世は同じフランドルの画家ヒエロニムス・ボスに通じる世界観があり、私が魅了されてしまう要因にもなっています。図録にもこんな箇所がありました。「ピーテル1世は聖俗の対立や信仰と迷信の闘争を効果的に喚起するボスの幻想的な絵画にあまりにも魅了されたので、『第二のボス』と定義されるほど同じ様式で絵画や版画を制作した。~略~ピーテル2世はとりわけ人々を非難する表現はせず、いわゆる質素な生活に注目し、むしろ寛大な眼差しを向け、不器用で無邪気な、そしてそれゆえ真に人間的な日常を共有した。~略~ヤン2世の弟アンブロシウス・ブリューゲル、そして息子のヤン・ピーテル・ブリューゲルは寓意画や静物画を制作し続け、人々はそれらを直ちに『ブリューゲルの様式』と結びつけた。」(セルジオ・ガッディ著)子孫3世代にわたるブリューゲル一族の展覧会は、ローマやパリでも開催されたようで、鑑賞者を惹きつける要素が満載です。その分野は宗教画、風景画、風俗画、寓意画、静物画など多岐にわたっていて、それぞれの技量には眼を見張るほどで、思わず引き込まれてしまいます。私個人としてはピーテル1世の、ボスに見紛う作品が大好きで、ブリューゲル様式の出発点となった初期作品群に惹かれます。とくに版画は幻想に満ちていて、その創造力に驚いています。こんな世界観が好まれた時代とは、どんな時代だったのでしょう。イメージ力は現代と変わらないのではないかとさえ思ってしまいます。

上野の「仁和寺と御室派のみほとけ」展

先日、東京上野の国立博物館平成館で開催中の「仁和寺と御室派のみほとけ」展を見てきました。副題が「天平と真言密教の名宝」となっていて、本展は、京都の仁和寺を総本山とする御室派全国約790寺から精選された名宝を集めた展覧会なのです。私が訪れた時期は、見所の一つになっている葛井寺の千手観音菩薩坐像はまだ展示されていませんでしたが、仁和寺創建の本尊である阿弥陀如来坐像および両脇侍立像をじっくり見ることができて満足を覚えました。驚いたのは仁和寺観音堂が館内に再現されていたことでした。これは仁和寺の大修理事業完了による記念展だそうで、まるで伽藍の中にいるような錯覚を持ったのは私だけではないはずです。仁和寺は、宇多天皇即位時の西暦888年に完成した真言密教の寺院です。真言宗とは、空海により中国から齎された密教の教えで、本展に両界曼荼羅も展示されていました。図録によると、阿弥陀如来坐像および両脇侍立像に関わる部分として「現在、仁和寺が真言宗寺院であることや、中尊の阿弥陀如来像が密教的な性格をもつ定印を結ぶことから、本像が密教修法の本尊として造られたとする見解が強いようである。」(皿井舞著)とありました。私が個人的に展示品の中から造形として好きになったのは「馬頭観音菩薩坐像」でした。福井県の中山寺から出品された菩薩像で、解説によると「品よくまとまった忿怒相や脇面の面長な顔形などは、たしかに運慶次世代の慶派の作風に通じるものがある。」とありました。運慶フアンの私としては頷けるものがありました。

横浜の「今右衛門の色鍋島」展

先日、4つの展覧会を一度に回って、最後のそごう美術館閉館間近に飛び込んだのが「今右衛門の色鍋島」展でした。あと30分もすれば閉館する時だったので、鑑賞者は疎らで、じっくり見るには最高のシチュエーションでした。時間を気にしていたのは最初だけで、そのうち歴代に亘る今泉今右衛門の世界に、時間を忘れて惹きつけられてしまいました。伝統は革新をもって守られ、その継承がさらに深い世界を創り上げることを、改めて確認した次第です。明治時代に藩の保護を失った鍋島藩窯は、庇護者なき道を行かねばならず、それでも怯むことなく進んだ十代目、十一代目が生産体制を作り直し、十二代目のモダンな技量で鍋島焼は新しいスタイルを考案しました。十三代目は釉下の素地を薄墨色に染める型破りなことをして、枯淡で幽玄な世界を創出しました。図録に「十三代が『吹墨』や『薄墨』を色鍋島の世界に持ち込むことで、陰翳という新たな装飾の地平を拓いた功績は大きい。」(荒川正明著)とありました。現在活躍中の十四代目は「墨はじき」によって、さらに洗練された意匠になり、まさに煌めく光の世界を捉えた大皿は、見る者を圧倒しています。図録の最後に、十四代目の学生時代のことに触れて「大学の教授陣には、戦後の日本を代表する現代彫刻家・若林奮らがおり、抽象彫刻、現代美術へと傾倒するのに時間がかからなかった。」(マルテル坂本牧子著)とありました。え?そうなの、私と同じ学校で学んでいたのか…と思っていたら親近感が湧きました。人間国宝という、私が逆立ちしても手の届かないところまで到達した十四代今泉今右衛門ですが、同じ学校で同じ地平を見ていた時期もあった彼に、将来の陶芸界を背負って頑張ってほしいと心から願っています。

三連休 制作&夜は映画鑑賞

三連休の最終日です。昨日に引き続き、工房で制作に明け暮れました。小さめのテーブル彫刻の陶彫部品と、大きいテーブル彫刻の床置きの2段目となる陶彫部品を併行して作っていました。朝9時から夕方4時までの7時間、これが毎週定番になっている制作時間で、その中で集中する時間帯があります。集中する時間帯は無我夢中で作業をしているため、時間があっという間に過ぎていき、気づくと夕方になっているのです。今日は床置きの2段目となる陶彫部品を作っている時に時間を忘れ、さらに小さめのテーブル彫刻の陶彫部品の彫り込み加飾の時に、もう一度集中する時間がやってきました。こうしている時は不思議と疲労を感じることがなく、手先の陶土しか目に入っていないのです。これで三連休の制作目標はほぼ達成できましたが、陶彫は仕上げや化粧掛け、乾燥と焼成があるため、心配はまだまだ続きます。とりあえず今日のところは夕方4時に作業を終えました。夜になって家内を誘って映画鑑賞に行くことにしました。常連になっている横浜のミニシアターで「ロープ 戦場の生命線」を観てきました。レイトショーだったので観客が少なかったのですが、映画の内容はとても興味深く、今も内戦や紛争が続く世界各地に派遣されている国際援助活動家たちの奮闘を描いていました。スペイン映画ではあるけれど、舞台になったバルカン半島には複数民族がいて、国籍を超えた人道支援がいかなるものか、国連軍に頼りながら活動するNGOの葛藤が伝わりました。詳しい感想は後日改めます。

三連休で目指すもの

今日は建国記念日でした。何をもって建国とするのか、国によって異なるそうですが、日本の建国はかなり古い捉えをしていて、古事記や日本書紀に由来しているようです。そこに登場する初代天皇である神武天皇の即位日というのが建国記念日の根拠だそうで、旧暦を新暦に換算すると2月11日になるそうです。ふぅん、そうなのか。私はどんな祭日であれ、勤務を要しない日を歓迎する人なので、もうひとつの精神生活に属する仕事を、今日は喜んで行いました。昨日は午前中だけ制作に充てたので、制作はやや遅れ気味です。三連休で目指すものは小さめのテーブル彫刻に吊り下げる陶彫部品の成形と彫り込み加飾の完成です。さらに大きなテーブル彫刻の床に置く陶彫部品の2段目に取り掛かれることが出来ればラッキーというところですが、それはどこまで迫れるかわかりません。今日は朝から工房に篭りました。工房の梅の花がちらほら咲いてきました。寒さが多少緩んできたような気配がしました。土練りをしたり、タタラを準備したり、彫り込み加飾をやったりして一日を過ごしましたが、今日は工房に通ってきている若いスタッフの作品運搬日になっていて、彼女は巨大な作品を分解して、畳大のダンボール箱に収納していました。午後、搬入業者がワンボックスカーでやってきて、作品は作者より先に愛知県に行ってしまいました。彼女は今夜の深夜バスで愛知県に向うようです。工房のかなりの部分を彼女の作品が占めていたので、ようやく現状復帰をして通常な制作場所に戻しました。彼女の作品も、私と同じテーブル彫刻の形態をとっていて、なんと大きさは4畳半にもなります。ただし、板上に絹糸を散らせた作品なので、私よりはるかに軽量です。私の古代出土品のような重量級の作品とは、対極にある世界を創造しているのが彼女の仕事ではないかと思っています。夕方まで作業をして、私は自宅に戻りましたが、疲労で毎週のようにソファに倒れこんでしまう有様です。今回は三連休なので明日も制作三昧です。頑張ろうと思います。

三連休 AM加飾 PM博物館・美術館へ

明日が建国記念日、明後日がその振替休日になっているため。今日から三連休になります。この三連休は制作三昧といきたいところですが、土曜日はウィークディの仕事の疲れが残っていて、今ひとつ制作に意欲が持てません。今日も先日成形を終わらせた作品に彫り込み加飾を施していましたが、次の工程に進むことができずにモチベーションが下がっていました。それならばいっそのこと午後は美術館巡りをしようと決め込んで、家内を誘ってみました。家内も演奏活動がなかったため、美術館へ一緒に行ってくれることになりました。昼ごろ、横浜の自宅を出て、まず東京上野の国立博物館に向いました。同平成館で開催されている「仁和寺と御室派のみほとけ」展を見てきました。副題に「天平と真言密教の名宝」とあって、見応えのある仁和寺観音堂の再現や阿弥陀如来坐像および両脇侍立像があって、心が満たされました。次に向ったのは東京都美術館でした。これは当初予定していなかった美術展でしたが、私が突如「ブリューゲル展」が見たくなり、無理やり予定に入れたのでした。仏像とはまるで異なる西洋絵画で、ブリューゲル一族三代に亘る絵画の変遷が掴めました。東京国立博物館と東京都美術館が近くにあることも手伝って「ついでだから…」という私の説得を家内が受け入れてくれました。親子孫がそれぞれ挑んだ絵画表現が一堂に会して見られたのは学芸員の企画力かなぁと思いました。次に向ったのは新宿の初台にある東京オペラシティアートギャラリーでした。「谷川俊太郎展」を見たかったのでしたが、詩人の個展がどんなものであるのか、コトバの持つ力を信じている自分は、心に届いてくるコトバを期待していました。期待通り、真っ白な空間に記されたコトバは、私に潤いを齎せてくれました。最後に向ったのは横浜そごう美術館で開催している「今右衛門の色鍋島」展でした。昔、九州の有田に行って今泉今右衛門窯の色鍋島を見たことを思い出しました。緻密な絵柄が代々受け継がれて変化していく様子が分かって、とても楽しい展覧会になっていました。今日は午後から4つの展覧会を見て回ったことになります。そごう美術館は19時過ぎの閉館間近に飛び込みました。私一人で美術館巡りをした時は、4つの展覧会を回ることもありました。今回は家内がよく付き合ってくれたなぁと思いました。美術館巡りが終わった時にレストランでゆっくり夕食を取りましたが、行程の途中では時間の関係で休憩を取らずに移動していました。「印象がゴチャ混ぜになった」と家内は言っていましたが、申し訳ないことをしたと思っています。加齢のせいか、足が痛くなり、最寄り駅から自宅までタクシーに乗りました。充実という言葉がぴったりの一日でした。それぞれの展覧会の詳しい感想は後日改めて別々にNOTE(ブログ)に書いていきます。

メタフィジックスについて

私がやっている彫刻は物質的な創作活動ではありますが、それら素材を用いて作る出すのは精神世界に所属するものです。そうした己の内面を問いかけることが、周囲を見渡すと日常生活の中では少なくなってきているように思います。私はたまたま創作活動をしているので、メタフィジックスは必要不可欠な要素ですが、多くの人たちにとっては、敢えて自分の内面に向き合わなくても物質的・経済的な生活に困ることはありません。表向きは精神生活なんてどうでもいいことで、日常何かによって満たされていれば、前向きで建設的な自分を保てると思っています。ですからここではメタフィジックスの重要度を問うことはしません。自分の中で重要と考えているとしか言いようがないメタフィジックスの何たるかを整理したいと思っているのです。哲学史を紐解けば、古代の哲学者ソクラテスの「汝自身を知れ」という言葉から端を発し、アリストテレスが提唱した形而上学(メタフィジックス)によって、その考え方が定着しました。私たちは唯物論では片づけられない何かに縋って生きている場合も多く見かけます。宗教もその一つですし、私が生涯を賭けている芸術もまた然りです。実体のあるものを対象とする科学が罷り通る世の中で、一部の学者や宗教家、芸術家にしか注目されなかったメタフィジックスが、癒しを求める現代の人々の中で、新たなビジネスとして復活している兆しがあります。スピリチュアルという言葉に興味を寄せる人々がいることも事実です。自分が生きていく意味や意義を求めたいなら、物質だけでは満たされないものがあり、そのために自分探しを始める人がいます。私は彫刻表現を通して自分探しをしてきました。今後、メタフィジックスがさらに注視される世の中になるのではないかと思っています。

「ゼロ時間」アンゼルム・キーファー

ドイツの画家アンゼルム・キーファーに興味を抱いたのは、1998年に箱根の彫刻の森美術館で開催された「アンゼルム・キーファー展」を見たことに端を発します。ナチスの負の歴史を直視し、ナチス式敬礼の写真を展示して物議を醸した芸術家は、その後もナチズムを白日に晒す作品を作り続けました。彫刻の森美術館では藁や炭化された木材、またコールタールで塗りこめた巨大な作品が壁を覆っていて、その素材感に圧倒されたのを今も覚えています。その時は題名に気を留めていなかったのですが、キーファーは主題や意味を尊重する芸術家であることを後になって知り、その意図を汲むべきだったと後悔しています。キーファーの作品には聖書や神話、さらにユダヤ教の神秘思想とも言うべきカバラ哲学も創作動機に入ってきていて、それを知るには芸術家個人の経験としての背景があるのだろうと察します。現在読んでいる「絵の証言」(佃堅輔著 西田書店)の23人の芸術家のなかに、キーファーに関する章があり、キーファー自身の言葉が掲載されていました。全文引用いたします。「天使の非難。ドイツにおけるゼロ時間?だが、そのとき、すばらしい空〈から〉の空間を、つまり開始の場所を創造した慈悲深い天使はいなかった。なぜなら空〈から〉の空間はふさがれ、やがて使い古された事物と言葉で満たされたからだ…。廃墟は素早く取り除かれ、打ち砕いたコンクリートは廃棄処分された。沈黙の廃墟は、天使の空〈から〉の空間ではない。瓦礫は単に終わりではなく、開始でもある。いわゆるゼロ時間は、実際には決して存在しなかった。瓦礫は、絶え間なきメタボリズムが光を放つ頂点の植物の開花のように、再生の開始なのだ。そしてふたたびふさぐものを、空〈から〉の空間から長く押しだすことができればできるほど、鏡に映った像のように未来と共に進む過去を、より完全に、そしてより集中的に協調することができるのである。時間ゼロは存在しない。空〈から〉は、常にその正反対のものを自己の内部にもたらすのだ。」

「精神的苦闘」ユーロ・レヴィン

私は20代の頃、5年間もウィーンに滞在していたにも関わらず、戦争の傷跡には目もくれず、ひたすらアートの動向ばかりに注目していました。美術館に展示されている現代芸術作品の中にはホロコーストが及ぼした深い影響が見られるものがありましたが、そこに拘るつもりはなかったのでした。陸続きのポーランドにあるアウシュヴィツに足を踏み入れることなく、私は帰国の途につきました。その後、横浜市の公務員になり、職業として第二次大戦の歴史的事実を捉えることが必須であり、内外の現代史に視野を広げるにあたって、日本のアジア侵略や欧州を巻き込んだナチスの惨状も学習することになりました。今思えば、あの時どうして関心を持たなかったのか、自問自答を繰り返すばかりです。「絵の証言」(佃堅輔著 西田書店)に取り上げられている23人の芸術家のなかに、アウシュヴィツの収容所で命を落とした画家がいました。ユーロ・レヴィンという画家は私には未知の画家でした。文中より引用すれば「レヴィンはヨブという旧約聖書の人物を、運命に打ちのめされ、倒れ込んだ男と解釈したが、身体のポーズのなかに、人間の精神的な力と弱さが混ざっている。頭部は、抵抗も服従も明らかにしていまい。だが、人間の尊厳を得ようとする努力を、絶望的な状況のなかで明らかにしているだろう。~略~ヨブが聖書において象徴化する神の正義を、激しい精神的苦闘において、根本的に問うのだ。正しい人がなぜ苦しまねばならないのか、人に善と見えることが、神には悪なのか、人にも悪に見えることが神には善なのか、と。」というレヴィンの作品を解説した箇所があります。レヴィンは排斥、軽蔑、搾取され、苦悩する人々に目を向け、それら社会的コンテキストを激情的に表現した画家でした。第二次大戦という惨劇の中で、多くの芸術家の命が奪われてしまったことは疑いようのない事実です。元来、芸術は生命を謳い、人間の価値を問う媒体です。民族同化と真っ向から対峙する媒体です。そんなことを改めて感じさせてくれた画家ユーロ・レヴィンの生涯でした。

映画「日曜日の散歩者」雑感

先日、常連になっている横浜のミニシアターに台湾映画「日曜日の散歩者」を観に行ってきました。1930年代から戦後に至る文学界の動向の中で、西洋のモダニズムが席巻した時期があり、台湾から日本に留学した一部のエリートの中に、そうした前衛詩を日本語で創作した人々がいました。この映画は近代史の狭間に生き、忘却の憂き目に遭った詩人たちを追ったドキュメンタリーで、その時代の風潮を知らなければ、難解極まりない映画だと思います。私はシュルレアリスム以後の世代として、若い頃に知識として戦前の芸術運動を知っていたので、映画の手法であるシュルレアリスム的な場面展開が理解できました。それにしても他では類を見ない特異で不思議な映画のため、早速図録を購入し、映画の背景として評論家が考察していることが知りたいと思いました。図録から抜粋いたします。「植民地の地方都市で、詩を、それも芸術至上主義の前衛詩を作る。それは、呼べども応える声もない寂寥と、内から溢れる創作欲との闘いだったといってもよい。~略~盛況と粗製の台湾映画界において、『日曜日の散歩者』は、一つの違和感の表明である。風車詩社に関する綿密な取材と研究成果にもとづきながら、シュルレアリスムの古典的な手法を用いて、シュルレアリスムの詩人たちの人生を描く。映画では日本語・英語・中国語が混在するだけではなく、複雑なシャッフルによって次元の異なる映像が提示される。そもそも詩が、映画が、どのような表現でありえるのかを問い直しているのである。その挑戦は、1930年代の詩人たちの挑戦と重なる。」(大東和重著)

17’RECORD4月・5月・6月分アップ

一日1点ずつの完成を目指して、毎晩奮闘しているRECORDを、ホームページにアップしています。毎年秋にカメラマンが来て、1年間のRECORDを撮影しています。撮影は前年の10月からその年の9月までとしているので、現在は昨年の9月分まで撮り終えています。そのうち4月・5月・6月分を今回ホームページにアップさせていただきました。4月のテーマが「つくる」、5月のテーマが「つなぐ」、6月のテーマが「まざる」に決めて、日々小さな平面作品を作っていました。それに加えて私はテーマを題名にしたコトバを絞り出していて、ホームページの最後に掲載しています。それは作品の説明ではありません。「つくる」というテーマでは、私は彫刻家ジャコメッティの細くなった塑造の画像を見ていました。見えた通りに表現しようとした結果、視覚を疑いつつ立体の捉えを模索した彫刻家の格闘をコトバにしてみました。「つなぐ」では人間関係から発想したコトバです。私の職種は人間関係で成り立っています。「まざる」は色相環を見ていて、緑色から発想したコトバです。色彩は明度や彩度によって変わります。そのバランスに心理的な作用が現れると思っています。RECORDのページを見るには左上にある本サイトをクリックしてください。ホームページの扉が表示されますので、RECORDをクリックしていただければ、そのページに入れます。ご高覧いただければ幸いです。

週末 制作に精魂尽きた一日

日曜日は、土曜日とは違い、朝から夕方まで制作一辺倒で過ごせるほど体力的にも精神的にも余裕があるのです。今日は工房の窓いっぱいに広がる梅の枝に、花が咲いた時の驚きと喜びを今か今かと待ちわびながら一日を過ごしました。例年より梅の開花が遅いですねぇと工房に来ていた若いスタッフが呟いていました。彼女は来週末に搬入する大きな作品を作っていて、梅の開花と作品の完成を競い合っていました。梅はもうすぐ開花を迎えそうです。私は昨日準備したタタラを使って大きな陶彫成形を作っていました。毎週日曜日はがっつり陶土と格闘していて、タタラを紐作りで補ったり、表面を板で叩いたりして、求めるフォルムを目指します。午前中は寒さで手が悴むので、ストーブの傍で休憩しながらやっていますが、そのうち手のことは意識しなくなってしまい、欲求の赴くまま作業を続けてしまうのです。昼食の後、やや作業が緩む時間帯があるのですが、今日はそれもなくずっと緊張したまま作業を続けてしまいました。喉が渇いて、ストーブの傍に置いてあるペットボトルを取りに行ったら、若いスタッフも真剣な面持ちで自作に向き合っていました。声をかけて、2人して小休憩を取りました。私はこの年齢になり、創作に迷いはなくなりました。スタッフはまだ20代の女性なので、創作や生活のことにも迷いが生じているはずです。20数年生きてきて、今が一番多忙だと言っている彼女の顔には充実感も漲っています。創作活動が出来る場所が確保されていることは、彼女にとってある意味では幸運なことかもしれません。夕方、私は窯入れを行いました。明日と明後日は工房の電気が使えないよと彼女に断りつつ、工房を後にしました。自宅に帰ったら、私は精魂尽き果てた状態になり、ソファに倒れこんでしまいました。

週末 母の用事&映画鑑賞

2月最初の週末です。土曜日はウィークディの疲れがあって、一日中制作するには厳しいと考えています。先週も午後は「運慶展」や映画に出かけていました。今日は母が持っている賃貸住宅の青色申告を代行してもらうために税理士を呼びました。毎年来ていただいている税理士は、父が存命していた頃の古いつき合いで、実家の青色申告を任せている人です。最初の頃、税理士は母の実家にやってきていて、溜め込んでいた書類の仕分けをやっていましたが、母が介護施設を利用するようになってから、書類は我が家に届いているのです。家内がそれらを丁寧に保存していたおかげで、ほぼ1時間くらいで整理を終わらせて、税理士は事務所に必要書類を携えていきました。今日は朝早く工房に行き、明日の成形準備のため大きめのタタラを6枚作りました。税理士とは11時の約束でした。午後は馴染みのミニシアターに映画を観に行きました。家内を映画に誘いましたが、映画の内容がマニアックすぎて、家内から今回は遠慮すると言われてしまいました。映画は「日曜日の散歩者」という台湾映画でした。時代は1930年代、日本統治期の台湾で、日本語で詩を創作し、新しい台湾文学を作り出そうとした青年たちがいました。日本文学を通して西洋のシュルレアリスムを吸収し、情熱を持って「風車詩社」を結成した若い詩人たちは、戦争とともに言語弾圧を受けていきました。これは役者が演じるドラマではなく、当時の画像を駆使したドキュメンタリーとして、歴史に翻弄された詩人を描いた貴重な映像作品でした。詩作と西洋モダニズム、これに興味関心がなければ退屈する映画かもしれません。私は学生時代に詩やシュルレアリスムに興味を持っていたので、「日曜日の散歩者」は私一人だけで観にいくしかない映画かなぁと思っていました。詩人西脇順三郎や瀧口修造の世界が画像や詩の断片として登場してきたので嬉しくなりました。画家の作品では靉光や恩地幸四郎の作品に目が留まりました。詳しい感想は後日改めます。

2月RECORDは「絡」

今年のRECORDは月毎に画面構成のパターンを決めています。2月は同一の柱が並ぶ画面構成にして、そこに有機的な物体が絡んでいくイメージで制作していこうかと思っています。下書きをすると画面全体が縞模様になりますが、自分の意識としては縞ではなく柱の捉えです。平面的な捉えより、そこに立体を見取っていく方が自分は面白いと感じていて、下書きをするときは常に空間を意識しているのです。先月のNOTE(ブログ)にクリムトの世界観を書いた文があります。琳派のような装飾的平面性と西洋的な立体解釈の人物像が、同じ画面に共存することによって、象徴化された世界が登場するといったようなことを書きました。その相対する世界が面白いと感じるのは私だけでしょうか。若い頃、ルーマニアやギリシャの教会で見たイコン(宗教画)にも、イエスや聖母マリアの周囲を平面的な図像が配置されていて、象徴的な美しさを際立たせていました。同一画面に共存する写実表現と平面装飾の織り成す世界は、対象を強調する心理的な効果を与えるのではないかと私は考えます。小さく些細なRECORDが、古今の流麗な作品に匹敵できるとは思いませんが、その要素を大いに取り入れていきたいと思っています。今月も頑張ります。

凍てつく2月になり…

今年の冬は例年より寒いのではないかと思っています。横浜で水道管が凍るのは珍しいことです。2月は凍てつく季節ですが、工房の窓から見える梅の古木にはたくさんの蕾があって、すぐそこまで迫った開花が楽しみでもあります。今月の制作目標として、大小それぞれ1点ずつ作っているテーブル彫刻の陶彫成形だけは作り上げたいと思っているところです。週末の数を考えると厳しい目標ですが、ここで頑張っておけば5月連休の図録撮影に間に合うのではないかと思っているのです。大小それぞれ1点ずつのテーブル彫刻の題名もそろそろ考えたいと思っています。イメージの源泉を辿りながら相応しい題名をつけていくつもりです。RECORDは年が変わっても悪癖変わらず、下書きだけの作品が山積しています。毎晩1点ずつ新作を作りながら、過去の作品の仕上げを目指さないと苦しさが増すばかりです。RECORDが様々な活動の中で一番厳しい媒体だなぁと感じますが、慣れに甘んじる絵柄がある一方で、小さな発見もあり、なかなか捨て難いものなのです。そんなRECORDを10年間も継続してきました。これを止めるわけにはいかない意地が出ています。今月も頑張りたいと思います。鑑賞は見たい展覧会や映画があって、制作の間隙をぬって出かけようと思います。読書はアート関係の書籍を継続して読んでいきます。2月は流感や風邪が吹き荒れる時期でもあるので、身体を気遣いながら過ごそうと思います。

1月は映画鑑賞が充実

1月の最終日になりました。今月を振り返ると、まず大きな陶彫作品の成形と彫り込み加飾が全て出来上がり、乾燥を待っている状態です。仕上げと化粧掛けを残していますが、まずまずの成果です。敢えて言うならテーブルの柱に接着する陶板がまだ不足していて、今後の取り組みになります。小さめのテーブル彫刻3点は、天板の切断と穴の刳り貫きが終わっています。そのうち1点を7月の個展に出品することになりそうです。その1点に接合する陶彫部品の成形がまだ途中ですが、1点に絞り込むことによって、完成のメドがたちました。例年出品している小品数点はまだこれから制作することになります。RECORDは下書きが先行し、良い状態とは言えません。悪癖が出てしまい、なかなか解消できないのが厳しいところです。鑑賞では、展覧会としては「運慶展」(金沢文庫)の1回だけ、その分今月は映画によく行きました。「ゴッホ最期の手紙」「ル・コルビュジエとアイリーン」「ユダヤ人を救った動物園」(全てシネマジャック&ベティ)の3本で、専ら常連の映画館のレイトショーばかりでした。土曜日の夜に車で映画館近くまで行って、コインパーキングに車を入れて、最寄のレストランで夕食を済ませ、映画を観て帰るという流れが出来上がっていて、気分もリラックスし、しかも内容で刺激をもらえる上映作品とあれば、私は憑かれたように何度も出かけてしまうのです。映画館で発行している予定表を見ると、今後もアートを扱った映画が多く、来月も映画鑑賞が楽しめそうです。今月はとくに映画鑑賞が充実していたと思っています。読書はドイツ表現主義に関わる芸術家を扱っている書籍を読んでいるため、NOTE(ブログ)に取り上げる頻度が上がっています。久しく離れていたドイツ表現主義が再び眼前に登場して、私を刺激している感じです。今年読破したい難解な書籍も購入してありますが、まだ当分はアートに関する書籍とつき合いたいと思っています。

映画「ユダヤ人を救った動物園」雑感

オスカー・シンドラーや杉原千畝のようなナチス支配下で自らの危険を冒しても、多くのユダヤ人を救った実話は、映画化やその他の報道であまりにも有名です。映画「ユダヤ人を救った動物園」も、それと同等な人間の尊厳に纏わる実話であり、関わった人たちの勇気ある行動に感銘を覚えました。独ソ不可侵条約でバランスを保っていたポーランドが、1939年その締結によりヒトラーが同国への侵攻を始めました。舞台はワルシャワにある動物園で起きたことで、動物園を営むヤンとアントニーナ夫妻が多くのユダヤ人を動物園の地下の檻に匿い、安全なところに脱出させる実話がドラマの中心でした。動物園をドイツ兵の食料を供給する養豚場にすることを夫妻はドイツ軍に提案し、その餌となる生ゴミをユダヤ人居住区(ゲットー)からトラックで運ぶ際に、ユダヤ人たちを紛れ込ませ、動物園の地下に連れてきたのでした。園内に駐在するドイツ兵にいつ命が狙われてもおかしくない状況で、鬼気迫る演出に私は固唾をのんで進行する映画を観ていました。妻アントニーナを演じたジェシカ・チャステインが秀逸で、女性ならではの優しさと強さを自然に演じていて、とりわけ動物たちとの関わりが素敵でした。戦争が始まると猛獣や有毒生物がいる動物園はどうなってしまうのか、空爆によって施設が破壊され、それら動物が外部に逃げ出すことを考えれば殺処分しか選択肢はありません。言うなればこうした動物園は、そもそも平和の象徴なんだなぁと改めて私は思いました。飼育員が破壊された動物園にずっと留まっていて、夫妻と力を合わせて動物園再開を誓ったことも心温まるシーンでした。動物も人間も同じ命の行方を巡って深く考えさせられる機会が与えられた映画だったと思いました。

金沢文庫の「運慶」展

先日、横浜市金沢区にある神奈川県立金沢文庫に「運慶」展を見に行ってきました。現在の金沢文庫は、北条実時創建の旧金沢文庫を顕彰・継承するために昭和5年に設立されました。設立80周年の平成22年に運慶の特別展をやっていて、今回は2回目の特別展として「運慶ー鎌倉幕府と霊験伝説ー」が開催されているのです。金沢文庫と運慶像の関連は、同文庫が保管する「大威徳明王像」が運慶作品と判明したことにより、その研究が深まり、運慶派と呼ばれる仏師たちを加えて、今回の展示になったようです。「大威徳明王像」は資料によると運慶最晩年の作品とされていて、よく見れば運慶独特の面貌の恐ろしさや端正な造形があって、頷ける要素が満載でした。横須賀の曹源寺に伝わる「十二神将立像」にも迫力があって、当時は運慶派仏師による模刻の流通が行われていたようです。曹源寺の「十二神将立像」の中ではとりわけ巳神が優れていて、解説によると巳年生まれで同寺で安産祈願が行われた源実朝との関係があるのではないかという説が呈示されています。私が関心を寄せる舞楽面に関しては、鎌倉鶴岡八幡宮では創建時からまもなくして楽所が整備されたことから、そこに施入されたものではないかと思われ、造形的な要素からすれば運慶派の仏師による制作と考えられます。もはや運慶はその造形からして、仏師から一歩踏み出した彫刻家の技量にあったと私は考えています。運慶派と呼ばれる周辺の仏師たちにもその造形力が問われたために、模刻を通して多くの仏像が芸術品としての美意識を持っていると察しています。学生時代まで興味がなかった私に、仏像の魅力を教えてくれたのが運慶だったことを考えると、まさに運慶はミケランジェロと並ぶ国際的な彫刻家ではないかと言っても過言ではないと思っています。

週末 小さめのテーブル彫刻の精選

朝9時に工房に行き、ストーブを点けると温度が表示されます。今日の室内温度は2℃で今までの最低温度でした。今日は久しぶりに中国籍のスタッフが来ていました。彼女の故郷の山東省は氷点下になるそうですが、体感温度としては日本の方が寒いと感じると言っていました。陶土を扱うと手が悴むのですが、昨日タタラを準備していたので、時折ストーブで手を暖めながら、陶彫成形をやりました。今日は小さめのテーブル彫刻の天板の下に吊り下がる部品を作っていました。今年5月の図録撮影と7月の個展開催のことを考えると、現在同時に進めている3点の小さめのテーブル彫刻を1点に絞った方が良いのではないかという考えが浮かびました。精選すれば今日陶彫成形をやった矩形の作品が一番良いと思っています。昨年も2点同時に進めていた大きなテーブル彫刻を1点に絞った経緯があります。今年は昨年外したもう1点のテーブル彫刻を作っているのです。もし小さめのテーブル彫刻を1点に絞るなら、来年の個展に残り2点のテーブル彫刻を出すことになります。その方がギャラリー内の空間のまとまりが良いのではないかと思っているのです。そんなことを考えながら、今日は陶彫成形を精一杯やっていました。寒さは疲労を伴います。夕方まで作業していると意欲が落ちてきます。今日はここが限界と判断して、スタッフを駅まで送りました。スタッフは都内の美術大学で助手をやっているので、これから入試が始まり、多忙を極めるようです。来月末まで工房には来られないと言っていました。私の職場もそろそろ忙しくなってきます。身体に気遣いながら頑張っていこうと思います。

週末 AM土練り PM仏像&映画鑑賞

今日は充実した土曜日でした。週末になれば恒例となっている工房での作業がありますが、ウィークディの疲れのせいか、土曜日の作業は遅々として進まないのです。今日も例外ではなく、丸一日制作をするには厳しいと感じていました。そこで明日の制作に必要な準備を行うことを今日のノルマにして、午前中だけ土練りを行っていました。時間を限定すると、思いがけず集中力が増しました。土錬機を回し、混ぜ合わせた陶土を菊練りして、出来上がった陶土はタタラにしていきました。畳大の大きなタタラが6枚出来ました。ビニールで覆って明日の成形に繋ぐことにしました。その時、FMヨコハマから面白そうな情報が流れてきました。私は作業中ラジオをつけっぱなしにしているのです。情報は、金沢文庫で運慶や運慶周辺の仏師による展覧会を開催しているというのでした。昨年、東京上野の国立博物館で「運慶展」を見ていた私は、もう一度運慶の仏像に会ってみたくなり、家内を金沢文庫に誘ってみました。神奈川県立金沢文庫は横浜市金沢区にありながら、私は一度も行ったことがなく、今日初めて訪れたのでした。展覧会の内容は、巨大な仏像はなかったものの、展示は充実していました。その中で伝運慶・湛慶作の「梵天立像」の彩色が艶かしくて印象的でした。私は仮面が好きなので「舞楽面」などに興味関心がありました。詳しい感想は後日改めたいと思います。夜になって家内と常連のミニシアターに出かけました。このところ毎週土曜日の夜は映画鑑賞をしています。映画は「ユダヤ人を救った動物園」を観てきました。これは実話に基づく映画でポーランドのワルシャワが舞台でした。力の篭った演出があちらこちらにあって、現実を直視しようとした制作陣の気合を感じました。これも感想は後日にしたいと思っています。夜中に自宅に戻ってきて、NOTE(ブログ)を書いていますが、今日は内容の濃い一日で、ウィークディの疲れはどこかへ吹き飛んでしまいました。

「受難のパトス」ヴィルヘルム・レームブルック

「絵の証言」(佃堅輔著 西田書店)に取り上げられている23人の芸術家のうち彫刻家が一人います。ヴィルヘルム・レームブルックはバルラッハとともにドイツ表現主義を代表する彫刻家で、日本では2004年に神奈川県立近代美術館葉山で展覧会を開催しています。当時私はその展覧会に足を運び、レームブルックの世界観に触れました。引き伸ばされた肢体をもつ人体像は建築構造的であり、私にはモディリアーニの彫刻のように見え、またゴシック的な要素も感じました。38歳で自ら命を断ったこの彫刻家は、後年制作された地に蹲る人体像を見ていると、戦争による苦悩や絶望が感じられて、作家自身が目指していた英雄的でモニュメンタルな彫刻が受け入れられない暗い社会情勢との狭間にあって、精神的に追い詰められていたのではないかと察しています。本著では彫刻作品「上っていく若者」についてニーチェとの関連を取り上げています。「この作品は、レームブルックは人生で経験し、フリードリヒ・ニーチェの『ツァラトゥストラはかく語りき』で確認されるのを見いだした、『衝動と理性との悲劇的両極性』(D・シュベルト)により決定されていると言えよう。身体の高みへの志向は、うなだれた頭部と対極を成している。」戦前であってもレームブルックの人体像の中に表現主義的な文学性や象徴性があり、戦後の彫刻作品「倒れた人」では実存表現主義とも言うべき表現が現れてきました。「戦争体験後、レームブルックは、残りわずかな力を振りしぼりながら、作品を非物質化し、欲求的な身体から解放しようと直接的な表現を見いだした。」画家キルヒナー評を書いたP・シュプランガーによると、レームブルックは「英雄のパトス」を「受難のパトス」に変えていると指摘しています。葉山の「レームブルック展」で、私はそこまでレームブルックの背景を洞察できなかったわけですが、細く伸びた肢体と無表情な風貌をもつ作品を思い出し、改めてレームブルックを記憶に留めようと思っています。

「光景を眼に飲み込めよ」グスタフ・クリムト

オーストリアの画家グスタフ・クリムトは、近代絵画史上でも大きな存在感を示しています。19世紀末に彼は旧態依然とした写実絵画の反逆者となって、ウィーン分離派を組織しました。クリムトは攻撃的な人ではなかったようですが、結果として新しい潮流を生んだ先駆者になったと私は理解しています。流麗な金地で人物を囲み、装飾を施したクリムト特有の象徴主義は、世界的にも有名になり、日本でも人気の高い画家のひとりになりました。私も30数年前に、ベルヴェデーレ宮殿のギャラリーでクリムトの絵画に接し、琳派を思わせる平面的な世界と西洋の立体画法が混ざり合った不思議な世界観に恍惚とした覚えがあります。今回は「絵の証言」(佃堅輔著 西田書店)に取り上げられている23人の芸術家のうち4番目としてクリムトを取り上げてみました。本書ではクリムトの風景画に焦点を合わせていました。「晩年のクリムトが、わたしたちを感動させるものは、とりわけ象徴主義の『思想芸術』から、徐々に自然の見方へと発展していることである。」と本文にある通り、クリムトの風景画は草花の点描が織物のように広がり、そこに遠近法はありません。定番な風景画の説明的要素もありません。「クリムトの風景画には、珍しく人間(添景人物)はあらわれない。自然そのもの、それが彼の関心事だったから、風景は人間に対して、ひらかれ、そのなかに入ることができ、見回すことができる。彼は独自の方法で、肖像に描かれた人たちを自分の風景に関与させた。」と著者は述べていて、その独特な風景画観を論じています。「光景を眼に飲み込めよ」というコトバは、詩人ペーター・アルテンベルグのクリムト評に出てくるコトバです。まさにその通りの感想を私も持ちました。

アートの役割について

私たち専門職が集まる研究集会の中で、某美術大学に勤める教授を講師に招いて話を伺う機会がありました。その中でアートの果たす役割についての話になり、私は興味関心を抱きました。かつて学校教育の中で芸術教科は必要ないのではないかという強権論がありました。今はそれを言う人はいません。国際社会の中で自分の意見を主張できる人材を養成することが、あらゆる分野で必要になっています。それを学校教育で担うことが、次期学習指導要領で謳われているのです。課題に対してどう主体的に対処するか、アクティヴ・ラーニングと言われているものが、既に様々な校種の授業に入ってきています。アートの授業は、個人の課題解決がやりやすいので、感性を育むとともに自己主張が可能な授業なのです。未来型スキルの中に、社会文化的・技術的ツールを相互作用的に活用する力や人間関係形成能力、自立的に行動する能力が入っています。現代は、従来の日本人が持つ調整型の人材ではない、確固とした己を主張する能力が問われるようになってきたと言えます。また、経済やテクノロジーが主流を占める現代社会の中で、その分野の閉塞感を打ち破るのはアートの力が必要だという考え方があります。理工学+アートという考え方は不思議な感覚を与えますが、創造的な思考がなければ、その先に進めないというところが開発者たちの実感なのかもしれません。現代の多義的多角的な構造を持つ様々な分野の中で、アートの役割は確実視されていることは疑う余地がありません。これは私としては嬉しいし、アートが世間の追い風になってくれることを望んでいる一人です。

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