週末 冬季休業の初日

今日から職場は冬季休業に入ります。出勤日もありますが、年休を使うと最大16日間の休みが取得できます。この長期休暇の制作目標は陶彫部品を8個作ることです。単純に計算すれば2日で1個作るわけですが、職場外の催し物に参加したり、大晦日や正月もあるので、計算通りにはなりません。多少の無理も承知で頑張っていくつもりです。今日は朝から工房に篭りましたが、土曜日はウィークディの疲れがあって、なかなか作業が捗りませんでした。昨晩は職場の納め会もあったので、今日はぼんやり過ごしたい気分でしたが、とにかく日々のノルマを達成しなければ制作目標に近づかないので、土練りや大きめのタタラを複数枚作っていました。夜はRECORD制作に費やしました。RECORDは2週間分の遅れを取り戻すために、今までの大量の下書きに彩色を施していました。絵の具が乾くまで現象学の書籍を手にとって頁を捲りましたが、頭が朦朧としてデカルト式図式というのがなかなか入ってこず、今晩は現象学の学習は諦めました。人間は機械のように動けないものだなぁとつくづく思いました。学問は時間刻みのスケジュールでは頭に入らないものなのかもしれません。現在の私にとって読書は楽しいものではありません。難解な語彙の中に自分を投入して、混み入った理論を紐解いていく学習なのです。それでも単元を読み終えて、あれこれまとめをしていると不思議な満足が得られます。それは創作活動も同じです。創作活動はまさに労働の蓄積で、耐え忍ぶ姿勢で作業をやっています。これも出来上がってくると不思議な満足感がやってきます。即座に楽しめないところに高水準な楽しみがあると言えます。これを16日間やっていると結構大変かもしれません。今日は16日間の初日で、内容としては手強いスケジュールだなぁと思っているところです。

16日間の過ごし方

明日から最長1月6日まで冬季休業を取得できるように、私の職場では「働き方改革」を進めています。職員によっては出勤を余儀なくされる部署もありますが、年末年始を迎えるこの時期は、それぞれの家庭事情を考えて適切に休んでほしいと私から全職員に話しました。長く休むためには休業中もコンプライアンスを意識してほしい、職場にある個人情報管理を徹底してから退室してほしい等、さまざまなことを職員に言いました。働き過ぎの私の職場では、職員一人ひとりが穏やかに年の瀬を迎えられることを祈っている次第です。私自身は16日間のうち職場外に出勤する機会がありますが、緊急事態がない限り、職場を可能な限り休んで創作活動に没頭したいと思っています。現在作っている新作の集合彫刻は、50数個の陶彫部品で構成される作品ですが、そのうち33個をこの冬季休業で作りたいという目標を掲げています。現在25個の陶彫部品が焼成済みか、乾燥待ちをしている状態で、残り8個を作る予定です。16日間で8個、これは何とかなりそうな目標です。勿論これをやるには大晦日も正月も創作活動に充ててしまわなければなりませんが…。美術館や映画館にも鑑賞に出かけたいと思っていて、どこかで時間を作ろうと思います。難解な2冊の書籍の読破も目標にしていますが、昼は陶彫制作、夜はRECORDやNOTE(ブログ)をやっている中で、どこで本を読もうか思案しています。こう考えていくと、私は創作活動を仕事と捉えれば、働き過ぎなのかもしれません。それでも心は解放されるので頑張って取り組みたいと思います。

造形に纏わる雑感

高校時代、工業デザインを学ぼうとしていた私は、大学では彫刻を学ぶことになり、そこで出会った師匠に刺激を受けて、今まで40年以上も彫刻に関わり続けています。日常生活の質の向上を目指すデザインに比べると、社会的ニーズのない造形をよくもここまでやってきたなぁと思っています。逆に二足の草鞋生活として関わっているウィークディの仕事は、社会貢献度としては抜群の職種で、これがあるから自分の存在意義を感じていると言っても過言ではありません。現在、公務員としては社会的責任を伴う役職にいるので、ニーズのない造形とは主従の関係になりそうですが、私の中ではどちらも同等な存在感があります。ではなぜ彫刻、いや造形全般に対して私が拘りをもって奮闘しているのか、これは自己探求にもなりますが、自分なりにずっと考えていることで、明確な理由は今もって掴めていません。分かっていることは、現在やっている陶彫部品を組み合わせた集合彫刻が面白くて仕方がないということです。誰にも非日常的なイメージを抱く場面があるのではないか、こんなふうに出来たらいいなぁという朧げな想像を、想像のままに終わらせないで、具現化してしまうことが自分を造形に掻き立てている動機です。もうひとつは私の資質になりますが、ひとつのことをブレずに追求する信仰心のような姿勢があります。神の存在を信じていれば、造形は神に捧げる明快な理由づけが可能です。私は何に対して信仰しているのか分かりませんが、40年以上も継続する何かがあると感じています。創作に対する理由が欲しくて、偉人たちが構築した哲学に挑んでいると言っても差し支えありません。これも自己探求のひとつです。理由なんか要らない、やりたいことをやるだけ、と思っていたのは造形のスタートラインに立っていた頃だったと述懐しています。60歳を超えてなお旺盛に創作に挑むことは、自分なりの造形に対する根拠が必要です。自分は何者か、今後も自分に問いかけていくのだろうと思います。

現象学の書籍読破の目標

昨日、一昨日のNOTE(ブログ)に「見えないものを見る カンディンスキー論」(ミシェル・アンリ著 青木研二訳 法政大学出版局)の単元毎のまとめを掲載しました。著者であるミシェル・アンリはフランスの現象学者で、抽象絵画の先駆的役割を担ったカンディンスキーの絵画論を、現象学的視点で論じたものが「見えないものを見る カンディンスキー論」です。本書を読む前に、カンディンスキーに関する文献を読んでいた私は、点・線・面、あるいは色やフォルムを独自な視点で論じている本書に関しては、予備知識も手伝って読解に多くのパワーを費やすことはありません。手強い箇所もありますが、カンディンスキーの絵画を思い浮かべれば、難しい文面も紐解けるような気がしています。それに比べると「経験の構造 フッサール現象学の新しい全体像」(貫茂人著 勁草書房)は、私にとってかなり難解な箇所が多く、読み取りに時間を要します。本書は現象学を提唱したフッサール哲学を平易に解説した書籍ではなく、フッサールの理論を現代にアレンジした発展的な専門書ではないかと思っています。幾度も読み返しながら理解に努めていますが、何しろ御本家フッサールの書籍をまだ読んでいない私は、胸にストンと落ちていかない咀嚼不全を感じています。フッサールの翻訳書籍も持っているのですが、これもなかなか難しくて頁を捲ると腰が引けるような専門用語の羅列が眼に入ります。それは「形式論理学と超越論的論理学」という書籍ですが、これに挑むのは少々先になりそうです。とりあえず、現在読んでいる「見えないものを見る カンディンスキー論」と「経験の構造 フッサール現象学の新しい全体像」を冬季休業が終わるまでに読破したい目標があります。2冊同時読破は難しいかもしれませんが、頑張ってみるつもりです。

「目に見えない色」について

昨日に引き続き「見えないものを見る カンディンスキー論」(ミシェル・アンリ著 青木研二訳 法政大学出版局)の単元を取上げます。今回は「目に見えない色」についてです。カンディンスキーの著書「点・線・面」の中では、色彩以外の造形要素の分析がありますが、それでも著者は色についてのカンディンスキーの理論を読み解いています。「われわれは、線の実際の存在とは線を生み出す力であり、最終的にはその力の情念であり、したがって目に見えない存在であることを論証した。色の場合の証明は、同じやり方で、同じくらい明快に行ない得るであろうか?色はいかなる力とも結びついていないように見えるし、主観性の領域の中に自己を同じように組みこんでくれそうな主観的性質を有する媒介物をまったくもちあわせていないように見える。」と色についての否定的な見方を冒頭では標榜していますが、カンディンスキーが展開する色についての情熱的な論考を取上げて、色は目に見えない生の中に感じ取ることができると結論付けています。色を包括的に含んだ絵画論に、私が気に留めた箇所がありました。「絵画は、ことばなしですませる。そのことが抽象絵画によって教示されるのであり、また抽象絵画に表現力をもたらすのである。実際、もし色が外的な関係によってわれわれの心の諸感情とかかわるのではなく、その諸感情の中に真の自己存在ー純粋な感覚としての、純粋な体験としての自己のありようーを見出しているとすれば、色は、ひとつの方法として、目に見えないわれわれの生という抽象的な内容を表す必要はない。色はわれわれの生と一致している。色はわれわれの生の情念、苦しみ、憂い、孤独、喜びとなっている。」これは抽象絵画における色の関わりが示された一文です。次に抽象絵画とは何か、というより一般的な絵画についても生と色との関係を解いています。「生と芸術作品との関係において、対象に意味や価値を与えることのできる眼ざしはまったく存在しない。なぜなら眼ざしや意味や対象は存在しないからであり、たとえば生と色との関係とは、色の主観性、すなわち生それ自体であるからである。」今日はここまでにします。

「要素の統一性」について

「見えないものを見る カンディンスキー論」(ミシェル・アンリ著 青木研二訳 法政大学出版局)の中で、「要素の統一性」について取り上げます。冒頭の文章から引用すると「要素の統一性とは絵の統一性にほかならない。それはコンポジションの統一性であり、より正確にいえばそのコンポジション自体である。」というのが、この論文の主旨であって、そこから派生するさまざまな平面上に於ける空間について論じています。それにはまず実在の空間か、想像上の空間かを問いかけています。三次元の錯覚を作り出す古典主義絵画は、こんな一文で表しています。「絵の上では遠近法が錯覚をひき起こすということは、遠近法の構築する空間が想像上の空間であることを意味している。」所謂写実絵画は平面上に静物なり、人物なり、風景なりの描写を通して、平面上に奥行きという錯覚を与えているに過ぎないことが述べられています。では実在の空間とは何でしょうか。「コンポジションの、すなわち絵画の可能性は、今や空間自体の中に、ありのままの外面性の中にあるだろう。」というのがカンディンスキーの分析にあり、絵画的空間を根本的なところから捉え直しているのが、カンディンスキーが提唱するものだろうと私は思いました。こんな一文もありました。「平面はそれ自体ひとつの要素であるということだ。このようなものとして、平面は二つのやり方で現れて来る。つまり、外面性において外面性そのものとして、そして情念的諸様態すなわち生の諸様態にもとづいた内面性において。平面の統一性とは内部の統一性である。その統一性が生の中にあり、生と混ざりあっているからこそ、それは情念であるのだし、潜伏している動的な構造化が、基礎平面を貫いて秘められた拍動を与えるのである。」今日はここまでにしておきます。

週末 工房ロフト拡張計画

今日は朝から工房に篭って制作三昧でした。工房は亡父が残してくれた植木畑の中にあります。早朝、畑を歩くと所々に霜がありました。いよいよ寒くなってきたなぁと感じていて、ストーブを焚き始めました。ただし、家電用のストーブなので工房全体が暖かくなることはなく、手を暖めることしか出来ません。陶彫制作は水を使うので、暖が取れるだけでも助かっています。今季初めてのストーブなので灯油の補充をしなければならないと思いました。今日は昨日準備したタタラと紐作りを併用して陶彫成形を行いました。時折ストーブの傍に行って休憩するので、冬の作業は時間がかかるのを思い出しました。午前中に鉄工所の業者が工房にやってきました。実はロフトの拡張を考えていて、天井からのリフトも取り付けようと計画しているのです。作品の置き場所が工房の半分以上を占めている現状を何とかしたいと思っていて、ロフトの拡張工事は私が現職でいるうちに実行したいと思っています。ロフトはいつごろ作ったのか、NOTE(ブログ)によると2015年11月8日付けで「工房の倉庫部分のロフトが完成」という文章がアップされています。ということは2年前に完成したことになります。そんな昔ではないのに、もうロフトは足の踏み場もないほど作品や道具が溢れているのです。ロフトには鉄骨の階段がありますが、陶彫部品を梱包した木箱は階段を人力では上げられず、1階の倉庫部分に置いてあります。今回は工房の半分をロフトにしてしまう計画です。そうなるとロフトには照明も必要になります。現在のロフトでは、昼間でもかなり暗くて整理整頓がやり難いのです。夕方になれば真っ暗でロフトでの作業は出来ません。近いうちに鉄施工業者、リフト取り付け業者、電気施工業者が来て、全体で見積もりを行う予定です。工房が町工場のようになっていくようで、ちょっとしたワクワク感があります。公務員管理職と彫刻家の二束の草鞋生活でいるうちに、作品収納倉庫を万全にしておきたいと思っています。これには多大な費用負担がかかると考えていて、給与を貰えるうちにやっておきたいのです。植木畑の木々も先日業者に思い切りカットしてもらいました。これも同じ理由によるものです。

週末 制作&シュトレン購入

週末になると、陶彫制作のみに終わらず、何かの用事を一緒に済ませています。今日は映画館や美術館ではなく、知り合いのパティシエの店に足を運びました。用事があっても制作工程は変わらずにやっているので、朝から工房に行って成形のためのタタラ作りや乾燥した陶彫部品に仕上げや化粧掛けを施しました。工房内の寒さが増し、例年のようにストーブがあった方がいいかなぁと思いました。土曜日はウィークディの疲労が残っていて、思うように作業が捗らないので、休憩を多く取るようにしています。午後2時過ぎに何とか今日の制作ノルマが達成できて、自宅に戻りました。夕方になって家内と川崎市多摩区中野島にある洋菓子店「マリアツェル」まで車で出かけました。「マリアツェル」の店主は、自分の若い頃にオーストリアの首都ウィーンで知り合ったパティシエです。彼はホテルで働いていたため金銭に不自由がなく、逆に私は貧乏学生だったため、彼に遊びに誘われたことが結構ありました。彼が帰国して、ドイツ・オーストリア菓子を作る店を川崎の実家にオープンしたところ、よく売れたようです。「マリアツェル」は原料をヨーロッパから仕入れていることもあって、日本の洋菓子とは一味違うものになっていて、当時から本物志向が高まっていたことから、時代に合っていたのではないかと思っています。この時期に私は「マリアツェル」にシュトレンを買いに出かけます。シュトレンとは、クリスマスにドイツ・オーストリアでよく食べられている、ドライフルーツや胡桃、マジパン等が入った重量のあるパンのことを言います。ドイツのドレスデンが発祥だそうで、毎年コンクールが行われていると聞きました。「マリアツェル」の店主もつい先日までドレスデンに数日間行っていたそうで、帰国したら作り置きしていたシュトレンの在庫が少なくなってしまって、大急ぎで追加したという話を聞きました。シュトレンは幼子イエス・キリストのお包みの形に似せているところからキリスト教との関連もあるそうです。私は今の職場や彫刻の師匠や先輩を初めとする知り合いに贈るため、たくさん購入してきました。私自身も懐かしさも手伝ってシュトレンを愛する一人です。

12月RECORDは「跨」

一日1点ずつポストカード大の平面作品を作ることを自分に課しているRECORD。文字通りRECORD(記録)ですが、毎晩制作しているにも関わらず、ペースが追いついていかない困難さを抱えています。下書きだけが先行していて、今月はそれを挽回しようと奮闘中です。12月のRECORDは、今日までの下書きが出来上がっていますが、彩色や仕上げは2週間遅れでやっています。今月のテーマを「跨」にしました。線路にかかる跨線橋に使われるコトバで、またぐという意味があります。今年やっているパターンになった枠を超え、それを跨いでいく形態を作っています。パターンは画面に象徴化したバツ印を設定しました。そこを飛び越えていくカタチは、颯爽としているイメージもあれば、植物の蔓のように畝っていくイメージもあります。枠を超えるところに「跨」をテーマとした構成要素を盛り込もうと考えているのです。今年最後を飾るRECORDとして遅延課題は残さずにやっていこうと決めています。同時に来年のRECORRDをどうするか、イメージをそろそろ固めたいと思います。10年以上の間にいろいろなことをやってきたRECORDですが、まだまだ表現の幅は広げられるのではないかと思っています。成長はスパイラルを描くと誰かが言っていたコトバを思い出しますが、そうであるならアーカイブを見て、同じテーマに挑んだとしてもキャリアの差が出てくるのかなぁと思っています。やり残しているイメージがあって、それを発展させていく方法もあります。来年以降も頑張っていきたいと思っています。
 

ムンクの「叫び」について

あまりにも世界的に有名になったムンクの「叫び」。全部で4点あるようですが、そのうちの1点が東京都美術館に来ていました。先月、「ムンク展」を見てきましたが、「叫び」の人気で混雑を極めていました。ほとんど日本では「叫び」がキャラクター化していることに違和感を感じながら、改めてこの絵画の背景を探っていきたいと思います。「叫び」に最初に接した時の独特な雰囲気を私は忘れていません。周囲の風景と人物が一体化した構成は、まさに叫びそのもので、私は耳を押えている人物が自ら叫んでいるのではなく、周囲に広がる自然から叫ばれているのを拒絶しているように思えてなりません。彼は孤独に耐えて夢遊病患者のように揺らいで歩いている中で、叫びを聞いているのではないかと勝手に解釈をしています。ムンクは同じ主題の作品を複数制作していますが、それについては図録より引用いたします。この文章は「病める子」に関してですが、「叫び」にも同じようなことが言えるのではないかと思いました。「当時センセーショナルな反応を巻き起こしたこの問題作が注目を集め、発注者が現われるたびに描き、手放すという『現実的な動機』が確かにあったのである。しかし見逃してならないのは、ムンクが作品の『源泉』を自分の生い立ちに求め、何度も同じ作品の制作に取り組んだ点、自身の芸術の独自性を同一主題のヴァリエーションによって伝えようと思考を巡らせた点にこそある。彼にとって再制作とは単なるコピーを意味するものではなく、ある必然性をもった繰り返しなのであった。」(水田有子著)複数ある「叫び」にしてもタブローであったり、版画であったりして、そのバリエーションによって印象が異なります。主題となる魂の源泉を求めて何度も描いた複数の作品は、どれもオリジナル性があって、心に訴えてきます。心情によって風景や人物が蜃気楼のように曲がっている表現も、印象強く記憶に留められ、ムンク自身もイメージの連なりの中で、新たな作品を生み出す手法を考案しているように思えます。そうした一連の作品の中に「叫び」が位置付けられるのが心象動機的にもいいのではないかと本展を見て感じました。

上野の「ムンク展」

このところ大きな規模の展覧会が相次いでいて、先月は東京の上野公園によく出かけていました。ノルウエーの画家エドワルド・ムンクの「叫び」が来日していて、私が行った先月末も長蛇の列が幾重にも連なっていました。ちょうどその日は、開館延長日だったので、まず上野の森美術館の「フェルメール展」を見終った後、夜になってから東京都美術館の「ムンク展」に足を運びました。学生時代、ドイツ表現主義が好きだった自分は、ムンクにも特別な思い入れがありました。若い頃、鬱積した心情や欲望を持て余していた自分は、ムンクやドイツ表現派の作品に共感していました。今回の展覧会でもムンクの作品を見て欝々とした当時の思いが甦り、情緒不安定だった自分を顧みる機会を持ちました。図録よりムンク芸術に纏わる箇所を引用いたします。「ムンクの芸術を特徴づけるものに、言語化しにくい人間の感性、感覚、感情を視覚的に表現する才能が挙げられるだろう。彼の芸術は、たとえその表現方法は文化によって異なるとしても、性愛、憂鬱、愛、孤独や悲しみといった、あらゆる人間が共有する本質的な体験と関わっている。~略~ムンクが生涯にわたり取り組み続けたのが、後に〈生命のフリーズ〉と呼ぶことになるプロジェクトである。~略~ムンクによると〈生命のフリーズ〉は『現代の魂の生活』を描写し、それは『生から死までの人生ー愛の始まり、高まり、闘い、消滅、生への不安、死』として解釈される。要するに、愛との出会い、不安、死という人間の根源的な体験を取り上げることがムンクの芸術的プログラムであった。」(ヨン=オーヴェ・スタイハウグ著)今回の展示作品を見て、ムンクの自画像が多いことに気づきました。ムンクが画学生だった19歳の自画像は完璧な写実絵画で、自信に満ちた自我が現われているように思いました。最後の部屋にある80歳を迎えたムンクの自画像は、時計とベッドを描き、その傍らに立つ老人の姿として自我を表しています。自画像はその時代の画家が被ったあらゆることが表現されていて、画歴として重要な位置を占めるものではないかと感じました。モデルになった女性にもさまざまな思い入れや解釈がありそうで、その関係を調べていくと絵画化した動機が伝わってきます。有名な「叫び」に関しては別稿を起こします。

映画「ボヘミアン・ラプソディ」雑感

先週の金曜日のレイトショーに人気急上昇中の映画「ボヘミアン・ラプソディ」を観に行きました。映画になったロックバンドのクイーンは私より上の世代の人たちが熱狂したバンドです。当時学生だった私も日本を席巻したクイーンのヒットナンバーはよく知っていました。この映画はドキュメンタリーではありません。俳優が演じるクイーンなのです。でもそこにクイーンの創設メンバーであるブライアン・メイとロジャー・テイラーが音楽総指揮として入っていて、事実に忠実な映画に仕上がっていました。史上最高のエンターテイナーとして知られるリード・ヴォーカルのフレディ・マーキュリーの若い頃の姿がこの映画では印象的で、まだフレディの心が一貫しておらず、また苦しみつつ破天荒な発想を持ち込む資質が、早くもスター性を感じさせる要素になっていました。同性愛に悩み、45歳の若さでエイズ感染により死去したフレディ。映画はクイーンのメンバーが憑依したかのように演じる俳優たちによって、あの頃の精神状態に連れ戻される錯覚が生じました。最後のシーンでライヴ・エイドの会場が映し出され、満員の観衆の前で演奏するクイーンは、まさに映画の観客をも巻き込む興奮の坩堝となっていました。図録にこんな一文がありました。「摩擦、衝突、葛藤、外部からの雑音。そうしたものを蹴散らしながら実験精神と新たな領域への挑戦欲求を失うことなく音楽的ケミストリーを求め続けたクイーンの音楽には、世の平均的ポピュラー・ミュージック像からすれば、特異とさえいえる部分というのが多々ある。」(増田勇一著)特異というのはロックの王道からすれば、クイーンはイロモノという悪評が立っていたことがあり、目立つキャラクター性やオペラの美学を取り入れた楽曲作りが認められていない時代がありました。この倒錯的な感覚は初めに日本で受け入れられて、一躍スターに上りつめたという話を聞いたことがあります。よく来日していたクイーンは親日でもあったということでしょうか。私たち日本人が応援したクイーン。映画でも観客が徐々に増えていることがその証拠なのかもしれません。

横浜の「駒井哲郎展」

昨日、横浜のみなとみらい地区にある横浜美術館で開催している「駒井哲郎展」に行ってきました。副題を「煌めく紙上の宇宙」としていて、銅版画のパイオニア的存在だった故駒井哲郎の大掛かりな回顧展になっていました。展示は駒井作品に限らず、彼が感化された画家クレーやルドン、敬愛した岡鹿之助や長谷川潔、恩地孝四郎に加え、瀧口修造の実験工房、詩画集で交流した多くの詩人たちのコトバもあって、戦後の現代美術を概観する内容にもなっていました。わが国では、浮世絵の木版画技法は古くから国際的な水準にあるものの、欧州で栄えた銅版画は歴史が浅く、明治・大正時代になって漸く銅版画技法が齎されたのでした。そんな日本の曙期にあった銅版画に生涯をかけて情熱を注いだのが駒井哲郎でした。展示作品は詩情を湛えたものがある一方で、実験的なものがあり、また他分野のコラボレーションもあって、銅版画の可能性を広げるため果敢に挑んだ作家の側面が見えるものでした。とりわけ詩画集にかける駒井の思いが語られている一文が図録にあります。「『実現しなければならない一冊の書物は象徴的な迄に私の心にせまってくる。…私が書物という言葉で象徴したのは、つまり綜合芸術への憧れなのだ』との発言に注目したい。前述の通り駒井は、西田(武雄)のもとで既に長谷川(潔)の版画集から強い感化を受け、また『本の美術家』恩地(孝四郎)への憧憬もかなり早くから抱いていた。またこの発言に先立ち既に『マルドロオルの歌』を手掛け、詩画集の制作を推奨する瀧口(修造)からの影響も少なからず受けていた。しかし先の発言がちょうど『レスピューグ』の公演直前になされたことを考慮すると、実験工房での活動が、駒井に『総合芸術』への志向をもたらした契機として機能した可能性が十分に考えられる。」(片多祐子著)駒井哲郎が銅版画を通じて、さまざまな創作分野を横断していた経緯が、今回の展示を見てもよく分かりました。展覧会の後半には粟津則雄を初め多くの詩人たちとの詩画集が展示されていて、コトバと版画との豊かなイメージが展開されていました。私にはちょっと羨ましい世界だなぁと思いました。

週末 制作&横浜の展覧会

週末になると、どこかの美術館に行くという習慣が先月から続いています。陶彫制作も余裕がない中で、何とかやり繰りしている按配ですが、今日も夕方美術館に行ってきました。鑑賞があるからといって制作工程はそのまま続行しています。朝から集中すれば夕方までにノルマを達成できると信じて、今日も陶彫成形と彫り込み加飾を終わらせました。仕事が雑にならないように精一杯気遣いながら、24個目の陶彫部品を作り上げました。工房から自宅に戻ったのが午後3時で、そこから家内と横浜美術館に車で出かけました。横浜美術館は地元なので気楽に行ける場所にあるのです。見てきた展覧会は「駒井哲郎展」。銅版画では日本のパイオニア的存在の人で、私の大学時代に駒井哲郎を信奉している先輩がいたおかげで駒井ワールドを知ることができました。私は大学時代にドイツ表現派の影響で木版画をやっていました。傍らで銅版画に取り組んでいた先輩がいて、表現の多様性と腐食版画の面白さに興味津々でした。銅版画をやってみたいなぁと思っているうちに今日まで来てしまい、さて、いつになったら銅版画を始めようか思案しているところです。実は他の施設で使っていたエッチング・プレス機を譲り受け、工房に置いてあるのです。二足の草鞋生活の現在は、公務員管理職と彫刻家の生活で全く時間が取れないため、憧れの銅版画は後回しにしているのです。そんな銅版画のパイオニア的存在の人が、横浜で展覧会をやっていると知って、絶対に見に行こうと決めていました。駒井ワールドは私小説のような世界を覗かせながら、さまざまな実験を繰り返して、次から次へと表現の幅を広げていました。前衛芸術との接点や現代詩人たちとの交流を通して、駒井哲郎はその世界観を作品に取り入れていました。「煌めく紙上の宇宙」という副題が示す通り、紙の上で展開する小宇宙が、駒井ワールドの醍醐味かもしれません。この歳になって漸くこうした世界が彫刻のようなモニュメンタルな世界とは真逆にあることを感じました。銅版画は自分にとってはRECORDに近い世界です。詳しい感想は後日改めたいと思います。横浜美術館を出た後、久しぶりに横浜中華街に行って夕食をとりました。横浜美術館のあるみなとみらい地区も横浜中華街もクリスマスのイルミネーションが綺麗でした。

週末 益子から陶土が届いた日

陶彫を作るためには陶土の調達やら焼き窯等の設備が必要です。道具も多岐にわたっていて、その中には自分で作ったヘラも含まれています。それらは自分の創作イメージを具現化する中で、少しずつ整えてきたものです。一朝一夕にはいかない環境整備の賜物です。環境整備の一番は何と言っても制作場所の確保で、私は亡父が所有していた植木畑の一角に工房を建てました。そうしたことが積み重なって漸く陶彫制作が本格化出来たと私は思っています。それまでは他の施設を借りて制作をしてきました。今は気兼ねなく何時でも制作が出来ることを嬉しく感じています。栃木県益子町という陶芸の里から陶土を調達していることがあり、当地の問屋や陶芸家たちと今も繋がっていることも自分を取り巻く環境のひとつでしょう。勿論新作を発表させていただける東京銀座のギャラリーせいほうも、作品の撮影をしていただいているカメラマンも、支援していただいている工房スタッフも、大切な人的環境と言うべきでしょうか。今日は朝から工房に篭っていましたが、ウィークディの疲れがあって、なかなか作業が進みませんでした。40kgの土練りをやって、明日のために大きなタタラを6枚作りました。陶土を掌で叩いて伸ばすだけの作業でしたが、身体がヘトヘトしていました。昼ごろ、栃木県益子町から陶土600kgが運ばれてきました。運送業者も1年1回しか顔を会わせませんが、同じ業者ではないかと思いました。工房の搬出口のシャッターを開けて、トラックに積んであった20kgで包まれた陶土を30個降ろしました。これでもう1年間の制作が可能です。新しい陶土がやってくると気分が上がります。例年この時期に陶土を益子町の明智鉱業にお願いして入れていただいているのです。今日は夕方まで作業をして工房を後にしましたが、この疲労は昨晩の映画鑑賞が影響していると思いました。実は昨晩、仕事から帰ってから家内と連れ立って、横浜市鴨居にあるエンターティメント系の映画館に行ったのでした。常連にしているミニシアターでは上映していない映画を観に行きました。映画はロックバンドとして名高いクイーンの活動を描いた映画「ボヘミアン・ラプソディ」で、クイーンのヴォーカリストであったフレディ・マーキュリーの生涯を中心に、彼らの独特な音楽観に迫る内容になっていました。日本で人気があったクイーン。私たちの世代は皆知っていて、そのメロディを聴けば青春が甦ると言ってもいいと思います。多少の感傷も手伝ってこの映画を観に行ったわけですが、この歳でクイーンの音楽作りを改めて見てみると、貪欲な表現意欲に元気づけられること頻り、自分の創作活動の起爆剤にもなりうると感じたのでした。詳しい感想は後日改めます。今日はゆっくり休んで、明日の陶彫成形を頑張りたいと思います。

「体験流の構成」について

「経験の構造 フッサール現象学の新しい全体像」(貫茂人著 勁草書房)の第七章「体験流の構成」を読み終えました。体験流の構成とは何か、冒頭の文章に述べられていた箇所を引用いたします。「体験流の構成とは、過去の体験を想起し、そこから現在にいたるまでの体験の『流れ』を『再』構成することである。」とありましたが、まず想起について書かれた文章を拾い上げていきます。「連合によって想起が可能となるからといって、体験流の過去が間違いなくすべて自由に直観可能となるわけではない。」というのは、記憶を思いだす場合に、確実なものではなく錯誤してしまうことは充分ありうると言っていて、私もそう思います。続く文章には「初めに想起された過去と、それとは無関係な別の過去の想起の触発能力が競合状態に到ったり、ふたつの過去が混同・融合されてしまう。」とありました。それでは現在知覚されている経験と、連合的想起はどう異なるのか、こんな一文もありました。「現在の知覚経験と、連合的想起は現象学的にどのように違うのか。志向的相関構造にもとづくか、連合にもとづくかという違いのほか、両者には時間構造の相違もある。それは、『生きられて』いるか、対象化されているかの相違だ。知覚や判断が遂行される現在は『根源的印象』『過去把持』などによって構造化される時間性をもつが、この時間性は『生きられる』ものであって、対象化はされない。」想起という言葉ひとつ取っても、現象学的に論考すると、こんな感じになってしまいます。何かのコマーシャルを見て、旅行した時の記憶が甦り、そういえばこんな食事をした、あんな買い物をしたっけと思い出す時、それは決して正確とは言えず、別々の記憶を繋ぎ合わせている場合もあります。日常茶飯として何気なく行っている行為を厳密に学問として洞察し、根本となるものを探っていけば、「体験流の構成」で述べられているような論考になると思います。

フェルメール「牛乳を注ぐ女」について

画家フェルメールの「牛乳を注ぐ女」は世界的に有名な名画です。フェルメールの傑作はまだ他にもありますが、上野の森美術館で開催されている「フェルメール展」のラストを飾っていた「牛乳を注ぐ女」は、やはり自分の心を捉える傑作だったと改めて認識しました。フェルメールの部屋に入った途端、遠くから射貫かれたような構図と色彩の明快さ、小さい画面ながら圧倒的な光を放つ存在感につい吸い寄せられてしまいました。「牛乳を注ぐ女」は以前も来日していますが、今回は数々のフェルメール作品と並んで鑑賞できたので、本作の凄さに目を奪われました。図録から構図や光について書かれた箇所を拾います。「透視図法、光の処理、個々の描写対象の配置、これらはすべて慎重に考え抜かれている。女性像と机と右側の床にある木製足温器は、古典的な三角形構図を形成している。フェルメールは、透視図法の消失線を女性の右手の真上にある消失点に向かって集中させることによって、絵を見る人の視線をさりげなく絵の中心要素に導いている。カンヴァスのその箇所にある小さな穴は、フェルメールが17世紀のアトリエでよく行われていた方法を用いていたことを物語っている。画家は、消失点となる場所にピンを刺し、透視図法の消失線を定めるためにそこから絵の端まで糸を張ったのである。」安定した構図を得るために画家が工夫した痕跡が見えますが、美術史家の中には写真機の先駆けとなったカメラ・オブスクラを用いていたのではないかという説も聞かれます。その件に関して図録から引用いたします。「光の反射を観察するために、フェルメールはカメラ・オブスクラを使ったに違いないという説が唱えられてきた。フェルメールがこの機器をよく知っていた可能性は高いが、この《牛乳を注ぐ女》を描く際にカメラ・オブスクラを利用したとは考えられない。何よりも、光の斑点や飛沫はおもにパンやウールの布のような低反射素材上にあるが、これらはまさにカメラ・オブスクラでは感知されない部分なのである。」(作品解説より)この神がかった写実性はどこからくるのか、私はロダンの彫刻「青年時代」が本物から型を取ったのではないかという俗説と共通するものを感じてしまいます。芸術家の眼が、写実を捉える時の、肉薄していく対象に迫る魂を感じるのは私だけでしょうか。単に緻密に計算された写実絵画ならば、「牛乳を注ぐ女」の絵画的主張の強さは現れないと思っています。

上野の「フェルメール展」

事前予約が必要な美術展に行ったのは、私は初めてだったかもしれません。それほど上野の森美術館で開催されている「フェルメール展」には国際的に見ても貴重な作品が多数来日していると言っても過言ではありません。鑑賞したのは先月でしたが、改めて詳しい感想を述べます。17世紀ネーデルランド(オランダ)の画家ヨハネス・フェルメールは全世界で確認されている絵画作品が37点、そのうち10点(実際は9点)が日本で見られるのは今後とも不可能なことかもしれません。展覧会出口付近に設置された部屋がフェルメールだけが展示されているスペシャルルームでした。フェルメールは有名な絵画ばかりなので作品は図版によって知っていましたが、私は実物を見るのは初めてで、まずそのサイズの小ささに驚きました。初期の大きめな宗教画が1点、残りは風俗画で女性が登場するものばかりでした。その女性の仕草にドラマを感じさせる情景があり、1点ずつ立ち止まって空想してしまうこと頻り、当時の人々の営みが感じられて、鑑賞者たちは時代を洞察しながらの会話を楽しんでいました。図録から引用いたします。「フェルメールは、歴史画のみならず同時代の生活においても道徳的な関心事が重要であることを理解していて、注意深く構想された風俗画においても、私たちが日常生活の中で分かちあう価値観や関心事を反映した人物像の時を超越したイメージをつくりだすことによって、それを伝えようとしたのである。」(アーサー・K・ウィーロックJr.著)たとえば若い女性を誘惑しようとする男性のいる室内に、節制を意味するステンドグラスの絵柄がある作品がそれに当たります。こうした作品はどんな環境で描かれたのか、これも図録より拾ってみます。「わずか43年の生涯を通じてフェルメールは、アムステルダムの南西48kmに位置し、およそ2万人が住む中規模の都市デルフトで制作活動を行った。~略~デルフトの町とその周辺環境は、フェルメールと妻カタリーナ・ボルネスや彼らの多くの子どもたちが必要とするものすべて、たとえば家や仕事、顧客や収入などを与えてくれた。一家が暮らしていたのはカタリーナの裕福な母親の近所であった。彼女は、娘とその義理の息子、たくさんの孫たちに対して、十分な額の資金援助をたびたび行っていた。~略~彼には当時、デルフト近郊に住む人々から成るごく小さな顧客のグループが付いていた。画家は、限られた愛好者の集団のために特別に作品を制作していたと思われる。」(ピーテル・ルーロフス著)フェルメールの個別作品に関しては別稿を起こします。

HPに2017’10月~12月分RECORDをアップ

10月28日(日)に2017年の10月から2018年の9月までの1年間分のRECORDの撮影をカメラマンにしていただきました。一日1点ずつポストカード大の平面作品を作っているRECORDは、文字通りRECORD(記録)であって、仕事から帰った後、毎晩食卓で作っています。時間的な厳しさは勿論、精神的な苦しさもあり、RECORDは自分にとって自己との闘いであると思っています。2007年の2月からRECORDは始まっていて、既に10年以上やっていることになります。その時のNOTE(ブログ)からこんな一文を引用いたします。「陶彫や木彫で日々どちらかといえばモニュメンタルな作品を作っているのですが、これはそうした立体作品の対極にあるポケットサイズの作品で日記のようにやっていくつもりです。事象の捉え、思弁的なもの、技法の実験など普段やりたかったことを全てやってみようと思います。テーマの一貫性はありません。発表するかどうかも微妙です。」と当時は考えていたようですが、その後テーマの一貫性を決めました。さらに発表する機会も得ました。その発表する機会がこのホームページで、撮影によるデジタル画像に変えてアップしているのです。今回アップしたRECORDは、2017年最後の3か月分で、記憶の彼方にいってしまっている作品だなぁと思いました。私のホームページに入るのは左上にある本サイトをクリックしてください。ホームページの扉にRECORDの表示が出てきますので、そこをクリックすれば今回アップした画像を見ることが出来ます。ご高覧くだされば幸いです。

映画「チューリップ・フィーバー」雑感

昨晩、常連にしている横浜のミニシアターに「チューリップ・フィーバー」を観に行ってきました。先日、東京上野にある上野の森美術館で開催されている「フェルメール展」に行ったばかりで、私は17世紀オランダの風俗に気持ちが浸りきっていて、フェルメールの絵画から抜け出したような映像が売りの「チューリップ・フィーバー」を観てみたくなったのでした。物語は孤児のため修道院で育った若い女性ソフィアと、初老で裕福なコルネリアスが結婚するところから始まり、その後なかなか跡継ぎが出来ずにいた夫婦生活に、肖像画を頼まれた若い画家ヤンが登場してきます。ヤンとソフィアが不倫に走るのと並行して、当家に仕えるメイドのマリアは魚売りと密通し、妊娠が発覚するのでした。ソフィアはマリアの妊娠を利用してある計画を思い立つのですが…。そんな主軸の物語に加えて人々が一攫千金に狂気するチューリップ・バブルがもうひとつの物語を牽引します。貴重な縞模様のチューリップの品種は高値で取引され、取引場所となった酒場の奥は、投機家たちの興奮の坩堝と化していたのでした。マリアのために財産を作りたい魚売り、ソフィアを強奪したい画家のヤンを初め、チューリップの球根に翻弄される男たちの野望が渦巻く場面がありました。17世紀ネーデルランド(オランダ)はスペインから独立し、経済的な繁栄を極め、黄金時代に突入します。その中で投資の対象となったチューリップと絵画が大流行した背景が本作にはありました。レンブラントやフェルメールが活躍した時代は、こんな感じだったのかなぁと思わせる演出があり、映像はまさにフェルメール絵画を意識していて、室内に差し込む光や、窓辺で手紙を読む若い女性がフェルメールの描いた世界そのものに感じました。「フェルメール展」を既に見ていた私は、あの絵画のシーンが動画になっていることに夢中になりました。きっと絵画ファンも映画に惹きつけたくて、監督は「チューリップ・フィーバー」を制作したのだろうと思います。

週末 制作&フェルメールに通じる映画鑑賞

昨日が休日出勤だったため、仕事から帰ってきた夜に、工房に出かけて陶彫成形のためのタタラを準備していました。今日は朝から工房に籠って、23個目になる陶彫制作をやっていました。朝から夢中になって制作をしていたのは、夕方、家内と映画に行こうと決めていたので、制作工程にあるノルマを何とか果たそうと頑張っていたのでした。創作活動は心ひとつで変わるもので、23個目の陶彫部品は成形と彫り込み加飾を何とか終えることが出来て、さらに乾燥した陶彫部品2個に仕上げと化粧掛けも施し、窯入れもしてしまいました。昼頃には近隣のスポーツ施設に僅か1時間足らずでしたが、水泳や水中歩行にも出かけてきました。濃密な時間を過ごしたなぁと振り返っています。陶彫制作に関しては上手く制作サイクルが回っていて好調な感じを持っています。この調子でいけば昨日立てた制作目標を達成できるかもしれないと思っています。陶土が足りなくなっていて、それは来週にでも栃木県益子町に連絡するつもりです。夕方になって家内と映画「チューリップ・フィーバー」を観に行きました。常連になっている横浜のミニシアターでしたが、夕食を兼ねて車で出かけました。先日「フェルメール展」を見に行って、その感動をそのままに17世紀オランダを舞台にした米英制作による「チューリップ・フィーバー」を観てきたのでしたが、フェルメール絵画から抜け出したような人物たちが、チューリップ投資や絵画収集に富を費やす社会が描かれていて、物語だけではなく映像美にも感心してしまいました。まさにフェルメールが描いた室内そのもののような設定、たとえばに織物の色彩や小道具や衣装に見入っていました。フェルメールが描いたような若い女性が主人公となり、若い画家との不倫が物語の主軸になっていました。詳しい感想は後日改めます。今日は午前中の陶彫制作と午後の映画鑑賞があって充実した一日を過ごしました。

週末 休日出勤から12月が始まる

週末ですが、私の職場では今日は休日出勤でした。この代休を12月25日にとる予定で、冬季休業を連続して取得できる環境を作っています。今週は土曜日まで出勤する長い1週間でしたが、年末の休庁期間を含めた冬季休業に創作活動を充てるために、今日頑張って仕事をしていました。今月はどんな1ヵ月にしていこうか、いつものように制作目標を立てていきます。12月の週末は今日を含めて5回ありますが、22日(土)から来年1月6日(日)までの冬季休業中に休庁期間と年休を使えば、16日間の連続した休日が確保できます。こればかりはウィークディの仕事の具合でどうなるかわかりませんが、精一杯陶彫制作に充てられる可能性があります。新作は50個くらいの陶彫部品で成り立つ集合彫刻です。そのうち現在は22個の陶彫部品が焼成済みか、焼成待ちの作品なのです。とりあえず目指すのは33個の仕上げです。残り11個、これを休庁期間を含む冬季休業でやっていきたいと考えています。そうすれば2つの塔が出来上がります。2つの塔の床に迫り出てくる陶彫による根は次の段階で作ろうと思っています。今月中に陶土が足りなくなることもあり、休みに入る前に栃木県益子町の明智鉱業に連絡して取り寄せようと思っています。鑑賞は先月ほど多く出かけられる機会があるかどうかわかりませんが、美術館や映画館には足を運ぼうと思います。RECORDは先月から下書き先行になってしまったので、早く遅れを取り戻したいと思っています。読書は現象学から解放されたい気持ちが出てきていますが、肝心のフッサールの翻訳本は未だ手つかずになっていて、難解な書籍に多少辟易しています。今月も頑張ろうと思います。

充実の11月を振り返る

今日で11月が終わります。昨年のアーカイブを見ると工房で重宝している土錬機は、昨年の11月に滋賀県信楽町から届いたことが書かれていて、新機種になってちょうど1年になるのかぁと思いました。窯のメンテナンスや陶土の追加注文もしていて、昨年の11月は一区切りあったことが思い出されます。今年の11月も陶彫制作、鑑賞ともに充実した1ヵ月でした。新作の陶彫制作は6個作り終えました。当初週末を数えて4個を目標にしていましたが、ウィークディに夜の制作をやっていたので、目標を超える成果になったのでした。その分RECORDが厳しい状況に陥っていて、来月は何とかしたいと考えています。今月の鑑賞は過去最大と言っていいほどの充実ぶりでした。「横山崋山」展(東京ステーションギャラリー)、「EXOTIC×MODERN」展(東京都庭園美術館)、「快慶・定慶のみほとけ」展、「マルセル・デュシャンと日本美術」展(両展とも東京国立博物館平成館)、「ルーベンス展」(国立西洋美術館)、「ジョルジュ・ルオー展」(パナソニック汐留ミュージアム)、「フェルメール展」(上野の森美術館)、「ムンク展」(東京都美術館)の美術展だけで8つ、映画では「オーケストラ・クラス」、「世界で一番ゴッホを描いた男」(両上映ともシネマジャック&ベティ)の2本を見てきました。とりわけ「フェルメール展」は事前予約が必要で、前売り券を持った鑑賞者しか入れない状況でしたが、それでも時間設定があった入場前には長蛇の列ができるほど混雑を極めていました。今月鑑賞した作品の詳しい感想が、今月中のNOTE(ブログ)に書ききれないこともあり、11月の充実を示すものだなぁと思っています。読書は現象学者による2冊の書籍を交互に読んでいますが、随分長いこと鞄に携帯していて、次の書籍に手が出せないのです。ウィークディやっているもうひとつの仕事は来年度を見据えた逼迫した取り組みがあり、シンドい思いをしています。毎年のことですが、職場での立場を自分は改めて実感する時期でもあります。さすがに体調が芳しくない時もあり、漢方薬を服用しながら日々過ごしてきました。来月はどうなるのか、健康に気遣いながらやっていきたいと思います。

「『時間形式ー時間内容』図式の解明」について

「経験の構造 フッサール現象学の新しい全体像」(貫茂人著 勁草書房)の第六章「『時間形式ー時間内容』図式の解明」を読み終えたので、同章についてまとめをしたいと思いますが、毎回述べているように私は難解な論文を解釈するだけで精一杯な有様で、到底まとめには至りません。そうした中で「時間形式ー時間内容」の図式を解明している一文に目が留まりました。「喚起と触発という連合関係がまず発動して、現在の項が際立ち、そして最後に、過去の項が現れる。」これは何を意味しているのかというと、過去、現在、未来に流れていく時間の中の事象を現象学的に捉えようとする部分です。その後に続く例題が分かり易いと思いました。狂言「鬼瓦」のストーリーで「京に上っていた田舎侍が、帰郷直前に寺見物をする。何気なしに建物を見ていた彼の目が、ふとなにかに釘付けになる。それは屋根の鬼瓦だった。はじめ彼は、なぜ自分の目がそこに釘付けになるかわからない。やがてかれは、それが『何かに』似ていることに気づく。しばしの煩悶の後ようやくかれは、それが田舎に残してきた女房にそっくりであることに気づくのだ。ここでもまず喚起的連合というわたしを巻き込む力が発動し、その後で現在の項、それが未知のなにものかともつ類似関係、そして過去の項が分節される。」とありました。私たちが普段日常生活の中で感受している事象を、現象学では分析と定義づけを行っていて、平易な例題を出されると、あぁ、そういうことかと思うことが暫しあります。同章では他に古典的諸心理学と現象学が対峙している論考がありますが、ここは流していきたいと思います。現象学が扱うもの自体は、それほど難解ではないと改めて思いますが、語彙のあやを読み解くのに労力を費やしてしまって、論考に取っつき難いのは確かです。学問としての現象学は、哲学の領域であるため、語彙の選び方にも根本性が問われるので仕方ないのかなぁと思うこの頃です。

汐留の「ジョルジュ・ルオー展」

東京新橋で下車し、地下道を歩いていくと汐留の現代的な高層ビル群が見えてきます。パナソニック汐留ミュージアムはそんなビルの4階にあります。先日、同館で開催されている「ジョルジュ・ルオー展」に行ってきました。フランスの画家ルオーは、私にとって理解し難い画風をもつ巨匠でしたが、今回の展覧会でルオー芸術の神髄に触れたような気がして興味関心が高まりました。キリスト教の教会を彩る宗教画は、祈りの対象となることが基本であって、美術作品としての鑑賞は芸術概念が出来上がった時代の新しい視点だろうと思っています。それでもミケランジェロを初め、優れた宗教芸術が昔から存在し、キリスト教信者でない私たちが美術的な感銘を受ける場面も少なからずあります。日本の仏像然り、美的観点から眺めても心を打つ作品は、宗教を超えて確かに私たちに迫ってくると感じています。ルオーの「聖顔」シリーズを見ると、幾度も絵の具を塗り重ね、堅牢なマチエールを作っていて、敬虔な信仰心が生んだ作品であることが私にも伝わりました。図録によると、20世紀のカトリック復興運動と連携した「聖なる芸術」についてこんな一文がありました。「『聖なる芸術など存在しない。しかし信じる人々によって作られる聖なる芸術は存在する』とあくまでも信仰の重要性を訴えたルオーが、批判的であった当の『聖なる芸術』運動そのものによって結果的に戦後ヨーロッパを代表するカトリック画家となりえたのはなんとも皮肉である。」(後藤新治著)戦後、退廃芸術家の烙印を押されたユダヤ人を初めとした現代芸術家の名誉回復のために興った「聖なる芸術」運動。これによる礼拝価値と展示価値が同居する「礼拝堂=美術館」構想は、一部を除いて今もって定着していないようです。もう一文、図録より引用いたします。「ルオーは、栄誉のためではなく、自身の芸術を信じ、神の真実を追求し、労働者や職人のごとくただひたすら描くという行為に徹した。そして、キリスト教主題でありながらも、過去や伝統や古典に依拠するのではなく、同時代の社会や人々(現代人)に訴えかける芸術を貫いた。」(萩原敦子著)私がルオー芸術を理解した要因は、「労働者や職人のごとくただひたすら描くという行為」によって深遠な世界観が覗き見えたことによります。信仰を表現にすることに妥協がなかった芸術家がルオーと改めて思っています。

上野の「ルーべンス展」

先日、東京上野にある国立西洋美術館で開催されている「ルーベンス展」に行ってきました。17世紀に生き、バロックの父と称される画家ペーテル・パウル・ルーベンスは、大きな工房を構え、膨大な宗教画や歴史画を遺した巨匠です。ヨーロッパの多くの美術館にルーベンスの部屋があり、壁面を飾る連作絵画を、若い頃の私は圧倒されながら見入っていました。今回の展覧会はルーベンスが8年間過ごしたイタリアでの活動を中心に据えた企画で、ベルギー(当時のフランドル)出身のルーベンスとイタリア・バロックの画家たちの饗宴が見られる絶好の機会でした。図録にあったアンナ・ロ・ビアンコが著した文章を拾ってみると「ルーベンスのことを『フランドル出身だが幼少よりローマで育った』」と隠喩された部分があったり、「彼の高徳さ、思いやりのある性格、外交の才覚」とあるのは、ルーベンスが画家としての才能だけではなく、外交官や学者として地位があったことを示しています。イタリアにおいても彼は余すところなく力量を発揮し、注文主に応えていたことが伺えます。本展で思わず佇んでしまった巨大絵画が「聖アンデレの殉教」で、こんな一文がありました。「1638年、ルーベンスはあるひとつの壮大な作品をもって、宗教画家としての活動を終えていた。彼の創作全体を象徴し、その着想の複雑さにおいて真に『普遍的』であるその作品とは、《聖アンデレの殉教》である。」私はルーベンスの輝く肉体美と人体の動きに彫塑的な魅力を感じている一人です。比類ないデッサン力に支えられたドラマチックな群像表現は、日本に育った私は西欧社会の毒気に当てられてしまいそうで、東洋の美とは対角の位置にいる人だなぁと常々思っています。最後にルーベンスに対するベッローリ評を載せておきます。「彼は自然から彩色し、混色においては苛烈であった。影を帯びた肉体とは対立するような光を放ち、それゆえ影と光のコントラストには驚くべきものがあった。むらなく溶け込んだ表現が維持されたため、彼の人物像は一度の筆さばきで描かれ、一息で命が吹き込まれたかに見える。」ルーべンスに関する賛辞は絶え間なく続き、この画家がいかに素晴らしい存在感を放っていたかがよく分かりました。

レディメイドによる価値転換

東京上野にある東京国立博物館平成館で開催されている「マルセル・デュシャンと日本美術」展について追加のNOTE(ブログ)を起こします。本展のデュシャンの作品全体を改めて眺めてみると、美術史が長い間培ってきた概念がデュシャンによって壊されていく過程が示されていて、彼の足跡が巨大なモノであったことが認識できます。図録によれば「彼は自由で独創的であるために、芸術家は社会の一員になることをとにかく避けなければならないと結論付けたのである。これはデュシャンにとって、絵画制作を職業にしてはならないということや、芸術で生計を立ててはならないということを意味していた。」(マシュー・アフロン著)とありました。画家という職業は中世以来ヨーロッパでは宗教から端を発して定着していることから、こうした職業理念が生まれたのでしょう。芸術家が革新を求めるならば、職業画家になってはいけないとデュシャンは考えていたのでした。雑貨店で売っている既製品を芸術作品として価値転換を図るという企ては、自転車の車輪を逆さまに固定して眺めるという玩具的な気晴らしから始まったようです。「デュシャンは、大量生産された既製服を表すために使われるレディメイドという言葉を服飾産業から借用した。しかしながら、デュシャンの構想によると、芸術家の署名とともに銘文ー大抵は無意味な、あるいは暗号的な語句ーを入れることによってのみ、大量生産された商品が挑発的なレディメイドの地位を得るのである。~略~細工を施したレディメイドとしてのその複雑なデザインや、メタファーおよび象徴性は、パブロ・ピカソの同時期のアッサンブラージュに通じ、芸術作品の地位へと接近している。」(マイケル・R・テイラー著)と図録にありました。有名な「泉」も男性用小便器を展覧会に出品するという衝撃的価値として作家が選んでいて、そうしたレディメイドによる芸術的な価値転換を図ったものです。こうした動きが今後さまざまな曲解や誤解を孕みつつ、正統な評価を受け、今日のアートを形成してきたと言っても過言ではありません。

三連休 充実の3日間

今日で三連休が終わります。初日は陶彫制作の後、フェルメールとムンクという人気絶大の美術展に出かけてきました。2日目は20個目の陶彫成形と21個目の成形のためのタタラ準備で朝から夕方まで工房にいました。今日は21個目の陶彫成形を行い、さらに昨日作った20個目と今日の21個目の陶彫成形にそれぞれ彫り込み加飾を施しました。今日も朝から夕方まで制作三昧で、濃密な時間を過ごしました。今日で11月の週末が終わりますが、最初の制作目標より1個多い5個の陶彫部品を作り上げました。工房を引き上げる際に、初日に仕上げをしておいた陶彫部品2個を窯に入れました。水曜日には焼成が終わる予定です。昼ごろ、久しぶりに近隣のスポーツ施設に水泳に行きました。右膝がまだ多少痛むので、水中歩行とクロールを繰り返しました。平泳ぎは膝に負担がかかるので、もう少し様子を見ることにしました。今日の作業で時間をかけたのは彫り込み加飾でした。陶土の表面に掻き出しベラを使って、幾何的な抽象文様を彫り込んでいきます。それによって立体そのものが大胆に変化することはありませんが、立体が強調されたり、僅かな彫り込みによって角度をもった面に微妙なニュアンスが出てきます。何よりこれはイメージの具現化に役立っているのです。彫り込み加飾は平面的な作業と自分は割り切っていて、所謂レリーフとは作為が異なります。過去の作品にはレリーフにしたものもありましたが、現行作品ではあくまでも加飾です。この加飾によって古代の出土品のような雰囲気が出てくるのです。記憶のどこかに刷り込まれている風景、それは岩肌に穴を穿って人々が住居にしていた風景だったり、廃墟となった古代遺跡だったり、自分のイメージの根幹をなすものが彫り込み加飾によって呼び覚まされてくるのです。そんな意味で、彫り込み加飾は自分の初原的なイメージを辿りながら、描写用具よろしく掻き出しベラを駆使していくのです。成形は彫刻的な楽しみがあり、彫り込み加飾はイメージ世界に遊べる楽しさに満ちています。この三連休は自分なりに充実していました。家内と出かける以外ほとんど人に会わずに、自分の内面だけを見つめていられる幸福な時間でした。

三連休 20個目の陶彫制作

三連休の中日です。この三連休で陶彫部品を2個作ろうと考えていて、今日はそのひとつ目、全体では20個目となる陶彫成形に取り組みました。予め準備しておいたタタラを使って立体を立ち上げ、陶土を紐状にして補う成形方法をずっと変わらずやってきています。一晩ビニールをかけて置いたタタラはちょうどいい硬さになっていて、高さ50cm程度の立体の成形が可能になるのです。勿論タタラだけでは保てない部分もあって、紐作りを併用しています。私は30代になって陶芸家の友人に陶土の扱いを聞きながら、見よう見まねで陶彫を始めました。あれから30年が経ち、自分の表現に相応しい方法を探ってきました。陶芸という工芸分野では技巧に軸足があり、釉薬ひとつとってもさまざまな実験や試作を行っています。そうした高度な技巧があって、漸く精神性の高い、つまり技巧的ではない作品を生み出す姿勢が求められてくるのです。陶芸家の友人たちも自ら作陶した器に自然な趣を求めて、技巧が表に見えない工夫をしています。陶土や成形、釉薬、焼成を知りぬいた作品作り、それが在るべき陶芸家の姿なのだと私は思っています。私の場合は、彫刻の素材として陶土を選んでいるため、陶芸家ほど素材への拘りがありません。自分のイメージに土肌が合っているので、陶という技法を使っているに過ぎません。そこに技巧の実験や試作はなく、作られる立体そのものに軸足があると言えます。勿論技巧がなければ作品にならないので、最低限の技巧は有しています。それはタタラと紐作りの併用であったり、化粧掛けであったり、焼成温度にしても、その陶土に見合った方法で制作しているのです。今日は20個目の陶彫成形が午前中に終わり、午後になって次の陶彫部品制作のために土練りをしました。大きいタタラも準備しました。明日は21個目の陶彫成形と2個分の彫り込み加飾を予定しています。

三連休 制作&人気の展覧会2ヶ所

今日から三連休です。この三連休で陶彫成形を2個作りたいと考えています。先週末に引き続き、三連休は美術館へ行きたいとも考えていて、今日はその両方を計画していました。陶彫の作業は朝の時間を使って、大きめなタタラを6枚準備し、明日の成形に繋げることにしました。乾燥した陶彫部品の仕上げや化粧掛けも2点行いました。午後2時を回ったところで、家内を誘って東京上野に出かけました。上野公園には毎週出かけていますが、まだ人気の展覧会を見ていないので、今日は混雑を覚悟して鑑賞に出かけたのでした。一つ目は上野の森美術館で開催中の「フェルメール展」。この展覧会の入場券は全て予約制で、私も数日前に横浜駅のチケットぴあに行って、日時指定の入場券を2枚購入してきたのです。本日17時からの入場でしたが、30分前に到着したにも関わらず長蛇の列になっていました。係員が並んでいる人々の入場券の日時を確認して回っていました。オランダの画家ヨハネス・フェルメールは現在37点の絵画しか発見されていないのに加え、欧米各地の美術館に作品がそれぞれ収蔵されています。そのうち10点が上野の森美術館に集結していると知って、今回はどうしても見ようと決めたのでした。こんな機会はもう二度とないと思いました。フェルメール絵画が一堂に会する部屋に辿り着くまでに、17~18世紀のオランダ絵画が展示されている部屋が幾つかありました。最後に照明を暗くしたフェルメールの部屋がありました。フェルメールの色彩は意外に鮮やかで、形態もくっきりしている絵画が多く、遠目でも絵画のニュアンスを捉えることが出来ました。図録には10点の絵画が来日しているとありましたが、「取り持ち女」は1月から展示されるようで、9点の絵画がありました。ひとつずつじっくり鑑賞させていただいて満足しました。詳しい感想は後日改めます。次に向ったのは東京都美術館で開催されている「ムンク展」でした。実は上野の森美術館に行く前に「ムンク展」の様子を見に行ったのですが、入場規制があって幾重にも列が重なっていたので、「フェルメール展」の後にしようと決めたのでした。今日は金曜日のため、美術館は延長開館をしているので、夜になれば混雑も緩和するのではないかと思っていました。思惑は当たって19時ごろには鑑賞者はだいぶ減っていました。ノルウエーの画家エドワルド・ムンクもまとまった作品を見ることが出来て満足しました。有名な「叫び」もじっくり見てきました。これも詳しい感想は後日改めます。三連休初日は午前中陶彫制作をやった後、夕方から人気の展覧会2ヶ所を巡り、充実この上ない一日を過ごしました。

横浜山手の「寺山修司展」

横浜で開催している展覧会は、職場外で行う会議等に出るときに、その通勤途中で立ち寄ることが可能です。今回訪れた神奈川近代文学館はそんな場所にあるので、現在開催中の「寺山修司展」を見ることができました。詩人であり演劇実験室天井桟敷を組織していた故寺山修司に、私は特別な思い入れがあります。昔、青森県の恐山に行った折に三沢市にある寺山修司記念館を訪れました。学生時代から彼のコトバや行動に惹かれ、当時流行したアングラ演劇にも足繁く通った思い出があります。渋谷にあった天井桟敷館にも行って、劇団に私も協力したいとお願いしたこともありました。当時、寺山版の市街劇や密室劇を、自分の創作と重ねて考えていて、独自な空間を求めていた私には刺激的だったのでした。そんな寺山修司とはどんな人物だったのか、改めて資料を眺めて、早熟で革新的な才能をもった寺山修司という人物の輪郭を辿ろうとしましたが、私には到底出来ませんでした。図録にこんな一文がありました。「言語は養育者とりわけ母との役割交換によってしか育まれえないからである。『子の身になった母』の身になることが、自分自身になるということなのだ。言語発生のこの演劇的な始原に潜む『優しさ』『懐かしさ』を感じさせない文学など文学ではない。」(三浦雅士著)寺山ワールドの独自性は母との関係にあり、また青森県という風土にもあったと思いますが、何よりも作家がコトバに鋭利な感覚を宿していたことで、その後国際的な活躍を見せる演劇的な活動も、全て文学に収斂されるのではないかと私は考えます。寺山修司の遺したコトバから察すると、彼は究極の際どいところに自分を追いたててコトバを紡いでいたように私には感じられます。文字になった家出や賭博にも寺山流の感性があって、その価値判断に作家自身の個性、いや癖のようなものを私は感じ取ってしまうこともあるのです。享年47歳、今生きていたら、どんな表現活動を見せていたのか、亡くなった時に残念な思いに駆られたのは私だけではないはずです。