箱の内部に展開する世界

箱の内部に展開する世界と言えば、アメリカの造形作家J・コーネルですが、私にもそうした世界で遊びたい欲求があります。箱に把手をつけて鞄として持ち歩けば、これは20世紀を代表する芸術家M・デュシャンの作品「トランクの中の箱」があり、自分の作品のミニチュアを作り、箱詰めした有名な作品になります。箱という小宇宙は何とも魅力的な空間を秘めていて、将来は箱の内部に展開する世界を作りたいと私も考えています。箱は広がる空間に限定を与えることで、内に向って凝縮する要素が強くなり、自らの造形主訴がより鮮明に深層化できるのではないかと考えます。外枠の箱は何の変哲もないものにして、鑑賞者の眼を内側の世界に誘導するのです。私が考える箱の内部に展開する世界は、前述したM・デュシャンの作品「トランクの中の箱」とは異なり、作品のミニチュアではありません。れっきとした作品として示すものです。箱はひとつだけではなく、連作としてイメージしています。さらに開いたり閉じたりできる蝶番を付けたいと思っています。秘めたるものという雰囲気を纏わせるために、たとえばキリスト教のイコンのように扉を開けて、そこに描かれた画像に神秘性を与えるような演出をしたいのです。箱の内部に展開する世界はその大きさにもよりますが、蔵書や版画のように個人が楽しむ要素もあります。パブリックではなく、プライベートな作品。しかも自分だけが深層に辿り着き、そこで詩的世界を味わい、自らを解放できる世界。鑑賞者に広い視野を提供するのは、何も大きな空間の中に置かれた作品ではなく、小宇宙の中にも大きな世界観が存在すると私は考えます。掌に収めて眺める作品でも、その主張する世界は、大きなイメージを髣髴とさせるものがあるはずです。私はそういう作品が作れたらいいなぁと考えていて、現在それが作れているわけではありません。自分の理想を語っただけに過ぎませんが、まずイメージ優先で、作品が生まれていくのです。箱の内部に展開する世界を、近い将来作っていきたいと思っています。

春の宵 いざ工房へ

工房のロフト拡張工事を請け負っている鉄工業者から連絡が入り、夜6時過ぎに天井の寸法を再度測りに来るというので、私は勤務時間終了後に工房に行きました。桜が咲いて春爛漫な季節ですが、夜はまだ冷えるため、今まで夜の工房に行かずにいましたが、いざ工房に行ってみると、思っていたほど寒くはなく、作業がやり易い気温になっていました。業者は30分程度ロフトに上がってメジャーを当てていました。私は彫り込み加飾を始めました。このところ昼間の仕事は残務整理ばかりで、意欲が湧かない時間を過ごしてきましたが、陶土に触れると気持ちが変わりました。身体中に元気が充満してきました。夜の工房での制作は独特な雰囲気があります。業者が帰った後、周囲は暗くなり、陶彫部品が置かれた空間だけ蛍光灯に照らされていて、まるでステージにスポットライトが当たっているような錯覚に陥ります。立体の陰影が昼間の太陽光線とは明らかに違うのです。改めて人工の光も悪くないなぁと思っています。精神的な集中が得られるのは、こうした光が要因なのかもしれません。私は週末の昼間に陶彫制作をやっているので、夜の制作は快適な季節の時にしかやっていません。おまけにウィークディの仕事が苦しい時は、夜の工房に行く意欲が出ません。彫刻は昼間の仕事で、とりわけ野外での制作は夜明けと共に始まり、日没には終了するという習慣が学生時代から身についてしまっているのです。それに比べて絵画やデザインの制作は夜の照明の中でやっている人が多く、昼夜が逆転している画家やデザイナーもいるのではないかと思っています。しかし、彫刻制作も夜の人工的な光の中で集中してやることもいいのではないかと思えることもあります。彫刻家ジャコメッティは夕方から夜更け過ぎまで制作をやっていたようで、制作時間をどの時間帯に設定するのかは人それぞれなのかなぁと考えます。今のような二足の草鞋生活がなくなったら、私はどんな時間帯を選ぶのでしょうか。春の宵もなかなか捨て難い制作時間帯ではあるなぁと思っているところです。

残務整理の日々

昨年の3月27日は職場を休んで、家内と埼玉県川越に行って花見を楽しんでいました。ついこの間のような気がしていますが、あれからもう1年過ぎたのかと改めて月日の経つ早さを実感しています。今年度はこの時期に休みが取れません。仕事の残務整理に追われているのです。私はこうした作業が苦手です。自分に褒美を与えないと身体が動かないのです。ちょっと仕事をしてはカフェオレを飲み、またちょっと仕事をしては職員とお喋りをして、勢いよく作業ができる創作活動とはまるで違う顔になっていました。明日も残務整理です。そうしているうちに現実逃避も始まっていて、どこかへ行きたくなってしまうのです。何か面白そうな美術展はあるかなぁ、映画はどんなものを上映しているのだろう、花見もしたいなぁなどと他愛のないことを考えてしまうのです。目の前にパソコンがあって、気軽にいろいろなことが情報として手に入るのも現実逃避を助長するものだなぁと思っています。勤務終了後に自宅に戻って、ぼんやりテレビを見ていたらアニメをやっていて、思わず最後まで見てしまい、おかげで昼間のストレスは解消しました。アニメは「打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?」。Jポップのミュージックビデオに使われていた映像だったので、緻密な背景の美しさに見惚れながら見ていました。思春期の男女の恋心をIF(もしも)という仮定を用いて紡いでいく物語で、映像作家はこんなシーンを描きたかったのかなぁと思いつつ、技巧を駆使してイメージ世界で遊んでいるように思えました。これは映画の質を問うと、厳しい批評に曝されそうですが、今日の私のように何気なく見ていると、これでもいいのかなぁと感じます。

日暮里の「朝倉彫塑館」雑感

私は個人美術館をよく訪ねています。個人美術館で一番感銘を受けたのが、香川県にあるイサム・ノグチ庭園美術館ですが、学生時代に遡ると大学の帰り道にちょっと寄り道のつもりで、友人と新宿から長野県に向かう列車に飛び乗り、車中で仮眠しながら遠路遥々安曇野穂高にある碌山美術館へ行ったことが思い出されます。前日の夕方まで大学で塑造をしていた私たちが、翌朝には荻原碌山の彫刻を鑑賞している奇跡のような瞬間を今でもよく覚えていて、2人で人体の動性や筋肉の動きを嘗め回すように見ていたのでした。あれから40年も経って、ふとその記憶が甦ったのは、先日訪ねた朝倉彫塑館で具象彫刻を見ていた時でした。故朝倉文夫は肖像彫刻でよく知られた巨匠で、私は「墓守」という作品が昔から好きでした。朝倉文夫は猫の彫刻も多く、猫好きの池田宗弘先生とは異なる表現していて、具象的な表現に徹していると感じました。彫塑館そのものも鑑賞の対象になるくらい美しい建造物で、家に囲まれた池のある庭園が見事でした。庭園に配置された巨石は建築する前に運び込まないと不可能と思われるほど迫力があり、いろいろな意味で彫刻的な雰囲気を漂わせていました。応接室も立派で、モデルになった著名な人々が訪ねてきたのかなぁと勝手に思っていました。大きな肖像彫刻が置かれたアトリエは天井が高く、室内に足場を組んで塑造していた朝倉文夫の姿が思い起こされました。彫刻家亡き後も保存され、大切に扱われてきた文化財に、羨ましさを感じる彫刻家は私一人ではないはずです。

平成30年度の締め括り

平成30年度の最終締め括りは今月の31日ですが、職場では今日をもって一旦締めることにしました。私は職員の労をねぎらい、大鍋を使って豚汁を作りました。今年度の残務整理は明日から1週間をかけて行っていきます。職場は今月31日から4月1日にかけて年度が変わっていきますが、創作活動の変わり目は7月個展の時です。二足の草鞋生活を送っている私は、仕事の変わり目が2回あるのです。職場は組織があるので、職員の異動もあります。この時季は出会いと別れがあり、また新たな出発に向けた取り組みがあります。社会人として幾度この時季を過ごしてきたのか、春爛漫の温かさには、ちょっぴり寂しさがあると感じているのは私だけでしょうか。残務整理は明日から金曜日までに行う予定でいます。その間に夜の時間帯に工房に出かけられるといいなぁと思っています。この時間帯でやや小さめのテーブル彫刻に接着する陶彫部品を作りたいと思っているのです。漸く暖かくなってきたので、夜の工房も苦ではなくなると思っています。

週末 土に親しむ習慣

朝から工房に籠って陶彫制作に明け暮れていました。昨日と今日とで1点ずつ成形を行い、合計2点の彫り込み加飾は後日に回すことにしました。午後職場にちょっとした用事があったため、彫り込み加飾は無理かなぁと思って、今日は成形のみにしたのでした。思えば学生時代に人体塑造を始めて40年以上が経っています。粘土で専門性が問われる立体を作ったのは10代の終わりでした。工業デザインを大学で学ぼうとしていた自分は、立体構成という実技課題があって、練習用に油土を使って小さなピーマンを作ったのが始まりでした。大学では彫刻を専攻することになったので、人体を作り始めましたが、それは陶彫ではなく、出来上がった塑造習作を石膏に型取りして保存する方法でした。石膏の人体は実家の物置に今も仕舞い込んでありますが、場所を取るので何とかしたいと思っているところです。彫刻とは別に、亡父が造園業を営んでいたので、私は造園施工として土に親しんでいました。学校でも土に触れ、家事手伝いでも土に触れる、つまり私にとって土は日常的に扱う素材となり、それを自己表現に結び付けることは自然の流れだったように感じています。粘土は可塑性があるので造形は容易ですが、それだけに技巧ばかりが先走ってしまう傾向があります。粘土は素材としての抵抗が他の素材に比べると少ないと思っていますが、私が辿り着いた陶彫は、最後に焼成があるため、素材としての抵抗はかなりあると思っています。焼成は神のみぞ知る人の手が及ばない領域ですが、成功させるために計算し、手間をかけることをしなければ、努力は全て無駄になります。そこが面白いところでもあります。私は陶彫という技法は大変気に入っています。土をそのまま焼いて石化させ保存する方法は、私があれこれ探していた方法でした。私は本格的に個展を開催した時から、一貫して陶彫による作品を作り続けています。今日も週末の習慣として陶土に親しんでいました。いつまで陶彫を作り続けるのか、私にも分かりません。しかしながら現在でも素材をコントロール出来ているとは言い難く、その都度発見もあるので、当分陶彫から離れられないのではないかと思っています。

週末 墓参り&陶彫制作

今日の午前中は家内と2箇所の墓参りに出かけました。相原家の菩提寺は自宅近くにあります。雨模様でしたが、墓を掃除して花を手向けてきました。私も家内も墓参りには積極的な方ではないため、最低の儀礼しかやっていません。今まで宗教にもあまり関与せずに生きてきました。先祖より現在の私たちの生活を優先してしまう傾向があります。家内の両親の墓は横浜の街中である久保山墓地にあります。ここは道路が狭く車が留められないため、私は近くのコンビニの駐車場にいて、家内だけが墓参りをしてきました。その後、家内は演奏に出かけ、私は工房に行きました。今日は寒い一日で、工房は冷え込んでいました。ストーブを焚いて過ごしました。一昨日用意しておいたタタラを使って陶彫成形を行いました。これは焼成失敗による作りなおしの作品でした。前作よりやや細めの形態にして、内側からの紐作りによる補強を多くしました。彫り込み加飾は後日に回すことにして、次の成形のためにタタラを数点用意しました。次の成形も焼成失敗による作りなおしで、失敗の原因が確かなうちに矢継ぎ早に作ろうと思っているのです。問題は乾燥具合なので、早めに作っておいて、長く乾燥させたいのです。これ以上失敗すると個展に間に合わなくなります。今後は慎重かつ手早く作っていく必要があります。陶彫制作も慣れが生じて気持ちが緩むと、このような事態になって再度気持ちを引き締めていかなくてはならないと考えます。神の悪戯か戒めか、つくづく陶彫は難しいなぁと思います。明日も継続です。

映画「サンセット」雑感

先日、常連になっている横浜のミニシアターに、オーストリア・ハンガリー二重帝国が存在していた20世紀初頭のブダペストが舞台になった映画「サンセット」を観に行って来ました。主人公レイター・イリスの両親が遺した高級帽子店に、彼女は雇ってもらおうとやって来たのでしたが、彼女の知られざる兄が何か問題を起こしたらしく、現在の営業主から追い返されてしまうのでした。彼女が2歳の時に他界した両親のことや初めて知った兄のことが、映画全編を通して謎めいた存在になっていて、イリスは過去にあった事件を追ううちに高級帽子店に隠された闇の部分を暴くことになるのでした。それは貴族社会の退廃的ムードが濃厚になった時代背景があり、実際に皇帝フランツ・ヨーゼフの皇位継承者であるフェルディナント大公や皇妃ゾフィーとともに帽子店を訪ねてくる場面もありました。どうやらオーストリアとハンガリーの支配関係も見えてきて、ハンガリーの伯爵夫人をオーストリア人が暴行するところを兄が助けたのではないか、そこで兄は濡れ衣を着せられて逃亡し、オーストリアに対し集団蜂起を狙っているという謎も匂わせていました。物語に関して多くを語らない手法と、監督が前作「サウルの息子」で見せた主人公の後姿をカメラが執拗に追いかける撮影方法が多用され、主人公の限られた視覚でしか画像を見せないところが、非常な緊迫感を観客に齎せていると私は感じました。イリスが兄の足跡を探し、真実を捉えようとする場面が、大きな歴史の変換を意図的に物語っているようにも思えました。図録にこんな問いかけがありました。「今から、ちょうど100年前。再び世界の歴史は、どう動いていくのか?なぜ、私たちは不安に揺れ動くのか?100年前も人々は同じ予感で、当時を生きたのか?主題は、過去の不安や退廃、政治的不満だけではないのを強く訴える。」(秦早穂子著)この時代の混沌とした状況は、現在の世界情勢に似ていないでしょうか。サンセット(日没)というタイトルに籠められたイメージは何を意味しているのでしょうか。貴族を顧客にして店の針子をウィーンのシェーンブルン宮殿に仕えさせる甘美な口実のもので、組織的に売春紛いなことをやっていた荒廃した状況、その窓口になっていた高級帽子店は、何を比喩したものでしょうか。そこに舞い降りたジャンヌ・ダルクならぬ主人公レイター・イリス。一人ではどうすることも出来ない社会状況の中、彼女の鋭い眼光が印象に残った映画でした。

春分の日 制作再開&映画鑑賞

今日は春分の日で、勤務を要さない休日になります。陶彫の焼成失敗がありましたが、気を取り直して今日から制作を再開しました。午前中はタタラを数枚用意しました。陶土を掌で叩いていると気持ちが安定してきます。工房のロフト拡張工事のために鉄工所を運営する旧知の業者がやってきて、寸法を測っていました。鉄骨の搬入が決まったら連絡をくれるそうで、今から楽しみにしています。タタラは一日置いて明後日から成形に入ります。まずやり直しの2点の陶彫部品を作ります。割れた前作の反省を生かして、形態を少し変えることと補強部分を考え直します。午後は家内を誘って映画に行くことにしました。常連の横浜のミニシアターでハンガリー映画「サンセット」を観ました。本作はネメシュ・ラースロー監督による最新作で、私は同監督の「サウルの息子」を観て衝撃を受けていたので、この映画も楽しみにしていました。映画に登場する時代はオーストリア・ハンガリー帝国が隆盛から没落に移行する時代を、貴族や庶民の生活を中心に描いていて、まさにサンセット(日没)に相応しい背景を感じました。20代の頃、ウィーンに暮らしていた自分には、映画に出てくる街の情緒が身近で親しみを感じました。全てを語らせない物語に、謎を秘めながらあれこれ詮索する楽しみと独特な緊張感がありました。詳しい感想は後日改めます。

タトリンによる「第3インターナショナル記念塔」

先日訪れた埼玉県立近代美術館で開催中の「インポッシブル・アーキテクチャー」展で、入り口にあったウラジミール・タトリンによる「第3インターナショナル記念塔」に思わず足が止まりました。展覧会の最初の作品にインパクトの強さを感じてしまったわけですが、斜めに立ち上がった鉄塔に自分好みのアートな雰囲気を読み取って、まさに彫刻的なイメージを重ねていました。私は集合彫刻による塔を幾つか作っています。現在作っている「発掘~双景~」も2つの塔が繋がっている作品です。図録によると「《第3インターナショナル記念塔》は、ソビエトの人民教育委員会のメンバーであったアーティスト、ウラジミール・タトリンが構想した革命政府のモニュメントである。~略~ロシア構成主義を代表するこのプランは図面と模型のみで終わったが、興味深いのは、それがピーター・ブリューゲルやギュスターヴ・ドレが描く螺旋形の《バベルの塔》を髣髴とさせなくもないことだ。~略~シンボリックな塔の思想には、時としてそれを崩壊に導く(もしくは実現を阻む)要因があらかじめ装填されているのである。」(建畠晢著)とありました。「第3インターナショナル記念塔」はロシア革命及びロシア・アヴァンギャルドの象徴的プロジェクトでした。鉄製の二重螺旋の内部にはガラスの建造物が4つあり、国際会議が出来る立方体のブロック、行政機関が入る三角錐のブロック、情報センターが入る円柱のブロック、最後にラジオ局の入る半円形のブロックが計画されていたようです。螺旋の構造は地軸の傾きと同じ23.5°あって、それに関する説明が図録にありました。「引力を克服したいという目論見を形態が帯びており、螺旋は解放された人間の運動の軌跡であると解釈している。」引力の克服というのは、言葉を変えれば重力への挑戦として捉えられます。それはまさに彫刻的な考え方であって、それ故に独特な形状に自分が惹かれた由縁かもしれません。日本人の映像作家が「第3インターナショナル記念塔」をロシアの街中に画像処理をして作り上げていました。突如現れた怪物のような構造物に目を見張りました。架空の風景は「インポッシブル・アーキテクチャー」展の本領としての発表に相応しく、その存在感は忘れられない印象を残しました。

浦和の「インポッシブル・アーキテクチャー」展

先日、埼玉県浦和にある埼玉県立近代美術館で開催中の「インポッシブル・アーキテクチャー」展に行って来ました。現代建築の中で完成に至らなかった斬新な構想や、提案だけになってしまった刺激的な企画など、過去を振り返るとアンビルドの建築の中に豊穣な潜在的構想を見出し、都市計画は単なる住居群や広場を作ることに収まらない深層的な空間を提供することを改めて認識した次第です。本展が企画に至った契機が図録にありました。「本展の構想が明瞭になったのは、2015年7月、コンペに当選したザハ・ハディド・アーキテクツ+設計JVの東京オリンピックのメーン会場となる新国立競技場のプランが白紙になったというニュースを聞いた瞬間であった。」(建畠晢著)身近なニュースとして記憶に残る事案もアンビルドの建築になったことで、改めて本展で競技場のユニークな構造を知り得たのでした。「キール・アーチ構造によるこのプランは流れるような曲面の屋根のふくらみを特徴とする有機的な形体で、ポストモダンがいわれて以降の建築で、デザイン的な要請と構造的な必然性とが合致した稀有の作例となるはずのものであった。」(同氏著)本展はこれに限らず、私を刺激する作例に溢れていて、たとえば荒川修作+マドリン・ギンズによる「問われているプロセス/天命反転の橋」もそのひとつでした。嘗て私は岐阜県にある「養老天命反転地」を訪れたことがあって、その系統に属する構築物であることはすぐ分かりました。本作はフランスのモーゼル河にかける橋として構想されたもののようですが、実現してはいません。さらに刺激的だったのはウラジミール・タトリンによる「第3インターナショナル記念塔」でした。これは別稿を起こそうと思います。出品作品を1点ずつ見て回って、「インポッシブル・アーキテクチャー」という意味をもう一度考える機会を持ちました。

映画「ヨーゼフ・ボイスは挑発する」雑感

先日、横浜の伊勢佐木町にあるミニシアターに映画「ヨーゼフ・ボイスは挑発する」を観に行きました。20世紀ドイツで最も有名な芸術家と言えばヨーゼフ・ボイスです。私が大学で彫刻を学んでいた頃に、ボイスが来日し、西武美術館で個展を開催しましたが、実際にはボイスの社会彫刻という概念が理解できず、インスタレーションを見ても刺激されることもありませんでした。でも私はボイスの行為を理解しようと努め、関連書籍に頼りました。ボイスの発した思想が漸く分かりかけたのは20年も後になってからでした。映画ではボイスの台詞や行為が大半を占め、肉声を通じて鑑賞者に考えさせる内容になっていました。「芸術を拡張せよと訴え、社会の中での『対話』そのものが芸術だとしたヨーゼフ・ボイスの作品(対話)は、言葉の問題があったのか、1984年の来日当時はなかなか理解されなかった。」という一文が図録に掲載されていました。ボイスの拡大された芸術概念とは何か、またその動機となったものは何か、図録から拾ってみます。「1920年代頃には『資本主義ではなく、共産主義ではなく、第三の道へ』というスローガンがとなえられていたが、現実の社会では結果的にナチズム、ファシズムを第三の道として選択してすすんだ歴史がのこっているが、その間違いをふまえボイスはあらためて苦難にみちた第三の道を彼なりに探究することを決行し、芸術がその活動の場にもっともふさわしいと判断し、芸術活動を実践していったのだ。」(白川昌生著)ボイスにとって社会を変革することが芸術行為となり、さまざまな活動を通して人類による差別や抑圧、弾圧、迫害、搾取の歴史を告発し、人々に一石を投じようとしたのでした。ボイスの考えは現在の日本がおかれた状況にも当て嵌まります。「自然破壊を危惧し、金融資本主義を批判し、直接民主主義を唱えたボイス。木材の輸入で東南アジアの森林破壊を促進している東京オリンピックの競技施設、社会保障より優先される株価の上昇、差別的な発言をはばからない国会議員といった2019年、ポスト・フクシマの日本に彼が降り立ったら、一体なんと言うだろうか。」(高橋瑞木著)

週末 都心の展覧会&夕焼けだんだん

今日は工房での作業は中止しました。昨日の焼成の失敗が後を引いていて、今日一日は制作を中断したのでした。その代わり今日は家内と都心の美術館に鑑賞に出かけました。朝9時に自宅を出て、向ったのは北浦和にある埼玉県立近代美術館でした。横浜から遠い位置にある美術館のために、到着した頃には昼食の時間帯になっていました。家内は美術館併設のレストランで食事を取るのが好きです。ガラス越しに野外彫刻を眺めながら食事を取るのは、なかなか興趣に富んでいいものだなぁと思いました。開催中の展覧会は「インポッシブル・アーキテクチャー」展で、所謂実現に至らなかった建築物の設計図や模型を並べて、その可能性を探る試みと言える展覧会でした。建築が好きな私には格別に楽しい展示内容で、暫し興奮を覚えました。ザハ・ハディド案による新国立競技場の模型や図面もありました。コスト増によって頓挫した企画でしたが、UFOが降り立ったような流線型の外見に未来建築のあり方を見たように思いました。詳しい感想は後日改めます。次に東京の日暮里に移動して、朝倉彫塑館を訪れました。日本を代表する具象彫刻家朝倉文夫の邸宅を美術館にした朝倉彫塑館を、私は一度見てみたくて、漸く今日ここに来たのでした。故朝倉文夫は肖像彫刻で有名な人でしたが、可愛らしい猫の彫刻も数多くあって楽しめました。それにしても古木や巨石を配置した池を有する庭園や、菜園が出来る屋上もあって、朝倉彫塑館の環境に驚きました。朝倉文夫ワールドに関しても感想は後日に改めます。朝倉彫塑館からちょっと歩くと谷中銀座があり、多くの観光客がいました。私たちもこの商店街をブラブラと散策しました。猫グッズを売っている店が目立ち、私たちも猫のしっぽと名付けられた焼き菓子を食べながら、店を冷かして回りました。ここは「夕焼けだんだん」と呼ばれている階段があります。野良猫や飼い猫も多くいて、下町情緒があり、テレビの情報番組で取上げられたことで人気スポットになったようです。揚げ物も買って食べ歩きを楽しみました。ちょうど夕方になっていたので、まさに夕焼けだんだんの雰囲気に浸りながら、谷中銀座を後にしました。

週末 母の通院付添い&映画鑑賞

やっと週末になりました。この1週間は来年度に向けての取り組みが始まり、私は来年度の職場運営の構想を練りつつ全職員と面接を行いました。少しずつ疲労が溜まってきていたので、今日は週末の有難味を感じます。今日の午前中は介護施設にいる母の通院に付き添うことになりました。普段は家内がやってくれていますが、朝から工房に行く気になれず、母の用事を優先することにしたのでした。母は93歳になります。介護施設から病院までは歩いていける距離で、私が母の車椅子を押して、家内と3人で病院に向いました。途中の道には花が咲いていて、春先の雰囲気に満ちていました。昼ごろに病院から介護施設に戻って来ました。そこから家内を邦楽器の練習場に送り、午後は工房に行きました。工房ではショックなことが私を待ち受けていました。先日窯入れした2個の陶彫部品が、窯の扉を開けてみると大きく割れていたのでした。これは修整不可能で2個とも作り直しになります。原因は陶土の乾燥がすっかり出来ていなかったのではないかと思いました。以前にもこうした失敗がありました。陶彫を始めて間もない頃は、何度もあった初歩的な失敗でしたが、今回はつい焦って先を急いだ結果でした。ウィークディの仕事の疲れが残っている時に、追い討ちをかけるような失敗に内心落ち込みましたが、こればかりは気を取り直して頑張るしかありません。気持ちをリセットするために時間をおくことにしました。そうしたこともあって、夕方私一人で映画に行くことにしました。家内は演奏からまだ帰っていなかったので、一人で出かけました。常連にしている横浜のミニシアターではなく、今回はそこからちょっと離れたミニシアターに行きました。観た映画は「ヨーゼフ・ボイスは挑発する」。ドイツが生んだ現代美術の革命家ヨーゼフ・ボイスの表現行為をドキュメンタリーにまとめたもので、嘗てボイスの書籍を貪り読んでいた私にとって、これは必見だなぁと思っていました。ボイスの社会彫刻という考え方に共感するとともに、64歳でこの世を去るまで創作活動に邁進したボイスの生涯を見て、私は創作への飽くなき挑戦という勇気をいただきました。詳しい感想は後日改めます。

東西の祈りの空間について

宗教の違いはともかく人が何かを祈る場面で、凛とした空気を感じるのは私だけでしょうか。私は特定な宗教は持ちませんが、祈りの空間にある静謐な空気の感触が大好きです。西欧で暮らしていた若い頃は、よく教会を訪れていました。キリストの磔刑像やステンドグラスを見るのが好きで、時間によって刻々と変化する光陰の効果を味わっていました。西欧のゴシック建築は上へ伸びる複数の石柱が、魂を天に導くように演出していて、ある種の快さを感じさせてくれました。パイプオルガンも荘厳な響きがあって空間と音響が織り成す非日常的で、極めて西欧的な感覚に基づいた昇天気分を齎せてくれます。それはキリスト教を、私が知識ではなく皮膚感覚で知った瞬間でした。日本では石作りの教会が少ないため、そうした皮膚感覚はありません。日本独特の小さな母屋の中で聴く合唱や祈りの言葉に接して、信者はキリスト教を受け入れている感覚を私は持っています。日本での荘厳な祈りの空間は何と言っても仏教の寺院です。そこにある複数の木柱は、教会とは異なり魂を天に導く感覚はなく、どこか異界に魂を収めていく感覚を私は持っています。西欧は気候が乾燥しているのに比べ、日本の気候は湿潤に包まれているためなのか、若しくは石作りと木作りの素材文化の違いのためなのか、祈りの空間はまるで異なる雰囲気があって、日本ではそうした仏教伽藍の中にいるのも、私にはある種の快さを感じさせてくれます。祈りの空間とは一体何なのでしょうか。聖書や経典による教えを紐解くだけではない何かがそこにあるように思えてならないのです。宗教とは縁のない人たちが教会や寺院を訪れた時に敬虔な気持ちになってしまうのは何故でしょうか。私は美術的な興味関心があるだけですが、教会や寺院は美術館とは異質な空間があり、そこに敬意を払う気持ちにさせられます。そこに漂う濃密な空間をどう説明するのか難しいところですが、祈る行為は宗教とは関係なく存在していて、人々の思いがそこに凝縮されているとでも言ったらいいのでしょうか。祈りの空間は東西を問わず、特別な空間であることに変わりはなさそうです。

疲れが取れない日々

この1週間は来年度を見据えた取り組みが始まって、私は多くの職員と面接を行いました。職場のことを書くのは避けたいところですが、今日は朝から晩まで職員一人ひとりと話をしていました。全員が気持ちよく仕事が出来る環境を作ることが私の役割です。そうすれば仕事はスムーズに回ります。適材適所に人を配置して、その人がもつ能力をフルに生かせるように考えて、理想的な職場を毎年目指していますが、こればかりは来年度が始まってみないと分かりません。この時期はとにかく疲れが溜まります。朝まだ暗いうちに起きてしまって、あれこれ仕事のことを考えてしまう悪癖が私にはあります。他の職場の管理職も同じであることが先日分かって、皆で悩みを吐露し合いました。私たち管理職は人事を行うためにいると言い切る人もいます。確かに年間を通して職員を観察している自分がいて、心が休まることがありません。疲れが取れないのは職場だけに限ったものではなく、創作活動も同じです。私が作る集合彫刻は、陶彫部品を組み立てていきますが、この時期は組み立てながら全体構成を考えることがあって、精神的には圧迫を覚えます。部分を作っているより全体を考える方がシンドいと思っています。疲れが取れない原因はこんなところにもあると思います。毎年この時期はこんなに疲れていたっけ、ひょっとすると加齢のせいかなぁとつい考えてしまう自分が悲しいと感じています。

「発掘~双景~」について

陶彫による新作を作るたびに、私はイメージの源泉を遡って、そこから題名を考えています。題名は制作が進んだ頃に考えるようにしています。私のイメージは言葉ではなく、象徴的で視覚的な風景を伴って現れてきます。20代の頃に地中海に広がる遺跡の数々を見て、その具現化に努めてきましたが、既に当時の記憶も薄れがちで、現在では自分の精神世界に新たな風景を構築している感覚を持っています。古代の出土品のような陶彫の装いは、陶土の配合や化粧土によって叶えられた表現で、もう20年も同じ素材で作っています。これをなかなか捨てきれず、この素材があればこそ展開できる「発掘シリーズ」になっていると言っても過言ではありません。新作は2つの塔が繋がるように配置する集合彫刻で、題名を「発掘~双景~」にしました。最近は題名に「景」の文字を入れています。やや小さめのテーブル彫刻も作り始めますが、ここにも「景」の文字を入れる予定です。自分の中で風景を造形化する意識があって、陶彫による複数の部品を集めて、場としての空間を設定するようにしているのです。集合彫刻は組み合わせの角度を微妙に調整することで、作品の雰囲気が変わります。工房で作りながら組み合わせた時の雰囲気と、ギャラリーで展示する時の雰囲気はまるで違います。そこが面白いところです。陶彫は風雨に当たっても問題がないので、野外でも展示できます。将来は広い野外で陶彫部品を点在させる展示が出来ればなぁと願っているところです。

代休 牛歩のような制作

今日は日曜出勤の代休でしたが、昨日の大きなイベントの疲れが出て、なかなか工房に行く気が起こらず、それでも朝9時には工房で土練りを始めました。少し作業をしては休憩を取り、また作業をする繰り返しで、牛歩のようなゆっくりした制作になりました。今日は5時間ほど工房にいましたが、いつものように制作が捗らず、ぐったりしていました。いろいろな彫刻の素材の中で、粘土は私にとって快い素材で、土練りをしていると心が落ち着いてきます。どんなに疲れていても土に触れていると精神的な安定が得られます。それは彫刻に限ったことではなく、若い頃亡父の手伝いをして造園をやっていた時も、植樹のために穴彫り作業をよくしていましたが、それは苦痛ではありませんでした。誰もが嫌う肉体作業でしたが、私は平気でした。土に触れるということが私と相性が合うのかもしれません。ゆったりした作業の中で、若い頃に見た地中海の大地を思い出していました。そこに風化した石材で出来た遺跡の数々がありました。私の作品イメージの原点がそこにありました。忘れかけていた風景が甦り、それを象徴化することで「発掘シリーズ」が始まったのでした。そろそろ新作にタイトルをつけなければならず、記憶の彼方から甦った風景と現状の作品を見比べながら、タイトルをあれこれ考えました。制作工程を先へ先へと進める日もあれば、今日のような牛歩の制作日があってもいいかなぁと思い、こんな日は立ち止まって、もう一度原点を探る時間を持とうと思いました。嘗てそこで営まれていた古代の生活や建造物を、歴史の事実を解明することではなく、現代の眼を通すことで完全に美的価値として捉え、彫刻に再生すること、これが私の作品と言えます。だから「発掘シリーズ」に学術的根拠はありません。創造的なイメージがあるだけです。あらゆるものから自由に解放されているからこそ芸術なんだと思っている節が、私にはあります。今日はぼんやりした中で、暫し立ち止まり、こんなことを考えていました。 

命を繋ぐ思いをこめて…

今日は3.11です。8年前に未曾有な被害を齎せた東日本大震災。横浜でも大きな揺れがあって、物資の運搬経路が一時ダウンし、自然災害の影響力を感じ取った日々を今でも忘れることが出来ません。もうあれから8年も経ったのかという実感を持ちますが、東日本大震災後もあちらこちらで震災が起こり、今でも熊本城のような歴史的遺産の復元作業が進んでいる最中です。私たちは日本で生活する以上、こうした自然災害と付き合っていくしかないと思っています。私は毎年この日になると職場の放送機器を使って弔意を述べ、1分間の黙祷を捧げてきました。今日は職場では儀礼的なイベントがあり、職場を上げてお祝いをする日になっていました。今日は黙祷や半旗を掲げることはせず、私の式辞の中で東日本大震災に触れ、震災で亡くなった多くの方に報いるために命を繋ぎ、安心できる未来を作っていこうと呼びかけました。内容の導入として、先日わずか268グラムで生まれた赤ちゃんが無事退院したニュースを取上げました。それに関わって朝日新聞の天声人語にこんなことが掲載されました。「人間は誰でも未熟な段階で生まれてくる。それが他の動物との大きな違いである。馬のように生後間もなく駆け出すこともできず、猫のように生まれて数週間後に自分で食べ物を見つけることができない。」という文章でした。これを利用して、人間は親の保護がなければ育つことができず、命を繋ぐことができないと私は話を続けました。その代わり人間には学習に対する伸びしろがあり、言葉を話し、道具を使い、知恵を絞る特長がある、人間が命を繋ぐためには周囲の庇護が必要なのだ、人間は人と関わることで豊かな未来を作っていけるという内容を述べさせていただきました。私は毎年3.11を命のことを考える日と決めています。私がやっている創作活動も鑑賞する人に、私たちが生きている空間とは何か、空間的美意識とは何かを伝えていくもので、命を活性化するもののひとつではないかと自負しています。何もないところから創造して、何かを作りだせる能力は、人間だけに与えられた素晴らしい力だと私は常々思っていて、それが私を突き動かしている原動力なのだろうと考えています。

週末 休日出勤の日

今日は休日出勤日です。明日は職場として1年間を通して一番重大なイベントがあるため、今日はその準備出勤なのです。このNOTE(ブログ)では、横浜市の公務員管理職としか私の身分を表明していませんが、多くの同僚がNOTE(ブログ)をご覧になってくれているので、既にバレてしまっているところはあります。しかしながら職種の情報の拡散を怖れて、敢えて立場を申し上げていないのです。私をはじめ多くの横浜市職員が、それぞれの職場で明日のイベントを迎えようとしています。職場によっては、今日は休みにしているところも数多くありますが、私の職場では通常勤務にしました。そのため今日はさすがに創作活動は出来ませんでした。代休は火曜日に取っていますが、私は夕方職場に出勤する用事があるため、完全に休めません。日曜日は他の機関からメール等が入ることがないので、私も明日の式典のための準備が出来ました。明日は3.11です。東日本大震災から8年が経とうとしています。あの未曽有の震災のことを思い起こす度に辛い気持ちになります。私は3.11の午後になると職場の放送機器を使って、内外に弔意を示し、黙祷を捧げてきました。今回は職場の式典があるので、例年のような黙祷はしませんが、その代わり私の式辞の中で、命を繋ぐ大切さを訴えていこうと思っています。日本に住んでいる以上、自然災害に見舞われる機会が少なからずあります。そのための防災訓練を毎年やっています。国際的に見れば日本ほど防災訓練を頻繁にやっている国はないのではないかと思っているところです。東日本大震災は8年経っても鮮明に覚えていて、風化できるようなものではありません。その後も自然災害は後を絶たず、自分の身を守る意識は高く持っているつもりです。そんな思いを明日の式典の中で吐露しようと思っています。

週末 一日だけの制作日

明日は職場で休日出勤する日になっていて、週末の休日は今日しか取れません。週末が2日取れれば、陶彫制作が順調に進むのですが、一日だけとなれば、制作サイクルを少々遅らせて足踏みすることになります。今日は彫り込み加飾2個と、乾燥した陶彫部品に仕上げと化粧掛けを施しました。通常の制作サイクルなら明日の成形のために大きなタタラを数枚用意するところですが、今日は止めました。今日は久しぶりに若いスタッフが工房にやって来ました。彼女は中国籍のアーティストで、グラフィックデザインを大学院で専攻していました。現在はその大学で助手をやっています。入試の業務が無事終わり、次は新入生を迎える準備があるそうです。毎年中国人留学生が増えているので、彼女の仕事は多忙になっているのではないかと思っています。いつも笑顔でいるので、彼女の辛さが分かりませんが、グローバルな教育には欠かせない人材であることには変わりはないでしょう。今日は早めに彼女を最寄の駅まで車で送りました。今日は花粉症が気になりました。若い頃に比べれば、花粉症が多少改善されていると自分では思っていましたが、今日はクシャミが止まらず、作業が度々中断しました。次回は制作を先に進めなければならないと思いました。

コトバと彫刻について

私は彫刻に関わるようになったのは大学の1年生からで、それまで工業デザインを専攻するつもりだった私が、極端な方向転換をして初めて彫刻に出会ったのでした。本格的な立体表現を知らなかった私は結構混乱して、そこから半ば自嘲的で内密なメモ書きをノートに残すようになりました。立体把握に困難を感じていた私は、そもそも自分に彫刻は向かないのではないかとさえ思っていました。今もその感覚は忘れていません。立体把握が面白くなりかけた時期になると、素材を扱う困難さに直面していました。粘土、木材、石材、金属、どれをとっても自分のものにならず、おまけに表現の自由を奪っているものは、何といっても素材の重力でした。当時のメモ書きはそんな不満や不安が綴られていたのではないかと述懐しています。大学卒業時に焚火にしてしまったメモなので、今では私の記憶が頼りですが、そこには詩らしきものも書いてありました。その中で「蝙蝠」という詩の題名は覚えていますが、内容は思い出せません。母方の祖母に見せたらクスっと笑われました。詩への関心は高校1年生の現代国語の教科書に掲載されていた詩が契機になり、そこから詩作する試みが始まりました。草野心平、谷川俊太郎、黒田三郎、西脇順三郎の詩から始まり、書店に出入りするうちに寺山修司、白石かず子、富岡多美子などに興味が移り、自宅の書棚に詩集が増えていきました。言うなれば私の関心は海外の詩人よりも日本人の現代詩から始ったのでした。大学に入ると美術評論を書いている大岡信、瀧口修造の著作が増えていきました。詩と彫刻双方の分野に足跡を残した芸術家となれば、お馴染みの高村光太郎がいます。私は彼が生きた環境が知りたくて、晩年の光太郎と智恵子が住んだ岩手県の寒村を訪ねています。私自身は詩の創作が出来ているとは言えません。詩は彫刻よりも早く芽生えた創作分野でしたが、彫刻の方がいち早く自己表現の方向性を定め、個展を開催できるまでになりました。彫刻をイメージする際に詩心が必要なのは言うまでもなく、私が密かに育んだ詩は、造形の中に生きているのではないかと思うこの頃です。 

素描に埋めつくされた日記

現在、通勤時間に読んでいる「ある日の彫刻家」(酒井忠康著 未知谷刊)に、風変わりな章がありました。私が尊敬する彫刻家で既に逝去された若林奮に関する論考ですが、「素描に埋めつくされた日記」という題名がつけられていました。冒頭に「画面のなかに5月12日から22日までのことを細かいペン字でぎっしりと書かれた日記が埋め尽くされている。素描と一体になっているのである。」とありました。若林氏が若い頃、工業高校の講師を勤めていた時代に書いたもので、美術準備室(本人は研究室と呼んでいる)で授業の合間に綴っていた文章のようです。私も学生時代にノートに文章を書いていた記憶があります。それは人に見せるものではなく、今となっては気恥ずかしい内面の吐露であって、造園業をやっていた亡父が植木の枝を作業場で燃していた時に、高校時代に描いていた多くのデッサンと一緒に日記も燃やしてしまいました。過去の清算がないと先に進めないと当時の私が考えていたからでしたが、工房に出入りしている若いアーティストが小さな文字で日記を綴っているのを見て、自分と重ね合わせていました。彼女はそのノートを分解して糸で繋ぎ留め、自身の展示作品として展覧会に出していたので驚きました。若林氏の素描と一体になった日記も、こんなふうに公開されることが念頭にあったのでしょうか。現在私が毎日書いているNOTE(ブログ)はホームページにアップすることを前提にやっていて、密かなメモとは違います。それに比べて表題にした「素描に埋めつくされた日記」は微妙なニュアンスが漂う文面です。その中で気に留まったコトバ(若林メモ)を書き出してみます。「彫刻はその作った結果は、一銭にもならない事が多い。注文される以外、全てそうなのであるが、作る時、金をかけ様と思えば、いくらでもかけられるし、又かけない様にすれば、ただでも作れる。それをつくらすのは情熱であろう。昔から彫刻などやる者は貧乏ときまっていた。結果としてそうなるのかと思ったが、今は、貧乏でなければ、出来ない事であると考えをかえた。金がある人間はこんな事をやってはいけないのだ。ここで金があるというのは、もちろん、生活の経済的な安定を意味する。彼等は、それぞれの社会に適した小さな経済機構の中で精一杯、金をあつめ、長生をする事を考えてればよい。腹のへった彫刻家は、せめて、それをつくる事によって自分の考えをまとめ、あるいは何の役にもたたないかもしれない美を自分の手にいれるのだ。」

3月RECORDは「萌芽の風景」

植物の芽が息吹き出すテーマは、今までも幾度となく扱ってきました。今回のテーマは「風景」というコトバをつけることで、以前作ったものとは違う意識を持ってイメージ出来るのかなぁと思っています。RECORDは毎日1点ずつ作っているので、季節感に左右されるところが大きいのですが、通勤途中で眺めている満開の紅白の梅を見て、萌芽というコトバが浮かびました。そのうち桜の開花がやってきます。古木に花が咲き乱れている情景は、何と美しいことかとつくづく感じています。年度末の多忙時期になっても、まだ自分には花を愛でる心の余裕があることが嬉しいと思っています。植物は人の鑑賞に関わらず、生命の循環として花を咲かせているため、通常気づかない場所に楚々と咲いていたりします。そんな情景を見るにつけ、つい感情移入してしまうのは、自分の詩心が成せる業だろうなぁと思っています。そんな些細な動機であっても、RECORDのテーマは象徴性に傾いたり、抽象性を追求してしまうことがあるので、当初のイメージを離れてしまうことがあります。それでも今月は「萌芽の風景」というテーマでやっていきます。毎日1点ずつ作っていくことがRECORDのスタンスですが、3月は下書きだけになってしまっていて、まだ1点も仕上がっていません。鉛筆でざっくり描いた下書きが食卓に積み上がっていくのを見ているのは辛いものがあります。RECORDはそんな強迫観念がいつも付き纏っていますが、日によってはガンガン進む意欲的な日もあって、感情にムラがあることを私は認めざるを得ません。

「フォルムと色の統一性に関する困難さ」について

「見えないものを見る カンディンスキー論」(ミシェル・アンリ著 青木研二訳 法政大学出版局)は、実際のカンディンスキーの作品を思い浮かべながら読むと、理解が容易になります。本書は現象学的な視点で書かれた部分も多く、本来は基礎的なものでも論理を積み重ねるうちに、難解な箇所が散見され、理解に苦しむ展開もありますが、基本的にはカンディンスキーが提唱した理論に立ち返る場面があるので、本書の主張するところは何とか読み解けます。本章の「フォルムと色の統一性に関する困難さ」についてもカンディンスキーが提唱したコンポジションの概念が頭にあれば、本章の言わんとするところが分かります。まず描くとは何かという問いかけが冒頭に出てきました。「描くとは、ある色によってあるフォルムをおおいつくすことである。両者が理論的に同じ基調色に結びついているときでさえも、両者を重ねあわせることは、その基調色をかなり変化させるし、それをめだたせ強調して、新たな音色を生み出す。芸術が創造的なのは、そこのところである。」さらにフォルムと色の統一性に関する理論が続きます。最終的にはコンポジションに辿り着くわけですが、それは次章に譲るとして、本章はこんな一文で締め括られていました。「われわれが専念していたのは、諸要素を、より正確には諸要素がもともとの組み合わせー点/基礎平面、直線/曲線、黄/三角形、青/円などーの中で形成している複合的・客観的・情念的な諸統一性をひとつひとつ考察することであったのだから、そうした分析が一体となって構築する有機的な全体性であり絵画そのものにほかならない有機的な全体性であるコンポジションに、まだ向かいあっていたわけではない。」と書かれていました。この文章はコンポジションへの導入と解釈してもいいのでしょうか。この流れでいくと、次章はコンポジションの概念に触れていくようです。

映画「小さな独裁者」雑感

昨晩、常連になっている横浜のミニシアターにドイツ、フランス、ポーランド合作の映画「小さな独裁者」を観に行きました。これはドイツ人兵士ヴァリー・ヘロルトの実話に基づいた物語で、図録によると「1945年4月、敗色濃厚のドイツでは戦いに疲弊した兵士たちによる軍規違反が相次いでいた。部隊を脱走して無人地帯をさまよう兵士ヘロルトは、道ばたに打ち捨てられた軍用車両の中で軍服を発見。それを身にまとって大尉に成りすました彼は、ヒトラー総統の命令と称する架空の任務をでっち上げるなど言葉巧みな嘘を重ね、道中出会った兵士たちを次々と服従させていく。かくして”ヘロルト親衛隊”のリーダーとなった若き脱走兵は、強大な権力の快楽に酔いしれるかのように傲慢な振る舞いをエスカレートさせ、ついにはおぞましい大量殺人へと暴走し始める…。」とありました。映画で描き出されるのはヘロルトと彼に従う人物たちの思惑が生み出す共犯関係の中で、権力に対する決して単純ではない関係性が、この映画の大きな主張にもなっているところかなぁと思いました。巧妙な嘘を重ねていくヘロルトにドキドキしながら映画に見入っていた私は、途中から彼に感情移入が出来なくなってしまいました。例え発端は偽りの事象でも、イデオロギーに突き動かされることが失われると、私の心は一気に自身のバランスを取り戻し、映画の後半にある傍若無人な振る舞いと享楽がどんなものであるのかを理解するに至りました。尋常ならざる権力とは何か、思想統制を図りつつあるのであれば、やがて他者の人権を蔑ろにした画一的な社会へ舵をとることも現代社会ではあり得ます。そんな危険な世相をこの映画では訴えているのではないかと感じた次第です。

週末 3月の制作&映画鑑賞

今日は朝から雨が降っていました。春は雨が降るたび木々が芽吹き、工房周辺の植木畑にも自然の彩を添えていきます。三寒四温とはよく言ったもので、昨日までの暖かさは長く続かず、今日は暖房がなくてはいられないほど寒い一日になりました。朝から工房で制作三昧でしたが、真冬の寒さと異なり、早春の寒さも結構身体に応えるものがあって、ストーブの傍を離れられなくなります。新作の陶彫部品は全体計画で言うと95%が終わっていて、残り3個が出来れば完成になります。今日はそのうち2個の成形を行いました。彫り込み加飾は次回ですが、順調にいけば来週で終わります。ただし何度も言っているように陶彫は焼成が済んで漸く終了となるので、しっかり出来上がるのは今月末になるでしょう。今日も午前9時から午後4時までの7時間を工房で過ごしました。昨日と違い7時間が短く感じたのは、昨日のような疲労が少なかったおかげかもしれません。夕方は家内を誘って、常連になっている横浜のミニシアターに出かけました。今月は美術館よりも映画館に多く行くようになるかなぁと思っています。今晩観た映画はドイツ、フランス、ポーランド合作の「小さな独裁者」で、全編ドイツ語による映画でした。若い脱走兵が逃亡途中で、ナチス将校の軍服を発見し、それを纏ったことで将校として誤解され、そのまま特殊部隊のリーダーとして成り上がっていく物語でした。巧妙な嘘を重ね、総統からの指令だと偽り続け、やがて脱走兵収容所で残虐な処刑を行いました。ここにはナチスの戦争映画に登場するユダヤ人が出てきません。同国人たちが殺しあう場面ばかりなのです。軍服がもつ威厳と揺れ動く心理状態の狭間で、本作は主人公の不可思議な輪郭をそのまま観客に委ねているように感じました。何が彼を尋常ならざるところに追い詰めていくのか、そのストレスを紛らわせる享楽も描いていて、これは戦争映画というより人間の心理描写を中心に据えた映画ではないかと思いました。仮面は時に本物より本物らしく振舞わせる装置となって、アイデンティティーを操る結果になるとも考えられます。詳しい感想は後日改めさせていただきます。

3月最初の週末

春めいた気候になり、工房での制作もやり易くなりました。今日はウィークディの疲れが残るものの、新作の完成を目指して朝9時から夕方4時間まで通常の7時間を工房で過ごしました。だいぶ暖かくなってきましたが、それでも朝のうちはストーブを焚いていました。作業の内容としては大きめなタタラを数枚用意したり、乾燥した陶彫部品に仕上げや化粧掛けを施したりして、相変わらずの制作工程でしたが、何よりも工房内の空気が柔らかく、解放された気分にさせてくれました。新作はいよいよ大詰めになり、今月は組立作業に入ろうかと思っています。そのためのボルトナットや修整剤が必要になってきます。新作のタイトルも考えなければなりません。併行してやや小さめのテーブル彫刻を作っていこうと考えています。テーブルには砂マチエールを貼り付けて、接合する陶彫部品との調和を図っていくのが私の常套手段です。テーブルの柱になる木彫をしなければならず、こうして仕事を羅列していくと、やるべきことがいっぱいあって、気分的に焦りを感じます。今月はどこまで出来るでしょうか。陶彫による集合彫刻は、部分を作っている時には焦りはありませんが、全体構成を考えるような段階になると、あれもこれもやらねばならない仕事が見えてきて、ゆっくりしている暇はないなぁと思ってしまいます。例年のことなので格別驚くことではありませんが、これからが大変な時期になると予想できます。職場は職場で年度末を迎えて気忙しくなり、工房は工房で創作活動が佳境を迎えて一気に熱を帯びてきます。今月最初の週末で、先を見通し、まず何からやるべきか、ひとつずつ足元を固めていくようにしたいと思っています。明日は成形を頑張ろうと思います。

多忙が懸念される3月に…

多忙が懸念される3月になりました。何といっても年度末です。ウィークディの仕事は今年度のまとめとして、全職員と面接をして、来年度人事の素案を考えなければならず、気忙しさはピークに達します。仕事に対する思いは人それぞれで、適材適所を見定めながら、まずは働きやすく個人の能力が最大限に発揮できる職場を目指していくつもりです。創作活動は組織ではなく、私個人が進めるものですが、自分で活動時間を決め、仕事の段取りを決めています。出来るだけシステマティックに制作が出来るといいなぁと思っています。さしずめ今月は大きな新作の完成を目標にしています。やや小さめのテーブル彫刻も始めたいと思っています。今月の後半に年度末休業が取れる機会があるのですが、仕事が立て込むため休みが取れるかどうか微妙なところです。鑑賞も制作工程の間隙をぬって美術館や映画館に足を運びたいと思っています。昨年は一日年休を取得して埼玉県川越に遊びに行きました。今年はそんな余裕があるのでしょうか。一番心配なのは一日1点ずつ制作をしているRECORDで、ウィークディの仕事や週末の陶彫制作に精気を奪われて、下書きだけの山積みが一向に減りません。遅い時間帯にRECORDを作るため食卓に向かっていると睡魔が襲ってきます。このNOTE(ブログ)を書く時間も眠気との闘いです。「春はあけぼの。やうやう白くなりゆく山ぎは、少し明かりて、紫だちたる雲の細くたなびきたる。」とあるのは清少納言の枕草子の冒頭のコトバですが、この季節はコトバ通りぼんやりとしたパステルカラーの空気感の中で、いつまでも眠気がとれないイメージがあります。うつらうつらした中で読書もやっていきたいと思います。

2月を振り返って…

2月は28日間しかない短い1ヵ月で、今日が最終日です。2月の後半は朝夕寒さが緩んで凌ぎやすくなりました。毎朝の起床や出勤が気温上昇に伴って楽になり、その分私は花粉症に悩まされています。朝起きると鼻がむず痒いのが気になりますが、ひと頃前より花粉症は緩和してきました。これは加齢によって身体の全器官が緩んできたのかなぁと些か自嘲的に思っています。さて、2月を振り返ってみると、新作の陶彫制作を頑張っていたにもかかわらず、陶彫部品が全て完成しなかった点が残念でした。やや小さめのテーブル彫刻には手もつけられずにいて、欲張った制作目標は自分の首を絞めることにもなると実感しました。それでも来月もやはり上向きの制作目標になってしまいそうなのは否めません。鑑賞は充実していました。美術展では「顔真卿」展(東京国立博物館)、「奇想の系譜展」(東京都美術館)、「河鍋暁斎」展(サントリー美術館)、「竹内浩一の世界」展(郷さくら美術館)の4つ、映画鑑賞では「ペギー・グッゲンハイム アートに恋した大富豪」、「私は、マリア・カラス」(全てシネマジャック&ベティ)で2本ともドキュメンタリー映画でした。週末は母の用事で税理士や不動産会社の人が自宅に来たりしていましたが、それでもこれだけ鑑賞の機会を持てたのは良かったのかなぁと振り返っています。RECORDは山積みされた下書きの解消にはならず、毎晩苦しんでいます。読書は美術評論家の現代彫刻に関する随想を読み始めました。通勤の友として気楽に楽しく読んでいます。もう一冊、職場にカンディンスキーに纏わる抽象絵画論が置いてあって、これにも時折目を通しています。まずまずの2月の成果だったと思っていますが、満足できなかった部分は来月で何とかしたいと考えています。

暁斎「惺々狂斎画帖」連作について

先日に見に行ったサントリー美術館で開催中の「河鍋暁斎」展では、狩野派絵師として研鑽を積んだ暁斎の珠玉の名品も数多く出品されていましたが、私の関心はやはり戯画にあって、現代のアニメのような劇的な動きのある画帖が、心から楽しいと感じました。表題の「惺々狂斎画帖」は、(一)から(三)まであって、その小さな世界に魅了されました。図録の解説によると、これは日本橋の小間物問屋の主人のために暁斎が描いた肉筆画の連作で、大蛇や化猫が登場する場面が何とも可笑しくて、奇想天外な物語を想像してしまうのです。これは暁斎の描く他の俯瞰図にも言えますが、さまざまなポーズをとる人物が、時に劇画的で極端な仕草をしているために、絵の主題を強く印象づける効果を生んでいると、私は認識しています。図録によると小間物問屋がつぶれた時に、そこに暁斎の絵が200枚もあったそうで、良い値で捌けたと書いてありました。また、江戸情緒あふれる画題は、「江戸名所図絵」に登場する武蔵の地名の由来や浅草寺草創にまつわる伝説や梅若伝説、秋色桜の話、飛鳥山の花見など庶民の遊びを、暁斎らしい工夫を加えて描いていると解説にありました。河鍋暁斎は日本よりも海外で有名になった画家ですが、成程こういう画題であれば、外国人が絵を競って手に入れたのもよく分かります。現代の私たちもグローバルな視点を持つに至ったので、暁斎ワールドが本当に面白いと感じるのです。今では世界に発信するほどになった優秀な日本のアニメですが、その根源には暁斎の世界があるのではないかと私は思っています。北斎漫画にも暁斎の世界と同じ感覚を持ちました。その時代の絵師の片鱗に触れて、自分の創作活動を鼓舞したいと考えているところです。