彫刻を学び始めた頃,その後

今読んでいる本は保田龍門遺稿「自画裸像」です。大学で彫刻を学び始めた頃、同大にいられた保田春彦先生にご挨拶すらできなかった理由は、先生の御尊父が保田龍門で、父子ともに自分にとってみれば雲上の人に思えたからです。自分が彫刻に目覚めたきっかけになった人は荻原守衛です。守衛と同じ志をもった保田龍門の作品にもすごい気骨があって真摯なものを感じていました。遺稿を読むと、その時感じたものが間違っていなかったと思います。貧困の中で美を享受できる喜び、造詣の深さ、その精神性において自分の姿勢が足元にも及ばないことを痛感しています。春彦先生にも堅固な造形があって、やはり近づき難い存在です。当時、そんな精神性を持ちつつ自由な発想と楽しさに溢れる作品を発表していた師匠を自分は選びました。それが池田宗弘先生です。池田先生は保田先生に負けず劣らず難しい気性の持ち主ですが(すみません)、自分にない軽やかな発想と頑固な姿勢が大変気に入って、この先生について徹底的に学ぼうとしたことを思い出しています。

彫刻を学び始めた頃

昨晩ブログを書いた後、ここで自己を語ってみたくなりました。まず彫刻との最初の出会いを思い出すことにしました。たしか高校生の頃は建築か工業デザインをやりたいと思っていました。高3からデザインの勉強を始めたのですが、成り行きで大学は彫刻科に入ったのが彫刻との最初の出会いです。巨匠に心酔した訳ではなく、むしろ初めは人体の塑造に馴染めず、それならいっそプロの作品を見ようと上野の都美術館に行きました。彫刻室に並べられている作品群では巧みな表面処理に心が奪われました。自分はこんなふうに作れないと思ったものでした。たどたどしい自分の塑造が嫌になりました。でも飽くことなく続けていて、再度上野に行ってみたら、今度はあまり感動もなく異様な感覚を持ったことを覚えています。そんな時、心を奪われたのが荻原守衛や中原悌二郎でした。技巧ではなく生命そのものが漲っている塑造。「ロダンの言葉」を読み、守衛の「彫刻真髄」を読みました。彫刻科の友人と穂高の碌山美術館にも足を運びました。そんなこともあってようやく彫塑が楽しくなってきたのを思い出しています。

人前で自己を語れず

大勢の前で講義をしている仕事にもかかわらず、自分のことを語るのは苦手です。羞恥心が邪魔して思う通りにはいきません。ましてや作品のことなどまったく論外で、横浜市の某研究会で依頼された時は言下にお断りいたしました。自分が研究している自分以外の対象がある場合は、何故か容易です。仕事口調にもなって調子よく時間までも微調整できるほどです。自分の作品は自分の恥部をさらすようなものなのでしょうか。でも不思議なことにこうしてブログを書いていると、ほとんど自分のことばかりになってしまいます。これが読まれることを念頭において書いているにもかかわらず、恥らう心が無くなります。携帯電話のメールも同じ効果があるのかもしれません。昨今、人との付き合い方に変化が見られる原因でしょう。希薄な人間関係を嘆きつつ、こうした媒体を利用して本音を語る自分が情けない気がします。

鑿を振るう

木材に鋸をあてながら丸鑿を振るい、余分な木屑を落とします。単純で健康的な作業です。やっとたどり着いた工程です。イメージし、デッサンし、雛型を作っては試作を繰り返し、なんとか実寸で作り始められたと言ったところでしょうか。でも本当は気が急いて、少しずつ部品を作っていたのですが、本格的にはこれから始まる感じです。いつもいつも鑿を握っている訳ではないので、作り始めは調子に乗らず腕も手も痛みます。しだいに乗ってくると、他のことが煩わしくなります。創作とは不思議なもので片手間では出来ません。視野が急激に狭くなり、人との関わりが嫌になってきます。その代わり心の視野が広がります。全身全霊というコトバがぴったりです。自分のとってこれが比類ない幸せなのかもしれません。

鑿を研ぐ時,土を練る時

刃物を研ぐのは制作に入る前に行う儀式のようなものです。でも木彫には絶対必要なことです。陶彫をやる時は土練りが儀式です。これは無心な状態に自分を保ちます。日常から離脱する瞬間かもしれません。スポーツクラブで泳いでいる時もそんな瞬間があります。そうした無心な瞬間は、対人関係や日常の煩わしさを忘れるので、心を健康にするものかもしれません。座禅もそうした類のものですが、座禅と違うところは鑿を研いだり、土を練ったりするのは次のステップへの準備なので、自分に対する振り返りはなく、むしろ前向きな欲に支えられた心理状態であるのかもしれません。

師匠からの花束

昨夜、長野に住む池田宗弘先生から電話がありました。この時期になると先生の好きな日本酒を贈っているので、そのお礼の電話でした。例年なら先生宅にお邪魔する日程を決めるところですが、先日父が他界したことをお知らせしたら、先生から早速花束が届きました。先生も奥様を亡くされて数年が経とうとしています。身近な人が亡くなるのは辛いことだと何度もおっしゃっていました。今読んでいる保田先生の書かれた「白い風景」にも奥様の追悼が美しい文章で綴られています。奇しくも当時同じ大学で教鞭をとっていられた両先生が同じ境遇にいることを思うと、次世代の自分にも必ず訪れる運命だろうと思います。自分が先立っても、後に残っても、その時の自分はどんな思いで死と向かい合うのか、今は想像すらできません。

シュノーケル

1年に1回は海に潜ります。近隣のスポーツクラブの仲間とシュノーケルを持って今年も出かけてきました。伊豆の田牛(とうじ)にある岩場で磯遊びを楽しんだ後、海水浴もやってきました。波がややあって、水も冷たかったのですが、海中に広がる世界を堪能しました。民宿では海の幸を囲んで、楽しいひと時を過ごしました。

夏に読書する習慣

職場が夏季休業に入り、明日から制作三昧の生活になります。とは言え会議などが時々あるので、ずっと作業着というわけにはいかず、クールビズで出勤することもあります。でも労働拘束時間は少なく、嬉しさいっぱいです。その表れか夏は決まって読書に勤しむ生活を送っています。今夏は、保田春彦著「白い風景」、保田龍門遺稿「自画裸像」、池田龍雄著「蜻蛉の夢」、柴橋伴夫著「夢見る少年イサムノグチ」を読もうと傍らに置いています。ここ何週間かで購入したものです。結局、美術家や評論家の書いたものばかりで偏った傾向は否めません。

雛型と実作品の間

今日から突如として次作の雛型を作り始めました。実作品はサイズが大きく手間暇がかかるので、イメージしたものが即興で作れるものではありません。その点、雛型はデッサンより明確に形態を捉えることが出来るので、思い立つとすぐ制作に取り掛かるのです。作りかけた雛型もいっぱいあり、途中で放棄しようと思っているものまであります。逆に陶彫作品の場合は、雛型と言えど、そのまま窯入れしているので、小作品として実作品とは異なるものになってしまうこともあります。むしろ雛型を作ってしまうと安心してしまい、実作品ではまったく違う世界を追求したくなるのです。雛型とは自分にとって何でしょうか。実作品のメモとして出発するものの結局はそれが作品になってしまうこともあるのです。でも雛型はその大きさゆえ魅力的なものです。実験も失敗も出来るからこそ手放せないものなのです。

A.ジャコメッテイ展

葉山の近代美術館でやっているジャコメッテイの展覧会に彫刻はもとより、むしろ油絵が見たくて出かけました。数年前、ジャコメッテイに関する矢内原伊作の本を数冊読んで、ジャコメッテイの制作に対する姿勢に大いに感銘を受けました。そこではよく油絵をやっている様子が描かれていました。モデルを現実として捉えるにはどうするか。本の中で彼は描いては消し、作ってはやり直す繰り返しを続けていました。こうした未完のままで、いったいどんな状態の作品になっているのか、興味は尽きませんでした。実際に並べられた作品を見ると、どれもが何度も試作された痕が見られ、迫力を感じさせました。実際の作品よりも、いつまでも記憶に残る作品であるのは、こうした肉迫したものがあるからに違いありません。

E.チリーダ展

今まで写真でしか知らなかった彫刻家のまとまった作品が見られると知って鎌倉の近代美術館まで行ってきました。チリーダは巨大なモニュメントを多く手がけている作家なので、どんな作品が日本に来ているのか興味津々でした。見ていると自分も制作したい欲求にたちまち駆られました。作品はどれも骨太の構成を持ち、圧倒させる素材感を持ち、それらががっちりと存在を示し、それでいて心地よさを感じさせる造形でした。とりわけ鉄の作品はチリーダの特徴がよく表れていました。版画や紙によるレリーフも平面ではなく立体表現の一つとしてチリーダが捉えているのがわかりました。今日はチリーダに活力をもらった気がします。

我流の阿弥陀如来はいつ出来るのか

先日、菩提寺である浄性院の住職にお会して、いずれ自分があの世に行くまでには阿弥陀如来を作るので寺に寄進したいと願い出ました。住職はこころよく引き受けてくれましたが、はたして仏師でもない自分がどうして阿弥陀如来像を作れるものか考えてしまいました。その時は左右に菩薩を配置する三尊像をイメージしていたのですが、自分なりの祈りの対象とは何か、白鳳や天平を真似ていたのでは現存する名品の足元にも及ばず、これはなかなか難しい課題を背負い込んでしまったようです。でもいずれ自分の解釈と表現力が身についてくると信じながら、日々造形活動に勤しんでいくつもりです。

篆刻の小宇宙

彫刻の新作を作るたびに篆刻を和紙に押印して作品の裏に貼り付けています。いわばサインの代わりです。自作のほとんどが集合彫刻なので、パーツすべてに押印しています。新作ごとに印を彫るので毎年増えていきます。初めは篆書体で忠実に彫っていましたが、最近は自由気ままに氏名をデザインして、小さな版画を作るように、また小宇宙の空間を楽しんで作るようになりました。印は彫刻作品が完成したかどうかの落款としての役目もあり、印そのものも彫刻と呼応したものにしようと考えています。いずれこうした印ばかり集めて展示して見るのも面白いかなと思います。小さいけれどピリッとした主張のある造形作品ではないかと自負しています。

雨に思う

梅雨は鬱陶しい季節です。朝から雨が降っていると勤めに出るのが億劫になります。多忙な仕事に追われている時はなおさらですが、ちょいと心に余裕があれば、雨粒が水溜りに落ちる時にできる文様はなかなか美しいものです。水を表現した作品が脳裏をよぎる時もあります。尾形光琳の紅白梅図の中央に流れる川は抽象的でモダンな印象です。八橋蒔絵硯箱の中にも流水がデザインされています。酒井抱一の夏秋草図にも流水が描かれていて画面に潤いを与えています。雨の季節に潤いのある表現に心よせるのもいいものかなと思います。

版画に魅せられて

20数年前に版画に没頭した時期があります。版を作って刷り上げる行為が好きで、自分の思うようにならないもどかしさと偶然出来る効果が気に入っていました。今日、世田谷美術館で開催している「吹田文明展」を見てきて、版画に取り憑かれていた頃の自分を思い出しました。版画は刷り上げる際に水性絵具を使うと紙に吸い込み、油性を使うと紙上に定着するので、それらを併用することによって深みと広がりが生まれることをあらためて確認しました。刷りによる効果がとても美しく花火や星々の抽象化を際立たせていました。加えて日本美術家連盟理事長で会報に度々掲載されている方なので親近感もありました。因みに自分も彫刻の会員です。

記憶に残る彫刻

実際の作品を見ても心が動かされることはないのですが、記憶に残って時折思い出し、その記憶によって刺激される彫刻があります。それは物質のもつ存在感であったり、周囲の空間であったりします。表現方法はまるで違う2人が私にとってそういう刺激を与え続ける作家です。一人は大学で学んでいた頃、教鞭をとっていたにもかかわらず、直接教えを受けることのなかった若林奮先生です。鉄、木、硫黄などに加工をして思弁的な作品を作っていました。見ているとわからないなりにも別にどうということもないのですが、何故か必ず展覧会に出かけ、つい作品の前で考えてしまうのです。ある意味では大変な魅力があるのかもしれません。もう一人はジャコメッテイです。作品の内面に向かって思考と試行を繰り返すところは若林先生と同じタイプでしょう。紙面がなくなったのでジャコメッテイについては別の機会に書きますが、自分の記憶の中で生き続ける彫刻です。

発想の部屋・制作の部屋

近隣にあるスポーツ施設で身体を動かした後、新たな創作に入ることはなかなか困難です。スポーツによる明確さと敏捷さに頭脳も反応してしまうためかもしれません。発想する部屋は自分の好きな仮面がところ狭しと壁に掛けられ、気に入った石ころやら流木やらが無造作にあって、怠惰にぼんやり眠った状態が一番いいと思っています。そうした中で作品は生まれます。イメージをつかみかけた時に、自分の仕事場は一転します。自分が画家や版画家ならそのまま作品を作り続けることもできますが、立体作品となるとイメージに工程計画を与えなければならず、広い作業場に移り、まるでスポーツをするように作業を始めます。何もない部屋。必要な工具が必要なだけ置いてある部屋。それが自分の立体を制作する理想的な環境です。頭脳回路は単純化し健康な状態を保ちます。そうした環境はなかなか得にくいのですが、発想段階とはまるで変わり、清掃をまめに行いながら、土をこねたり木を彫る毎日です。

師匠の思い出

20代の頃、直接教えていただいた師匠は池田宗弘先生で、真鍮で人物や動物などが繰り広げる場としての彫刻を作っていました。枯れ木や壁も金属で作り、その洒脱で軽みのある表現にとても惹かれていました。今も長野県の山奥でキリスト教をテーマにした彫刻を作り続けています。ちょうど池田先生に彫刻の基礎を習っていた頃、大学に彫刻科とは別にデザイン科の学生のために共通彫塑という科目があり、そこに保田春彦先生や若林奮先生が来られていました。自分は直接教わることはなかったのですが、保田先生や若林先生の作品にも惹かれ、とくに保田先生は大学で制作されていたので仕事場を盗み見ては刺激を受けていました。今ならお話を伺うこともできるでしょうが、あの頃は何をどうアプローチしてよいかわからず、ただ仕事場の光景やら先生が取り組んでいられる様子をひたすら目に焼き付けていたのを思い出します。当時の先生方の年齢に今自分がなっているのが不思議です。自分も仕事場いっぱいに作品を広げていると、何となく当時が懐かしいように思えます。

仕事と労働

自分にとって仕事は創作行為であり、一生続くものと心得ています。今年は板材と木彫の柱を組み合わせた立体作品と、主に墨を使った屏風による平面作品を作ることです。自分にとって労働とは日々の糧を得るための手段です。最近はこの労働が忙しくやらなければならないことが山積です。朝から勤務してこの労働に追われ、気がつくと夜になっています。これで一生を終わったら、きっと後悔するだろうと考えるから創作行為の仕事に精を出すのかもしれません。労働も決して退屈な仕事ではなく充実感は得られるのですが、創作には麻薬のような魅力があって、これが不足すると元気が失われることも事実です。

仮面収集癖

別に高価なものを求めてはいませんが、気がつくと家の壁にぎっしりとお面があって異様な雰囲気が出ています。海外のものはイタリアのベニスで買った陶製のお面が白黒一対、ギリシャのクレタ島で買ったテラコッタ製のお面がいくつか、インドネシアのバリ島で買ったものは木製で、アフリカやその他アジアのものは日本で手に入れたものばかりです。日本のものは木彫りの神楽面やら和紙でできた民芸風のものが多く、鬼や狐やおかめやひょっとこがあります。眺めているだけで満足できるものは仮面をおいて他にありません。自分で作りたい欲もありますが、仏と同じで邪念がにじみ出て、いい表情にならないのです。自分でつくるものは抽象ばかりという理由が実はこんなところにあるのかもしれません。

アフリカンギャラリー

静岡県の大室高原にあるアフリカンギャラリーに行ってきました。アフリカの彫刻や仮面などザックリと木彫りされた造形が大好きで機会あるごとに見たり買ったりしています。今日はコートジボアールの小さな仮面を思わず買ってしまいました。マリの造形も面白くて見入ってしまいます。一昨年は三重県にあるマコンデ彫刻のギャラリーを訪ねて、やはり仮面を買いました。かつてピカソやブラックが関心を寄せ、アフリカ彫刻によって新しい表現を獲得したことがよくわかります。アフリカンアートには創作を刺激する根源的な何かがあります。生活の中にあるものが象徴化され抽象までカタチが変っているところに魅了されるのかもしれません。

尾瀬を歩く

鳩待峠から尾瀬ヶ原を歩きました。尾瀬に来たのは20年以上前のことで、油画科の先輩と5月の連休に訪れ、雪の多さに驚いたことを思い出します。今回も木道の所々に残雪がありました。きりりとした空気の中を歩いていると、自然に癒されて心地よい気分になりました。水芭蕉も顔を出していましたが、むしろブナの林を抜けて山の鼻に至る山道がとても気に入りました。観光名所としての場所より、そこに至る何でもないような見過ごしてしまう場所に美しさを感じてしまいます。

粗い石

最近読んだ本で「粗い石〜ル・トロネ修道院工事監督の日記〜」があります。石を切り出し、その石を積んで修道院を造り上げるシトー会修道士の記録ですが、坦々とした労働の日々の中に、素材の問題、組織の問題、工期の問題などが描かれていて、自分の制作にも通じる箇所を見つけては楽しんでいました。神に祈りを捧げる場である修道院や教会には、日常とは違う空間があり、人の精神を浄化させる何かがあるように思います。名もなき石工や鍛冶屋や修道士たちが造り、今も残存する数々の神の空間は、現在も人々の懺悔や救済を受け入れているのだと思います。

技芸天に思う

先日京都散策のことを書きましたが、京都に行く度に奈良にも足を伸ばすことがあります。ただ、仕事で行くことが多いので、東大寺やら法隆寺は頻繁に訪れるのですが、なかなか人里離れた寺に秘仏を見に行く機会はありません。そんな中でもプライベートで行く時には、必ず訪れるのが秋篠寺です。そこにある技芸天は立ち姿といい、表情といい、心にすっきり入ってきて、何ともいい気持ちにさせてくれる仏です。学問的な考察はともかく、その容姿に惚れることは、たとえ無知であっても万人にあるものだと思います。昔買った大きなポスターがいまだに私の工房に貼ってあります。

京都散策

仕事で1年に1度は京都を訪れます。その度にちょいと仕事を離れて、古都散策を決め込むのですが、今年は寺社ではなく岡崎公園の近代美術館に行って見ました。お目当ての「フンデルトワッサー展」は会期が終わっていて、がっかりしました。祇園の何必館も常設展しかやっておらず、今回は美術的な興味にやや欠けた散策でした。仕方なく鍵善で美味しい和菓子を買い、松葉でにしんそばを食べて帰ってきました。松葉では私の前に座っていた2人の初老の紳士の話し声が聞こえてきました。どうやら日本画家のようで、京都画壇のあれこれを話していました。京都弁の風情に少々辛辣さが加わり、しばし耳を傾けてしまいました。本来自由であるはずの芸術にも流派や縦横の社会があって息苦しさを覚えたひとときでした。

個展の記事より

昨日送られてきた美術系の小冊子に先日の個展評が出ていました。「古代遺跡の発掘品を思わせる凹凸状の版文が、強力な表現性を感じさせ、目を引きつける。絵画的平面性と幾何学的立体性を兼ね備え、物としての意味は不明だが、訴えてくる力は、鉄製品のように重く強い。」とありました。身に余る言葉をいただきました。意味は自分の中だけに存在するもので、他者の理解を求めていません。ただ、感じ取っていただければと思っているので、この言葉には本当に勇気づけられております。

イサムノグチ展

地元の横浜で「イサムノグチ展」をやっているので見に行きました。このところ展覧会づいていて、フットワークも軽くなっています。イサムノグチはかなり昔から展覧会があると出かけるので、今回は旧知の作品もいっぱいありました。かつて香川県牟礼の庭園美術館にも行き、そこのオープンスペースの居心地の良さに羨望を抱いたことを思い出します。私はイサムノグチから「場の彫刻」とか「庭園の空間概念」を教えてもらいました。今回の出品作品で私が初めて見たのは舞台装置でした。装置と言っても、ほとんどオブジェであり、そこにダンスが繰り広げられる映像を興味深く見ました。

雛形から実寸へ

昨日から雛形を実寸大で作り始めました。実は雛形も途中なのですが、材料が届いたので、堪えきれずに厚板の切断を始めました。作品の下絵は実寸で書きます。それを厚板に転写していきます。構成要素が多い立体作品なので、最初は立体を作っている気がしません。パーツを組み合わせて初めて立体になるのです。新作は建築現場のようなイメージです。住居の骨組みのようなものを考えていて、昔は建前で棟上した屋根から餅を捲いた風習がありました。地方ではまだやっているかもしれません。人が長く暮らす家だからこそ家内安全を願う政事を行うのだと思います。住居にはそんな思い入れがあって造形表現を試みているのです。

E.バルラハ展

ウィーンにいた時、そこの美術館にE.バルラハの刀を振りかざした人体彫刻がありました。最初はK.コルビッツが作ったものだと誤解していました。あまりにもコルビッツの素描や版画と似ていたのです。人物を簡潔で骨太に表し、ルネサンス的写実とは異なる具象表現は、ちょうど20代にウィーンで暮らしていた自分の心にどっしりと棲みついてしまったのでした。それはドイツ表現主義に傾倒していく契機になりました。コルビッツの闘争的な社会性、バルラハの劇的な象徴性は、当時の自分のぎくしゃくした気持ちに直に訴えかけてきました。早速出かけたバルラハ展はかなり見ごたえのあるものでした。木彫は円空のような素朴さと宗教性をもち、木版画は神を題材にしながら人間的なドラマが感じられて興味深いものでした。ただ自分が初めてバルラハの作品を見たのが寒々とした冬のウィーンであり、そうした環境もあってかバルラハの鋭く単純化された形態に、厳寒のヨーロッパが思い出されて、いま日本の春爛漫の中で見るバルラハとはやや違う印象がありました。

益子・笠間へ

昨日、益子の陶器市、笠間の陶炎祭に行ってきました。どちらも毎年混雑しますが、昨日は天気に恵まれたこともあって大変な賑わいでした。どちらも若手の作家の作品に注目して、作風の移り変わりや日頃の成果を期待して見ています。笠間には旧友の佐藤和美さんがいて、佐藤陶房はいつもお客さんがいました。自分がやっている仕事と益子・笠間の作家の方々の作る作品の用途的な違いはあっても、同じ陶には変わりなく、いつもいい刺激をもらっています。和美さんの一見ボソっとした器に、実は細かな計算があって、それが多くのお客さんを引き寄せているのだということを改めて知りました。

ギャラリーに「鳥瞰」アップ

個展に出品した「鳥瞰」はレリーフによる屏風です。天空を飛ぶ鳥の目で見た世界を表そうとしたもので、全体はごちゃごちゃした構成になっています。ひとつひとつは抽象形態ですが、集合体になると具象的な景観になるようにしたつもりです。世界遺産になっている中世の街並やら敷石しか残存しない遺跡などを下地にしています。とくに旧市街の入り組んだ路地を上から見るとその無計画さが面白くて飽くことなく見入ってしまいます。そんな興味から「鳥瞰」は生まれました。