「ラ・マシン」都市の劇場化

先日の日曜日に知り合いの美大生と横浜のみなとみらい地区に出かけていき、横浜開港150周年記念事業のひとつとして来日している巨大グモを見てきました。フランスの「ラ・マシン」が制作した動くオブジェは朝のうちは埠頭のクレーンに吊り下げられていました。自分は午後から用事があって実際に巨大グモが動くところはテレビで見ただけにすぎませんが、それを目の当りにした美大生は雰囲気を満喫できたようでした。これはアート性のあるイベントで、現実の都市空間がたとえば映画になって、それをリアルな状態で観ているかのような錯覚に陥るようです。単なるパレードとは一味違う都市の劇場化に興味を持ちました。一般受けするサブカルチャーではあるけれど、そのスケールと発想に理屈抜きで楽しめる要素があると思いました。Yutaka Aihara.com

笠間からのお誘い

茨城県笠間に住む陶芸家からゴールデンウイーク中の陶炎祭開催のお知らせが送られてきました。今年の陶炎祭のパンフレットは墨で描かれた赤い線(というより面)が印象的なデザインでした。笠間に住む陶芸家の人たちは今年どんな作品を作っているのでしょうか。やはり気になって、混雑が予想されるゴールデンウイークに笠間に出かけてしまいます。恒例になっている友達との再会行事ですが、楽しみでなりません。いつもならとても静かな町が、この時ばかりは観光客で溢れます。車も渋滞するというのに、やはり友達や作品に出会いたい一心で、朝早くから陶炎祭の夜祭りを迎える深夜まで、そこにいてお喋りに興じます。今年は、いや今年も5月3日あたりに行こうかと思っています。  
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本・オブジェについて

通勤電車に揺られながら読んでいるエッセイは、現代美術と文学を結びつけた刊行物に関するもので、興味が尽きません。書物は昔から大好きで、読書三昧の時期もありましたが、社会に出てからは読む時間が作れず、今は好きな美術関係の本ばかり漁って読んでいます。本は活字に溢れ、それを読むことによってイメージが構築され、様々な世界が立ち現れては消えていきます。本というイメージの閉じ込められた宝庫に溺れてしまいたいと何度思ったことか知れません。本そのものをイメージで造形化する試みはかなり以前からあって、これが本なのかオブジェなのか判断できないものが美術品として流通していたことも30年程前にはずいぶんあったようです。自分は当時美術を齧ったばかりの学生で、表現もままならず、それでも本のオブジェ化、またはオブジェの本への接近を興味をもって眺めていた記憶があります。こうした試みは一時で終わらないでほしいと願っている自分がいます。

「アララットの舟あるいは空の蜜」

表題は画家加納光於と詩人大岡信の共作によるオブジェです。学生の頃、どこかの画廊か美術館で見たことがあります。いわゆるボックスアートですが書物としての意味もあるようで、解体すると細切れになった詩が現れるそうです。その詩は読むことも出来ないほど素材に取り込まれていて、なにか謎めいた面白さを感じます。今通勤電車の中で読んでいるエッセイに詳しい経緯が書かれていて、昔の記憶を呼び覚ましながら、再びこのオブジェに興味が出てきました。いろいろなものを寄せ集め、また素材から造形して、イメージを具現化した箱物はその収まっているモノをひとつずつ解明したい衝動に駆られます。じっと眺めているだけでは気持ちがおさまらなくなるかもしれません。自分もこうした作品に魅かれる一方で、「見せない」「閉じ込める」という行為に一体どのくらい意味を持つのか素朴に疑問を感じていた学生時代に戻されていくのを感じました。                Yutaka Aihara.com

図録レイアウト打合わせ

7月に予定している東京銀座のギャラリーせいほうでの個展。今回は「発掘から構築へ」と副題をつけて行います。それに先がけて図録を準備します。今日はその打ち合わせがありました。細かな情報はまだこれからですが、先日撮影した「発掘〜赤壁〜」と「構築〜起源〜」の画像を見ながら、図録に採用する写真を決めました。レイアウトは自分自身でやっていますが、これも自分の作品だと思っています。ただカメラマンやアートディレクターの助言は大切に受け止めています。自分の要求と画像の加工技術の折り合いをつけながら話を進め、何とか今回もいいものが出来そうな手応えを感じました。自分にとってこの打ち合わせはとても楽しい時間です。自分が追い求めてきた世界が別のカタチになって、さらに鮮明に浮かび上がることに喜びを感じないわけがありません。アナログ(素材)とデジタル(画像)の両輪があって作品が完成すると考えてもよいと思います。 Yutaka Aihara.com

ホッとする週末

新しい職場に慣れていないせいか週末になるとホッとしています。少し前のように時間に追われて作品を作ることはなく、ゆっくりとした時間の中で週末を過ごしています。自分は年間を通して週末に創作活動を行っているわけですが、この週末の過ごし方にも緩急があって、今は本当の意味で休息の時期なのです。とりあえず7月の東京銀座での個展に出品する作品がほぼ出来上がっているのが休める要因です。今日も歯の治療に出かけたり、近隣のスポーツクラブで水泳をして過ごしました。また家の掃除もしようかと思っていたりして、これは多分一般的な休日の過ごし方なのかもしれません。でもこうしたホッとするような週末は長く続かないことも承知しています。やりかけた作品はまだまだあります。これからやりたい作品もあります。近いうちにまた制作三昧の週末がやってきます。

新しい職場の親睦の会

新しい職場に異動してきて2週間以上が過ぎました。今晩は新しい職場の人たちと飲む機会がありました。ここで今までとは違う関係が作られて、お互いの仕事がやりやすくなるのです。腹を割って話せる関係作りというわけで、人間関係を円滑にするための飲み会でした。話してみればわかりあえることがわかって、ちょっとホッとしました。組織としての仕事はもう始まっていて、慌しい日常がどんどん過ぎていきますが、エンドレスな仕事をちょっと休んで、みんなで楽しんだ夜でした。自分が管理職として、どんな受け入れられ方をしているのか、職場の中で困った問題を抱え込んでいる人はいないか、チームとしての活力はどうなのか等具体的な話が聞けてよかったと思いました。 Yutaka Aihara.com

心の声を聴く

一日の大半を過ごしている職場では、たくさんの情報が飛び交う中、それらを整理し、まずどこから着手するかを判断して仕事に臨みます。仕事に優先順位をつけているのです。そうした情報の坩堝の中でやっている自分は、週末だけは外からの情報を入れずに、自分と向き合っていたいと切望しているのです。自分に問いかける行為は創作には必要なもので、心の声を聴いて、そこから湧き上がるイメージを捉えたいと考えます。創作行為には時に引きこもる時間があって、じっと部屋で蹲っていたいと常日頃から思っています。慌しく動いている日常の時間の中では、モノを作ることやモノ作りに到達する思考錯誤さえ考えられないと感じています。
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4月のRECORD

一日1枚のペースでポストカード大の平面作品を作っているRECORDは現在3年目に入っています。昨年から月ごとにテーマを決めて取り組んでいますが、このテーマに縛られて思うように進まない時もあります。それでもパズルでもやっているかのように、手枷足枷を嵌められている中で、可能な限り展開できるという自信もついてきました。今年の年間テーマはパターンの中で展開する図形作品です。4月は円形を中心にすえたパターンをやっています。ちょうど矢の標的のような図形を描き、それをベースに作品を作っています。場合によって色彩も大きな役割として作品の要素に加えています。カタチだけではなく色彩のもつ力を感じないわけにはいきません。無機質なカタチの上にうっかり垂れてしまった色彩のシミやにじみが面白いと感じたことがきっかけになりました。                  Yutaka Aihara.com

「彫刻の呼び声」を読んで…

表題は峯村敏明著「彫刻の呼び声」(水声社)で、銀色一色のシンプルで現代的な装丁に魅かれて購入しました。彫刻とは何かを問う真摯な評論集で、時間をかけてじっくり読み込みました。一貫したテーマである「存在」を美術界の様々な状況の中で提示されていました。こうした哲学的な思索は、自分の作っているものが一体どうなのかを自問自答する機会にもなって、大変刺激的です。つい職人的な手わざに走る近視眼的な傾向がある自分には、自分の今までの制作を振りかえり、自分なりに彫刻とは何かを自分に問いかける必要を感じてしまいます。というのは彫刻を通した思索とその具現化が、自分をして作品を作らせる動機になっているからです。通勤電車の中で、とつおいつ読んだ数週間でしたが、周囲が気にならなくなるほど没頭していました。

3年経って歯の治療

このブログを書き始めた頃に、歯の治療をした感想を載せた記憶があります。彫刻制作の工具と歯の治療に使われる器具が似ているように思われたので、そんなことを書いたように思います。ちょうど3年前のことです。そしてまたしても歯の治療が始まりました。上顎の糸切り歯の裏に違和感があり、歯医者に行きました。虫歯になっていると言われ、彫刻で使うルーターのような電動器具で虫歯を削り取られました。仮詰めをして、また次回。歯が痛かったわけではなかったのですが、早めの処置をした按配です。歯医者は馴染めません。まぁ馴染める人は歯科研修医くらいなものかもしれませんが、自分の歯を大切にしたいと感じた一日でした。           Yutaka Aihara.com

卒業制作を思い出す

個展やグループ展の搬入や搬出を手伝ってくれている知り合いの美大生がこの4月で4年生になり、卒業制作をどうするのかという話になりました。今まで大学から出された課題に対し全力で取り組んできた彼女は所謂優等生で、それなりの評価を得てきましたが、今度ばかりは絵画や彫刻やデザインの専攻を超えて、やりたいことをやりたいようにやればいいじゃないかと助言しました。ずっと宙を見つめていた彼女が、何をやればいいのかわからないというようなことをポツンと呟きました。そういえば自分にも同じような経験があります。漠然と非具象彫刻に憧れていた自分が、卒業制作に向けて自分の憧れをカタチにしようとエスキースを始めたのですが、一向にカタチが出てこなくて、自分が一体何がやりたいのかわからなくなってしまったことがあるのです。結局4年間やってきた人体塑造の代表作を展覧会に出した思い出があります。4年間で自分のことが把握できずに卒業した自分を棚に上げて助言していたことに気づいたひと時でした。           Yutaka Aihara.com

植木畑に広がる空間

現在開発工事が進んでいる介護施設の建設現場に隣接して亡父が残した植木畑があります。ちょうど自宅の裏になるのですが、自宅のある土地より植木畑はずっと広いのです。そこに倉庫を建てる予定で、父の従兄弟にあたる人が週末のたびに来て、植木畑の整理をしてくれています。ぶらりと見に行くと、植木のほとんどが手入れをされて、さっぱりとした空間が広がっています。これほど空間造形感覚を刺激されることは滅多にありません。土地の広がりと所々残る木々が絶妙なバランスで存在しています。植木が間引きされたことで、残された木々が存在感を示して豊かな空気を漂わせているのです。今制作を中断している自分が空間を感じ取れる唯一の場所であり、じっとそこに佇んで思索をしていたい衝動に駆られるのです。        Yutaka Aihara.com

プチ歓送迎会

前の職場の仲間が小さな歓送迎会を開いてくれました。職場全体の歓送迎会は2週間後にあるのですが、気のおけない仲間が集まった歓送迎会は時間を忘れるほど楽しくて午前0時をまわってしまいました。とにかくこの一週間は疲れました。慌しく一週間が過ぎていったという感じです。自分を取り戻す暇がありませんでした。せいぜい夜ブログを書く時とRECORDを描いている時だけ自分の時間を生きている実感がありました。プチ歓送迎会ではそうした自分の創作活動を理解していただいている人たちが多く、その中で自分は自然体でいられるのです。本当に楽しい夜でした。

自宅近くの開発工事

公共交通機関を使って通勤するようになって、自宅の裏の景観が日ごとに変わっていく様子がわかるようになりました。自宅は小高い丘の上にあります。その中腹を切り崩して、大きな介護施設が建つのです。今は重機が入って丘が削られ、土留めを作っています。そこはつい最近まで雑木林や畑があったところでした。景観がみるみる変わっていく有様は、人の記憶をどんどんリセットしていくようです。先日までどんなものがそこにあったのか記憶が定かではなくなっています。大きな切り株があるので、このへんは鬱蒼とした雑木林だったという漠然とした記憶を残すだけです。でもそこにあったたくさんの切り株は、何か彫刻にできそうな触覚的な印象を与えていました。「地球を彫刻する」と言ったイサム・ノグチのように自宅の裏では重機という塑造ヘラによって大地が彫刻されています。でもそれは彫刻的な共感は呼びません。合理的な建物がそこに現れてくると思っています。    Yutaka Aihara.com

7月の個展に向けて

7月に東京銀座での個展があります。毎年行っている企画で今年が4回目になります。陶彫と木彫を並べて出品する予定です。先日写真撮影も終わり、図録のレイアウトを考える段階になりました。前のブログに書きましたが、作品が集合彫刻で設置に時間がかかるので、作品を見たいときに見られず、そのため作品全体や部分を画像で見せることのできる図録には心血を注ぐのです。図録には自分の文章を掲載しています。言い訳にならないように、作品制作に纏わることを書いています。今回はどんなことを書こうか、これもじっくり考えていくつもりです。図録作りは楽しみのひとつでもあります。図録そのものも装丁デザインを取り入れた作品だと思っています。    Yutaka Aihara.com

離任の挨拶

今日は3月まで勤めていた職場に戻って、午前中に離任の挨拶をしてきました。4月は別れと出会いの季節です。午後は現在の職場に戻って、仕事の続きをしてきましたが、一日の中にたくさんの思い出が詰まっていて、走馬灯のように流れた時間でした。組織的な仕事はある一定期間チームで仕事をしていくわけですから、こうした別れと出会いがはっきりしたカタチで現れてきます。契約によって組織を組む仲間には、友達とは違うドライな関係があるわけですが、それでも仕事がうまくいかなくて全員で支えあう時やお互いを認め合う時や議論ばかりで紛糾する時もあります。そうした仲間との別れも決して胸中穏やかではありません。それを補うように新しいチームとの出会いがあって、今までの経験を次のステップに役立てていくわけです。また明日から新しいチームで頑張っていこうと思った一日でした。      Yutaka Aihara.com

各駅停車の通勤

職場が自宅から近くなり、電車の駅も各駅で三つ目で降ります。これは読書をするには中途半端な通勤時間です。電車に乗っている時間くらいし本が読めない自分はずいぶん長いこと鞄に同じ本を入れています。頭を使う現代彫刻の評論集は結構面白いのですが、なにせ通勤時間が短いので、読み始めて趣旨が面白くなるとまもなく目的の駅に到着してしまいます。それでも少しでも時間を大切にして美術の世界に触れたいと思っているのです。車中では気軽な小説かエッセイの方がいいかなと思いつつ自分が意欲を感じる現代彫刻の本は手放せません。少しずつ彫刻の理論を紐解きながら、自分のことをあれこれ思索するのが今の自分には必要と感じています。

農業用倉庫建設の計画

父が残してくれた畑の一角に農業用倉庫を建てようと考えています。実家には父が生前使っていた工具がたくさんあり、かつ自分の彫刻用工具も作業場にところ狭しと置かれているので何とか整理したいと考えてのことです。既に建築事務所に相談をしていて、その確認申請がおりたと連絡をいただきました。さっそく事務所に出かけ、壁や屋根の色を決めてきました。居住空間ではないので、内装はなく床もコンクリート打ちっぱなしの状態になりますが、自分としてはかなり満足しています。これから購入予定の窯をそこに設置しようかとも考えています。居住空間に土を高温で焼く窯があるのはちょっと具合が悪いなと思っていたところです。建築費用も無理のない範囲で出来ればと思います。                         Yutaka Aihara.com

思索という制作過程

造形活動への渇望を昨日のブログに書きましたが、3月まで勤めていた職場なら今週末は制作続行というスケジュールが組めたのに、今ではそういうわけにはいかず、今週末は自分のやってきた造形に対し、距離を置いて思索することにしました。いずれ図録に載せる文章もまとめなければならないので、頭で、あるいはイメージで制作する過程にしようと思います。今までの週末は朝から夕方までひたすら作業をしてきました。脇目も振らずというコトバ通りの日常でした。彫刻は素材の持ち味がイメージを左右することがあって、土を練ったり、木を彫る作業は作品のイメージを掴む上で欠かせない工程です。それは私的には健康な行為で、素材と対話をしていると気持ちが落ち着き、今を生きているという充足感が得られるのです。でも彫刻は空間に対し造形思考を提示するものなので、身体を使う作業と一体となって、常に空間を考えることをしてきました。ここで自分なりに考えてきたことをまとめ上げ、次の制作にどう展開させていくのか思索するべき時だと思います。思索こそ重要な製作過程であると思うのです。           Yutaka Aihara.com

造形活動への渇望

4月1日から職場が変わり多忙を極めています。朝、自宅を出て職場に着くと何もしないうちに夜になっています。そう感じるのです。帰宅中の電車の中で彫刻制作への渇望が湧いてきて、どうしようもありません。週末はやり残した仕事を片付けに職場に行きますが、明後日の日曜は何としても制作をしないとストレス解消になりません。どんな状況でも作品をやっていたいと思えるのが不思議で、たとえば獄中にあったとしても自分は作品をやっているのではないかと思えるのです。作品制作は楽ではありません。むしろ公務とは別の頭脳も身体も使うので、それはそれで結構きついのです。でも自分はそうした造形活動をずっとやっていきたい気持ちでいっぱいなのです。改めて自分の造形活動への渇望に気づいて我ながら驚いている次第です。  Yutaka Aihara.com

新任地で右往左往

職場が変わるということがどういうことか改めて認識しました。多くの文書が届いてもどこに持っていけばよいかわからず、鍵の管理やら業者対応に追われ、あっという間に時間が過ぎていきます。仕事がやり終えず超過勤務で今日はあえなく退出。こんなものかと思いつつ電車に揺られて帰ってきました。電車の中で読む現代彫刻の評論集がよい息抜きになります。待ち遠しい週末。制作がしたいと気持ちを膨らませながら、まだ制作途中で置いてある作品のことを考えていました。しだいに新しい職場にも慣れてくるとは思いますが、明日も右往左往して一日が終わるのでしょう。         Yutaka Aihara.com

4月 管理職としての転勤

4月になりました。横浜市の公務員である自分は今日から新しい部署に異動になりました。管理職としては人の多い部署で、なかなか大変な仕事かなと思っています。まだどんな仕事が待っているのか今のところはよくわかっていません。何があっても何とかやり通すだけです。職場が自宅から近くなりました。それだけが救いです。自家用車通勤はやめて公共交通手段を使った通勤にしました。朝も少々ゆっくりできます。昨日まで勤めていたところより30分程度家を出る時間を遅らせました。公務員として定年まで与えられている時間が少なくなり、この新任地で精一杯やっていこうと思います。 Yutaka Aihara.com

「古代・現代 思索する手」展の御礼  

昨日をもちまして表題の企画展が終わりました。出品者でありながら搬入とレセプションにしか参加できなかったことをお詫びいたします。また、ご来場くださった方々に感謝申し上げます。どんな感想を持たれたのか伺ってみたい気がしています。古代遺物と現代美術のコラボレーションは面白い試みだったと思います。今日の搬出にも業者だけを行かせてしまいました。お手伝いをしてくださったNTT群馬ユーホール友の会の方々に御礼申し上げます。また何かの機会に呼んでいただければ喜んで参加させていただきます。今日で3月が終わり、自分も新しい職場に転勤になります。でも制作はずっと継続です。それがあるからこそ自分らしく生きていけると思っています。この機会に知り合えた高崎の皆さま、十分御身体をご自愛ください。次の機会にお会いできることを楽しみにしております。            Yutaka Aihara.com

撮影された写真を見て…

先日撮影した作品写真がカメラマンから送られてきました。カメラを通した視点に制作者が気づかない面白さを感じ、自分はいつもカメラマン任せです。これもカメラマンと自分の間で感覚を通した信頼関係があるので出来る業だと思います。今回の視点も期待していた通り面白く、木の彫り跡や砂マチエールの画像化が、実際の作品より大きく見えるような錯覚を与えてくれます。自分の作った風景の中をカメラを携えた人が散歩しているようです。全体を捉えた画像、部分の連続したカタチを捉えた画像、隠されていた構成要素、色彩の変化など微妙なところを発見してくれて撮影しています。これをもとに新しい図録を考えていきます。アナログ世界からデジタル世界へ、作品が装いを新たにしていく過程を楽しめる時でもあります。      Yutaka Aihara.com

「発掘〜赤壁〜」の落款

つい先日まで制作していた「発掘〜赤壁〜」を全作品移動に伴い、梱包してこれも倉庫に持っていくことになりました。撮影のため組み立てていたものを分解したら、作品の部品に落款をつけていないことに気づきました。さっそく印を彫ることにしました。自分の作品はすべて新作ごとに印を作り、和紙に押印して番号をつけ、作品の見えない部分に貼り付けるのです。今回の作品につける印はやや小さめな印面にしました。2時間ほどで彫り上げ、作品に貼り付けました。字体は直線を使ったオーソドックスなもので、3月のRECORDに近い作風です。こうした印もだんだん増えてきて、印だけで展覧会ができそうな状況です。難しいことは考えず、絵のような構成をもった小世界くらいにしか自分は印を捉えていません。それでいいのかどうかわかりませんが、美術作品とすれば印は面白い世界を表現できるものではないかと思います。                           Yutaka Aihara.com

地元に依頼する父の畑

父が生前丹精こめて植木を育てていた畑があります。造園業だった父は競り市で植木を購入しては畑に一旦借り植えし、それを転売していました。その父も亡くなり、畑の管理が滞っています。そこで父の従兄弟にあたる人に植木の整理を依頼して、雑木林のようになった畑をきちんとすることにしました。父の従兄弟は自分の住む町内会の顔役で、自治会の会計監査をやっています。そろそろ町内会長になるかもしれません。そんな人に畑の管理をお願いするのは心もとないのですが、快く引き受けてくれました。植木の手入れは、かつて父の仕事を手伝っていたので自分にも出来ると思いますが、現状の自分の仕事環境では時間がなくてとても無理です。でも植木があるというのはとても美しい景観が出来て、この畑は何としても残したいと思っています。Yutaka Aihara.com

年度末の慌しさ

職場の書類整理を始めました。夥しい数の紙をシュレッターにかけていて、こうした資源の使い方がいいものかどうか疑問です。そうこうしているうち机の上が広くなりました。ずっとこの状態を保っていたいのですが、来月になると再び無残な状態に戻っていくと思います。パソコンのデータも整理しました。提出しなければならない書類があって、この時期になかなか大変です。作業場の方はどうなっているのか、作品の移動をやりたいと思っても勤務時間の中では無理なところがあって、やはり週末に移動するしかないのかと思いました。作品の移動を考えるのも書類の整理も疲れるもので、とても残業する気になれません。年度末の慌しさ。その後に別れや出会いが待つ季節がやってきます。                         Yutaka Aihara.com

作品の移動開始

現在の作業場から作品を倉庫に移動することにしました。作りかけの作品もありますが、一時倉庫に移動です。今日一日では終わらず明日も続行です。自宅の近くに大きい倉庫があればいいなと思うほど作品の量があります。現在はあちらこちらの倉庫に分けて収納していますが、一括して収められる場所が欲しいところです。彫刻家によっては首都圏から離れたところに作品を収納できる場所をもっている人が結構います。それも一案だと思います。自分の素材は陶と木材なので外に放りっぱなしというわけにはいきません。梱包して室内に収納します。しかも集合彫刻なので分解して、ひとつずつ梱包してあります。それだけでかなりの手間ですが、小さな部品になった時は実作品の倍の空間を占めます。車で往復しながら、それでも立体に拘る自分が嫌になることもあります。                      Yutaka Aihara.com

題名は「発掘〜赤壁〜」

新作の陶彫作品の題名を考えました。題名はシンプルで実体そのものというコンセプトで今までつけてきました。今回も同様で陶彫が置かれる台座を作品の中心にして、題名の由来としました。台座の側面を砂マチエールで覆い、赤い油絵の具で塗装したために赤く染まった壁ができました。そこで単純に「赤壁」としました。実はこの作品は連作として考えていたもので、灰壁や黄壁もイメージにあります。追々連作を作っていきたいと思います。先日作品の撮影があって、この「発掘〜赤壁〜」を組み立てました。何か昆虫のような生命体に見え、自作ながら不思議な雰囲気に楽しさを覚えました。Yutaka Aihara.com

文豪が愛した伊香保温泉

竹久夢二に続いて、伊香保を語る上で欠かせないものが、明治時代の文豪たちと伊香保温泉の関わりです。その中で小説家徳富蘆花は代表作「不如帰」に伊香保を登場させているくらい彼の地に思い入れが強かったらしく、徳富蘆花の住居も記念館に残されていました。私たちは記念館の喫茶室の窓側席を取り、外で戯れている野鳥を見ながら、ゆっくりとした時間を過ごしました。記念館内に保存されている住居の中に、徳富蘆花が臨終を迎えた部屋があって、何とも言えない気持ちになってしまいました。当時の伊香保を偲ばせる資料を見ると、夏目漱石、芥川龍之介を初め名だたる文豪が訪れていたことがわかり、伊香保温泉と文学との深い関わりを思わないわけにはいきません。山裾に広がる石段の続く小さな温泉街。そこに情緒を求めてきた人たち。伊香保温泉は自分にもいい時間を与えてくれたように思います。 Yutaka Aihara.com