肖像彫刻について

昨日のブログに具象に対する憧れを書いたのは、自分とは縁のない肖像彫刻について考える機会があったからです。先日長野県に行ってきましたが、碌山美術館に行く前に立ち寄った豊科近代美術館には高田博厚による肖像彫刻が数多く所蔵されていました。高田先生の著作は読んでいても、これほどたくさんの作品を見る機会が今までなかったので、少々驚いて感じ入るところがありました。高田先生は内外の著名人の肖像を作られている方で、音楽や哲学にも造詣が深く、理性と精神性をもった人というのが自分が捉えている高田博厚像です。確かに肖像には気品が漂い、巧みな表現に驚きました。ただ勝手な感想をもらすと、並べられている空間故なのか古さが目立ち、棺の中にいるような錯覚を持ちました。肖像彫刻は造形的な普遍さはあってもその人が生きた時代を移す鏡のようなもので、鑑賞する側には何か作品以外のものがつきまとう感じを残すのは自分だけでしょうか。

表現や素材に対する浮気

ストイックな抽象表現をやっていると、具象的な表現に憧れ、人物を塑造してみたくなります。具象的なカタチには自分の頭では考えられない様々なカタチがあって観察を極めたくなるのです。抽象と具象は割り切って区別できるものではなく、具象を純化してみたり、また具象に戻ってカタチを発見したりの連続なのかもしれません。素材も粘土のような可塑性のある素材を扱う一方で、木や石のようなカービングをやってみたくなります。現在木を扱っているのも陶彫からしばらく離れて見たいと思ったからです。こうした浮気を繰り返して表現が深まるのだと思います。人との関わりではそういうわけにもいかないところもありますが、本能に忠実に生きている芸術家であれば、浮気な生涯を送ることもあるでしょう。

久しぶりに碌山美術館へ

荻原守衛(碌山)は自分が大学で塑造を習い始めた頃、最初に影響を受けた彫刻家です。その頃から碌山美術館に通い始めました。もう20年以上も前のことです。当時は新宿から各駅の夜行に乗ると朝早く穂高駅に着くので、そこから歩いて美術館に向かったものでした。昨日は池田先生宅訪問の後、久しぶりに碌山美術館に行ってみたくなりました。車で行くと、美術館の周囲が開けていて少し戸惑いました。向かいにあった蕎麦屋は変わらず、裏の中学校はこんなに大きかったかなと改めて思い返しました。中原悌二郎等の作品が新館に移り、かつて展示してあったところが売店になっていました。碌山の作品を見て昔ほど興奮しなくなってしまいました。学生時代の感傷に浸る程度のもので、何か不思議な感じがしました。

キリスト教彫刻と「エルミタ」

池田宗弘先生の最近の仕事はもっぱらキリスト教に関するもので、麻績のアトリエもいずれ祭壇を作り教会にする計画があるそうです。画家藤田嗣治はフランスの田舎に小さな礼拝堂を建てて自作の壁画で飾り、自らもそこに葬られていますが、池田先生も同じようなことを考えているのでしょうか。先生のアトリエは「エルミタ」と称しています。隠れ家という意味だそうで、彫刻界では数々の賞を取った先生ですが、今は世間に惑わされず、隠れ家でやりたいことをやっていくとおっしゃっていました。数年前に奥様を亡くされてから自炊を余儀なくされたようですが、今はレシピを書かれるくらい料理を工夫するようになったともおっしゃっていました。秋にまた来ますと約束して「エルミタ」を後にしました。

長野県東筑摩郡麻績村へ

中央高速を松本方面に向かい、さらに長野自動車道を北に進むと麻績インターがあります。そこで降りて山道に入ると民家がなくなります。木立に囲まれた細い道をさらに進むと、木立の間に真鍮の彫刻がいくつも立っている風景が目に飛び込んできます。その奥まった所に修道院のような建物が現れます。壁で囲まれた一角に入り口があり、中に入ると所狭しと彫刻が置かれています。野外と室内が一体となった工房は、まるで鍛冶屋のようでもあり、鉄工所のような雰囲気です。2階はリビングとダイニング。そこで工房の主人はいつも自分を暖かく迎えてくれます。これが池田宗弘先生のアトリエです。彫刻作品とともに環境も作品のうちだと言いたげな空間です。それが味わいたくて、また刺激をもらうために今夏も師匠に会いに出かけます。

乾いた土地で潤いのある空間を見た時

先日から書いている土地にまつわる話です。日本でやっていた造園の仕事とヨーロッパでやっていた石彫の仕事。それぞれ親方の下で半端な助手として働いていましたが、滞欧生活2年目で訪れたパリでその融合とも思える作品に出会いました。イサムノグチによるユネスコ庭園です。そこにはムアやピカソのモニュメントもありましたが、楚々として存在する日本風の庭園には自分の心の隙間に忍び寄ってくるような麗しさがありました。植木の手入れはあまり行き届いていなかったのですが、突如目の前に現れた懐かしい空間にしばらく腰をおろして眺めてしまいました。ただし父譲りなのか、庭園のメンテナンスに疑問も感じました。日本だからこそ職人がいて常にきちんと保つことの出来る庭園なのです。外国では無理な部分もあると感じました。

乾いた土地で体感したこと

中学生の頃から大学卒業まで父の家業を手伝っていて、そのアルバイト代を貯めてヨーロッパに出かけました。気候風土は日本の湿った環境とはまるで違い、乾燥した空気に心地よさを感じました。日本のような肥沃な土地ではないため野菜や果物の種類が少ないことはありますが、オリーブやワインが美味しく、また酪農に支えられてきただけあってチーズやヨーグルトは日本では味わえないくらい豊富な種類がありました。当時ウィーンの美術学校に通いながら石切のアルバイトをしました。造園とはまるで異なる仕事。乾いた空気の中で石の粉を浴びながら、ハンス・ムアという作家の噴水彫刻作りを手伝っていました。こういう仕事は自分に向いているのかどうか、同じ下働きをしていた同胞の石彫家と自分を比べて、自分に本当に合った仕事は何なのか、ずっと考えていた毎日でした。

潤いのある土地で体感したこと

潤いと書くと好印象をもちます。たしかに日本庭園の瑞々しい緑を見ていると日本の風土が樹木を育てるのに肥えているのがわかります。父はそんな仕事をしていましたが、自分はこの仕事にあまり協力的ではありませんでした。敷石の並べ方、蹲の配置など面白いところもありましたが、ほとんど父や他の植木職人が刈り込んだ樹木の下に這いずって入り、落ちた枝や葉をかき集める仕事はつらいものがありました。土地が潤っているということは雑草も多ければ虫もいました。害虫に刺されることもしばしばありました。泥だらけになって作り上げる庭園に、心では美しさを感じることはあっても、身体では嫌気がさしていました。庭園を達観して楽しむには学生だった自分にはまだ先のことだったようです。

霊界と交信する夏

ドラマのようなタイトルを考えましたが、今日は父の四十九日の法要でした。実家は生前の父のものがすべて残されているので、たとえ今日を迎えたからといって父の存在をすぐ払拭できるものではありません。とくに造園の職人だった父は、植木の刈り込み鋏や木の枝を払う鉈や鋸が母屋と向かい合う倉庫にあって、これら愛着のあった道具にはやはり父の魂が宿っているように思います。畑にも植木がかなり残されています。いずれ何とかしなければと思いつつ、家業を継ぐことはなかった自分には大きな課題となっています。ただ造園と自分がやっている彫刻とは決して無縁ではないと思います。加えて祖父も大工だったことを考えると、霊界にいる祖先はきっとこんな自分の仕事を許してくれているのではないかと勝手なことを考えた一日でした。

自然の再現

観光地で訪れる人が多くても、京都の寺院のそれぞれの庭園はどれも心地よい印象を与えてくれます。仕切られた空間のほどよい広さ。自然石の配置。波に見立てた白砂。老樹の枝ぶりなど一瞬にして心が吸い込まれます。それは石や樹木や苔が単体としてではなく、それぞれが集合体としての位置や役割が与えられ、そこに雄大な風景を感じさせる空間を形作っているからだと思います。先月他界した父は造園業を営んでいて、主に個人住宅の庭を手がけていましたが、たとえわずかな空間でもこうした模擬的自然を演出したい人が多いことに、父の仕事を手伝いながら感じていました。自然の再現は人を癒す効果があるのでしょうか。

氏名文字の再構成

今制作中の彫刻作品に貼る印の下書きに入りました。今回は縦4センチ、横5センチの横長特大版です。石がこれだけ大きいと印床に収まらず、手で押さえて印刀を入れることになりそうです。氏名は篆書や草書ではなく普通のゴシック体にしました。でもねらいは文字のカタチをいろいろ変えることにあります。漢字が読める読めないはいっさい無視して、縦横の線を画面の構成要素として扱うと、まるでモンドリアンが木の枝を発展させて線と色面だけによる純粋な抽象に向かったように、自分の氏名も抽象化していきます。氏名と見て取れるギリギリのところでエスキースをやめ、印としてまとめることにしました。これを落款として彫刻が完成したら押してみたいと考えています。

長距離タイプ

空調設備のない場所で手許だけ見つめて、ひたすら木を彫る作業を続けています。持久走のようなものです。今日もやらなくっちゃと蒸し風呂のような部屋で仕方なく思うのは朝始める時だけで、これを乗り切るともう大丈夫。汗をかくと身体が動きやすくなるのでしょうか。夕方作業が終わって一息ついて、それから横浜国際プールに行ってひと泳ぎしてきます。だいたい3キロ。これを1週間続けていたのですが、さすがに疲れてきて泳ぎの方は時々休むことにしました。自分は明らかに長距離タイプです。一日のリズムができると結構継続するものです。余計なことを考えず、これをずっと続けていけたら幸せかなと思う毎日です。

ながら作業

作業場には朝からラジオが流れています。「FMヨコハマ」をよく聴いていて、心地よい響きになっています。番組の途中にクラシックが何気なく流れたりすると思わず聴き入ってしまいます。「ながら作業」というもので、単純な手彫りの時は効果的です。数年前、同じような暑い夏のひと時にFMから流れたJポップに感動してしまったことがありました。友人に話したら一笑されましたが、その時はふと手を止めてしまいました。そんな曲は実は2つあって、ひとつが平井堅の「大きな古時計」、もうひとつは夏川りみの「涙そうそう」でした。まだこれらの曲がヒットする前のことです。

「無言館」にて終戦を思う

今日は戦没者追悼式が行われました。自分は戦後世代なので第二次大戦がどんなものであったかわかりません。昨年の夏は信州にいて、戦没画学生の作品を集めた「無言館」を訪れていました。今年も今月下旬に恩師のアトリエがある長野県に行くつもりなので、「無言館」に行こうかと妻に話したところ「無言館」にはしばらく行かないと言うのです。そのくらい「無言館」にある作品の数々が、私たちに厳しく切ない状況を語っていたのでした。美術を志す者であれば一度は見ておいた方がよい美術館です。そこにある作品が20代そこそこの学生が書き残した習作であっても、そこから作者が歩んだ異常な状況を考えると何ともいえない命の輝きが見て取れるのです。よくぞ収集できたものと感慨一入の一日でした。

囲むカタチ

何本もの柱に文様を彫り、その柱を円形に立てて囲むカタチを作りたいと考えています。現在進行している彫刻ですが、前にブログで書いたとおり今は構成要素となる部分(柱)を作っている最中で、これを組み合わせるとひとつの作品となる予定です。ちょうど建前のような骨組みだけで表現するつもりです。壁ではなく柵で囲むイメージです。柱はまだ荒彫りの段階で全体の数の3分の1程度です。来年1月まで制作は続きますが、毎日制作できるのは8月をおいて他にはありません。工程を考えると焦ることもありますが、今までもギリギリのところでやってきているので何とかなるでしょう。今日も余力を残して終わりました。

制作の集中力・持続力

今日は作業場に人が来ず、一日中無言のまま制作を続けました。こんな日もたまにはあるのです。木に鑿を振るい、木と対話しながらカタチを彫り起こしていく作業です。午前9時から始めると1時間ほどで気が乗ってきます。さらに2時間は集中力がもち作業はぐんぐん進みます。ちょうど昼ごろから緩慢になります。バイオリズムというか気が緩む時間が決まっています。昼食をとるとさらに気が乗りません。集中力と言うのは多少腹が減っている方が持続するのかもしれません。それでも頑張っていると午後1時過ぎから気が入ってきます。また2時間。午後3時を過ぎるとまた緩慢な時間が襲ってきます。午前1回、午後1回の集中力。ここまでで終了。さらに続けると毎日がつらくなります。長いスパンで制作するなら余力を残して終わるのがいいと思います。大作ならではの身体調整方法だと思っています。

魂入れの法事

墓地を菩提寺に移したことで今朝は「魂入れ」という法事になりました。昔からあった小さな墓地を掘り返したときに「魂抜き」をやっているので、今日は「魂入れ」です。魂を抜いたり入れたりすることは滅多にないことなので、浄土宗の不思議な念仏に興味津々でした。盆休みが始まっていますが、この盆とは何か、仏教行事に不勉強な自分には単純な休みにしか思えない有様です。何に向かって、誰に対して祈るのか。祈る心は誰にもあるものですが、人の立場によっては国際問題になりかねない場合も含んでいます。祈る心とは別に、多少宗教のことも勉強しなければと思いつつ今日を過ごしました。

屏風の面白さ

陶彫レリーフを屏風にした「発掘〜鳥瞰〜」を制作中の頃、主に日本画で行われている屏風表現がもっと様々なカタチになっていけたらいいなと思っていました。それから屏風を使った表現を考えるようになり、自由なテーマによる屏風の構想がずっと頭にあります。たとえば屏風は折り畳んでコンパクトになることや奥行きのない場でも風景等が立体として表現できることが素晴らしいと感じています。日本的というか、先人たちは巧みなことを考えたものだと思います。

365個で構成する作品

コンセプトを大事にするならアイデアはとても人に言えないところです。自分の作品にもコンセプトはもちろんありますが、むしろ手間暇かかるので、比較的軽い気持ちでアイデアを人に話してしまいます。そこで今考えている作品に「365個で構成する作品」というのがあります。つまり1日必ず1個の作品を作り、1年間で完成する作品のことです。病気になろうが、制作以外の仕事で多忙になろうが、必ず1日1個。今日は調子がいいからといって数個作ることは一切せず、必ず1日1個。日々習慣のように作り上げることをあえて自分に課してやってみるのです。その行為そのものも作品のコンセプトにしたいと考えています。これは1年間やらねば意味がないと自分では思っています。つまらないコンセプトかもしれませんが、手間暇かかる行為でかなり説得力のある作品になるかもしれません。いずれチャレンジしようと思っています。

真珠の耳飾りの少女

ぼんやりテレビを眺めていたら、しっとりとした色彩が全編を覆う画面が映し出され思わず見入ってしまいました。アトリエの窓から淡い光が入り、佇む人物や身に着けた衣装に微妙な陰影を作っていました。まさにフェルメールの絵そのもので、流れる映像のどこを切り取ってもフェルメールでした。この映画はフェルメールが「青いターバンの少女」を描くまでの過程を推察しドラマ化したもので、とくに映像美を極めているところが目を見張りました。(ケーブルビジョン26chで放映)

イサムノグチの原爆慰霊碑

ヒロシマに関わることをブログに書いていたら、もうひとつ脳裏をよぎったことがあります。イサム・ノグチは学生時代からよく知った彫刻家ですが、彼の作ろうとした原爆慰霊碑があったことです。これの存在をつい最近まで知りませんでした。数年前、ドウス昌代著による「イサム・ノグチ」を読んで詳細な事実を知りました。その後、いつぞやの個展で雛形を見ました。シンプルでいて優しく力強い形態はモニュメントの傑作だと思いました。特に地下に意味を持たせたことに興味を持ちました。自分は地下が造形されているものに敏感に反応してしまうのです。ただし国籍や政治的な理由でそうした優れた作品が退けられたとすれば残念でなりません。

ヒロシマのある国で

「ヒロシマのある国で」という合唱曲があります。「八月の青空に今もこだまするのは若き詩人の叫び、遠き被爆者の声〜」で始まる歌です。昨日はヒロシマに原爆が投下された61年目の記念日でした。何年か前に広島を訪れた時は記念式典の後だったので、いくつもの花束や千羽鶴がおいてありました。その時は長崎にも足をのばしました。埼玉県にある「丸木美術館」にも行き、「原爆の図」も見ました。歴史の負の部分を自分もしっかり見ておかなければならないと感じたからです。そうしたことを作品化する必然は自分にはありませんが、被爆国に生きる一人としての自覚はこれからもずっと必要だと感じています。

武装のイメージ

作業場に教え子が来て、武器を作っているのかと聞かれました。確かに柱の先を尖らせて文様を加えた作品は槍のようにも見え、それらが数本立てかけてある作業場は異様な雰囲気です。いずれ20数本を彫り上げ、組み合わせて囲むカタチを作ろうとしているのですが、以前のブログにも書きましたがパーツをひたすら作る今は黙して語らずです。柱が槍に見えるとすれば武装されたイメージにも捉えられるのでしょう。連日イスラエル軍のレバノン空爆がテレビで伝えられている情勢からすれば、メッセージ性も感じ取れるのかもしれません。自分は社会情勢から作品化を思い立つことはありませんが、数年前にも陶彫で都市を表現して発表した時も、ニューヨークのテロを彷彿させるという感想をいただきました。人が住むところをイメージして作品化するということは、人と人との関わりを描くことになるのでしょう。

嗜好品ないものねだり

海外で暮らしていた頃は、米を炊いて、高価な醤油を使って料理していました。日本食くらい美味しいものはないと思っていました。帰国した時、実家で食べた米飯の味は忘れられない思い出です。ところが今はパンに凝っています。クリスマスの時によくドイツで食べられていたシュトレンが食べたくて、それに似たドライフルーツのどっさり入った黒パンを探しています。最近では日本のパン屋さんでもクリスマスになるとシュトレンを売っていますが、年中というわけではありません。鶴見にあるロシアパンを扱う店でシュトレンに似たシンデレラというパンがあって、風味と噛み応えがとてもよいのです。日本にいて何でこんな味覚が恋しいのか、よくわかりません。ないものねだりは嗜好全てにあるようです。車も日本車を手放して、扱いにくい外車にしたのもその表れでしょうか。

叔父の哲学につきあう夜

妻の叔父にあたる人に量義治という哲学者がいます。個展や横浜のグループ展の案内を送るとよく来てくれます。叔父はカント哲学を研究し著作も出しているのですが、贈書していただいたにもかかわらず、読み始めの途中で投げ出してしまっているため叔父には顔向けできません。自分は昔興味を持ったシュペングラー「西洋の没落」も途中で挫折し書架に眠っているので、こうした論文が苦手なのかもしれません。今回贈っていただいたのはキリスト教に関する小冊子です。これならイケると思い、読み解くことにしました。口当たりの良い文章に慣れている身には久しぶりに味わう構築性の高い文章です。内容は無洗礼等における無教会主義。キリスト教解釈のひとつでしょうが、真理を探究するにはこうした方法論もあるのかと恥ずかしながら初めて知りました。哲学や神学に造詣の深い叔父なので、芸術にはどんな思想をもっているのか、一度話が聞きたいと思うこの頃です。

歯の治療

今年初め、図録作成の撮影会の時に作品を持ち上げたら、奥歯にある差し歯が取れてしまいました。ずっとそのままにしておいたら、どうも具合が悪いので思い切って歯医者に行きました。差し歯はたいしたこともなく新しく作ることになりました。ところが別のところに虫歯が見つかり、治療を続けることになりました。今日は虫歯になった歯を根本から治すというので何とか耐えてきました。興味を覚えたのは歯型を取る時に使うゴム状の材質、肌理の細かい石膏、歯を削る時に使う器具の種類等でした。彫刻の制作工程にも似た作業で妙に親近感がありました。でも治療室の雰囲気はどうも親近感とはほど遠いもので、通うのがシンドくなりそうです。

8月は矢の如し

8月になりました。毎年のことですが、8月は集中して作品制作に明け暮れるため、あっという間に過ぎてしまいます。まさに光陰矢の如しです。今月をどう乗り切るかで来年の展覧会出品が影響してきます。計画はあえて少しばかり無理のあるものにしています。ハードルを高くすることで自分を鼓舞させるのです。日々坦々とした作業ですが、休むことなく焦ることなく牛歩の如く仕事をこなしていきます。集合彫刻なので、パーツをひたすら作ることに没頭しているのです。これが全て出来上がり組み始めた時、心はざわめいて焦燥感と満足感が交差します。これは冬になってからのお楽しみです。今は黙して語らずといったところでしょうか。

ギャラリーに「円形劇場」「礼拝堂」アップ

ギャラリーに先月末ふたつの作品をアップしました。コトバを書くことで造形が甘くなることがあるだろうかと自問自答しています。文学性に逃避してカタチに真正面から向かうことができていない作品を多く見かけるからです。そうしたことが自分の満足を得るならそれでよいと思いますが、自分が造形をする時にはコトバは介在しません。コトバを操る時は造形を見ずに、発想がどうであったかに注目して、コトバを生み出すようにしています。カタチとコトバ、どちらに寄りかかることなく自立した表現でありたいと願うばかりです。

手仕事のこだわり

今や現代美術の表現は多様化し制作方法も様々です。自分の方法は従来の方法と変わらない古典的なものです。額に汗して木を彫る、または土を練ることが自分にあった方法なので、この世界に関わった時からずっとこれでやっています。作業場は空調設備がないので、この季節は汗が滴り、作業着を何回も替えて朝から夕方まで仕事をします。手仕事は一気呵成にはいかないので、毎日坦々と行うのがよい方法です。職人のような生活ですが、日々のここちよさがあって苦にはなりません。梅雨明けして本格的な夏を迎えましたが、木材を荒彫りしていると、そこにだけ涼風が立つような木の爽やかさを感じています。

先祖を思う夏

先日父が亡くなり、墓地を移転する計画が持ち上がりました。我が家の墓地は地方に行くとよく見られるような田畑の一角にある本家.分家の小さな墓地です。今では「こども自然公園」に行く道端になって区画もはっきりしないままです。そこで菩提寺である浄性院に墓地を移そうと言うことになり、墓碑も新しくすることにしました。昨日は移転するため魂抜きを行い、墓地を掘り起こしました。祖父以前は土葬でしたので、かなり気が滅入ることになりはしまいかと思いを巡らせましたが、墓堀り職人の手際の良さもあって、あっさりと終わりました。相原の一代目は市五郎という人で分家をして田畑を耕し、二代目の銀蔵は近隣では有名な大工だったようです。三代目の鶴松も大工の棟梁、四代目の市太郎は造園業、これが父なので自分は五代目になります。いずれも勤勉な先祖だったようで、貧しい小作人から出発し、やがては屋敷を構えるようになったと亡き祖母からよく聞かされました。自分はといえば芸術に現を抜かし、どうも先祖に顔向けできないナマケモノになっているようです。先祖はあの世で相原家の行く末を心配しているでしょうか。

彫刻を学び始めた頃,その後

今読んでいる本は保田龍門遺稿「自画裸像」です。大学で彫刻を学び始めた頃、同大にいられた保田春彦先生にご挨拶すらできなかった理由は、先生の御尊父が保田龍門で、父子ともに自分にとってみれば雲上の人に思えたからです。自分が彫刻に目覚めたきっかけになった人は荻原守衛です。守衛と同じ志をもった保田龍門の作品にもすごい気骨があって真摯なものを感じていました。遺稿を読むと、その時感じたものが間違っていなかったと思います。貧困の中で美を享受できる喜び、造詣の深さ、その精神性において自分の姿勢が足元にも及ばないことを痛感しています。春彦先生にも堅固な造形があって、やはり近づき難い存在です。当時、そんな精神性を持ちつつ自由な発想と楽しさに溢れる作品を発表していた師匠を自分は選びました。それが池田宗弘先生です。池田先生は保田先生に負けず劣らず難しい気性の持ち主ですが(すみません)、自分にない軽やかな発想と頑固な姿勢が大変気に入って、この先生について徹底的に学ぼうとしたことを思い出しています。