個展搬出の日を迎え…

始まれば、あっと言う間に終わってしまう印象でした。今日で個展が終了です。ギャラリーせいほうの開館時間に合わせて、大学生たちや職場の人たちが来てくれて朝から盛況でした。懐かしい人たちともお会いできました。こうした旧交を温める機会としても個展を開催して良かったと思いました。美大で彫刻を専攻する学生たちも教授に連れられてやってきて、卒業後の悩みを打ち明けていました。毎年見ていただいている写真家野掘氏から「手馴れた陶彫を、今回チャレンジした木彫と併せて展示するのはどうか?木彫だけで勝負した方がよかったのではないか。」という貴重なご意見を戴きました。搬出にはボランティアを含め8名のスタッフが揃って、梱包や運び出しをしてくれました。4回目の個展ともなると、自分も冷静に周りを見ることができます。来ていただける方、ご意見ご感想を述べていただける方、搬入搬出を手伝っていただける方、いろいろな人に支えられた個展だということを改めて確認して感謝している次第です。来年は木彫だけで勝負する年になります。「構築シリーズ」を始めます。来年もよろしくお願いいたします。明日から来年に向けて制作開始です。                 Yutaka Aihara.com

倉庫の引渡し日

農業用倉庫として建設していた作業場が今日完成を迎えました。収納庫も兼ねているので、明日の個展搬出で現在展示中の作品が、この倉庫に戻ってきます。大雨の中、業者立会いの下で鍵や書類の引渡しを行いました。自分にとっては記念すべき一日です。一時横殴りの雨になっていたので、雨漏りの具合を確かめることができました。雨漏りがないどころか、内部は空調設備がないにもかかわらず、空気は乾燥していて、モノを収納するのには最適な環境だと思いました。もともとここは植木畑だったところで、まだ植木を多く残しているので、外の環境も気に入っています。今後、倉庫内外で自分は創作活動に携わっていくつもりです。ここが自分の心の拠り所になります。とくに横浜市公務員を退職したあとは、自宅とここを往復する毎日になると思っています。                           Yutaka Aihara.com

「野村仁 変化する相」展

自分の個展開催中に東京の美術館を巡る旅を続けています。今日は六本木にある国立新美術館に行ってきました。「野村仁 変化する相」を見てきました。巨大ダンボールが自然に任せて崩れ落ちていく様を撮影して脚光を浴びた現代美術家の大掛かりな個展と知って、どんな思考を持つ人だろうと興味津々で会場を見て周りました。表現の根本に「時間」があって、しかも宇宙にまで視点を広げ、まるで観測のようにして表す作品は、果てない空間と時間とその偶然が織り成すもので、しばし悠久な時に思いを巡らせました。思索とは別に個人的な美意識で言えば、表現のひとつになっていた太古の樹木や化石の美しさに惚れ惚れしました。ただ、階下で開催していた「ルネ・ラリック」展に比べると観客層が若く、やはりこうした思考型の展覧会はまだまだ大衆に受け入れられるのに時間がかかるのかなと思いました。

「魔術的芸術」序論

シュルレアリスムの思想家アンドレ・ブルトンの「魔術的芸術」は、当時限定出版された豪華本で、なかなか手に入りにくい書物だったようです。全訳されたものが2002年に日本で出版されたので購入しました。本書は、太古から現代まで定着した美術史として網羅されてきた芸術作品を、独自の「魔術的」視点から、もう一度構築し直す内容になっています。その規模や見解からいって、本書はそう容易く読めるものではなく、今は序論としての「魔術的芸術」の単元をじっくり読み込んでいるところです。現代でこそ注目されている芸術作品は、少し前まで美術史の通念から大きく取り上げられることはなく、「魔術的芸術」の中で発掘され、評価を与えられていて、こうした多様な視点があったればこそ、現在に通じる芸術作品の価値判断が生まれたのだということを思い知らされています。読み進むほどますます面白くなる「美術史新解釈」は、今年の夏のマイブームになっていて、人に邪魔されない時間にとつおいつ読んでいます。

渋谷の「だまし絵」展

昨年もブログを読むと同じような行動をしていますが、東京銀座で個展をやっている期間を利用して、東京の美術館を見て周る計画を今年もやります。国公立美術館は通常月曜日が休館日ですが、昨日「海の日」で開館していたため、今日を代休にしている美術館が多く、今日は渋谷Bunkamuraのザ・ミュージアムくらいしか開館しているところがありませんでした。でもここで開催している「だまし絵」展はかなり大規模で、見応えがありました。ウィーン滞在時代に、よく美術史美術館で見たアルチンボルドの絵画にまた会えるとは思ってもみませんでした。出品されていたアルチンボイドはスエーデンやベルギーの美術館から来たものでしたが、野菜や魚を寄せ集めて顔を形成している絵画に滞欧時代の懐かしさを感じていました。視覚の詐術というか優れた技巧をもって表現された世界に面白さを感じ、洋の東西を問わない遊び心に思わず微笑んでしまいました。                 Yutaka Aihara.com

オープニング・パーティ

今日から東京銀座ギャラリーせいほうでの個展が開催されます。初日はずっと画廊にいました。声楽家下野昇さん一家、版画家加藤正さん親子、後輩の長谷川聡さん夫妻、横浜市民ギャラリーの藤田恵さん親子をはじめ、最近知り合った臨床心理士稲垣さん夫妻など、今日はさまざまな訪問者があって、楽しい時間を過ごすことができました。贈り物では朝日屋呉服店の森さんからランの花、平成音楽大学学長の出田さんから祝電、同僚の石月さんからお心づくしを戴きました。この場を借りて御礼申し上げます。美大生たちも来てくれました。個展も4回目となると来客がどうなのか心配しましたが、オープニングパーティでも、例年のように多くの人たちと話が出来て、とてもいい時間を持つことができました。また明日も画廊に通いますが、管理職である自分は午前中は職場に行って、午後から年休を取って銀座に向う予定です。Yutaka Aihara.com

個展搬入がやってきました

毎年のことで慣れたとはいえ搬入は骨が折れます。朝は昨日まで個展をやっていたアメリカ人女流彫刻家の搬出があったため、自分は午後1時に作品をギャラリーせいほうに運びました。業者2名、手伝い2名、家内と私の6名で搬入と設置を行いました。思ったより画廊の空間を有効に使っている気がしています。すっきりしてきたと画廊主から言われました。4年間のうち今回が4回目の個展で、回を増すごとにコンセプトがはっきりしてきたのかもしれません。じっくり見れば、まだまだ足りないところが目につくとは思いますが、今日のところはホッとしています。それにしても116本の柱の梱包を解くのは大変でした。明日から個展開催です。明日はずっと画廊にいる予定です。

倉庫の立会い検査

農業用として建設している倉庫の立会い検査がありました。床はコンクリート打ちっぱなし、内装はすべて鉄骨や照明配線がむき出し、ただし陶芸窯を設置するところだけは別の配線になっています。ガレージもあります。空調設備がないので、蒸し風呂のような暑さの中で、細かい補修が必要なところをチェックしました。農業用倉庫として建築されたものなので、やはり住居空間とは大きく違うなぁと感じました。いろいろなモノを収納するにしても広さは大変気に入りました。引渡しは24日(金)となりました。それまでに補修を終えて、いよいよ自分のものになります。これからここをどう使っていくのか楽しみながら考えたいと思います。              Yutaka Aihara.com

連休前に思う今夏のあれこれ

明日から三連休。その後も職場は夏季休業を取る人が増えてきます。8月の盆の休暇を前に、ぼちぼち夏の計画を立てる職場の人が多く見られます。自分も管理職といえども夏季休業は取ろうと思います。今夏の予定は、まず目前に迫った東京銀座での個展があります。次に亡父の残してくれた畑に建築中の倉庫の完成もあります。そこでの制作の再開。夏の間にまともな制作が出来るかどうかわかりませんが、ともかく広い場所が確保できるだけで良しとしています。今までは狭いところでやってきたので、幸運と言えば幸運なことだと思います。また、新潟県の越後妻有でトリエンナーレが開催されているので、ちょっと見に行こうと思います。長野県の彫刻家池田宗弘先生宅にも行きたいし、京都府の版画家渡辺聖仁さんにも会いたいと思います。読む本はアンドレ・ブルトンと瀧口修造に決めています。はたして計画通りにいくかどうか…楽しみながらアートと付き合っていける夏にしたいと思います。

混沌の中にある正方形

今月のRECORDのテーマは「正方形」です。今年は繰り返しパターンを続けていますが、今月はちょっと裏切って、正方形を単体で、しかも画面中央に据えてやっています。絵の具を散らせたり、無作為に垂らしたりして混沌とした世界を作り、そこに唯一正方形が浮かび上がる、といった世界を表現しています。図形がシンプルになればなるほど、展開が容易くなり、取り込める要素が多くなるようです。正方形は完璧で単純な図形ですが、なかなか雄弁に語ってくれる図形でもあります。陶彫でも立方体を作っていた時期があり、これも空間に対して雄弁な表現力を持っていると思いました。  Yutaka Aihara.com

梅雨明けの空に…

今年は例年より早い梅雨明けになりました。横浜の空では、まさに夏の太陽が居座って、気温はかなり上昇しました。自分がいる仕事場には空調整備がありますが、部屋から一歩外に出ると、蒸し風呂のような暑さが建物全体に籠もっています。今宵は管理職の仲間が集まって、暑気払いを行いました。山積された仕事の進め方や情報をもらって、いい時間を過ごせたと思います。アートとはほど遠い世界ですが、自分にとってこれも重要な仕事なのです。管理職の仲間と飲むと、管理職も悪くないなと思います。お互いの悩みを共有できる楽しさがあるからです。アートの世界の人間関係は濃いところがあって、好きか嫌いかで決まる向きがありますが、公務員という立場は、仕事を通じてのドライな関係なので、それはそれでいいと思いました。梅雨明けの空の下で飲んだビール、なかなか良かったと思いました。     Yutaka Aihara.com

今夏は「A・ブルトン&瀧口修造」

毎年夏になると何か課題を決めて勉強することにしています。義務教育で頭にすり込まれた夏休みの自由課題が今も続いている感じです。今まで「ジャコメッティ」や「ヘンリー・ムア」といった学生時代から親しんでいた彫刻家を改めて勉強したり、ドイツ表現派をテーマにしてみたり、夏という解放された季節だからこそ頭を柔らかくして何かに取り組んでみようと思っているのです。今年の夏は、もう始まっていると言ったらいいのか、白倉敬彦著「夢の漂流物」、巖谷國士著「封印された星」と読んできているので、これはもう詩人で評論家でアーティストだった「瀧口修造」を取り上げる道筋ができてしまっています。そして今読み始めたアンドレ・ブルトン著「魔術的芸術」(河出書房新社)。瀧口修造と関わりの深いアンドレ・ブルトンをまず勉強しようと思います。著書がたくさんあるので、どこから手をつけるべきかわかりませんが、ともかく興味の赴くままやってみようと思います。

トロムソコラージュ

先日ブログに書店で手にとって捲った文章が忘れられなくなったと書きました。まさに谷川俊太郎著「トロムソコラージュ」がそれなのです。それは立ち読みから始まって、一旦書架に本を返した後、再び手に取り、結局購入となりました。表題の長編詩は「私は立ち止まらないよ」というフレーズで始まっています。次から次へと映像のように詩が続き、視点がコロコロ変わり、いつ終わるとも知れない世界が展開しています。よくわからないけど、何かが面白いと感じたのです。ドラマ仕立ての作りものなのか、時折リアルな感情が沸きあがって心の襞を擽るのか、そのどちらでもない不思議なバランスがあって、生活臭の希薄な軽やかさが新鮮に思えます。仕事でくたびれた時間帯に書店に入り、ふと出会ったコトバの風が頬を撫でていくように思えました。きっと自分が作っている彫刻にもそんな風があると信じたいと思える詩集でした。

「封印された星」を読んで…

表題は巖谷國士著による「封印された星」(平凡社)です。瀧口修造を中心に据えたエッセイで、瀧口修造と交流があった芸術家やその思想を受け継ぐ芸術家を論じたもので、自分の中では、ちょっと瀧口修造ブームがあって、この本を購入したのです。自分は、瀧口修造とはいかなる人物かを知りたくて、直接交流のありなしに関わらず、その周辺にいて、現代日本の創作活動の一翼を担った人々をまず知っていこうとしています。この評論によって、当時の美術界におけるシュルレアリスムの運動やさらに発展していった世界をある程度捉えることができると感じています。著者は作家との交遊を通して、様々な創作の側面を描いていて、とても興味が沸きます。そういう意味で「松原のアトリエ」のくだりは、いろいろなことがイメージされてきて頭に焼き付いてしまいました。

伊豆の雲見温泉へ

心配された天候でしたが、晴天に恵まれ、おまけに暑くなって、海に潜るのには絶好の一日になりました。職場の親睦旅行ではなく、近隣に住んでいるという繋がりで、大人11人が集団で遊びに行くというのは珍しいことかもしれません。車2台。朝5時に待ち合わせ。気楽な会話やジョークを飛ばしあって、まさに遠足気分で出かけました。雲見は小さな海岸で、海岸づたいに泳いでいくと、岸壁に囲まれた温泉があります。魚を追いながら、温泉に辿り着いて、ゆっくりとした一日を過ごしました。食事も海岸近くで作り、まさにひと手間かけて遊ぶことで、楽しい時間を過ごしました。     Yutaka Aihara.com

シュノーケリング・ツアー

明日、近隣に住む人たちと伊豆にシュノーケリングに出かけます。1年1回は美術から離れて遊んできます。メンバーはスポーツクラブで知り合った同世代か、やや上の世代の人たちで、既に定年を迎え、仕事を退職して悠々自適な暮らしをしている人もいます。自分は横浜市公務員で多忙な管理職、皆さんとは生活に温度差を感じることもありますが、自分にとってゆとりを感じる唯一の交遊でもあるのです。それにしても定年を迎えたばかりの人たちはとても元気です。自分もそうでありたいと先輩たちを見て思います。自分の個展にも顔を出してくれたり、パーティに誘ってくれたりして、人生を楽しんでいるように思えます。帰宅してから、埃にまみれたフィンを出して、バッグに詰めて、今大人の遠足気分を味わっているところです。     Yutaka Aihara.com

RECORDの6・7月アップ

昨年作ったRECORDの6月分と7月分を、自分のホームページにアップしました。RECORDとは、一日1枚のペースで葉書大の平面作品を作っている総称を言います。もうかれこれ3年間やっています。もちろん現在も作っていて、終わりなき蓄積が生む世界です。塵も積もればの如く作品量は増え続けていますが、その日その日の気力によるところが多く、そう易々と表現に深みが出るものではなく、行きつ戻りつの繰り返しです。昨年の6月は台形をテーマに、7月は長方形をテーマにやっていました。1枚1枚に落款と日付けを入れています。ちょうど1年前の作品に、今のコトバをつけて、ホームページに掲載しているのです。作品とコトバの因果関係はありません。強いてあげればテーマとしている幾何形体くらいのものです。自分のホームページにはこの文章に最後にあるアドレスをクリックしていただけると入れます。ぜひご覧ください。                   Yutaka Aihara.com

懐かしい商店街で…

職場の出張で、古い町並みが残る横浜市西区に出かけました。藤棚商店街を歩いていると、幼い日が思い出されてきました。自分は横浜市保土ヶ谷区(現在は旭区)に生まれて、そのままそこで育ちましたが、母方の祖父母が住んでいた藤棚商店街界隈は、夏休みを過ごす場所でした。小学校低学年だった自分は、藤棚で初めて銭湯に行き、縁日の夜店を巡り、祖父からオモチャを買ってもらいました。今や四つ角にあった銭湯は無くなり、オモチャを買った「ひろしや」も既にありませんでした。「ひろしや」ではワクワクしながらブリキのロボットを買ってもらった記憶が鮮明に残っています。自分が生まれ育ったところは田畑や雑木林が多く残る片田舎で、逆に藤棚は刺激のある街中という印象をずっと持っていました。アスファルトの路上にロウ石で落書きしたことも思い出されます。我が家の周囲は舗装された道路が少なかったのです。現在の藤棚商店街は昭和の時代を色濃く残す懐かしい街並みで、会議の時間まで楽しい散策をしていました。           Yutaka Aihara.com

個展案内状の宛名

そろそろ個展の案内状の宛名印刷に取り掛からなければなりません。自宅のパソコンに入っている宛名は400名程度。自宅には500枚の案内状を置いてあるので、何とかなりそうだと思います。ギャラリーせいほうには先日1000枚届けてきました。そのうち200枚程度は個展会場に図録と共に置いておくのです。自分は昼間は公務員として働いているので、宛名印刷は退勤後の夜やることになります。宛名には分類があって、一気に400通を印刷することができません。この案内状を手許に届けることが、つまり表現への導入であり、自分の存在証明にもなると考えています。自分はこんなことをやっていると他者に示すことで、自分のモチベーションをあげています。わざわざ銀座まで来てくださる方がいることは本当に嬉しいことです。案内状を送ることが出来ない方にホームページで案内状を見せています。文章の最後にあるアドレスをクリックしていただけるとホームページに入れます。ホームページの扉の左下に個展のインフォメーションを掲載していますので、ご高覧ください。                       Yutaka Aihara.com

RECORDのコトバ

自分のホームページでは作品のイメージ写真にコトバを加えています。これは自分にとっては至難の業で、コピーライターのように巧くはいきません。宣伝やアピールとは違うものになってしまっているからです。学生時代から詩が好きで、一度詩らしきものを作ってみたいと思ったのが、あるいは間違いだったのかもしれないと思うことがあります。文芸なれば詩にも技法があって、これを押さえた上で心の発露を表現として生み出していくものと考えています。自分の綴ったものは幼くて、いつホームページから撤収しようかと迷うところですが、それでも厚顔無恥にも、いまだ詩が好きで曲がりなりにもやっている次第です。日々制作しているRECORDにもコトバをつけています。最初は貧しいながら技巧に走りましたが、少し自分の自然な心の吐露から生まれるものが増えてきたように思います。気を取り直して、もう少しコトバに拘ってみようかなと思うこの頃です。           Yutaka Aihara.com

墓参りで思うこと

母から連絡があり、近隣にある菩提寺に亡父の墓参りに行きました。母の夢の中に父が出てきたと言うのです。週末の制作をやや中断して母と家内とで菩提寺に出かけました。菩提寺である浄性院の庭は手入れが行き届いていて、墓地周辺も清潔な感じがしました。夜、NHKで「日曜美術館」の再放送をやっていて、ウィーンの画家クリムトを取り上げていました。番組の内容とは直接関係ないのですが、午前中、亡父の墓参りをしたせいか、ウィーン滞在中にクリムトの墓参りをしたことが思い出されてしまいました。クリムトの墓は、白い石板にクリムトの名前だけ彫られたシンプルなものでしたが、そのシンプルさが清々しくて、とても気に入っていました。その影響というわけではないのですが、相原の墓も黒い石板に名前だけ彫ってあります。「〜家之墓」と彫られた墓石群の中で、ひと際シンプルなのではないかと思っております。                         Yutaka Aihara.com

「ギャラリーせいほう」へ

個展を2週間後に控えて、今日は東京銀座のギャラリーせいほうへ行ってきました。図録500部と案内状1000部を届ける目的でした。横浜の自宅から東名、首都高に乗り、銀座まで1時間程度のドライブでした。ギャラリーでは、美術商の田中さんが迎えてくれました。ギャラリーは、月曜から始まるアメリカ人彫刻家の石彫作品が既に搬入されていました。磨かれた石の作品が床に横たわり、アメリカ人女性がソファに座っていました。そこに図録と案内状を運び込んで、自分の搬入の簡単な打ち合わせを田中さんと行いました。今日は家内も一緒でした。家内は合羽橋で開催される「おわら風の盆」に胡弓奏者として参加するため、銀座まで車に同乗して、その後電車で浅草に向う予定でいました。前に雨模様だった天気予報が当日曇りに変わり、さらに陽が出てきて暑くなっていました。個展開催まであと2週間。いよいよ恒例となった夏の個展が始まります。            Yutaka Aihara.com

詩的世界の散歩道

書店に入り、ふと捲ったページにあった一文が忘れなくなったり、画廊で、ふと目にした絵画の情景が記憶に焼きついてしまったりすることがあります。コトバは自分が忘却した記憶のどこかと触れ合って、説明のつかない懐かしさが頭を過り、繰り返し暗唱してしまうことがあります。詩的な世界に遊ぶ第一歩かもしれません。つらつらコトバを読んでいくと、詩的世界に彷徨い、自分だけの世界を築き上げて、その中を散歩しているような錯覚に陥ります。それは自分が育った原初的な風景と密接に関わりを持った世界だと感じています。その後の人生で知的に仕入れた世界とは異なり、それは幼い頃に記憶にすり込まれた情景とそこに満ちていた大気であって、五感を通して感じていたことが、コトバやカタチやオトを通して甦るのかもしれません。現代の芸術は哲学的な傾きの様相を呈していますが、そればかりではなく、人の記憶や生理に関わる部分も任なっていると考えます。      Yutaka Aihara.com

会津さざえ堂

10数年も前に会津で見た不思議なお堂が忘れられずにいたところ、愛読書「奇想遺産」に会津さざえ堂のことが掲載されていて、あっこれだ、と思わず心で叫んでしまいました。「行き帰り別々の二重のらせんスロープを昇降しながら、西国三十三観音を拝礼する高塔形式の仏堂。今は観音像は失われてしまったが、スロープの形がそのまま外壁に現れる異形の大胆さで、抜きんでた存在となっている。」(松葉一清 著)さほど大きくないお堂だった記憶がありますが、木造建築としては、かなり異様な作りで、何だ?これは?と咄嗟に思ってしまうほどです。その頃はまだ自作に木彫を取り入れていなかったのですが、こうした木造建築が自分の頭にすり込まれて、木材の良さを捉えなおすきっかけになっているのではないでしょうか。見慣れた日本の仏塔がドイツ表現主義の絵画のようにギクシャクした感じがいいのです。

7月は夢が実る1ヶ月

7月になりました。昨夜は疲労でこのブログを書くのもシンドイ思いでしたが、今月から心機一転を図らねばなりません。20日から東京銀座での個展開催、27日には亡父の畑に倉庫が完成し、電動工具等様々な道具や素材を置くことになります。今自宅の小さなアトリエにはそれら道具類が溢れています。実家にも作品や道具類が置いてあります。27日以降に自宅や実家にあるモノを倉庫に運びます。引越し開始です。そこで、収納の他にどの程度の仕事場が確保できるのか、まだわかりませんが、倉庫内外で制作ができるといいなと思っています。新しい職場に来て3ヶ月経ちました。この3ヶ月の間、ずっと広い仕事場の確保を夢に描いてきました。現在建ち上がっている倉庫が自分にとっては夢の空間になるはずと考えています。今月がまさに夢の実現に向けた一歩になると信じています。             Yutaka Aihara.com

疲労感のある日常

日記として綴っているブログであるなら、今日は帰宅してから、ただただ疲労感に襲われていたことを書くことにします。特別なことをした一日ではありません。むしろ記憶に留まらない一日なのです。「日常」という空気のような流れの中で、たまに疲労感が残り、これはどうしたもんだろうと思う時があります。今日もそんな一日です。梅雨空のせいかもしれません。処理する仕事量のせいかもしれません。慣れてはきたものの自分の立場上のことかもしれません。まだまだ仕事はやりきれないことが多く、毎日仕事を残したまま夜になると残務を切り上げて帰ってきます。RECORDは何とか出来ていて、ブログもこうして書いています。創作への憧れは枯れずに、週末を待ち望んでいます。今日は心情が吐露されたブログになってしまいました。Yutaka Aihara.com

世紀末のアパート

21世紀の現在から言えば、20世紀末も19世紀末も同じ世紀末となります。表題は19世紀末を指しています。ひと昔もふた昔も前のことですが、この時代が情緒として生きている街がウィーンなのです。ウィーンは1980年から5年間自分が暮らした街で、カッコよく言えば自分の青春の面影を残す街でもあるのです。以前のブログに、今日取り上げる「マジョルカ・ハウス」のことを書きました。愛読書「奇想遺産」に掲載されているので、再び思い出した次第です。「これまで人間が作った建築のなかに自分たちの求める真実がないと知った若者たちは、過去や異国といった外に探すことをやめ、目を人間の内部に向けた。自分の意識下に地下水のように溜まる造形世界をおそるおそるのぞきこんだ。花が見えた。生殖、成長、死、再生といった生命現象のしるしとして紅色の花が咲き乱れ、渦巻く蔓が伸びていた。」(藤森照信 著)という解説がありました。マジョルカ・ハウスの作者で建築家のヴァーグナーが、同時代に生きた画家クリムトらと過去の様式から分離を目指した革命運動が、今もウィーンにも生きていて、現在もアパートとして使われていることに驚きを隠せません。住んでみたかったと今になって思いますが、当時は爪に火をともす暮らしぶりで、そんな余裕はなかったなぁと振り返っています。

「壁」シリーズの雛型

今年7月の個展に出品する「発掘〜赤壁〜」は4連作のうちのひとつです。4連作といっても、「発掘〜赤壁〜」だけが出来ていて、残りの3点はまだカタチにもなっていません。今日はその雛型を作りました。雛型は4点すべて出来上がらず、次の週末に制作続行です。以前ブログに書いたことがありますが、雛型はそのまま小作品として見られてもいいように作ろうと思っています。陶彫部分は石塑粘土を用いて、乾燥したら塗装するつもりです。土台部分は厚紙を使います。雛型は平面のデッサンと違い、空間そのものを捉えることができます。本作品の微妙な肌合いは出来ませんが、こじんまりとした世界は結構楽しいものです。秋葉原等で売られているフィギアを作る感じは、こんなものなのかなぁと勝手に思いながらやっています。

義母の三回忌

日記として書いているブログなら、今日はこれを取り上げないわけにはいきません。このところ実父に次いで義母が他界したので、法事が続いています。今日の三回忌でようやく一休みといったところでしょうか。義母は奄美大島の出身で、旧姓を「量」と言います。ですから参会した親戚は「量」姓の人が多く、その昔奄美大島から本土に出てきて、首都圏に住んでいるのです。親戚は学者肌で大学を退官した人ばかり。自分の創作活動にも一目おいてくれていて、批評をいただいたりしています。墓地は横浜南区の久保山墓地にあります。今日は真夏の日差しが照りつける暑い一日になりました。高齢の人が多いので、家内は気遣いや心配をしていましたが、何とか三回忌を終えることができました。今日はいつもとは違う週末を過ごしました。  Yutaka Aihara.com

ウィーン郵便貯金局

いつぞやのブログに書いた記憶のあるオットー・ヴァーグナー設計による郵便局です。ひょっとして同じ表題を使っているかもしれません。新潮社「奇想遺産」に掲載されていたので、また滞欧時代を思い出しました。「ウィーンの暗く重い街から、突然真っ白い光に満たされた、無重力の空間に投げ込まれて、あぜんとして頭より体が反応してしまったのである。天井は一面のガラス張り、床も一面のガラスブロック。上からも下からも白い光が体におそいかかる。体は重さを失い、意識は空中を浮遊する。」(隈研吾 著)という箇所は自分も実感しました。建築素材はたいして高価なモノは使っていないし、それでも不思議な現代性をもつ空間を創出させているヴァーグナーは、卓抜した彼のデザイン・センスに尽きると言っても過言ではありません。リング(環状道路)から少し旧市街に入ったところにある郵便貯金局。近くには工芸美術館(アンゲヴァンテ・クンスト)があって、アール・ヌーボー(ユーゲントスティール)の資料が見られる環境が、何とも自分には懐かしい青春時代を思い出させてくれます。               Yutaka Aihara.com

2つの仕事 2つの場所

今日出張先から帰ると、いつも撮影をお願いしているカメラマンの2人が来て、いつのように楽しい会話になりました。カメラマンは私の昼間の顔を想像できないと言います。作品を撮影する時は作業着にバンダナをいう格好でいるので、いかにも彫刻家の雰囲気が漂っているのかもしれません。しかも作品が並べられている空間の中で撮影しているので、その環境で私を捉えているのでしょう。私の昼間の顔というのは公務員としての仕事です。スーツ(今はクールビズ)を来てパソコンに向う姿です。朝から文書処理や会計をやっています。私の勤めている職場が現在耐震工事をやっているので、業者対応も一手に引き受けています。仕事はやってもやっても切りがなく、ある程度のところで退勤しています。2つの仕事と2つの場所はまるで違う世界です。スイッチの切り替えを上手のやらないと、どちらも中途半端になってしまいます。時間に追われることが今の自分には合っていると感じているこの頃です。                             Yutaka Aihara.com