変わり種の納豆

今日茨城県に住む陶芸家の佐藤さんから納豆の箱詰めが届きました。さすが茨城と言いたいほど、納豆の種類の多さに驚きました。自分は納豆好きなので、これは嬉しい贈り物です。納豆に大麦や蕎麦の実が入っているのがあります。北海道産黒豆、丹波黒豆、奥羽産の青仁青豆などを納豆にしているのも変わっています。明日から納豆三昧です。しばらくはトッピングをやめてシンプルな納豆を味わいたいと思います。納豆と味噌汁に米があれば、自分は満足です。今では贅沢な取り合わせかもしれません。味噌汁の味噌に凝った時期がありますが、料理次第で美味しくいただけることがわかって、これは家内の腕を信じることにしました。ジャガイモとタマネギの味噌汁に辛子の入った納豆が実によく合って、自分の好物のひとつです。納豆をかき混ぜながら味噌汁をすする時に、日本人でよかったと思える瞬間があります。

3月 あれから1年

3月になりました。このHPをアップしてから1年です。早いものです。先日、このHPのデザインや管理をしていただいている方々と打ち合わせを持ちました。今年はHPを充実させていこうという話になりました。実材で作品を作っている自分が、まさかネット上に自分の世界を広げることになるとは思っても見ませんでした。でもやってみると面白くて、いろいろ遊べそうで、ワクワクしてしまいます。アナログな作業をデジタルで処理をして別の作品に生まれ変わる過程を見てきて、今は作業と処理の両方を考えるようになりました。イメージはどんどん溢れてきていますが、まず手で作業をすることから始めるのは今までと同じです。大きな立体作品ばかりでなく、小さな作品や平面作品、コトバに至るまで世界を展開していきたいと思っています。

パムッカレで失くした結婚指輪

TBS「世界遺産」を見ていたらトルコのパムッカレが映し出されたので、思わず声を上げてしまいました。20数年前にあそこにいた、と家内に言ったら、私はあの古代都市ヒエロポリスで結婚指輪を失くしたのよ、と答えて、共有する思い出に浸りました。当時はバスを乗り継いだり、ヒッチハイクをしてトルコ全土を周っていたので、お互い痩せていました。指輪が指をスルリと滑っても不思議ではない状態でした。そういう私もどこかで指輪を失くしていました。パムッカレにいたのは夏の終わりでしたが、日照りが強く、皮膚の皮が剥けました。テレビを見ると観光客の行動がかなり制限されているようでした。私たちはあの石灰の棚に降りて流れる温泉をバシャバシャさせて、どこでも入っていけました。保存状態が悪化している解説を聞いて、この20数年の歳月を考えてしまいました。

ボスフォラス海峡のフイッシュバーガー

イスタンブールで病みつきになった料理はフイッシュバーガーでした。それも獲れたての魚をその場で揚げて、パンに挟んだ野趣あふれるものです。それはヨーロッパとアジアを繋ぐボスフォラス海峡のガラタ橋近くに舟を横付けして売っていました。長いウィーン生活で魚に飢えていたせいか、その美味しさは筆舌に尽くしがたいものがありました。日本から直接行ったのでは、あの感動はなかったと思います。フイッシュバーガーは朝夕食べていました。港の広場では魚売りの他に水売りがいたり、演歌のように聞こえるトルコ歌謡を売っていたり、面白さに溢れていました。ガラタ橋を何度も行き来して、ヨーロッパとアジアを堪能しました。アジア側にウシュクダラという地名があって、日本の歌謡曲になっていたのを思い出し、行ってみたのですが、なんでもない普通の住宅街でした。

キリムの魅力

イスタンブールに着いた初日に手に入れたキリムはかなり大きくて、これを巻いてリュックの上に括りつけて行動することになりました。数ヶ月の旅を考えると重荷でした。もともとキリムは遊牧民のものなので、野宿もできると思いつつ、色彩と文様が織り成す土産に心が躍りました。買ったキリムは自然染料と化学染料が両方使われているようで、自然染料の部分が古く、そこに化学染料で修復したものです。アンテイックなものはかなり鑑定が難しくて数多く接しないと判断できません。それより自分の美意識に頼り、色彩や文様が好きになったものを買うのがいいと思います。自分が買ったキリムは紅色と黄緑の補色があって、パウル・クレーの抽象絵画のような印象です。文様も幾何的なカタチがモザイクのように続くのですが、修復のせいか途中で色彩が変わり、不思議なグラデーションがあります。完璧なものというより、継接ぎだらけの面白さに溢れています。骨董価値のある工芸品として見るより、アートとして見た方が楽しいし、生活雑貨として使ってこそ心が豊かになると思います。

バザールのキリム商談記

1985年夏にウィーンからイスタンブールへバスで深夜に乗りつけて、閉まったホテルの玄関前に野宿した後、バザールに見物に行きました。イスタンブールは混沌とした賑やかな街でした。絨毯商は皆そろって日本語が上手なので、日本人がよく高価な絨毯を買っていくのは明白でした。例外なく私たち夫婦のところにも絨毯商が現れて、店に連れて行かれました。自分はキリムの美しさにウィーンにいた頃から魅かれていたので、これ幸いに商談に応じました。値切って買ったキリムでしたが、その時のノリで買ったようなもので、よくよく見ると気に入らない代物でした。美術をやっている者としては、どうしても許せなく後悔していると、家内が返してこようと提案しました。店に行くとチャイを飲みながら絨毯商たちが売り上げに談笑している様子でした。そこへ私たち、もう一度仕切りなおしをして欲しいと言ったものだから大騒ぎになりました。金を返せ、いや駄目だ、だったら別のものを見せろ、と散々こちらも捲くし立て、結局ランクの上のキリムを手に入れました。その後、もう一度店に行ったら、もうお前には売らないから出て行ってくれと言われました。これは一度買ったものにいちゃもんをつけたのですから、こちらのルール違反。でも混沌とした街にあって頭も心も吹っ飛んでいたので、こんなエピソードとともに満足も買うことができたのではないかと思っています。

ウィーンからイスタンブールへバスの旅

20歳代の終わりにウィーン生活を切り上げて帰国することになり、美術アカデミー修了を待って、数ヶ月の旅にでることにしました。1985年の夏から冬にかけてのことです。当地で生活費を賄っていたので、そんなに金銭的なゆとりがなく、それで思い立ったのが外人労働者が帰省するバスを利用して他国を周ることでした。ウィーンからトルコのイスタンブールまで行くバスがあることを調べて、これに乗ることにしました。当時ソビエト連邦を中心とする東欧諸国があって、それぞれの国に入るためビザが必要でした。旧ユーゴスラビアやブルガリアを通過するので、大使館に行って面倒な手続きをしてきました。バスは満員で、しかも一日では辿り着けず、休憩のたびに2人の運転手が客全員の手に香水を振りかけ(サービス?)、車中は中東の独特な音楽が流れ、昼も夜も走り続け、真夜中にイスタンブールに到着したのでした。観光バスではないので、ホテルの営業時間などに配慮もなく、夜中の街をさまようことが旅の第一歩になりました。

彫刻と写真のコラボレーション

カメラマンとの共同作業である図録の打ち合わせを持ちました。前にブログに書いた記憶がありますが、これは自分の作品をカメラマンが自分の言う通りにただ撮影したというものではありません。撮影者にも個性や主張があり、そうした意図が撮影に反映して、自分の作品であって自分の作品ではない世界が現れてくるのです。これは作者である自分には新鮮な驚きです。こういう視点から撮影したというものが、自分のさらなる意欲や次の創作に向かうヒントを与えてくれるからです。人の解釈によって、これほど刺激を与えられることはありません。まさにコラボレーションをしていると言っていいくらいです。そんな人に助けられながら制作をしているのだということを改めて考えた一日でした。

地下遺構のイメージ

4月の個展に発表する「発掘」シリーズはテーブルを大地と見立て、テーブルの下に埋没している世界を表現しています。いわゆる地下遺構です。このイメージはずい分昔からあって、20歳代終わりに旅したトルコの地下都市に想を発しているように思います。当時、蟻の巣のように掘られた地下へ続く洞窟にかなり驚いてしまいました。自分は少年期から閉所が苦手で、長く閉じ込められていると、その窮屈さで強迫観念に襲われることがあるのです。そうしたトラウマを一気に克服できたのはトルコにある地下都市だったと思います。しだいに記憶がなくなりかけているので、近いうちにトルコで見た景色や風物をこのブログに書き留めておこうと思っています。あの当時数ヶ月にわたって旅したトルコやギリシャは自分にとって今に至る作品の源になっていると思うからです。

映画に見るアート

昨日のブログに書いたギーガーのデザインによる「エイリアン」は、ドラマもさることながら、画面に現れる密閉された空間に不思議な美しさを感じさせます。老朽化した宇宙船は錆びた色合いの機械が並び、さらにエイリアンによって生物化した鉄のような素材が、古代生物の背骨を思わせて目を引きました。自分は「バットマン」のゴッサムシテイも大好きで、アールデコ様式の都市にバロック様式の彫像を混在させ、暗い色調で統一した画面は妖しい魅力に溢れています。ヨーロッパで生み出された様々な建築やデザインの様式をドラマの味として使ってしまうハリウッド映画は、理屈抜きで楽しめるエンターテーメントです。こんな情景を作ってみたいと思ったアーテイストが自由に作った世界で、CGも含め、現代美術が獲得した美意識が多様に表れていると思います。

バイオメカノイド・アート

H.R.ギーガーという強烈な個性をもつ画家を知ったのは、「エイリアン」の映画を通してでした。彼はキャラクターを初めとする宇宙船内部全体のデザインを手がけていました。そのメカニックで生々しい表現は、性的であり暴力的であって他の追従を許さないほどの圧倒的な迫力がありました。20数年前にウィーン幻想派の洗礼を受けた自分には、E.フックスの世界に近いものを感じましたが、悪魔的で荒廃した機械文明を正面切って見せた人はギーガーをおいて他にはないと思いました。ただグロテスクなだけでなく、デザインの部分には大変美しいカタチのリズムやコントラストがあって、それが芸術性を高めているのではないかと感じています。画集の解説ではこれをバイオメカノイド・アートと称していました。リアルというより奇妙な作りモノの世界ですが、楽しめる要素がいっぱいありそうなので、一度スイスにあるギーガーの美術館に行ってみたいと思います。

夢で見た資産と投資

夢はほとんど見ないし、見ても朝起きると忘れてしまうので、それに心が囚われることはありません。でも最近見た夢でかなりハッキリ覚えている情景があります。20数年前暮らしたウィーンの旧市街を日本人の女友達と歩いていて、シュタットバーン(市街電車)の走る高架下の店で、彼女が宝くじのようなものを買い、見事に当選した夢でした。その女友達はウィーンにも来たことのある大学の後輩で、この大金をどうしようかと考えあぐねた結果、私は1階にギャラリースペースのあるビルを彼女に買わせ、不動産業で生計を立てながら画廊経営をやったらどうかと提案したのでした。ビルの上階を賃貸住宅にしておけば、画廊では売れない現代美術を扱うことだってできるし、この大金はそのための投資なんだと彼女を説得したのでした。妙に現実的な夢で、彼女に羨望を抱く自分がいました。夢だとわかっても今も忘れられないインパクトをもっています。

制作の休養日

制作活動で休養を取ったのは正月以来です。叔父の四十九日の法要があったおかげで、ゆっくり休むことが出来ました。実際昨日の撮影のための作品の組み立て作業で、身体中が筋肉痛でした。朝起きるのもシンドい日で、気持ちもイライラしていたので、これは休まなければいけないと思いました。2月1日から始まっている365点の小作品も今日は休み、コンセプトに反して明日は2枚描くつもりです。毎週末は作品の構想を練ったり、作業をしたりして過ごしているので、ウイークデーの公務員の仕事よりキツいことがあります。公務員としての自分は左脳を使い、彫刻家としての自分は右脳を使っているので、ストレスはないと自分に言い聞かせてやってきたのですが、ちょっと驕りすぎでした。明日からまた頑張ろうかな。

図録撮影の長い一日

昨年は2月5日でした。今年は今日が個展のための図録撮影の日になりました。昨年と違い、組み立てに時間のかかる作品なので、今日は長く、それでいてあっという間に終わった一日でした。「発掘〜円墳〜」が午前中、小さい作品が昼ごろ、午後から「発掘〜地下遺構〜」。カメラマンとのコラボレーションと言っていいくらい濃密な時間を過ごしました。梱包から出して、作品を組み立て、また梱包するというのは疲れる仕事です。教え子が2人、気持ちよく手伝ってくれました。こういうスタッフがいて、また丁々発止のカメラマンがいて、自分は何とか彫刻をやっていけるんだと今日も改めて自覚しました。撮影した画像はこのHPにもアップする予定です。疲れた一日でしたが満足も得られた貴重な日でした。

再びコトバとカタチについて

このHPを始めた時に、ギャラリーのページに造形作品とともにコトバを添えることにした経緯を、前のブログに書いたような気がします。添えるというつもりだったのが、詩作となり、作っているカタチと同等な存在になってしまいました。現代詩は高校時代から親しんでいて、「ユリイカ」などを読んでいましたが、いざ詩を書くとなると構えてしまったり、技巧に走ったりで恥ずかしいばかりでした。詩を作る行為は10代で諦め、彫刻を作る行為は20代から始まったと言えます。今は不思議なめぐり合わせで、コトバとカタチが両輪となっています。でもコトバは頭を捻ったり振ったりしながら書いていて、それでも気に入らず、10代で放棄したままになっているのかと思うほどです。どうしたら詩人は最初の1行が出てくるのか、行をかえると、ハッとするコトバに生まれかわるのか、何とも不思議な文才です。空間の中で彫刻の表現がさらにシンプルに深く練られていくのと同じで、詩も練られていくものなのかなと思います。

花粉症とのつきあい

30代で花粉症になって、もうずい分長いつきあいになりました。初めの頃は鼻づまりとクシャミ、喉の異変、目の痒さで生きていくのが嫌になったほどでした。年によって多い少ないの差はありますが、加齢とともに花粉症は少しずつ楽になってきました。今年は朝起きるとクシャミが始まるのですが、その時間帯を過ぎれば普通の日常生活になんら影響を及ぼすものではありません。ただし、梅や桜が咲き出すと目が痒くなるという記憶のすり込みがあって、相変わらず花見を楽しめない自分がいます。今、横浜は梅が満開ですが、鼻をすすりながら、花を横目でみながら出勤しています。

「発掘〜地下遺構〜」について

「発掘〜地下遺構〜」は、「発掘〜円墳〜」と同じ4月の個展に出品します。「発掘〜地下遺構〜」は4畳大のテーブル彫刻です。テーブルの上の部分には陶彫で作った階段を大小のブロックに分けて配置します。階段は地下へ誘う方法として考えました。建築模型ではないので、きちんと地下につながるものではありませんが、地下を暗示するモノとして階段の造形を利用しました。トルコを旅した時に見た地下都市にも階段があって印象に残りました。人が住むところに階段はつきものです。ギリシャの島々に点在する街にも階段があって、街がひとつの造形物のように感じます。そんな階段のもつ面白い構成に魅かれ続けています。「発掘〜地下遺構〜」はテーブルの下の造形に比べると、テーブルの上にある階段部分が整理されていないと思っています。4月に改めて銀座のギャラリーで見て、課題として今後も考えていくつもりです。階段の造形はまだ継続し発展させていきます。

「発掘〜円墳〜」について

「発掘〜円墳〜」は、4月の個展に出品する作品のひとつです。作品をテーブルにするアイデアは新しいものではありませんが、テーブルの下に陶彫ブロックを接着する作品は初めてだろうと思います。テーブルの下にあるものは地下に埋もれている造形と考えて、こうした構成を思いついたのです。地下となれば墓地のイメージになるのは、ウィーンで見たカタコンベの影響かもしれません。ドーナツ状のテーブルが最初のイメージにあったので「発掘〜円墳〜」という題名にしました。テーブルの上に出ている部分はわずかで、むしろ下の部分に塊としての造形があります。テーブルの上を爪先立って見たり、下に屈んだりして見る彫刻です。約40個の陶彫ブロックで構成されているので、組み立てに手間がかかります。そんなわけで集合彫刻は展示するのに時間がかかるので、きちんと写真に撮っておきたいのです。今週末に組み立てて、カメラマンに撮影をお願いする予定です。

枕木のアートリサイクル

4月の個展にはテーブル彫刻2点を出品する予定です。昨日から作業場に運び込んできた部品を確認しながら梱包を始めています。テーブル彫刻のテーブルを支えるのは枕木です。ガーデニング用品として売られていたものを、これはアートになると感じて購入しました。枕木は線路の下に使われていたので、楔を打った跡が残り、さらに風雨に晒されて朽ち果てた箇所があったりしてとても魅力的な素材です。これをそのまま使うことはせず、ガスバーナーで炙って煤をすり込んで黒くしました。今回梱包から出してみると煤がかなり散らばっていました。今日は黒い塗料を染込ませて、さらに深みを出しました。年輪や節の穴が何とも美しく、陶彫と併せると生きてくるような気がします。本来の目的を果たしたモノが別の世界で生まれ変わるのは素晴らしいことだと思っています。アートになるモノはもっと他にもあるはずです。ピカソが試みたようにアートリサイクルをさらに進めていきたいと思います。

個展準備 集合彫刻

今日は昨日運び込んだダンボールから陶彫の部品をすべて取り出しました。作品は数十個の陶彫をボルトでつないで集合体として見せるもので、1つの作品には様々な部品があって、それらをすべて確認する必要があります。テーブル形体になるので、まず柱になる古木。これは枕木をガスバーナーで炙って煤をすり込んだものを使っています。いわばリサイクル。次にテーブルの天板になる厚板。これは最近作った「構築〜包囲〜」と同じで、砂でマチエールをつけたものに油絵の具を塗りこんだもの。そこにテーブル上下にボルトで接着する陶彫ブロックが数十個。ダンボールやら梱包材やらで作業場はたちまちあふれかえり、古くなったダンボールは畳んで重ね、梱包材は丸めてゴミ処理場へ。今日も昨日に続き、制作とは関係ないところで疲労をしています。明日も継続かと思うと気が重い連休です。

図録準備のための作品運搬

軽トラックをレンタルし、作品置き場と撮影場所との間を何度も行き来しました。ギャラリーせいほうでの個展に向けて、新しい図録を準備するためです。撮影日は今月17日(土)。そのために1週間早く作品を運び込み、作品の保存状態を確認したいと思っています。修整があればこの1週間で行うつもりです。図録は昨年作ったデザインをそのまま踏襲して見ようと思います。ただ作品の大きさや構造が違うので、組み立てやら梱包が昨年より手間取るのではないかと心配です。作品置き場から出してきた作品は、ダンボールの箱にいくつも分けて入れてあって、そのダンボールはボロボロになっているものもありました。もう一度梱包しなおしです。それにしても自作とはいえ、何年か前に箱詰めした量の多さに疲労を覚えました。もう一度やりなおすと思うと気が重くなります。明日からぼちぼち始めることにします。

365点 落書きのように

365点の連作は昨日のブログに書いた通りですが、始めて9点目にして苦しくなってきました。まだ習慣化していないこともありますが、毎日新しいことを発想しようとしても、結局昨日描いた作品の亜流になっています。前の作品に囚われすぎるのかもしれません。この苦闘が有効なのはわかっていますが、並べてみると全て同じ作品に見えます。日々繰り返している労働で発想が乏しくなっているのでしょう。この365点の連作に振り回されてはいけないと思いつつ、何とか楽しめる状態にならないかと次は頭を振り回しています。気楽にやろうと思っても、なかなか出来ないのは、今まで大きな彫刻をやっているという構えがあったからだと気がつきました。ミロやピカソのように、または幼児のようにリキむことなく描ける素晴らしさ。落書きと自分に言い聞かせて、また明日から始めます。

365点の連作について 

昨年のブログに「365個で構成する作品」(2006.8.10)というアイデアを書きました。これは立体、とくに陶彫が頭にあったのですが、2月から始めている作品は葉書よりやや小さめの平面作品です。これなら毎日気楽に作れるかなと思ったのです。陶彫や木彫で日々どちらかといえばモニュメンタルな作品を作っているのですが、これはそうした立体作品の対極にあるポケットサイズの作品で日記のようにやっていくつもりです。事象の捉え、思弁的なもの、技法の実験など普段やりたかったことを全てやってみようと思います。テーマの一貫性はありません。発表するかどうかも微妙です。とにかく1日1点。好調不調に関わらず1日1点。多忙でも暇でも1日1点。楽しくても悲しくても1日1点。来年の1月31日がゴールです。さて、どうなるものやら定かではありませんが、何はともあれ1日1点です。

対極 放射するカタチ

作品をイメージする時、相反する一対のカタチが脳裏を掠めます。尊敬する石彫家の中島修さんも作品は同じものを2つずつ作ると言っていたのを思い出します。2つが相対することで、2つの作品以上の空間的な効果が現れることがあります。中島さんの石の幾何形体が2つ並ぶと、まったく同じ形体とはいえ、空間が大きく広がって見えます。自分も「構築〜包囲〜」を作っていた時に、同じ構成要素をもつ作品がその対極としてイメージされました。囲むカタチの反対側に、放射するカタチがあってもいいと思ったのです。次作はそんな具合に決めました。何かを作ると、その発展として次の作品が生まれてきます。その繰り返しがあって制作が続いていきます。先日のブログに書いた通り、イメージができたら間髪を入れずに作り始めること。そんな自制心を働かせて、雛型作りに精を出しています。

「構築〜包囲〜」の反省

昨日終了したグループ展に出品した「構築〜包囲〜」は囲むカタチを表そうとしたものです。昨年からブログに折に触れて製作途中の状況を書いてきました。その際、作品仮題を「囲むカタチ」としていました。つまり外から内へ何かを取り込むように構成した作品を想定していたのです。展覧会に来られた方々から、かなり好感を持たれましたが、柱が30本林立している景観に関した感想ばかりで、全体としての構成要素はなかなか理解してもらえませんでした。内なる空虚を包囲したイメージをきちんと伝えられていないのに気がついて、これが課題として残りました。柱の角度かもしれません。とくに中心にある短めの柱は力学的な構造上あの角度にしなければならず、美術的な計算はありませんでした。その中途半端な角度が天空の中心に向かう緊張感を演出できなかったと思います。ちょっとした手直しで済むことではないので、これを次作に生かして、来年は緊張感のある空間を創出したいと願うばかりです。

「構築〜包囲〜」搬出作業

今日はグループ展の搬出日でした。作品を解体して梱包し、倉庫に運搬しました。「この作品は設置も撤収も一人じゃ出来ない。いろいろな人の手を煩わせているので、みんなに感謝。」と家内が言っていました。その通りです。去年の個展の時も、搬出した作品を積んだトラックが銀座のネオンの中に消えていったのを見て、家内は働いてくれた人たちに心の中で感謝をしたそうです。自分は作品の置き所ばかり考えていて、作品が自宅に届いたらどこに保存しようかと迷っていたものです。ようやく周囲の人たちの恩がわかってきて、恥ずかしい思いです。大掛かりなインスタレーションをイメージしてしまう自分は、手伝ってくれる人たちを大切にしなくてはならないと思いました。

鎌倉彫の彫師さん

大切な友人に鎌倉彫の彫師をやっている安斉文隆さんがいます。自分がウィーンから帰国してまもなく、ドイツ語を忘れないために在日ドイツ人学校(横浜市都築区にあるドイツ学園)の夜間クラスに通っていた時期があります。安斉さんはその時に知り合った人です。安斉さんは鎌倉彫の技術を伝えに、またドイツの木彫技術を学びに行く目的でドイツ語を学んでいたのでした。それを度々実現させ、多くの写真をもって私のところに現れました。鎌倉の山水堂で1級技能士として仕事をしている安斉さんですが、彫りへの思い入れが強く、また技術には目を見張るものがあります。今日は横浜のグループ展に来ていただいたので、鑿の研ぎ方や扱い方を伝授していただきました。自分の作品は安斉さんのように緻密さも流麗さもない粗雑なものですが、自分の襟を正すためにも、こうした人が自分には必要なのです。ブログをご覧になっている方で、お時間があれば、ぜひ鎌倉駅近くの山水堂にお出かけください。安斉作品の彫りの美しさを堪能してください。

展覧会雑感

土曜日の横浜市民ギャラリーは大変混雑していて、3階の児童生徒作品展に見に来た親子連れが、ついでに我々のグループ展をのぞいてくれます。例年小さい子どもたちの反応を窺うようになりました。子どもたちは本能に忠実で社交辞令も遠慮もないからです。私の作品は入り口にあって広告塔のような役割をしています。すごいと言って入ってくる子どもたちが多ければ、今回の作品は成功と思っています。難解な評論より、はるかにわかりやすい基準です。美術的なるモノを問う作品というより、まず理屈抜きで楽しく感性に入ってくるモノ。美術っていいなと思えるのは、ここから始まると思うのです。今日は自分の母親と妹の家族がやって来ました。お祝いをいただきました。母親は現代美術のことをよく理解せずに応援してくれます。これが親だと思います。小さな子どもを連れた家族を見ながら、そんなことをぼんやり考えていた一日でした。

一通の手紙より

展覧会に来られた恩師から手紙をいただきました。以前紹介した彫刻家の恩師ではありませんが、自分にとって大切な方です。そのまま引用させていただきます。「発掘シリーズによって人間の原点を模索し、いよいよ人間性の構築への取り組みですね。愛情、失意、信頼、裏切り等、不条理な包囲網を打ち破り、何が求められるか期待しています。」文筆業をされていて、横浜にまつわる文士をテーマにした本を出版されている笠原実先生です。大変有難い言葉をいただいて痛み入ります。自分が何気なくイメージしていたメッセージを端的な言葉にしていただきました。陶彫から木彫に移行したのは単に技術的な移行ではなく、作品の意味合いまでも移行したわけです。ただし陶彫でやり残したものはまだあって、発掘シリーズは継続します。構築シリーズと併せて、振り子のように同時進行していくつもりです。

2月 新作の第一歩

2月になりました。今年は暖冬で、きりきりした寒さはありません。先日作品の搬入が終わり、次に残った課題に向かって新作のエスキースに入りました。今回の作品は木彫部分に彫り跡を残して塗装せずにおいたので、軽やかな印象を受けるという感想を見に来られた人から聞いたので、こういう印象を大切にしながら、自作の雛型作りを始めました。別の仕事をしている関係で制作ばかりやっていられない自分はどうしたら制作を続けられるか、常日頃から考えていました。その結果、効果的な手段を思いついたのです。それは作品が出来上がって展覧会に搬入した途端、間髪をいれずに次作を作ること。ひとつ作品が終わって、ホッとしてしまうとそのまま作品を作れなくなります。一息つくのは制作の合間にしておけば必ず作品を完成させることができると思います。今日はその第一歩です。

作品の写真撮影

毎回撮影をお願いしているカメラマンに、サクレ展出品中の「構築〜包囲〜」の撮影をしていただきました。昨日ギャラリーに撮影許可申請を出し、今日の夕方、2人のカメラマンの到着を待っていました。昨年図録を作ったのですが、2人ともその時からのお付き合いになります。以前は自分で写真を撮っていました。やはりプロの腕は違うとつくづく知らされた1年でした。このHPに使ってある写真はすべてこの人たちによるものです。なにしろ組み立てられた立体作品は、分解して倉庫に入ると容易に取り出せなくなります。写真だけが作品の様子を伝える手段なのです。今回の作品は、彫り跡を意図的に残したり、砂のマチエールをつけたりしましたが、これが写真という媒体を通すとどんな表現に変わるのだろうと興味津々です。またそんなことも頭にあって、今回のような表現にしたと言っても過言ではありません。