通勤時間に読む本

学生時代から今までの通学・通勤時間を考えると、最近やっている自動車通勤より、はるかに長い時間を電車やバスを使って移動していることに気づきました。自動車を修理に出しているので仕方なく通勤方法を電車やバスにしていますが、忘れていた電車通勤の時間帯に読書をしていた頃を思い出し、さっそく鞄に本をつめて出かけています。通勤時間に読む本は、なかなかいいものです。本来自分は読書が大好きで、機会があれば読んでいた時代があります。家でゆっくり読むのもいいのですが、通勤時間の読書は時間が限られているだけに集中できます。また体調によってはうつらうつらして、内容が頭に入ってこない時もあります。今、自分の通勤の友は「マニエリスム」に関する評論で、じっくり読み砕いて、しばし考えるという方法で、精読しています。若い頃は苦手としていた本格的な評論ですが、今は苦にならずに読むことができます。趣向が変わったのでしょうか。

今日は父の一周忌

昨日、義母が他界しましたが、今日は父が亡くなってちょうど丸一年、父の一周忌になります。そんな年回りで毎年のように親を失っていきます。最近は介護住宅ができて、行き届いた設備とケアがあり、家族が介護で疲れることが少なくなりました。でも親を失うのは、自分の中に何がしかの影響が出てきます。義母の過ごした介護住宅を片付けにいくのはつらいと家内は言っていますが、私も1年間も放ってある亡父の道具の詰まった倉庫を片付けられません。亡父が商っていた畑の植木がしだいに大きくなり、移動するのも困難になっています。畑の一角に大きな窯場兼工房を作ろうと計画しているのですが、なかなか植木の行き先がわからず、いまだ計画のままです。制作に追われる日常にあって、ふと足元を見つめなおす時なのかもしれません。Yutaka Aihara.com

義母の最期を看取る

家内の母が86年の人生を終えました。義母は奄美大島の出身で、奄美の豊かな自然のことや人とのつき合いをよく話してくれました。奄美にはもう直系の親戚もいないのですが、義母が生きているうちに自分たちも奄美に行って、話のキャッチボールをしたかったと思いました。義母の旧姓は「量」といいます。奄美の「ナベカナ伝説」という昔から伝わる話に量一族が登場しているそうで、そんな伝承文化に興味を持ちました。奄美といえば、日本画家田中一村が最期の創作生活を送ったところです。自分も義母の思い出話を聞いて、当地で彫刻をやってみたいと思ったことがあります。沖縄には陶芸がありますが、奄美大島はどうなのか、木彫はできそうか等々まだ下見をしていないのに頭だけが先行してしまいます。話を戻しますが、昨年の同じ時期に父を失い、今回は義母。自分がそんな年回りになったことをつくづく思い知らされるこの頃です。

「菊池伶司 版と言葉」を読む

先日、出張の時に購入した「菊池伶司 版と言葉」は22歳で夭折した版画家に関する評論や本人の日記を編集した冊子です。自分は1960年代に活躍し、短い一生を駆け抜けた菊池伶司という版画家を知りませんでした。近頃TVでも取り上げられ、版画専門の美術館で個展もあったようです。たまたま書店で手に取った本の初めのページに掲載されている版画の数々が、銅版画の要素たっぷりの定番のようでいて、何故か気にかかる表現であったため、この本を購入しました。パラパラとページをめくると、凝縮された人生を綴った文章に思わずのめり込んで、一気に読んでしまいました。自分の命を削るように銅板に刻まれた解読できない文字や解剖図のような表現が、いつまでも記憶に残ってしまいます。

エンジン・トラブル

夜、家内を車で迎えに行った折、坂道で急にエンジンが停止しました。何度やっても駄目でした。仕方なく携帯電話でレッカーを呼び、そのままデイーラーへ。自動車通勤をしている自分には手痛いトラブルになりましたが、他者をまきこんだり、仕事場のある遠方でトラブルにならなかっただけ良しと考えることにしました。あたりまえに考えてしまっていることがあたりまえでなくなると不便を感じます。初めから無ければ不便を感じることも無く過ごしているのに、文明の利器に頼りすぎている自分が恥ずかしくなります。しばらくはゆっくり読書でもしながら通勤しようと思います。       Yutaka Aihara.com

シュテファン・ツヴァイクの著作

ウィーンで暮らしていた20数年前、人から勧められた文庫本を数冊手に入れました。シュテファン・ツヴァイク著「マリー・アントワネット」「ジョセフ・フーシェ」。翻訳本の中では、このノンフイクションが最高に面白く、昼夜を分かたず読み通してしまった思い出があります。ウィーンという周囲の環境が影響したこともあったのでしょう。臨場感があって、たちまち虜になってしまいました。ノンフイクションとはいうものの、まるでフランス史を見てきたかのような表現。とくにジョゼフ・フーシェは歴史に中に登場する人物としてはマニアックで、ツヴァイクの創作的な部分もあろうかと思われます。でもリアルで説得力のある表現は、歴史の持つ面白さを巧みに引き出し、一気に読み終わるまで余裕を与えてくれません。そんな表現世界と再び出会ってみたいと思うこの頃です。

7月 創作のリズム

7月になりました。中旬には職場が夏季休暇に入ります。そこで例年のように創作三昧の生活が待っています。夏季休暇中の限定つきの創作生活ですが、リズムを作って制作に没頭したいものです。昨年もブログに書いていますが、作品が大作の場合は全体構成をおおよそ決めてから作業に入ります。自分がやっている集合体による作品は、まとまった時間があればパーツをひたすら作ることに終始することになります。昨年の夏も「構築〜包囲〜」のパーツ作りに精を出していました。今月からこの制作リズムを自分の身体に叩き込んでいきます。ひらめいたら昼夜を忘れて創作に打ち込む姿勢とは根本的に違い、決まった時間にその日にやるべきことをしっかりやるという作業です。まさに職人的な工程です。自分にはこのやり方が合っています。健康に留意して今月を乗り切りたいものです。

2つの顔 振り子のように

昨日のブログの続きになりますが、彫刻家の顔と地方公務員の顔をもつ自分は、2つの異なる仕事を振り子のように行ったり来たりしながらやっています。それで心のバランスをとっているのだと自分では思っています。事務的な仕事が続くと、木を彫ったり土を練ったりしたくなります。創作をしている時は他のすべての雑事を忘れられるので、精神的に創作に助けられることが多くあります。ところが創作に没頭すると、今度は精神的にあぶない状態に追い込まれることもあります。自分自身と戦う自分がいて、シンドい思いをするのは創作ならではの醍醐味です。また公務の仕事がひとつ終わって、創作に戻る時はワクワクします。さらに次の公務が待っているので、創作で精神的に追い込まれることは稀にしかありません。精神を健全に保つには、こんな感じの日常がいいのかもしれません。

キャリア教育について

学校教育の骨子となっている学習指導要領の中に「キャリア教育」という箇所があります。ニートやフリーターがしだいに増えていくと社会が弱体化する傾向になるので、そこで児童・生徒・学生に確かな職業観を身につけさせようとするのが「キャリア教育」です。学校教育が行き届かなかった昔は、子どもが丁稚奉公に出され、否応なく職業体験ができたものです。それが現在は学校で職業体験を設定して、働く意義を教えているのです。自分は中学生の時から亡父のもとで働いて、小遣いをもらっていました。家庭内「キャリア教育」でした。そこで自分は亡父の職業に嫌気がさす皮肉な結果になりましたが、確かな職業観をもてたのは幸いでした。人は働かなければいけないというモラルが身についたのでした。現在も彫刻家の顔と地方公務員の顔を持っていて、それ故悩んでいる自分がいます。でも職業人として社会に参画している実感は、日常の自分の生活を見ると必要なことかなと思ったりしています。

創作行為に関すること

気が乗らないと創作がままならない状態は日常では普通のことだと思います。自分もずっと何かやりたいけど、何もやれない状態が続いていました。日常の雑事にかまけて、やりたいことが出来ず、時間ばかりが過ぎてしまうことが多くありました。どこかの段階で創作行為に対する意識が変わり、堰を切ったように制作を始めたのです。その時はギャラリーでの個展が決まっていたわけではなく、その他外的な要因もなく、ただ作りたいという純粋な気持ちが湧いてきて、わだかまっていたイメージを追いかけ始めたのです。こうした意識で始めた創作行為はなかなか強くて、多忙な仕事を抱えていても、時間を見つけては創作に戻っていけるのです。実際今も仕事に忙殺されていますが、イメージが痩せ細ることはありません。本当の意味で自分がやりたいものがそこにあると感じています。

365点の連作 立体への兆し

2月から始めている365点の連作が近頃面白くなってきました。ポストカード大の作品ですが、いろいろな展開を見せ、また立体要素も加わって次から次へ作品が生まれます。一時はどうなるものやらと思っていましたが、ヴァイオリズムがいい状態になっていて、毎日楽しく作業しています。毎回違う発想でやることは無理そうなので、何日か同じテーマでカタチを追い続けています。今は平面からレリーフに変わり、徐々に立体へ展開する兆しがあります。356日の間には、今のように盛り上がる時もあれば、落ち込む時もあるだろうと思います。その心の動きが面白いと思います。展示を考えずにスタートしましたが、ここまでくると1ヶ月ごとに額装して展示してみたい欲求にかられています。この夏は木彫の大作と併行して進めていこうと考えています。

柱材の購入と運搬

今年も柱材を購入し、レンタカーで作業場まで運搬しました。日々の仕事に追われているので、今年は業者に頼むつもりでいましたが、結局自分でやってしまいました。今年購入した柱材はかなり長めで作業場の天井すれすれでした。輪にしたテーブルの内側から外に向かって柱が斜めに伸びていく作りにするつもりなので、できるだけ長めの柱を使おうとしています。彫る部分も昨年より多く、また先端を細くする予定です。実際に彫り始めるのは来月中旬になります。作業場で柱材をしばらく眺めているのがいいのです。どんなカタチを彫りだそうか柱材と相談するのです。結構楽しい時間です。前にもブログに書いたことがありますが、素材を買ってきて、それをしばらく寝かせていて、カタチが浮かぶまで待つ時間です。

古い詩集の新鮮なコトバ

歌謡曲は、歌は世につれ世は歌につれながら次第に古さを纏っていくものですが、時代を反映しながらも、なお新鮮な表現を保つコトバがあります。自分が学生時代に歌謡曲(フォークソングかな)を聴きながら集めた詩集です。当時の現代詩を自作のフォークソングに仕立て直す歌手がいて、そんな興味と書店での立ち読みから、どうしても欲しくなった詩集がかなり我が家の書棚に眠っているのです。白石かずこ詩集「卵のふる街」の空からいろいろなものが降ってくる映像としてのイメージが好きになったり、富岡多恵子詩集の活字の楽しさ、気ままさがスイスイと心に入ってきたりしました。こういう詩人たちが語る自作論の面白さは、自分が自作の彫刻作品を語るコトバと照らすとあまりにも自分が貧困でなりません。50年も前に初版されているコトバが、世につれずに新鮮でいること。自分の作品も(コトバではない)そうありたいと願うばかりです。

歌は世につれ 世は歌につれ

昔の歌謡番組で司会者がよく「歌は世につれ、世は歌につれ〜」と言っていました。なるほどFMから昔流行ったフォークソングが流れると、懐かしさのあまり一緒に歌ってしまう自分がいます。今のJポップはそんな風に歌えるのかなと余計なことを思っています。自分にとって最近まで口ずさんでいた歌が、もうナツメロのように扱われ、こんなに月日が過ぎたのかと改めて思いを巡らせることがあります。でもヒットする歌は前衛的なものよりも、多少古さを残し、どこかで聴いたことのある懐かしいメロデイが含まれていることが多いと感じています。ラップのようにもう前衛とは言えなくなってから、心躍り、また染みこむ歌が出てくるのだと思います。美術も同じでしょう。前衛が前衛でなくなり、人々が新しい美を享受できるようになって初めて名作が生まれるのかもしれません。

梅雨の中休みの炎天下

気象庁が梅雨と発表してもまとまった雨が降らない日が続いています。昨日雨が降ったかと思えば今日は快晴となり、昨日の雨が湿気をもひきつれて遠のき、清々しい天気になりました。今日は外仕事が多く、炎天下の中にずっといました。学生の頃、石彫を少しやったことがあり、外で石を彫る作業のつらさ、楽しさを知りました。石彫の作家なら今でも外で仕事をしているのかなと思うことがあります。気候を皮膚で感じながら、風の通る仕事場にいるのは気持ちのいい時もありますが、外気に長い時間触れることのつらさもあります。亡父の造園の仕事を手伝っていた頃も外仕事ばかりでした。今日のことを考えると、炎天下の作業はなかなか大変と感じています。陶彫や木彫は室内での作業なので、今までの習慣でやはり制作は室内がいいと弱音を吐きたくなるような一日でした。

土壁に魅せられて

自宅に土壁はありません。家を建てた時は借金で首が回らず、家の素材まで考えられなかったというのが本音です。ですが土壁は大好きです。今晩TVで「美の壺」という番組をやっていて、「土壁」がテーマでした。番組の中で目にした自然な土の色合いに魅せられてしまいました。白い漆喰や藁を混ぜたしっとりした土壁は何ともいえない雰囲気があって、どんな抽象画もかなわないと思っているくらいです。自分の陶彫による作品をそんな土壁に囲まれた空間に置いてみたいと考えています。ほの暗い照明をあててみたらいいかもしれないと思います。

活字離れの反動

職場まで自家用車で通勤し、しかも超過勤務の毎日。たまに帰りがけにスポーツクラブに行って水泳で身体を保ち、帰宅すると「365点の連作」を作ったり、このブログを書いたり。こんな毎日の生活で犠牲になっているのは本を読むことです。今日は出張の合間に書店をのぞき、新しい本を2冊買いました。夭折の銅版画家の生涯を描いた本とマニエリスムをテーマにした美術評論。カフェによって、早速買ってきた本をパラパラめくると、たちまち病みつきになり、美術的なるものが頭を駆けめぐりました。こうなるともう職場に帰る気がせず、今日はそのまま本を抱えて帰宅しました。来月末になると職場が夏季休業に入ります。そこでまた例年のように昼間は制作、夜は読書の楽しい生活が始まります。活字離れの反動で、一気に活字に浸る生活が待っています。そんな生活を楽しみに今はしばし職場の労働に身をおくことにします。

トイレという名の快適空間

ヨーロッパ各国からトルコへ旅した時に、便器のカタチが国によって変化していくのを見て、その国の人々の生活や文化をトイレを窓口にして語れるのではないかと思ったことがあります。洋式と和式が違うように、国によってトイレは様々な形態があります。トイレットペーパーがあったりなかったり、水の入った容器が置かれていて、これで尻を洗うのかと戸惑ったこともありました。トイレは何でもない空間でありながら、一部のレストランや店舗ではデザイン性に優れた素敵な空間を演出しているところもあります。とにかくトイレが清潔であると、国、市町村、公共施設、民間施設、個人の家、いずれも居心地のよい所になります。我が家では来客があると、まずトイレの掃除から始めています。外へ出かけた折、そこのトイレで品格を判断することもできるのではないかとさえ思うほどです。トイレという名の快適空間はアートギャラリーにも匹敵すると考えています。

ベッドの重要性

大学時代の話です。下宿していた友人宅に招かれた時に、その場に相応しくない立派なベッドがありました。ベッドが立派なのは装飾ではなくスプリングの良さにありました。友人いわく「寝ている時間は人生のかなりの部分を占めている。健康であるためには快適な睡眠を取らなきゃ駄目だ。家具の中で一番金をかけなきゃいけないのは、自分の身体を考えるとベッドのスプリングだと思う。」う〜ん、なるほど。この時のコトバがずっと頭に残り、家を建てた時には、まずベッドのスプリング、そして毎日食事したり語らうダイニングと順番をつけたのでした。今も彼から聞いたコトバ通りだと思います。

家具へのこだわり

家を建てた時に、どんな空間を作ろうか思案しました。ずい分前の話ですが、この時が一番楽しかったように記憶しています。多額な借金をしたにも関わらず、家具にこだわりがありました。家具も借金でした。本来なら家の素材にもこだわりたかったのですが、これには手が回らず、フローリングにしろ壁にしろ色調を合わせるのがやっとでした。でも家具は別でした。いくら高価でも所詮家具と高をくくっていたのですが、請求書を見てびっくり。でも無理をして買うことにしました。飛騨の家具メーカーが英国の農村で使われているデザインに着目して作った重厚なダイニングと飾り棚。「プロヴィンシャル」という名がついています。オーストリア人の現代彫刻家のお宅で見た中世の木工家具に魅せられていたので真似をしたのです。でも毎日使っていても飽きることなく、ますますその渋さに魅せられていきます。そう考えれば家具はこれと思ったものを買うべきだと今でも思います。

365点の連作近況

2月から毎日描いている平面による小作品ですが、気づけば130点を超えています。今までの作品全てがペンによる線描で淡彩を加えています。毎日あれこれ試行しようと思って始めた連作ですが、発想を大幅に変えることができず、結局同じような画風になってしまっています。以前タウン誌の取材で3か月分を床に並べた時は、インタビュアーが「一貫性を感じる」と言っていました。実を言えば日々別の仕事に追われ、発想を膨らませることができず、一貫性にならざると得ないのが本当のところです。でもここにきて、ようやく新しいアイデアを入れてきました。合板によるレリーフを画面に貼って、ペン画と関連づけた画面を作ろうとしています。かつて陶彫で試みた「発掘〜鳥瞰〜」の紙製のようなものですが、結構気軽さがあって失敗しても苦にならず、これはこれでいいなあと自負しています。

飯田善国「見えない彫刻」

最近急逝された現代彫刻家の飯田善国さんが出版したエッセイを、埃をはたいてパラパラ貢をめくって見ています。1977年に購入しているので、手許にあるのは初版です。自分がちょうど大学生の頃で、この本によって現代彫刻のことや海外の情報を知ったように記憶しています。初めて読んだ当時は作品の洞察力だけでなく詩情豊かな文章によって、遥か海外の憧憬が自分の中で膨らんでいました。オスカー・ココシュカに会った日の文章などは自分勝手なイメージを作って、ひたすら憧れていました。詩人エズラ・パウンドも同じ。ただここで初めてエズラ・パウンドなる人物を知ったのですが。自分もやがてウィーンで暮らし始めることになったので、生前に一度お会いしたかったと今では後悔しています。少なからず「見えない彫刻」から影響を受けた者として、飯田さんのご冥福をお祈りいたします。

思索集 藤田昭子の原風景

何年か前に神奈川県の大山の麓にある小さな美術館で藤田昭子さんが個展をされていたので見に行って、本人にお会いしました。昔から野焼きによるモニュメントを多く作られていて、住居ともオブジェとも言える造形に注目し、また羨望の眼差しで作品を追いかけてきました。表題の本はその個展の時に買ったもので、丁寧にサインをしていただきました。自分も陶彫による造形を手がけていて、やはりパーツに分けて窯に入れて、ひとつの大きな作品にまとめています。そこは藤田ワールドに共通するものがあって、展覧会があれば必ず見に行っています。この思索集も時々読んではまた本棚に戻す書籍のひとつです。昨日ブログに書いた「石のコトバ」も「思索集」も身の周りに置いて参考にする資料です。

デイータ・ロンテ「石のコトバ」

海外で生活していた頃に購入した「STEINSPRACHE」という写真集があります。ドイツ語を和訳すると「石のコトバ」。繰り返し見ているので、表紙が黄ばんできています。ただイメージを掴むには大変いい写真が収められているのです。風景の中に何気なくある大きな石。そこにチョークで縞模様や幾何形体が描かれています。作為の施された大きな石と風景がモノクロの写真で撮影され、そこに不思議な調和が生まれています。まるで洞窟壁画や地上絵のように石器時代の産物のようです。環境芸術のひとつと言えます。自分の作業が始まり、またこの写真集を手にとって見ています。

ブガッテイを運転する女性像

1929年に描かれたタマラ・ド・レンピッカの「自画像」は「デイ ダーメ(ドイツ語で婦人)」の表紙を飾り、そのイメージは自立する女性像、流行の車に颯爽と乗るモダンガール、そしてアールデコの象徴として印象づけられました。今もレトロな感覚とともに新鮮な印象を残します。ブガッテイは緑色のオープンカー、乗っている女性はシルバーのヘルメットをかぶり、近未来的な雰囲気さえ漂います。私の趣向として、こうした世界が大好きなのです。自分もレトロな車体をもつクライスラーに乗っています。その感覚はひょっとして無意識に自分の作品にも反映しているのかもしれません。歯車のイメージが前時代的な工場と結びつくと人に指摘されたことがあります。確かに陶彫や木彫を素材として私は人工的な世界を作っています。タマラ・ド・レンピッカの油絵も、モチーフが人物や静物、たとえ花を描いたとしても人工的に見えるのは私だけでしょうか。私がタマラ・ワールドのファンなのはそんなところにあるのかもしれません。

タマラ・ド・レンピッカの世界

タマラ・ド・レンピッカの絵は、現在に至るまで評価が二転三転したそうです。絵を見るとアールデコの時代をあまりにも象徴する空気をもち、レトロな雰囲気が漂っています。ただ、とても巧みな技術をもった画家だと思います。キュビズムにしても表現主義的な色彩にしても画面の中にきっちり収めて、心地よい画風を作り上げています。絵が壁を飾るファッションのように思えないでもありません。デカダンな空気を感じてしまうのは私だけでしょうか。描画方法においては、面でカタチを追っているので、彫刻的な捉えをしています。そんな要因があって私はタマラ・ド・レンピッカの絵が大好きなのです。なかなか日本では馴染みのある画家ではありませんが、また本物の絵画に接したいと感じるこの頃です。

画家タマラ・ド・レンピッカ

画家の生涯を映画化するとしたら、タマラ・ド・レンピッカがいいと思っています。今までフリーダ・カーロやグスタフ・クリムトの生涯が映画化されています。古くはカーク・ダグラスがゴッホに扮した「炎の人」があります。何故タマラ・ド・レンピッカかというと、彼女が絶世の美人画家であったこと、彼女の生涯が多彩で波乱に満ちていること、謎の出生地など話題性に事欠かないからです。作品も当時流行したキュビズムやアール・デコを学んで、肖像画で時代の寵児になるほど絵画的な表現力に溢れています。10年ほど前に日本で展覧会があって、たちまちタマラ・ワールドの虜になってしまいました。作品を語るのは別の機会にしますが、彼女の美貌にも驚き、女優やモデルとしてもやっていけるのではないかと思いました。

「発掘〜地下遺構〜」HPにアップ

今年4月の個展に出品した「発掘〜地下遺構〜」をホームページにアップしました。コトバもつけました。自負するようですが、コトバもかなり慣れて衒いがなくなり素直に出るようになったと自分では思っています。「発掘〜地下遺構〜」はテーブル彫刻のひとつで、4畳大のサイズです。上部より下部の方に見せたいところがあります。オープニングではお客さんから上下の繋がりや関連の弱さを指摘されましたが、作りきったという点では一応満足している作品です。カメラマンに下部から撮影していただいたお陰で、ご覧のような動きのある映像が出来ました。感謝しています。何回かブログに書いていますが、この文章の最後にあるアドレスをクリックしていただけると、私のホームページに入れます。さらにホームページのギャラリーをクリックすると「発掘〜地下遺構」に辿りつけます。よろしくお願いいたします。Yutaka Aihara.com

地域での小さなコンサート

私の住む横浜市旭区の住宅地には地域コミニュテイがあって、普段付き合いのある人たちが集まって、近隣のカフェで小さなコンサートを開くことになりました。ギター、三味線、胡弓の取り合わせで「ボブ・デイランから八尾の民謡」まで、要はそれぞれの演奏者が昔取った杵柄で、知り合いを集めて会を催した感じです。家内は胡弓奏者としてこの会に参加していました。本来は八尾のおわらで演奏する胡弓ですが、聴衆サービスとして「愛はかげろうのように」や「千の風になって」など弾いていました。地域活性化は行政を待たず、住民が工夫して楽しんで出来れば素敵なものになると思いました。私も今日は制作を早めに切り上げて、知人や家内の演奏を楽しみました。この人たちが私の個展にも足を運んでくれて励みになっています。

カール・リープクネヒト追悼

表題の作品は、ケーテ・コルビッツの木版画です。20歳代の頃、ドイツ表現主義に魅かれたのはケーテ・コルビッツの版画や彫刻がきっかけになっています。戦争で息子を失った母が描く世界に強烈なアピールがあって、自分はたちまち表現の激しさに打たれてしまったのでした。なかでも「カール・リープクネヒト追悼」はその構図といい、表現といい、自分には忘れられない作品になってしまいました。死者に置かれた手。そのごつごつした重い手の表現を同じ木版画で真似てみたりしました。板目の木版画は平面的表現しか出来ないと思っていたところに、ざっくりした立体表現の、しかもいいようのない暗く過激なテーマをもったこの作品が現れ、さらに彫刻的な量感をもっていることもあって、当時の自分を揺さぶるには充分な要素がありました。彫刻はE・バルラッハと似ていますが、コルビッツの方が私的な動機で作られたような気がします。母子像が多いためなのかもしれません。

舞台・ベルリン

ドイツの第二次大戦の話ばかりブログで書いていますが、表題の本「舞台・ベルリン〜あるドイツ日記1945/48〜」は、1985年自分がウィーン生活を切り上げて帰国した頃に読んだものです。ウィーン生活がまだ生々しい時に、この本を読んだので建物の作りや部屋の様子がよく伝わり、臨場感は凄いものがありました。日記は戦争終結当時のナチスに翻弄される一般の人々を描いたもので、ゲシュタポに監視され、街が崩壊していく様子に、今まさに自分がそこに居合わせているような錯覚がおこるほどでした。平和な時代に生まれている自分が海外で暮らしたことで、そこで知り合った人々、たとえば住宅の管理人をしていたおじさんは片目がなくて、それはヒットラーのせいだと恨みを言っていたのを思い出したり、隣町のブタペストにはまだ壁に砲弾の跡が残っていたりして、今だ戦後が消えていない現状を見たからに他なりません。もう身近に戦争を語る人がいなくなっています。未来永劫自分を含めて人々が生命を脅かされることがないように祈るばかりです。