ギリシャの島の思い出

「ギリシャのエーゲ海で、船が1週間に1度しかこない島があったっけ」と家内に言われて、そういえば滞欧生活から引き揚げて来る時に、トルコやギリシャを数ヶ月もかけて旅をしたことを思い出しました。たしか2年ほど前のブログに当時を思い出せる範囲で書いた記憶があります。当時日記をつけることをしなかったのを後悔していました。話題の島はシフノス島だったと思います。波止場に小さな宿屋があって、そこに1週間泊まっていました。今ならどうするだろう、1週間という時間が与えられたら何をするだろうという思いを巡らせるのは楽しいものです。今なら難解な書物と画材を持参すると思います。当時もスケッチブックを持っていたはずですが、数枚のスケッチが残っているだけです。今なら描きに描きまくってスケッチ集が出版できるくらいの仕事をやるかもしれません。ただし、当時のような素朴な気持ちでスケッチをするかどうか、きっと今ならどこかのギャラリーで発表するつもりで、多少鑑賞者の眼を意識したスケッチをするように思います。それがいいのかどうかわかりませんが、幸運にも与えられた1週間に何か目標を立てて、懸命になって創作活動に取り組んでしまうのではないかと思います。Yutaka Aihara.com

陶土の追加調達

前に購入してあった陶土が少なくなりました。毎週末に2点ずつ成形するペースでやっているので、200kgくらいの陶土はすぐなくなってしまいます。そこで今回は660kg購入することを決めました。今日、栃木県益子の明智鉱業に電話を入れて、横浜まで郵送してもらうことにしました。前に郵送してもらった際に出来た自分のデータが明智鉱業にあって、店の人はすぐわかりましたが、今回は住所が変更していることを伝えました。工房に届けて欲しいと思ったのです。陶土が無くなる度に、益子に買いに行くのは大変です。でもかつてはそうしていた時期がありました。益子や笠間で陶器を見て廻り、移り住んだ友人に成形や窯入れの方法を聞き出したりして情報を入手していました。自分の方法が見つかると、益子や笠間に行っている時間が惜しくなり、陶土は郵送してもらうようになったのです。使う陶土も決まってきました。時折試しに普段は使わない陶土を買う時がありますが、これは明智鉱業で扱っているような20kgでひとつに梱包されている陶土を買うわけにはいかず、近くの画材店で1kgずつ買うようにしています。材料のことを語らせばキリがなくなる陶芸家が多いし、自分も例外ではないことを悟って、今日はこのへんで終わりにします。

RECORD10月・11月アップ

毎日ポストカード大の作品を作り続けているRECORD。飽きもせず時と場合によっては無理やりやっている時があります。そんなRECORDの昨年の10月分と11月分がホームページにアップしました。10月は平行四辺形をベースに、11月は半円形をベースにした画面を作っています。最後に掲載したコトバは図形からイメージしたもので、直接図形とは関係ありません。目の前で起こる情景を振り返りつつコトバを捻り出しました。管理職として直面するクレーム対応やメンタルな病を抱える職員のことが、やはり頭を過り、まとまらないコトバで言い放しにしてしまいました。浮かんだことをそのままメモした感じです。ここはあまり気にせず、毎日ひたすら描いた小世界をご覧ください。ホームページには文章の最後にあるアドレスをクリックしていただけると入れます。ご高覧いただけると幸いです。    Yutaka Aihara.com

工房に置く暖房機購入

昨日、身体を冷やしてしまった影響からか今日は体調が優れず、だるい状態が続きました。それでも午前中2時間陶彫の修整をやって、昼ごろ職場に出かけて、先週金曜日の終日出張のため出来なかった仕事を片付けてきました。2時間くらい職場にいて、午後工房に戻ってきました。また2時間作業をしていたところで、どうにもだるさが取れず、これは寒さ対策をしなければならないと考えました。今日は晴天で工房内の温度はさほど厳しくはなかったのですが、寒くなるたびに体調を崩していては仕事が進まないと思ったのです。家内を誘って近くの家電量販店に行きました。業務用のストーブはなかったものの24畳対応の大きな暖房機を見つけました。こんな大きなものを買う人がいるのかどうか、ともあれ在庫は無いというので、店に出ていた展示用のものを買いたいと申し出ました。つや消しの黒いファンヒーターで「アンティック」と書いてあるのが気に入りました。たしかに懐古趣味なデザインです。自分は自家用車もクラシックなデザインが好きなので、これは巡り合せのようなものです。車に乗せるのに苦労して、すぐ工房に持って行きました。これで充分とは思えませんが、来週末に試してみたいと思います。Yutaka Aihara.com

工房の寒さ対策

陶彫の制作をやっている工房は、農業用倉庫として建てたもので、内装がありません。断熱材もなければ天井板もありません。真夏は空調設備がないことで、汗の滴る環境に根を上げましたが、今日は寒さに身が縮む思いをしました。着込んでも寒さは改善されず、どうやら身体全体を冷やしてしまったようです。身体の動きが緩慢になり、頭がボーとしてきました。これはまずいと思って、自宅にある家庭用の石油ストーブを持ち込んだのですが、広い空間を暖めることにはなりませんでした。今日は真冬の寒さで、こんな時に寒さ対策をどうするか、業務用のストーブが必要になるのかを考えたいところです。これだけ遮るものがないと熱効率は極めて悪く、費用もかかりそうです。明日はまたいっぱい着込んで工房に出かけたいと思います。陶彫は水を使うので手も悴んできます。倉庫として建てたことで、予めわかっていたことですが、なかなか厳しいことがあります。昨日はあんなにいい環境と思っていたのに…。                          Yutaka Aihara.com

工房に籠もれる幸せ

今日から三連休です。月曜日はちょっと職場に顔を出さなければなりませんが、ともかく制作三昧の三連休がやってきました。今日は晴天で、工房の周囲にある木々は紅葉していて、青空に深紅や黄色の葉が映えていました。快い環境の中で、制作が出来る幸せを感じています。自分にとって今は時間が貴重です。公務に追われる日常を離れて、自分がやりたいことをやれる時間が何より大切なのです。自分は作っている時間が大好きです。彫刻家としては、あたりまえのことですが、制作に打ち込む基本的な姿勢を忘れてはならないと思います。でも自分は忘れるも何も好きなことがやれる時間を精一杯生きているわけですから、これは一生やっていける自信があります。タタラをもとに陶土を立ち上げて成形する工程は、造形的な意味で一番面白い仕事です。そこから仕上げていく仕事は言わば職人的な仕事で、別の心地よさがあります。「構築〜瓦礫〜」の瓦礫の部分は10点ほど成形が終わっています。工房のテーブルでは狭くなり、明日は成形された作品群をコンクリート床に板木を敷いて置こうと考えています。

座間市での研修会

今日、神奈川県公務員の管理職研修がありました。横浜から座間に出向き、終日職場を離れて研修に参加させていただきました。午前中は講演会がありましたが、職場とはまるで関係ないと思われた講演が、大きな視野で捉えれば、決して無関係ではないことに気付きました。講演では、人類学者が人類の進化を現在の調査を踏まえて、わかりやすく解説してくれました。猿人→原人→旧人→新人に至る進化は、様々な環境の下で枝分かれし、数々の種が誕生して、食物資源をめぐって競合し、大部分は絶滅し、現在では我々ホモ・サピエンスだけが生存しているというものでした。人類の辿ってきた壮大なドラマに、しばし仕事を忘れて聞き入りました。骨の変遷史という視点では、現在の若者は顎の骨が退化しているらしく、これは日頃の食生活が大いに影響をしているようです。そういえば、自分の滞欧中に食べていたバゲットや黒パンは顎が疲れるほど硬くて噛み砕いて空腹を満たしていたように記憶しています。帰国して感じたのは、日本の食物の柔らかさと口あたりの良さでした。これが顎を退化させ、それが原因となって起こる障害もあると聞き及びました。大きな視点から捉えた人類の未来像。そんなことを考えながら過ごした一日でした。

詩人という存在

「瀧口修造全集」を相変わらず読んでいます。瀧口修造は詩人と認識して久しかった自分には、全集に掲載されていた自己を振り返る文章の中で、詩集を一冊も出版していない詩人だと自身を語っていられるのを読んで、職業人としての詩人とはどういう存在なのだろうと思ってしまいました。詩を作る人が即ち詩人です。ただ詩らしきものを作る人は大勢いて、自分もその真似事くらいはやっていると自負しています。詩らしきものが巧いか下手かは別として、コトバとコトバを繋いで、そこにイメージを作り出す作業は、義務教育で習う程度の語彙があれば誰にも出来るのではないかと思うのです。コトバの組み合わせ次第で、不思議な雰囲気や不可視な世界が出現したり、それが自分の求める座右の銘になってしまったりすることだってあると思います。そうしたコトバを媒体にした心象を作り出す人が詩人で、詩を生業にしているならば職業人としての詩人なのかもしれません。ただし、職業的詩人であろうとなかろうと、詩という分野は自分にとって精神の栄養であり、感情や感性の襞に触れる表現であるため、自分がよりよく生きるために必要なものだと感じています。                       Yutaka Aihara.com

NOTE(ブログ)のアクセス

自分のホームページではブログのことをNOTE(ノート)と表記しています。毎日書く日記として、または雑記帳として考えているところもあって、NOTEという表記が気に入っています。ホームページとともに始めて3年目です。少しずつアクセス数が増えてきて、毎晩確認するのが習慣になってしまいました。だいだい最近では一日200件から300件というところで1ヶ月では7000件から8000件くらいのアクセス数になります。一昨日の「私の中の彫刻美術館」のアクセス数が今までで最も多く1.544件でした。なんでこんなに多かったのか、どこでヒットしたのかわかりませんが、ちょっとビックリしました。毎日読んでくださっている方がいるのでしょうか。稚拙な内容と文章で恥ずかしい思いですが、実は嬉しくもあります。最近は文章がやや長くなる傾向があります。また話題に困る日もあります。このNOTEもRECORDと同じで、話題が豊富な日も事欠く日も、とにかく自分のことを書き続けていきたいと思います。書き続けることが表現のひとつと考えているからです。定期的に読んでくださっている方がいるならば、今後ともよろしくお願いいたします。             Yutaka Aihara.com

近隣住民の集会

自宅の近くに亡父の残してくれた植木畑があります。そこには農業用倉庫(工房)があるのですが、その畑と隣接した土地に巨大な介護施設が現在建設中です。重機が移動する時の地震と間違えるほどの揺れに悩まされている住民を対象に、建築業者からの説明会がありました。それだけではありません。植木畑は小高い丘の上にあり、植木畑の傍には数軒の住宅があります、その小高い丘を畑ギリギリのところまで削り取り、アンカー工法による壁を作ると建築業者が言ってきたのです。アンカーを打ち込む場所は植木畑と数軒の住宅の土地です。今までそんな説明を聞いていない我々住民は憤りを感じ、説明会を業者に依頼したのです。工法は変えられないという業者に我々はノーと言いました。我々の憤りを察知した業者は今になって慌てて家屋調査に乗り出しました。住宅を持つ近隣の人たちは、業者の誠意の無さに怒りさえ覚えたようでした。災害が発生し、植木畑が崩れれば、畑の裏地にある住宅に被害が及びます。畑を所有する自分は、裏地の住宅に住む人たちのことを考えれば、これは由々しき事態と言わざるを得ません。騒音被害を受けている近隣住民だけでなく、自治会まで巻き込んで、設計変更を業者に詰め寄りました。今後どのようになっていくのか注意深く見ていきたいと思っています。                               Yutaka Aihara.com

私の中の彫刻の森美術館

箱根にある彫刻の森美術館。昨日「多田美波展」を見に行って思い出したことがあります。彫刻の森美術館は自分が大学の時に彫刻科で教壇に立っておられた故井上武吉先生が設計された施設です。ちょうどその頃、伊東にある池田20世紀美術館も井上先生が手がけられ、井上先生、篠田守男先生、堀内正和先生と学生10数名でバスを借り、この2つの美術館を巡る遠足をした思い出があります。現代彫刻界のスター的存在の先生方と一緒に美術館に行かれる幸せを、自分も学生ながら噛み締めていました。池田20世紀美術館のキュービックな建物の前で撮影した記念写真が今も手許に残っています。あの頃に比べると彫刻の森美術館はずい分時間が経ち、敷地も多少様変わりしました。芝生に点在する彫刻の数々は昔から変わらないもの、新たに加わったもの等いろいろあって考えさせられます。こちらの見方が変わったせいもあるのでしょうが、感動が薄れたり、古びてもなお存在を示すものがあったりして、一体これは何なのか自分でもよくわかりません。いずれにしろ置かれた彫刻は紛れもなく現代という時を生きているものだということを改めて認識した次第です。                      Yutaka Aihara.com

箱根の「多田美波展」

箱根の彫刻の森美術館で「多田美波展〜光を集める人〜」が開催されています。知人から招待状を頂いたので、紅葉の箱根に行ってきました。昨日とまるで変って、今日は晴天に恵まれ、おまけに休日とあって渋滞が予想されました。そこで早朝自宅を出て、9時開館と同時に美術館に入ることにしました。昼には帰途につく計画でした。午後は工房で制作したいと欲張っていたのです。案の定、帰路では反対車線が元箱根から山の上まで渋滞していました。今日は思った通りに出来た一日でした。さて、「多田美波展」は現代感覚あふれるシャープな造形で一貫しつつ、しかも作家の年齢、経歴からしても敬意を表すに値する内容になっていました。鏡面磨きのステンレススティールの作品に周囲の風景が映し出され、また厚いアクリル板を通して風景が歪んで見える明快な表現は、作家が野外環境や建築とともに自分の世界を発展させてきた結果と言えます。経歴を見ると80歳を過ぎているのにまるで枯れることのない制作意欲はどこからくるのか、自分の母より上の年齢で、しかもモダンな造形感覚で現代彫刻をリードしてきた足跡に驚くばかりです。このような見習う先輩がいてくれるおかげで、自分も午後の制作に弾みをつけました。                           Yutaka Aihara.com

荒天の週末を過ごす

工房に吹きつける風や雨の音を聞きながら、今日も朝から陶彫の成形です。職場で一緒に仕事をしている人が陶芸をやりに来ました。工房は解放しているわけではないのですが、関係者を気楽に誘っています。今日はボランティアの子も来ていて、集中した制作時間を過ごしていました。天気は午後から晴れてきましたが、風が強かったため、工房の周囲の植木の枯れ葉が舞っていました。気温は昨日と10度以上も違う暖かさ。秋が日増しに深くなっていくようです。陶彫の成形は今日も2点作り上げ、後日仕上げをする段取りになっています。いつの間にか8点ほど出来上がっていて、急激な乾燥を防ぐためビニールで覆っています。陶土も残り少なくなってきて、益子の明智鉱業から宅急便で送ってもらおうかとボランティアの子と相談しています。自分が使う種類以外の陶土も必要になってきているからです。      Yutaka Aihara.com

秋色の風景を愛でる

朝晩めっきり冷え込んできました。この時季は毎年ブログに書いていますが、朝起きて窓を開けると外はまだ暗く、少し前までの明るさが嘘のようです。自宅も工房も周囲が植木畑なので、落葉樹の紅葉が始まっています。紅葉に色づく風景は大好きです。秋色と言うべきか仄かに黄色くなった葉が乾いた風に舞っていたりすると情緒を感じてしまいます。詩心というのはこんな時に芽生えるのかもしれません。作品に彩色する場合は、つい秋色を使ってしまう癖があります。砂マチエールの上から染み込ませる油絵の具は黄色や赤を基調としていることが多く、RECORDも枯れ葉のような色をアクリルガッシュで作っています。こんな季節にどこかに行きたい衝動に駆られますが、現在公務は多忙をきわめ、また制作は佳境に入ろうとしていて、なかなか秋色の風景を愛でることは叶いません。周囲の植木畑で紅葉を楽しむのが関の山です。亡父が残してくれた植木畑はそれだけに貴重な存在です。Yutaka Aihara.com

自分を取り戻す時間

一日のうち自分を取り戻す時間はどのくらいあるのだろうと考える時があります。まず、通勤電車の中で読書をする時間。かなり前から「瀧口修造全集」を読んでいます。ほんの僅かの時間ですが、美術論評に触れる貴重な時間です。帰宅してから過ごす時間。RECORDを描いたり、このブログを書いています。RECORDは2時間程度、ブログは就寝前の30分程度。時々近隣のスポーツクラブに出かけ、1時間程度汗を流してきます。現在はそんなリズムでやっています。昨年は自宅のアトリエで陶彫をやっている時期がありました。今年はとてもそんな時間はありません。帰宅してから真っ暗な植木畑を歩いて、工房に行くのはちょっとシンドいのです。自宅のアトリエは道具や素材が揃いません。それら全ては工房に引越しをしてしまったのでアトリエは蛻の殻なのです。こうしてみると自分を取り戻す時間が少ないと感じます。のんびり過ごすのも自分の時間ですが、のんびりゆったりした時間は自分にはないなぁと振り返っています。            Yutaka Aihara.com

破片の点在する世界

現在制作中の陶彫は「構築〜瓦礫〜」というタイトルをつけて、陶彫による破片が点在する世界を表そうとしています。自分は作品をまとめすぎる嫌いがあって、今ひとつ大きな世界観を構築できないのですが、破片を無作為に点在させる場の演出を行うことで、新しい空間を捉えようとしています。ただひとつひとつ作っている陶彫は、やはり単体としてまとまってしまう傾向があります。単体はあくまでも大きな世界を形成するパーツです。陶彫の単体をたくさん作って、バラバラにして床に置いてみたいと考えているのです。作品を設置する場所によって置き方が変わってくる作品です。撮影の時はいろいろな場所で置き方を変えてやってみたいと思っているのです。平面の床、階段、奥まった壁に囲まれた空間など周囲の環境も利用してやってみるつもりです。そんなことをイメージしながら作品を作るのは楽しいと感じます。まさに全体が見えない世界、破片が散らかって全体は鑑賞者のイメージに任せる世界、破片のもつ欠如した部分が謎めくのを想像すると気分が高揚してきます。                           Yutaka Aihara.com

記号化された世界

クレーやミロの絵画に見られる象形文字のような記号は何を表そうとしているのか、それはモノの説明として書かれたものではなく、むしろモノから遊離した何かを描いたものとして理解しています。記号化された絵画です。そこに謎解きのような面白みを感じることがあります。純粋な構成要素となった記号は、記号としての約束事から解き放たれ、軽やかなメロディーを歌い始めるような気分にさせてくれます。それは楽譜のように見えることがあります。また悲しみの象徴として内面の闇のように見える時もあります。実際に詩として書かれたものを描きなおし、そこに意味を読み解く絵画があれば、意味を成さない記号による絵画も存在しています。自分は記号化された世界には惹かれるものがあるのです。感覚的な土台の上に論理的に構築された世界、文字のようでいて作者しか読み解くことの出来ない世界、たわいもない独り言を発しているように見える世界、普遍的にそこに存在する世界…記号化された世界にはさまざまな解釈が成り立ちます。自分もいづれ文字から解放された記号を造形要素として試作したい気がしています。     Yutaka Aihara.com

アトリエと工房

自宅には小さなアトリエがあります。公務員になった若い頃、憧れの陶彫はまだ出来ず、油絵を描いていた時期がありました。画架を立ててキャンバスを置いて、歯車のような抽象形をモチーフにした絵を何年も描いていたのです。彫刻を学んだのに環境的に彫刻を作るのが難しかったので、自分がイメージした世界を平面で表現しようとしていました。重く暗い絵でしたが、当時は気に入っていました。アトリエは油絵の具の臭いが充満していて、自分はずっとこれでいくのかなぁと思っていました。陶彫が出来るようになって環境が一変しました。現在はコンクリート打ちっぱなしの工房があり、窯が設置してあります。アトリエから当時の油絵や図録を運び出して工房に置いてあります。アトリエは別の用途を考案中で、たとえばそこで彫刻の雛型を作ったり、RECORDを作りたいと思っています。または家内の胡弓の練習場にも使えそうだとも思っています。いずれにしても内装をきちんとした上で考えていきたいと思います。                   Yutaka Aihara.com

週末の疲労感…

昨日の続きのようなブログの内容になってしまいますが、昨日余力を残して終わったはずの制作が、今日はどうやら疲労が溜まって全て中途半端になってしまいました。陶彫の制作はかなりの肉体労働です。それでも陶彫なら陶彫だけやっている方が疲労感は少ないように思えます。陶彫の修整やら、以前からやっている作品保管用の木箱作りやら、小品のための準備やら、日頃やらなければいけないと考えていることを見通してやっていると、あれもこれもと気が急いて結局は何も仕上がらず疲労感だけが残ってしまうのです。昨晩、職場関係の懇親会があったり、今日も昼間2時間ほど工房を抜けて職場に出かけたことも疲労感に拍車をかけているのではないかと思います。リフレッシュするはずの週末が、職場とは別な疲労感を伴って終わるのが惜しい気がします。焦らず休まず…これが自分流の生き方です。いろいろ考えすぎて、限りある週末の時間に詰め込みすぎるのはまずいと思った一日でした。                                Yutaka Aihara.com

週末の制作リズム

週末になると陶彫制作が待っています。既に成形が終わったものを仕上げ、さらに新たに成形するという作業の繰り返しです。2点ずつやっていきます。充実していると言えば、これほど充実している時間はありません。飽きずにずっとこんなことを続けています。工房が出来て陶彫の制作に弾みがついています。今年の春までは別の作業場でやっていましたが、木彫が中心でした。そこは窯が小さくて大きな陶彫をやるには無理がありました。大きな窯を借りてやっている時期がありましたが、現在の工房では今までより大きな窯を入れたので、思う存分イメージを広げられるのです。制作には一定のリズムがあって、ちょうど今がいい感じです。陶土を弄っていると、本当に時間が経つのが早いのです。気づかないうちに疲労が溜まってしまうこともあります。前にブログに書きましたが、ちょっと余力を残して一日の制作を終えることを今も続けています。そうしないと明日の制作が続かないのです。

叔母を偲んで…

母方の叔母が他界しました。母の弟である叔父と結婚したばかりの叔母は溌溂としていたことを今も思い出します。最近は病床にあって疎遠になっていましたが、叔母を偲んで母と共に弔問に出かけました。義父母、実父がここ数年の間に亡くなり、叔父叔母に関しては既に何人かが他界しています。自分の周囲にいて思い出を作ってくれた人たちがひとりずつ居なくなっていくのは寂しい限りです。自分もそんな歳になったのかと思うこともありますが、自分の中で歳はかなり前に止まっていて、親戚や身近な人の死亡通知を受けた時は戸惑いを隠せません。創作活動をしていると振り返る間もなく時が過ぎていくので、自己実現を未来に託す気持ちが強くなって、そこで精神年齢が止まってしまうのかもしれません。でも死は必ずやってくるものです。死を受け入れるにあたり自分は何をすればよいのか、自分はどう生きたらいいのか、自問自答しつつ今を精一杯生きてみようと思うこの頃です。 Yutaka Aihara.com

RECORDは4つの楕円

11月のRECORDは4つの同じ大きさの楕円形を並べ、そこに展開する要素を盛り込んでやっていこうと決めました。画面にパターンを持ち込んで制作するシリーズは、残すところあと2ヶ月となりました。技法もパターン化して苦しい状況になっていますが、1年間のシリーズとして決めているのでもう少し拘ってみようと思っています。頭から構成を捻り出し、それを毎日継続する仕事は、自分を深化させてくれるのか、それとも慣性で終わってしまうのか、自分でもよくわかりません。彩色は週末にまとめてやっていて、そこではそれなりの満足は得られるのですが、日々のペンによる構成下書きは、その日の気分に左右されてしまいます。5日間を一区切りとして段階的に展開できるように課題を課していますが、その日の公務の疲労度によって段階的にいかない時があります。前日より巧緻な構成をやろうとしても頭が回らなかったり、意欲が起こらなかったりします。それでも何とかしようと思う心があれば、このRECORDはまだまだ継続できるのではないかと思えるのです。                          Yutaka Aihara.com

横浜の「大乱歩展」

横浜の「港の見える丘公園」にある県立近代文学館で、江戸川乱歩の展覧会を開催しているので見てきました。美術展と違い、原稿やら書籍の頁をめくったところをガラスケースに入れて展示する文筆家の展覧会は、自分にはちょっと躊躇するところがあって行かないこともありましたが、ミステリーや怪奇小説を扱った江戸川乱歩のことなので、面白そうだと思って出かけてみたのです。晩年の「少年探偵団」や「怪人二十面相」は、書籍ばかりではなくTVや映画にもなっていたので、世代的には少々若い自分にも馴染みがありました。そういえばこんな本がシリーズになっていたっけ、と思い出すことが多く、自分はきちんと江戸川乱歩を読んでいなかったことを恥ずかしく思いました。自分が中学生の頃は、友人の影響で推理小説をよく読んでいたのですが、海外のものばかりで江戸川乱歩は知名度ほど自分は内容を知っていなかったことに気づいたのです。改めて今回の展覧会で知ったのは、闇を抉り出すような世界をずっと求めてきた乱歩の作家人生です。シュルレアリスムのようなイラストを見て、晩年のヒット作ばかりではなく、作家として自立したばかりの作品も読んでみたい衝動に駆られました。

文化の日に相応しく…

文化の日に相応しく今日は制作三昧でした。一旦陶彫を始めてしまうと、タタラにした陶土の乾燥を確かめながら仕事を進めていくので、制作を休むことができません。2日前に成形した陶彫部品2点が、ちょうどよい硬さになっていたので、鉄ベラ等で加飾を行いました。しばらく時間を置いて、仕上げていきます。加飾の際に成形用石膏型を外すので、次のタタラを石膏型に押しつけて成形を始めます。石膏型が大小2つ作ってあるので、同時に2点ずつ成形を行います。ということで、加飾や仕上げも2点ずつ同時に行うことになります。だから陶彫は次から次へと気を抜く間もなく、2点ずつ出来上がっていくのです。先日からポツポツやっていた保管用の木箱作りも、木彫の仕上げ彫りも一時休みにして、当分陶彫一本でやっていくつもりです。時間はあっという間に過ぎていきます。制作に没頭できる休日は幸せな時間帯ですが、時は矢の如く過ぎてしまうので、立ち止まることができません。成形の構想ではじっくり考える時間がありますが、ぼ〜と過ごすわけにはいかず、手も頭もクルクル回り続けて一日が終わります。

飛び石連休雑感

昨日が日曜日、明日が文化の日。それで今日はしっかり勤務を要する日で、つまり飛び石連休に挟まれた仕事日でした。職場に行けば、昨日のことも明日のことも頭から消えて、目の前の仕事に忙殺されてしまうのです。疲れてぼんやり職場の天井を見上げて、いつまでこんな仕事を続けるのだろうと思っていましたが、仕事があるからこそ休日工房に籠もって創作に勤しむことが楽しいと感じられるのかもしれません。工房にいる時間は貴重な時間です。時間が止まって欲しいとさえ願うことがあります。この貴重と感じられるのは公務があるからこそ感じられるのであって、限りある時間を有効に使うようにしているのも公務のおかげと言えます。はたして退職したら、こんなふうに時間を貴重と思えるのでしょうか。今でこそ退職の日をあと何年と指折り数えているのですが、いざ職が無くなると、今のように少ない時間のやりくりの中で、創作に没頭することができるのか疑問です。作り続け、動き回り、走りまくることが、あるいは作品に緊張を与えているのかもしれません。                               Yutaka Aihara.com

記憶に留めたい11月1日

今日から11月です。農業用倉庫として建てた工房で、今日は記憶に留めたい一日となりました。自分の彫刻デビューは陶壁でした。陶彫による表現が自分にとっては創作の原点になっているのです。前から工房で準備を進めていましたが、今日やっと陶彫制作がスタートしたのです。昔使っていた作業場からすれば、恵まれた環境の中で陶彫を扱える幸せを噛みしめています。土台になる石膏型にタタラにした陶土を押し込め、どべ(陶土を水で溶いたもので接着のために使用)で別の陶土を加工しモデリングを行っていく作業です。石膏型もタタラもボランティアの子が準備してくれました。ちょっと前までは全て自分でやっていたことが、今では人的な環境も揃ってきたことになります。時間をおいて表面処理や加飾をやっていきますが、明後日が文化の日なので、そこで「構築〜瓦礫〜A」部品の成形が2つ出来る予定です。久しぶりに大掛かりな成形を行ったので結構疲れました。でも、やっぱり陶彫は面白いと感じ、これこそ自分の世界だと再認識した一日でした。 Yutaka Aihara.com

新しい作業台が来た日

今日は工房に新しい作業台が4台届きました。工房は前にブログに書いた通り農業用倉庫として建てられたもので、今まで木を彫るにしても、土を練るにしても、最小のスペースでやっていました。今日届いた作業台によって、ようやく仕事の効率が上がり、制作にも弾みがつきます。作業台は木製ですが、既製品ではありません。知り合いの人が製材所から木材を手に入れて、さらに今日工房で組み立ててくれたものです。数人が手伝いをしてくれました。テーブルは厚い合板で、最後にボランティアの子と私で表面を仕上げました。午前中、工房は人で溢れて賑やかに活気づきました。自分の創作活動に協力者がいてくれることを幸せに感じます。自分がきちんとした作業台を持ったのも実は初めてのことだと気がつきました。今までは代用のモノばかりで済ませてきました。実家にあった机だったり、不必要になった事務用品だったりで、まともな作業台ではありませんでした。徐々に揃ってくる備品が嬉しくて、明日も制作三昧になりそうです。             Yutaka Aihara.com

静岡県のロダン館

大学で彫刻を学び始めた頃、自分にとってロダン、ブールデル、マイヨールの3大巨匠は避けて通れないほど存在感がありました。最初に自分に影響を及ぼしたのはロダンで、勢いのある量感と動きに圧倒されていました。ロダンを師と仰いだ荻原守衛にもその片鱗が見られ、そうしたことからロダンより身近に感じた荻原守衛に憧れたのでした。静岡県立美術館にロダン館が併設されているのを知っていたので、今夏静岡県立美術館を訪ねた折、ロダン館も見てきました。有名な「地獄門」は室内に設えてありました。東京の西洋美術館では野外にあるので、若干印象が異なって見えました。今見ると中には過剰と思えるほど動きのある塑造に不自然さを感じながら、それでも若々しい息吹を感じる作品が多く、それらを通して自分が彫刻の醍醐味を感じた最初の気持ちに戻れたことが何よりの収穫でした。日本人はロダンが好きなのか結構観客が入っていて、彫刻専門の美術館としては珍しいなぁと思っていました。

フォンタナのアトリエ

フォンタナは画布にナイフで穴を開けた作品で世界的に知られたイタリア人芸術家です。日本では中学校・高等学校の美術の教科書に、現代美術の旗手として掲載されています。今読んでいる「瀧口修造全集1」にフォンタナのアトリエに関する随想があって、前にブログに書いたダリに次いで興味津々になりました。「私の印象につよく残ったのはその地下室であった。ちょっと防空壕を想いださせるような、部屋の隅の床板をおこすと、急な木製の階段があって(略)裸電球のスイッチをひねると、かなり広い地下倉庫である。たぶん昔は酒倉だったところかもしれない。壁に沿って夥しい作品が立てかけてある。(略)ともかく私がこの穴倉に案内されたときの印象は、フォンタナという作家の内部をにわかに覗いて見たような強烈な衝撃であった。外に出てみると、窓は相変わらず眼にしみるようなみどりで、フォンタナはまた穏やかな会話にもどるのである。たしかにフォンタナは空間主義宣言などから想像していたよりも、意外に柔和な人であったが、話していると烈しい熱情がちらっとのぞくのが感じられる。」という箇所でフォンタナの人柄をイメージして、もう一度フォンタナの作品をあれこれ調べなおした次第です。

膝の傷に追い討ち

ブログは万人に公開している自分の日記です。公開していることを知っていながら、自分なりのメモとして書いてしまうことがあります。昨年や一昨年は何があったのかブログを読んで振り返ってみることをよくやっています。というわけで今日の内容はメモそのものです。2週間前に階段から落ちて脚の両膝を擦りむきました。どうも傷が深かったらしく、なかなか治らずにいましたが、最近ようやくカサブタが出来てきました。そこへ再び追い討ちをかける事件が勃発。朝通勤で利用しているバスの座席の角に右膝を思い切りぶつけてしまいました。息が詰まるほど激痛が走りました。それでも我慢して電車に乗っていたら、ズボンが湿っているではありませんか。確認もせず職場に着いたら、脚から血が滴りおちてズボンにこびりついていました。黒っぽいズボンだったので目立つことはなく、自分で応急処置をして、そのまま仕事へ。来年このブログを自分は読むのでしょうか。そういえばあんなことがあったっけ、と思い出すであろう手痛い一日でした。        Yutaka Aihara.com

P・クレーに纏わること

愛読している「瀧口修造全集1」の中に、パウル・クレーに纏わることが出てきます。瀧口修造がパウル・クレーのご子息に会いに行き、そこで出会った様々なことが述べられていて、それらをとつおいつ読んでいるとその情景が広がります。自分もオーストリアに5年間住んでいたので、欧州の生活ぶりが実感としてわかります。クレーの作品はデッサンも水彩も油彩も他の画家のように区別できない旨が書かれていて、自分も同じように思っていました。クレーには、大きなタブロー(油彩)が少ないというのもありますが、特異な世界を持つこの画家にとって、デッサンが習作で油彩が実作という定義が当てはまりません。すべてが心象を表す媒体になり、それぞれが感情の昂りを伝えているからです。自分にはいつも脳裏から離れない画家が2人いて、それがクレーとカンディンスキーなのです。これは20代から変わりません。それでついクレーに纏わることが書かれていたりすると、再び頭の中はクレーでいっぱいになってしまうのです。