週末の休息返上

「かなり疲れているんじゃありませんか。」と工房に来たボランティアの子に言われてしまいました。昨日は朝早くから陶彫とRECORDをやって、午後に東京の博物館に出かけ、夜は近隣のスポーツクラブで泳いできたので疲れていると言えば、やはり相当疲れているのだろうと思います。週末となれば過密スケジュールで、これ以上は何も出来ないくらいに動いてしまうのです。今日もボランティアの子に土錬機による作業を頼み、自分は陶彫成形3点と昨日作った陶彫の修整、それにRECORDの彩色をやっていました。今日は工房での過密スケジュールで一日が終わりました。家内が手を骨折したために、灯油の運搬やら何やらで眼がくらむ時間を過ごしています。実は毎年同じような制作風景があって、年の瀬に家の掃除もできないくらい制作で追い込まれてしまうのです。思い返せば何もしないで一日を過ごしたことはここ数年なかったように記憶しています。休息に対する欲求は、公務をやっている時にあって、今度の週末は休みたいと思っているくせ、週末になると俄に制作への思いが募り、休みたい気持ちは吹き飛んでしまうのです。休息返上、常にこれでやってきています。いつまでもつのかわかりませんが、制作が継続する限り、休まず焦らずやっていくつもりです。

東京上野の「土偶展」

朝7時に工房に行き、陶彫成形1点とRECORDの彩色を済ませ、午後から東京上野の国立博物館に出かけました。これはイギリスの大英博物館で開催された「THE POWER OF DOGU」の帰国記念展で、我が国の有名な土偶が一堂に会して見られるので、とても楽しみでした。期待通り土偶は大変愉快です。なぜこんな造形が作られたのか諸説あるようですが、美術的な見方をすれば、カタチが象徴として抽象化されて、新鮮な驚きを齎せてくれます。国宝になっている縄文のビーナス(長野県出土)や中空土偶(北海道出土)、合掌土偶(青森県出土)の巧みさや面白さは言うまでもありませんが、自分は有名な遮光器土偶の奇妙なカタチに眼が奪われました。このデフォルメされた顔と身体はどんな思いで作られたものでしょうか。まことしやかに宇宙人説もあるくらいの不思議さです。身体全体に施された文様は何でしょうか。鎧なのか服のアクセサリーなのか、見れば見るほど楽しさが増してきます。言うなれば土偶も陶彫で、自分の先祖が残してくれた素敵な造形物だと思います。多忙な日々にちょっと一息ついたような展示内容でした。

聖夜の思い出

自宅から比較的近い場所に職場があるため、通勤で繁華街を通ることがなく、クリスマスのイルミネーションを今年はついに見ずに、クリスマスが過ぎていきます。本来は主イエスの誕生した日を祝う宗教行事なので、樅の木に飾った電飾を愛でることはないと思いますが、この雰囲気を生活のデザインとして取り入れるのはいいと感じています。色とりどりの照明に飾られた街は美しいと思います。最近の日本はこうした演出が大変巧みになったと思っています。いつぞやのブログに書きましたが、自分にとってのクリスマスはルーマニアの寒村で迎えた25日でした。その時の思い出が今だに脳裏に焼きつき、ヨーロッパの原点を見たような気がしたのです。小さな木作りの教会に集った村人たちの聖歌と祈りの姿勢が忘れられません。当時住んでいたウイーンのステファンス寺院の壮大な祈りも忘れられません。ゴシック建築に立ち上るパイプオルガンの響きと朗々を澄み渡る司祭の声。主イエスの誕生に思いを馳せるヨーロッパの人々の真摯な宗教感覚に、この時ばかりは日本人との大きな隔たりを感じました。毎年クリスマスの時季になると、こんなことを思い出しながら、街のイルミネーションを楽しんでいるのです。今年ばかりは仕事詰めで、ただただ思い出だけが一人歩きを始めたようです。

絵画の自由・彫刻の不自由

一日1枚の絵画作品、これが現在やっているRECORDです。大きさはポストカード大ですが、毎日イメージを搾り出してはペンと絵の具で絵画にしています。自分の厄介な性格のためカタチや構成に囚われることはしばしばあります。でも表現としては極めて自由にやれると思っています。手軽と言うこともあるかもしれませんが、イメージの定着に関しては、即効性があっていいと思っています。絵画の自由さは、絵画を専門としてこなかった者の勝手な言い分かもしれません。絵画としての新鮮さも加担して、時にRECORDを大きなタブローにしてみたい欲求に駆られます。彫刻的なイメージを絵画の手法で自由にやってみたいのです。それに比べて、彫刻には不自由さを感じます。素材のもつ不自由さと言い換えることもできます。重力とも戦わなければなりません。それによってイメージが限定されることがあります。でも学生時代から挑み続けてきた表現手段なので、彫刻をやめることは考えませんが、彫刻的なイメージを、彫刻としてやってみて、それに対して退屈を覚えることもあります。結論すれば、絵画と彫刻の両領域を交えてやっている現在の状態が一番いいのかもしれません。

家内の骨折事故

昨夜遅く居酒屋での2次会から帰ったら、家内が右手を骨折して首から包帯で吊っていました。どうやら演奏の練習に出かけた先で転倒したようです。頭を打たなくてよかったと思いつつ、全治2ヶ月と聞いて、家内はだいぶがっかりしていました。家内は胡弓演奏者として、いろいろなところから依頼を受けて演奏に出かけているのです。三味線でも師範となって、グループで介護施設等を回っているのです。2ヶ月間営業停止なのが残念でならないようですが、この機会にゆっくり休んだらいいと思っています。このところ家内も自分も仕事に追われ、家の掃除もままならない状態です。自分は運命論者ではありませんが、天が家内に休暇を与えたのだろうと思っています。自分も疲れが出ています。今日は天皇誕生日で、朝から工房に行こうとしていたのですが、どうしても6時に起きられず、9時近くになって工房に入りました。陶彫成形2点、このノルマを夕方までかかって果たしましたが、身体の動きが今ひとつでした。体調が戻ったのは夕方からで、夜は近隣のスポーツクラブに行って汗を流してきました。もうすぐ休庁期間に入ります。制作はこの時が勝負です。朝から晩まで気力が持つ限り制作をやっていくつもりです。

職場の研修会

いろいろな職種の人が集まって、ひとつのテーマについて話し合う機会は滅多にありません。私の職場では一年1回の機会です。しかも勤務時間外の研修会になりましたが、それでも200名以上の人たちの参加がありました。講師に神奈川県警の人を呼んで、ITを使った軽犯罪から重大なものまで、社会的な立場からお話を伺いました。それを受けて分科会に分かれ、意見交換をしました。普段の業務を離れて、様々な社会的な問題傾向について考えることは、リアルな社会に生きる身として必要なことだと思います。さらに職場で気の合う者同士が、居酒屋で一杯酌み交わし、さらに研修を深めることも必要だと感じました。昔は良かったと振り返るのではなく、今後をどうしようかと敢えて未来志向の話をしました。昔が良かったと感じられるのは、過去の諸々のことが記憶の中で取捨選択されているからであって、昔も今も変わっていないのではないかと思います。なかなか結論が出にくい研修会でしたが、こういう機会に大勢の人たちが集まって話し合うことが、即ち意義があるように思いました。

師匠からの電話

年の瀬になると、長野県に住む彫刻家池田宗弘先生に日本酒を贈っています。先日お礼を兼ねて電話をいただきました。一年一升の酒を楽しみに毎日制作をしているとのこと、こちらまで嬉しくなりました。長野県の聖高原はさぞや寒かろうと思います。積雪があって野外での彫刻制作は難しいという話をしていました。池田先生は真鍮直付けという方法でキリスト教をテーマにした彫刻を作っています。かつてスペイン・サンティアゴ巡礼路を歩いて、彼の地でキリスト教美術に触れ、それが現在の制作の中心になっているようです。冬場は野外で彫刻が作れないので、工房内にキリスト教の祭壇を作る計画があって、現在は室内の祭壇制作中だとおっしゃっていました。なにしろ数年前に奥様が他界されて、今は先生お一人で山の中の工房に住んでおられます。スペインの修道院を模した工房「エルミタ」は堅牢な作りになっていますが、山の寒さは相当なものではないかと想像します。周囲に人家はありません。この時季訪ねたくても、それなりの車と装備がなければ行くことができません。毎年酒を贈っているのは、お歳暮という儀礼のためではなく、先生の精神生活の癒しになればという思いからくるものです。

陶彫土台成形終了

今日は朝から工房に籠もりました。美大受験生が先週に引き続き工房にやってきて、学科の勉強をしていました。朝9時から夕方4時まで、昼食以外はずっと制作でした。昼食は美大受験生とコンビニで買ったおにぎりを頬張りました。一人で工房にいるより、二人でいる方が仕事に打ち込める気がします。これは心理学でいう社会的促進というもので、以前ブログに書いた記憶があります。勉強も一人でやるよりは人の目があった方が能率が上がるのでしょう。今日の制作計画は陶彫土台の成形の完成でした。土台は全部で8つ必要で、今日は残りの2つを作りました。まだ修整やら仕上げが残っていますが、ともかく土台は全て終わったことになります。土台は若干無理なカタチをしているので、乾燥によるひび割れが心配ですが、運を天に任せていくしかないと思います。冬本番になり、陶彫をやっていると手がガサガサになります。そろそろハンドクリームが必要な時期かなと思いつつ、水で悴んだ手をストーブで温めながら作業を続けました。併行して床に置いて乾燥をさせているパーツを仕上げなくてはならないと思います。これはまた次回にします。

久しぶりの結婚式参列

職場で結婚が決まった男性がいます。彼は熱血漢の仕事人間ですが、20代最後になって結婚を決めたようです。相手の女性は同じ職種ではなく、スポーツインストラクターです。今日は横浜の山下公園にあるホテルニューグランドの結婚式に呼ばれました。式場から見える横浜のロケーションが素晴らしく、氷川丸が正面にありました。管理職として見ると、彼は頼りがいのある男です。奥様になられる方もしっかりされていて、穏やかできちんとした家庭が築けるのではないかと思いました。ましてや美男美女のカップルなので映画の一場面を見てるような素敵な結婚式でした。職場にはまだまだ未婚のスタッフがいます。伴侶が見つからないのは仕事が忙しいせいなのか、管理職としてはちょっと気になるところです。自分が勤めている部署は、他と比べれば多忙を極めているし、責任も重大なところです。その分やりがいのある部署で、エキスパートで構成されている集団です。仕事ばかりで家庭を顧みないのはいいことではありません。職場のスタッフにはバランスを考えた仕事をして欲しいと常日頃から言っています。今日結婚した熱血漢にも、ことあるごとに伝えていこうと思います。

夜明け前のひと時

朝晩めっきり冷え込んで出勤する午前6時は夜がまだ明けていません。自宅の近くにある停留所でバスを待っている時は、かなり寒さが応えます。これから一日の勤務が始まると思うと、心なしか気が重くなりますが、このバスを待つ数分の間に、ふと思いつくイメージがあります。朝から頭が回らない筈が、何気なく思うこのひと時が、案外的を得ているような考えが浮かぶのです。立って本を読む気になれず、道の反対側にあるマンションや閉じた店の暗いウィンドウを眺めながら、時に寒い風に吹かれ、雨に降られながらバスを待つひと時です。一日のうちで一番意気消沈する時間かもしれません。月曜日はなおさら意気は上がりません。それでもこのひと時に何かを思いつけば貴重な時間となります。決まった時間の流れに身を任せるような日常ですが、自分の中で常に造形的なイメージを探しているのであれば、時と場所を選ばず、イメージの方から自分に向ってやってきてくれることだってあると思います。いつだったか夜明け前のひと時にそんな心的体験をしたことがあるのです。

瀧口流「H・アルプ」論

瀧口流「○○」論は今日で最後です。シリーズにするつもりはなかったのですが、文中に興味関心の高い彫刻家が続いたので、つい一人ひとりを取り上げてしまいました。アルプは抽象的な有機形態を作る彫刻家で、ポピュラーな作家です。その形態は丸彫りにもレリーフにも応用でき、手業を残さない作風です。それはひと目でアルプとわかる独特な雰囲気を持っています。「瀧口修造全集2」の中にこんな文章が掲載されています。「アルプのような特異なスタイルをもった作家に、個人性を没却するということは、非常に矛盾したように聞こえるが、個人的な誇示のない、人間性を直接にあらわす宇宙的芸術こそ彼の理想とする芸術なのであって、いいかえれば、手工芸的な個人性の効果を否定しても、独創的なデザインが可能であるという造形の一原理を暗示していることになる。この点では、アルプとはまったく性格を異にするモンドリアンも同じ立場に立っているといえるだろう。アルプがしばしば共同制作をしたのもその証拠になるかもしれない。〜以下略〜」つまりアルプは個人性を排除して、普遍的で独特なカタチに到達したと言えるかもしれません。曲面で被われたユーモラスとも言える生命体。そんなアルプ的発想から発展した芸術家はかなりいるのではないかと思います。

瀧口流「I・ノグチ」論

「ノグチは西欧の環境で生活しながらも、たえず東洋に眼を向けている。数回にわたる東洋遍歴のみならず、彼の血液が力づよく誘うのであろう。が私たちの眼からは、それほど彼のある作品は東洋的と感じられないかも知れない。事実ノグチは東洋趣味といった気取りを嫌っているのであって、彼のような生い立ちの作家が、一種のジャポニズムによって商業主義の波に乗ることは易々たることであったろうが、彼はそれをつとめて避けてきたようである。芸術は国際語であるという前提のもとに彼は立っている。しかもその彼が東洋の芸術から彫刻の本質的なものを積極的に摂取しようとしてきたのである。これはやはり芸術家ノグチの自由な知性とめぐまれた特権でなければならない。こうしてすくなくとも西欧人には、東洋人の血を享けたノグチの直感的把握からにじみでる「詩」に東洋が感じられるのではなかろうか。〜以下略〜」長い引用になりましたが、「瀧口修造全集2」に収められているイサム・ノグチに関する論考の一部です。ノグチはこのブログの3年間の中でも一番多く扱った作家ではないかと思います。自分の「テーブル彫刻」や「場の造形」の原型はノグチにあり、学生時代から意識してきた作家なのです。自分はノグチに関する書籍は海外のものを含めてほとんど持っていると自負してもいいと思います。瀧口流のノグチ論も、正直自分にとっては新たな切り口ではなかったと感じました。

瀧口流「A・コルダー」論

アレキサンダー・コルダーは空中に浮遊するモビルで世に知られた彫刻家です。自分の学生時代に見た美術雑誌に、コルダーの作業場の写真が掲載されていて、そこはまるで町工場のようなところでした。鉄の部品が所狭しと置かれている中、町工場の親父という風情のコルダーが作業している写真は、親しみやすく印象的でもありました。「瀧口修造全集2」にあるコルダーに関する記述で「彼のモビルはためらったり、やり損なったりする。それは物質と生命との中間の不思議な存在なのである。時にはその動作に何か意味ありげに見えるかと思うと、度忘れしたように停止して、途方にくれたりする。彼の彫刻は何ものをも暗示しない。彼は現実に生きた動きをつくりだすのである。それは自分自身しか意味しない。彼らは存在する、ただそれだけである、というように(サルトルは)いっている。いかにもサルトルらしい見方であるが、またモビルの面目が躍如としている。〜以下略〜」という箇所に注目しました。コルダーのモビルは、白い壁のある室内空間に天井から吊るされて、その先端の板に鮮やかな色彩が施されている印象が常にあるので、明るい開放的な雰囲気が漂います。この最小の面積をもつ造形が、最大の空間を演出する世界は、追従を許さない画期的なものだと思っています。

瀧口流「H・ムーア」論

愛読している「瀧口修造全集2」の興味関心のある箇所は、やはり彫刻家を扱っている章です。「ムーアにとって、何につけ自然のありかた、とくに生長の仕方に親しむということが必要なのである。自然の深い知識から、生きたリズムと自然の形の組織とをもった理想形態を創るのである。ただその場合に一つの困難がある。というのは自然の生長形態は多く不安定な物質で被われているので、人体の筋肉にしても、柔軟な植物にしても、そのまま金属や石に移すことはできない。そこで、ムーアは自然形態のなかに、堅い、緩慢な成長の型を求めて、彫刻しようとする材料にふさわしい形を見いだすのである。〜以下略〜」ムーアが従来の具象でもなく、抽象でもなく、始原的なカタチを彫っているのを、自分は学生時代からずっと注目していました。自然な状態が、ムーアという作家を通過すると、自然なまま骨格や生命を与えられて、自然の状態に再構築される不思議さに、幾度となく感銘を受けてきました。その大地から湧き上がったような形態に雄大なスケールを感じ、またムーアが塊と同じと考えている穴の存在にも注目して、内なる空間の意識を持ったのもムーアの彫刻を通してでした。瀧口流評論によって、ムーアの彫刻に夢中になった頃を思い出しました。

週末の制作日記 その2

今朝は6時半頃に工房に行きました。座布団の大きさほどあるタタラは、まだ多少柔らかく立体として立ち上げるのは難しいと判断しました。そこで昨日の成形に修整を加えていました。今日は美大受験生が工房にやってきました。来春早々試験を控えているので、デッサンを見て欲しいと言うのです。空間演出デザイン科志望の子で、自分が美術系の学校を勧めた経緯があるので面倒を見ているのです。そういう事情の子たちが、やがてボランティアとして自分の作品を手伝ってくれたり、工房を使って自作を作ったりしているわけです。作業場を借りてやっていた頃も、課題を抱えた美大生が自分のところに出入りしていました。今は自分の工房なので、彼らは喜んでやってきています。大学の作業場以外に課題が出来るところがあるというのは便利なはずです。自宅で、とくに立体造形をやるのは難しいと思います。自分も同じ経験をしているから、なおさら彼らをサポートしたくなるのです。今日はタタラが少し硬くなったところで、成形を2点やりました。これで陶彫土台は6点になりました。あと2点で土台の成形は出来上がりです。

週末の制作日記

週末になると工房での制作工程を書くようにしています。週末しか作品が進まないので、日記として残しておきたいと考えるからです。今日は朝7時に工房に行き、柱を支える陶彫土台2点の成形をしました。前に成形が終わっている2点に関しては修整を加えて乾燥をさせています。土台はこれで4点になりました。次の成形準備としてタタラを6枚用意し、これは明日以降に使う予定です。今日は冬とは思えないほど暖かい一日でした。工房での制作もリズムが出来て、今日みたいな暖かい日はとくに仕事が進みます。RECORDも11月分と12月分が工房の机に広げてあります。絵の具や落款の印泥を乾かすためです。ポストカード大のRECORDは2か月分を小さな収納箱に入れています。さらにその収納箱を大きな収納ケースに入れて棚に仕舞います。3年間分がそこにあります。陶彫の成形が終わったものや乾燥をさせているものは床置きです。成形が終わっても修整が必要なのでビニールをかけてあります。乾燥は剥き出しですが、さらにまだ手を加えるので、これで窯に入れるわけではありません。途中の作品がいろいろな場所に放置出来ることが、自分の工房を持つ者として嬉しい限りです。明日も朝から制作の予定です。

陶芸からクレイワークへ

先日、ピカソによる斬新で闊達な陶芸についてブログに書きました。奔放な表現でありながら新鮮さを失わない豊かな造形がそこにあると思います。同じスペイン出身の巨匠ミロの陶芸にも自由で開放的な表現が見られます。気儘に作ったようでいて、ハッと瞬時に人を惹きつける魅力は何でしょうか。こうした20世紀を代表する芸術家が陶芸界に新風を吹き込んで、美術と工芸(陶芸)・デザインのボーダーレスの時代を作ってきたと言えるのではないかと思います。日本でも八木一夫を中心とする走泥社が、新しい陶による表現を模索してきました。かなり前から陶芸は、陶による表現に意識が変わり、さらに陶芸と言うにはあまりにも広義な表現を獲得してきました。自分は彫刻の素材として陶を用いているので、陶彫という呼び名を使っていますが、作家の中にはその範疇を超え、クレイワークと呼びたいような作品をやっていられる方もいます。一方で器の美しさを極める作家もいて、まさに百花繚乱の世界になっています。その中で自分のオリジナリティを出すのは逆に難しくなっていますが、自分は自然なままに自分がやりたいような世界を作ることをまず考えていきたいと思っています。

PCの前で茫然と…

夜ブログを書こうとして、パソコンの前で茫然としてしまいます。寒さのせいか眠くて眠くて仕方がないのです。一日やることが多くて、頭が切り替わらない時があります。RECORDも白い紙を前にして茫然として筆が進まないのです。今までも忙しい時はありました。いや、ずっと忙しい時ばかりと言った方がいいかもしれません。その中でも何とかやり繰りして、ブログを書いたり、RECORDを描いたりしてきました。それに対して負担は感じません。それは好きなことだからです。でも余裕がないと好きなことも好きなままにできないと思えてきます。睡魔に襲われて眠る至福は、創作の力を萎えさせてしまいます。寝て起きれば、また仕事。仕事に行かなければ組織は困ります。創作は自分ひとりの世界なので、やってもやらなくても誰一人困らないので、つい後回し。そこでもう一度自分が満足できるものは何かを自問自答するわけです。結果、後回しはやめて何が何でも創る姿勢を貫き通すという今までやってきたことに戻るのです。いつも同じ思考回路。パソコンの前で茫然と…確認をしました。

ピカソの陶芸の魅力

箱根の彫刻の森美術館に「ピカソ館」があります。自分にとって「ピカソ館」の目玉は、ピカソが加飾または絵付けをした陶芸の数々だと思っています。これは見応えのあるコレクションで、箱根に行く度にこの陶芸たちに会えるのが楽しみです。現在読んでいる「瀧口修造全集2」の中にピカソが作陶と出会う経緯の記述があります。「ヴァロリスという陶器を焼く田舎町を訪れたのが機縁となり〜略〜この町のマドゥラ窯の所有者ラミエ夫妻が彼に仕事場を提供して自由に振舞うことを許し〜略〜猛烈な意欲で制作をはじめ〜略〜その結果は1948年7月末に開かれたこの町の例年の陶器市で土地の専門家の新作にまじって新人ピカソ作陶器として発表されたが、ピカソの未知の領域に興味をもつ熱心家が遠くからつめかけて町は時ならぬ賑わいを呈したという。〜以下略〜」ピカソの陶芸は、地中海的な明るさと素朴さがあって、人生を謳歌しているような感じをもちます。天真爛漫なあどけなさが魅力になっているため、時々無性に会いたくなるのかもしれません。

周辺にあるキリスト教

自分は宗教を深く考えたことがありません。信仰する心は自分のどこかにあるのでしょうが、今は特定の宗教はありません。先祖の菩提寺は仏教浄土宗ですが、だからといって自分が仏教徒という意識も薄いのです。環境的にはキリスト教信者になってもおかしくありません。叔父の量義治はカント哲学が専門の学者ですが、内村鑑三の薫陶を受けた無教会主義を唱えるキリスト教徒です。叔父が出版したキリスト教に関する文献を読んでいますが、それは宗教と言うより哲学書のような印象をもっています。師匠の池田宗弘はキリスト教を題材に真鍮による彫刻を作っています。毎年夏にアトリエにお邪魔して、作品による刺激を受けますが、それはあくまでも彫刻としての刺激であって、キリスト教美術のそれとは違います。家内の知人にもキリスト教音楽をやっている人がいたり、自分は横浜のミッション系の高校を出身しているので、自分の周囲にはキリスト教の環境があります。滞欧生活でもロマネスクやゴシックの教会に入るのが好きでした。でも信者になろうという意志はありません。宗教とは自分にとって何でしょうか。心の拠り所をいつか求める時がくるのでしょうか。自分の周辺に何気なくあったキリスト教は、その時自分の求めに応じてくれるのでしょうか。未だわからず自然のままに過ごしていくことが今の自分には一番だと思っています。そう考えているうちは特定の宗教は要らないのかもしれません。

「W・ド モーガン展」

ウイリアム・ド モーガンはイギリスのアーツ&クラフツ運動で活躍した装飾美術家です。アーツ&クラフツ運動と言えばウイリアム・モリスが有名ですが、ド モーガンは当然モリスとも親交があったようです。日本では馴染みが薄い人ですが、まとまった作品が来ているので、汐留ミュージアムに見に行きました。タイルはラスター彩と言われる西洋で昔から用いられる技法で仕上げられていましたが、多彩な色味があって、植物や動物の象徴的なカタチと相まって大変美しい印象を持ちました。晩年の具象傾向より、デザイン性に富んだ時代の作品の方が自分の好みに合いました。とくに花と葉の織りなす世界は、平面でありながら、豊かな空間を感じさせてくれました。ラスター彩でこの色彩を得るまでには大変な修練と努力が必要であったことはよくわかります。それが建築や室内装飾に美を与えていることは言うまでもありません。手仕事が生活を豊かにしていた時代はイギリスのみならず日本にもあったように思います。手間のかかる仕事ですが、コンピューター万能の現在だからこそ見直してみたいと思うこの頃です。

土錬・土台成形…

朝6時から土錬機を動かし、昨日の続きをやっていました。菊練り終了で、自宅から朝食に呼ばれ、また工房に戻ってRECORDの彩色に追われました。午後は柱を立てる陶彫土台の成形。一度失敗しているので慎重に作業を行いました。柱と接合するボルトナットの穴は、まず陶彫土台に開けました。これは陶彫が乾燥や焼成で縮小するので、陶彫と木の柱両方に穴を開けてしまうと穴の位置がずれるために予め陶彫の方に穴を開けておくのです。陶彫土台を焼き上げた後、陶彫土台から穴の位置を割り出して木の柱に穴を開ける方法をとります。今度こそ土台は保てると信じて、いくらか厚みのあるタタラで成形をしてみました。土台は一度に2つ作ります。立てる柱は8本あるので、うまくいけば4週間で土台成形は終了になるはずです。来週末のためにタタラを6枚作って、今日は4時半で作業を切り上げました。午前6時から午後4時半。もうクタクタです。幸い今日は暖かく工房内も暖房なしで過ごせました。逆に菊練りやタタラ作りは汗をかきました。週末が来るたび制作が行きつ戻りつして、いくつかのハードルをクリアしていくものだと改めて認識しました。毎回そんなに甘くはないのに、イメージでは簡単に出来てしまう錯覚に陥ります。自分は生来の楽天家だなぁと思っています。

余裕のない週末

工房内は寒さでストーブの前を離れがたく、動きが緩慢になっていましたが、スケジュール的にはそうも言っていられず今日は作業に集中しました。ボランティアの子に追加購入した陶土の混合を頼み、自分は先週失敗した柱を支える陶彫土台の作り直しをやっていました。朝から土錬機の音とFMラジオの音楽を流し、午後4時くらいまで延々と作業を続けました。陶土の混合はとりあえず100kg出来上がり、明日菊練りをして保存します。陶彫土台もまだ途中です。前に準備した陶土が無くなってしまったので、今日土錬機にかけた陶土を早速明日から使うことになります。今月の工房にいられる時間はどのくらいか、休庁期間があったとしても、たいして時間がとれないのではないかと思います。併行してRECORDも少しずつ始めています。毎日描いている下書きに色彩を施しているのです。ウイークディは師走を迎え職場は多忙を極めていますが、週末は週末で、自分は制作上の多忙さがあって、いつも時間に追われる生活をしています。明日は早朝から土錬機にかけた陶土の処理と陶彫土台の成形完成を目指します。

ポリヒムニア・シンガース

ギリシャ神話に登場する9人のミューズのうちの一人で、頌歌を司る女神をポリヒムニアと言うそうです。その女神の名を冠した女声合唱団の一員に、家内の知り合いがいて、この時季に定期演奏会があるので、横浜の菊名カトリック教会に行ってきました。この合唱団は日本国内だけではなくヨーロッパにも演奏旅行に出かけるそうで、所謂キリスト教音楽を聴かせる合唱団です。私たちもずっと前から聴かせて頂いていたのですが、今回はどうやら最後の演奏ということで思い入れがありました。確かに合唱団員も年齢を重ねて20年、美しいハーモニーは相変わらず健在でしたが、ここで幕引きというのもわかりました。それでもW・バード作曲のミサ曲や高田三郎作曲の聖母賛歌は圧巻で、歌声が天空を舞うが如く快いひと時を味わいました。教会音楽は、神が私たちのもとに降りてきたような響きがあって、心が浄化されていく過程で官能にも似た陶酔状態になります。クリスマスが近づいたこの時季に、こんな機会が持てたことの幸せに浸った夕べでした。

12月のRECORD

一日1枚のノルマを自分に課して、ポストカード大の平面作品を作っているRECORDも、今シーズン最後の1ヶ月となりました。RECORD3年目の締めくくりになります。現在1000点を超える作品が手許にあります。今月は前にやっていた縦縞のパターンを少し変えてやってみることにしました。どうしてももう一度スプライトに戻ってみたかったのです。今シーズンのRECORDはパターンの繰り返しをベースにして、それを少しずつ変化させて作品化するものです。ちょうどデザインの基礎トレーニングのようなもので、確かバウハウスのカリキュラムにあったと記憶しています。今シーズンは色彩を多用しました。自分には苦手意識の強かった色彩を、もう一度捉え直して自分なりの色彩感覚を身に付けたいと願っていました。そのおかげか生活雑貨や街で見かけるモノに色彩を感じるようになり、色彩の組み合わせの妙を知らずに学んでいたように思えます。

「権鎮圭」の彫刻展

先日「河口龍夫展」に行った際、もうひとつ注目している展覧会が「河口龍夫展」と同じ東京国立近代美術館で開催されているので、併せて見て来ました。それは「権鎮圭展」。韓国籍で日本に留学して彫刻家としてスタートした権鎮圭は、具象彫刻から抽象レリーフまで幅広く制作し、晩年は韓国で活躍していたようです。51歳で自ら命を絶ったこと、時代は違うけれど、自分と同じ学校の彫刻科に学んでいたこと等、作品以外のところで注目をしていました。しかし、実際の作品では人物塑造が気にかかり、その構築性のあるリアリズムに感銘しました。自分を振り返れば、自分は彫刻科で人物塑造しかやらず、ひとつを深めれば、全てに通じると信じて疑いませんでした。権鎮圭の彫刻を見ていると、世代は代わっても脈々と繋がるリアリズムの世界があって、当時自分が無心に取り組んでいた彫刻という表現の何たるかを思い出していました。自分にとって基礎基本はここにあるという認識を持ちました。現代アート、空間造形、インスタレーション等が氾濫する中、粘土で彫刻を作るというアカデミックともいえる表現が、新鮮さをもって自分の前に忽然と現れたという感じでした。

今年を締めくくる1ヶ月

12月になりました。毎年多忙な1ヶ月とブログに書いていますが、今年も同じです。新作の「構築〜瓦礫」の完成が見えないので、例年より厳しい感じを持っています。唯一強みなのは自分の工房が出来て、いつでも時間を気にせず作れる環境があるということです。逆に弱みはウイークディの仕事が例年になく多忙を極めていることです。さて、この1ヶ月をどう過ごすのか、どこまで新作が出来るのか、今は見通しすらありません。休庁期間に入っても工房では作業を続けているでしょうし、正月も作業をしているかもしれません。少しばかり常軌を逸した計画が脳裏を過ります。つまり休庁期間が制作に精を出せる最高の期間なのではないかと思えるのです。この期間に本も読みたいのです。夏にアンドレ・ブルトン、冬に瀧口修造。シュルレアリスムを極めた洋の東西の文筆家。制作による体感的な充足感と、読書による精神的な満足感があって、ようやく今年の締めくくりになるように思えます。RECORDも今年のシリーズの最後になります。例年のように、いや例年以上にしっかり締めくくって来年に繋げたいと考えています。

「河口龍夫 言葉・時間・生命」展

昨日、陶彫成形に躓いたことで、気分転換に昼頃から東京の美術館に出かけました。横浜の美術館に勤めている知人からチケットを頂いているので、タイミングとしては良かったと思います。出かけたのは東京国立近代美術館で開催中の「河口龍夫展」。「言葉・時間・生命」と副題がついていて、現代美術の旗手のまとまった展示が見られることを期待して出かけました。内容は期待通りなかなか面白く、モノとモノとの関係、モノとヒトとの関係を問うものが様々な媒体を通して提示されていて刺激を受けました。難解のようでいて、よく考えるとこれほどわかりやすいものはないと思いました。電気を使った「関係ーエネルギー」が見えるモノと見えないモノの関係性を浮き彫りにしていて見応えがありました。自分の素材の好みから言えば「関係ー種子、土、水、空気」に感受させられるものがありました。特に鉛はその不透明性ゆえに面白い素材だなぁと感じました。鉛で種子を包んで封じ込める手法は、もっと多義にわたって応用できるように思えます。現代美術は視覚的に、または体験することによって感覚に訴えてくる哲学だと考えますが、作者の伝達センスによって、どうにでも変わるように思います。現代美術の面白さは、あるいはそこにあるのかもしれません。           Yutaka Aihara.com

陶彫パーツ やり直し

今朝6時に工房に入りました。昨日から懸念している陶彫のパーツで、木彫の柱を支える土台になるものを作ってみました。2時間半かけて最初のイメージ通りのものをやってみましたが、これで木彫の柱が倒れずに保てるのかどうか不安が残りました。柱には角度がついています。その柱と土台の陶彫はボルトナットで留める計画ですが、土台の陶彫のパーツが少し頼りないのではないかと感じました。土台をもっと広げなければならないように思えました。柱は全部で8本。それが円錐状に中央に向って立ち上がるのです。頂点は1点に交わることはないものの1本1本の角度が正確になるように予め手製定規を用意しました。結局、2時間半かけて作ったパーツは潰す決断をしました。成形段階で潰すのは久しぶりです。乾燥や焼成によって割れて使えなくなったケースはかなりあります。この段階で使った陶土を再生に回すのは、ある意味では無駄が出なくていいのですが、制作の疲労は残りました。「徒労に終わった…」と家内に愚痴ったら、「無駄ではない。これがなかったら、次に繋がらない」と言われました。その通り。午後はどうしても意欲が湧かず、美術館巡りをすることにしました。時は待たないのを知りつつ、今日のところは仕方ないと思うようにしました。

週末と言えども…

本当は制作に時間を費やしたい週末ですが、雑用が多くてなかなかうまくいかないことがあります。昨晩、管理職組合の集会があって、その疲れが少し残り、今日は昼頃職場に行かなければならない用事もあり、夕方注文した陶土660kgが届く連絡もあり、というわけで落ち着いた制作が出来ずにいました。制作でこれから作業しようとしている陶彫のパーツは、新作の数々のパーツの中でも特に困難なパーツになるはずで、作業にまとまった時間が欲しいのです。8本の柱を立てる土台になる箇所を作ろうとしているからです。これが作品の決め手になります。うまくいかなければ別の方法を考えなければなりません。結局今日はそこを作るのは諦めました。明朝やってみるつもりです。前述した通り、夕方になって陶土がどっさり届きました。運送業者のトラックが植木畑に入ってきて、工房のガレージを開けて陶土を運び入れました。当分この量でやっていけそうです。ボランティアの子も手伝って、20kgの梱包を33個、土錬機のある場所まで台車で運びました。来週末は土錬りです。今日は右往左往して作業は進まず、でもやらなければならないことをやって終わった一日でした。

工房制作 元年の思い

新作「構築〜瓦礫〜」をやっている過程で、気になるのは昨年作っていた「構築〜起源〜」の制作状況で、この時期にはどんなところまでやっていたのかということです。ちょうどこの時期に、土台となる箱状の立体9体に穴を穿っていたことがブログに書き込まれています。焦っていることを書いていますが、今年より仕事が進んでいるように思えます。柱は全て彫りあがり、あとは土台だけという状況でした。それなら今年はもっと焦らなければならないと感じています。昨年は柱を110数本も彫っていて、それが何とか出来上がっているのに比べて、今年はたかだか8本の柱を彫るだけ。あとは陶彫でまとめ上げるという作品ですが、陶彫は10点の成形が出来ただけ。50点くらいは必要なので、今年は昨年より出遅れていると思います。年々作品の制作工程が遅くなっているという現象が見えてきて、何とかしなければと思いつつ、今までそれでも何とかなってきた土壇場の集中力に期待している向きがあるのです。ただ陶彫は窯入れ等があるので、あまり土壇場でも困難なところがあります。どこまでやれるのか今年が工房制作元年なので、時間切れならぬように計画見直しをやって、しっかり作業が終われるようにしたいと思います。