旧交を温める機会

銀座で個展をやると友人や教え子に知らせたら、私の個展を利用して昔の友達に会える機会になるので、ちょうどいいと言う連絡をいただきました。この機会に同窓会をやっている仲間もいます。ともすれば日々の仕事に追われ、かつて親しかった仲間と喋ったり、飲んだりすることがなくなってきています。日々顔を合わせている仕事のチームメイトは、あくまでも仕事をする上での同僚であって、友達とは少しニュアンスが異なります。退職後まで付き合える人ができればいいのですが、退職した途端に人付き合いがなくなるのは寂しいものです。仕事だけの人間にならず、創作活動という世界をこれからも持ち続け、そうした活動を通して、これからも末永く人との関わりができたらいいなと感じています。

ネットによる展覧会紹介

先日、インターネットを使った展覧会情報を流しているという方が「ギャラリーせいほう」にお見えになり、写真撮影をしていきました。名刺にあったアドレスを開けてみると、さっそく私の個展情報がアップされていました。その他にもいろいろな展覧会情報があって、楽しく見てしまいました。これは便利と思い、これから利用させていただこうと思います。新聞が個展情報を載せてくれることはなかなかありません。新聞に掲載していただけたら最高だなと思っているのですが、今ではインターネットという便利な広報手段があって、手軽に情報を得ることができます。ネットによる弊害もありますが、美術に関しては有効な手段のひとつです。むしろ新聞よりも影響力があるのかもしれません。今回私の個展情報がアップされているネットのアドレスはhttp://gaden.jpです。

銀座のぶらり散歩

銀座で個展をすることになって、学生の頃のように銀座をぶらぶらしています。銀座は何といっても画廊がたくさんあって、アートもファッションも歴史の重みと先端性があると思います。学生の頃からよく見に出かけた画廊が今でも健在で、刺激的な展覧会をやっていたりすると嬉しくなります。手前味噌ですが、「ギャラリーせいほう」もそのひとつです。「ギャラリーせいほう」は銀座天国の裏にあるので、天丼を味わうには最高の場所です。銀座ライオンも近いので、若いスタッフとはこのライオンをよく利用しています。ボリュームがあるランチは満足できます。新橋駅で降りて歩いてくると最近できた汐留の高層ビル群が未来的な景観を作っていて、昔の銀座界隈の趣とは少し違ってきています。でも小さくても洒落たウインドウが並ぶ街を歩くと、やはり銀座の文化は素敵だなと改めて思います。

個展のオープニングパーテイー

今日から銀座の「ギャラリーせいほう」で個展が始まりました。夕方5時からのオープニングパーテイーにたくさんの方々が来てくださいました。まず、遠路はるばる来ていただいた方々にお礼申し上げます。今年は哲学者も声楽家も(実は親戚ですが)来れず、その代わり若い世代の人たちに囲まれたオープニングになりました。花束や手作りのクッキーが贈られて、アットホームな雰囲気でした。思わず顔が緩んでしまったところに、批評をしてくださる方が現れ、テーブル彫刻の上部と下部の関連性が弱く、下部の密度に比べ、上部ができていないという厳しいお言葉もいただきました。今後の課題にしたいと思います。全体の強さと言うより、要素をいっぱい盛り込んで作る楽しみに走りすぎていた嫌いがあり、その人のおっしゃる通りだと思います。ともかくいろいろな意味で充実したひと時を過ごすことができました。

搬入の長い一日

朝7時過ぎに手伝ってくれる人たちを迎えに行き、9時に運送業者が作業場に到着。全員で梱包された作品を積み込み、一路銀座に向かいました。トラック、ワンボックス、さらに私が運転する乗用車にスタッフを乗せ、運送業者を含めると総勢9人になりました。「ギャラリーせいほう」で梱包を解き、組み立て作業に入ったのが午後1時。それから4時間あまり、「発掘〜円墳〜」と「発掘〜地下遺構〜」の組み立てに汗水を流しました。私と家内の他は全員20歳代。若いパワーに支えられた一日でした。ギャラリーの白い空間に置かれた2点の作品。昨年と違うスッキリまとまった空間ができたと自負しています。それにしても「ギャラリーせいほう」は作品が美しく映える画廊だなとつくづく思いました。ご高覧くだされば幸いです。

搬入前日の確認

明日が搬入日です。陶彫の各部品をとめるボルト・ナットの数や組み立てる時に使う工具などを確認しました。これで大丈夫という保障もなく、どんなアクシデントがあるのか予想もつかず、何となく今日が終わります。さっき気づいて、昨年の価格表やら芳名帳も荷物に入れました。ぎりぎりのところでポスターが刷り上ってきました。昨年に比べると慣れた分、落ちがありそうで心配です。明日は朝から手伝ってくれる人たちを迎えに行く予定です。気持ちはなかなか落ち着かずにいます。ここが横浜でやっているグループ展と銀座の個展の違いかなと思います。もう明日に備えて寝ることにします。

春眠暁を・・・

眠い季節です。桜が一気に花開いて、やわらかく芳しい陽気になりました。そういう季節は朝起きるのがつらいのですが、搬入が明日に迫り、また職場も異動やら担当部署の変更で多忙をきわめています。私も公務では責任のある厳しい立場になってきました。でも創作活動をしたい一心で、週末だけは労働に煩わされないようにしたいと感じています。退職がある仕事と一生続ける創作活動。二束の草鞋もあと10年。創作でやりたいことは山ほどあります。でも自由時間が多くなればいいというものではないように思います。うまくやり繰りして、集中力をもって創作に関わりたいと願います。明日は搬入の最終チェック。ちょっと気合が入ってきました。

図録の完成

今回の個展の図録が出来上がってきました。前回の図録とサイズやページを同じにしました。ただ今回はすべて立体作品で、前回のようなレリーフがありません。作品をいろいろな角度から撮影しているので、写真に意外性が加わっています。前に何回かブログに書いたように、展覧会が終了してしまうと、なかなか作品を見ることが出来ないので、図録はとても大切なものになります。集合彫刻を作っていると面倒なことがありますが、自分のスタイルを変えられないので、せいぜい図録を充実したものにしたいと思っているのです。

アニメ監督のつぶやき

昨夜、TVをつけたら面白い番組をやっていて、思わず見入ってしまいました。アニメーションで有名な宮崎駿監督を追ったドキュメンタリーでした。まるでアニメに出てくるような仕事場の空間。その中でとりとめのない日常から創作に移行するまでを捉えたもので、宮崎監督のつぶやきが何ともいいのです。「地位があるのに何故作るのか?」という愚な質問に対し、作ることが生きることになっているという監督の弁。もう最後といいつつ作る、今までやってきたことを壊して作る、この感覚に自分は心底共感しました。作っている時が苦しくて楽しくて生きている実感があるのは自分も同じです。終わってしまった結果はもうどうでもよい、次はこんな作品にしてみたい、自分がこんな作品を見てみたい、だから自分で作る、これ以外何ものでもないのが創作だと自分も思っています。

再び梱包の日

何回やっても作品の梱包は骨が折れます。日曜の搬入に向けて、また梱包を始めました。面倒なことですが、作品を展示した後のことを考えると、しっかりした梱包材を使わなければなりません。立体作品で、しかも集合彫刻となれば今度いつ陽の目を見るかわかりません。実際の保存や写真による記録は大切なものです。それにしても多くの部品が梱包材によって、一段と大きく膨れ上がり、引越し荷物のようになっています。これをどこに保存するのかは頭を悩ませるところです。ダンボールには何というタイトルの何番目の作品かを表書きし、エアキャップを入れて仕舞い込みます。ほとんど丸一日がかりで行いました。今日は労働を後に回し、自分の仕事に終始しました。

サクラの季節

横浜でも桜の開花宣言が出て、ちらほらと桜が咲き始めています。桜を描く画家にしてみれば、この季節はスケッチをする絶好な季節です。葉が出る前に花だけで幹や枝いっぱいになるのは何とも奇妙な光景だなと思ったことがあります。この美しさは人の気持ちを高揚させます。花見というのが恒例行事になってしまうのがわかる気がします。桜の名所ではどこでも人で混雑します。昨年のちょうど今頃、個展の搬入を終えて銀座から横浜に帰ってきたら、桜の花見で道路が大渋滞していたのを思い出しました。今年も4月1日が搬入日なので、また花見の渋滞にはまることが予想されます。この時期の個展は仕方がないことかもしれません。

メトロポリタン美術館グッズ

教え子の一人が渡米し、メトロポリタン美術館の素敵な土産を届けてくれました。私はまだアメリカには行ったことがありません。身近な国なのに、なかなか行く機会がありません。ニューヨーク近代美術館やグッゲンハイム美術館、メトロポリタン美術館は憧れの美術館のひとつです。土産のタイトルは「Can You Find It,Too?」という絵本です。古今東西の名画が収められていて、たとえばブリューゲルのページを見ると、「鳥小屋1つ・花籠1つ・〜」という具合に絵の中のモノを探すゲームになっています。これは楽しい名画探検です。アイデアを凝らしたグッズに時間を忘れました。英語の勉強にもなりそうです。

デルフィ、オリンピア遺跡巡り

ギリシャでは、いくつかの遺跡にしぼって観に行くことにしました。帰国の日が迫っていたので仕方がないと思っていました。デルフィは山麓にあって、岩肌と神殿の柱が風景に溶け込んでいました。いわば自然と人工の産物の対比が絶妙な雰囲気をつくっていました。かなり大きな都市があったのを物語る遺跡でした。オリンピアはオリンピック発祥の地なので、古代の競技場跡で実際に走ってみました。夕暮れの競技場は、まさにセピア色になって、脳裏に焼きつきました。観光シーズンが終わり、観光客もまばらでした。トルコから始まった遺跡巡りもここが最後の地となり、数ヶ月の旅に幕を引こうとしていました。印象はごちゃ混ぜになっていましたが、記憶に残るものが、いずれ作品として結晶化するのを信じていました。来月早々の個展を前にして、トルコ・ギリシャの旅を振り返ってみたくなり、ここ何日か1985年の旅日記をブログに書いてみました。

パルテノン神殿とプラカ地区

1985年の終わり、ギリシャのアテネにいました。あの頃はパルテノン神殿のすぐそばまで近づくことができました。神殿内には鎖が張ってあって入れませんでした。トルコの遺跡では柱の合間をくぐることができたのにパルテノン神殿はいかにも観光地といった趣でした。今はどうなっているのでしょうか。でも写真でよく見た神殿なので、初めて見たにも関わらず懐かしい感じがしました。当時はエンタシスの柱の微妙さに気づかずに過ぎてしまいました。その下に広がる旧市街のプラカ地区に宿をとりました。インスタントコーヒーが何故か美味しくて、白いチーズの入ったサラダをよく食べていました。オリーブの酢漬けもよく食べました。真鍮の小物を日本向けのお土産として買いました。そのうちのいくつかはまだ我が家にあります。

エーゲ海シキノス島・サントリーニ島

紀行作家みやこうせいさんのお勧め、シキノス島はエーゲ海の島々の中でもマイナーな島で、観光船から海上で小舟に乗り換え、その小さな島へ着岸したのでした。レストラン兼土産店を営む海岸沿いの店に泊まることになりました。交通はロバ。小さな集落があって、舟がやってくるのは数日先というのです。美しいところではありましたが、日本人観光客向けではない時間の流れがあって、のんびり過ごすことができました。次に火山が爆発して島のカタチが異様に変化したサントリーニ島に行きました。岸壁に白い家々がへばりつき、まさにアートな空間がありました。アクノテイリ遺跡というものがあって、都市の発掘作業を見ることができました。嵐のクレタ島から2週間あまり。やっと青い海、青い空のエーゲ海を満喫していました。

ロードス島 壁に囲まれた広場

1985年トルコ・ギリシャの旅が3ヶ月になろうとしていました。ロードス島はアニメに登場するような名称が気に入って、滞在することにしました。ここで印象に残ったのは城壁です。ちょっとした広場があって、まるで舞台装置のような雰囲気に時間が経つのを忘れたほどです。石壁に囲まれた広場。夕暮れに灯がともり、壁のマチエールが微妙な影を宿していました。防衛のために作られた旧市街を囲む壁ですが、街の造形として美しく見えてしまう要素をもっているのです。自分の作る彫刻の造形要素に取り入れたいと感じていました。ここで食べたムサカはオリーブ油たっぷりで、とても美味しく、ギリシャ料理が好きになるきっかけになりました。

クノッソス神殿の奇妙な柱

昨年は柱を彫刻の要素として、ひたすら作りました。柱に興味を抱いたのはヘレニズム文化の影響かもしれません。そのヘレニズムより古い時代に作られたクノッソス神殿。小さなクレタ島にあるというだけで神秘性を持っています。極めつけは上にいくほど太くなる柱。不思議な造形に魅かれました。スポーツをしているような人々の壁画から平和な時代が見て取れました。その神殿の前で、テラコッタでできた一対の飾り面を買いました。ギリシャ悲劇と喜劇の仮面。焼きが甘いのか、ともすれば壊れそうな仮面でした。郵送などできず、トルコの絨毯と一緒にリュックサックにつめて、旅の友になりました。ウィーン生活で使った衣類を徐々に捨て、その代わり風変わりな土産が増えていきました。クレタ島到着時に吹き荒れた嵐が去り、それでもなお湿った風が頬を撫でていましたが、ロードス島に渡る決心をして、クノッソス神殿の奇妙な柱に別れを告げました。

嵐のクレタ島

1985年に旅したトルコ・ギリシャ。4月の個展が近づくにつれ、展示する作品の多くがこの旅でイメージを培われたことを思うと感慨一入です。2ヶ月以上に及んで滞在したトルコを後にして、ギリシャのクレタ島に向かったのは10月に差し掛かっていました。エーゲ海というのはいつも青い空と青い海が広がっているところというイメージをもっていましたが、さにあらず。この日は荒天で、まるで北斎の浮世絵のような荒れ狂う波に、笹舟の如く頼りない舟は自然の成り行きまかせになり、さんざんいたぶられた挙句に、やっとクレタ島に漂着したのでした。もちろんクレタ島も嵐吹くフォービズム絵画のような風景が目前に広がり、観光ポスターとは正反対の印象をもってしまいました。ただ、ギリシャに渡った瞬間に、芳しい豚肉や鶏肉の焼いた匂いがして、トルコの羊肉に辟易していた胃腸にはたまらない魅力でした。

「構築〜包囲〜」HPギャラリーにアップ

1月末から2月にかけて横浜市民ギャラリーで展示した「構築〜包囲〜」がアップしています。このブログを書き始めると同時に作ってきた作品なので、制作の一分始終をブログに記録してきました。夏の間中、額に汗して彫った30本の柱も、砂を貼ったテーブルもご覧になってください。他に仕事をしながらほぼ半年で作ったものです。演出は相変わらずカメラマンとの共同作業で決定しています。というよりカメラマンからの提案があって図像が決まるといった方がいいかもしれません。ただ以前とは違い、コトバは作品が出来てから考えるのではなく、作品のコンセプトが決まってきた時から同時に進行するようにしました。柱をこういう方向に向けると決めた時、コトバ作りも始めました。写真が出来た時、カメラマンに「コトバはすぐ翌日に用意できます」と答えられたのはそのためです。カタチとコトバ双方から取り組んだ初めての作品といえます。

詩集「ミロそしてミロ」

昨日、文筆家の笠原実先生から「ミロそしてミロ」という自作の詩集が送られてきました。まさに文字通り自作の詩集で、30部限定の私家版でした。これは我が家の家宝です。内容も家宝に値します。私もブログで幾度となく書いているように現代詩に興味があり、学生時代は彫刻に目覚めるまで詩作を繰り返していました。詩にするにはあまりに粗末な感覚、語彙力で途中で放棄していたのでした。それがこのHPを作るにあたり、コトバを彫刻と並列(付け加えではありません)することになり、拙い詩作が再び始まりました。そこへこの「ミロそしてミロ」。う〜ん、先にやられてしまったと正直思いました。「ミロそしてミロ」は谷川俊太郎の「クレーの絵本」を彷彿とさせるものでコトバが絵画の感覚を掴み取っています。これは解説や評論ではありません。詩人の中には美術評論家も多く、評論する前に詩心で美術作品に接しているのかもしれないと思っているのですが、笠原先生が私の彫刻を批評してくださる時も、この感覚で書かれた一文だと確信しました。「笑覧いただければ〜」などというお手紙が添えてありましたが、とんでもないことです。これでしばらく勉強させていただきます。

HPに個展インフォメーション

このブログから自分のHPに入れるようになっています。この文章の後にあるアドレスをクリックして頂くと、扉が出てきますので、左下に個展インフォメーションがあります。リアルな日常の中で、リアルではない世界を作っている者にとって個展は夢うつつなイベントです。運搬、セッテイング等の汗水流すことはあっても、自分だけの世界を演出し、人に見てもらう行為は贅沢なことだと思います。生活に関わらないことは何て魅力的で魔物のように心を捉えるのでしょうか。音楽や演劇も同じです。こういうことが生活に関わる労働と同等に大切なものになれば、豊かな人間社会が生まれると思います。案内状が出せない方には、ぜひHPのインフォメーションをご覧になって頂ければ幸いです。                        Yutaka Aihara.com

個展案内状の郵送

来月早々にある「ギャラリーせいほう」での個展のDMが出来上がってきて、郵送を始めました。ギャラリーには1000部届けに行きました。手許には500部。今回のDMは昨年と異なり、立体感のある写真になりました。作品を下から覗きこんで撮影したものです。近々HPにアップしたいと思います。梱包をさらにきちんとするためにエアキャップやダンボールを買い足さなければなりません。彫刻には絵画や版画にはない気ぜわしさがあります。なにしろ集合体で見せる作品は、それぞれ部品を梱包しなくてはならず、まるで引越し荷物のような按配です。さて、今回はどんな空間が出来るのか、ちょっと緊張し、かなりワクワクしています。

みやさんの「ユーラシア無限軌道」

表題の本は紀行作家みやこうせいさんが書いたもので、詩人のまどみちおさんとみやさんが東京青山のギャラリーで2人展を開催していた時に購入しました。「名前なんてつまらないサインはやめて、サインではないサインを」と無礼な要求をしたら、さすがみやさんは心得たもので、「地球はあなたの心の一地方」とサラリと書いてくれました。この本を読んでいると、まるでみやさんと会話しているような錯覚に陥ります。エスプリに富んだジョークや世界情勢まで話題豊富なみやさんが目前にいるようです。みやさんのフットワークの軽さ、行動力、コトバの魔術にスルスルと魅かれていきます。とりわけ東欧の寒村の情景描写では、かつてみやさんに案内された場所での匂いや踏みしめた土までも甦ってくるようです。難解な書籍を携えて旅しているみやさんをこの本で初めて知って、当時は脇でくだらない話しかしなかった自分を恥じるばかりです。本に登場しない愚かな人々が(自分も含めて)たくさんいることを、本を読まれている方々につけ加えておきます。でないと、みやさんと旅で出会う人々はみなインテリかと誤解されます。ルーマニアで酒にまかせてバカ騒ぎしたことも一度や二度ではありません。

黒海を臨むキリスト教寺院

黒海沿岸のトラブゾンに到着したのはトルコに来て2ヶ月を過ぎていました。ここで印象深かったのは焼き魚でした。イスタンブール同様に港で魚を焼いていて、その一匹をタダで頂きました。よほど金銭がない旅行者に見えたのでしょうか。実際ウィーン生活で貯め込んだ衣類は汚れれば捨てて身を軽くしていましたし、外見はかなり貧相になっていました。焼き魚は食事ホームシックになるくらい飢えていた食物のひとつだったので、美味しく食べました。そこで黒海沿岸の町ですが、今まで旅してきた町と様子が異なり、やや西洋風な雰囲気がありました。それはビサンチン時代のキリスト教寺院があったからです。ただアヤソフィヤは教会ではなく博物館になっていましたが、内壁のフレスコ画を見るとトルコにいることを忘れてしまうほどでした。ずっとモスクを見てきた目には新鮮でした。そろそろヨーロッパに戻ろうかと、自分はアジア人なのに不思議な感覚に襲われたものでした。

チグリス河流域で彷徨う心身

学校で学んだ歴史に古代の四大文明があり、そのひとつがチグリス・ユーフラテイス文明です。そのチグリス河流域の町デイヤルバクルに着いた時は、頭痛と腹痛に見舞われ、ホテルに4日間倒れこんでいました。家内も同じ症状だったので、食事のせいか疲労のせいか、あるいはもっとヤバい病気なのかわからないまま臥せっていました。ボーイが心配そうに何度か様子を見に来ました。観光したい欲望に駆られ、頭痛や腹痛を抱えながら、埃っぽい街に繰り出しましたが、すぐホテルに引き返し、街で買った果物で持ちこたえていました。苦しんだ4日目にフッと身体が楽になり、温かさが身体に戻ってきました。家内は少し早く回復していました。夢に和食のあれこれが浮かんできたので、食事のホームシック状態だったのかもしれません。羊の肉が食べられなくなったのはこの時からで、旅は2ヶ月になろうとしていました。

ネムルト山登頂記

トルコの東アナトリアに位置する標高2150Mのネムルト山頂に遺跡があると聞いて、現地でミニバスツアーに参加しました。私たち夫婦の他に西欧から来た数人の旅行者がいました。小さなバスで山頂を目指し、やがて首のない5体の神像が立つ山頂に到着しました。アポロンやゼウスの巨大な頭部が下に落ちていました。後で調べるとコンマゲネ大国アンテイオコス1世の陵墓で紀元前60年代頃のものであるらしいことがわかりました。焼け付くような日照りの中で、西欧から来た女性旅行客の意識がおかしくなりかけていたようで、彼女が山頂に忘れ物をして、それを取りに戻ったりしました。そのうちバスのタイヤがパンクして、私たちは麓の河沿いで時間つぶしをしました。こんな時間に囚われることのない旅は二度とできないのでしょうか。

カッパドキア奇岩群

カッパドキアを知ったのは学生時代に神田の古本屋街で立ち読みした古い美術雑誌に掲載されていた白黒写真からでした。地球上のものとは思えない不思議な世界に驚いて、思わずその古本を買ってしまったのでした。そのカッパドキアに1985年に行きました。まさか自分が写真で見た不思議な空間にいるとは信じられないくらいでした。トルコの中央アナトリアに位置していて、奇岩群にキリスト教徒が住み着いた場所があり、その人的に開けられた窓や扉がアートな空間を作っていました。ともかくカッパドキアという傑作な地名と独特な景観に身も心もすべて取り込まれ、現実とは思えない空間に酔ってしまいました。夢うつつな時間が流れ、近くに宿を取り、日暮れていく幻想空間にまた酔っているうちに、景観の精粋が心身にしみ込んで、ようやく次の場所に移動しようという気がおきてきました。ここで食べた奇岩のカタチをしたスイーツの強烈な甘さを舌に残しつつ、カッパドキアを後にしました。

ハマム体験記

トルコで一度は行ってみたいと思っていたのが、公衆浴場(ハマム)でした。カッパドキア観光のついでに寄ったユルギュップという小さな町で、このハマムを体験しました。公衆浴場と言っても日本の浴場とは異なり、腰巻をつけて、大きな平たい石の上に横になるというもので、石の下から熱が伝わって温かくなる仕組みになっていました。かなり身体が火照ってきたところに腰巻をつけた男が現れて別室に通され、身体中に石鹸をつけられてゴシゴシこすられました。この男は日本で言う三助で、自分の身体が揉みくちゃになるほど洗いました。もうこの体験はこれで充分と思いました。男女は時間で入れ替わるそうで、トルコの人にとってはリラックスタイムなのかもしれません。

2つの地下都市

トルコの地下都市を訪ねたのは20年以上も前のことなので、記憶が徐々に風化しています。訪ねた地下都市の名称はカイマクルとデリンクユでした。どちらがどうだったか忘れてしまいましたが、蟻の巣のように地下へ続く洞窟を地元の少年が案内してくれました。入り口には巨大な円形の石の扉がありました。この扉を転がせて入り口を塞いで、外敵から人々の暮らしを守るようになっていたのですが、扉がオブジェのように見えました。地下は8階まであって、ワインの製造所や教会などがあり、とくに印象的だったのは教会の床が十字架の形になっていたことです。通気口もありました。自分は狭い所が苦手で、人一倍圧迫感をもってしまうのですが、この地下都市では興味が先立って、閉所に対する強迫観念が吹き飛んでしまいました。それどころか自分の創作にこの地下都市の造形を取り入れられないものか、真面目に考えていました。そのくらいインパクトのあるひと時でした。

円形劇場の景観

自作に「発掘〜円形劇場〜」という陶彫レリーフがあります。HPのギャラリーにアップしています。ヘレニズム時代の遺跡をトルコやギリシャを訪ね歩くうち、円形劇場の見事な景観に心が奪われました。トルコのペルガモンは山の急傾斜にあり、眼下に広がる壮大な風景を舞台背景にして演じられるドラマはさぞ楽しかったであろうことが偲ばれます。エフェソスの円形劇場も巨大で、擂り鉢状の観客席から見える一本道が港に続いている景観に感動を覚えました。港から舟で来た人々がエフェソスに入ると円形劇場が真正面に見える演出に、当時の人々はこの都市の高度な文化を見たことでしょう。とにかく劇場は中心になる舞台に向かって円形の観客席が作られているので造形物としても極めてまとまりのある構造をもっています。張りつめた空気をそこに留めてしまう要素があって、遺跡としてもつい注目してしまうのです。それが発想の源になって、HPにあるような作品が生まれました。

遺跡めぐり行脚

1985年晩夏、5年間住んだウィーンの住宅を引き払って、ヘレニズム時代の都市遺跡を見にトルコやギリシャに数ヶ月の旅に出ました。交通手段はもっぱらバスと徒歩でした。ヒッチハイクもしました。何といっても遺跡は町から離れた山や土漠にあり、日本のように観光化されてはいませんでした。トルコのペルガモンやサルデス、エフェソスを振り出しにクシャダス、プリエネ、ミレトス、デイデイマ、アンタルヤ周辺の遺跡などを体力の続く限り見て歩きました。もう20年以上前のことなので、地名は虚ろに覚えていますが、印象はゴチャゴチャになって、どこの遺跡がどうだったかはハッキリしません。ただ都市を形作った計画はどこも立派で、当時の景観を思い浮かべるだけでワクワクしていました。この時、しっかり刻み込んだ敷石だけの景観やわずかに残った柱が、自分の作品として生まれるのは10数年先のことです。当時そんなことを考える余裕がなく、全身で遺跡のある場所の空気を吸っていました。