「おわら」の胡弓

中国に二胡という楽器があります。二弦を弓で弾くと物悲しい響きが出る独特な楽器で、この二胡も別称で胡弓と言います。ところが今年の秋に行った富山県八尾の「おわら風の盆」で奏でていた胡弓は中国の二胡とは違う楽器に見えました。家内が興味を持って邦楽の演奏者に聞いたところ、中国の二胡と「おわら」の胡弓は違うもので、「おわら」の胡弓は日本独自のものだそうです。家内は幼少の頃にバイオリンを弾いていて、長い期間やめていたのですが、最近邦楽に興味が出て三味線を始めていました。家内が胡弓に興味を持って、この楽器が欲しいと言い出したのは私にも理解できました。胡弓はバイオリンと三味線の要素が合わさったようなものと私なりに素人の独断で考えました。購入するとなると飛騨高山から取り寄せになり、しかも注文があってから作るというのでかなり時間がかかるということでした。その胡弓が昨日我が家にやってきました。さて、日本で何人くらいがこの胡弓を演奏しているのでしょうか。八尾でもいくつかのグループが演奏していましたが、胡弓はグループに一人ずつしかいませんでした。家内は少数派演奏者の道を歩もうとしています。

休庁期間の作業

昨日が官庁御用納めの日なので、今日から休庁期間に入りました。自分は公務員なので正月休みです。家の掃除や片付けをしてのんびり過ごしたいところですが、来月のグループ展搬入や4月の個展のことを考えるとのんびりできず、間を惜しんで制作をしています。さすがに作業場の周辺は静かになりました。毎年新作を作って展覧会に出すというサイクルができてからというもの晦日も正月も制作の合間にやってくる休息期間のような感じになってしまいました。その年のケジメというものがないのです。今年は砂マチエールの硬化剤を乾かすための期間となりそうです。例年こんなふうに過ごしています。でも心は満足していて制作がなければ何の楽しみがあるのかと思うほどです。

一気呵成に作れない魅力

作品を凄い集中力をもって一気呵成に作り上げられるならば、それに優るものはないと思っています。後先考えず制作に没頭し、時間を忘れて心底打ち込めば作品は輝きだします。創作行為は精神の産物なので、表現したい意思が強ければ、技巧を超えて訴えるものが表れてきます。そうした常軌を逸した精神世界に触れると、鑑賞する人々の心を動かします。それが感動です。自分の創作行為はどうなのかと言うと、作品のサイズやそれに伴う仕事量からして一気呵成には作れません。ただし長い時間の中で集中力のバイオリズムが生まれ、それでも表現したい意思は揺るぐことはないと思っています。坦々とした仕事量も最終的には完成したら生きてくるものと信じています。長い技巧の蓄積があって、またそれを塗りこんで壊してみたり、作り直してみたりしながら完成へと向かうのです。一気呵成に作れない魅力、つまり紆余曲折しながら一貫した計画を押し通すことができれば、鑑賞に値する作品ができるのだと思っています。

砂のマチエール

新作「構築〜包囲〜」の骨子ができたところで、厚板に砂を硬化剤で貼る作業に移っています。砂を厚く塗ると厚板の重量が増して柱で支えるのが厳しくなるので、砂は薄めに板に擦りつけるように塗ります。ただ平たくしないように気をつけています。そこが左官職人とは違うところかなと自負しています。下手と勘違いされますが、コテの跡を意識して微妙なニュアンスをつけています。厚板は10数枚。1日1枚のペースですが、手間のかかる部分もあって、何時間も手許しか見ていない生活を送っています。硬化剤の臭いが部屋に充満していますが、油絵の具を使い出すとさらに臭いが浸みつきます。大きいキャンバスでも10数畳はないと思いますので、これからの作業を考えるとそこに人は呼べないかなと思っているところです。

「構築〜包囲〜」組み立て

職場が休みに入り、夏休みの時のように朝から夕方まで制作に没頭できる毎日を送っています。時間があるという幸せを感じながら制作は佳境に入りました。夏から取り組んだ30本の柱は彫り上がりました。ナンバー代わりの印も仕上がり、和紙に押印して柱に貼りました。今はひたすらテーブルの部分を制作しています。畳サイズの厚板を10数枚使います。厚さは2センチ。穴をあけたり切り込みを入れたりした後、砂を硬化剤で貼り、油絵の具を染込ませます。この厚板を円形に組み合わせ、ボルトで留めてから30本の柱で支えます。つまり今回は直径5メートルのやや歪んだ円形テーブルを作っているわけです。この休みに入って初めて全体を組み立てました。ギャラリーの照明の当て方によっては、床に落ちるテーブルの影も作品として意図できると感じました。残りの日数を頭に入れながら最後の作業に入っています。

ルーマニア・クリスマス体験

ヨーロッパに住むとキリスト教の存在に圧倒されます。クリスマスの礼拝もそのひとつですが、ヨーロッパの宗教世界の原形が残っているかのような素朴な精神性をもっていたのがルーマニアで迎えたクリスマスでした。まだ共産圏だった頃のことで、現ウクライナ国境近くの村で体験したクリスマスは忘れることができません。夕方、村の子供たちが家々を練り歩き、門前で合唱をして家人からお菓子をもらう行為(コリンダと言っていました)に温かさを感じました。また木造りの教会で民族衣装を纏った村人たちが厳粛に祈る姿は、生まれた土地を愛し、人を愛する心を神へ感謝する姿と感じ取ることができ、宗教の違いを超えた感動をいただきました。あれから20数年経ち、今はどうなっているのでしょうか。彼の地を取材していた紀行作家みやこうせいさんにお会いする度にルーマニアの村での印象が甦ってきます。日本の社会に馴染んでしまっている今の自分には遠い世界になってしまいました。

オーストリア・クリスマス体験

ウィーンで迎えたクリスマスは地味ながら、しっとりとした落ち着いたクリスマスでした。イエス・キリストの誕生を祝う神聖な日だからこそ、家族で団欒をして心安らかに過ごすというものでした。日本のようにケーキのセールもなく、ショッピング街に人があふれることもありませんでした。市庁舎前広場に巨大ツリーが飾られ、露店ではツリーを飾るグッズが売られていました。木彫りの天使や星があって楽しい気分になりました。暖かいワインがあったので、シナモンのお菓子とともに味わいました。ウィーンで初めて知ったのはクリスマスの前に聖ニコラウス(サンタクロース)の日や悪魔の日という日があったことです。由来は調べていないのでわかりませんが、ちょっとした発見でした。

プッフスバウム通り

10区のプッフスバウム通りというのがウィーンで長く住んだ場所でした。このあたりは外人労働者が多く住んでいましたが、治安は悪い方ではありませんでした。地下鉄Uー1の終点であるロイマン広場から何本か延びた通りのひとつがプッフスバウム通りでした。ロイマン広場にはアマーリエン公衆浴場があったのですが、ここには一度も行かず残念なことをしました。「テイッヒー」というアイスクリーム店もあって大変な評判でした。夏の間だけオープンするので時期になると長蛇の列ができました。専用のバケツがあってアイスをぎっしり詰めてくれました。なぜか家内が列に並んでいる後姿が印象に残っていて、いまだに私の脳裏に焼きついています。友人や両親が来た時もバケツいっぱいのアイスを買って帰りました。ルーマニア人家族が本国から来た時もこのアイスとマクドナルドのハンバーガーでおもてなしをしました。当時ルーマニアは共産圏で出国さえ難しい時代でした。

下宿の引越し

ベートーベンは生涯50数回も引越ししたと言われていますが、それほどではないにしろ自分もヨーロッパでは数回の引越しを経験しています。初めはドイツのバイエルンにある全寮制の語学学校、次に語学学校のクラスメートでウィーンまで同行した韓国人女性が見つけてきたウィーン大学の学生寮、さらに14区ペンツインガー通りに間借りした部屋、次に邦人画家が紹介してくれた5区のアルバイター通りのアパートで台所とシャワーがついていました。最後に新日本フイルの楽団員が住んでいた10区のプッフスバウム通りのアパートで台所と大きな風呂がついていました。このプッフスバウム通りのアパートには4年間住んでいました。下の階に管理人夫妻が住んでいて、旦那さんは第二次大戦で片目を失ってしまったんだと言って、ヒットラーを憎んでいました。先日のブログに書いた平織り絨毯を張り巡らせて住んでいたのはこのアパートでした。

空間演出という概念

立体作品は作られた物質だけでなく、周囲の空間をも作っているという概念をもったのは海外での生活体験からでした。日本の大学で彫刻を学んでいた頃は、彫刻そのものの構造や量感を捉えるのが精一杯で、その彫刻が置かれる場所や置かれたことで周囲に与える空間の変容なんて考えられずにいました。ヨーロッパの街づくりに見られる公共広場での彫刻の役割、または室内空間に置かれた彫刻の床や壁との関係は、自分に立体作品をもう一度考えさせる絶好の機会を作ってくれました。汚れた壁を絨毯を張って演出したり、壁紙を張り替えたり、漆喰を塗ったりすることと自分が学んでいる彫刻は決して切り離した存在ではなく、空間演出をする要素としては同じであり、すべてが自分の世界感として統一したものでなければならないという概念です。そんなことを考え始めてから、作品を作るときは周囲のことまでイメージして作り出すようになりました。

平織り絨毯のインテリア

自分が行く前からウィーンで暮らしていた留学生仲間が、古くなった住居の壁に平織りの絨毯を張り巡らして独特な空間を作っていました。平織りは幾何模様があったり、動物や人物が象徴的に単純化されていたりして、その模様と色彩はまるで抽象絵画のような不思議さと美しさをもっています。破れたり汚れたりした壁に張るとエキゾチックな楽しさが演出できるのを、この時知って自分も真似てみたくなりました。昨日のブログに書いたフローマルクトに行き、やや渋めの平織りの絨毯を値切りに値切って、やっと手に入れてきました。自分の住居の一角にそれを張り、その前に花瓶や書物を置いて雰囲気を楽しみました。空間の演出という概念はこんな身近なところから学べるのかと改めて思いました。

フローマルクト

所謂「蚤の市」で、日本でも最近はあちこちでこうしたフリーマーケットが開かれています。その先駆けとも言うべきヨーロッパのマーケットはかなり歴史があって、自分の留学生時代には盛んに行われていました。ウィーンは毎週土曜日の午前中に青果市場近くの広場で、由緒のあるものからちょっと如何わしいものまで売られていました。いったいどこから持ってきたのかわからないイコン(宗教画)、燭台、十字架、キリストの磔像などや、かなり値の張りそうな絨毯、戦前のモノクロ写真、装飾金具、食器など諸々の雑貨があって、日本からやってきた者にとっては異国情緒に溢れていました。ユーゲントステイールの工芸品も売られていました。「昔はもっと良い物があった」と昔から利用している住民から聞いていましたが、それでもなお西洋臭さが残る雑貨を見て、大いに楽しめました。

アールヌーボー様式

ドイツ語ではユーゲントステイールと言っていました。20世紀初頭に流行した美術様式で、建築から工芸品にいたるまで、それとわかるフォルムをしています。植物の葉・茎や蔦の曲線をデザインに取り入れて、自然に独特な解釈を加えて優美なカタチを創っています。ウィーンにはそれらユーゲントステイール様式の建築物や工芸品がたくさんあって、研究者でなくても興味をそそられました。エミール・ガレやルネ・ラリックの製品を買えない留学生としては書物だけはたくさん手に入れてきました。そのうち当時の何人かの作家に注目するようになりました。同じように見える様式美の中でも、やはり個性的な作品が生まれていたのかと改めて思い返しています。

佐藤和美展によせて

自分と同年代で、茨城県に工房を構えて作陶を続けている佐藤和美さんの個展に行ってきました。神奈川県藤沢から江ノ電に乗って、ひと駅目に目指すギャラリーがありました。閑静な住宅の中にある陶器専門の店でした。そこには土肌を生かした壺や皿が並べられていました。作品のことはそっちのけで、プライベートな話ばかりになってしまいましたが、この歳になると肉親のことや諸々の雑事で創作がままならなくなるのは誰しも同じなんだと思いました。そんなことで納得できる作品が出来ていないと和美さんは言っていましたが、何はともあれ創作を続けている仲間がいることは嬉しく感じています。

故・日和崎尊夫さんの思い出

「柄澤齊展」で購入した図録に日和崎さんのことが書かれていました。柄澤さんは日和崎さんの個展を見て、それがきっかけで木口木版を始めたことを知りました。30年も前の自分の大学時代に、学内の版画展に日和崎さんがひょっこり現れて、自分の彫った大きな木版画に意見やら感想をいただきました。それから日和崎さんとの交流が始まりました。素晴らしい師匠に出会ったにも関わらず自分はとうとう木口木版はやりませんでしたが、国分寺にあった自宅兼アトリエに泊まらせていただいたことがありました。日和崎さんの仲間と一緒に山登りに出かけて、山の帰りがけに突然絵本作家の田島征三さんの家に立ち寄って夕飯をご馳走になったこともありました。日和崎さんは酒が大好きで般若心経を読んで命拾いした話などをしてくれました。今でも思い出が鮮やかに残っています。ひょんなことから日和崎さんの名前を見つけ、懐かしい気持ちになりました。

柄澤齊展

鎌倉にある県立近代美術館で「柄澤齊展」を開催しています。木口木版の緻密な表現で知られる作家ですが、初めてまとまった作品を見ることができました。あくまで木口木版が軸になって、モノタイプやコラージュに展開していく作風と理解しました。ただ、どれをとっても緻密さと深みを失うことがなく時間を忘れて見入ってしまうほどでした。木口木版は画面が小さく、ビュランで細い線を丹念に刻み込んでいくので、その小宇宙には神秘的な雰囲気が宿ります。とくに名のある人のポートレイトはその人となりを伝える表現が加わり、大変面白い世界を作っていました。挿絵も多く出品されていましたが、ひとつひとつが独立した作品と呼べる表現力があって凄みさえ感じさせる回顧展でした。

プロレタリア・アート

1980年代にウィーンに住んでいたので、まだソビエト連邦を中心とする共産圏が隣国にありました。ハンガリーや旧チェコスロバキアに出かけていくと、広場にはよく労働者や兵士を賛美する具象彫刻のモニュメントが置かれていました。腕を高々と掲げて胸をはる像ばかりで、あまり美術的には気持ちのよいものではありませんでした。学生時代に具象彫刻や版画をやっていくうち、そうしたプロレタリア・アートに間違えられたことがありました。大げさで劇画的なポーズが原因だったのだろうと思います。時代が民衆に戦争を鼓舞したり、共産主義的な思想を植えつける上で、最もわかりやすく視覚に訴えるものがプロレタリア・アートであったのなら、自分の学生時代の作品はそんな思想もなく、一体なんであったのか今でも戸惑います。内面に向かわなければいけないところを、外見の処理ばかりが気になっていた若さの露見だったのかとも思います。

アールデコ様式

自分の作品が具象傾向から抽象化していく過程で、歯車という具体的なイメージを使ったのは、あるいは本当の意味で抽象化と呼べるかどうかわかりません。ウィーンではアールヌーボーやアールデコ様式がよく目につきました。歯車はアールデコ様式を象徴するカタチのひとつであるとも言えます。アールデコは20世紀初頭にあって、工業化が進んだことで製品の量産が可能になり、それにより庶民生活が豊かになっていく時代に生まれた様式で、直線や円形を多用しているところに特徴があります。そうした時代のものをウィーンでは日常の中に発見できました。初期のものはウィーン工芸美術館に展示してありました。アールデコはモダニズムの旗頭となっていましたが、冷たい造形でもあり、長く人々に愛されるものではなかったように思います。世界が大きな戦争に向かう前の、ほんの一瞬訪れた洒落たモダンな時代とともにアールデコは滅んでいったのかもしれません。

歯車の構成

凹凸のついた歯車をよく自分のモチーフに使います。螺旋や渦巻きと違い、若い頃から自分の作品に繰り返し出てくる要素です。具象の作品から出発して、人体を離れる契機になったのが歯車の使用でした。歯車は具象としても扱えるし、都市的な構成要素もあります。ウィーン美術アカデミーでレリーフを作る時に歯車の構成を使い始め、都市的な景観をイメージしました。ウィーンの街にはアールデコ時代の建物が多く残っていて、また橋や街灯にも前時代的な美しさをもった構築物が多かったのも、歯車を使い始めた原因かもしれません。赤錆の歯車に支えられた工場とレトロなモダニズムが今の作品を生んだとも言えます。

クレーの絵本

パウル.クレーという画家は私の頭の中にちょこちょこ顔を出して、造形する心をくすぐってくれたり、気持ちを軽くしてくれます。「クレーの絵本」という小さな本は私の大好きな書物のひとつです。谷川俊太郎の詩がついていて、絵のイメージをさらに膨らませてくれます。詩はひらがなで書かれていることが多く、そのやわらかく朴訥な字面と、ふっと深みに入っていく感覚が何ともいいのです。「クレーの絵本」は書棚にしまうことはなく、いつも傍らに置いてあります。クレーがつけたタイトルも詩そのものです。色彩もカタチも詩そのものです。自分の中にも詩はあると思うのですが、造形の中にコトバを発見するとなると容易ではありません。気構えてしまうのかもしれません。

渦巻くカタチ

先日、螺旋の造形をブログに書きましたが、螺旋を平面にしたものが渦巻きで、当然渦巻きも造形要素としては大好きです。中心に向かって巻き込まれていく、また中心からグルグルと外へ広がるカタチは、一点から展開する作品を作ろうとした時に最も効果的な要素です。ウィーンでお会いできた故フンデルトワッサーもこの渦巻きに注目してカラフルな縞が永遠に続く作品を多く残しました。きちんと円形を辿るのではなく、ところどころ戸惑いながら渦巻いていくカタチが、フンデルトワッサー同様自分も大好きで敢えて幾何的な渦巻きを壊し、渦巻きにボリュームを与えています。中心点を設けない渦巻きも視線を裏切って面白みを感じさせます。まだまだ可能性がある渦巻くカタチにしばらく酔っていたいと思います。

エッシャーの魔術

作業場に来ていた美大生が課題をそっちのけにして、エッシャーの画集を見入っていました。「この人が生きて傍にいたら惚れちゃう」と彼女は言っていました。それほど心を虜にする表現力を持った画家です。エッシャーは遠近法や幾何形体のトリックを巧みに取り入れて、それだけに留まらず自身のオリジナルな幻想世界を描いています。具象と抽象を併せ持つ不思議な世界です。とくに抽象として表れるのは数学的なカタチで、多面体であったりメビウスであったりします。私がエッシャーを知ったのは美大生の彼女と同い年の頃で、大学受験のためのデッサンの研究所で講師の先生から紹介されました。それから私もほぼ30年間ずっとエッシャーの魔術の虜になっています。

彫刻にむけたコトバ

真白い大理石から・彫りだされてくるきみ・先ず胸筋が初めての風を受け・頬には荒々しいのみの跡。谷川俊太郎の詩集「空に小鳥がいなくなった日」からの「裸」という詩の一節です。高校3年生の時、これを読んで彫刻っていいなと思いました。これが理由で彫刻家になる決心をしたわけではありませんが、脳裏に焼きついた一節であることに変わりはありません。コトバがもつ唯物としてのイメージがあって、石の荒彫りから完成にいたる情景が目に浮かびました。その頃はまだ彫刻の何たるかを知らずにいましたが、たとえばミケランジェロの作品がこんな具合に生まれてきたのかと連想させられます。コトバのもつストレートな力を感じて、こんなコトバがどうしたら出てくるのか羨望さえ抱きました。

早稲田小劇場

小劇場が盛り上がりを見せていた頃、赤テントや黒テントだけではなく早稲田小劇場にも足を運びました。まだ本拠地が早稲田にあった頃の小劇場です。鈴木忠志の演出、白石加代子主演の芝居はとてつもなく面白く、あっという間に時間が過ぎました。白石加代子のおどろおどろしい声が圧倒的な存在感を持っていました。本拠地が富山県に移ってから早稲田小劇場とは縁がなくなってしまいましたが、あの小さなアトリエで観た公演が今も印象にのこっています。別役実という劇作家もこの時知りました。別役実の童話にも興味を持ちました。乾いた情念を感じさせる独特な世界で、あっさり書かれたような詩的情景が、自分の心の片隅に棲みついてしまいました。

渋谷の天井桟敷

寺山修司という詩人を知ったのは大学時代です。高校の時から詩を折に触れて読んでいた自分は、特異な世界を持つこの詩人を敬遠していたところがありました。初めは前衛演劇から興味を持ちました。当時の渋谷に奇怪な装飾が施された演劇実験室天井桟敷の建物がありました。大学1年生の時に天井桟敷を訪ねました。家出を勧めてみたり、街で演劇によるパフォーマンスをしていた寺山修司の存在は社会現象までなって、いろいろな人々が天井桟敷に出入りしていたようでした。最近になって青森にある寺山修司記念館を訪ね、前衛とも思えた寺山世界が、郷土と切り離せないものであることが実感できました。それにしても渋谷にあった天井桟敷が今も印象に残っています。あのサーカス小屋のような建物はどこにいってしまったのでしょうか。

赤テントに通った日々

大学生の頃、何となく怪しい雰囲気に誘われて、新宿花園神社に忽然と現れた赤テントに通いました。初めて観た時から、唐十郎率いる状況劇場で繰り広げられるドラマに魅了されていました。矢継ぎ早に発せられる台詞と不条理な展開。何かやりきれない当時の気持ちにピッタリきていました。あの頃は李礼仙や根津甚八、小林薫などが出演していました。テントの中に敷かれたムシロにぎゅうぎゅう詰めで座り、レトロな音響と大振りな演技で摩訶不思議な世界に引き込まれていきました。劇の途中でテントがめくられ、新宿のリアルな風景が現れると、劇と現実の境がなくなって妙な気分になったことを覚えています。状況劇場は夢の島や大久保でテントを立て、その度に大学の工房から出かけていきました。大学では石膏の臭いが衣服にしみ込み、テントに入ると舞台の臭いがそこに加わっていました。

螺旋の造形

螺旋状に上昇するカタチには成長していくイメージがあります。植物が螺旋を描いてねじれながら空に向かっていく有様は、自然界の強靭な力を感じさせます。昨日は螺旋階段をのぼっていく詩の一節が頭に浮かんだのでブログに書きましたが、螺旋階段をひたすらのぼるイメージは、つい自分の人生観に結びつけて考えることが多くなります。螺旋の形状を造形要素として作品に取り入れたいと思うこの頃です。すでに建築の柱になっていたり、オブジェにも使われる要素なので決して新しいものではありません。自分が作品の中で表したいのはどんな螺旋なのか、いろいろ試作をしてみようと計画をしています。

螺旋階段をのぼる

螺旋階段をのぼる・石壁にかこまれた・暗い・けわしい・石の階段をのぼる・小さなランプをぶら下げながら。自分が高校時代に慣れ親しんだ詩人黒田三郎の詩の一節です。何故かこの詩が情景として頭に残り、何かに向かってコツコツ始めたときに、いつもこの情景が現れます。どうしてこの詩と出会ったのか定かではありません。書店で立ち読みしたのか、どこかの雑誌に載っていたのか今では思い出せませんが、当時買った詩集が今も手許にあります。自分は決して文学青年ではなく勉強もろくにしない学生でしたが、詩の一節が印象に残ることが多く、そうした詩集を買い求めました。詩集は捨てられず書棚の中に埃とともに眠っています。詩は短いコトバなのに不思議な力をもっているもので、たまに埃をふいて字面を追いたくなったりします。

材料買出しの楽しみ

作品に使う材料を買出しに行くのはとても楽しくてウキウキします。店を回るうち作品と直接関係ないものまでチェックします。そういえばあの店にこんなものがあったっけと思い出すのがよいのです。陶土は栃木県益子に、木材は東京の新木場へ出かけますが、今日は近隣の店で絵の具を買いました。土や木などの作品になる素材は実際のモノを見て、作品のイメージを捉えることがあります。石は唯一無二なので、それが作品を大きく左右するとも言えます。木は自分は銘木を使うことはありませんが、作家によっては木も作品を左右することがあると思います。いずれにせよ作品にする楽しみがあってのことです。

師が走る12月

広場の模型作りの課題に取り組んでいる美大生から、材料の相談をメールで受けました。一緒に考えようと答えました。自分の制作以外で頭をめぐらせることは楽しみのひとつです。その美大生には自分が持っている様々な資料を与えます。こうしてひとつずつ吸収していくんだ、自分の引き出しをたくさん持っていくんだと若い世代の勉強ぶりを見て思います。自分も生涯勉強しなくてはならないと思うこの頃です。自分にも池田宗弘と中島修という師匠がいて、疾風の如く走る師匠を追いかけています。自分の後から追いかけてくる教え子たちがいます。慌しい師走になって、師が走るのは忙しい季節だからではなく、師から次世代へ受け継がれるレースをしているように思えます。こんなことを考えているうちに今年最後の1ヶ月になってしまいました。

色彩を考える

たとえば奈良の金剛力士像は巨大な木彫ですが、彩色されていたようで所々色が残っています。完成当時は華麗な色彩が施されていたことでしょう。自分の作品では木彫の部分は色をつけません。自然な木目が美しいので、そのまま残すつもりです。ただし横たえる厚板には砂を硬化剤で貼り付け、油絵の具を染込ませる予定です。さて、今回はどんな色にしようか思案しています。初めの企画には色彩計画があるのですが、実際のサイズにしてみると、これでいいのか迷うところです。今までは黒っぽい色彩にしました。陶彫が錆びた鉄のような色をしていたので、それに合わせた色を作りました。木肌に合わせた色は今までと同じというわけにはいきません。木肌を目立たせて共存できる色彩。画家と異なる色彩選びがこれから始まります。