仕事帰りに工房へ

帰宅が夜7時頃だったので、自宅に帰る前に工房に寄りました。いつもより早い帰宅時間で気持ちに余裕が持てて、陶彫の焼成の具合を確かめようと寄り道をしたのです。日曜日の夕方に本焼きを始めて、20時間くらいで1230°になり、そこから温度が下がり始めて、今日は温度が200°を少し下回っていました。これは窯の扉を開けても大丈夫な温度なので、開けてみることにしました。もう何回窯出しをしているのか見当がつきませんが、窯を開ける時はいつもドキドキします。今回は上手く焼けていました。細かいところまではチェック出来ませんでしたが、前回のように大きく割れた作品がなかったのが救いです。もともと陶彫は無理なカタチをしているので、無事に焼けてさえいればOKです。焼成で面白みを出そうとは思いません。電気窯を使っているので、計算通り均一にすっきり焼けてくれれば満足です。窯から作品を出すのは時間のある週末に行います。陶彫ひとつひとつは大きな彫刻のためのパーツなので、完成した陶彫のパーツを並べてみて全体を捉えます。そこから「構築〜瓦礫〜」の雰囲気を感じ取り、また新たなパーツを考えていこうと思います。

M・デュシャンの語録より

マルセル・デュシャンがガラスの大作「独身者たちによって裸にされた花嫁、さえも」を構想しながら書き溜めた「グリーン・ボックス」と呼ばれているノートがあり、その和訳可能な部分を翻訳したものを読み解いています。難解というより、その時々に脳裏を過るコトバを書き連ねたものという印象で、作品にするための準備のようであり、作品に拘らず日常の事象を思索したものとも考えられます。コトバを媒体にした何らかの表現活動ですが、詩とも散文とも言えないもので、むしろそうした芸術活動の概念から解放されることを意図した作品とも言えます。「あのガラス作品には、たしかに画家の制作としては類を見ない忍耐と思索が投入されているにしても、デュシャン自身はあらゆる考証の結論から自由であろうとする。〜略〜たしかにデュシャンのノートはガラス作品の計画をめぐるノートであったにしても、それは彼の脳裏に起った思考の痕跡であって、できあがった作品のためのという既成概念による推理論証は、ふたたび芸術作品の罠に陥ることになるだろう。〜以下略〜」(瀧口修造全集3)マルセル・デュシャンは芸術や文学から自由になろうとし、作品にローズ・セラヴィという署名をすることにより、男性からも自由になりえたと瀧口は書いています。「あるいは自由という観念からさえも自由になりえたのだ。」(瀧口修造全集3)

M・デュシャンを紐解く

現代美術に大きな足跡を残したマルセル・デュシャン。実は学生時代から避けて通ってきた巨匠の一人で、いつかはマルセル・デュシャンの全貌を理解したいと思いつつ、その謎に触れると思考の混乱を招いてしまうのです。自分の認識と言えば、創作行為にレデイメードを持ち込んだことくらいしかありません。ガラスの大作「独身者たちによって裸にされた花嫁、さえも」は気になる作品のひとつですが、自分にとっては読み解くことが容易ではありません。「瀧口修造全集3」では多くの紙面を割いて、マルセル・デュシャンの仕事や創作メモを掲載していて、ひとつひとつ読み込んで、マルセル・デュシャンの造形思考や詩に近づきたいと考えています。「マット氏が自分の手でこの泉をつくったかどうかということは重要なことではない。かれはそれを選んだのである。彼はありふれた生活用品をとりあげ、新しい標題と観点のもとに、その実用の意味が消えてしまうようにそれを置いたのだ。つまり、その物体のために新しい思想を創り出したのだ。〜以下略〜」有名なレデイメードのことを書いた一節です。ここで言うマット氏はマルセル・デュシャンのことで、便器を逆さにしたものを「泉」という題名をつけて、ニューヨークのアンデパンダン展に出品したのです。上記の文はデュシャン自らが書いたとされています。マルセル・デュシャン入門としては、今日はこのくらいにしておきます。

週末 3回目の窯入れ

昨日、陶彫土台が焼成できたことで気をよくして、今日もうひとつ陶彫土台の窯入れをしました。乾燥が完全ではない陶彫部品は後回しにして、とりあえず陶彫土台を含めて4点の窯入れをしました。水曜日に窯出しができるはずですが、仕事の関係で来週末に窯を開けます。今日の作業としては、前述の窯入れ前の仕上げ、化粧掛けを4点行い、さらに成形を1点、修整を1点、それから来週末の作業を考えてタタラを6枚作っておきました。昼頃、窯の業者が来て、前から注文しておいた高さのある支柱4本と灰釉、透明釉を持ってきました。自分は陶彫作品に釉薬を使わないのですが、時間が出来た時に器作りにチャレンジしたくて釉薬を揃えているのです。釉薬は焼成実験が必要なので、公務員をやってるうちは手が出せないかもしれませんが…。それにしても週末は過密スケジュールです。昨年までこの時期に横浜市民ギャラリーのグループ展に出品していました。どうしてそんなことが出来たのか今思うと信じられないくらいです。昨年4月に職場の異動があったことが大きいとは思いますが。また来週末に頑張りたいと思います。

週末 焼成の躓き

日曜日に窯入れした作品5点を窯から出しました。水曜日には温度が下がっていたはずでしたが、ウイークディは工房に行く暇がなく、窯出しは今日になりました。5点のうち一番小さい作品が割れていました。素焼きを省略して、いきなり本焼きで1230°まで上げるので、作品の乾燥が足りないと割れてしまうのです。窯の隙間を埋めるために、若干乾燥が心配だった小品を入れたのが失敗でした。残り4点は上手くいきましたが、小品とは言え手痛い躓きになってしまいました。焦って毎週毎に窯入れすることはやめようと思いました。ただし、今回の窯で一度成形をやり直した陶彫土台8点のうち、乾燥が出来ている1点を入れてみました。何とか成功したので、焼きあがった陶彫土台に柱を置いて仕上がりを検討しました。ようやく「構築〜瓦礫〜」のイメージが具体化してきたように思えます。明日はまた乾燥を見極めて、仕上げと化粧掛けをやっていきたいと思います。

ウイークディの5日間

月曜日になると、夜の明けぬ朝6時に家を出て出勤していきます。これから5日間は公務員としての仕事があると思うと、何とも言えない気持ちになります。多忙極まりない職場のためか5日間は、あっという間に過ぎていきます。朝早く起床して出勤することが大きな仕事で、職場に入ってしまうと、何が何でも仕事をしなくてはならない環境に身を投じてしまうので、自分を振り返ることもなく時間が過ぎてしまうのです。この5日間を長いと見るか短いと見るか金曜日になるとつい考えます。実は週末もあっという間に過ぎてしまいます。だからこそ明日から創作活動ができるとウキウキしている金曜日の夜が一番楽しい瞬間なのだと思います。のんびり休息することは今は要りません。ちょっと楽しいと思える瞬間があれば満足です。ウイークディの5日間はそういう瞬間が残念ながらやってきません。いつも月曜日になると何とも言えない気持ちになるのは、金曜日のようなウキウキ感が見つからないからです。暦通りの仕事に従事しているほとんど全員がそうかもしれませんが、ウイークディにウキウキ感を持てるような意識改革が出来るといいなぁと感じます。

ニーヴェルスンの黒い箱

20世紀アメリカで活躍した女流彫刻家ルイーズ・ニーヴェルスンをどこで知ったのかよく覚えていませんが、それほど昔ではないような気がします。自分が大学で彫刻を学んでいた頃、ギャラリーせいほうが「現代彫刻」という雑誌を発行していて、自分は定期購読をしていました。その雑誌にニーヴェルスンの作品が載っていて、それを見て衝撃を受けたことは今でもよく覚えています。あるいはその時が初めて見たのかもしれません。縁あってギャラリーせいほうで、ここ数年自分の個展を企画していただいています。ニーヴェルスンの実際の作品に出会ったのは、千葉県にある川村記念美術館に行った時です。それは黒い祭壇のようでもあり、棺が並んでいるようにも見えました。木の廃材を寄せ集め、それらを箱の中に押し詰めて、全体を黒で塗装する作風は、木材の材質感を別のものに変容させてしまいます。ニーヴェルスンの彫刻は異様な世界を創出し、その存在感は圧倒的です。自分の陶彫が黒を基調としているのもニーヴェルスンの影響があると思っています。自分の脳裏のどこかにニーヴェルスンの黒い箱が潜んでいるのです。

マックス・ビルの造形

高校時代、美大受験のため通っていた予備校で、スイス人造形作家マックス・ビルの作品を知りました。自分はその頃、大学で工業デザインを学びたくて、受験用のデッサンや構成の勉強をしていました。バウハウスやその思想を継承したウルム造形大学を知ったのもその頃です。昨日、モンドリアンの幾何学的抽象絵画についてブログに書きましたが、その先端たるマックス・ビルのことを思い出し、今日のブログに書いている次第です。マックス・ビルは数学的な造形思考を推進したマルチアーティストで、彫刻作品は箱根の彫刻の森美術館で見ることができます。それは石の角柱を組み合わせた巨大な作品で、野外の木々の間に置かれています。感情的表現を一切排除した作品は、自然の中で人間の理知を主張しているかのようです。マックス・ビルの仕事で知名度が高いのは時計のデザインです。簡潔で機能性を重視したデザインは現在でも古びることがありません。「我々は今、原点にもどり、創作による機能を追究するのだ。」というマックス・ビルの言葉通り、彼は必要最小限のデザインの製品化を実践したのです。

モンドリアンの矩形

オランダ人画家ピエト・モンドリアンの絵画との出会いは、中高生の頃に美術の教科書に掲載されていた図版です。たしかカンディンスキーが「熱い抽象」、モンドリアンが「冷たい抽象」との記述がありました。そこには木の枝を描いたモンドリアンの絵画がしだいに時と共に抽象化をしていって、最後に太く黒い直線と三原色による単純な幾何学的抽象絵画になるまでの過程が載っていました。同じオランダ出身のファン・ゴッホが、モンドリアン18歳の時に若くして悲劇的な死を迎えたことを考えると、近代を代表するゴッホと現代の象徴のようなモンドリアンに、たいして世代の違いがないことにちょっとした違和感を覚えます。モンドリアンはピカソの10歳年上と考えると、モンドリアンの革新さは一層光ります。モンドリアンは当時の立体派ではなく、完全に絵画的空間を壊そうとした言わば前衛だったように思います。大学時代に版画雑誌でモンドリアンの「ブロードウェイ・ブギウギ」を知りました。そこには黒い線はなく、小さな色とりどりの矩形が並んでいました。そのグラフィック的な表現は、絵画とデザインのボーダレスの時代を生み、芸術が建築の世界にも広がる契機を作ったと思っています。モンドリアンの矩形の美は、永い追求の果てに見出されたもので、それ故画面に配置された複数の矩形の絶妙なバランスに魅せられてしまうのではないかと思います。

イサム・ノグチの陶彫

「ノグチは陶器を彫刻として焼いている。すくなくとも彫刻家でなければ興味をもたない仕方で焼いているといってよいだろう。もちろん西洋流にいえばテラコッタ彫刻の伝統があって、そこから彼は一跨ぎで日本の陶器の世界にはいってきているのである。だからこれらの作品の多くが、生地をいかした焼き方であるのも自然である。ところが日本人のいまの概念からすれば、陶器は焼成技術による色彩と質感の洗練とともに形態も完成の域に達して、ほとんど固定してしまっているし、彫刻もまた東洋的なものであれ西洋的なものであれ、様式としては固定してしまっているといってよい。要するにジャンルとして発達し独立してしまった両者の正統的な立場からすれば、ノグチの作品は陶器でもなく彫刻でもないという不安定な状況に見えるかも知れないのである。」(「瀧口修造全集2」より)自分が彫刻の一素材として取りあげた陶による造形は、京都の走泥社より遡って、イサム・ノグチによって初めて表現されたものであることが上記の評論で知ることが出来ました。ノグチは埴輪を発想の源として、数々の陶彫を作り、独立して固定してしまった2つの領域に革新を与えたと自分には思えます。

週末 窯入れ等

今日は化粧土の配分を変えて化粧がけを行い、仕上がった作品5点を窯に入れました。いきなり本焼きで、ゆっくりなペースで温度を上げていくパターンを選んでいます。1230°になったところで上昇が落ち、あとは自然に温度が下がるのを待つのです。3日くらいはこのままです。先週と同じく水曜日くらいに様子を見にきます。陶彫成形は、昨日タタラにした陶土がまだ柔らかかったため作ることができませんでした。立体として立ち上げていくためには、タタラの腰がもう少し強くないとヘタってしまうのです。今日はRECORDの彩色をやって、早めに工房を出ました。普段から疲れが溜まっていて、今日は今ひとつ身体の動きが緩慢だったので、夕方は休息をとることにしました。長丁場の作業は無理をしないことです。とくに真夏や真冬の作業は、自分が意識している以上に身体は疲れているように思います。風邪を引かずに仕事が出来るのは、この身体と心の匙加減かもしれません。土壇場で一気呵成に仕事を片付ける人がいますが、自分はそうした方法で仕事が出来ません。若い頃ならともかく今は休まず焦らず仕事をすることが一番と考えます。

週末 窯出し等

今週月曜日の夜に窯のスイッチを入れ本焼きを始めました。水曜日と木曜日の仕事帰りに工房に立ち寄って、窯の温度を確かめました。木曜日には100°台になっていたので、スイッチを止めて窯の扉を開いてみました。まぁまぁの出来かなと思いました。ウィークディは作品を窯から出して見る余裕がなく、結局週末になって本焼きされた作品をじっくり見ることになりました。化粧土の配分をもう少し変えようと思います。黒一色に近くなって面白みに欠けるようです。ともあれ5点の作品が出来ました。全体からすれば、まだまだ完成は遠いと言わざるを得ません。週末毎に窯入れしていかないと間に合わなくなりそうです。今日はボランティアの子に土錬りを頼んで、自分はタタラを用意したり、RECORDの彩色をしました。いつものような作業をしている週末の風景ですが、底冷えのする寒さに手が悴んでしまいました。陶彫の作業は手がガサガサになります。明日は成形の作業があります。手を労わりながらやっていくつもりです。

印のデザインを考える

新作には新しい印を彫って、それを押しています。とくにパーツで成り立つ集合彫刻では分解した時に、それぞれの作品のパーツがわからなくなる可能性があります。そこで新作には必ず新しい印を作って押すという習慣がつきました。陶彫の場合は和紙に押印して番号をつけ、それを陶彫の目立たないところに貼り付けています。保存状態が悪かった作品は、多少印が滲んだり番号が擦れたりしています。RECORDも同じです。小さな印を作って押して月日をつけています。現在「構築〜瓦礫〜」と4年目を迎えたRECORDが進行中です。そろそろ印のデザインを考える時がやってきました。印は篆刻の決まりに拘らずに自由に作っています。アルファベットでもいいのではないかと思っています。絵柄を入れてもいいかもしれません。陶彫用の印とRECORD用の印。これも楽しんで作ってみたいと思います。朱と白の織り成す小宇宙は、一番小さな抽象絵画とも言えます。

フジタが作った礼拝堂

昨日マチスが作ったロザリオ礼拝堂のことをブログに書きました。引き続き今回は藤田嗣治(レオナール・フジタ)の作った平和の聖母礼拝堂について取り上げます。平和の聖母礼拝堂はフランスのランスにありますが、自分はまだ行ったことがありません。ロザリオ礼拝堂と同じようにテレビや雑誌で紹介されて、フジタ晩年の宗教画を知った次第です。日本人としての藤田嗣治の大規模な展覧会は東京で見ています。藤田は卓越した描写力と独特な陰影によって、肌理細やかで密度の濃い個性的な絵画を作り上げ、後にフランス国籍になり、名前もレオナール・フジタになっても、その本質は変わるものではないと思います。宗教的な題材は早いうちから出ているようですが、やはり晩年の礼拝堂で発揮された表現力は、それまでの藤田流絵画の面目躍如としたものがあって壮大です。フジタのアトリエも含めて、平和の聖母礼拝堂は生涯一度は訪れてみたい場所です。画像で見る限り内部空間の凝縮した宇宙は、キリスト教徒でなくても、その芸術性の高さに魅せられること間違いなしと思っています。フレスコ画とステンドガラスの織り成す空間を、じっくり味わってみたいと願っています。

マチスが作った礼拝堂

画家アンリ・マチスはピカソと並ぶ20世紀最大の巨匠です。マチスは色彩の画家と呼ばれ、とくに自分はマチス晩年の単純化した作品が大好きです。そんなマチスが最晩年に作った礼拝堂があります。テレビや雑誌で紹介されていますが、自分はまだそこに行ったことがありません。いずれ時間が出来たら行ってみたい場所のひとつです。それは南仏ヴァンスにあるロザリオ礼拝堂。写真で見るとステンドガラスから入る光が、内部の白壁に色彩を落として何とも美しい空間を感じさせます。白壁に線のみで描かれた聖ドミニク像があるようですが、のびやかなタッチで描かれた壁画を一度じっくりこの目で見てみたいと思っています。「特にカトリック信者でもなく、かつては異教徒のようにさえ見られていたマチスだが、こうした宗教的な仕事をしたことについては、いろいろ推測されたが、直接の動機は極めて自然に訪れたのであったし、彼があくまで人間的な画家であったことの一つの自然な帰結であったと思えるほど、その仕事には無理が感じられないのである。〜以下略〜」(瀧口修造全集2より)画家として、作品を空間の中で息づかせることが出来るなら、それは理想であり、ましてや己だけの世界観をそこで表出できるなら、芸術家として生きた最高の証ではないかと自分には思えます。

「構築〜瓦礫〜」完成の目安

先日、カメラマンが新しい図録の打ち合わせに来ました。今年7月の東京銀座での個展にあわせて、搬入日から逆算して図録を作る日程を決める打ち合わせでした。図録用の作品撮影日は遅くても3月末と決めました。昨年は3月22日が撮影日でした。今年も昨年通りに出来ればベストですが、制作工程が遅れていて、3月後半に間に合わせるのは至難の業と言わざるをえません。それでも何とかしようと頑張るつもりです。昨年やっていた「構築〜起源〜」は木彫だけで作った作品で、仕事量で言えば昨年の方が多いのです。ただし、陶彫は作業している時間よりも乾燥待ちや焼成待ちの時間があって、運を天に任せることがあります。つまり陶彫は、木彫のように仕事した分だけ確実に完成に近づくものではなく、焼成が失敗すれば、それまでやってきた土錬・成形・修整・仕上げ・化粧がけがすべて無駄になるわけです。そこが陶彫の無情で虚しいところであり、また面白いところでもあります。一か八か3月後半までに上手くいけば儲けものというくらいの気持ちでやっていきます。こればかりは火炎の神さまに祈るしかありません。

三連休 最終日は窯詰め

今日は三連休最終日。陶彫の作業は昨日成形した作品の修整のみに留めて、今日はむしろ今までの修整済みの作品に仕上げを行い、化粧がけをしました。いよいよ作品のいくつかを窯に詰めるための最終作業です。窯の大きさを考えて、とりあえず今日は5点仕上げました。自分の作品は釉薬を使わないので、焼成時間の微妙な長短にはあまり気を使いません。完全に乾燥しているのを確認した上で、素焼きを省略していきなり本焼きを行うのです。本焼きの温度の上昇時間はたっぷり取ります。ただ窯詰めで気になると言えば、陶彫は炉内に隙間が多く出て、もったいないと思うことです。こればかりは器のようにぎっしり詰めることができません。大小のパーツを上手く組み合わせて詰めていきますが、それでも無駄な空間があります。もっと時間があれば、工芸的な小品をたくさん作れて炉内の空間をうめることもできるのですが…。何はともあれ焼成が始まったことで、やっと陶彫を作っている意識が芽生えてきました。今日はRECORDの彩色の続きも行いました。一日1枚ずつペンで描いている今年のRECORDですが、彩色は数枚まとめてやっています。これも新たな展開が始まっています。作業はまた来週末に持ち越しですが、今は一晩かけてやっている焼成が上手くいくことを祈るのみです。

三連休 制作状況

現在の制作状況を書いておくのは、今後のメモとして残しておくためです。昨年の「構築〜起源〜」の状況もブログで確認しながら、現在やっている新作の進行状況をチェックしているのです。当然作品の制作工程が異なるので、参考にならないところもあります。今年の三連休は新しい窯に小品を入れて焼成の具合を確かめています。明日か来週には「構築〜瓦礫〜」のパーツを窯に入れる予定です。今日は新たな陶彫成形と修整を行いましたが、窯が気になって思うように制作が捗りませんでした。RECORDの新シーズンの彩色も行いました。今年はペンで画面の一部に描写をしていて、描写部分と平塗りの部分をどう画面に収めるかを考えながら彩色しました。陶彫作品もRECORDも少しずつですが、変化しているように思えます。昨年出来た工房という環境の変化が影響しているのかもしれません。気分的にはじっくりやれるように感じていますが、昨年のように横浜市民ギャラリーのグループ展には出しませんし、借りている作業場ではないので、返って焦りを感じずにダラダラしてしまう危険なところもあるかもしれません。明日も制作続行です。気を引き締めてやっていこうと思います。

窯の試運転の日

昨年夏に窯を入れて、やっと試運転の日を迎えました。試運転は窯の中の湿気を抜く目的もあります。窯を入れてくれた業者にも立ち会っていただくことになりました。初めは素焼きの温度設定でやってみることにしました。工房に窯が入って初めての焼成です。これは記念すべき一日かもしれません。明日結果がわかります。焼成中、自分は相変わらず陶彫成形に追われていました。なにしろ窯入れがあろうがなかろうが、制作ノルマがあるので必死な作業が続きます。今日から三連休です。密度の濃い制作日程が待っています。窯から微かな臭いが立ちこめる中で成形2点をやり、すでに成形の終わった数点の修整を行いました。作業しながら窯の焼成の時に出る音が静かなのに気づきました。新しい窯が進化しているのを実感しました。ちょうど窯の試運転をしていた夜、図録撮影等でお世話になっているカメラマンが打ち合わせに来ました。今年7月の個展の新しい図録に関する打ち合わせです。三連休の初日に、今後に向けて創作活動が滑り出していく気配を感じました。

舞台美術への憧れ

家内が美大の空間演出デザイン科に学んだ理由に舞台美術をやりたかったことがあります。自分も似たようなところがあって、自作の立体作品を舞台にのせ、照明や音響を導入した総合芸術をやってみたいと考えていた時期があるのです。それは背景としての舞台美術ではなくて、舞台美術そのものもドラマを解釈して主張する新しい劇空間のあり方を模索するものです。演じる役者と対峙するような緊張感のある舞台ができないものかと、当時の自分にはベースとなるものがないにもかかわらず、そんな絵空事を思っていました。「瀧口修造全集2」に掲載されている「ノグチと舞踊」の章を読むと、昔自分が考えていたことを、国際的な名声を持つイサム・ノグチがすでに実践をしていて、しかも総合芸術として完成されていたことがわかりました。ノグチの伝記の中にも舞台美術界での活躍は書かれていましたが、瀧口流の捉え方によって、新しい劇空間がノグチの手によって1940年代には出来ていたことを知りました。しかしながら自分は今でも劇空間の魅力に憑かれています。空間を提示できるところはギャラリーだけではないと思っているのです。

キュビズム創始者ブラック

ピカソとともにキュビズム創始者であるジョルジュ・ブラックについては、今まで特に大きな関心を持ったことはありませんでした。もちろんブラックの代表的な絵画はすぐに思い起こすことが出来るし、キュビズムが近代美術に与えた影響の大きさはよく理解しています。ピカソのような華やかな画業とは異なり、ブラックは地味な巨匠だと今でも認識しています。「瀧口修造全集2」にはピカソとブラックに関するキュビズム論が掲載されていて、そこでブラックの業績を改めて考え直した次第です。「キュビズムはあらゆるものを再発見した。従来のいわゆる物の観念もなくなった。空間は模倣されるかわりに想像されるものとなり、絵画はプリミチフ作家のように、同一面に形成される。それは人工的になったように見えるが、実際は深まったのである。〜略〜キュビズムの偉大な発見は触覚的な空間である。ブラックは、触覚的な空間とは射程を測定する砲兵の空間であって、手を懐中にして眺める人の空間ではない、製作工や職人のそれであるといっている。〜以下略〜」そうした空間思考からコラージュ等が生まれ、やがて現代に繋がる意識が目覚めていくように思います。

今年の読書について

昨年からずっと読んでいる「瀧口修造全集」の読破が、さしずめ今年の読書目標です。昔どこかで読んだ評論が全集に掲載されていると、若かった頃を思い出して懐かしく感じます。でも当時はわかっていたような、わかっていなかったような気分でいました。今冬は瀧口修造に暮れ、瀧口修造に明けました。まだ全集は2巻目です。やや厚い全集の一冊を携えて、あちらこちらに出かけては読める時に読んでいます。自分は本が大好きで、いつも本を読んでいる途中で別の用事をしていて、その本を放置している傾向が昔からあります。集中して一気に読むことは最近なくなりました。とつおいつ読む習慣に変わってきています。本を鞄に入れておくと安心する妙な癖が自分にはあります。昔から書店にふらりと入って、しばらく時間を潰すのが得意です。そこで今年の読書はどんなものになるのか、計画は立てられませんが、しばらくは瀧口修造の呪縛を受けて、その後は途中まで読んだ本の続きを読もうかと思っています。買いだめした本もいっぱいあります。今年も出来るだけ時間を作って本を読みたいと考えています。

1月RECORDは「絡みつく」

蔓状のカタチがうねうねと伸びてきて、何かに巻きついたり、絡んだりするイメージがあります。今までのRECORDにも時折出てくるカタチです。今月はそうした渦巻くカタチを追求したいと思っています。渦巻くカタチは日本古来の文様にあります。絡みついた場面は、何か生命的なものを表しているように思います。崩れかけた遺跡に巨木の根が絡みついて、異様な雰囲気が漂っている遺産があります。そんな画像が脳裏にあって、今月のテーマにしました。技法はきわめてシンプルな方法を使います。それこそペン1本でやっています。今回のシーズンは、ほとんど描写によるものと考えています。平塗りによる色彩も使います。前シーズンで多用した平面的な色彩は生かしていきたいと思っています。冷たい平面処理と蠢く情念的な描写。そんな効果を狙っていければ、今回のRECORDのシーズンは、ある程度の達成感を持てるのではないかと思うのです。

今年のRECORDの方向性

一日1枚のノルマを自分に課して、ポストカード大の平面作品を作り続けているRECORD。今年は4シーズン目に入ります。昨年まで幾何図形を基本とした抽象傾向の作品をやってきました。繰り返すカタチを1年間続けたことで、ややマンネリズムに陥ることもありました。今年は初年の傾向に戻り、具象的というか有機的なカタチをイメージしてやってみたいと考えました。描写の復権もあります。立体感を陰影で表すアカデミックな描写をもう一度やってみたいという気持ちは、ほどんど生理的な欲求に近いものがあります。ただしテーマは具体性や説明的要素を持ちません。「何か」「生きているような」「動きのある」といった形容がイメージされるので、そうしたカタチにしてみようと思っています。とりあえず今日まで4点のRECORDを作ってみました。1ヶ月ごとに緩やかなテーマとなる形容詞を与え、また5日ごとに展開を図る方法は今までのRECORDの踏襲としたいと思っています。

制作に明け暮れた日

昨年のブログを見ると、この3日より制作を開始しています。今年は昨日の2日より始めています。これは自分の工房だから出来ることで、そういう意味でも工房を建設して良かったと思っています。今日は来月に美大受験を控えた高校生がやってきました。工房は厳しい空気があるので受験勉強にはちょうどいいと言うのです。自分も勉強に集中している受験生が傍らにいた方が制作に弾みがつきます。今日は陶彫成形4点、大きいタタラ6枚、それに新シーズンのRECORDをやりました。いつもの制作より多い作業量でした。今日は朝から夕方まで精一杯で、今年の滑り出しとしてはまずまずかなと思います。夜は年賀状の追加を作りました。今日で休庁期間が終わり、明日から通常勤務に戻ります。6日間の休庁期間は大晦日や元旦があって、いろいろな意味でケジメをつけたい休日でしたが、自分には制作があるため、その合間に用事を済ませるという甚だ落ち着かない休日になりました。また明日から公務と制作のバランスをとりながらやっていきます。

ウイーン回想から始まる1年

昨夜、NHK番組からウィンナーワルツが流れてきました。恒例のオーストリア国営放送局が衛星で流している「ウイーン・ニューイヤーコンサート」の模様です。自分は毎年この時期にこの番組をブログで取り上げています。理由は1980年から85年までウイーンにいて、当時は立ち見でこのコンサートを聴きに行っていたからです。ウイーン国立美術アカデミーに在籍していた自分は、日本の旅行社に依頼されてチケットをとるアルバイトをしたことがあるのです。生活の足しにやっていたことでしたが、自分も大晦日は国立歌劇場でJ・シュトラウスのオペラ「こうもり」を立ち見で観て、元旦は楽友協会でのコンサートにこれも立ち見で聴いていました。コンサートが終わると室内を飾っていた花々を適当にもらって帰って、自分の下宿に飾っていました。美しい旋律に聞き惚れながら、明日のパンを気にする毎日でしたが、当時は時間がいっぱいあって心は充実していたように感じられます。楽友協会(ムジークフェアライン)はクラシックを聴くのに、大き過ぎず小さ過ぎず、ちょうどいい空間でした。そこでは音楽がまろやかに聴こえていたことは素人の自分にもよくわかりました。最初は室内装飾の美しさに眼を奪われましたが、そのうち音楽の虜になって装飾は眼に入らなくなりました。そんな音楽体験が忘れられず、毎年この衛星放送に釘付けになってしまうのです。

2010年の抱負

新しい年になりました。2010年です。さすがに今日ばかりは工房に行く気になれず、母の家で雑煮を食べて、東京赤坂見附の豊川稲荷に初詣に行きました。今年はどんな年になるのでしょう。家内安全、身体堅固、それに芸道精進(実はこんな内容があるのを知って毎年ここに初詣に来るのです。)を祈祷していただきました。今年の抱負として、新作の完成はもちろんのこと、工房の整備にも力を入れたいと思っています。今年は工房の外回りの施工を考えています。コンプレッサーを野外で使えるようにしたいものです。今年も昨年同様、制作時間の確保が難しいのはわかっています。それでも何とかして多くの作品を作っていきたいと願っています。RECORDはもちろん継続です。4シーズン目に入ります。日々の作業の蓄積は自分の性に合っているようでコツコツ励むのは得意です。2010年が充実した1年でありますように。継続することの力を信じてやっていきたいと思います。

2009年HP・ブログのまとめ

今日で2009年が終わります。月日が経つのは早いものです。今年は4月に現在の職場に異動してきました。自宅から職場が近くなり通勤は楽になりました。ただし仕事量が今までと違い、かなり多忙になりました。仕事上の責任を問われることも多々あります。そんなことで制作は週末だけとなりましたが、朗報は自分の工房が持てたことです。農業用倉庫として建設したコンクリートの建造物です。住宅ではないので、季節によっては厳しい環境ですが、そこに窯を入れて陶彫の制作に入ることが出来ました。例年よりやや遅れて制作に入ったので、スケジュールは今までにないくらい過密になっています。「構築〜瓦礫〜」の完成が未だ見えてきません。今日も朝6時半から工房にいました。RECORDは3年目に入り、先ほど今シーズン最後の1点を仕上げたところです。ここ数年、制作が中途半端なまま年を越して、新年早々から制作を再開するのが常になってしまっています。今年は自分の工房なので、それこそ明日も制作可能なわけです。例年こんなことばかりしていて、新年の挨拶もろくに出来ないことで親戚には申し訳ないと思っています。最後に稚拙な文章を読んでいただいている方々にお礼を申し上げて、今年のブログのまとめとしたいと思います。来年が皆様にとって(自分にとっても)良い年でありますように願っています。

休庁期間の用事諸々

晦日にはやっておかなければならないことが多くあります。制作をずっとやっていたいところですが、自分の工房なので融通がきくこともあって、午後は別の用事にあてました。朝は6時半から制作して今日の工程を終わらせました。明日も早朝から制作して、午後は母と亡父の墓参りをしたり、雑用を終わらせなければなりません。今日の用事の一つは年賀状作りです。年賀状は普段会わない人に近況を知らせる有効な手段だと思っています。自分は毎年夏に東京銀座で個展をやるので、礼を失ってはいけないと思いながら、手製の年賀状を作ります。別に年賀状で個展の広報をするつもりはありませんが、より多くの人と繋がりを持っていたいと思っているのです。結構手間暇かかるものですが、今年も久しぶりの版画で試します。夜は掃除です。昼からできないので、毎年夜に大掃除をしています。今回は、というか今回も時間的に厳しいので、自宅のアトリエだけでもやっておこうと思っています。家内が右手を骨折した時くらい手伝いたいと思うのですが、申し訳ない気持ちです。やってみると掃除は精神衛生上とてもいいものだと感じます。

休庁期間の制作開始

今日から1月3日まで休庁期間に入り、横浜市公務員としては暦通りの休みがとれます。現在の職場に異動してきて6日間も休むのは初めてです。早速朝から工房に行って制作開始です。朝のうちはRECORDの彩色をやりました。RECORDは残り3点で今シーズンが終わります。休みに入ることを考慮して、最後の数点は多少時間をかけて作っています。そろそろ来シーズンのRECORDのテーマを考えなければなりません。描写性のある有機的なテーマがちらほらと脳裏に浮かびますが、これで1年間やれるかどうか疑問です。陶彫は現在24点の成形が終わっています。このうち8点は木彫の柱を支える土台です。まだまだ「構築〜瓦礫〜」の部品としては陶彫が不足しています。ただし休庁期間では成形を進めるよりは、この24点を仕上げていく予定でいます。仕上げは乾燥した粘土を滑らかに削って化粧土をかけます。化粧土は混合して作ります。自分の作品は、陶土も化粧土も単身ではありません。今日の午後は化粧土の混合をやりました。成形を継続するための大きめなタタラも作りました。作品を作るための準備で今日は終わりましたが、これも大事な制作工程のうちなのです。明日も朝から制作です。

勤務の1年を振り返る

今年4月に職場が変わり、大所帯の管理職になりました。処理する内容が多く、4月からの数ヶ月は右往左往しながら夥しい書類を片付けてきました。組織がきちんと機能しているか、人事的な面にも気を配りつつ、日々有事に見舞われる勤務状態でした。それでも何とか職場の雰囲気に支えられて、ようやく今年最後の勤務日となりました。公務員としての仕事だけでも、かなり濃い内容でしたが、自分は二束の草鞋を履いているため、週末は休息返上で制作をしてきました。公務員としての仕事と彫刻家としての仕事、これがお互いのストレスを解消し合い、精神的なバランスを取っているように感じています。そうでなければ、こんな激務をこなすのは不可能だと思うのです。今日で仕事納めになりますが、管理職としての課題は常に抱えていて、来月4日には新年度用の資料を作り、5日には本庁に提出しなければなりません。明日からの休庁期間は、彫刻家としての仕事が待っています。休庁期間6日間でどこまでやれるのか、昨年は大晦日まで砂マチエールをやっていましたが、今年は陶彫の成形と修整、仕上げを出来るだけやっていくつもりです。