多忙な日常に夢見ること

横浜市公務員としての身分と、彫刻家としての創作活動。二束の草鞋の多忙さを度々ブログに書いてきました。自分が選んだことなので言い訳はしません。しかもこの不況な世の中で、公務員という身分保障があるからこそ創作行為という夢現な世界に遊べるわけです。この創作行為で経済的にも恵まれればと今でも自分は願っていて、これは20年来変わることはありません。でも彫刻で食べていくことは至難の業です。彫刻家の中には都市計画に参画して、モニュメント制作等で起業している人がいます。自分にも可能性がないわけではありませんが、その才覚は創作へ向かう才能とやや異なるものがあると考えています。自分は起業の才覚に長けているように思えないので、本当に自分のやりたいことを推し進めていくのがベストと考えます。多忙な日常に創作への夢を見て、右往左往している自分が本当の自分なのかもしれません。

「フラガ神父の料理帳」展

表題の展覧会が、長野県東筑摩郡麻績村で4月21日より開催されます。師匠である彫刻家池田宗弘先生が、麻績村に根を下ろし、もうずい分日が経ちました。自分は毎年夏に先生宅を訪れています。個展の場所は「信濃観月苑」。そこはどんなところなのでしょう。先生の個展は夏であれば必ず行っています。今回の「フラガ神父の料理帳」展は、公務の仕事があってちょっと無理かなと思います。葉書を見ると彩色木版画のようです。池田先生は昔から彩色木版画を手がけていました。版画家川上澄生の作る西欧風な木版画に似ています。スペインの風情だったり、キリスト教をテーマにしている先生の木版画は、よく見せていただいています。ただし、副題が「池田宗弘による原画展」とあるので、あるいは木版画ではないのかもしれません。料理帳とは料理のレシピのようなものなのでしょうか。池田先生も珍しい食材が手に入ると、それをよくデッサンし、一冊にまとめています。横浜で買っていったロシア製のドライフルーツがぎっしり詰まったパンも、丹念にデッサンして「相原君が持参した…」とデッサンの脇にメモ書きを残していました。酒も料理も大好きな池田先生らしい展覧会だなと改めて思います。

週末 新作の全体構想

今日は朝から工房に行って制作三昧でした。新作「構築~瓦礫~」のパーツがそろそろ揃ってきているように思います。というのも今回はパーツをどこに組み込んで集合彫刻にするか、あえて考えずに制作を進めてきたので、ここで終了という決定が見えません。パーツは床に適当に置いて全体を見ようと考えたので、そろそろ全体を構想しながら調整していく時期かもしれないと感じているのです。パーツをどこにどう置くかはその場で考えながら仕上げていく予定なので、たとえば図録撮影の時と個展の時とでは、パーツの組み合わせが変わるかもしれません。それでよしとしているのが今回の作品です。柱を立てる土台のパーツは全て焼成が終わりました。柱は木彫部分にもう少し手を入れようと思っています。柱の半分くらいを炙って炭化させる予定です。気になるのがパーツの中で一番目立つ位置に置く予定の手の込んだパーツが、3つから2つに減ってしまったことと、まだその2つのパーツを窯に入れていないことです。このくらいの工程から全体を考えながら作業を進めるので、精神的にはきつい時期に入るのです。

週末なのに出勤日

週末なのに出勤しました。職場が持っている施設を使う業者がいたため、管理職としては施設管理の面から出勤を余儀なくされました。おまけにいろいろ不備なところを手伝って、一日が終わりました。自分は振り替え休日は取れません。仕方がないと思いつつ、今日制作が出来なかったことは残念です。明日は頑張ろうと思います。職場は年度末を迎え、多忙を極めています。残るのは最後の会計業務。監査が近々あるので、資料作りを始めています。新年度準備も始まっています。結局今日一日は残務整理に追われ、施設管理がなくても出勤したのかもしれません。創作とはまるで異質な世界です。それで給料を頂いているわけですし、さらに憧れの工房が建ったのも、そうした資金があったからなのです。社会情勢から言えば定職につくのが困難な時代です。ボランティアで工房に来てくれている子も就職活動がうまくいっていない様子が伺えます。公務員は安定の象徴のようなもので、今でこそ憧れられる立場かもしれません。実際に仕事をすると精神的に切羽詰った状況に置かれることもしばしばあるのですが…。休日出勤で何気なく考えたひと時でした。

再び「三吉演芸場」へ…

大衆演劇がよほど好きと思われがちですが、今月2回目の「三吉演芸場」へ行ってきました。今月の公演をやっている劇団が好きと言うわけでもありません。たまたま今回は管理職仲間で行こうという話しになって、自分が音頭を取りました。やはりいつ観ても大衆演劇は面白いなぁと思います。観客の楽しませ方、サービスの仕方、セリフの間の取り方、どれをとっても勉強になります。一万円札を扇のようにして役者の胸に押し込むファンたち。女形の艶っぽい流し目。江戸情緒たっぷりの喜劇に妖艶な歌謡ショウ。毎日こんな非日常的な世界に接していると、自分も夢現になりかねないのですが、また明日からリアルな世界に戻っていくのです。たまにはこんな時間の過ごし方もいいものです。

横浜の「ポンペイ展」

先日は3つの美術館を駆け巡り、鑑賞三昧の時間を過ごしました。これは制作と同じくらい大切にしているもので、見たい展覧会が重なると出かけていきます。チケットを贈ってくれる知り合いがいることも大きな要因です。この日、3つ目に辿り着いたのは、地元横浜の美術館です。今となっては一番馴染んでいる美術館で、みなとみらい地区の高層ビルに囲まれた一角にあります。話題性のある現代美術をよく取り上げていますが、今回は「ポンペイ展」というイタリアの遺産を展示していました。横浜美術館は、いつになく混んでいて、やはりこうした悠久の時を刻んだ美術品は人気があると実感しました。灰に埋もれた街は、装飾品の数々がそっくり残っていて、そうした歴史を歩んだ作品は、それだけでロマンを感じさせるものがありました。剥がれ落ち一部が欠如した壁画を見ると、鮮やかな色彩に溢れていた当時を思い、風光明媚な都市だったポンペイをイメージしてしまいます。欠落した部分をイメージで補う意味では、美術品の鑑賞でありながら創造行為にもなっていて、楽しい時間を持つことができました。

具象復活のVOCA展

先日、東京上野に出かけ、東京国立博物館の「長谷川等伯展」と上野の森美術館の「VOCA展」を観てきました。「長谷川等伯展」の混雑ぶりに比べると、若い世代の画家による「VOCA展」はゆったりと観ることができました。若い世代と言うと、自分たちの頃は抽象や反芸術的なインスタレーションが盛んに行われていました。自分も学生時代はアングラ演劇に出かけ、美術館で行われた派手なパフォーマンスを楽しんでいました。自分が大学で学んでいる具象彫刻は古いなんて思ったりしました。でも最近の若い世代の傾向は具象が多く、絵画らしさ彫刻らしさの復権があるのではないかと思っています。ただし、具象と言っても説明的要素はなく、写真やコラージュを用いた表現が目立っていました。「VOCA展」は、今までにない新しい価値観や表現は発見できなかったものの、新鮮な感覚が漲っていて興味深く観ることができました。

在野の長谷川等伯

先日出かけた東京国立博物館平成館の「長谷川等伯展」。見たかった絵は当然「松林図屏風」ですが、御馴染みの画家でも生涯を通して、どんな画業を打ち立てたのか、とくに修行時代の作品が見てみたい気持ちがあって、混雑が予想される国立博物館まで足を伸ばしたのでした。予想は裏切られず大混雑の会場で、これも予想は裏切られず大変興味深い作品群に出会うことができました。若い頃の作品は丹念に描き上げた仏画が中心で、人物が纏う衣装に施された文様まで緻密に描かれていました。絵画の技術は天下一品で、眼を見張るものがありました。狩野一門が画壇を席巻する中、長谷川等伯は在野にあって、様々な趣向を凝らした画風で、画壇に一石を投じたものと考えられます。やはり「松林図屏風」の革新性は現代に通じるものがあり、何も描かれていない空間に、描いたもの以上の表現と説得力がありました。この時代にあって、どうしてこんな作品が生まれたのか不思議です。緩急極まる運筆に酔ったひと時でした。

三連休の終わりに…

昨年の三連休は図録のための写真撮影をして、7月の個展のために準備を始めていました。それに比べると今年はかなり遅れています。初日は手間暇かけた陶彫パーツをひとつ潰しています。翌日は気分転換のために美術館巡り。今日は朝から工房にいましたが、成形はなかなか捗らず、細かな部分に手を入れているうちに時間ばかりが過ぎていきました。制作途中でRECORDの厚紙を切断しに職場に行ったり、畑の植木を整理している業者や、近々工房の周囲に犬走りをコンクリートで作るための打ち合わせを別の業者とやっていたりして、三連休最後の日だというのに制作一本にはなれませんでした。理想通りの休日スケジュールではなかったのですが、ぼんやり過ごしていたわけではないので、その時々の気持ちの充実はありました。ただし、作品の結果が見えてこないので多少の焦りはあります。今月末には新作の全体図が見えてくればと思っています。

週末 美術館巡り…

三連休の中日です。今日は自分の制作をリセットして、もう一度新たな気持ちで取り組むために美術館巡りを行いました。一つ目は東京上野の国立博物館で開催している「長谷川等伯展」、二つ目は上野の森美術館で開催している「VOCA展」、三つ目は横浜美術館で開催している「ポンペイ展」です。自分は学生時代から美術館に行くとなると数館を駆け回り、同伴者の顰蹙を買うことが結構ありました。家内もその一人で、一緒に行くなら一日三館までと決められてしまっています。先日、若い美大生と湘南海岸に行った時に二館にしたのも、そんな理由からです。今朝は夕べから雨風が強く、交通機関の乱れを心配しましたが、天候は一転して青空が広がり、気持ちのいい一日になりました。それぞれの展覧会の内容は後日書くとして、入場規制が行われるほど混雑していたのが「長谷川等伯展」でした。それに加えて鳩山総理がボディガードとともに来館されていたので、一時は押すな押すなの混乱ぶりでした。ともかく今日は疲れました。それに面白い一日でした。疲れきるほど観て回るのが大好きな性分なので、今日は充実した時間を過ごしました。鳩山総理の後姿も拝見することができました。

週末 苦渋の決断

今日から三連休になり、制作三昧の日々を送る予定です。今日は陶彫パーツで苦渋の決断をしました。新作「構築~瓦礫~」の陶彫パーツが30数個出来上がり、工房の床に置いてあります。今まで焼成中に割れてしまったパーツが1点、さらに成形中に時間を惜しんだため、タタラが柔らか過ぎて壊れてしまったパーツが1点ありました。焼成で割れてしまったパーツは大ゴミにするしかありませんが、成形中の失敗は再び土錬機にかけて、成形前の陶土の状態に戻すことが出来ます。今日の苦渋の決断と言うのは、数あるパーツのうちで手の込んだパーツが3点あって、そのうち1点が気に入らず、あれこれ1週間ばかり悩んだ挙句、化粧がけ前に壊すことに決めたことです。体調を崩していた時期に、初めて手の込んだパーツを10数時間かけて作ったのですが、それからずっと毎週末に手の込んだパーツを作り続けています。現在3点出来上がってきていますが、その初めに作ったものが、自分の中ではしっくりいかず、壊そうと心が動いたのです。集合彫刻の場合は、目立つパーツとそれを支えるパーツがあります。目立つものは時間をかけて加飾を施し、全体を引き締める役割をします。初めにつくったものは力みすぎていて、異質な感じがしてしまうのです。手の込んだ作品をハンマーで叩き割るのは勇気がいるものですが、今日は苦渋の決断をして、作品を粉々にして陶土の状態に戻すことにしました。

「シルビア・ミニオ=パルウエルロ・保田」作品集

表題の作品集は物故作家によるもので、ずっと以前に神奈川県立近代美術館のアート・ショップで購入したものです。シルビア・ミニオ=パルウエルロ・保田さんはイタリア人で、美大の教壇に立っていられた保田春彦先生の奥様です。自分が大学で学んでいた時は、シルビア・ミニオ=パルウエルロ・保田さんはおろか保田春彦先生にも直接教えを請うたことがなく、ついぞ縁がなかったのですが、作品はよく知っていて展覧会があれば必ず出かけていました。キリスト教をテーマにしたレリーフや彫刻は精神性が高く、また気品に満ちています。とりわけデッサンはその手法が保田春彦先生とよく似ていて、確かな線描に支えられた形態は、そのまま立体として作品化できそうな要素が見受けられます。大学時代に、彫刻の基礎を教えていただいた池田宗弘先生は、やはりキリスト教をテーマにした作品を数多く手がけているので、シルビア・ミニオ=パルウエルロ・保田さんと共通するものがあるように思えます。そんな契機で出版されている作品集の類や図録を全て手に入れているわけです。

読書・RECORD・ブログ…

一日のうちで美術に関係したことをやっているとすれば、通勤途中に美術書を読むこと、帰宅してからRECORDを描くこと、就寝前にパソコンに向かい、このブログを書くことです。ウイークディに陶彫や木彫をやることは、時間的にも気力の面からも無理で、それならば美術に関わる最小限のものをやっていこうと決めています。実際毎日描いているRECORDは1000点を超えているし、このブログも1000以上の文章を書いています。毎日の積み重ねは思っていたより大きくて、知らず知らずのうちに、びっくりするほど量が貯蓄されています。コツコツとして一気呵成に出来ない労働の蓄積は自分には合っているように思います。読書も短い時間とはいえ、いつの間にか何冊も読破しています。自分の生き方なのかもしれませんが、日常の中に創作を持ち込んで、時間や課題を決めて制作をする方法は、この先ずっと続いていくものと思います。

大衆演劇「三吉演芸場」へ

昨年のブログにも書いている横浜の下町にある「三吉演芸場」。今年も大衆演劇を楽しみに演芸場にやってきました。今年は職場の一部署ではなく、今年度職場に配属された新人3人を連れてきました。横浜市公務員である以上、横浜の情緒いっぱいの大衆演劇を観ることが、地域理解研修になると考えたからです。お客様あっての役者根性、その楽しませ方をフレッシュな人たちには知って欲しいと思います。私たちも少々サービス業に近いところもあります。観客の気持ちを掴むこと、その中で自分をしっかり持って言うべきことは言えるようにすること、自分たちの世界にも通じるように思います。

葉山の「長澤英俊展」

先日、横須賀美術館と県立近代美術館葉山を巡り、春の湘南海岸を満喫してきました。県立近代美術館葉山では表題の「長澤英俊 オーロラの向かう所」展が開催されていました。同伴の若い美大生は、作品の持つ素材感や空間の解釈に感動していたようでした。確かに美術館の内部空間に大きな場を作り出す作品や、重力をテーマにしたような巨大な作品は、見るものを圧倒してしまいます。日本の庭園や建築に対する現代的な解釈とイメージが、ざっくりと表現されていて、自分も楽しい時間を過ごすことが出来ました。ガラス越しに大海原が陽光にキラキラ輝いているのを見ると、こんな環境の中に建つ美術館には、素材感のある現代アートが似合っていると思いました。名残惜しい時間の中で、美術館を後にしました。湘南海岸と現代アート。なかなか素晴らしいスポットが用意されていて、充実した一日が過ごせました。

横須賀の「ワンダーシニア30展」

先日、横須賀美術館に行って表記の展覧会を観て来ました。「ワンダーシニア30展」というのは、60歳代から70歳代の日本の洋画家32人による旧作と新作を並べた展覧会のことで、日本の高度成長の中で画家としてデビューし、現在まで歩んできたそれぞれの画家の軌跡を辿ることができます。大きく作風が変わった人もいれば、同じ作風で深化を遂げてきた人もいました。いわば現代日本絵画を支えてきたパワーを窺い知ることができるのです。美術館の真っ白な空間の中で、十人十色の主張を続ける世界は、なかなか圧巻で元気をもらうことができました。この日は好天に恵まれ、美術館屋上から青い海が見え、最高のロケーションの中で、こうした展覧会を鑑賞できるのはとても幸せなことと思います。出来るなら立体作品でもこんな企画が欲しいところです。美術館の庭では故若林奮先生の大きな鉄の作品が潮風に吹かれていました。

春うららかな湘南へ

美大の受験勉強をするため工房に通ってきていた子が、目指す美大の工芸工業デザイン学科に現役で合格しました。きっとこの子も大学の課題制作や私の陶彫の手伝いのために、工房に引き続き通ってくるだろうと思います。若い世代に工房を利用してもらうのは有難いことです。自分も制作でぐずぐずしている時に、こうした若い世代に活力をもらえるのです。合格祝いを兼ねて、春うららかな湘南に新美大生とドライブをしました。美術館を観たり、湘南で獲れた魚を使った西欧料理に舌鼓を打ちながら、これからの大学生活についての相談をしました。葉山にあるレストラン「マーロー」はプリンが美味しい店ですが、海鮮料理もなかなかで、海岸に面したテラスで合格の喜びを分かちながら楽しい時間を過ごしました。当時の自分の時はどうだったのだろうと思い出すと、大学の広い施設が使えて、好きなことが出来る幸せと、将来に対する若干の不安が織り交ざり、何とも複雑な心境で入学式を迎えたことが今でも印象に残っています。自分の場合は不安がやはり的中し、卒業後は四苦八苦しながら現在に至っているわけですが、新美大生には何があっても前向きに生きるようにアドバイスをしました。実力のある子なので、目指す次の目標に向って壁をいくつも乗り越えていけるだろうと信じています。

RECORD12月・1月アップ

2008年12月と2009年1月のRECORDをホームページにアップしました。これは2月から翌年1月までの1年間でまとめていたRECORDの2シーズン目になります。因みに翌年持ち越しになるのはこのシーズンで終わりにしました。3シーズン目から単年1年間のまとめをしています。この2シーズン目の特徴は幾何形体で各月を統一していて、最後にテーマとなった幾何形体に纏わるコトバを添えています。来る日も来る日も毎日RECORDを描いていて、出来上がったものをまとめてカメラマンに撮影してもらいます。さらに、このホームページにアップするという習慣がついてしまいました。コトバは相変わらず頭を捻りながら、ノートに鉛筆で書いたり消したりして、パズルを解くように作っています。RECORDの発想と似ているかもしれないと最近思えてきました。私のホームページには最後に掲載したアドレスをクリックしていただければ入れます。ご高覧くだされば幸いです。Yutaka Aihara.com

花粉症の季節

花粉症は20年前に発症し、加齢と共にだんだん弱まってきたように思いますが、それでも朝の寝起きや夜の就寝の頃になると、くしゃみが立て続けに出ます。しばらくすると治ってくるのが最近の傾向です。昔は涙目になったり、鼻づまりになったり、くしゃみが止まらなかったりしました。今日職場では大きなイベントがあったのですが、イベント中にくしゃみが出たらどうしようと思っていました。やはり昼間は花粉症が和らいでいて助かりました。工房の土埃も喉に刺激を与えるものらしく、工房ではマスクをするように心がけています。たまに出かける近隣のスポーツ施設での水泳も、プールから上がった後で、くしゃみを連発しています。この季節は花粉症に耐える習慣がついていて、不快な状況を抱えつつ制作や仕事をやっています。

通勤途中に壊れた鞄

昨年4月に今の職場に転勤してきて、まず鞄を購入しました。A4版の資料が収まるサイズのものが欲しかったのです。さらに自家用車通勤からバスや電車の通勤になって鞄の需要が増えると思いました。案の定、鞄を肩から提げて歩くことが多くなり、おまけに厚い書籍を入れていました。通勤途中の読書が楽しみのひとつになり、その時間だけは芸術の世界に思いを馳せることが出来るのです。そんな時に通勤途中でアクシデントがあり、鞄の金具が壊れてしまい、鞄が閉まらないままになってしまいました。そんなわけで、今は以前使っていた古い小さめの鞄を持ち歩いています。以前使っていた鞄は丈夫で長持ちで、厚い書籍にも耐えています。通勤形態が変わると、持ち物にも変化が見られ、通勤時間の使い方も自分なりに工夫して楽しくしようとしている自分を発見しました。

仕事帰りに窯出し

仕事の帰り道にちょっと工房によって、窯出しをしてきました。日曜日の夕方に窯入れをして、水曜日に窯出しをするという習慣が出来つつあります。工房はほんのり暖かくなっていて、窯の中の温度は100度少々まで下がっていました。窯のスイッチを入れると10数時間かけて1200度以上まで上がり、そのあとにわかに温度は下がっていくのです。窯の扉を開ける時は、いつもドキドキします。今日は上手く焼けていたように思います。工房に立ち寄ると、つい長居をしたくなるのですが、ウイークディで制作をやるわけにもいかず、工房を後にして自宅に帰りました。こんなものを作って焼いてみたい、あんな試みをしてみたいと、思いは膨らむばかりです。イメージは突然生まれるのではなく、制作の流れの中で発展しながら生まれるものだと思っています。また週末が楽しみになっています。手の込んだ成形を行う予定でいます。再び焼成が上手くいくことを祈りつつ…。

作家不在の工房の存在感

ロベール・ドアノー写真集「芸術家たちの肖像」の中で、工房だけが撮影されている頁があります。そこに作家はいません。ただし、文章で作家の存在が示されています。「そこはヴォージラール通りの裏手にある行き止まりで、緑が好き放題はびこっていた。アーティストたちのウサギ小屋。いわばつくりかけに見えなくもない様式のアトリエが苗床のように植わっている路地だった。~略~」(ロベール・ドアノー 文・堀内花子 訳)自分のブログにも書いたことがあるコンタンティン・ブランクーシの工房です。自分が見たのは、再現されたブランクーシの工房で、パリのポンピドー・センター前の広場にありました。撮影されたのは実際の工房で、1960年3月9日の撮影となっています。ちょうど50年前の今日の日付です。当のブランクーシに迎えられ会話も交わしているのに、どうして作家が写っていないのかよくわかりません。工房の内部は、ありのままの素材と作りかけの作品が置かれ、あたかも自分がそこで何かしているような錯覚に陥ります。ブランクーシの工房は、自分が見たのが再現された工房だったとしても、目に焼きついています。それが自分の工房が欲しいと思った最初の動機だったのかもしれません。

風景の再構築

近隣を散策していると、かつて自分が小学校に通った小道が変貌していて、昔の見慣れた風景が思い出せなくなっているのに気づきます。住宅が密集し、かつての小道より大きな通りが横に出来ていて、ここまで変わってしまうと自分の記憶に自信が持てません。そういえばこのあたりに小川があった、このあたりは田畑が続いていて、ここは土手になっていた、と記憶を辿りながら歩くと、郷愁に誘われることもあります。横浜に生まれ、横浜に育った自分ですら、そんな思いをしているので、遠いところに故郷を持っている人はなおさらだろうと思います。自分の脳裏にすり込まれた記憶の断片は、それが通学路だったり、自宅の裏山だったり、亡父が生業にしていた造園だったりするのです。とりわけ造園は、自分が中学生の頃から父の仕事を手伝っていたので、庭園は人のサイズで見渡せることができる自然を網羅した小宇宙だという認識があります。それが今になって別のカタチとなってあらわれているように思います。現在自分が試みている集合体による彫刻は、あるいは自分の中で血肉化した造園が基本になっていると思います。これは風景の再構築とも言えます。土や木という材質に魅力を感じ、そこに可能性を求めている自分は、幼い頃から接していた家業と因果関係があるように思えてなりません。

週末 窯入れ・タタラいろいろ

昨日、土練りをしたので今日はそれを使ってタタラを作り、成形の準備をしました。今日も相変わらず工房は寒く、身体が縮こまっています。先日工房での冬を乗り切れたと思ったら、まだまだ寒い日が続きます。FMラジオを流して、陶土を弄ったり、RECORDの彩色をして過ごしました。窯入れの準備もしました。化粧土をかけて、3点の陶彫パーツとボランティアの子が作っている仮面を窯に入れました。照明等すべての電気を消して、窯のスイッチを入れます。そうしないと窯焚きの途中でブレーカーが落ちてしまうのです。業者に容量を変えてもらおうかとも思ったのですが、月曜日から当分工房は使わないので、ぎりぎりの容量でやっていこうと決めました。とくに陶彫は釉薬を使わないので、窯の温度上昇にあまり神経を使いません。また水曜日あたりに窯出しをする予定です。

週末 土練り・成形いろいろ

昨日と打って変って寒い一日でした。今日はボランティアの子がやってきて、土錬機を回して土練りをやってくれました。陶土は1包みが20キログラムで、それを4つほど練っていきます。1ヶ月に1度くらいの割合で、80キログラムの陶土を作るのです。自分の作品に使う陶土ですが、今までどのくらいの土練りをしてきたのでしょうか。自分は先週タタラにしておいた陶土で成形を始めましたが、今日はうまくいかず、結局ボランティアの子がやっている土練りを手伝うことにしました。数歩進むと一歩後退。陶彫とは難しいものです。また明日に希望を託します。成形の合間にRECORDをやりました。今回のRECORDはペンによるデッサンが主流で、最近はよく具象的な絵を描いています。工房で過ごす時間は相変わらず密度が濃くて、あっという間に夕方を迎えます。

暖かな一日

今日はようやく春らしい一日が訪れたように感じました。室内で仕事をしている身には季節感がまるでないのですが、通勤途中に肌に触れる空気は、柔らかく暖かな感じを持ちました。工房の周囲には梅が咲いています。風景の中に花が咲き始めるのは、何ともいいものです。季節が確実に動いていくのがわかります。朝の通勤が楽に感じられるようになるのは、こんなふうに咲いている花々に見送られているお陰ではないかと思っています。真冬は真っ暗だった朝のバス停も、今では明るくなって見通しがよくなりました。明日からの週末に思いを馳せながら、ハナ金を過ごしました。

「余白に書く」を読む

表題の「余白に書く」というのは、「瀧口修造全集Ⅳ」の副題です。「余白に書く」とはどういうことだろうと思って読み始めました。「余白に書く」とは展覧会や公演に寄せた文章であることがわかり、その夥しい数の文章が「瀧口修造全集Ⅳ」と「瀧口修造全集Ⅴ」にまとめて収められていることも知りました。短文あり、やや長文もあり、詩作として捧げたものまで瀧口修造の多義にわたる才能を感じます。紹介されている作品を、実際に見ていなくても、その洞察の深さによって、それがどのような意図で作られたものかを窺い知ることができ、また興味が湧き出てきます。作品に味を添える、またはそこからエスプリのあるコトバで作品に位置を与えることが、つまり「余白に書く」ということでしょうか。大上段に構えた論評ではなく、さりげないコトバで鑑賞者を惹きつけている余白に感銘を受けるのは、決して私だけではないと思います。

読書ができる貴重な時間

職場では管理職といえども雑用に追われる毎日で、こんな時に通勤時間帯や余暇に読書ができる幸せを感じます。本を読む、活字を追う行為から広がるイメージの世界は、自分が今まで蓄積したあらゆる体験や経験を駆使して構築したものです。人それぞれによって体験や経験が異なるので、当然イメージが違っていると思うのです。コトバから生まれる世界観が人によってさまざまなところがいいと思います。映像はイメージを固定化します。コトバは自分で映像を組み立てさせ、そこから動きを作ります。その国の言語によっても、そこから生まれるイメージに相違があると考えます。自分は読書は創造行為だと思っています。読書ができる貴重な時間。陶彫やRECORDやこのブログと同じ価値を持つ時間だと考えています。

3月RECORDは「穿つ」

昨日から今月のRECORDのテーマを考えながら、一日1点のポストカード大の作品作りを行っています。RECORDというのは、日々の記録として作品を作っていく総称で、自分に課したノルマでもあるのです。自分のホームページにも過去のRECORDをアップしています。さて、今月のテーマですが、穴が穿ってあり、そこから何かが伸びていくイメージが浮かんでいます。昨日描いたRECORDは、折り重なる樹木に裂け目ができ、そこを突き抜けて新たな樹木が伸びていくような風景でした。また5日間をひとつのシリーズとして展開できるようにしていきたいと考えています。穴を空けた心象風景は過去のRECORDでもやっています。穴は自分の陶彫作品にも多く見られ、空洞化された物質が自分はとても好きなのかもしれません。20代の頃、トルコを長距離バスで旅をしていて、カッパドキアに辿り着き、そこでみた奇岩に穴を穿って住んでいる人々に、美術的な感興が湧いた記憶があるのです。そんな記憶が陶彫やRECORDに表れてきても不思議ではありません。今月は「穿つ」というテーマでRECORDをやっていこうと思います。

3月 春の宵に…

ずい分暖かくなりました。今日から3月です。昨年のブログを見ると、この時期「発掘~赤壁~」が出来上がりつつあって、週末頑張っている様子が伺えます。今年の「構築~瓦礫~」は、どうも今月中に出来上がりそうもありません。まだ全体構成に至らず、気は焦るばかりです。でも今の作品は作っていて面白いし、自分の工房で悦に入っていることがあって心は充実しています。今月はともかく「構築~瓦礫~」の完成を目指すことです。幸い暖かくなって工房で過ごす時間が楽になりました。次の水曜日に何回目かの窯が焚き上がります。RECORDも今月のテーマを考えながら思索しています。自分のヴァイオリズムは春に向って伸びていくようで、意欲が湧いてくるのを感じます。春の宵に1ヶ月の制作工程をイメージしながら、RECORDの下書きをやっています。

借りた作業場と自分の工房

昨年7月に農業用倉庫として建てた自分の工房。すっかり制作ペースが出来上がって、週末には必ずそこで作業をしています。今日も2月最後のRECORDをやって、陶彫の手の込んだ成形をやって、タタラを作って…というように作業を進めていましたが、自分の工房だと認識しているためか、あれもこれも気になって、時間があれば、あそこを整理したいとか、別の作品を同時に作りたいとか、様々な考えが巡ってしまいます。自分が横浜市公務員の定年退職を迎えた時には、きっと日々工房に籠もっているんだろうなと今から想像がつきます。指折り数えて退職を楽しみにしている自分がいるのですが、今は考えが巡りすぎて、現在作っている作品がなかなか進みません。そこは昨年まで借りていた作業場との意識の違いがあります。借りていた作業場は時間に追われるように作品を作っていました。部品を散らかしていても夕方には片付けなくてはならず、元通りにして作業場を出ました。作業場では周囲が気になることもなく、自分の作品だけを見つめていました。借りた作業場と自分の工房。自分の工房の方がいいに決まっていますが、なかなか進まない作業に苛立ちもあります。じっくり落ち着ける環境があるのに、あと6年くらい足りない時間の中で右往左往しなければならないのかと週末が終わるひと時に思っています。