連休をどう過ごす

明日からゴールデンウィークが始まります。5連休をどう過ごすのか、仕事一辺倒だった4月から、ちょっと解放されるような思いです。既に決まっていることは、1日に個展用図録撮影があります。いよいよ個展に向けた準備ですが、例年より遅いスタートです。3日に栃木県益子の陶器市と茨城県笠間の陶炎祭に出かけます。これは恒例で、陶芸家の親友に会いに行くのです。5日には美術館巡りをします。思いきり多くの展覧会を見たいところですが、家内からストップがかかるので選んで回ります。2日と4日は工房で片づけをしながら、新作の構想を練ります。連休に身体を休めるというわけにはいかず、公務の仕事を離れて、創作活動に順ずることをやっていきます。これは自分の性分としか言いようの無いもので、これでリフレッシュが出来るのです。5連休も始まってしまえば、あっという間に終わると思っていますが、やはり楽しみな5連休ではあります。

工房の整理整頓

新作も終わり、図録撮影日も延びたので、今日は工房の整理整頓を行いました。昨年の夏に工房ができて、棚をいくつか購入し、旧作を運び込んでいたのですが、整理をしないまま新作の制作に入ってしまったので、いつかは整理をしなければと思っていたのです。昨年の当初は荷物の片付けに関して大変な勢いで始めました。この勢いが衰えないうちに整理整頓をきちんとしなければならないと自分に言い聞かせていました。実家の車庫に置いてあった旧作は梱包のダンボールが駄目になり、それを取り除いたまま、工房の作品保管場所と決めているところに放置してありました。木箱は夏に作っていたのですが、梱包もせず、ずっとそのままでした。今日が休日で、しかも時間が出来たので、旧作の梱包をやりました。そこでまだ木箱が足りないことがわかりました。近いうちに木箱を作ろうと思います。作品の保管には結構気を使います。そのために工房の半分くらいを作品収納のためのスペースにしているのです。久しぶりの工房の整理にクタクタになった一日でした。

歯車のRECORD

20代の滞欧時代に作った自分の初期の版画に、車輪のような歯車のようなイメージを描きました。具象彫刻をやっていた自分が初めて抽象を意識した作品で、版下は捨てられずそのまま日本に持ち帰ってきました。まだ陶芸が出来なかった帰国後の生活の中で、やはり歯車をモチーフにした油絵を描いていました。陶彫が出来るようになっても度々車輪や歯車のイメージが登場し、レリーフにしています。RECORDを始めた3年前も、初めは歯車でした。歯車が噛み合うような噛み合わないようなもどかしいイメージが好きなのかもしれません。組織はひとつひとつの歯車で回り、噛み合わないそれぞれの個性や癖を、お互い認め合いながらも大人の理性や心情でもって何とか噛み合わせて、目の前の課題を全うしていくのが今の自分の調整役としての仕事なのです。そんな繋がりを日常生活の中で見出せるので、やはり今回のRECORDも、歯車に戻ってきました。そうした関係性が自分の創作のテーマになっていると考えています。

猫語の解読を始める

栃木県益子にある浜田庄司記念館(益子参考館)の母屋の中に喫茶コーナーがあって、そこでコーヒーを飲んでいたら、どこからか猫が現れて、しきりに自分に向かって何か喋っているような鳴き声を出していました。それを無視してボンヤリ休んでいると、そこに猫の飼い主と思われる喫茶店主が顔を出しました。するとその猫は店主のところに一目散に駈けていって、不平不満を訴えるような鳴き声を出していました。自分にはそう聞こえました。まさにこれは猫語だと思いました。鳴き声のニュアンスで猫の主張がわかるのです。「この人は自分をまるで相手にしてくれない」と訴えていたのかもしれません。昨日から我が家にいる猫族の赤ん坊は、まさに鳴き通しです。寝ているか鳴いているかしかありません。でもよく耳を澄ませば、鳴き声が喋り声に聞こえてくるから不思議です。このブログを書いている間も、独り言のように猫語でブツブツ言っています。「仕事ばかりしていないで、ちょっとは自分と遊んでくれ」と言っているように思えます。

植木畑に捨て猫あり

昨日、工房から自宅に帰る時、小さな坂道を子猫がひょこひょこと登ってきたのを、一瞥しました。野良猫のような存在の飼い猫は近隣にいるので、そんな光景に疑問を持たずに帰宅しました。夜になって工房のある植木畑から、かすかに鳴き声がすると家内が言うので、懐中電灯をもって行ったところ、夕方見た子猫がこちらに向かって歩み寄ってきました。これは捨て猫だと思いました。このままにしておくと野垂れ死にしてしまうので、ダンボールにいれて、一晩玄関に置きました。今朝、家内は近くの動物病院にいって、この子猫を何とか引き取ってもらおうと交渉しましたが、今月の里親会は既に終わっていると言うので、また家に子猫を連れてきました。生後1ヶ月半、病院で検査してもらったところ病気なし、ケージや食べ物は病院が支給してくれたそうです。家内は演奏活動で家を空けることが多く、自分は公務と創作活動で暇がありません。飼いたくても飼えない状況で、今後も里親を探すつもりです。

週末 新作の全体配置

新作「構築~瓦礫~」の陶彫部品と木彫の柱が全て揃ったので、今日は全体を考えながら配置してみました。当然のことですが、最初に考えたスケール通りで、大きさとしてはこんなものだったのかと改めて思いました。作品を作っていくうちにイメージが広がり、スケールがあやふやになるケースは自分の癖みたいなものだなぁとつくづく思います。今回の個展に出品する「構築~包囲~」が大きいので、「構築~瓦礫~」の方は、やや小さめに設定したのを忘れていました。床に置いた作品が、あまりにも自分の雰囲気になっているを見て、新鮮な驚きはありませんでした。しかし、一応納得したところで個展に出せそうです。パーツをランダムに配置するという自分としては新しい試みも、全体としては定番の作品として考えたほうが良さそうだと思いました。

週末 新作の細かな仕上げ

昨夜は歓送迎会で深夜まで飲んでいたので、今日はシンドい一日です。幸い新作が出来上がってきたので、今日は陶彫部品に印を貼ったり、最後の確認をする作業なので気は楽でした。新作の陶彫部品は全部で43点、木彫は8点の計51点により構成されることになります。それにしても日頃の疲労のためか、昨日の飲み会のせいか、身体が思うように動かず、ちょっとしたことでも時間がかかりました。全体構成は明日やることにして、今日は早めに工房を出ました。図録の撮影日が5月1日に延びたので、やや気が緩んだのかもしれません。ここ数日の気候の変化も影響して、身体がだるくて仕方ありません。RECORDも今ひとつ集中できません。明日に期待です。

職場の歓送迎会

この時期はどこでも歓送迎会が開かれていると思います。自分の職場でも歓送迎会がありました。昨年は職場が変わったので、前の職場と現在の職場の歓送迎会をかけもちしたのを思い出しています。自分の職場は、60名ほどの職員が勤務しており、そのうちの20名ほどが入れ替わりました。「送」も20名ほど、「迎」も20名ほどで、この業界では比較的大きな団体になります。新しいメンバーが加わって組織が生まれ変わり、また新鮮な1年間がスタートするのです。私たちはチームワークで成り立つ仕事なので、とくに新しく赴任してきた人たちとのコミュニケーションは大切です。職員組織がしっかりまとまり、お互い支えあえるようになれるとベストです。この歓送迎会が過ぎると、いよいよ組織の地固めを行っていきます。

「バルラッハの旅」を読んで

「バルラッハの旅」(上野弘道著 風間書房)はドイツ近代彫刻家を取り上げたもので、著作の前編はバルラッハの足跡を辿りながらドイツを巡る、いわば紀行文のような構成になっています。数年前に日本で大きな展覧会があったとはいえ、バルラッハは日本での知名度があるとは言えません。自分は滞欧中にウイーンの美術館でバルラッハの彫刻と出会い、かなり刺激を受けたのですが、それがなければバルラッハを知り得ていませんでした。著者は既に他界されていて、その遺志を受け継いで、著者のご子息がこの本をまとめられたようです。バルラッハを初めとする近代ドイツ彫刻史を論じている本書を読むにつれ、著者の急逝が惜しまれてなりません。後編は教員養成大学の教壇に立っていた著者が大学と地域の小学校との連携に取り組んだ実践記録が記されています。陶芸を通して、地域で採取した土やリサイクルした窯で、子どもたちと焼き物作りに生き生きと取り組む日常が描かれていて、今後の教育に一石を投じるものがあるように思えます。

新作最後の窯出し

陶彫による大きな作品を作っている自分は、いくつかの部品に分けた陶彫を何回も窯入れして、作品を組み立てていく方法をとっています。今回の新作「構築~瓦礫~」はそこに炙った杉材の柱を8本加えています。8本の柱は陶彫部品にボルトナットで固定してサークル上に配置する計画です。サークルの中に陶彫部品をランダムに置き、タイトルにある瓦礫を表現しようとしています。日曜日の夕方に、陶彫部品の最後となる成形した大き目の作品を窯入れしました。やや肉厚の作品であったため乾燥ができているかどうか心配しましたが、3日目の今日窯を開けました。何とか成功したようで、ホッと胸を撫で下ろしました。窯は1230度まで時間をかけて温度を上昇させ、またゆっくり冷まします。3日目となれば窯の中は100度前後になっているのです。窯開けは3日目がちょうどいいと思います。これで新作の陶彫部品は全て揃いました。陶彫部品ひとつひとつに貼る印も彫りあがりました。今週末に全体を配置してみようと思います。

拡大レンズ付スタンド

先日から新作「構築~瓦礫~」の部品につける印を彫り始めています。一日の仕事が終わって、帰宅してからの作業になるので、手許が覚束無く、おまけに細かい作業なのでつらいものがあります。老眼と思いたくないのですが、確かに前よりは見えにくくなっています。そこで実家で母が使っている拡大レンズ付スタンドを借りてきました。夕食後にダイニングテーブルの上で作業するには大変好都合です。印を彫るためにわざわざ工房には行きたくないし、印床も印刀も自宅に持ってきているので、今週はRECORDと併行して印作りをやっていきます。勤めている職場ではパソコンを見ている時間が長く、さらに帰宅しても印材に向かって細かい作業をやっているので、最近は眼を酷使していると感じます。ただし家では電話や来客の応対に追われないだけ、拡大レンズを見ながら、じっくり作業ができるのがいいのです。

新作の印を彫る

絵画や版画には作家のサインがあります。自作の彫刻で、そのサイン代わりと考えているのが自分で彫る印です。書の落款と同じですが、ナンバリングとしての用途があるので、書のそれとはちょっと違います。数多くの陶彫部品を組み立てることで成り立つ彫刻を作っている自分は、全体で部品がいくつあるのか、また旧作と間違えないようにするために、それぞれの部品に新作なりの印をつけています。だから印は新作ごとに新しくデザインして作ります。作品の数だけ印の数もあるわけです。印は小さな和紙に押印してナンバリングして陶彫の目立たないところに貼っています。昨日から新作「構築~瓦礫~」の印を彫り始めました。自作の印は書というより抽象絵画を考案するように作っています。書家が見るとデタラメな印になっていると思いますが、もともと自分には書道の基礎がないので、自由気儘に作るしかないのです。デザイン化した氏名を毎晩少しずつ彫り上げていく作業は楽しいと感じます。RECORDと併せて作業するのはつらいものがありますが、こういうつらさは大歓迎です。

週末 「瓦礫」修整と「包囲」運搬

「構築~瓦礫~」の最終仕上げに入りました。瓦用隙間接着剤を使って、ヒビの入ったところを修整しました。無理なカタチをしている陶彫部品があるため、窯の中で微妙にヒビが入るものがあるのです。最後にもうひとつ大きな陶彫部品の窯入れがあって、これですべて「構築~瓦礫~」の部品は揃います。来週末には全て部品が出揃って全体構成を行い、29日の撮影に備える予定です。数多くの陶彫部品を作ったつもりが床に並べてみると、こんなものかと思えて、辛い気持ちになりました。今日はボランティアの子がやってきたので、午後から自宅のアトリエに眠っている「構築~包囲~」を工房に運びました。分解してあるとはいえ、2人で交互に運ぶのはきついものがありました。この「包囲」と午前中に修整をした「瓦礫」が今年の個展に出品するのです。29日の撮影は、この2点が中心です。

週末 真冬から春爛漫へ

一昨日のブログに三寒四温のことを書いたばかりですが、今日の気温の変化には驚いてしまいます。朝のうちはミゾレ交じりの雨が降っていました。工房は冬に戻ったような寒さで、ストーブを焚いていました。陶彫修整用の材料が足りず、今日の作業はRECORDの仕上げをやっていました。すると空が晴れ渡り、春の暖かさが戻ってきました。作業を終える頃には、気持ちのいい気温になっていましたが、気温の急激な変化に身体がおかしくなりそうです。修整用の材料を買いに出かけ、明日に備えます。それと図録用の撮影日が29日になったので、工房内を少し整理しようと思います。

イメージの醸成

創作活動への意欲を絶やさず、週末だけでも制作を続けていると、日常的にカタチのイメージが出てくることがあります。自分は春めくとイメージが湧いてくる傾向があるらしく、さまざまな世界が浮かんできます。浮かんでは消え、消えては浮かぶといった方が妥当かもしれません。その中でイメージが醸成されて、ちょうど葡萄からワインが出来るように、作品化を思いたつものが現れてきます。そうしたイメージは陶彫で使う黒っぽい土の色をしています。充足したバランスのとれたカタチではなく、どこかが欠損しているカタチです。そんな世界が自分は好きなのでしょうか。理屈で考えるのではなく、趣向に左右されるので、何とも説明がつかないのです。

三寒四温に戸惑う

三寒四温は冬の季語です。4月の半ばだというのに、春めいた暖かい日があれば、今日のように真冬の寒さに見舞われる日もあります。まさに三寒四温です。体調を崩しがちになるところですが、無理はしていないので今のところは何とか健康を持ち堪えています。週末は制作があるので、寝込んでしまうと大変なことになります。個展のスケジュールがある以上、体調管理には気を使います。日本は春夏秋冬の季節の移り変わりがあって美しいと言われています。自分も幼い頃から祖父母にそう言われました。自分が大人になって海外生活も体験して、ちょっと斜に構えた言い方をすれば、日本は季節の移り変わりが頻繁にやってくるから、微妙な気候の変化が多く、それが日本人のモノの考え方にも影響を与えているように思えるのです。はっきりしないモノの言い方、玉虫色に捉えられる発想は、そんなところにあるように思います。三寒四温に戸惑う自分は、些細な心の変化を身に纏ってしまい、構築性の強い造形作品を作る際に、己の感覚の弱さを感じとってしまうのです。別に気候のせいにしているわけではないのですが…。

窯という他力本願

陶芸(陶彫)をやっている者にとって、最後の焼成は自分ではどうにもならないものです。窯に入れて焼成が始まった途端に、作品は自分の手から離れ、火の神のみぞ知る世界になります。炎を潜り抜けて還ってきた作品は、神々しく見えるのは自分だけでしょうか。簡単に言えば高温によって陶土が石化する現象が起こるのですが、何か人智を超えたものに例えてみたい誘惑に駆られます。日曜日に大きな成形部品を窯に入れました。今日で3日目。仕事帰りに工房によってみると、窯の温度は100度程度まで下がっていました。電源を切って恐る恐る窯を開けました。今まで何度窯を開けたことかわかりませんが、その度にドキドキして作品が割れていても仕方ないという後ろ向きな考えが頭を過るのです。今日は大丈夫でした。何度も熱覚めやらぬ窯の中を覗き込み、本当に割れていないか、大きく歪んでいないかを確認して、ようやく胸をなでおろします。まさに他力本願。窯で焼成するという不思議な儀式に気持ちが大きく揺れるのです。だからこそ陶芸は面白いのかもしれません。

気分を測る物差し

一日1枚ずつ葉書大の平面作品を作ることを自分に課しているRECORD。今月は公務の仕事が立て込み、帰宅してRECORDに取り組むのは辛いところですが、そこは創作へ向かう姿勢として自分に厳しく日々制作しています。日によっては頭の中が真っ白になって、イメージが浮かばない時もあります。月ごとにテーマを決めているのは、自由な発想に転換できない苦渋の選択だと言えます。しばらくRECORDをやっていると、テーマはあるものの、その時その時の気分が吐露されて、面白い結果に繋がることがあります。RECORDは気分を測る物差しのようだと思っています。さしずめ今は雁字搦めのイメージが表れ出ています。今月のテーマは「繋がる」ですが、繋がることで束縛を受け、頑なになっている自分を発見しました。それが良いとか悪いとかではなく、今の気分に対し、どのくらい素直に向き合えているかを判断し、今の自分の心の寸法に見合っていれば、RECORDとしては納得できる作品ではないかと考えているのです。

創作姿勢を省みる

何回かブログに書いてきたことですが、自分は決まった時間に彫刻等の作業を行うのを習慣としています。週末は必ず工房に行って、朝から夕方まで作業をしています。イメージが出てくるの待ったり、気が乗るのを待ったりしません。天才肌ではないと自覚しているのです。職人のように坦々と仕事をするのが、自分にとっては一番楽なのです。自分は一気呵成に創作に没頭することはありません。自分に課題を与えて、その中であれこれ悩んで作品を作り上げていきます。今は横浜市公務員との二束の草鞋ですが、退職後も勤めている現在と同じように、あたかも勤務時間があるかのように朝から作業を続けるだろうと思います。自分の創作姿勢を省みると、退職して時間が出来ても、そんな姿勢をずっと変わらず持ち続けているような気がしてなりません。それが自分らしさなのかもしれません。

週末 陶彫の仕上げ

先日まで工房にストーブが欠かせなかったのですが、季節は変わるものです。本当に過ごしやすくなりました。春が香る日曜日です。亡父の残してくれた植木畑にも様々な花が咲いています。工房では、新作「構築~瓦礫~」の陶彫2点の仕上げに入りました。新作がどういうものになるのか、イメージ通りになってくれるのか心配なところもありますが、これで決着をつけなければ、7月の個展に間に合わなくなります。ここにきて例年のように次の作品のイメージがぼんやり湧いてきました。自分はいつも新作が終わらないうちに、次の作品に気持ちが移行してしまいます。イメージと言っても、以前から温めていたカタチが見えてきたといったところでしょうか。「構築~瓦礫~」が決着したら、いくつかのイメージの具現化に向けて、併行して作品を作っていこうと考えています。先行きはともかく、今の作品の焼成での成功を祈るばかりです。

週末 柱の炙り作業

新作「構築~瓦礫~」のパーツである杉の柱8本を、バーナーで炙って炭化させる作業を行いました。野外工房が出来ているなら、こういう作業はそこでやりたいところでした。今日は工房の外の植木畑で作業をしました。日が照り付けて汗が身体から噴き出してきました。頭に巻いたバンダナも汗でびっしょりでした。気候が春めいて暖かくなりましたが、これからの彫刻の作業は汗をかきます。柱の半分程度を炙って、煤を金ダワシで落としました。いよいよ残り成形2点を仕上げて窯に入れると、「構築~瓦礫~」は完成になります。明日は成形の乾燥の具合を見て、仕上げに入りたいと思います。

記憶の底から…

昨日はエルンスト・バルラッハのことについてブログに書きました。今読んでいる「バルラッハの旅」(上野弘道著)で、自分の記憶の底に眠っていた滞欧生活のことが甦り、ウイーンの美術館にあったバルラッハの「復讐者」という作品が鮮やかに思い出されてきたのです。同じ美術館にグスタフ・クリムトやエゴン・シーレの絵画があった記憶があるので、きっとそれはベルベデーレ宮殿にある美術館だったのかもしれません。「復讐者」は着衣の人物が前向きの姿勢になり、着衣が風に靡いているような彫刻でした。人物の風を切る風体や衣類の鋭い面取りの感じが印象的な小品です。具象でありながら、何か抽象的な塊を感じさせる存在感がありました。ウイーンの冬の寒さが、「復讐者」によって記憶の底から甦り、自分が生育歴の環境によって身につけていた日本的な情緒など吹き飛ばされてしまうような堅牢な造形を感じずにはいられませんでした。ましてやバルラッハはウイーンよりさらに北方のドイツに生まれた彫刻家です。造形が風土と密接に関わっていることを改めて感じた彫刻作品でした。

ドイツの近代彫刻家

数年前、東京上野にある東京藝術大学美術館で、ドイツの近代彫刻家エルンスト・バルラッハの大掛かりな展覧会がありました。春爛漫の季節に美術館を訪れて、バルラッハを堪能したのですが、自分が初めてバルラッハの彫刻と対面したのは、1980年から85年まで滞欧していたウイーンの美術館で見た時に遡ります。真冬の寒々とした一室にバルラッハの小品があって、何回見ても心が引かれ、それでバルラッハの名前を覚えてしまったのでした。上野で見たバルラッハは、日本とヨーロッパの気候の違いのせいなのか、妙な気分になってバルラッハの彫刻と再会したのです。バルラッハは北方ヨーロッパが生んだ芸術家です。きりりとした造形感があって、日本の風土では理解できない精神性もあろうかと思います。一度ブログにもバルラッハのことを書いた記憶がありますが、コルヴィッツと並んで、自分にとっては滞欧生活の中で、忘れられない芸術家の一人なのです。

仕事の隙間の創作活動

表題はいろいろな言い回しで今までブログに書いてきたことです。また繰り返しになりますが、ウイークディは公務員として働いていると、つい隙間を縫って小さな創作活動をやってみたくなるのです。これは現実逃避ではありません。それほど現実の仕事は嫌ではなく、仕事上の役割があるので、そこは責任を感じて頑張るところだと思っています。でもちょっとした休憩時間に心の中でイメージを広げたり、実際に手を動かしてRECORDの下書きをやってみたりしています。時間がないほどイメージは凝縮したものになる気がしています。手枷足枷があった方が、生来怠け者の自分にはいいのかもしれません。そういう意味ではRECORDはいいアイデアだと思っています。週末の本格的な創作活動に向けて、仕事の隙間の創作活動で何とか気持ちを保ちつつ自分は今後もやっていくのだろうと思います。

鎖のイメージ

今月のRECORDのテーマである「繋がる」。それを表現するため、連結するイメージとして鎖状のカタチを描いています。鎖は束縛や囚われのイメージもありますが、連結をダイレクトに表すものとして相応しいと考えます。作品の展開もいろいろ考えられて、面白いモチーフだと思います。鎖のイメージは陶彫でも表現できそうな気がしています。一度雛型を作って、あれこれ展開させてみようと思います。自分にとって作品のイメージは説明的な要素はなく、たとえば壁だったり、穴だったりします。また塔や橋、門といった建築的なイメージも出てくることがあります。甚だ人工的なイメージですが、どうやら自分はそうしたモノに囚われているようです。鎖のイメージを平面と立体の双方から攻めてみたいと思います。

全集読破の途中で…

通勤電車の中で愛読している「瀧口修造全集」。ちょうど4巻が終わったところで、中休みをとることにしました。瀧口流の思考に自分が傾倒しつつあるので、ちょっと切り口を変えてみたくなったのです。シュルレアリスムの思想が、昨年夏に呼んでいたアンドレ・ブルトン以来ずっと自分の中に根付いています。美術的な思索を極めていくのは大好きな方ですが、通勤電車の中でしか美術的なものに触れる時間がないので、じっくり思いをめぐらすことができません。それでも中休みの後は「瀧口修造全集」読破に向けて、ゆっくりしたペースで文章の裏側を噛み締めながら、読み進めていこうと思います。

野外工房設立に向けて

昨年夏に、亡父から相続した植木畑に農業用倉庫として建てた工房。倉庫建築なので、当然住める環境ではなく、作業をするために週末毎に使っています。ここにきて、倉庫を建てたところが畑であるため、周囲の土がぬかるんだり、土が風雨で流れて基礎コンクリートが露になってしまったりして、どうしても犬走りを作る必要が出てきました。父の代からつき合いのある近隣の業者にお願いしたところ、犬走りだけでなく入り口の前にもコンクリートによる平土間を作ってもらうことになり、ここも作業場として使用できるのではないかと考えました。つまり野外工房というわけです。陶芸の釉掛けでコンプレッサーを使う時や、石や金属で制作をする時は野外の方が相応しい場合があります。柱の炙りもそうです。今月末から動き出しす予定の野外工房。今年は工房拡張工事がメインになるのかもしれません。

週末 「構築~瓦礫~」柱の接合

図録のための写真撮影の関係で、新作「構築~瓦礫~」の完成を急いでいます。一応陶彫パーツはすべて揃いましたが、一番目立つ陶彫パーツ2点の窯入れがこれからです。この2点の乾燥を待って窯に入れていく予定です。ただしパーツが2点とも大きいので乾燥に時間がかかると思っています。今日は8本の杉材の柱を土台に接合するために、土台の穴の位置に応じて、柱にもドリルで穴を開けました。陶彫土台と柱をボルトナットで留めるつもりです。そのあと以前荒彫りで終わっている柱の仕上げ作業に入りました。いよいよ完成に向けて新作が動き出した感じがしています。このところ公務の仕事が立て込んで、なかなか創作に向う気構えができずにいましたが、今日ようやく「構築~瓦礫~」の全体像を捉え、最終の仕事に入りました。自分で見積もった予定の1ヶ月遅れです。柱の接合がなんとかなれば、完成が見えてくるといったところでしょうか。

4月RECORDは「繋がる」

今月のRECORDのテーマは「繋がる」にしました。人と人の繋がり。現代社会の中で、家族や他人とどのくらいの繋がりを持っているのか、自分を振り返ってみると、人間関係の構築がきちんとできているかどうか疑問です。確かに職場の中では会話は頻繁にあって、常に仕事上の意思の疎通を図っています。帰宅すれば家内と喋ります。今はそれだけではなく、携帯電話やメールがあって、「繋がる」手段はたくさんあります。でも感情の機微が他者に伝わって、お互い分かり合える関係がどれほどあるのか、コトバの伝達はできても孤独さがつき纏うことはないか、伝達手段がありすぎるので、返って人間関係が作りづらくなっているのではないか、さまざまな思いが湧き上がってきます。「繋がる」というテーマは、実はとても難しいテーマだと思います。一日1枚ポストカード大の平面作品を作ることを自分に課しているRECORD。毎日「繋がる」ことを考えながら作品化してみようと思います。

年度当初の超過勤務

4月になりました。職場では20名の転勤者を迎え、また慌しい日々が始まりました。自分も昨年度転勤してきて、職場の様子がよく飲み込めず、右往左往しているうち、あっという間に夜になったことが思い出されます。昨年の今日どんな仕事をやっていたのか記憶が飛んでしまっています。そのくらい面食らったのでしょう。今年はそんなことはありませんが、やはり年度当初の多忙さは凄いものがあります。4月いっぱいは書類に追われて、パソコンの前から離れられない状況が続きます。残業はあたりまえで、それでも次から次へ仕事がやってきます。今日は美術のことを考える余裕はありませんでした。定年までこんな状況が続くのかと思うと複雑な心境になりますが、工房のためや創作のために頑張ろうと思います。

年度末の超過勤務

3月末を迎えました。職場は人事異動の時期です。年度末の残務整理やら新年度を迎えるに当たっての準備で、職場は慌しくなっています。管理職も職員も仕事に追われて一日が過ぎていきます。このところ自分も超過勤務になっていて、朝7時から職場に出て、退勤は夜8時を過ぎます。職員の中には仕事が終わらず、職場に泊り込む人もいます。とくに若い世代にその傾向があって、過労で倒れはしないかと心配しています。頭脳を使う仕事と見込んで配属されてきたのに、今は身体を酷使する仕事になってしまっています。かく言う自分も昨年4月1日のこの時期に現在の職場に異動してきたのでした。山積みされた机も今日一日だけはきれいさっぱりと片付けられていました。このまま1年間通せればいいのですが、数日経てば元通り。明日から4月です。また1年間が始まります。