「日本も動く 職人とネットワーカー」について

「日本流」(松岡正剛著 筑摩書房)の第二章は「日本も動く 職人とネットワーカー」について述べられています。日本の職人が持つ「キワ」(際)とか「ハシ」(端)の考察です。私の祖父は宮大工、父は造園業を営んでいたため、私は職人家庭に育ちました。職人を巡る内容には、前述したコトバを含めて納得できる箇所が多く、現代では職人ならではの技が失われる残念さも課題として残されています。本章ではもうひとつ、日本の多重性をネットワークの視点から論じている箇所があり、ここにも興味関心が湧きました。本文から引用いたします。「日本を大きく変えてしまったのは、中世のネットワーカーたちでした。この人々のことを、漂流者とか遊行民とか『道々の人』とかいいます。最近のハヤリの言葉でいえばノマド(遊牧民)です。一所不在の人々であり、無住の人々である。」著者はこのネットワーカーを3つのグループに分けています。一つ目は出家遁世したネットワーカーたちで、有名な人では西行がいます。二つ目は職人と芸能者の群れです。三つめは前述に重なるところもありますが、遊行者の動向です。本文より「遊行者は本来ならば仏教者のことで、平安時代の空也のような念仏上人か、ないしは修験者(山伏)や密教僧が多いはずなのですが、そうではない多くの民衆たちもまじっています。~略~かれらをまとめて阿弥たちとよぶとすると、この阿弥たちはさまざまな人々と交流することを大事な使命としていたのですから、さまざまな職芸にもかかわりました。」とありました。ここに有名な世阿弥が登場してきます。「世阿弥のばあいは将軍義満がとりたてたことがよく知られていますが、そういう記録がのこっていない阿弥たちのなかでも同朋衆になったり、それに比肩するディレクターとして活躍した者たちも少なくなかったのです。」最後にこんな文章がありました。「あらためてふりかえってみると、ネットワーカーの出現は何も中世にかぎったことではありません。日本の神々の伝承には、最初から遍歴的であり、彷徨していた神がたくさん動きまわっていました。そういう神々もネットワーカーでした。~略~日本では神の仮の姿を『蓑笠つけて道を駆け抜けていく姿』に求める見方が多くあったのですが、その姿は中世の遍歴遊行のネットワーカーと似ているばかりか、近世の博徒や無法者や無宿者などの、つまりは任侠でヤクザな者たちが『カッパからげて三度笠』の姿で街道を駆け抜けていくアウトローの姿とも似ているということです。」

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