コトバと彫刻について

私は彫刻に関わるようになったのは大学の1年生からで、それまで工業デザインを専攻するつもりだった私が、極端な方向転換をして初めて彫刻に出会ったのでした。本格的な立体表現を知らなかった私は結構混乱して、そこから半ば自嘲的で内密なメモ書きをノートに残すようになりました。立体把握に困難を感じていた私は、そもそも自分に彫刻は向かないのではないかとさえ思っていました。今もその感覚は忘れていません。立体把握が面白くなりかけた時期になると、素材を扱う困難さに直面していました。粘土、木材、石材、金属、どれをとっても自分のものにならず、おまけに表現の自由を奪っているものは、何といっても素材の重力でした。当時のメモ書きはそんな不満や不安が綴られていたのではないかと述懐しています。大学卒業時に焚火にしてしまったメモなので、今では私の記憶が頼りですが、そこには詩らしきものも書いてありました。その中で「蝙蝠」という詩の題名は覚えていますが、内容は思い出せません。母方の祖母に見せたらクスっと笑われました。詩への関心は高校1年生の現代国語の教科書に掲載されていた詩が契機になり、そこから詩作する試みが始まりました。草野心平、谷川俊太郎、黒田三郎、西脇順三郎の詩から始まり、書店に出入りするうちに寺山修司、白石かず子、富岡多美子などに興味が移り、自宅の書棚に詩集が増えていきました。言うなれば私の関心は海外の詩人よりも日本人の現代詩から始ったのでした。大学に入ると美術評論を書いている大岡信、瀧口修造の著作が増えていきました。詩と彫刻双方の分野に足跡を残した芸術家となれば、お馴染みの高村光太郎がいます。私は彼が生きた環境が知りたくて、晩年の光太郎と智恵子が住んだ岩手県の寒村を訪ねています。私自身は詩の創作が出来ているとは言えません。詩は彫刻よりも早く芽生えた創作分野でしたが、彫刻の方がいち早く自己表現の方向性を定め、個展を開催できるまでになりました。彫刻をイメージする際に詩心が必要なのは言うまでもなく、私が密かに育んだ詩は、造形の中に生きているのではないかと思うこの頃です。 

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