「反省論と自我論的構図」について

いよいよ「経験の構造 フッサール現象学の新しい全体像」(貫茂人著 勁草書房)も残り僅かになってきました。今回は第十一章「反省論と自我論的構図」について取り上げます。この章は3つの単元に分かれているので、ひとつずつ気に留まった箇所を引用していきます。まず「反省論の困難」。これは経験構造を反省によって分析することが現象学そのものを危うくするところから、存在者化と時間化に関する文章を取り上げます。「反省は、対象化であるため、反復的同一化であり、したがってそれによって繰り返し同一化可能な対象、すなわち存在者が成立する。それゆえ反省は存在者化だ。一方、時間意識は過去へと脱現在化する運動であるため、その都度遂行される作用や体験は、時間意識の流れによって失われてゆくだけだが、それが反省によって対象化され、繰り返し同一化可能な存在者となることによって、時間位置系列に位置づけられ、『時間化』される。」反省を現象学的に位置づける論理ですが、一度読んだだけでは咀嚼できない歯痒さがあります。次に「”わたし”という場所」。これは「”自我”や”わたし”は、経験のさまざまなシステムを外皮としてまとう核のようなもの、諸システムを外皮のように脱ぎ捨てても自存しうる実体的存在者ではなく、外皮に屈折した光が結ぶ虚焦点、システムの流れにおいて浮かび上がる形である。」という一文を選びましたが、前後の脈絡がないので、ここも理解困難ですが、簡単にまとめられないほど論理が込み入っていることをご容赦願います。最後に「純粋自我なき自我論としての現象学」で、この文章がまとめと言えるかどうか分かりませんが掲載しておきます。「自我の現象学的実質は、さまざまなダイナミズムの転轍機、諸力の交点、時間意識やパースペクティブの構造から成立する『今ここ』という時間的空間的被制約性の場所だ。さまざまな現象学的経験構造の結節点として、自我はまさに現象学的に構成される。『自我』は現象学的構造の前提ではなく、結果なのだ。」ここまで本書を読んできて、残すは最終章のみとなりました。

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