「歴史と文化的規範」について

「経験の構造 フッサール現象学の新しい全体像」(貫茂人著 勁草書房)の第十章「歴史と文化的規範」を読み終えました。まとめをするのは至難の業ですが、現象学と「歴史と文化的規範」の関わりについて冒頭の文章を拾い上げてみます。「現象学的自我にかかわる独我論は、歴史と文化の問題を考慮に入れたとき解消すると述べた。だが、そもそも歴史や文化の現象学などというものは成立しうるのだろうか。現象学が分析対象としてきたのは主として単独の自我による経験や体験であり、相互主観性や世界が扱われるといっても極めて抽象的な形でしかなかった。」そこに第十章で登場する歴史やら文化やらの大きな捉え、これをフッサールがどう扱ったのかが本論になるのです。まず歴史記述の物語理論が登場してきます。次に対象化された歴史と対象化以前の歴史が述べられていました。単元だけ連ねても意味を伝えられないのが残念ですが、一文だけ印象に残った箇所を書き出します。「物語の外部を認めない物語論は、対象化されることなく現在を決定する伝統を、われわれの過去として認める余地を持たない。物語論のこうした限界は、近代哲学固有の誤謬、すなわちハイデガーの指摘する『世界統握』に根をもつと言えるだろう。」ここで登場する伝統という言葉から、伝統形成のメカニズム、自我の受動的能動性などが論理展開上で述べられています。ここも単元だけに終始して申し訳ありませんが、次に文化的規範の現象学に至り「現在の能動的活動を可能にし、制約する文化的規範性を解明するためには、まず『規範性』一般を現象学的に解明しなければならない。」という問題提起の文章がありました。また単元だけを追ってしまいますが、知覚における類型、行為の規範、自他の発生と文化の構築と続き、最後にこんな一文が目に留まりました。「文化の現象学的分析の観点からすれば、物語的歴史記述の新たな位置づけが可能となる。異邦との邂逅によって受動的に際立つ自他の区別が、今度は能動的に構築される際、歴史記述が本質的な役割を果たすとフッサールは述べていた。ある”文化”に属する個人や文脈ごとにさまざまな連関が過去には存し、それが現在を形成するのだが、こうした事情にもかかわらず、すべてを包括する”国民史”を構築することによって”全一性の地平” ”総体的人格性”としての国家、また”国民”として自己同一性が形成される。」まとめになりませんが、ひとまず第十章はここまでにします。

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