夢の中のキリスト磔刑像

私はあまり夢を見る方ではありませんが、イエス・キリストの磔刑像が夢の中で私の前に現れた時がありました。私はキリスト教信者ではなく、また現在は宗教に関する書籍も読んでいないのに、どういうことなのか自分でも分かりません。夢は欲望充足であると説いたのは精神分析学の創始者フロイトでしたが、私はキリスト教を渇望をしていると言うのでしょうか。おそらくそうではなく、若い頃西欧で5年間暮らした際に、どんな小さな町にもあった教会の、そこに安置されていたさまざまなイエス・キリストの磔刑像が、ふと若い頃の記憶と共に甦ったのではないかと察しています。私にとってイエス・キリストの磔刑像は見慣れた存在です。その宗教はともかく仏陀の涅槃像よりも身近なことは間違いありません。師匠の池田宗弘先生がキリスト教に纏わる彫刻を数多く制作していることも私とキリスト教を結び付けている要因のひとつだろうと思います。イエス・キリストの磔刑像は何と残酷な姿をしているのか、人間全体の罪を背負って手足を十字架に磔られているのです。磔刑像の中には血を流すイエス・キリストもありました。西欧で多くのイエス・キリストの磔刑像に接し、私の中ではそれが受け入れ難い表現であったことも事実で、赤ワインをキリストの血に、パンを肉に見立てる考え方にも、自分の成育歴にはないものを感じ取っていたのでした。そんな私自身の中で反発もあった磔刑像が夢に出てくるのは不思議でなりません。私はそこに宗教とは切り離した美を感じ取っていたとでも言うのでしょうか。おそらくそれが正解で、夢の中の磔刑像はその素材までもリアルに示されていたのです。磔刑になったイエス・キリストは木彫で作られていて、彩色はなく鑿跡が残されていました。十字架は錆びた鉄のようでした。白い漆喰の壁に設置されていて、そこは教会だったのでしょうか、ただし、そこに宗教はなく恰も美術館の一室のような按配でした。夢の中ではその木彫のキリストと鉄の十字架による磔刑像は私自身が作ったものという意識がありました。今は具象表現をしていない私が、何故かイエス・キリストの磔刑像を作る、これはどういうことでしょうか。夢が欲望充足と考えるならば、私は具象彫刻をどこかでまた再開したいと願っているということだろうと解釈することにしました。学生時代のようにモデルを立てて塑造することに関心を失っている今は、昔の記憶や師匠の表現の在り方を鑑みて、イエス・キリストの磔刑像の具象表現に辿り着いたというのが、私の出した結論です。

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