横浜の「イサム・ノグチと長谷川三郎」展

昨日、会議の合間を縫って、横浜の桜木町にある横浜美術館で開催中の「イサム・ノグチと長谷川三郎」展を見てきました。本展は「変わるものと変わらざるもの」という副題がついていて、日本古来の伝統文化とモダンを現代的感覚で繋いだ2人の芸術家が歩んだ道を辿った展覧会であることが分かりました。米国ニューヨークにあるイサム・ノグチ財団・庭園美術館と横浜美術館の共催というのも、珍しい取り組みではないかと思いました。何よりアメリカ国籍のイサム・ノグチと、アメリカで日本文化の伝道者として役割を担った長谷川三郎の作品群が、その抽象化において一致する精神性を持っていると私は自覚しました。こんな一文が目録に掲載されていました。「1950年5月にイサム・ノグチと出会った時、長谷川三郎はふたりの考えが『驚くほど』似通っていることを見出した。西洋の少なからぬ現代美術家が関心を寄せる日本や東洋の古い文化と西洋モダニズムは通底すること、抽象がその両者を結びつけること、そして日本の美術が外国の影響下に自己喪失の危機に瀕していることなどの認識を、ふたりは共有していた。彼らは現代における地域固有の文化とモダニズムの鬩ぎ合いの中で、芸術家の果たすべき役割を共に見出そうと協力したのだった。」(中村尚明著)私は本展を見るまで画家長谷川三郎を知りませんでした。活躍の場を日本よりアメリカに移したために日本での知名度が今一歩だったように思えます。今回の展示作品の中では屏風仕立てになった抽象絵画に興味が湧きました。「蒲鉾板に個別に直彫りされた円形、矩形、二本の棒のモチーフにポスターカラーを塗り、小さな紙に複数捺したものを屏風に構成している。画家の刀跡は凸版刷りによって純化される。版画を小さな紙に限定し、これをコラージュすることで屏風の余白=空間を十二分に活かしている。」(同氏著)と解説されている通り、純化した抽象作品が印象に残りました。イサム・ノグチも余白=空間を見つめ続けた彫刻家でした。その彫刻は置かれた空間によって印象が変わります。言い方を変えれば空間を純化する装置とも言えます。私が惹かれる理由がそこにあります。

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