「他者と客観的世界」について

昨日に続いて「経験の構造 フッサール現象学の新しい全体像」(貫茂人著 勁草書房)の第九章「他者と客観的世界」についてNOTE(ブログ)に掲載していきますが、この章から大きな単元になっていて「自我という問題ー他我・歴史・文化」という括りがついています。現象学はその性質においては独我論になると考えられますが、他我や歴史や文化を扱うとなると相互主観性が問われることになるのです。まず本章では自我についての考察があり、「固有性領野」という語彙が出てきます。つまり「人工的な手が加わっていない『自然事物』と私の自我機能」がこれで、自我機能というのは受動的・能動的作用で、「フッサールは特に身体の機能を強調する。身体機能として重要なのは『方位原点』機能と『身体運動感覚』だ。」とする一文がありました。他我については「固有性領域に、私の身体と同型の対象があらわれ、その対象とわたしの身体との間に『体化』という受動的綜合がおこる。~略~その身体に私は『自己移入』する。~略~他我は『付帯的に現前』する。」とありました。次に出てくるのが他人の心を間接的に推論しようとする「類推説」です。フッサールは類推説を否定する理論の展開を試みますが、「人格主義的態度は超越的態度とは異なる。自然科学に対応する、事物や生命的自然を扱う自然主義的態度と、精神科学に対応する、人格や社会を扱う人格主義的態度は、われわれがそれぞれの場面で主題化することなく『生きている』態度であり、超越論的現象学態度において主題化され、『領域存在論』を形成する。」とありました。後半に登場する「パースペクティブの二乗」という語彙がありますが、これは何を意味するのでしょうか。他我を媒介しなければ私の人間自我が成立しないとフッサールは考えていて、「私もしくは私の身体が客観的なものという資格を持つためには、私の身体が私以外の主体にとっての対象とならなければならないのである。~略~パースペクティブの相互嵌入、パースペクティブの二乗というべき構造において初めて生まれる事態だ。このように、まったく新しい構造が、それ以前の構造契機の組み合わせによって生まれる状況は、熱力学における非線形構造や『創発』に類似している。」とありました。第九章もまとめには至りませんが、今日はこのくらいにしておきます。

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