「体験流の構成」について

「経験の構造 フッサール現象学の新しい全体像」(貫茂人著 勁草書房)の第七章「体験流の構成」を読み終えました。体験流の構成とは何か、冒頭の文章に述べられていた箇所を引用いたします。「体験流の構成とは、過去の体験を想起し、そこから現在にいたるまでの体験の『流れ』を『再』構成することである。」とありましたが、まず想起について書かれた文章を拾い上げていきます。「連合によって想起が可能となるからといって、体験流の過去が間違いなくすべて自由に直観可能となるわけではない。」というのは、記憶を思いだす場合に、確実なものではなく錯誤してしまうことは充分ありうると言っていて、私もそう思います。続く文章には「初めに想起された過去と、それとは無関係な別の過去の想起の触発能力が競合状態に到ったり、ふたつの過去が混同・融合されてしまう。」とありました。それでは現在知覚されている経験と、連合的想起はどう異なるのか、こんな一文もありました。「現在の知覚経験と、連合的想起は現象学的にどのように違うのか。志向的相関構造にもとづくか、連合にもとづくかという違いのほか、両者には時間構造の相違もある。それは、『生きられて』いるか、対象化されているかの相違だ。知覚や判断が遂行される現在は『根源的印象』『過去把持』などによって構造化される時間性をもつが、この時間性は『生きられる』ものであって、対象化はされない。」想起という言葉ひとつ取っても、現象学的に論考すると、こんな感じになってしまいます。何かのコマーシャルを見て、旅行した時の記憶が甦り、そういえばこんな食事をした、あんな買い物をしたっけと思い出す時、それは決して正確とは言えず、別々の記憶を繋ぎ合わせている場合もあります。日常茶飯として何気なく行っている行為を厳密に学問として洞察し、根本となるものを探っていけば、「体験流の構成」で述べられているような論考になると思います。

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