「『時間形式ー時間内容』図式の解明」について
2018年 11月 29日 木曜日
「経験の構造 フッサール現象学の新しい全体像」(貫茂人著 勁草書房)の第六章「『時間形式ー時間内容』図式の解明」を読み終えたので、同章についてまとめをしたいと思いますが、毎回述べているように私は難解な論文を解釈するだけで精一杯な有様で、到底まとめには至りません。そうした中で「時間形式ー時間内容」の図式を解明している一文に目が留まりました。「喚起と触発という連合関係がまず発動して、現在の項が際立ち、そして最後に、過去の項が現れる。」これは何を意味しているのかというと、過去、現在、未来に流れていく時間の中の事象を現象学的に捉えようとする部分です。その後に続く例題が分かり易いと思いました。狂言「鬼瓦」のストーリーで「京に上っていた田舎侍が、帰郷直前に寺見物をする。何気なしに建物を見ていた彼の目が、ふとなにかに釘付けになる。それは屋根の鬼瓦だった。はじめ彼は、なぜ自分の目がそこに釘付けになるかわからない。やがてかれは、それが『何かに』似ていることに気づく。しばしの煩悶の後ようやくかれは、それが田舎に残してきた女房にそっくりであることに気づくのだ。ここでもまず喚起的連合というわたしを巻き込む力が発動し、その後で現在の項、それが未知のなにものかともつ類似関係、そして過去の項が分節される。」とありました。私たちが普段日常生活の中で感受している事象を、現象学では分析と定義づけを行っていて、平易な例題を出されると、あぁ、そういうことかと思うことが暫しあります。同章では他に古典的諸心理学と現象学が対峙している論考がありますが、ここは流していきたいと思います。現象学が扱うもの自体は、それほど難解ではないと改めて思いますが、語彙のあやを読み解くのに労力を費やしてしまって、論考に取っつき難いのは確かです。学問としての現象学は、哲学の領域であるため、語彙の選び方にも根本性が問われるので仕方ないのかなぁと思うこの頃です。