横浜山手の「寺山修司展」

横浜で開催している展覧会は、職場外で行う会議等に出るときに、その通勤途中で立ち寄ることが可能です。今回訪れた神奈川近代文学館はそんな場所にあるので、現在開催中の「寺山修司展」を見ることができました。詩人であり演劇実験室天井桟敷を組織していた故寺山修司に、私は特別な思い入れがあります。昔、青森県の恐山に行った折に三沢市にある寺山修司記念館を訪れました。学生時代から彼のコトバや行動に惹かれ、当時流行したアングラ演劇にも足繁く通った思い出があります。渋谷にあった天井桟敷館にも行って、劇団に私も協力したいとお願いしたこともありました。当時、寺山版の市街劇や密室劇を、自分の創作と重ねて考えていて、独自な空間を求めていた私には刺激的だったのでした。そんな寺山修司とはどんな人物だったのか、改めて資料を眺めて、早熟で革新的な才能をもった寺山修司という人物の輪郭を辿ろうとしましたが、私には到底出来ませんでした。図録にこんな一文がありました。「言語は養育者とりわけ母との役割交換によってしか育まれえないからである。『子の身になった母』の身になることが、自分自身になるということなのだ。言語発生のこの演劇的な始原に潜む『優しさ』『懐かしさ』を感じさせない文学など文学ではない。」(三浦雅士著)寺山ワールドの独自性は母との関係にあり、また青森県という風土にもあったと思いますが、何よりも作家がコトバに鋭利な感覚を宿していたことで、その後国際的な活躍を見せる演劇的な活動も、全て文学に収斂されるのではないかと私は考えます。寺山修司の遺したコトバから察すると、彼は究極の際どいところに自分を追いたててコトバを紡いでいたように私には感じられます。文字になった家出や賭博にも寺山流の感性があって、その価値判断に作家自身の個性、いや癖のようなものを私は感じ取ってしまうこともあるのです。享年47歳、今生きていたら、どんな表現活動を見せていたのか、亡くなった時に残念な思いに駆られたのは私だけではないはずです。

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