上野の「マルセル・デュシャンと日本美術」展

東京上野にある東京国立博物館平成館で開催されている「快慶・定慶のみほとけ」展の隣で、「マルセル・デュシャンと日本美術」展が同時開催されていたので見に行ってきました。隣の仏像展とセットにして見に来ていた人もいたと思われ、鑑賞者は老若男女入り乱れていましたが、そのうち何人がマルセル・デュシャンに興味を感じたのかは定かではありません。デュシャンは作品そのものと言うより、その概念を理解しなければならない芸術家で、既製品(レデイメイド)を芸術作品として美術館に持ち込んだ人なのです。本展は、デュシャンの初期の頃の印象派風の油絵やキュビズムとしての「階段を降りる裸体」を初め、大ガラスの作品「彼女の独身者たちによって裸にされた花嫁、さえも」、さらに有名なレデイメイド「泉」(レプリカ)や自ら分身となった「ローズ・セラヴィ」、最後の「遺作」に至るまで、フィラデルフィア美術館の所蔵作品が数多く来日していて、デュシャン・ワールドの痕跡を語る上で重要な作品が展示してありました。私は書籍等で知っていても、初めて見るオブジェが多く、デュシャンの資料がこんなにも保管されていることに驚きました。図録を読んでいると興味をそそる部分があったので引用させていただきます。「モダンアートの寓話になっているこのエピソードは、デュシャンがレジェと彫刻家コンスタンティン・ブランクーシとともにパリのグラン・パレで開催された恒例の航空展を訪れた時にまつわるものである。~略~デュシャン、レジェ、ブランクーシの3人を驚愕させたのは、金属色の機体や鮮やかな色で塗られた飛行機、台の上に据えられたエンジン、さらには巨大なプロペラの壮観であった。ブランクーシはプロペラの前で立ち止まり、『これが真の彫刻だ!』と驚きのあまり言い放った。~略~デュシャンは友人二人に同意して、工業製品は技術分野と美的な性質の両方の基準を有しており、これを芸術家は無視することができないとしたのである。」(マシュー・アフロン著)また本展は、「デュシャンの向こうに日本が見える」と称し、デュシャンが模索したレデイメイドや複製が、既に日本では美的価値を有して存在していたことに着目し、たとえば千利休の「竹ー重切花入」や水墨画の伝承模倣などが展示されていました。「竹ー重切花入」は陶工が造形した器ではなく、傍らにあった竹を切って花入れにしたもので、まさにレデイメイドそのものだと言えます。デュシャンのこうした概念に関しては、もう一度別稿を起こしたいと思います。

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