創作活動は信仰か?
2018年 11月 8日 木曜日
私は特定の宗教を持っていません。実家の菩提寺は浄土宗ですが、私はとりわけ仏教に関心があるわけではなく、葬祭の時にだけ祖先の墓がある菩提寺に行く程度です。ついでに墓参りも疎い方ですが、最近は墓に行くと妙に清々しい気分になるのが不思議です。死の意識はそんなところから歩み寄っているのかもしれません。私は生きているうちに自らの死を概念化したいと願っていて、哲学的な自己死生観の確立が私を創作活動に掻き立てているのではないかとさえ思っているのです。ところで週末毎に生真面目に取り組んでいる創作は、何のためにやっているのか、前述した死生観は頭の中の思索に過ぎず、実際に陶土と格闘している行為は、常時無心と言った方が気持ちに合致するかなぁと思います。若い頃は芸術家としての立身出世欲があって、焦りや嫉妬もありました。長く継続しているうちに、そんなことはどうでもよくなり、純粋に創作を楽しむようになりました。そこで疑問なのは、楽しむだけで数十年も創作活動がやれるだろうか?ということです。しかも自己満足がなかなか得られず、他人にとってはどうでもいいことに尽力している自分は何者だろうか、自分は何を求めているのだろうか、私には自分のしていることがよく分からないのです。疑問に答えるべく考えたことは、特定の宗教を持たずとも信仰を持つことは可能ではないかと言うことです。私は何かを信仰している、創作を持続するパワーの源にあるもの、それを今までずっと敬虔に信仰しているのではないか、そう考えれば自分の行為が腑に落ちるようにも思えます。宗教観の乏しい自分は信仰の何たるかにも思いは及ばず、こんなことを信仰と言えたものではないのかもしれませんが、妙なことだとは知りながら、創作活動は信仰によるものという勝手な解釈をさせていただいています。神の存在を私は認知できません。それでも信仰はあるのではないかと思うこの頃です。