東京駅の「横山崋山」展

先日見に行った東京ステーションギャラリーの「横山崋山」展の情報が、奇しくも今朝職場にあった朝日新聞の「天声人語」に掲載されていました。横山崋山という名が「日本画の巨匠、横山大観とも渡辺崋山ともまぎらわしい」と書かれてあり、続く文章に「横山崋山は豪放な性格で、泥酔して暴れる癖があった。刷ったわび状をいつも懐に携え、酒席で迷惑をかけた相手には、即興で絵を添えて手渡したという。」とありました。へぇ、横山崋山はそんな人だったのか、そうとは思えない理知的で丹念に描かれた絵画の世界が本展では印象的だったために、この記事には驚きました。作者の性格と画業が違いすぎる場合も多々あるとは思いますが…。横山崋山は江戸後期に生まれ、京都西陣で機織業を営む旧家の養子になり、その縁で絵師曾我蕭白を知り、模写を通して絵を学んだとされています。既に故人だった蕭白の絵に似せた「蝦蟇仙人図」が蕭白のそれと比較して展示されていて、これは面白いと感じました。それにしても巧いなぁと思わせる数々の作品に目が釘付けになりました。最初に蕭白に学んだキャリアも異色だなぁと思っていましたが、その後蕭白の影響はあまり見られなくなくなりました。図録によると「奇想の系譜」を著した辻惟雄氏の談話の中にこんな箇所がありました。「(蕭白は)自分の気質とはあまりにも合わなかったのか。」「蕭白の絵のような奇矯さとは無縁の人ではないだろうか。」「非常に健康的な精神の持ち主であったというように私は思います。」という文章を拾い上げると横山崋山の画風が多少見えてきます。素朴な疑問としては、これだけの画家が何故今まで埋もれていたのか、図録には画業を体系的に捉えた文章がありました。「崋山の名品はその多くが欧米へ早くに持ち出されてしまい、それによって国内で崋山の画業を顧みる機会が減じたのは否めない。~略~さらに、崋山が御所障壁画の作画に携わっていない点は、関心を持たれず研究を遅らせた原因の一つと考えられる。~略~『略伝』には『崋山豪放にして当時の画家と敢テ交流せず』と記されるが、崋山は人付き合いが苦手だったのかもしれない。」(八反裕太郎著)絵は器用なのに人は不器用で世渡り下手な大酒飲みであるならば、世間に忘れられてしまうのも頷けます。本展の要である代表作「祇園祭礼図巻」は別の機会に書こうと思います。

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