人生の岐路を思う

自分のことは好きか嫌いか、単純な問いかけですが、答えは単純ではなさそうです。服を脱ぐように肉体を脱ぐという新聞掲載の詩人のコトバがありました。もしそうであるならば、肉体と魂を別物として考えると、私の自分に対する嫌悪感は多少変わってきます。私は彫刻を学ぶ前からギリシャ彫刻のような理想的な人体の美的比率に憧れを持っていました。自分の背格好を見るにつけ、私は自分の肉体に絶望してきました。私は子どもの頃から鏡を見たくないと思い続けた人間で、20代で欧州に暮らしていた時は、街行く人を眺めて尚更その思いに苛まれました。反ナルシスト宣言をしたいくらいでした。ただし、内面に秘めたものに私は一縷の望みを見ていて、自分の首尾一貫した姿勢を可としています。人生60年の辿った道を見ると、私はどうやら軸足が動かないことが判ってきました。20歳の頃に志した芸術への夢を今も追っているのがその証拠です。それを魂と呼ぶならば、私の魂は決して器用ではなく、立ち居振る舞いも上手とは言えず、社交性にも欠けている嫌いはありますが、唯一、こうしようと決めた志の炎を長く消さずにいることが出来るのです。これは私にとって利点です。自分は至極当然なことであっても、人には容易なことではないと家内に言われたことがありました。人生の岐路に立った時に、私は言い訳をしてきませんでした。自分を誤魔化すこともなくここまで歩んできました。他者を羨んだことは数知れず、嫉妬もありましたが、結局のところ周囲に振り回されることもなく、自分を見失わなかったことが救いなのかなぁと述懐しています。肉体は加齢とともに劣化してきますが、精神や魂と呼ぶものは場合によっては深層化し、満足が与えられることがあるのかもしれません。それでも私は現状に精神的な満足を得ているわけではありませんが、歩んだ道が間違ってはいないことは確かだろうと思っています。人生の岐路はどこにあったのか、脇道に逸れなかった自分には見当もつきませんが、きっとあの時にあの選択をしたんだなと思う節があります。自分がぶれることがなく自然に歩いてきた人生です。これからも摂理に逆らわず黙々と歩いていこうと思っています。

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