詩人の死生観について

「ぼくは死は生と地続きだ思っているんです。肉体は服を脱ぐように脱げるもので魂は生き続ける。だから、妻や友人たちを思い出すということは、彼らが、俗世間で生きているぼくたちとは違う形で生きているんだと思っているし、そう思いたいんですよ。」これは今朝、職場に届いていた朝日新聞に連載されている「語るー人生の贈りものー」欄にあった記事の一部です。「語るー人生の贈りものー」欄に現在連載しているのは詩人谷川俊太郎氏とのインタビュー記事で、谷川ワールドのファンである私は、これを毎日楽しみにしているのです。連載記事を続けて読んでいくうちに、この詩はこういう状況の中から生まれてきたのかという動機捜しにもなって、抽象的と受け取っていたコトバの意味が急に具体性を帯びてきます。私たちと同じように人生に右往左往してきた人が、その都度コトバを結晶化させていく過程にスリリングな興奮を覚えるのは私だけでしょうか。それこそが、その人が詩人になっていく瞬間であると私は認識しています。今回は詩人の死生観とも言うべき考えが綴られていました。親しい人たちを見送り、一人残った詩人は、死と生の境についてイメージしています。死と向き合っているからこそ生まれてくる表現があるはずで、そうしたコトバを咀嚼して私も残りの人生をイメージしていきたいのです。死があるからこそ生が輝くという意味合いのことを、私は20代の頃ウィーンの世紀末芸術を観て感じていました。生き急いだ夭折な芸術家を評して誰かが語ったコトバかもしれません。詩人のように私も作品を通して死と向き合う日が来るはずです。それがいつかは分かりませんが、今は生を輝かせる作品作りに励みたいと思っています。

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