初台の「イサム・ノグチー彫刻から身体・庭へー」展

最近まで読んでいた「イサム・ノグチ 庭の芸術への旅」(新見隆著 武蔵野美術大学出版局)の印象も覚めやらぬうちに、東京初台にある東京オペラシティ アートギャラリーで表題の「イサム・ノグチー彫刻から身体・庭へー」展が開催されていたので、早速見に行ってきました。世界的に活躍した日系アメリカ人の彫刻家イサム・ノグチは度々私のNOTE(ブログ)に登場していますが、作品を見るたびに新たな発見がある不思議な巨匠だなぁと思います。図録から文章を拾ってみると「『眼』に偏重したモダニズムに反旗を翻して、ノグチは、五感、そして誰にでも容易に体験出来る、『触覚的記憶』に彫刻の基盤をおいた。幼い頃からの遊び場、その音や声、そして光や涼やかな空気を、呼び起こす場。ノグチにとって、そして私どもすべての人間にとっての、母の温かい背中、自らの肉体の奥底に今も疼く、記憶の原古里としての『母』へと回帰できる、稀有で特権的な庭なのであった。」(新見隆著)従来のモダニズム美術の枠に収まらないノグチの表現は、常に私を魅了し続けてきました。展示はノグチが若い頃滞在した中国の北京で描かれたドローイングから始まり、日本で作った陶彫作品の数々、和紙を使った照明器具AKARIのバリエーション、庭を想定した広場のプラン、ノグチの代表作品群とも言える石彫の数々がありました。「触覚的記憶」と言うならば、表現媒体全てがそれを追求しているように思われます。私にとって新たな発見は、AKARIと石彫との間に流れている色香のような空気感が、清涼な感覚を呼び起こして、その作品周辺に豊かな空間を感じさせてくれたことでした。こんなに多くのAKARI作品群と石彫作品群を隣り合わせてみる機会がなかったので、その重量差もさることながら、双方に流れている風のような色気漂う気配が、何とも快くて心が解放されました。まだ語り足りないことがあるので、また機会を改めて同展の感想を述べてみたいと思います。

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