現象学とは何か?

先日から現象学に関する書籍を読み始めています。そもそも現象学とは何を対象にした学問なのでしょうか。「経験の構造 フッサール現象学の新しい全体像」(貫茂人著 勁草書房)によれば「伝統的哲学用語で言えば、現象学であつかうのは『認識論』と『存在論』だ。認識論は、われわれが見たり考えたりしたことが錯覚や思い込みではなく、認識もしくは正しい知識の名に値するのはいかにしてかという問題をあつかい、存在論は、何かがそこに〈ある〉とはいかなることかを問題にする。」とありました。目の前に存在するモノがどんな見え方をし、その「現れ」に対し、構造的な「明証」を考えていくのが、些か短絡的ではあるけれども、現象学の学問としての存在理由だろうと思いました。彫刻家ジャコメッティがモデルに対し、自分の視線から垂直に測る奥行を表現しようとして、対象が針金のように細くなっていったことを、モデルを務めた日本人哲学者が書き残した書籍より知ることが出来ました。モデルの「現れ」に対し、ジャコメッティなりの解釈を行った結果が作品として現存していますが、芸術と異なり、学問は経験として見える表層ではなく、経験に内属した視点によって、モノの構造を分析し、実在を解明するもので、その思考は空間をテーマにする自分にとって大変有益だろうと思っています。ただし、久しぶりに接する哲学書に、私は再度慣れなければ先を読み進めることが出来ず、通常の生活用語とは違う語彙の解釈に、ちょっと面食らっています。あぁ、これが哲学だなぁと思いつつ、現象学の大家フッサールにいつになったら辿り着けるのだろうと、険しい岸壁をもつ大きな山を見上げているところです。

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