「抽象的なフォルム」について

現在、職場で時折読んでいる「見えないものを見る カンディンスキー論」(ミシェル・アンリ著 青木研二訳 法政大学出版局)は、フランスの著名な現象学者がカンディンスキーの抽象絵画理論考察を試みた著作です。本書は決して平易な文章ではなく、私がこれから挑もうとしている現象学とは何かという伏線にもなっていて、少しずつ考察を読み解きながら、カンディンスキーが提唱した「目に見えないもの」が絶対的主観性の内在性からくるもので、そこに抽象的なフォルムに辿り着く行程が、浮き彫りにされているのに気づきます。今日の表題になっている「抽象的なフォルムー要素の理論」から引用すると、「『点・線・面』の冒頭で、カンディンスキーは、分析とは『芸術を解剖する』ことを意図した分析であると見なし死の同義語であるとするような主張に反駁を行っている。こうした分析は逆に生を意味するのであり、そのことは、分析とは(このことばにフッサールが与えた現象学的な意味で)、ものの本質に、目下の場合は純粋な絵画的要素にわれわれを連れ戻す本質的な分析であるということから来ている。ところで、絵画的要素の本質とは、まさしく抽象的内容、この要素が表現したいと思っている目に見えない生なのである。」とありました。また、「あらゆる絵画の内容が抽象ということばの表わす根本的な内在性であるとき、内部で絵画の内容の表現がなされるフォルムそれ自体がこうした意味で抽象的であるとき、生がおのれの〈住まい〉である〈目に見えないもの〉の次元でそのエッセンスを惜しみなく与えていなかったとすれば、いかなる絵画一般、いかなる芸術一般もあり得ないだろう。」と述べられていました。写実絵画であろうと抽象絵画であろうと、あらゆる絵画は抽象的フォルムに包摂されるというのが、著者の主張なのだろうと思います。

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