「トテゴリー」について

先日、読み終えた「アートと美学」(米澤有恒著 萌書房)の第五章では「トテゴリー」について考察しています。トテゴリーとは何か、章の扉に「ロゴスの見直し、西欧的文化伝統そのものの見直し、それをトテゴリーと呼ぶ」とありました。何かしっくりいかないので、本書の中を探ってみると、理性の自己検証に入らない感覚的なもの、たとえば神話の世界、神々による「宣り」が、雑駁に捉えればトテゴリーというわけです。トテゴリーの対比としてはカテゴリーがあり、範疇と訳されています。文中より「事物を人間の理解可能な範囲へ持って来ること、すなわち事物を『概念』へ変換すること、これがカテゴリーの役割である。~略~人間は生得的に『感覚する』能力と、『思考する』能力を持っている。思考する能力を《純粋悟性概念》といい、純粋悟性の機能はカテゴリーを介して発揮される。その意味で、カテゴリーは純粋悟性の『概念』なのである。」とありました。カテゴリーの説明によって、対比概念であるトテゴリーの意味が浮かび上がってきます。そうした論理の展開の中で、本書では現代芸術におけるトテゴリーを語っている部分があります。この引用を持って、本章のまとめにしたいと思っています。「思えば、ダダイストのデュシャンが『芸術は制度』にすぎぬことを発き、しかもこの『発き』の企てそのものを『芸術作品』に仕立てようとして以来、芸術は一方で建設的であり、また一方では破壊的であった。建設と破壊、それが芸術が『自己立法』の名の下にするトテゴリーであった。芸術のトテゴリー、一面で反省と実験である。しかし、それは『芸術』に与えられた制度的特権をもって、とことん自分を揶揄し曝しものにすることでもあった。自分を『茶にする』、『自分でおどけてみせる』ことまで、芸術のトテゴリーの課題にしたのである。哲学のトテゴリーには、思いも及ばぬ所である。」

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