「フォルム」について

職場に持ち込んで休憩時間に読んでいる「見えないものを見る カンディンスキー論」(ミシェル・アンリ著 青木研二訳 法政大学出版局)の中で、カンディンスキーが唱えるフォルムについての考察がありました。「〈内部〉にもとづくこうした決定が根源的であること、その決定は絶対的な必然性にしたがって行われること、この〈内的必然性〉は、それに従属しているフォルムにとって自由を意味すること、この〈必然性〉は『純粋芸術』としての芸術一般の自由をあきらかにしていること、以上がことが少なくともひとつの事態を説明してくれる。つまり、あらゆる真正な作品から出てくる必然性の印象そのものということであり、それとは逆の偶然性ということであり、極言すれば平凡な絵画の特徴になっている根拠の欠如ということである。」フォルムの概念とは何か、内的必然性を秘めたフォルムには自由で真正なものが宿るとでも言っているのでしょうか。同じ趣旨で言い方を変えた箇所を探すと、「フォルムは、自己が表現すべき使命を有する当の抽象的な内容によって決定されており、内容によるフォルムのこうした決定とは、あらゆる真正な絵画が依拠すべきであり、現に初めから依拠してもいる〈内的必然性〉の原則なのである。」というカンディンスキーの主張は、今読むと定説になっていると感じるところですが、改めてフォルムについての考えを再度見直してみる機会と捉えてもいいかなぁと思います。何でもありきの現代アートの世界で、そうした動きを最初に唱えた「芸術における精神的なもの」、カンディンスキーの芸術の提唱は、混沌とした現代にあっても新鮮さを失っていないと感じるのは私だけでしょうか。

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