「ゼロ時間」アンゼルム・キーファー

ドイツの画家アンゼルム・キーファーに興味を抱いたのは、1998年に箱根の彫刻の森美術館で開催された「アンゼルム・キーファー展」を見たことに端を発します。ナチスの負の歴史を直視し、ナチス式敬礼の写真を展示して物議を醸した芸術家は、その後もナチズムを白日に晒す作品を作り続けました。彫刻の森美術館では藁や炭化された木材、またコールタールで塗りこめた巨大な作品が壁を覆っていて、その素材感に圧倒されたのを今も覚えています。その時は題名に気を留めていなかったのですが、キーファーは主題や意味を尊重する芸術家であることを後になって知り、その意図を汲むべきだったと後悔しています。キーファーの作品には聖書や神話、さらにユダヤ教の神秘思想とも言うべきカバラ哲学も創作動機に入ってきていて、それを知るには芸術家個人の経験としての背景があるのだろうと察します。現在読んでいる「絵の証言」(佃堅輔著 西田書店)の23人の芸術家のなかに、キーファーに関する章があり、キーファー自身の言葉が掲載されていました。全文引用いたします。「天使の非難。ドイツにおけるゼロ時間?だが、そのとき、すばらしい空〈から〉の空間を、つまり開始の場所を創造した慈悲深い天使はいなかった。なぜなら空〈から〉の空間はふさがれ、やがて使い古された事物と言葉で満たされたからだ…。廃墟は素早く取り除かれ、打ち砕いたコンクリートは廃棄処分された。沈黙の廃墟は、天使の空〈から〉の空間ではない。瓦礫は単に終わりではなく、開始でもある。いわゆるゼロ時間は、実際には決して存在しなかった。瓦礫は、絶え間なきメタボリズムが光を放つ頂点の植物の開花のように、再生の開始なのだ。そしてふたたびふさぐものを、空〈から〉の空間から長く押しだすことができればできるほど、鏡に映った像のように未来と共に進む過去を、より完全に、そしてより集中的に協調することができるのである。時間ゼロは存在しない。空〈から〉は、常にその正反対のものを自己の内部にもたらすのだ。」

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