「第二の自我」エゴン・シーレ

現在読んでいる「絵の証言」(佃堅輔著 西田書店)のトップを飾るのはオーストリアの画家エゴン・シーレです。私が若い頃に滞在したウィーンでは、シーレの絵はクリムトとともにポストカードやポスターになっていて、近代を代表する芸術家の筆頭でした。ベルヴェデーレ宮殿に展示されているクリムトとシーレは、師弟関係にありながら表現手法はまるで異なります。若かった私が最初に陶酔したのはシーレでした。シーレは享年28歳、既に28歳になっていた私は自分の表現すら見つからず、異国を彷徨う始末で、シーレの画業が眩しくて仕方がなかったのでした。どんな走り書きしたデッサンでもシーレの作品は、シーレそのものでした。奔放な個性と激情、しかもその説得力はどこからくるのか、当時同じ歳だった自分は己の表現の不甲斐無さに萎れていました。本書が言う第二の自我とは何か、文中からその部分を拾ってみました。「彼の制作は、表現が過剰であるため、自画像とすぐ見分けがつかないが、外見から個人の特徴が少なからず認められる。だが、個人の特徴は否定されている。鏡面に歪んで映し出される自我は、本来の自我の鏡像ではなく、その鏡像は、おそろしく疎外された第二の自我に焦点を求めてくる。~略~シーレの形態は、尖ったものと切り立ったようなもの、角のあるものと極端なもの、角張ったものと骸骨のようなものである。それは単に、ぎりぎりの線にある緊張した空間に収められているだけではなく、人物の身体の外観からも納得させられよう。この身体がどれほど精神的重圧に耐えねばならないとしても、身体の解剖学は、それでも正しい。どんなに激しい表現であるとしても、わざとらしく感じさせる自然のデフォルメに至らない。」これがシーレの絵画に説得力を与えている要素なのだろうと思いました。

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