親密な友人関係、そのドキュメント

現在読んでいる「触れ合う造形」(佃堅輔著 西田書店)の中に、表題にある画家同志の友情を取り上げている章があります。画家の友情とはドイツ表現主義のキルヒナーとブライルのことです。フリッツ・ブライルは私にとって未知の画家で、作品すら見たことがなかったのでした。調べてみるとブライルは1880年から1966年まで生きた人で、享年88歳というのは当時としては長生きだったと思います。彼は教職に就いたり、建築事務所に勤務していたので、画家としての活動は短かったようです。ドイツ表現主義の数あるグループに「ブリュッケ(橋)」という集団があり、キルヒナーとともにブライルはここに参加していました。2人の出会いに関する文章があります。「ブライルもキルヒナーも建築の勉強を選択した同志だった。だが、それは美術アカデミーの教育が、子供の将来にとって、経済的に何ら保証するものではない、という親の強い考えに従わざるをえなかったからで、『味気ない職業』の選択となったのだ。」これは国は違えど、私も共感できるところだなぁと思いました。ドレスデン工科大学で2人は親密になり、一緒にスケッチに出かけることも屡々あったようです。「ブリュッケ」に関してキルヒナーが木彫した宣言文があります。「進歩を信じ、創作し鑑賞する世代を信じて、わたしたちはすべての若者に集まれと大声で叫び、そして未来を担う若者として、ぬるま湯につかっている古い力に反抗し、技術および生命の自由をつくりだそうとするのである。直接に偽らずに、自己の創造へと駆り立てるものを表現する人はすべて、わたしたちの仲間なのだ。」その「ブリュッケ」以降、2人の道は大きく分かれました。キルヒナーの作品はナチスにより「頽廃芸術」の烙印を押され、次の一文にあるような状況に陥りました。「彼は『ドイツにおける誹謗』にもはや耐え切れなくなり、スイスに逃れ、ダヴォスで1938年6月15日、みずから命を絶った。38歳の短い生涯だった。芸術家の不安定な生活よりも、家族の経済的に安定した市民生活を選んだブライル…」とあり、ブライルは1966年まで生きて生涯を全うしたのでした。ブライルは「市民的な観念世界を超えるエキセントリックな自由の精神」(A・ブラトマッハー)の持ち主だったキルヒナーとは、まったく異なった運命が待っていたと言っても過言ではありません。芸術家の生涯について、そしてどこに人生の価値を置くか、対照的な2人を見ていると私は真摯に受け止めざるをえません。

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