渋谷の「オットー・ネーベル展」

先日、渋谷にあるBunkamuraザ・ミュージアムで「オットー・ネーベル展」を見てきました。ネーベルは私には馴染みがない画家でしたが、彼が生きた時代や国を考えると、私自身が今まで興味関心をもって調べてきたことと合致する背景があったので、どうしても展覧会を見てみたかったのでした。期待は裏切られず、ネーベルを含む多くの作品や資料によって、20世紀初頭のドイツに興った現代美術の潮流を肌で感じることが出来ました。画家であり文筆家であり、また俳優でもあったオットー・ネーベルは1892年にベルリンで生まれています。最初は建築技師としての教育を受け、続いて演劇学校で俳優としての養成を受けていました。第一次世界大戦で従軍したネーベルは収容所で芸術活動を活発化させていきます。図録にネーベルの言葉が掲載されていました。「そうだ、私は迷うことなく、そして新たな強制的状況による様々な障壁にもかかわらず、外面的には収容所の規則によって拘束された形で、厳格に意味を追求する創造的な生を送り始めた。静かな夜に熟睡した後に、私は素描し、文を書き、色彩画を描いた。」(S・ビフィガー著)そんなことが契機になってネーベルは、作品世界を広げていきます。時代背景としてネーベルが5歳の時に、クリムトがウィーン分離派を設立し、27歳の時にバウハウスが設立されています。この時代は、画家として先輩だったカンディンスキーやクレーが活躍し、非対象絵画が産声を上げた時期だったのです。41歳の時にヒトラーが政権掌握し、第二次世界大戦が勃発して、ネーベルは亡命を余儀なくされ、スイスに逃げていくことになります。ネーベルは終戦後も生き続け、81歳でその生涯を閉じました。ネーベルが残した資料に「カラーアトラス」と称する色彩地図帳があります。私はこれに注目しました。「カラーアトラス」に関しては、後日改めて書こうと思っています。

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