自己表現の確立

大学で人体塑造を学んでいた頃は、立体の捉えを粘土でデッサンするように教わりました。回転台を回しながら量感が正確な位置にあるかどうか、そうした行為に夢中になっていた時期がありました。周囲の友人たちの中で誰が一番巧みに塑造を捉えているか、工房を見渡せば一目瞭然でした。それ故他者との競い合いがあって、学校で学ぶ意義があったと思っています。当時の彫刻研究室は多くを学ぶというより、深く追求する姿勢があったように思います。彫刻は制作スパンが長いので、現在でもそうかもしれませんが、技術ひとつとってみても4年間は短いなぁと感じました。基礎を学ぶだけで過ぎてしまった大学時代でしたが、自己表現なるものを確立するためには相当な時間が必要だと思っていました。私は不器用なので、時間も労力も人一倍かかると認識していましたが、予想通り、現在のスタイルになるまでは紆余曲折がありました。海外にいた頃、一旦彫刻的な捉えを止めて、作品を絵画に近づけていこうとした時期がありました。その頃はレリーフ化した塑造作品を多く作りました。石膏直付けで、ウィーンの旧市街を象徴化する試みをやっていました。今まで苦労してきた人体塑造は一体なんだったのだろうと思いましたが、今までの方法では自分を活性化できないことを悟って、彫刻の概念から外れる作品を作ろうとしたのでした。日本の大学時代に抽象化を試みたこともありましたが、今ひとつしっくりいかず、作ってもほとんど壊す結果になりました。今思い返せば、当時異文化の中で上手く発散できない気持ちの高まりが、抽象作品として結実したように思っています。単純に構成された立体にレリーフを施す、現在まで続く原型が誕生した瞬間でした。それでも自己表現の確立とまではいかず、都市そのものを造形化する現在のスタイルを見出すには、エーゲ海沿岸の遺跡に遭遇するまで待たなければなりませんでした。どこで自己表現が確立されるのか、何かの契機と偶然の出会いがあったのか、あるいは思索を追求する中で意図して行われる営みなのか、私には明確な答がありません。自己表現には流動的な部分があるからです。来週から12回目の個展が始まりますが、ずっとスタイルを変えないでやってこれた自己表現なるものを、今一度振り返って考えたいと思っています。

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