西欧思想に於ける芸術の意味

現在読んでいる「芸術の摂理」(柴辻政彦・米澤有恒著 淡交社)には、「美学と倫理学」という章があって、西欧思想による芸術の成り立ちを解説した箇所があります。美学史的論稿という副題がつけられている米澤有恒氏による文章です。私は哲学の中で論じられる美学や芸術に関して興味関心を抱いているので、とつおいつ論稿を読ませていただきました。美学は18世紀に生きたドイツの思想家バウムガルテンによって創始されました。美学とは何か、「可知的なもの、すなわち上位能力によって認識されるものは論理学の対象であり、可感的なものは感性の学として美学の対象である。」という一文をネットで見つけました。つまり美学は知性ではなく感性を扱う学問だと言えます。それを哲学者カントは自著「判断力批判」の中で、しっかりとした基礎づけを行いました。カントによると美学は「自然美の哲学」であり、批判主義的な「神学的美学」でした。そこにヘーゲルの提唱した「芸術美の哲学」が登場したのでした。米澤氏による文章を引用いたします。「(ヘーゲルは)芸術が模倣に留まることを戒めている。受動的に模倣するだけでは、自然を不定の美のままに放っておくに等しいからである。~略~人間の精神は現状を打開してよりよいもの、よりふさわしいものへと向かう、つまり本質的に創造的、前進的だからである。芸術が人間精神に不可欠な活動である以上、芸術が創造的なのは決まっている。たしかにヘーゲルの考え方は革命的だった。~略~ヘーゲルの思想はこの思想を人間精神に即して換骨奪胎し、それを完成させたことになる。『完成』の意味はこう、超絶的存在だった神を人間の精神へと内在化し、よってもって、人間精神を新たな絶対者、神の如きものに仕立て上げる結果になったからである。その次第を、ニーチェは『ヘーゲルは神を殺した』と弾劾し、神の不在の咎をヘーゲルに負わせようとした。」とありました。西欧思想に於ける芸術の意味が、こうした哲学の中から定義づけられてきていることを改めて認識し直し、その後、芸術が辿った道を顧みる機会にしたいと思います。

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