Archives for the Month of 3月, 2017

28年度末を迎える

私たちの業種は、年度で人が入れ替わり、4月から新たな出発となります。新聞による人事発表があるので万人が知るところとなり、明日から新メンバーによる新体制で業務を行うのです。私は職場の組織作りを2週間ほど前から始めていました […]

単体が集合する世界

朧気な全体像をイメージしながら、単体となる作品をひとつずつ作っていき、それらを集合させて、ひとつの作品にまとめる世界が私の得意とするものです。自分の資質もあるのでしょうが、昼間は公務員として働きながら、日々単体を制作する […]

気分転換を図る必要性

年度末から年度初めに変わるこの時期は、私に限らず職場の職員全体がストレスを感じる時期でもあります。私たちの異動は新聞で発表されるので、職場周辺の人たちが知るところとなり、とりわけ管理職が異動となれば地域への挨拶回りもして […]

帳尻合わせのRECORD

一日1点制作を課題にして始まった平面作品のRECORDですが、イメージを捻出して下書きを終わらせるのが一日の仕事になっていて、彩色や最終的な仕上げは後日に回していることが多いのです。結果、下書きばかりが先行して仕上がって […]

書類整理と塗装作業

年度が今週で終わるため、昼間の仕事では書類整理に追われていました。私は書類の分類は嫌いな方ではありませんが、分類困難な書類が多く、ファイルの綴じ込みを抜本的にやり直さなければならないかなぁと思っています。こういう仕事は長 […]

今月最後の週末に…

3月もあと僅かとなりました。今日は最後の週末で、新作の制作に精を出しましたが、制作工程はなかなか苦しいものがあります。朝から工房に篭って作業をやっていましたが、今日は雨模様で冬が再来したような寒さがあって、さすがに気が滅 […]

週末 陶土の再生

今日は職場に用事があって、ちょっと顔を出さなければならず、工房に一日中篭ることが出来ませんでした。限りある時間でやった作業は土練りでした。前に作っていた陶彫部品で、成形や彫り込み加飾が終わり、乾燥を待っていた作品が、乾燥 […]

彫刻が占める空間

ひとつの彫刻は周囲の空間をどのくらい変えられるのか、そこに彫刻が置かれるだけで空間が変容することがあるのか、こうした自問自答を常に携えて私は制作をしています。それは彫刻に限らず、茶室に飾られた一輪の花にも、日本古来の床の […]

個を点在させる空間

「イサムノグチ庭園美術館」の野外工房とも言うべき「石壁サークル」は、開放的で豊かな空間が広がっています。個々の作品を作るために設置した石材が、ひとつずつ異なる主張をしているにも関わらず、個体同士が響きあい、見えない緊張の […]

「イサムノグチ庭園美術館」再訪

「イサムノグチ庭園美術館」は、私にとって彫刻が置かれている空間の刺戟や、造形の素晴らしさを与えてくれるスピリットに富んだ美術館なのです。イサムノグチは彫刻だけではなく、さまざまな分野に創作活動を展開し、縦横断的な現代美術 […]

高松の「ジョージナカシマ記念館」

先日、香川県高松に行った折に米国籍の日系二世であるジョージナカシマの記念館に足を運びました。木工家具作家であるジョージナカシマの作品は、私が最近知ったもので、その独特で自然のフォルムを最大限に生かした家具に忽ち魅了されて […]

三連休 最終日は制作三昧

三連休の最終日になりました。邦楽器の演奏がある家内を車で公会堂まで送った後、飼い猫のトラ吉を行きつけの動物病院内ペットホテルへ迎えに行きました。私たちは香川県高松に旅行していたのでトラ吉をペットホテルに預けたのでした。そ […]

三連休 高松市街の散策

昨日から香川県高松に来ています。泊まったビジネスホテルは街の中心である兵庫町にありました。今日は市街を徒歩で周ることにしました。アーケードのある商店街を散歩して、朝9時半に高松市美術館に着きました。エントランスに巨大な石 […]

三連休 香川県高松へ

三連休の初日です。今日から家内と1泊2日で香川県高松へアートに触れる旅行に出かけることになりました。羽田空港発9時25分、ほぼ1時間程度で高松空港に到着しました。リムジンバスに乗ること40分、高松市の繁華街である瓦町で下 […]

明日はイサム・ノグチ巡礼

日系の米国人彫刻家イサム・ノグチを、私はいつ頃知ったのだろうと思い返していますが、定かではありません。彫刻を学んでいた大学時代にはその存在を知っていました。日本で開催された展覧会には全て足を運んでいます。石彫、陶彫、舞台 […]

空間認識について

自分がどんな自宅や職場で一日の生活をおくっているか、顧みると自分が認識する空間への意識が導き出されてきます。日本の住宅事情は世界的に見ても決して良いとは言えず、ほとんどの人が狭い室内で効率よく生活していると考えています。 […]

「発掘~座景~」土台修整

毎晩というわけではないのですが、最近はかなりの頻度で夜の工房に通っています。それだけ新作の完成ハードルが高いのです。夜の工房では電動工具で音を出すことを止めています。工房は亡父の残してくれた植木畑にあり、その周囲には閑静 […]

散歩から発想する造形

もう30年も前の話ですが、ウィーン国立美術アカデミーに通っていた私は、憧れの留学が叶ったにも関わらず、現地の学生となかなか馴染めず、ドイツ語を使うのも億劫だったため、語学は一向に身につきませんでした。私は外向的ではないこ […]

3月RECORDは「こわす」

芸術家として破壊と創造を繰り返したのは、有名な人物として20世紀の巨匠パブロ・ピカソが上げられます。ピカソの創作の現場を追ったドキュメンタリー映画を観たことがあり、そこで画面に展開する破壊のエネルギーに感銘を受けた記憶が […]

週末 佳境を迎えた新作

朝から工房に行きました。今日もスタッフが来ていて、いつも通りの制作風景でした。今日は「発掘~宙景~B」のテーブルに吊り下がる陶彫部品のうち、2段目にあたる部品の成形をやっていました。「発掘~宙景~A」の陶彫部品は2段目ま […]

週末 工房で黙祷

今日は昨日開催した大きなイベントの疲労が残る一日でした。スタッフが2人来て、工房でいつものように制作が始まりましたが、今日という日は防災を考える特別な日でした。ちょうど6年前に東日本大震災があり、毎年この日は黙祷を行って […]

年度末の祝祭的儀式

私の職場には、年間を通して幾つかの儀式や行事があります。橫浜市公務員として、こうした活動がある職場が、どのような職種かを思い浮かべるのは、想像に難くないところですが、情報の拡散を恐れて、敢えて具体的な職種は伏せさせていた […]

西欧思想に於ける芸術の意味

現在読んでいる「芸術の摂理」(柴辻政彦・米澤有恒著 淡交社)には、「美学と倫理学」という章があって、西欧思想による芸術の成り立ちを解説した箇所があります。美学史的論稿という副題がつけられている米澤有恒氏による文章です。私 […]

芸術と猥褻の狭間で…

映画「エゴン・シーレ 死と乙女」では、シーレが描いたデッサンがポルノグラフィーとして烙印を押され、13歳の少女を誘惑したとして、シーレは逮捕され、裁判にかけられます。裁判所は訴えを却下しましたが、作品は焼却されてしまうの […]

私の中のエゴン・シーレ

私がエゴン・シーレという画家の存在を知ったのは、「見えない彫刻」(飯田善国著 小沢書店)という書籍からでした。同書の初版が昭和52年なので、私は刊行後すぐ購入しました。同書にあった「予感的存在者としての…エゴン・シーレ」 […]

映画「エゴン・シーレ 死と乙女」雑感

先日、橫浜のミニシアターで「エゴン・シーレ 死と乙女」を観てきました。図録の中にあった「愛の不毛の中で、誰ひとり幸せにならなかった。ただ数々の傑作だけが残った。」(中野京子)というフレーズが目に留まり、感想としてまさにそ […]

週末 陶彫成形のやり直し

今日は朝から工房で制作に明け暮れました。スタッフは2人来ていて、それぞれの課題に向き合っていました。職場から絵を描きに来た職員も遅れて到着しました。今日の工房は賑やかでした。通常通りの制作風景でしたが、乾燥を待っている陶 […]

週末 映画&工房での制作

3月に入って最初の週末を迎えました。今日は朝から横浜のミニシアターに出かけ「エゴン・シーレ 死と乙女」を観てきました。家内が1泊2日の小旅行に出かけたため、工房に出入りしているスタッフを連れて行きました。朝9時から映画を […]

彫刻の抽象化について

日本では西欧から彫刻の概念が輸入されたのは歴史的には浅く、ロダンやブールデルに学んだ日本人彫刻家が、内面から迸る動勢やリズムを塊として捉えた人物像を制作していました。西欧の新鮮な空気を纏った具象彫刻に、学生だった私も影響 […]

「中島修論」② 彫刻の周辺について

「芸術の摂理」(柴辻政彦・米澤有恒著 淡交社)の中島修論に「石が勝手に自己言及していって生まれた位相彫刻」という副題がついています。これはどういうことでしょうか。本文を引用します。「彼の話を聞いていて思うのだが、どうも、 […]

微妙な気分で迎える3月

再任用管理職として年度末を迎えています。若い頃の計画では、定年退職したら晴れて彫刻家を名乗り、創作活動に邁進すると考えていました。当時は作業場もままならず、個展さえ憧れの対象であった頃の話です。その頃培った造形イメージは […]