M・Cエッシャーの夢
2016年 12月 21日 水曜日
現在読んでいる「シュルレアリスト精神分析」(藤元登四郎著 中央公論事業出版)の4人目に登場する画家はオランダ人のM・Cエッシャーです。エッシャーの絵画に関しては、自分が10代の終わり頃、トロンプルイユを多用した版画作品を知って衝撃を受けた記憶があります。今年の10月に橫浜のそごう美術館で「エッシャー展」があり、久しぶりにエッシャーの世界に触れて、心底楽しみました。本文の中にエッシャーの世界観を語る上での夢の精神分析を引用した箇所がありました。精神分析と言えばフロイトですが、ここではさらに分析を先に進めたフーコーの理論が用いられていました。フーコーは、夢の源泉が無意識の抑圧ばかりではなく、「特殊な形式の経験としての特権」であることを主張して、エッシャーの夢性を裏付けていました。カーターによる認知科学の一文も併せて引用します。「認知科学によれば、物がどうみえるかを決めるのは二つの要素がある。ひとつは遺伝子で、もうひとつは経験を経て形成された脳のパターンであるといわれている。したがって、私たちがみるものはそこに厳然と存在しているものであると限らないのである。『人が見る場合には、認識しやすい要素だけを拾いだし、頭の中で構築した図像に過ぎない』(カーター)こういう次第で、私たちの意識には『内と外』、『上と下』、『直線と曲線』などの基本的なパターンを反射的に認識するのである。エッシャーの作品は、これらの反射的認識の回路を解体し、認識のプロセスを混乱させるので、常に衝撃を与えるのであろう。~略~エッシャーの作品の非合理性あるいは認知感覚は、夢と同様に、認知の反射的回路を攪乱するのである。しかし夢とエッシャーの作品の根本的な違いは、夢の出来事が驚きや恐怖を引き起こすのに対して、彼の作品は自己の存在を脅かすような感情を引き起こすことはないということである。このことは、彼の作品がきわめて知的で緻密に計算されたものであることを示している。」