漱石没後100年に思う

文豪夏目漱石が亡くなって今日が100年目にあたる命日だそうです。大学の研究室が開発した漱石のアンドロイドがマスコミに紹介されていました。齢49歳で逝去した漱石は、早くして世を去った印象を拭えません。中学生の頃から読書癖があった自分は、漱石の小説に親しみました。日本の文豪の中でも一番作品に親しんだ作家と言えます。漱石ワールドの導入として「坊っちゃん」と「我輩は猫である」を読み始めました。その2つの小説は中学生だった私の気持を掴み、大変面白く読んだ記憶があります。言い回しの古さにも感銘して、当時の私の文章は恥ずかしいほど影響を受けていました。猫の眼を通して人間観察する場面では、その表現の巧みさに何度も笑わされてしまいました。20代でもう一度読み返したときには、中学生の頃には気づかなかった奥深い意味が理解できて、これは愉快なだけで終わってはいない小説であることを認識しました。抱腹絶倒な文章に多少苦みを感じたのもその頃でした。晩年の「こころ」に見られる倫理観の葛藤のような内面に迫る小説は、中学生の頃には完全に理解できず、年齢を重ねて漸く分かった次第です。夏目漱石が時代を超えて愛されている理由は、自己を含む人間の寄る辺ない存在の描き方が現在でも通用していて、年齢ごとの読書選択によって深い深層心理へと導かれるからではないかと思っています。「我輩は猫である」を傍らに置いて、飼い猫を観察していると、猫が逆に私を観察していて、その場その時の行動や思考を猫が批判しているように思えてきます。じっと遠くから私を見つめる猫の目力に、つい意識してしまう情けない自分がいます。

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