東京上野の「禅」展

禅という思想は、日本人より寧ろ外国人、とりわけ欧米人に人気が高く、東京国立博物館平成館で開催中の「禅ー心をかたちにー」展にも多くの外国人が訪れていました。本展ではずっしりと重い立派な図録を用意していて、展示の内容も充実したものになっていました。よくぞ日本全国の禅寺からこれだけ多くの収蔵品を集めたなぁと会場を巡りながら感じました。その中には有名な作品も含まれていて、私は旧友に出会えたような喜びもありました。禅の思想はおよそ1500年前に達磨大師によってインドから中国に伝えられ、臨済義玄禅師によって広まり、日本には鎌倉時代に入ってきたようです。図録の冒頭には「臨済宗・黄檗宗の源泉に位置する高僧、臨済義玄禅師の1150年遠諱、ならびに日本臨済宗中興の祖、白隠慧鶴禅師の250年遠諱を記念する本展」というのがあります。そもそも禅は、言葉では説明できない、つまり言葉による論理的説明に価値を認めない宗教で、坐禅を通した体験を重視しています。以心伝心の言葉通り、口に出して言わなくても言いたいことは相手に伝わるという概念を宗教まで高めたというわけです。そうした心を扱うのは何も禅に限ったことではなく、中国で禅と対立関係にあった儒教も心を扱っています。図録によると禅と儒教のニュアンスの違いがあるようですが、ここでは深追いはしません。禅による心のかたち、書を含めた視覚表現について書いてみたいと思っています。「臨済義玄は『心にはこれといった形は無い』と述べているが、たとえば、京都の源光庵に有名な二つの窓がある。四角の『迷いの窓』と円形の『悟りの窓』で、迷いと悟りの心を示すとされている。心の様態をデフォルメして象徴化したものであり、ある意味分かりやすい。類似したものとして想起されるものに、仙厓義梵が描いた『〇△□』の墨蹟がある。」(野口善敬 著)という一文が図録にありました。これが心にかたちを与えた動機として平易に理解できるものかもしれません。展示されていた作品は、写実というより象徴化された世界が数多くありました。心にかたちを与えるのは、現在私たちがやっている現代美術にも通じるものがあると思っています。現在の眼で見ても新しさを感じる要因はそこにあるのでしょう。気に留めた作品は数々ありましたが、次の機会があれば取り上げてみたいと思います。

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