カフカ「城」読後感

「城」(カフカ著 前田敬作訳 新潮社)をやっと読み終えました。NOTE(ブログ)のアーカイブを見ると、7月15日から読み始めているのですが、8月と9月の2ヶ月間読書をしなかったので、中断したまま鞄に携帯していました。今になって漸く読み終えた感じです。カフカ文学の特異性や全編に漂う不安定な雰囲気は、どうやら次から次へと読み進めたい気分を剥ぎ取っていくように思えます。これは古城のある小さな村に到着した測量士が、その村の人々の感覚に馴染めず、仕事を依頼された城に近づくこともできず、心理的に疎外されていく物語ですが、自分と多少重なる箇所があるとすれば、20代の頃暮らしたヨーロッパで私は似たような体験をしたことです。ただし、私は留学先の美術アカデミーに帰属意識がありましたが、単に異国と言うだけではすまない根源的な自己疎外感が、この物語の根底にあるようです。というのもカフカ自身の生い立ちに関係していることを「あとがき」で知ったからで、そのうちいくつかの文章を引用したいと思います。「『ぼくは、ぼくの家庭のなかで、他人よりもなおいっそう他人のように暮らしている』のだった。さまざまな世界にすこしずつ属しながら、どの世界にも完全には所属しない、生まれながらの『異邦人』ないし賤民、これが、彼の生誕の宿命的星座であった。」「いかなる世界にも所属できない異邦人であるということは、存在を喪失しているということ、存在の零地点に『流刑』されているということにほかならない。彼は、存在喪失という原罪を負うて生れたのである。彼の生涯の苦悩と努力は、いかにして世界に入場と所属をゆるされ、どうして存在の数値を獲得するか、という一点にかかっている。」これがユダヤ人カフカの生育歴であり、そこから導かれる主張には危険な部分も露見されるのです。「城」に登場する人々から感じられること、それは「理解せずして服従するという不可知論は、政治的にはファシズムへの服従を意味する」ということで、カフカ自身が作品の焼却を遺言したのは、こうした危険性をカフカ自身がよくわかっていたのかもしれません。

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