週末 グローバルな会話

昨日に続き、朝から工房で陶彫の制作をしていました。今日も気持ちのいい秋晴れでした。今日は工房によく出入りしている若いスタッフが2人来ました。一人は東京芸大の大学院生で、工房で修了制作をやっています。もう一人は中国籍の子で、多摩美大で助手をやっています。近々栃木県足利市でグループ展があって、そこに出品する作品を工房で作っているのです。以前は頻繁に工房に来ていた2人でしたが、久々に顔を合わせました。昼食時間に弁当を食べながら、私は彼女たちと会話と交わすうちに、話題はグローバルな視点をもつようになりました。大学院生の子はインドネシアに留学しています。中国籍の子は日本で働いていますが、母国である中国を背負っています。私は20代の頃に5年間オーストリアに暮らしています。今まで私と関わりのあった若い子たちは、全員日本人で将来に不安を抱えながら創作活動をやっていた子たちだったので、会話の質が違っていてグローバルな話題はありませんでした。現在の工房に出入りしている子たちは国際派です。勢い私も昔の苦い留学体験を思い出さざるを得ない状況になりました。会話の口火は中国籍の子が切り出しました。中国人のコピー文化を仕事中に咎められ、彼女は傷ついたけれど、周囲の人たちは助けてくれようともしなかったと言うのです。日本人の中で、唯一中国人として働く者の感情の機微が、周囲の人たちに理解されず、そこがつらいと言っていました。私もウィーンでそんな思いをしたこともありました。西洋起源の彫刻を学びに来ている者のつらさは、時代が変わっても依然としてありました。外国に客人として受け入れられているうちならまだしも、馴染んでいけばいくほど益々自分が背負ってきた文化や国を巡る課題が浮き彫りになってくるのです。グローバルな教育を目指すと各大学は謳っているけれど、本当のところはどうなのでしょうか。草の根的にそれは浸透しているのでしょうか。私は少なからずその時に、自分のアイディンティティを築かなくてはならないと自覚しました。定番の日本伝統文化や風俗を売り物にすれば、外国人はすぐ受け入れてくれます。そうではなく生誕地で培ったアイディンティティで、国を超えて説得できるほどになりたいと思っているのです。そんな大きな視点が会話の中で出てくるのが現在の工房の状況なんだと思いつつ、これは格別に楽しいと感じたひと時でした。

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