文系人間の居場所

今朝、職場にあった日本経済新聞の小さな記事に目が留まりました。「国立大に文系は要らないー。文部科学省が昨年、こう読み取れる通知を出したときに怒ったのは文系の先生たちばかりではなかった。日本学術会議のメンバーをはじめ、むしろ理系の学者、研究者のなかから不用意な通知への異論反論がたくさん上がったものである。『すぐに役立つ学問』を重視する傾向に、理系の人々も疑念を抱いているからこその反応だったろう。とりわけ、地道な基礎研究にたずさわる研究者は『文系つぶし』を他人ごとではないと身構えたという。今年のノーベル生理学・医学賞が贈られることになった大隈良典さんの言葉にも、そうした危機感は色濃くにじむ。~略~なにも賞だけの話ではない。幅広い教養を軽んじ、すぐに目に見える成果のみを求める社会はどうしたって薄っぺらだ。おもしろいヤツの、居場所がない。」この蓮っ葉な言い回しの記事に私も共感を覚えます。成果主義は分かり易い反面、馴染まない分野も理系・文系双方にあります。毎年ノーベル賞を取得している日本人研究者は、すぐに結果のでない地道な研究を重ねている方が多くいられるように思えます。文系の学問をやっていられる方々、芸術分野も同様ですが、文化の振り幅が大きいほど豊かな実りがあるのではないかと私は思うのです。ノーベル賞の時期になると隣国の焦りがネットに掲載されますが、今回特化したものは理系でも、そこには文系やら芸術系やらの厚みのある文化が形成されていて、その中であちらこちらを向いて面白みを感じる人が大勢いるのが文化国家であろうと私は思います。「あの人、何しているの?でもその世界では凄い人みたい。」と囁かれる重層文化社会、そこにノーベル賞が降ってくる、そんなものかなぁと文系人間の居場所を探っている自分は考えました。おもしろいヤツになりたがっているのは決して自分だけではないでしょう。

関連する投稿

  • 「中空の彫刻」読後感 「中空の彫刻」(廣田治子著 […]
  • 「《逸楽の家》」について 「中空の彫刻」(廣田治子著 三元社)の「第二部 ゴーギャンの立体作品」の中の「第6章 タヒチからマルケーサスへ(1895~1903年)」の「3 […]
  • 「結語」について 「中空の彫刻」(廣田治子著 三元社)の「第二部 ゴーギャンの立体作品」の中の「結語」の「1 木彫と陶器」「2 親密な環境における彫刻」「3 […]
  • 「状況-思考の神秘的内部を表すこと」について 「中空の彫刻」(廣田治子著 三元社)の「第二部 ゴーギャンの立体作品」の中の「第6章 タヒチからマルケーサスへ(1895~1903年)」の「1 […]
  • 「文化的総合」について 「中空の彫刻」(廣田治子著 三元社)の「第二部 ゴーギャンの立体作品」の中の「第6章 タヒチからマルケーサスへ(1895~1903年)」の「2 […]

Comments are closed.