「人間モーセと一神教」総括と反復について

「人間モーセと一神教」(フロイト著 吉田正己訳 日本教文社)終結部には、さらに「総括と反復」という最終部分がつけ加えられています。言わばこれは継ぎ接ぎだらけの論文で、時期的に発表を控えてみたり、条件が整って発表してみたりして、フロイトの遺言にしてはきちんと収まらなかった論文であったと言えそうです。それもそのはず、モーセをエジプト人と断定し、モーセがユダヤ教ばかりではなくユダヤ民族をも作ったとしているから、周囲の反発は想像に難くありません。つまり、もともとユダヤ民族なんていなかった、一人の人間が創作した抱き合わせの民族がユダヤ人だとフロイトは言ってしまったのです。そのためユダヤと決めた人々に優越感をもたせるため選民意識を植えつける必要があり、一部エジプトで行われていた割礼の儀式を持ち込んだわけで、簡単に言ってしまえばモーセは遺伝子操作をしたことになります。これは妄想が過ぎるという批判は当然あったでしょう。さらにフロイト流精神分析学の中で重要な位置を占めるエディプス・コンプレックスを当てはめると、息子(民族)による原父殺し(モーセ)があったと結論付けをしています。モーセが自民族によって殺されたという記録はどこにもありませんが、フロイトの理論ではそういうことにしておかないと論理が通らないことになってしまうのです。これは眉唾モノか、論理の飛躍か、物議を醸すことになることは承知の上で、フロイトは自論を発表していたようです。私は日本人なので当事者意識がなく、この唐突にやってきた理論に「へぇ?」と反応するしかありません。折しもナチスドイツによるホロコーストがあった時代です。ユダヤ人は何故徹底的な嫌悪対象になったのか、そこにフロイトにこの論文を書かせた本当の理由があったのかもしれません。

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