「人間モーセと一神教」終結部Cまとめ

「人間モーセと一神教」(フロイト著 吉田正己訳 日本教文社)終結部の「C類似」のまとめを行います。ここから宗教におけるフロイトたる独自論法が展開し、私はさらに興味関心を深めていくことになりました。最初の文を引用すると「われわれがユダヤ宗教史のなかに認めた奇妙な出来事に対する、ただ一つの満足すべき類似は、見たところはるか遠くにある領域において見出される。」とあって、具体的には潜伏という現象、説明を要する不可解な徵候の出現、かつての経験の条件、論理的思考を克服して精神にのしかかる強迫の性格が、ユダヤ宗教史に見られると結んでいます。これはまさに精神病理学をもって解明できるのではないかとフロイトは考えたようです。「この類似は、精神病理学において人間の神経症の発生を問題とするときにあてはまるもので、もちろん個人心理学に属する領域においてであるが、一方宗教的現象はいうまでもなく集団心理学に数えられなければならない。」これは宗教学から見れば、はるか遠くにある精神分析学を利用して民族が歩んだ精神史を解き明かそうと試みた論考というわけです。論文後半には追録が2つあって、フロイト特有の心理学説が述べられています。ここでひとつずつ取り上げることは出来ませんが、局所的ではあるけれども説得力のある論考だと感じました。ただ、読み進んでいくうちに発掘や発見が考古学や歴史学を左右するのであれば、フロイトの理論はあくまでも仮説の域を出ないのであって、神経症を民族全体が経験したならば、きっとこんなふうに精神史が築かれたのであろうと推論するものであり、事実とは異なった見解になっているのかもしれません。私たちが面白いと感じるのは、歴史的な実証ではなく、フロイト流の精神分析を歴史にあてはめた発想だろうと思うところです。

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