庭園空間を学ぶ機会

週末は関西方面に宿泊を伴う出張があります。京都に滞在するので、仕事の合間に寺社仏閣の庭園を味わってこようと思っています。造園業を営んでいた亡父は、多くの庭園を造成していました。父は庭園に対し何か特別な理念や主張を持っていたわけではなく、依頼された小空間に石や植木を配置して、それを生業にしていたのでした。学生だった自分は父の仕事を手伝っていた時期があって、石の配置に特別な思いを感じてはいましたが、自分が大学で出会った彫刻表現とは、かけ離れた仕事として捉えていて、庭園と彫刻が結びつくまでには時間が必要でした。父はあまりにも職人気質で、庭園に思索を持ち込むことはなく、庭園は空間で成り立つという概念や理論はそこに存在しませんでした。ただし、感覚として石や植木の配置を考えながら全体構成していた事実はあって、自分は父に言われるまま石や植木を少しずつ動かして、父の言う「据わりの良い場所に石や植木を落ち着かせること」に従事していました。自分は言うなれば、父のおかげで感覚として空間解釈を身につけたと言っても過言ではありません。庭園が空間を扱った芸術表現だと自分で認識したのは、作庭家重森三玲や彫刻家イサム・ノグチの作品に出会ったのが契機になっています。彼らの著作を読み耽っていた時に、父は他界してしまい、身近だった造園は自分から離れていきました。改めて庭園の空間解釈を学びたい意欲に駆られて、京都に出張したり、遊びに出かけたりする時には時間を見つけて庭園を見て回ることにしています。今年はどうするか、まだ仕事の関係で定かではありませんが、風景を象徴的に表した庭園に触れて見たいと思っているところです。

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