何のための研究か?

学者の発表した論文に、その論文を起稿した動機を、国際情勢あるいは個人的な事情を鑑みて考察を試みることは、私に刺激を与えてくれます。自分の専門分野を駆使して社会問題を論じたものは、とりわけ興味が湧き、こんな視点があったのかと気づかせてくれるからです。現在読んでいる「人間モーセと一神教」(フロイト著 吉田正己訳 日本教文社)が刺激的なのは、そんな理由によるものだろうと思います。フロイトの専門は精神分析学で、歴史学や考古学ではありません。他分野の分析を頼ることがあっても、フロイトが最終的には自らの専門分野を離れることはありませんでした。彼の研究の目的とするところは歴史学や考古学と同じで、人間の精神分析から真実に迫ろうとするものです。読んでいくとちょっとやり過ぎかなぁと思うところもありますが、批判を恐れない学者の一徹さが伝わってきて、対岸で見ている日本人の気楽さ故か、興味と面白さを感じてしまいます。こんな一文があります。「エジプトのモーセは民族の一部に、高度に精神化した別の神概念を与えたのであった。それは全世界を包含する唯一の神という概念であり、その神は全能であるのに劣らず、万物を愛するものでもあって、一切の儀式や魔術を嫌って、人間に対して真理と正義の生活を最高目標だと定めたのある。」これは現在のユダヤ教から導き出された教典の言わんとするものだろうと思いますが、実際にモーセから発せられたものなのかどうか、フロイトの憶測が多少入っているかもしれないと思いつつ、次の引用に続きます。「伝説の本来の性質がどういう点に存在するか、その独特な力は何にもとづいているものか、ひとりひとりの偉人が世界史におよぼす個人的影響を否定することはいかに不可能であるか、物質的要求に発する動機だけを認めようとすると、人間生活の大規模な多様性に対して何たる冒涜をおかすことになるか、多くの、とくに宗教的な理念が個人や民族を隷属させる力をもつのはどういう根拠にもとづくのかーこうしたことをすべてユダヤ史の特殊事例について研究することはきっと魅力的な問題であろう。」うーん。フロイトも迷いつつ眼前に広がる魅力的課題に真実を求めようとしていたんだなぁと改めて思う次第です。

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